Re:Seed

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

男♂:

女♀:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


女:おはよー。


男:ああ、おはよう。


女:あれ、珍しい。

  ちゃんと朝ごはん食べてる。


男:たまにはね。

  今日は、学校は休み?


女:んーん、辞めた。


男:……いつ?


女:昨日。

  なんか、馬鹿馬鹿しくなっちゃってさ。


男:はぁー……

  だからさ、辞めるなとは言わないけど、せめて前もって相談してくれって、いつも言ってるだろ。

  後処理するの僕なんだから。


女:はーい。


男:で、退学証明書は?


女:え?


男:退学証明書。


女:……なにそれ?


男:最近規則が変わったって、通知来てただろ。

  あんまりにも勝手に辞める学生が多いから、

  「本人と、本人以外1名の証人の署名と押印がされた証明書の提出を以て、学生の自主退学を認める」

  って。


女:そうなの?


男:ちゃんと手紙でも来てたし、僕は君に、直接話しもした筈なんだけどね。


女:えー……

  でも、話したって言ったってそれ、日常会話の中でそれとなくでしょ?

  忘れるってそんなの……


男:ほう。

  僕が悪い、とでも?


女:そういう訳じゃないけどさぁ……

  あー……もー……!

  じゃあ何、私は今、ただ大遅刻してるのにのんびりしてる、馬鹿丸出しウーマンってこと?


男:そこまで言うつもりは無いけど、事実だけを見れば、そうだね。


女:もう完全に辞めたつもりでいたじゃーん!

  その証明書ってやつ、送ってもらう事は出来ないの?


男:出来るけど、最低でも1週間は掛かるよ。

  明日にでも辞めたいなら、今日は諦めて学校行って、直接発行してもらうことだね。


女:うへぇ……めんどくさ……


男:昼からでも良いから、ちゃんと行きなよ。

  手順も守らずに勝手に辞めて、白い目で見られたくないだろ。


女:……はーい……


男:パン焼く?


女:うん、お願い。


男:(M)

  「タネの庭」。

  僕達が暮らしている区画は、そう呼ばれている。

  区画と言っても、住民の数はここ数年の間にかなり増え、一つの街と表現しても差し支えない規模だ。

  全世界で「とある制度」が設けられてから、首都、若しくはその近辺に造られたこの区画に、

  その制度によって隔離させられた人達が暮らしている。

  とはいえ、最近は、自ら望んで此処に移り住む人も多い。

  隔離させられた、と言うのは、今やごく少数となった、制度施行の最初期に、対象になった人達だけ。

  制度に対する賛否の論争は、未だに激化する一方ではあるが、

  滑稽な事に、反対の声を掲げているのは、

  対象者でもなければその身内でもない、ただの無関係な一般人達だ。

  少なくとも、当事者の中から反抗意見が浮かんだ事は、今まで一度たりとも無い。

  これは対象となった人達にとって、救いであると、そう信じられているからだ。

  ……その、制度というのが。


女:でもさぁ。


男:うん?


女:なんて言うか、此処でも随分と、色々決まりが増えてきたよね。

  学校なんて行こうが行くまいが、それこそ、いつ誰が辞めようがなんて自由だったじゃん。

  学校が好きだなんて物好きがいるから、形としてあるだけでさ。


男:学校がある以上、教師がいて、カリキュラムがあるからね。

  いくら自由とは言っても、毎回学生の数も顔触れも全然違ったんじゃ、指導要領も何もあったもんじゃない。

  学校側が管理しやすいようにする為の処置だろうさ。


女:そんな面倒臭い事するくらいならいっそ、校舎だけ開放してくれれば、それでいいんだって。

  どうせ学校が好きって言ってる人の大半は、「学校」っていう空間が好きなだけであって、

  「勉強」が好きなわけじゃないだろうしさ。


男:まあ、その言い分も一理あるけどね。

  学校は学問を学ぶ所っていうのが一般的な認識だし、

  教師を外から招致してる以上は、あまり独自的過ぎるやり方をするべきじゃないんだよ、きっと。


女:それはそうかも知れないけど……

  このままどんどん規則やら何やらが増えていってさ、最終的に結局外と変わらなくなりましたーってなったら、

  それこそたまったもんじゃないよ。

  自由に生きられるっていうのが、此処の一番の謳い文句じゃない。


男:そうは言うけどね。

  自由っていうのも結局、秩序の上に成り立つ物だ。

  秩序無くして自由は無く、秩序があってこそ、自由という概念の価値が上がるんだよ。

  例えば、「あなたは今から自由です、好きに生きてください」って急に言われて、

  誰からも干渉されず、何にも縛られないまま、自分本位に生きていける自信があるかい?


女:そりゃあ……

  ……そう言われたら、無いけど……


男:そういう事。

  まあ、これはあくまで結果論だけどね。

  僕達は規則やら暗黙のルールやらの不可視の鎖に雁字搦(がんじがら)めにされながら、

  その隙間を縫うように抜け出した束の間を、「自由」と呼んでいるだけだ。

  誰もがそれに慣れて馴染んでしまっている以上、

  その鎖を外す鍵を持っていようと、簡単には外す気概は持てないし、

  唐突に外されたところで、今度はむしろ、縛られていた時の方が快適だった、とさえ思い始めるようになる。

  「自由」だなんて、ここまで曖昧で矛盾を孕んだ概念を、少なくとも僕は、他に知らないね。


女:………………


男:なに?


女:……いや、恥ずかしくないのかなーって。


男:ばっさり言うね。


女:まあ、うん。

  そりゃあね、言いたい事は何となくは分かるよ。

  実際私も、どこまでが自由で、どこからがそうじゃないのかなんてよく分からないし、深く考えた事も無い。

  でもさ、今はそんな文学的な話してないじゃん?

  私が求めてたのはそういう、秩序だの概念だのを絡めた哲学的な話じゃなくてね?

  言っちゃえばもう、

  「学校だるいー」

  「わかるー」

  「それなー」

  みたいな、脊髄反射的な、脳を介さずに喋ってるようなノリなわけ、分かる?


男:それを求めるなら、求める相手がそもそも違うよ。


女:うーん……

  じゃあ、こう言えば分かってくれる?

  私がこういう時欲しいのは、考察じゃなくて、同調なの。

  提起された問題の解決策とか、小難しい講釈とかはひとまず置いといて、

  まずは乗っかってきて欲しいの、こっちの心に。

  風呂敷を広げるのはそれからよ。


男:女心ってやつ?


女:まあ、平たく言えばね。

  女心って言葉は、あんまり好きじゃないけど。


男:それを僕が理解するまでに、君が僕に諦観を持たないでいてくれたら良いけど。


女:そんなに?


男:そんなに。

  言語化出来ない価値観だからね、それは。

  僕が君に、「僕の思考回路を理解しろ」と言ってるようなもの、と喩えれば分かりやすいかな。


女:そこまで難しい話もしてないんだけどなぁ。

  なんていうか、物事を深く考えないって事も大事だと思うよって、それだけなんだけど。

  そんな一字一句に気張ってたら、知恵熱起こしちゃう。


男:それもまた、価値観の違い、さ。

  言葉の穴に落ちていくくらいが、僕には心地良いんだ。


女:さいですかー。

  ……じゃ、そろそろ私、学校行ってくるね。

  すぐ帰ってくると思うけど。

  証明書だけ貰って、さっさと帰ってくるし。


男:思い残しとか無いの?


女:無いね。


男:即答だなあ。


女:当然。

  行ってきまーす。


男:行ってらっしゃい。

  ……さて、と。


(男、おもむろに電話を手に取る)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


女:(M)

  「種人(タネビト)」。

  この区画に住む私たちは、外からはそう呼称される。

  近年、情報技術のインフレーションと、度重なる人口爆発によって、

  食糧の高騰化、物資・資源の枯渇、貧富の格差、エトセトラ。

  ありとあらゆる社会問題が、目に見えて顕著になり、

  有識者からは「火薬庫」と揶揄されるような、人類総出の綱渡りのような情勢が続いている。

  そんな中、特に深刻とされていたのが、世界規模での植物の枯死。

  嘗ては陸地の3割を占めていたと言われている森林が、今となっては1割にも満たない。

  世界人口は増え続ける一方で、それに押しやられるかの如く、緑は萎凋していくばかりとなっていた。

  それを見兼ねた人類が生み出したのが、


  「生命の還元薬」とも呼称される、通称・「タネ」。


  これを飲んだ人は例外無く、種人へと分類される。

  市販のカプセル剤と遜色の無い見た目をしたこの薬は、服用した人間の躰から、

  生命活動に支障が無い程度のペースで、人体を組成している細胞を少しずつ変質させながら、

  体内で吸収・活性化し、成長していく。

  そして、服用者のタネが「発芽」し、その最期が訪れた時。

  種人の躰の全てはタネの養分となり、新たな緑として芽吹いて逝く事になる。

  文字通り、地へと還って、命を土へと返して、一粒のタネと、一人の種人は役目を終えるのだ。

 

  「緑葬(りょくそう)」

  と名付けられた、この新たな制度は、始めこそ反発の意思こそ多かったものの、

  種人になっても基本的人権は失われない事を始めとして、

  むしろ、一般社会から隔離された種人の為の区画の方が、

  住民同士の価値観の違いもほぼ無く、何かと自由が利く事が分かると、

  掌を返すように、世間からの評価は変わっていった。

  そこは正に、社会に有り触れた、煩わしい柵から逃れられるユートピア、エデンと表現される事もあった。


  ……けれど、そこで、彼との話に戻るわけだ。

  徐々に、外の世界から、規則という無粋な檻が、

  じわじわと私達のユートピアを侵食せんと、躙り寄って来ている気がする。

  ここ最近は、特にそうだ。

  ……これが嫌で、嫌で堪らなかったから、いつかの私は、タネを……

  種人になる事を、選んでいたのに。

  人はいつだって、自ら異端を生み出しておきながら、それが自由を謳歌する事を許さない。

  ……本当に、厭になる。


(間)


女:……はい、どーも。

  じゃあ、あとはこれを提出すれば、正式に退学手続きが終わるわけですね?

  ……いや、良いですよ。

  元々何となく通ってただけだし、特に思い入れとかも無いんで。

  それじゃ。

  ……はい、まだ何か?

  え、……定期、検診……? 種人の?

  いや、知りません……初めて知りました。

  そんなの、あるんですか?

  ……義務……そう、なんです、か……

  ……いや、見た事無いです……はい。

  ちょっと、家帰ったら確認してみます。

  ……はい、ありがとうございます、失礼します。

  ……どういうこと……そんな話、知らないよ……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


男:……はい、ええ……はい。

  いえ……今の所、まだ目立った変化は見られませんね。

  まあ、まだ潜伏期間の筈ですから、そうすぐには結果は得られないでしょう。

  そちらの塩梅は?


女:ただいまー……

  ……あれ、居ない……自分の部屋かな。


男:……そうですか。

  では、また何か変化があったら、こちらから連絡します。


女:なんだ……電話中か。


男:……ええ、分かってます。

  いえ、まだですが……

  彼女には、とてもじゃないですが、教えられませんよ。

  僕の口からは、とても……


女:……え?


男:いずれ話します……いずれ。

  でも、そんな時は、来ない方が……或いは、幸福なんじゃないか……とは、思ってしまいますがね。

  少なくとも、今の彼女にとっては。

  ……いえ、こちらの話です、なんでもありません。

  ええ……はい、それでは。

  ご苦労様です。

  ……はぁ。


女:電話、終わった?


男:!!

  ……あ、ああ……おかえり。


女:ただいま。


男:……早かったね。


女:すぐ帰ってくるって言ったじゃん。


男:ああ、そうだったね……


女:………………


男:………………


女:……あの、さ。


男:なに。


女:……今の電話、誰?


男:………………


女:……言えないんだ。


男:……ごめん。


女:じゃあ、

女:……彼女……っていうのは、私の事で、良いんだよね?


男:………………


女:……勝手に、イエスってとるよ。


男:ああ……そう、だね。

  それに関しては、イエスだ。


女:あんまり、訊かない方がいい?


男:……出来れば。


女:分かった。

  じゃあ、今の電話については、もう訊かない。


男:ありがとう。


女:……その代わり、もう一つ。

  こっちは、ちゃんと答えて欲しいんだけど。


男:なに?


女:……定期検診……って、そんなのがあったの?


男:……どこで、それを?


女:学校の学生課。

  書類貰う時に、世間話程度の感じで言われたけど。

  私、そんなの知らないし、聞いた事も無い。


男:………………


女:案内通知が家に来てる筈だって言われたけど、そんなの、今まで一度だって無かったよね?


男:………………


女:……隠してたの?


男:違う。

  隠すつもりだった訳じゃない。


女:でも実際、結果として私は、何も知らないじゃない。

  私だけが偶然知らなかったなんて、そんな事ある訳無い。

  ……あなたが何も関係してない、なんて、そう思わない方が無理だって事くらい、分かるでしょ。


男:ああ……その通りだ。


女:だから、答えて。

  あなたが、私が知らない私の何を知っていて、私が知る筈だった、何を隠してるのか。

  全部が無理なら、断片的にでも良い。

  ほんの一部だけでも良いから。

  お願い。


男:………………


女:………………


男:……じゃあ、まず根本的な所だけ言うよ。

  その続きは、……少し、言葉を纏める時間が欲しい。


女:根本的な所……って?


男:僕はね、……種人じゃあないんだ。


女:……え?

  嘘……だって、


男:研究員なんだよ、僕は。


女:……研究員……


男:厳密には、少し役割は違うけど。

  この区画に僕が居るのは、種人だからじゃない。

  タネが人体に齎す影響……

  発芽に至るまでの変化を、リアルタイムで調査して、然るべき機関にそれを報告するのが仕事。

  ……僕だけじゃない。

  この区画に住んでいる人間の、およそ2割程度は、僕みたいな、種人を装った研究員なんだ。

  勿論、そんな事は公にはされてないし、される予定も無い。

  この世界でこれを知っているのは、現時点で、機関と、僕達、機関の研究員と、

  ……今、この話を聞いた、君だけだ。


女:じゃあ、さっきの電話の相手は、その「然るべき機関」ってこと?


男:そう。


女:……タネの研究って、何の為に?


男:それは言えない。

  そもそも、機関の存在自体が、国家機密レベルの極秘事項なんだ。

  たとえ君でも、機関と、機関の研究に関しての質問には……一切答えられない。


女:……じゃあ、

  ……それじゃあ、あの日、私にタネをくれたのは、どうして?


男:………………


女:あの日、身寄りも無いただの孤児だった私に、

  生きる意味すら考えたくなくて、生きも死にもしていなかった私に、タネをくれたのは、

  ……無為に生きるよりも、せめて、自由に生きろって。

  そう言って、あの日の私に、生きる理由に足る意味をくれたのは、紛れも無いあなたじゃない。

  ……それも、それすらも……研究の為、だったから?

  私が勝手に、大袈裟に想ってしまっていただけで、

  あなたにとってはたまたま、丁度良さそうな研究対象だったから……って、

  ……そういう事?

  それだけの事なの?


男:……違う、

  ……と答えれば、或いは君は救われるのかも知れないけど。

  そうだ。

  ああ言えば、君はタネを受け取ると、確信があったから。

  善意が無かった、とまでは言わないよ。

  ……でも、君にタネを渡したのは、種人への探究心ありき、それに基づいての意思だ。

  今、君とこうして一緒に生活しているのだって、……そうだ。

  間近で調査を行える、これ以上無いシチュエーションだから。

  そこに、多少の愛情が、付随しているに過ぎない。


女:……そっか。

  分かった、もう訊かない。


男:……あと、これ。


女:なに?


男:君用の、定期検診の受診票。

  それを持って、そこに書いてある場所に行けば、優先的に受診させて貰える。

  明日にでも、行って来ると良い。

  退学証明書は、僕が出しに行って来るから。


女:本人じゃなくていいの?

  退学証明書って。


男:問題無い。

  代理人が署名した証人本人で、身分証明が出来るならね。


女:そう、分かった。

  定期検診は、明日行ってくる。

  そっちはお願いして良いのね?


男:ああ。


女:じゃあ、よろしく。


男:(M)

  ……それから、今日という日が終わり、明日を迎えるまでの間に、

  僕達が交わした言葉は、何一つとして存在しなかった。

  有ったのは、彼女が密かに零した、たった一粒の涙と、

  それに込められた、幾星霜もの、形に成り損ねた言葉と、感情達だけ。

  ……彼女も、僕も。

  話を進展させるに足るだけの言葉も、冷静さも、持ち合わせてはいなかったのだ。

  僕のみが抱えるそれは、少なくとも、彼女の望む答えであったとしても、

  彼女を満たす希望の光には、決してならない。

  ……むしろ、或いはそれらすらを貪り、飲み込んでしまいかねない、

  幾重もの錠前を掛けて閉ざしておいた、パンドラの箱なのだ。

  そんな代物を、おいそれと開けてしまう度胸は……

  僕には、……無い。

  たとえ、彼女を裏切る形になってしまったとしても。

  ……これを開ける鍵も、術も。

  僕は、最初から持っているくせに。

  ……臆病者、と罵られたのなら良かった。

  卑怯とでも、薄情とでも、邪険とでも、

  ……いっそ、糞野郎、とでも蔑んでくれたのなら。

  或いは、何も思わず、何も考えない、ただ研究を遂行するだけの、木偶になれたのかも知れない。

  ……けれど、彼女は。

  そのどれもを、言わなかった。

  ……言っては、……くれなかった。


女:(M)

  何を言っても、傷付けてしまう気がして、

  何を言われても、傷付いてしまう気がした。

  ほんの欠片程度の些細な言葉が、私達の臓腑を抉ってしまうのが怖かった。

  だから、朝起きて、朝食を食べて、身支度をして、家を出るまで。

  すぐ傍にいた彼と交わせる言葉は、何一つとして、生み出しようがなかったんだ。

  ……定期検診は、拍子抜けするほど、あっさり終わった。

  個人差こそあれど、少なくとも数時間は掛かる、と言っていた筈なのに。

  翳った表情の医師から贈られた言葉は、

  「お疲れ様でした」よりも淡泊で、「お大事に」よりも冷淡な、

  「来年からもう、来なくていい」だった。

  ……その言葉が意味する事を知ったのは、およそ半日振りに、彼と話を始めた時。

  その時の彼の表情は、今まで見た、どんな時よりも……


男:……嘘だ。


女:本当。


男:確かに、そう言ったの?


女:うん。


男:……そうか……

  でもまさか……そんな……


女:……ねえ。

  もしかして……なんだけどさ。

  それって、来年までに私が、発芽する……ってことなの?


男:………………


女:……そう、なんだね。


男:……隠しても、しょうがないか。

  その通りだよ。

  「来年から来なくていい」というのは、

  「あなたは今年中に発芽する」を濁した言い方なんだ。

  皆、いつか来る最期には、そうなる事を承知の上で種人になってはいるけど、

  いざその時が近付いたら、心の準備が必要な人が、大多数いるからね。


女:でも、いつかは絶対に来るものなんだし、仕方無いじゃない。

  それを、どうして……


男:……仕方無くなんて、ない。


女:え?


男:君に限っては、仕方無くなんてないんだよ。

  いくらなんでも早過ぎる。

  予定では、もっと先の筈なんだ。

  それなのに、どうして、もう……!


女:……やっぱり、まだ何か、隠してるんだね。

  もっと、とても大事な事を。


男:言った所で、信じられないだろうさ。


女:……そう。

  ねえ。


男:ん?


女:どこまでが、嘘なの?


男:嘘?


女:昨日、あなたは話をしてる間、ずっと私と目を合わせなかったでしょ。

  あなたが、真面目な振りをして、嘘を吐く時の常套手段。


男:……参ったな。


女:誤魔化さないでよ。


男:そんなつもりは無いさ。

  確かに、昨日の話の中には、噓も少なからず混じっている。

  ……けど、残念ながら、ほぼ全部、本当だよ。

  機関も研究員も実在するし、僕がその一員で、君がその対象である事も、本当。


女:そう……

  ……じゃあ、確認なんだけど。


男:なに?


女:あなたは昨日、私と一緒にいるのはあくまでも研究の為で、そこに多少の愛情が付随してるに過ぎない、

  ……って言ったよね。


男:ああ、言った。


女:その言葉も本当で、多少なりとも愛があってくれるならさ、

  ……発芽前の最期くらい、お願いを聞いて欲しいんだけど。


男:お願いって?


女:種を、遺したいの。

  ……あなたとの。


男:……なんだって?


女:私は、自分が緑に還る事自体は、何も怖くもないし、心の準備とかも要らない。

  元々、いつかそうなる事は決まってて、絶対に覆らないんだから。

  そうなる事も分かった上で、私は種人になる事を選んだ。

  ……けど、確かに私は緑に還って、世界の一部として遺り続けるとしたって、

  所詮それは私自身じゃなく、あくまで世界の一部……でしかない訳でしょ。

  それならせめて、そうなる前に。

  私が私であった証を、私という人間が、種人と成って、

  生きていて、そして……還っていった、って。

  そう証明し続けてくれる何かが、欲しいって思ったの。

  ……あまりにも勝手な理由だって、あんまりにも不純な動機だっていうのは、百も承知のつもり。

  でも、……こんな生き方しかしてこなかった私には、こんな事しか、思い付かなかったから。


男:……駄目だ。


女:………………


男:君の気持ちは、痛いほど解るよ。

  仮に今、僕がこういう立場でなく、こんな事を知らなかったなら、或いは……

  それを、受け入れていたかもしれない。

  母親の愛を受けられない事を知りながら、子を創る業の深さは知ってる。

  君がそれすらも分かっていながら、それでも……と望んでいるのも、解ってる……つもりだ。

  ……けど、例えそうだとしても。

  君の、今際の願いだとしても、

  ……それだけは、駄目だ。


女:……ずるい。


男:え?


女:ずるいよ、そんなの。

  ……そんな曖昧にはぐらかし続けるくらいなら、それならいっそ、全部を話してよ。

  私が今更何を知ったところで、何かがどうなる訳でもないじゃない。

  私を傷付けたくないからって、あなただけが全部を知っていたって、それはただの、あなたのエゴでしょ。

  そうする事で、救う事が出来るのも、救う事が出来たって思い込むのも、あなただけだよ、そんなの。

  ほんの少しでも、私に対して、愛があるって言ってくれるなら……

  ……いっそ、一思いに、せめて最期くらい、あなたの隣に居させてよ。


男:……それを知る事で、報われる人間は、ここには誰もいないんだよ?

  何も変わらないし、誰も変えられない。

  ただ、君のなけなしの希望が、虚無へと還るだけだ。


女:どうして、そこまで言えるの?


男:タネが、どうして無くならないのか。


女:え……


男:君も知っての通り、種人は近年で、増加の一途を辿ってる。

  その全ては区画外から来る、新たにタネを服用した人達だ。

  ……おかしいと思った事は無い?


女:何を?


男:種人になろうと、生殖能力が失われる訳じゃない。

  発芽する前であれば、性行為も、妊娠も、出産だって可能なままなんだ。

  にも拘わらず、これまで区画内で、乳幼児を見掛けた事が、一度でもあるかい?


女:……無い、かも。

  でも、それ自体は別に、おかしいって言う程の事じゃ、


男:それに、タネの製造コストだって馬鹿にならない筈だろ。

  それはそうだ。

  人類の叡智の結晶とも呼べる、生命の理を根本から覆すような代物を、

  そうそう容易く造れる訳が無いんだから。

  ……でも、タネは無くならない。

  決して安価ではないにせよ、増え続ける需要に合うだけの供給が、

  今までただの一度も絶えていないのは、どうしてだと思う?


女:……まさか。


男:そのまさか、さ。

  タネは、緑へ還る直前の種人から核を採取して、

  それを素として製造するのが、より生産性が高い事は、理論上は分かってはいたんだ。

  特に、脳……若しくは心臓を素材とすれば、質の高いタネが造れる、という事も。

  でも、そんな事、倫理的に、道徳的に許される筈が無い。

  だから、例えコストが嵩)んでしまうとしても、

  増え続ける需要に、近い先、追い付けなくなる事が明白だったとしても、

  タネを一から製造する事に拘っていた。

  種人同士の間に出来た胎児が、より純度の高いタネに成り得る、

  ……と、明らかになってしまうまではね。


女:……ッ!!


男:それに気付いてさえしまえば、この枯渇した世界に、より豊かな緑を齎すという大義名分の下、

  機関の研究が人道を外れ始めるのも、自然な道理じゃないか。

  ……タネと、人間と、種人。

  こんなに残酷で滑稽な輪廻が他にあるなら、是非知りたいよ。


女:……もういい。


男:ん?


女:あなたが私に、どこか不自然な距離を取ってた理由も、

  真意に近付こうとする度に、言い淀んで、言葉を濁してた理由も、嫌になるくらい解った。

  ……解ったから、少し、独りにさせて。


男:もう良いのかい?

  まだせいぜい、3分の1に達するかどうかというくらいだけれど。

  むしろ、ここからが一番大事な話だよ。

  僕だけじゃなく、君にも直接関係のある話だ。

  これを聞いたら、もしかしたら……


女:良いから!

  ……良いから、今日はもう、ほっといて。


(女、部屋から出て行く)


男:……ああ。

  ……今回も、駄目か、やっぱり。

  となると、急がないとな……

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


女:(M)

  ……そして私は、歩くよりも遅いほどの足取りで、夕闇に染まりかけた外へと逃げ出した。

  なんてことは無い、ただの卑怯者の逃避行。

  全部を知りたいと自分で言ったくせに、いざ信じたくもない現実を突き付けられたら、

  耳を塞いで、受け入れまいとする。

  そうする事で物事が好転した試しなんて、一度たりとも無いのに。

  ……彼の言葉を、信じたくは、ない。

  信じてしまったら、私自身ですらが、私自身を解らなくなってしまいそうで。

  けれど、信じれば信じるほど、この箱庭の濁った現実が、時折感じる、不自然で歪な現実が、

  目を覆いたくなる程に、鮮明に浮かび上がって、私を……

  種人達を、嘲笑っている気がした。

  ……虚しくなるほどいつも通りに、陽は沈み、月が昇る。

  夜風に木々が戦いでも、まだ、私は独り。

  やがて、答えの捜し方を探す事すらも、億劫となってしまったまま。

 

女:……いつまで、こうしてるつもりなんだろ、私……


男:あぁ、いたいた、こんな所に。


女:……っ!

  なんで……?


男:ほっとけって言われて、そのまま一晩ほっとける程は薄情ではないし、

  浅い関係でもないつもりだからね。

  そもそも、君は僕の研究対象だって言っただろ。

  愛の有無なんて関係無く、僕は君からあまり離れる訳にはいかないんだよ。


女:……そこは嘘でも、愛も少なからずあるから、とか言ってくれれば良いのに。


男:何が?


女:何でもない。

  ……それより、何しに来たの。


男:何しにって、迎えに。


女:……まだ、帰る気分じゃない。


男:うん、帰らないよ。

  あの家には、二度とね。


女:え?


男:少しばかり、事情が変わったんだ。

  君の発芽までに、一年を切るのが明らかに早いのが、どうしても気になってね。

  いきなりで申し訳無いんだけど、君には今から、機関の特別施設に来てもらう。

  嫌って言っても良いけど、その時は強制収容になるから、そのつもりでね。


女:え、それって……


男:違うよ、まだそういう事はしない。

  ……簡潔に言うと、普通の種人と違って、君は少し特殊な例でね。

  それもさっき説明しようと思ったんだけど、その前に飛び出していっちゃったから。


女:そこで……何するの?


男:定期検診とは別の、専用の検査。

  ……としか言えないかな、今は。


女:検査?

  ……でも、発芽はまだ……


男:まだ、だからこそ意味があるんだよ。

  今さっきも言っただろ、一年を切るのが早過ぎる、って。

  むしろ、今を逃すと、手遅れになるかもしれない。


女:手遅れ……って、何が?

  何をそんなに急いでるの?


男:それも、後でまとめて話すよ。

  ……話せたら……ね。


女:話せたら、って……

  ねえ、本当に、どうしたの?

  なんか、今のあなた、変だよ。

  いつもと全然違う。


男:悪いね、少しばかり急を要するんだ。

  一から十まで説明してると夜が明けかねないから、今は省かせてくれ。

  事がちゃんと上手く運んだら、その暁には、その時こそ、全部話す。

  嘘で塗り固めた、上辺だけの仮初の作り話じゃなく、

  本当の僕について、本当の君について、そして……

  今のこの世界すらもが偽りで、本当の世界がどう在り、どう成り往くのかについても。

  ……まあ、それら全てを知る前に、きっと、今までの君なら、思い出してくれるだろうが。

  少なくとも、今の君では、思い出す事はおろか、信じる事すら……

  それすらも、無理だろうから。


女:……なに、何を言ってるの?

  分からないよ、ねえ。

  私、怖いよ……!


男:心配いらないよ、怖いのは今だけだ。

  ……ただ、道中、見られたら困る物も多い。

  手荒な方法で悪いけど、少しの間、眠ってもらうよ。


(男、薬品を含ませた布を女の口に当てる)


女:……ーーっ!

  ……ッ!?……


男:……おやすみ。

  また、いずれ目覚めた時に、もう一度逢おう。


(女、力無く崩れる)


女:………………


男:……ふう。


(男、電話を取り出し、慣れた手付きでどこかへ電話を掛ける)


男:……ああ、私だ。

  彼女は確保した、迎えを寄越してくれ。

  ……いや、構わん。

  取り繕った所で、今は聞いてはいない。

  どのみち、恐らく……今回も、もう駄目だ。

  それよりも、これまでより明らかに、発芽の周期が早まっているぞ。

  私が着いたら、直ぐに取り掛かれるように整えておけ。

  ……取り返しの付くうちに、取り返さねば……!

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


女:おはよー。


男:ああ、おはよう。


女:あれ、珍しい。

  ちゃんと朝ごはん食べてる。


男:……たまには、ね。


女:何、今の間。


男:いや、別に。


女:あ、そう。


男:パン焼く?


女:うん、お願い。

  タネの栽培は、順調?


男:ああ。

  君の見立て通り、区画外の方が育ちが良い。

  管理された環境下じゃないと、一定以上は育たないと思ってたけど、とんだ盲点だったよ。


女:それはそうでしょう。

  成長を遮る余計な物が、何も無いんだから。

  ヒトの文化さえ無ければ、タネは、緑は、勝手に芽吹き茂っていくものよ。


男:流石、原案者なだけあって熟知しているね。


女:殖やすのはあなたの仕事でしょ、しっかりしてよね。


男:面目無い。

  ……ああ、そうだ。

  起き抜けの君に、良い報せだよ。


女:なに?


男:例の、B2054号なんだけど。


女:ああ、あれね。

  どうだった?


男:成功したよ。

  限り無く、理想に近い形で。

  脳から採取したタネから、素体と全く同じDNA配列の個体が発生した。

  素体の発芽状態にも影響無し。

  あとは数をこなしていけば、自ずと法則性まで導き出せるだろう。


女:僥倖ね、素晴らしいわ。


男:君の方は?


女:今の所は順調よ。

  一番状態が理想に近いのは、E3842号かしらね。

  通常の個体と比べて、老化の進行速度が10分の1程度まで低下してるわ。

  正直、ヒトの躰の成長を止めるのは、そんなに難しくなさそう。

  ……ただ、やっぱり、タネの成長は止められないわね。

  あと半年もしたら発芽しちゃうわ、多分。


男:……まあ、そうそう都合良くはいかないか。


女:今更でしょ。

  そう簡単に言ってたら、ここまで何世代にも亘って苦労はしてないわ。

  ……あ、そうそう。


男:ん?


女:私、11ヶ月と24日後にはまた発芽するから、悪いけど、暫く宜しくね。


男:……またか。

  やっと少しは、落ち着いてきたと思ったのに。


女:仕方無いわ。

  何の因果か知らないけど、私はずっとこうだもの。

  それに、記憶を定着させられるようになっただけでもマシじゃない?


男:そうだね。

  とはいえ、そうなるまでの君も、初心で可愛らしかったから、捨て難いよ。

  「あなたとの種を遺したい」とか言われた時は、ちょっと本気にしそうになったものだ。


女:もう勘弁してよ、その話は。

  覚えが無くても、恥ずかし過ぎて死にたくなるわ。


男:君が言うと、おかしな話だな。


女:……お互い様でしょ。


男:ああ、全く以てその通り。

  ……それじゃあ、性懲りも無く、今日も始めようか。

  君がまた、君として生まれられるように。


女:ええ。

  あなたが、あなたのままで在れるように。


男:そして最期には、互いに一人のヒトとして。


女:共に、土に、還られるように……ね。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━