わたしをすくって。

(登場人物)

・船頭:♂

年齢不詳。性別転換可。

・上平 庸介(かみだいら ようすけ):♂

三奈の夫。サラリーマン。

・上平 三奈(かみだいら みな):♀

庸介の妻。専業主婦。

・碓氷 蓮司 (うすい れんじ):♂

ミュージシャン。


・桜場 麻紀(さくらば まき):♀

女子高生。

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(役表)

船頭:

庸介:

三奈:

蓮司:

麻紀:

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船頭:ぎっちら、ぎっちら……


麻紀:…………ぅ……?


船頭:ぎっちら、ぎっちら……


麻紀:ん……

   ……えっ!?


蓮司:痛って!


麻紀:へ、な、何……え?

   何が、どうなって……?


船頭:おや、お目覚めになりましたか。

   おはようございます。


麻紀:え、えと……おはようございます……?


蓮司:……おい、起きたんだったら、さっさと俺の上からどいてくれ。

   重いし、水がどんどん染みてきて気色悪い。


麻紀:えっ、あ! ごめんなさい!

   でも、水って……

   !?

   なんで私、こんなずぶ濡れで……?


蓮司:ったく……

   起き抜けに人の顔面蹴っ飛ばしやがって。


麻紀:す、すみません……

   でも、あの……


三奈:あら、あなたも起きた時は、私の胸を鷲掴みにしてたでしょ?

   人のこと言えないじゃない。


庸介:えっ!

   そ、そうなのか!?

   お前、誰の許しを得てそんなことを!


蓮司:やめろ!

   ある意味不可抗力だろうが!

   ていうかこんなボロっちい舟の上で暴れんな!


庸介:そ、そうだった、すまない。

   いや、しかし……


麻紀:ふ、舟?

   ……ここ……海!?


蓮司:あ?

   今頃気付いたのか?


船頭:ぎっちら、ぎっちら……

   ふふふふ。

   心配御無用ですよ、こう見えても漕ぎ続けてウン十年、一度も沈んだことなどありませぬゆえ。

   それより、これで皆さんお目覚めのようですな。

   如何ですか、ご気分のほどは?


蓮司:……良いか悪いかで言ったら、良くはねえな。


三奈:そうね……


庸介:僕も同感だ。


麻紀:あ、あの、ここはどこなんですか?

   だって私、さっきまで……さっきまで……

   ……あれ? どうしてたんだっけ……


庸介:……やっぱり、君もか。


麻紀:え……何がですか?


庸介:僕達が、直前までなにをしていたのか、どうしても思い出せないんだよ。

   ついでに言えば、なんで僕達が揃いも揃って、濡れ鼠状態なのかも分からない。


麻紀:それじゃあ、あなた達も……


三奈:ええ。

   自分たちが何者なのかっていうのは、流石にちゃんと覚えてるんだけどね。


蓮司:実は、それすらも勘違いなだけで、曖昧なモンだったりしてな。


三奈:なにそれ、変なこと言わないでよ。


蓮司:有り得ない話じゃないだろ。


庸介:……船頭さん、あなたは何か知ってるんじゃないですか?


船頭:おや、私ですか?


蓮司:ああそうだよ。

   あんたがこの中で一番、段違いに怪しいからな。

   何か知ってんだろ?

   ……ていうか、そもそもあんたは何者なんだよ。

   なんで俺達は、知らない間にあんたの舟に乗ってんだ。

   いや、それ以前にだ。

   なんで俺達は、こんな水浸しなんだよ。


船頭:ははぁ、そう質問ばかりされましても……

   そうですねぇ、勿論、私だけが知っている事も、多々ございます。


庸介:それなら、


船頭:しかし、私が全てを話すよりも、ご自身で思い出された方がいいと思いますよ。

   なにぶん、まだ岸までは時間が掛かりますから。

   こんな狭い舟の上では退屈でしょう、ちょっとした、世間話だとでも思って。


三奈:……つまり、あなたの口から、何か話すつもりは無いってことよね?


船頭:ええ。

   まあ、私なりの心遣いだと思って頂ければ。

   ……ただ、そうですねえ。

   一つだけ答えて差し上げるのであれば、私はあなた方を乗せた、と言うよりかは、

   「すくった」、という表現が、正しいかも知れませんねぇ。


麻紀:どういう、意味ですか……それ。


船頭:はてさて、どういう意味なんでしょうなぁ。

   ふふふふふ。


麻紀:………………


船頭:まあまあ、そう不安がらずに。

   それよりも、何よりもまず、お召し物を変えられては?

   あなた方が言うように、そんな濡れ鼠状態では、お体を壊されますよ。

   ちょうどそこに、お着替えがありますから、どうぞご自由に。


麻紀:ここで着替えろって言うんですか!?


船頭:ご心配無く。

   私はずぅっと、行先しか見ておりませぬゆえ。

   ……私は、ですがね?


三奈:……まぁ、仕方ないか。

   いつまでも濡れた服を着続けるのも、気持ち悪いしね。

   見たら、舟から突き落とすわよ。


蓮司:見ねえよ、興味もねえし。


三奈:あらそう、それなら良いけど。


庸介:しかし……着替えと言われても……

   これはなんともねえ。


蓮司:白装束かよ……

   無いよりかはマシだけどよ。


三奈:なんとも、いい趣味してるわね。


麻紀:あの、着替えってこれしか無いんですか?


船頭:生憎ながら。


(間)


麻紀:……一応、着替え終わりました。


蓮司:んじゃ、改めて、状況を整理したいんだけど。


三奈:どうやって?


蓮司:とりあえず、簡単にでも現状をまとめないと、右も左も無いだろうが。

   それぞれが分かってることから、少しずつ掘り下げていくんだよ。

   こうしてこんな妙な状況に、同じような状態の人間が、4人も居合わせてんだ。

   俺はこれが偶然だなんて到底思えねえし、無意味とも思えねえ。

   初対面だとしても十中八九、俺達は互いに関連性、若しくは他に共通する何かがある。

   そう考えるのが妥当だろ。


庸介:共通する何か、か……

   確かに、君の言う通りかもしれないな。

   しかし、掘り下げると言っても、どこから……


三奈:全員がわかってることと言ったら、自分の名前くらい?


蓮司:どうだかな。

   如何せん、まだまともに話なんてしてないからな。

   全員が本当にそうである確証は無いが。

   疑心暗鬼になってばっかりでも仕方がねえ、順に自己紹介でもしていくか。

   こうなっちまったのも、何かの縁だろ。


三奈:そうね。


麻紀:………………


蓮司:……なんだよ、人の顔じろじろ見て。


麻紀:あっ、い、いえ……別に。


蓮司:まあいいや。

   とりあえず、君からだ。


麻紀:え?


蓮司:いや、「え?」じゃなくてよ。

   話聞いてたろ?

   とりあえず、名前を教えろって言ってんの。


麻紀:あ、はい、すみません……

   えっと、「桜場 麻紀」です。


蓮司:さくらば まき。

   OK、次。


庸介:「上平 庸介」。


三奈:「上平 三奈」よ。


麻紀:お二人は、苗字同じなんですか?


庸介:ああ、僕達は夫婦なんだよ。


麻紀:あ、そうなんですね。


蓮司:成る程、元々知り合いぽかったのはそういうことか。


三奈:あら、てっきり気付いてたとばかり。


蓮司:確証が無かっただけだよ。

   ……で、あとは俺の名前か。

   「碓氷 蓮司」だ。


麻紀:えっ?


蓮司:あ?

   今度はなんだよ。


麻紀:碓氷 蓮司って、あの碓氷 蓮司ですか?


蓮司:……なんだ、知ってんのか。


三奈:ああ、そういえば、最近メディアで引っ張りだこになってる若手ミュージシャンが、そんな名前だったわね。

   テレビを観ていれば、その顔を見ない日は無いってくらい多忙だとか。

   若いし、美形だし、歌も良いしで、主に女子高生・女子大生の人気を総なめにしてるって評判だけど、

   ……あー、言われてみれば確かに、こないだ雑誌で見た顔と同じ顔だわ。


庸介:でも、テレビで観てる時と、感じが違うような。


蓮司:人間誰にでも、表と裏ってもんがあるだろ。

   ……ていうか、ちょっと待てよ。

   あんたら、俺の事は覚えてんのか?

   なにも覚えてないんじゃなかったのかよ。


三奈:……言われてみれば、そうね。

   なんか、名前聞いた途端に、すーっと思い出したのよね。


庸介:僕もそうだ。

   なんとなしに、君の名前が出てくる記憶が、ぱっと出てきた。


蓮司:……なるほど。


麻紀:……あ。


庸介:ん?

   君も、何か思い出したかい?


麻紀:……いえ、なんでも……


三奈:……その割には、ずいぶん顔色が悪いけど。

   大丈夫?


麻紀:………………


蓮司:なんでも良いから、思い出したなら言ってみろ。

   今は藁にも縋りたい気分なんだからよ。


麻紀:……はい……

   えっと……その……碓氷さんって名前を聞いた時に、最初に思い出したのがトークショーで……

   どこでやってたやつだったかって考えてみたら、クルーズ客船の中で……

   そこに私がいて、お父さんとお母さんがいて、ステージの上に、碓氷さんがいて……

   ……ちょうどその真っ最中に、船がすごく揺れて……それで…………


三奈:……それで……?


麻紀:……ごめんなさい……これ以上、思い出したくない……

   なにか、すごく嫌な、悲しいことを思い出してしまいそうで……!


三奈:そ、そう。

   ごめんなさい、なんだか悪いことをしたわね。


庸介:顔が真っ青だよ、それ以上思い出さない方がいい。


麻紀:すみません……


蓮司:……つっても、もうほとんど正解は出ただろ。


三奈:そうね……

   私も、ぼんやりとだけど、思い出してきたわ。


庸介:ああ、僕もだ……


蓮司:船頭さん。


船頭:はい?


蓮司:答え合わせだ。


船頭:ほう。


蓮司:俺達は同じ客船に乗っていた。

   そして、原因までは知らないが、その客船は運悪く転覆、もしくは沈没し、

   俺達はそれぞれ、海を漂う羽目になった。

   そして、偶然通りかかったあんたに拾われ、なんとか命からがら生き残って今に至る。

   ……大まかに言えば、そんなとこだろ。


船頭:ほほぉ……


蓮司:間違ってるなら、間違ってるって言ってもらって構わないぜ。


船頭:……そうですねぇ、ふふふ……

   満点大正解、とまでは言えませんが、大方正解ですよ。

   お見事、お見事。


庸介:それじゃあ、あなたは僕達の、命の恩人って事になるんですよね。


船頭:さぁ……

   それは、あなた方の解釈次第ですがねえ。

   なに、感謝されるような事ではありませんよ。

   するべきことを、しているまでで。


三奈:ずいぶんと謙虚なのね。

   もしそれが本当なら、あなたがいなければ、私達はどうなっていたか分からないのに。


船頭:よく言われます。


蓮司:……なあ。

   大方正解したんだったら、聞いてもいいだろ。


船頭:なにを、ですかな?


蓮司:あんたがあの場所で、事故現場で、何を見たのか……だ。

   本当に偶然なのかは知らないが、その場に行き、俺達を拾ったのはあんたの意思だろ。

   その行為に至るまでの、経緯を教えてくれ。

   おそらく、この中で一番鮮明に覚えてるのは、この子だろうが……


麻紀:……嫌、です……

   思い出したくない……聞きたくない。


蓮司:……こんな状態だからな。


船頭:聞きたくない、と仰ってますが?


蓮司:耳でも塞がせとけばいいだけの話だ。


船頭:……ふふふふふ……なかなか、いい性格をしていらっしゃる。

   そうですねえ……では、お話しましょうか。

   私があの惨憺たる場で、何を視たのか……


蓮司:ああ、頼む。


船頭:何を視たのか、と言っても、特別大した物を視たわけではありませんがね。

   私が其処に至った頃には、客船は大破し、その大部分が沈んでおりましたので……

   遠くの方に小さな舟らしき物は見えましたから、恐らくあれは、救命ボートか何かだったんでしょうねえ。

   ……しかし、全員が全員、救われたわけでもなかった。

   あなた方以外にも、あなた方と同じような状態の方が沢山沢山見受けられましてねぇ。

   それはそれは、骨が折れましたよ。

   何せ、こんな小舟ですからねえ。

   いっぺんに乗せてさしあげようにも、乗り切れやしない。

   だから、何度も何度も往復しましてね。

   すくえるだけすくっている最中なんですよ、まさに今。


庸介:じゃあ、僕達以外にも、あなたに救われた人がいるということですか。


船頭:ええ、沢山沢山ね。


三奈:その人達は今どこに?


船頭:岸でお待ち頂いてますよ。

   先に帰ってもらっても結構だったんですが、皆さん揃いも揃って、

   「もしかしたら後からすくう方の中に、お知り合いがいるかも知れない」と仰いまして。

   ……ああ、そうだ。

   余談と言ってはなんですが。

   お知り合い、と言えば、あの場をうろついている間、

   苦し紛れに誰かの名前を呼び続ける声が、いくつもいくつも聞こえましてねえ。

   その声の悲痛さ、生々しさたるや……ふふふふ。


麻紀:やめてください……!

   ……お願い……やめて……!!


船頭:ふふふ、これは失敬。


蓮司:……俺よりよっぽど性格悪いだろ、あんた。


船頭:すみませんねえ、生まれつきでして。


庸介:……あの。

   既に送り届けた人の中に、僕達と同じ苗字の、年配の女性がいませんでしたか。


船頭:ご年配の女性……あなた方の姓は、上平でしたねえ。

   はて……いらっしゃったような、いらっしゃらなかったような。

   その方が、どうかされましたかな。


三奈:夫の母なの、その人。

   私達、旅行嫌いのお義母さんをなんとか説得して、クルージングに乗せたのよね。


蓮司:そりゃ、今までにも増して、大っ嫌いになりそうだな。


三奈:そうね。

   でも、もし生きてたらそれだけで御の字でしょ。


蓮司:そりゃあまあな。


船頭:どうでしたかなぁ……なにぶん、そうそうお名前など聞かないものですから……

   ……ああ、そうそう。

   それとは全く関係の無い話で、恐縮ではありますが。

   そちらの……桜場さん、でしたかな?


麻紀:……はい。


船頭:あなたのご両親でしたら、既に岸まで送り届けていますよ。


麻紀:本当ですか!?


船頭:ええ。

   すくう前から、しきりに麻紀、麻紀と呼び続けていましたからねえ。

   岸に着くまでも、あなたのお話しかされませんで。

   よほど愛されているんですねえ。

   いやはや、なんともお羨ましい限りですよ。


麻紀:あぁ……お父さん……お母さん……!


蓮司:……ひっでぇ顔だな。ぐしゃぐしゃ。


麻紀:ほっといてください……


三奈:もうちょっと、優しい言葉はかけられないの?


蓮司:十分優しいつもりだよ、俺からすりゃぁな。


三奈:それならもう少し、人の気持ちを考えられるようにしなきゃダメね。


蓮司:余計なお世話だっつーの。


庸介:ま、まあまあ二人共。

   ……あれ?

   船頭さん、もしかして、あれって。


船頭:ふふふふ、ほぉら。

   そろそろ、岸が見えてきましたよ。

   話していれば、あっという間だったでしょう。

   ほら、今あそこで手を振ってるのが、桜場さんのご両親ですよ。

   あーあ、あんなに泣いちゃって。

   よっぽど嬉しいんですねえ。


庸介:そりゃあそうですよ。

   水難事故なんて、助かっただけでも運がいいんですから。


三奈:あっ、庸介さん、あれ!


庸介:え?

   ……あ、母さん!

   よかったぁ……母さんも助かってたんだ。


蓮司:良かったな、全員望みの人が助かってて。


麻紀:碓氷さんはそういう人いないんですか?


蓮司:いねーよ。

   プライベートじゃなく、仕事で乗ってたんだ。

   一緒に船に乗ってた奴なんて、口うるさいマネージャーとスタッフばっかだっつの。


三奈:あら、じゃあ、プライベートにはいるのね?


蓮司:……いたとしても、あんたらに教える筋合いは無いね。


三奈:分かりやすいわねえ。


麻紀:それじゃあ、帰ったらまずその人に、「ただいま」って言ってあげてください。

   それだけでも、泣くほど喜ぶと思いますよ。


蓮司:……ふん。


船頭:さあさあ皆様。

   積もる話に花を咲かせるのも結構ですが、そろそろ降りる準備をして下さい。


三奈:船頭さんはこの後どうするの?


船頭:また現場に戻りますよ。

   さっきも言ったように、まだまだすくい損ねている方々が、沢山沢山いらっしゃいますから。

   おお、忙しや、忙しや。


麻紀:……あの、本当に有難うございました。

   この御恩は、一生忘れませんから。


船頭:いいえぇ。

   するべき事をしたまでですよ。


三奈:最初は、ずいぶん胡散臭い人だと思ったけどね。


蓮司:文字通り、命の恩人だからな。

   ……最初は……あれだ、散々疑ってかかって悪かったよ。


三奈:やっぱり、素直じゃないのねー。


蓮司:うるせえな。


船頭:気にしないでください、私は楽しんでましたから。

   これだけ賑やかだったのは、あなた方が初めてでしたからねえ。


庸介:この事故の事も、ここにいる人たちの事も、たぶん死ぬまで忘れないよ。

   最初はどうなることかと思ったけど、こんな経験、二度と出来ないだろうからね。


三奈:そんな機会、何度もあったら困るわよ。


庸介:それもそうだ。


船頭:……ふふ、ふふふふ。

   死ぬまで忘れない……言い得て妙ですねえ。


庸介:え?


船頭:いいえぇ、なんでもありませんよ。


麻紀:じゃあ、私、両親の所に行ってきますね。

   さよなら、お元気で。


庸介:うん、君もね。

   ……僕達も行こうか、三奈さん。


三奈:そうね。

   お義母さんにこってり絞られに行かなくちゃ。

   それじゃあね。

   また、機会があれば会いましょう。


蓮司:ああ。

   ……望みの人……か。

   たまには俺からも連絡してやるかな。

   俺も行くわ、それじゃあな。


船頭:ええ。

   皆さん、お疲れ様でした。

   ……ああ、違った……こう言うべきですね。


   ご愁傷様でした。

   ……ふふふ、ふふ、ふふふふふ……

   ぎっちら、ぎっちら。


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