とある人喰い妖怪の気紛(きまぐれ)について

(登場人物)

・灯堂 洸(とうどう あきら):♂

主人公。退魔師。

退魔師として確かな実力を持ってはいるものの、

優しすぎる故に任務を全う出来ず、退魔師としての評価は低い。

主な武器は刀。

・鑑ヶ原 早苗(かがみがはら さなえ):♀

洸と同郷の退魔師。

正義感が強く、妖怪を討ち倒す退魔師という仕事に誇りを持っている。

主な武器は退魔符(札のようなもの)。


・スクナ:♀

年齢不詳。見た目は20代半ば。

人の形をしながら人を喰らう大妖怪。

圧倒的な力を持ち、妖怪の山を統べる親玉的存在。

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(役表)

洸:

早苗:

スクナ:

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洸:(M)

  数年前の、あの日。

  俺達は、死を覚悟した。

  山篭りをして修行をしていた所へ、妖怪に集団で襲われたのだ。

  術も未熟だったその時の俺は、早苗を身を挺して守る事が精一杯だった。


早苗:(M)

   私達は、自らを過信していた。心の何処かで、妖怪を見縊っていた。

   ああ、このまま誰にも気付かれる事無く、化物の餌になるんだ……

   そう、諦めかけていた時。

   たった一つの声が、その場にいた全ての者の時間を止めた。


スクナ:その辺にしておきなよ、三下共。

    よくもまあアタシの庭で、数だけは立派に集めて、好き放題暴れてくれちゃってさぁ。

    そいつらは、アタシの獲物だ。

    アンタ等みたいな下っ端妖怪には、指一本すら贅沢過ぎるような、極上の代物だよ。

    ……二度は言わないよ、とっとと失せな。

    それとも、下卑た獣らしく、身の程も知らずに欲に駆られて、塵芥に還ってみるかい。


洸:(M)

  何十匹といる妖怪を黙らせる、圧倒的な存在感と、空気すら凍るような恐怖感。

  俺達と同じ人の形をしていながら、周囲の妖怪とは比べ物にならない、化物。

  やがて、全ての妖怪が散った後、気を失った早苗を抱えた俺の眼前に迫ったそいつは、

  屈託の無い笑顔で、こう言ったんだ。


スクナ:……アンタ等は運がいい。

    普通だったら、ここでさっさと喰っちまってるけどねぇ。

    生憎とアタシは、今しがた行き倒れたヤツを拾い喰いした帰りで、腹に空きが無い。

    それに……このまま殺しちまうのは、惜しい。

    アンタは、そんな眼をしてる。

    アタシの気が変わらないうちに、さっさとその娘連れて、この山から帰りな。


洸:(M)

  その後は、正直よく覚えていない。

  とにかく、無我夢中で走って、走って。

  村に戻った後、一頻り、大人達から大目玉をくらった。

  それ以来、その山には、誰も近付く事すらしていない。

  でも、あの化物の笑顔はずっと、俺の脳裏に深く焼き付いて、離れようとしなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


洸:はぁーーーー……


早苗:洸。

   ねえ、洸!


洸:あ、えっ?

  ……ああ、なんだ、早苗か。


早苗:なんだ早苗か、とは失礼しちゃう。

   任務から帰ってくるなり、でっかい溜息吐いてるし、上の空だし。

   どうしたんだろうって思うじゃない。


洸:……いや、なんていうか。


早苗:何か、悩み事?


洸:まあ、そんなところかな。


早苗:私で良ければ、話聞くよ?


洸:ああ……

  ……いやな、俺、なんで退魔師やってんだろう……ってさ。


早苗:また藪から棒に。


洸:そうでもないさ。

  ……昔から時々、思ってたんだよ。

  いざ妖怪を目の前にしても、言われなきゃ自分からは何も出来ない。

  俺に退魔師なんて、元々、向いてないんじゃないかって。


早苗:それでも、何だかんだで、やる時はちゃんとやってると思うわよ?

   少なくとも、毎回同じ任務についてる私は、そう感じてるけど。


洸:早苗は、そう思う時って無いのか?


早苗:「自分はなんで、退魔師やってるんだろう」って?


洸:そう。


早苗:無いわね。


洸:即答だな……


早苗:当然。

   私からすれば、妖怪は言わば、皆の仇敵。

   『妖に正義、倫理、道徳無し。 妖たるモノ、分け隔てなく滅すべき悪也』。

   私達は、そう教えられて育ってきたじゃない。

   違う?


洸:違わないけど……

  妖怪と言えどさ、一つの命である事に変わりは無いだろ。

  もしかしたら、望んでその姿になったわけじゃないって奴もいるかも知れない。

  そう考え始めたら、俺なんかの勝手な都合で、殺したりしていいのかな……ってさ。


早苗:……洸は、昔からそういう性格だもんね。

   それが間違ってるとは言えないし、そう思っちゃうのも、

   洸が優しいからなんだって、私が一番知ってるつもり。

   ……でもね、これは、自然の絶対的な摂理。

   弱き者の肉は、強き者が喰らう。

   だから、強い妖怪に喰われない為に、弱い人間は対抗する手段を持ったに過ぎないの。

   妖怪が生きる為に人間を喰らうなら、人間は生きる為に妖怪を殺す。

   これは一つの自己防衛の形であって、生きる上で仕方が無いことなんだ、って。

   私は、そう言い聞かされてきたし、それが正しいって思ってる。


洸:そうだよな……

  ……分かってる。

  頭では、分かってはいるんだ。

  でも、出来るのであれば殺さずに解決したい、って考えちまう。

  綺麗事ってのは分かってるけどさ。

  ……同じ、この地で生きている命なら、って。

  そういうのが頭の何処かでちらついて、どうしても非情になりきれないんだよな。


早苗:……うん。

   洸には、洸なりの考えがあるっていうのは、分かってる。

   時には、気の済むまで悩んで悩んで、悩み続けるっていうのも、大事だと思うから。


洸:……悪いな。

  なんか、いきなりこんな話しちまって。


早苗:ううん。

   むしろ、洸の考えてる事がまた少し分かって良かった。

   ……さ、じゃあ気分転換も兼ねて、もう一回出掛けますか!


洸:えっ、今帰ってきたばっかりなのにか?


早苗:あー……えっとね……

   実は、さっきの任務中にちょっと……落し物しちゃって。


洸:落し物……って、何を?


早苗:首飾り……

   お母さんの形見だし、着けてないと落ち着かなくて。


洸:そうか。

  そういう事なら、俺も探すの手伝うよ。


早苗:うん、ありがとう!

   たぶん、見ればすぐ分かると思うから。


洸:(M)

  こうして、俺と早苗は再び山へ入った。

  あまり奥へ進むと妖怪の巣窟に踏み入ってしまう為、場所選びにも、案外神経を使う。

  やがて、陽も傾き始めようかといった頃、手分けして探そうということになった。

  のだが……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


洸:しっかし……こんだけ探して見付からないなんてな……

  妖怪に持ってかれたなんてオチは勘弁してくれよ……


スクナ:……何か、探し物かい?


洸:あ、はい。

  なんか、連れが首飾りを落としたらしくて……


スクナ:ふうん、首飾りねえ。

    ……あぁそういや、さっき物珍しい物が落ちてたから思わず拾っちまったけど、

    アンタが探してんのは、これじゃあないかい?


洸:蒼の、勾玉……

  あ、たぶんこれです!

  どうも、ありがとうございます……

  ……っ!!?


スクナ:……ふふ。

    どうやら、思い出したみたいだねぇ?

    その顔、その眼……何年振りかねぇ。

    随分と、久し振りじゃあないか。


洸:(M)

  驚愕、恐怖、困惑、悲観、緊迫、厭世。

  ありとあらゆる絶望の感情が、濁流となって頭に流れ込んでくる。

  逃げるか?

  否、逃げ切れるわけがない。

  戦うか? 勝算は? あるのか?

  早苗だけでも逃がすか?

  否、否。

  二人共々喰らうなんて、こいつには……容易い事だ!


スクナ:どうしたんだい?

    そんなに身体震わせて、眼まで右往左往させちゃってさ。

    もっとさっきみたいに、気楽に話しておくれよ。

    ……ねぇ?


洸:…………っ!


早苗:洸ぁー?

   こっちには全然見当たんなかったよー。

   そっちはど……って、何してんの?

   その人、誰?


洸:いや……っそれは……


スクナ:……ふん。

    いやなに、探し物をしてたってんで、ちょいと手助けをしてやってたのさ。

    ほら、それはその子のモンだろう?

    さっさとお返しよ。


洸:……っああ、はい……

  早苗……これ。

  この人が、拾ってくれてたみたいで。


早苗:えっ?

   あ、見付かったの!?

   よかったぁ……これが無いと、どうしても落ち着かないのよね。

   じゃあ洸、陽も暮れそうだし、早く帰ろう?


洸:……いや、先に帰っててくれ。

  少し休んだら、俺もすぐ帰るから。


早苗:そう?

   じゃあ、私は先行ってるけど……気をつけてね。

   あ、それから。

   お姉さん、どうもありがとう!


スクナ:どういたしまして。

    気を付けて帰りなよ。

    野蛮な輩には気を付けてな。


早苗:うん! さよなら!

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洸:……どういう、風の吹き回しだよ。


スクナ:おやおや、随分な物言いだね。

    なんだい?

    アンタはあの子が、アタシに喰われる様を期待してたって?


洸:っ違う!

  ……違うけど……アンタは数年前にも、俺と早苗を助けた。

  今だって、人間の振りをしてまで、早苗を普通に帰した……

  確かにアンタは、俺たちの命の恩人だけど、それでも……妖怪なんだろ?

  見境無く襲ってくる、そこらのよくいる妖怪達とは違う……

  何の為に、こんな事を?


スクナ:何の為に、だなんてねぇ。

    そんな御大層なもんじゃあないよ、ただの気紛れさね。

    アタシは、欲望のままに喰い散らかすような、そのへんの汚らしい下卑妖怪とは違うんでね。

    それに、アタシがいつ、アンタもそのまま帰す、なんて言った?

    分かってるだろ?

    アタシにかかれば、アンタを腹に収めるまで数瞬も必要としないんだ。

    アタシの気分次第で、アンタの命なんて、あっさりとどうにでもなっちまうんだよ。

    そんな事も測れない程、未熟な童じゃないだろう?


洸:……っでも、アンタは、俺を喰う気は無い。

  少なくとも、今は。

  そうだろ?


スクナ:……へえ?

    どうして、そう思う?


洸:……アンタは見た目は、人間だ。


  見た目だけでも人間なら、何考えてるかなんて、眼を見ればだいたい分かる。


スクナ:……ぷっ……あっはっはっはっはっはっは!!

    なんだいそれ!?

    そんな虚空よりもスッカスカな理由で、そんな強がりな眼してんのかい、アンタは!

    脚も小鹿みたいに、そんなに震わせちゃってさぁ!


洸:なっ……


スクナ:はぁーあ、おっかしい。

    負けたよ、アタシの負け。


洸:……は?


スクナ:まっさか、ここまで面白い男に育ってるとはねえ。

    やっぱり、あの時生かしといて正解だったよ。

    この近辺じゃ、泣く子も黙るこのスクナ様の前で、物怖じもせずに。

    挙句の果てには、眼を見りゃ分かる、と来たもんだ。

    思った以上に愉快な男だ、気に入ったよ。


洸:……何が、そんなにおかしいんだよ……


スクナ:ありゃ、じゃあ……

    アンタに惚れ込んだ、って言ったほうが良いかい?


洸:なっ!?


スクナ:あっはっはっは!

    初心なもんだ。

    揶揄い甲斐のある奴だねぇ。

    ……ま、冗談はさておき、だ。

    アンタも、さっさとウチにお帰りよ。

    本当は、腕か脚の一本でも貰おうと思ってたんだが、久々に笑わせてもらったからね。

    また来なよ。

    アンタは特別に、この山に勝手に入ることを許してやる。

    ま、お仲間連れて暴れ回ったりしたら、遠慮無く喰っちまうけどね。


洸:あ、あぁ……


  (M)

  こうして俺は、あの化物・スクナと、二度目の邂逅をしながら、五体満足で山を降りる事が出来た。

  きっと、これは……所謂、奇跡なのだろう。

  しかし、本当に俺は、彼女に心底気に入られたようで、俺が時々山中で一人になると、

  ほぼ確実に姿を現しては、引っ張り回したりからかったりと、やりたい放題だった。

  ……それでも、次第にそれに慣れていった自分が、我ながら、恐ろしくもあった。

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早苗:……ねえ、洸。


洸:え?


早苗:なんだかさ、最近大人しくない?


洸:大人しい?

  ……俺は元々、そんなに気性が荒いつもりは無いんだけど。


早苗:違うよ。

   洸じゃなくて、妖怪が。

   今までは、毎日みたいに奴らが大なり小なり、悪事を仕掛けてきてさ。

   あまりにそれが酷ければ、私達がそいつらを退治する、って感じで。

   それがある意味、治安を安定させる仕組みでもあったじゃない。


洸:それは……確かに。


早苗:勿論、それがいい事なのは、間違いないんだけどね?

   突然こうも大人しくなられると、調子が狂っちゃうっていうか……

   ねえ、洸はなにか知らない?


洸:俺に聞かれてもなぁ……


  (M)

  と言いつつ、俺はその原因を知っていた。

  というのも……

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[回想①]


スクナ:アンタ、今なんて言った?


洸:……だっ……だから、人を喰うのを止めてくれ、って言ったんだ。


スクナ:はっ……やれやれ。

    ねぇ坊や、それ、本気で言ってんのかい?

    仮に本気だとしても、アタシが……

    いや、アタシ達が、そのお願いを聞くのは、到底無理な話だね。

    考えるまでも無い。


洸:なんでだよ……?


スクナ:なんで?

    そりゃあ、愚問ってやつだね。

    アンタは大好物を理由も無くおあずけされて、ハイそうですかって、あっさり納得すると思うのかい?

    ただでさえ日夜、獲物求めて這いずり回ってるような、野獣みたいに喰い意地張ってる奴らがさぁ。


洸:でも、あんたは違うんだろ?

  だから、他の奴らより話が通じると思ったから言ってるんだ。


スクナ:まあね。確かにアタシはそう言ったね。

    だけどさぁ、だからって普通、いきなり人を喰うな、なんて戯言を、突拍子も無く言うかい?

    ……理由は、言わなくたって分かるよ。

    事実上、弱肉強食に従えば、アンタ達は滅びる。

    まじないだか何だかの力を使ったって所詮、アタシみたいな奴が攻め入れば、

    そんなちゃっちい力諸共この世から葬り去るくらい、なんてことはない。

    結局の所、保身の為の口実なんだろう?

    少しでも長く、現世に留まる為の。

    そんなにアタシ達に怯える日々が嫌なら、一思いにやっちまっても良いんだよ?


洸:違う……違う、違う!

  そんなくだらない理由じゃない!

  俺は……あんた達の事を考えて、言ってるんだ。


スクナ:……へぇ?

    そりゃぁまた、興味深いね。

    聞かせてみなよ。

    一体全体、それがどーして、アタシ達の為になるって?


洸:……為になる、とまでは思っちゃいない。

  確かに、俺のこの願いは、妖怪から聞いたら、ただの身勝手な願望だろうさ。

  俺達みたいな退魔師の存在だって、疎ましく思ってる奴も、少なからずいるだろ?

  でも、退魔師でも俺は、出来ることなら、妖怪殺しなんてしたくはない。

  殺さずに済むんなら、それが一番良いし……

  綺麗事かもしれないけど、分かり合えるなら、分かり合いたいって思ってる。

  それでも、決まりである以上、人間に害をなす妖怪は、殺さなくちゃならない。

  ……世迷言だって貶されてもいい。

  綺麗事だって、馬鹿にされたって構わない。

  でも俺は……!


スクナ:そこまでだ。


洸:……っえ……!?


スクナ:でも、でも、って、喧しいんだよアンタは。

    回りくどい事言ってないで、自分がそうして欲しいってんなら、

    力尽くででもそうさせるくらいの気概で来なよ。

    そんな生半可な言い分で、アタシを納得させられると思ってんのかい?

    それ以上舐め腐った態度で、巫山戯た物言いするようであれば、

    この山一帯の妖怪引き連れて、今すぐアンタの里を皆殺しにしてやろうか。

    そうすりゃ、そんなくだらない葛藤に悩まされる事も無いだろ。


洸:……させない。


スクナ:はぁ?

    聞こえないねぇ。


洸:俺の里を、あんた達の好きになんかさせない。

  俺のお願いを聞いてくれないのは別に良い。

  でも、里の皆を傷付けるのは許さない。

  どうしてもそうするってんなら、俺はここで、道連れにしてでもあんたを殺す!


スクナ:……ふん、ようやく良い眼になったね。いいだろう。

    アンタに免じて、メシのおあずけを受け入れようじゃないか。

    だが、当然怪しみ出す者も出てくるだろうけどねぇ。

    こっちにも、そっちにも。

    だから、この事は、お互いに他言無用さね。

    もしも口を滑らせたら……やっぱりアタシはアンタごと里を殺す。

    いいね?


洸:……分かったよ。

  でもそん時は、あんたも道連れだ。


スクナ:ふふふ、いいねえ。

    それくらい自分勝手なお願いでもなきゃ、面白味も、聞き甲斐も無いってもんさ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


[回想①終了]

洸:……俺には、やっぱり分かんないな。

  今は取り敢えず、素直に喜んどけば良いんじゃないか?

  平和な日々ってやつをさ。


早苗:まあ、そうなんだけどねー……

   あれだけ騒がしかったのに、急に静かになられると、逆に不安になっちゃうじゃない?

   嵐の前の静けさ、って言うかさ。

   里の中には、何か企んでるんじゃないかーなんて、思ってる人もいるくらいだし。

   そうそう楽観的になんかなれないわよ。


洸:そんな事、誰が思ってるんだよ?


早苗:私。


洸:え、早苗が? なんで?


早苗:勘よ、勘。

   私の勘って、結構当たるのよ?

   洸もよく知ってるでしょ?


洸:それは、確かに知ってるけどさ……

  でも、こうなってからもう、結構経つだろ?

  妖怪も、俺達に飽きたんじゃないか?


早苗:むーー……そうかなぁ……


   (M)

   そう訝しみながらも、私も私で、やはり何処かで安堵していたのかも知れない。

   というのは……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[回想②]


スクナ:妖怪の習性?

    また出し抜けに、随分おかしなことを聞くんだねぇ。


早苗:だって、お姉さんは、退魔師になってもう長いんでしょう?

   それなら、自ずとそういうのも分かってくるもんなのかな、って。


スクナ:アタシは退魔師なんかじゃないよ。

    ただ、此処の妖怪は、特に喰い意地が張ってるみたいだから、何と言うか、面白くてねえ。

    アンタがこうしてる間にも、どっかの草叢の影から、涎垂らして視てたりするかもよ?


早苗:襲われたら、その時はその時よ。

   昔よりかは、私だって強くなってるもん。


スクナ:へーえ、そうかい。

    そりゃあ威勢の良いことで。

    しっかしまあ、あの小童も変なヤツだとは思ってたけど、アンタもアンタで、なかなかに酔狂な娘だねえ。

    たかだか落し物を拾ってやっただけのアタシに、自分から近付いて来るなんてさ。


早苗:それはだって、凄く大事なものだったし、どうしても、お礼だけでも直接言いたかったから……

   ていうか、あの小童って、誰のこと?


スクナ:ん?

    誰って、一緒に探し物をしてやってたヤツのことだよ?

    なんだ、てっきりアンタたちはもう、祝言でもあげてんのかと思ってたよ。


早苗:んなっ、祝言って!?

   そそそそそそ、そんなわけ無いじゃない!!


スクナ:あっはっはっはっは!

    ちょいと揶揄っただけでそれかい?

    近頃の若いモンってのは、随分初心なヤツが多いんだねえ。


早苗:知らない!


スクナ:話が逸れたね。

    ……ま、この山の妖怪ってのは、腹が減ったらそのへんの木の実とか獣とか、

    眼に付いたモンを適当に喰ってるから、こっちから近付かない限り、大した害は無いだろうよ。

    確かに人も喰うけど、積極的に喰いに来るのは、よっぽど腹を空かしたヤツか、

    自制も効かない、イカレたろくでなしさ。

    大抵の場合は、勝手にこの山に入って、勝手に行き倒れたヤツを喰ってるからね。


早苗:じゃあ、最近私達の里に、あんまり手を出して来ないのは……


スクナ:恐れをなしたか、飽きたか、はたまた、何か良い他の喰いモンでも見付けたか。

    少なくとも、それで心配するような事でもないんじゃないかねえ。


早苗:……そっか。

   うん、ありがとう!


スクナ:どういたしまして。

    ……さて、直に陽も落ちる頃合だ。

    今日はもう帰りな。


早苗:あ、そうだね。

   また、来てもいい?


スクナ:ああ、勝手にしなよ。

    でも、また来ても、アタシが此処にいるとは限らないけどねえ。


早苗:何よそれー。

   まあいいや、それじゃあね!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


[回想②終了]


​早苗:……ま、いいか。

   洸の言う通り、変な事ばっかり気にしてても、仕方ないもんね。


洸:お、おう……?

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


スクナ:(M)

    人間ってのはいつの間に、こうも面白い生き物になっていたのか。

    あの小童だって、あの小娘だって、元は喰い頃を待つだけの、ただの餌だった筈だってのに。

    腹が減って仕様がない時でも、アイツらだけは、喰う気にはなれなかった。

    人間に感化されちまったんだって知れたら、いい笑いモンだよ、全く。

    ……だけど、だけど。

    アタシの食欲は、妖怪のモノ。

    空腹が募れば募る程に、アタシの正気は、本能に蝕まれていった。

    そして、或る日の夜。

    抑えていた、化物としての本質が、もう一人のアタシとなって……

    飢えたアタシを、唆し始めた。


スクナ:……ハァ……ハッ……ック、フウゥ……!

    肉が……喰いたい……ッ!

    ……肉……肉……、ヒトの、肉が……!!


スクナ:(裏)

    だったら、喰らいたいだけ喰らっちゃえば良いじゃないか。

    ほら、山の外を見てごらんよ。

    あぁんなに旨そうな肉が、わんさかいるじゃあないか、ぇえ?


スクナ:……あ、あ……っ。

    っ……ダメだ……駄目だ!

    あんだけ言っといて、アタシが、アタシから、約束を破るなんざ……っ!!


スクナ:(裏)

    ハッ、くだらないねえ。

    あんな小童との約束に、何を縛られることがあるんだい?

    アタシは、ここら一帯の主。

    それが無くたって、他人を騙くらかすなんて、何時もの事だったじゃないか。

    律儀に人の言う事聞くなんて、ぜぇんぜん、アタシらしくないよ?


スクナ:……だ、まれ……!

    黙れ! 黙れ!!


スクナ:(裏)

    ほらぁ、欲望に素直になりなよ。

    そもそも、何でアイツに教えなかったのさ?

    アタシは、他の雑食の妖怪と違って、肉を食べていかなきゃ、まともに生きる事も出来ないって。

    木の実や獣の肉なんざ、小腹を満たす間食にもなりやしない。

    人間の肉はアタシにとって、絶対に必要な、代わりの無い栄養分なんだって事をさ。


スクナ:……そんなものは……言い訳にもなりゃぁしない……!


スクナ:(裏)

    ……ふん。

    ま、いつまで平常心を保っていられるか見ものさね。

    でも、日に日に痛いほど、身に染みて実感してるだろう?

    アイツは人間、アタシは化物。

    分かり合う事なんて、絶対に叶いはしないのさ。

    そして……アタシは、アタシだ。

    どう足掻いたって、化物の性からは、逃げられないんだよ。


スクナ:……っ……

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洸:(M)

  この時俺はまだ、スクナの変化に、気付いてはいなかった。

  少なくとも俺の前では、高飛車な態度も傍若無人な立ち振る舞いも、一切変わる事は無かったから。

  ……だが、その平和な沈黙は、ある日突然……終わりを告げ始めた。


早苗:洸!

   ねえ、洸!!


洸:さ、早苗?

  どうした、こんな夜更けに……


早苗:どうしたもこうしたもない!

   また出たわよ、ヤツが!!


洸:なっ!?

  そんな……馬鹿な……!


早苗:とにかく早く来て!

   案内するから!


洸:あ、あぁ!!


早苗:(M)

   着替えが終わる前の洸の腕を力一杯引っ張って、「現場」へ連れて行く。

   ……私の、嫌な予感が当たった。

   私の自慢の勘が、最悪の未来を、的中させてしまった。

   ヤツは、訪れ始めていた平和に気が緩み始めていた里の人々を、

   毎夜毎夜、見るも無残なまでに喰い散らかした。

   それこそ、元が人間であったことが信じられないような、臓物と肉塊を浮かせた、

   赤い泥濘しか残さない程に。

   ……そして、今夜も。

   やがて、本能が拒絶するほどの、混沌とした腐臭が、私達の嗅覚を抉った。


洸:……っこれは……また、酷いな。

  被害者の身元は?


早苗:それが……

   ……毎回の事だけど、全然。


洸:そう……か。


早苗:……洸。


洸:ああ……分かってる。

  もうこれ以上、被害者を出すわけにはいかない。

  早苗は、村の周囲に対妖怪の捕縛結界の準備を。

  それと、


早苗:分かってる。

   ……分かってるよ、洸。


洸:……なら、次こそ仕留めるぞ。

  この里を脅かす、妖怪を……!


早苗:うん。


スクナ:……ッグル、ル……ハァッ……ハッ……!


スクナ:(裏)

    おーおー。

    あんだけ嫌がってた割に、なんだかんだで随分派手に暴れてるねえ。

    でも、それでこそアタシだ。

    人間を騙し、裏切り、全てのモノを畏怖させ、蹂躙し、喰らう。

    約束だなんて脆弱な我楽多、心の何処かで、くだらないって思ってたろう?

    ……って、もう、アタシの声も聴こえてないか。

    本能のままに、獲物の血肉を貪る化物。

    それでこそ、本当のアタシだよ。

    人間の振りなんて、くだらないことさね……ろくに飯も喰えやしない。

    ……さあ。

    じゃあ、往こうじゃないか。

    約束を、無かったことに。

    大事な大事な約束ごと、大切な大切なオトモダチごと。

    あの里を、喰い殺しに、皆殺しに、さ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


洸:(M)

  俺はこの時、まだスクナを信じていた。

  たぶん、いやきっと、何処かの名も知らぬ妖怪が、身勝手に暴れ回っているだけだと。

  恐らくそうなんだろう、いや、そうであってくれ、と願っていた。

  退治しなきゃならない。

  殺さなくちゃいけない。

  どうか、どうか、と。


早苗:……洸?

   どうしたの?


洸:えっ!?

  い、いや……なんでも、ない……


早苗:嘘。


洸:……え?


早苗:まだ躊躇してるんでしょ?

   殺さなくちゃいけないのか、そうならずに済む方法は無いのか、って。


洸:……っそれは……


早苗:奴等はもう、私達の里の住人を喰った。

   何人も、何人も……事もあろうに、私達の里の中で。

   それがどれほどの事か、分かってないわけじゃないでしょう?

   だったら、気を引き締めて。

   私達がやらなきゃ、この里の人達は、恐怖に苛まれる夜を、ずっと過ごさなきゃいけないのよ?


洸:分かってる。

  ……分かってるさ……!


早苗:(M)

   こうやって、躊躇っている洸に檄を飛ばす事。

   それも、いつもの私の役目の一つ。

   でも、いつもよりも私も、心の中で、強い戸惑いを感じていた。

   確かにあの人は、特に不安がる事は無い、と言った。

   そんな事で嘘を吐いていたとしても、あの人が得する事なんて無い筈……

   ……じゃあ、どうして……?


(里に断末魔のような叫び声が響き渡る)


洸:ッ!?

  今のは……悲鳴!?


早苗:嘘……!

   結界は間違い無く、張っておいたのに!!


洸:そんなものが通用しない程の奴って事だろ……!

  行くぞ!!


早苗:う、うん!!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


洸:(M)

  「現場」に近付くにつれて、嫌な臭いが、俺達二人を歓迎する。

  飛び散った血液の臭い、喰い裂かれた肉や脂肪の臭い、引きずり出された臓物の臭い。

  そして、その惨劇の根源である妖怪の、撒き散らされた唾液の臭い。

  暗闇が支配する夜更けでは、一層それが強く感じた。

  そして……


早苗:何も……いない…?


洸:いや、まだ奴等の気配は消えてない、何処かに隠れてるんだろう。

  ……ちょっと家の中を調べてくるから、早苗は周りの警戒を頼む。


早苗:うん……気を付けてね。


スクナ:……おやおや、ちょっと待ってみれば、餌が勝手にまた増えるとは……

    お望み通り、喰らってやろうじゃないか!!


洸:なに!?


早苗:!?

   っ洸、後ろ!

   集え、舞え、魔を退けし六芒の星よ!

   汝と契りし我が名に従い、我等に仇成す敵を縛せ!

   布陣符・六星束縛陣(ふじんふ・ろくせいそくばくじん)!!

   これで、動きだけでも止められればっ!!


スクナ:なにっ……結界!?

    ちぃっ、こんな紙切れで……!!


早苗:洸、今のうちに!


洸:あ、ああ!!

  来りて灯せ、集いて誘え、泡沫の蛍火達よ。

  我が刀身を弔いの灯火と成し、憚りし夥多なる災禍を祓い、厄災を退けよ!

  百二式……!


スクナ:く……ッ!

    ……ハッ、なーんちゃって!

    そらっ!!


早苗:っ!?

   そんな……六芒の結界を、あんな簡単に……!


スクナ:ちょいと擽ったかった程度かねえ?

    それに、この闇夜で視界も半減だろう?

    狙いが甘いんだよ。


洸:(M)

  ……その声……いや、そんな筈は……!


早苗:だけどそれは、そっちも同じでしょ。


スクナ:ふふ、その通りだ。

    だけど、生憎と人間とは感覚の出来が違うのさ。

    例えば声だけでも、アンタらの位置は手に取るように分かる。

    こんな感じに、ね!!


洸:……な、速ッ……!?

  避け切れ……!?


早苗:ッ洸!

   離れて、早くっ!!

   来たりて奔れ、降りて注げ、幾百の魔を砕きし、幾百の繚乱の星々よ。

   汝、今その力を我が札に宿し、貸し与え給え。

   我が呼び声に応えるならば、魔を討ち崩せし渦となれ!

   攻陣符・墜星繚乱(こうじんふ・ついせいりょうらん)!!


洸:んなっ!?

  なんだあの札の数!?

  早苗の奴、いつの間にあんな技を……!


早苗:とっておきもとっておき、一回限りの大技よ!

   避け切れるものならやってみなさいっての!!


スクナ:っ、おーおーおー!

    闇雲にばら撒いてるだけかと思ったら、なかなかどうして、器用な子だね!

    一枚一枚にちゃっかり、面倒な術がかけてあるじゃないかい!

    くわばらくわばら、ここは退散させてもらうよ。


洸:っ、待て!!


早苗:……っはあ……はぁ……

   あれでも仕留め切れないなんて、どんだけ出鱈目なのよ……!

   ……洸、大丈夫?


洸:ああ……なんとかな。

  でも、早いとこ追わないと、


早苗:大丈夫。


洸:え?


早苗:微かだけど、血の痕が残ってる。

   流石に、全部は避け切れなかったみたいね。

   ……さっきの技ね、本来なら、数枚でもまともに当たれば、大抵の妖怪ならまず生き延びる事は出来ないの。

   それくらい、強力な術を毒として札に仕込んであった。

   ……文字通りとっておきだったから、もう二度と出来ないけどね。

   札だって大半使っちゃって、もう殆ど残ってないから。

   ……でも、奴だって即死まではいかなくても、毒が回れば、さっきほどの動きは出来ない筈。

   今からでも追い付けるよ。

   行こう。


洸:……そうか……

  でも、あの妖怪……まさか……


早苗:洸。


洸:……っ。


早苗:行こう。

   ……決着を着けに。


洸:……早苗……

  ……そう、だな。

  行こう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


スクナ:……来たね。

    ふふ……あぁ、これで、終わり……か。


早苗:やっぱり、どうやらもう、毒でまともに体も動かないみたいね。

   観念しなさい。

   何が目的なのか知らないけど、あんたの命運もここまでよ。


洸:ま、待ってくれ早苗!

  こいつは……まさか……!


早苗:洸、いい加減にして!!


洸:っ!

早苗:私達は退魔師で、こいつは妖怪!

   絶対に、歩み寄ることなんて出来ない!

   それにもう、こいつの被害者が、何人も出てるのよ!?

   それでも、それでも洸は……まだ躊躇するって言うの!?


洸:違う、そうじゃない!

​  そうじゃ、なくて……!!


  (M)

  その時、月明かりが俺達三人を照らし出した。

​  そして、その妖怪の顔を、今宵初めて見た時。

  疑念が確信に変わり、思いたくなかった、考えたくなかった可能性が形を成して、

  俺の中に在った僅かな希望を、浸食し、消し去った。


早苗:……え……

   ……うそ……嘘、でしょ?

   そんな……どうして、貴女……が?

   なんで……!?


洸:………………


スクナ:ふ、はは。

    あはは、はは……

    どうしたい、そんな、信じられないって顔してさ。

    ちゃんと言ったじゃぁないか、アタシは、退魔師なんかじゃない、って。


早苗:そうだけど……そうだけど!

   でも、でも……妖怪だっただなんて……!

   ……洸は知ってたの、この事……?

   知ってて、知ってたのに、何も言ってくれなかったの!?


スクナ:は。

    退魔師に、自分が妖怪だって言う馬鹿が、何処に居るものかね。

    ……それに、何を今更躊躇う事があるってんだい?

    ほら、アタシは妖怪だよ?

    アンタ達の里を襲い、アンタ達のお仲間を喰らった、醜い妖怪。

    憎き、にっくき、アンタ達の怨敵だ。

    そんなヤツが、目の前で、瀕死になってるってんだよ。

    だったら、アンタ達がやるべき事は……一つしか無いなんじゃないのかい?


洸:……でも……っ……だけど!!


早苗:そんなこと、急に……

   急に言われたって、私……!


スクナ:……やれやれ。

    相も変わらず、でも、でもって喧しい小童だこった。

    二人揃って、お話になりゃしないね。

    ……こっちも、くっちゃべってる余裕は無いんでね。

    力尽くででも、さっさと埒を明けるとしようか。


早苗:なにを……


スクナ:こうするの、さッ!

    (瞬時に間合いを詰め、早苗の躰を大木に押し付けつつ首を締め上げる)


早苗:!!

   あっ……ぐ……ッ!


洸:早苗!!

  ……くそ、まだそんな動きが……!?


スクナ:……さあ、小童。

    此処でアンタに、特別に選択肢をあげようじゃないか。

    己のその偽善を貫き、アタシを殺すか、

    はたまた、優柔不断な心に苛まれたまま、大事な仲間を見殺しにするか。

    二つに一つだ。

    確かにアタシは毒に侵され、アンタ達とまともにやり合う程の余力すら無い身。

    だけど、そんなアタシでも、この小娘の首ひとつをヘシ折るなんて……

    なんて事は無い、容易い事だよ。

    それくらいは分かるだろ?


洸:……っ!!


スクナ:言っておくけど、悩む時間をあげるほど、アタシはお人好しじゃあないよ。

    ……そら、アンタがちんたらしてる間に、小娘の命の灯火は、どんどん、どんどん掻き消えていく……

    (少しずつ、締め上げる力を強めていく)


早苗:……っ!?

   はッ……ぁああ………!


洸:早苗!!


スクナ:さあ、どうするね。


早苗:…………して……!


洸:……え……


早苗:……私ごとでいいから……殺して……

   この、『妖怪』を……っ!


洸:……っ、早苗……!!


スクナ:はは、どうやらこの小娘はもう、踏ん切りがついたみたいだねぇ。

    ……さあ、これで気兼ね無く出来るだろ?

    やりなよ、さあ!

    それがアンタの仕事なんだろう?

    それが、アンタら退魔師の存在意義なんだろう?

    だったらやりなよ!

    この醜い人喰い妖怪を、この世から消し去っておくれよ!!

    その刃で! その力で!

    その御立派な、大義でもってしてさ!

    さあ!

    さあ!!


洸:……く……そ……っ、

  ……くそっ……くそぉ!!

  やるよ、やってやるよ!

  やれば良いんだろ!!

  それが、あんたと早苗の望みなら!

  こんな事が、俺の役目って言うんなら!!

  ……こんな事が、俺は、こんな、ことが……!!


スクナ:そうだ、それでいい。

    ……さあ、来なよ。

    アタシは、アンタの攻撃を避けやしない。

    アンタのその力で、アンタのその意志で、アタシを、アタシという妖怪を、殺めてしまっておくれな。

    ……まあ、冥土の土産に、この小娘は、道連れにさせて貰うけどね。

    アンタの刃で葬られるなら、このコだって本望だろうさ。


早苗:……洸ぁ……早く……っ!!


洸:……ッ……!

  うおおぉおぉああぁあああ!!


スクナ:(小声)

    ……小娘。

    後の事、頼んだよ。

早苗:…………え……?

   あっ……!?


(間)


洸:……あんた……なんで……

  どういう、つもりだよ……!


スクナ:……っはは……随分な、物言いだねえ……?

    なんだい……妖怪の女に抱き締められるのは……

    アンタの趣味じゃあ、なかったかい……


早苗:(M)

   洸の刀が、私と、この妖怪を、諸共貫こうとした刹那。

   彼女は私から手を放し、受け入れるように、正面から刀を受け、洸の身体を抱き止めた。

   彼女ごと、私をも貫く筈だったその刀身は、彼女の腹と、大木の幹だけを貫いていた。


早苗:……げほっ、げほ……!!


   貴女、……どうし、て……?


洸:……あんたは……なんで、どうしてそこまで……っ!


スクナ:……何を、戸惑うことがある?

    アンタは、アンタの役目を果たしただけじゃないか。

    それに、……アンタが仕留めたこの妖怪は……この付近一帯の、妖怪の親玉だ……

    ……一世一代の、大手柄じゃあないか……ええ……?


洸:手柄だなんて知ったことかよ!

  俺は、こんな事がしたくて、退魔師やってんじゃないんだ……!

  こんな事が退魔師の役目だってんなら、俺は退魔師なんて辞めてやる!!

  俺は……ッ!

  っ!?


(スクナが洸の言葉を堰き止めるように、洸の唇を奪う。)


スクナ:……ふふ。

    アンタは、立派な退魔師さ。

    それも、小娘を身を挺して守り、大妖怪を打ち倒した、偉大な……偉大な退魔師だ。

    アタシが、このスクナ様が、太鼓判を押すんだ。

    ……誇りに、思いなよ。


洸:……でも……でもっ……!


スクナ:はっ……

    男の癖にめそめそして、でも、でもなんて、いつまでも言ってんじゃないよ……

    アタシが惚れた男なら、割り切り良く、潔く生きてこそってもんだ。


洸:…………っ……


スクナ:……ッハァ……

    さぁ……分かったら、とっとと送っておくれよ。

    腹に刀生やして喋り続けるなんざ、いつまでもやってらんないからねえ。


洸:……っああ……分かったよ……

  灯して祓え、集いて燈せ、彷徨いし御霊の光達よ。

  我が刀身を標(しるし)と成して、穢れし禍罪を天へと還せ。

  百八式・葬天(そうてん)……


早苗:(M)

   洸がそう唱えると、刀が淡く光り出し、彼女……スクナを、傷口から幾つもの光の玉へと変えていく。

   その様はさながら、夜空を自由に飛び回る、蛍の群れのようだった。


スクナ:……小娘を、ずっと守ってやりなよ。

    アタシみたいなロクデナシから、ね。


洸:……そんな事、百も承知だ。

  あんたに言われなくたって、分かってる。


スクナ:あっはは、そうかい。

    ……じゃあね、二人共。

    アンタ達との日々は……凄く、楽しかったよ……本当に。


早苗:(M)

   その言葉を言い終わると同時に、スクナの身体は完全に光の玉の集合体となり、空へと還っていった。

   ……そして、やがてまた、いつもと変わらない、平穏な木漏れ日が差し込み始めた。

   何事も無かったかのように鳥が囀る中で、洸はいつまでも、呆然と立ち尽くしていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


早苗:今日も来てたんだ、洸も。


洸:なんだ、早苗か。

  ……当たり前だろ。


早苗:……スクナ、って名前だったんだね、あの人。


洸:ああ。


早苗:……ねえ。

   スクナさん……は、やっぱり、洸の事……好き、だったのかな。


洸:……は?


早苗:あ、ううん!

   なんでもないよ。


洸:妖怪の親玉だったんだろ、そんな趣味があるもんかよ。

  ……仮に、そうだったとしても……

  それも、単なる気紛れだろうさ。

  ……たぶん、な。


早苗:そっか。

   ……スクナさんには悪いけど、正直、そうであって欲しい、かな。

   もしも本気で、洸も満更でもないって感じだったら、どうしようって思ってた。

   ……初めても、取られちゃったし。


洸:……早苗?

  何が言いたいんだよ?


早苗:…………洸。


洸:なに。


早苗:……私、私ね。

   ずっと、洸の事…………


洸:…………え?


(間)

スクナ:(M)

    人里離れた山の中。

    古い刀傷が残った大木の前に、一つの墓が立っている。​

    其処には何も埋まっておらず、また、その墓の存在も、

    妖怪と対抗する為に存在した退魔師を務めた、とある夫婦しか知らない。

    だが、この夫婦が暮らしている、小さな小さな里の伝承には、嘗て人間に恋をした、

    勝気で気紛れな、女妖怪の御伽噺が編纂されている。

​    尚、この御伽噺において、人喰い妖怪という設定は、編纂者の意向により、誰にも語られていないという。


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