Re:Seed
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(役表)
男♂:
女♀:
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女:おはよー。
男:ああ、おはよう。
女:あれ、珍しい。
ちゃんと朝ごはん食べてる。
男:たまにはね。
今日は、学校は休み?
女:んーん、辞めた。
男:……いつ?
女:昨日。
なんか、馬鹿馬鹿しくなっちゃってさ。
男:はぁー……
だからさ、辞めるなとは言わないけど、せめて前もって相談してくれって、いつも言ってるだろ。
後処理するの僕なんだから。
女:はーい。
男:で、退学証明書は?
女:え?
男:退学証明書。
女:……なにそれ?
男:最近規則が変わったって、通知来てただろ。
あんまりにも勝手に辞める学生が多いから、
「本人と、本人以外1名の証人の署名と押印がされた証明書の提出を以て、学生の自主退学を認める」
って。
女:そうなの?
男:ちゃんと手紙でも来てたし、僕は君に、直接話しもした筈なんだけどね。
女:えー……
でも、話したって言ったってそれ、日常会話の中でそれとなくでしょ?
忘れるってそんなの……
男:ほう。
僕が悪い、とでも?
女:そういう訳じゃないけどさぁ……
あー……もー……!
じゃあ何、私は今、ただ大遅刻してるのにのんびりしてる、馬鹿丸出しウーマンってこと?
男:そこまで言うつもりは無いけど、事実だけを見れば、そうだね。
女:もう完全に辞めたつもりでいたじゃーん!
その証明書ってやつ、送ってもらう事は出来ないの?
男:出来るけど、最低でも1週間は掛かるよ。
明日にでも辞めたいなら、今日は諦めて学校行って、直接発行してもらうことだね。
女:うへぇ……めんどくさ……
男:昼からでも良いから、ちゃんと行きなよ。
手順も守らずに勝手に辞めて、白い目で見られたくないだろ。
女:……はーい……
男:パン焼く?
女:うん、お願い。
男:(M)
「タネの庭」。
僕達が暮らしている区画は、そう呼ばれている。
区画と言っても、住民の数はここ数年の間にかなり増え、一つの街と表現しても差し支えない規模だ。
全世界で「とある制度」が設けられてから、首都、若しくはその近辺に造られたこの区画に、
その制度によって隔離させられた人達が暮らしている。
とはいえ、最近は、自ら望んで此処に移り住む人も多い。
隔離させられた、と言うのは、今やごく少数となった、制度施行の最初期に、対象になった人達だけ。
制度に対する賛否の論争は、未だに激化する一方ではあるが、
滑稽な事に、反対の声を掲げているのは、
対象者でもなければその身内でもない、ただの無関係な一般人達だ。
少なくとも、当事者の中から反抗意見が浮かんだ事は、今まで一度たりとも無い。
これは対象となった人達にとって、救いであると、そう信じられているからだ。
……その、制度というのが。
女:でもさぁ。
男:うん?
女:なんて言うか、此処でも随分と、色々決まりが増えてきたよね。
学校なんて行こうが行くまいが、それこそ、いつ誰が辞めようがなんて自由だったじゃん。
学校が好きだなんて物好きがいるから、形としてあるだけでさ。
男:学校がある以上、教師がいて、カリキュラムがあるからね。
いくら自由とは言っても、毎回学生の数も顔触れも全然違ったんじゃ、指導要領も何もあったもんじゃない。
学校側が管理しやすいようにする為の処置だろうさ。
女:そんな面倒臭い事するくらいならいっそ、校舎だけ開放してくれれば、それでいいんだって。
どうせ学校が好きって言ってる人の大半は、「学校」っていう空間が好きなだけであって、
「勉強」が好きなわけじゃないだろうしさ。
男:まあ、その言い分も一理あるけどね。
学校は学問を学ぶ所っていうのが一般的な認識だし、
教師を外から招致してる以上は、あまり独自的過ぎるやり方をするべきじゃないんだよ、きっと。
女:それはそうかも知れないけど……
このままどんどん規則やら何やらが増えていってさ、最終的に結局外と変わらなくなりましたーってなったら、
それこそたまったもんじゃないよ。
自由に生きられるっていうのが、此処の一番の謳い文句じゃない。
男:そうは言うけどね。
自由っていうのも結局、秩序の上に成り立つ物だ。
秩序無くして自由は無く、秩序があってこそ、自由という概念の価値が上がるんだよ。
例えば、「あなたは今から自由です、好きに生きてください」って急に言われて、
誰からも干渉されず、何にも縛られないまま、自分本位に生きていける自信があるかい?
女:そりゃあ……
……そう言われたら、無いけど……
男:そういう事。
まあ、これはあくまで結果論だけどね。
僕達は規則やら暗黙のルールやらの不可視の鎖に雁字搦(がんじがら)めにされながら、
その隙間を縫うように抜け出した束の間を、「自由」と呼んでいるだけだ。
誰もがそれに慣れて馴染んでしまっている以上、
その鎖を外す鍵を持っていようと、簡単には外す気概は持てないし、
唐突に外されたところで、今度はむしろ、縛られていた時の方が快適だった、とさえ思い始めるようになる。
「自由」だなんて、ここまで曖昧で矛盾を孕んだ概念を、少なくとも僕は、他に知らないね。
女:………………
男:なに?
女:……いや、恥ずかしくないのかなーって。
男:ばっさり言うね。
女:まあ、うん。
そりゃあね、言いたい事は何となくは分かるよ。
実際私も、どこまでが自由で、どこからがそうじゃないのかなんてよく分からないし、深く考えた事も無い。
でもさ、今はそんな文学的な話してないじゃん?
私が求めてたのはそういう、秩序だの概念だのを絡めた哲学的な話じゃなくてね?
言っちゃえばもう、
「学校だるいー」
「わかるー」
「それなー」
みたいな、脊髄反射的な、脳を介さずに喋ってるようなノリなわけ、分かる?
男:それを求めるなら、求める相手がそもそも違うよ。
女:うーん……
じゃあ、こう言えば分かってくれる?
私がこういう時欲しいのは、考察じゃなくて、同調なの。
提起された問題の解決策とか、小難しい講釈とかはひとまず置いといて、
まずは乗っかってきて欲しいの、こっちの心に。
風呂敷を広げるのはそれからよ。
男:女心ってやつ?
女:まあ、平たく言えばね。
女心って言葉は、あんまり好きじゃないけど。
男:それを僕が理解するまでに、君が僕に諦観を持たないでいてくれたら良いけど。
女:そんなに?
男:そんなに。
言語化出来ない価値観だからね、それは。
僕が君に、「僕の思考回路を理解しろ」と言ってるようなもの、と喩えれば分かりやすいかな。
女:そこまで難しい話もしてないんだけどなぁ。
なんていうか、物事を深く考えないって事も大事だと思うよって、それだけなんだけど。
そんな一字一句に気張ってたら、知恵熱起こしちゃう。
男:それもまた、価値観の違い、さ。
言葉の穴に落ちていくくらいが、僕には心地良いんだ。
女:さいですかー。
……じゃ、そろそろ私、学校行ってくるね。
すぐ帰ってくると思うけど。
証明書だけ貰って、さっさと帰ってくるし。
男:思い残しとか無いの?
女:無いね。
男:即答だなあ。
女:当然。
行ってきまーす。
男:行ってらっしゃい。
……さて、と。
(男、おもむろに電話を手に取る)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
女:(M)
「種人(タネビト)」。
この区画に住む私たちは、外からはそう呼称される。
近年、情報技術のインフレーションと、度重なる人口爆発によって、
食糧の高騰化、物資・資源の枯渇、貧富の格差、エトセトラ。
ありとあらゆる社会問題が、目に見えて顕著になり、
有識者からは「火薬庫」と揶揄されるような、人類総出の綱渡りのような情勢が続いている。
そんな中、特に深刻とされていたのが、世界規模での植物の枯死。
嘗ては陸地の3割を占めていたと言われている森林が、今となっては1割にも満たない。
世界人口は増え続ける一方で、それに押しやられるかの如く、緑は萎凋していくばかりとなっていた。
それを見兼ねた人類が生み出したのが、
「生命の還元薬」とも呼称される、通称・「タネ」。
これを飲んだ人は例外無く、種人へと分類される。
市販のカプセル剤と遜色の無い見た目をしたこの薬は、服用した人間の躰から、
生命活動に支障が無い程度のペースで、人体を組成している細胞を少しずつ変質させながら、
体内で吸収・活性化し、成長していく。
そして、服用者のタネが「発芽」し、その最期が訪れた時。
種人の躰の全てはタネの養分となり、新たな緑として芽吹いて逝く事になる。
文字通り、地へと還って、命を土へと返して、一粒のタネと、一人の種人は役目を終えるのだ。
「緑葬(りょくそう)」
と名付けられた、この新たな制度は、始めこそ反発の意思こそ多かったものの、
種人になっても基本的人権は失われない事を始めとして、
むしろ、一般社会から隔離された種人の為の区画の方が、
住民同士の価値観の違いもほぼ無く、何かと自由が利く事が分かると、
掌を返すように、世間からの評価は変わっていった。
そこは正に、社会に有り触れた、煩わしい柵から逃れられるユートピア、エデンと表現される事もあった。
……けれど、そこで、彼との話に戻るわけだ。
徐々に、外の世界から、規則という無粋な檻が、
じわじわと私達のユートピアを侵食せんと、躙り寄って来ている気がする。
ここ最近は、特にそうだ。
……これが嫌で、嫌で堪らなかったから、いつかの私は、タネを……
種人になる事を、選んでいたのに。
人はいつだって、自ら異端を生み出しておきながら、それが自由を謳歌する事を許さない。
……本当に、厭になる。
(間)
女:……はい、どーも。
じゃあ、あとはこれを提出すれば、正式に退学手続きが終わるわけですね?
……いや、良いですよ。
元々何となく通ってただけだし、特に思い入れとかも無いんで。
それじゃ。
……はい、まだ何か?
え、……定期、検診……? 種人の?
いや、知りません……初めて知りました。
そんなの、あるんですか?
……義務……そう、なんです、か……
……いや、見た事無いです……はい。
ちょっと、家帰ったら確認してみます。
……はい、ありがとうございます、失礼します。
……どういうこと……そんな話、知らないよ……!
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
男:……はい、ええ……はい。
いえ……今の所、まだ目立った変化は見られませんね。
まあ、まだ潜伏期間の筈ですから、そうすぐには結果は得られないでしょう。
そちらの塩梅は?
女:ただいまー……
……あれ、居ない……自分の部屋かな。
男:……そうですか。
では、また何か変化があったら、こちらから連絡します。
女:なんだ……電話中か。
男:……ええ、分かってます。
いえ、まだですが……
彼女には、とてもじゃないですが、教えられませんよ。
僕の口からは、とても……
女:……え?
男:いずれ話します……いずれ。
でも、そんな時は、来ない方が……或いは、幸福なんじゃないか……とは、思ってしまいますがね。
少なくとも、今の彼女にとっては。
……いえ、こちらの話です、なんでもありません。
ええ……はい、それでは。
ご苦労様です。
……はぁ。
女:電話、終わった?
男:!!
……あ、ああ……おかえり。
女:ただいま。
男:……早かったね。
女:すぐ帰ってくるって言ったじゃん。
男:ああ、そうだったね……
女:………………
男:………………
女:……あの、さ。
男:なに。
女:……今の電話、誰?
男:………………
女:……言えないんだ。
男:……ごめん。
女:じゃあ、
女:……彼女……っていうのは、私の事で、良いんだよね?
男:………………
女:……勝手に、イエスってとるよ。
男:ああ……そう、だね。
それに関しては、イエスだ。
女:あんまり、訊かない方がいい?
男:……出来れば。
女:分かった。
じゃあ、今の電話については、もう訊かない。
男:ありがとう。
女:……その代わり、もう一つ。
こっちは、ちゃんと答えて欲しいんだけど。
男:なに?
女:……定期検診……って、そんなのがあったの?
男:……どこで、それを?
女:学校の学生課。
書類貰う時に、世間話程度の感じで言われたけど。
私、そんなの知らないし、聞いた事も無い。
男:………………
女:案内通知が家に来てる筈だって言われたけど、そんなの、今まで一度だって無かったよね?
男:………………
女:……隠してたの?
男:違う。
隠すつもりだった訳じゃない。
女:でも実際、結果として私は、何も知らないじゃない。
私だけが偶然知らなかったなんて、そんな事ある訳無い。
……あなたが何も関係してない、なんて、そう思わない方が無理だって事くらい、分かるでしょ。
男:ああ……その通りだ。
女:だから、答えて。
あなたが、私が知らない私の何を知っていて、私が知る筈だった、何を隠してるのか。
全部が無理なら、断片的にでも良い。
ほんの一部だけでも良いから。
お願い。
男:………………
女:………………
男:……じゃあ、まず根本的な所だけ言うよ。
その続きは、……少し、言葉を纏める時間が欲しい。
女:根本的な所……って?
男:僕はね、……種人じゃあないんだ。
女:……え?
嘘……だって、
男:研究員なんだよ、僕は。
女:……研究員……
男:厳密には、少し役割は違うけど。
この区画に僕が居るのは、種人だからじゃない。
タネが人体に齎す影響……
発芽に至るまでの変化を、リアルタイムで調査して、然るべき機関にそれを報告するのが仕事。
……僕だけじゃない。
この区画に住んでいる人間の、およそ2割程度は、僕みたいな、種人を装った研究員なんだ。
勿論、そんな事は公にはされてないし、される予定も無い。
この世界でこれを知っているのは、現時点で、機関と、僕達、機関の研究員と、
……今、この話を聞いた、君だけだ。
女:じゃあ、さっきの電話の相手は、その「然るべき機関」ってこと?
男:そう。
女:……タネの研究って、何の為に?
男:それは言えない。
そもそも、機関の存在自体が、国家機密レベルの極秘事項なんだ。
たとえ君でも、機関と、機関の研究に関しての質問には……一切答えられない。
女:……じゃあ、
……それじゃあ、あの日、私にタネをくれたのは、どうして?
男:………………
女:あの日、身寄りも無いただの孤児だった私に、
生きる意味すら考えたくなくて、生きも死にもしていなかった私に、タネをくれたのは、
……無為に生きるよりも、せめて、自由に生きろって。
そう言って、あの日の私に、生きる理由に足る意味をくれたのは、紛れも無いあなたじゃない。
……それも、それすらも……研究の為、だったから?
私が勝手に、大袈裟に想ってしまっていただけで、
あなたにとってはたまたま、丁度良さそうな研究対象だったから……って、
……そういう事?
それだけの事なの?
男:……違う、
……と答えれば、或いは君は救われるのかも知れないけど。
そうだ。
ああ言えば、君はタネを受け取ると、確信があったから。
善意が無かった、とまでは言わないよ。
……でも、君にタネを渡したのは、種人への探究心ありき、それに基づいての意思だ。
今、君とこうして一緒に生活しているのだって、……そうだ。
間近で調査を行える、これ以上無いシチュエーションだから。
そこに、多少の愛情が、付随しているに過ぎない。
女:……そっか。
分かった、もう訊かない。
男:……あと、これ。
女:なに?
男:君用の、定期検診の受診票。
それを持って、そこに書いてある場所に行けば、優先的に受診させて貰える。
明日にでも、行って来ると良い。
退学証明書は、僕が出しに行って来るから。
女:本人じゃなくていいの?
退学証明書って。
男:問題無い。
代理人が署名した証人本人で、身分証明が出来るならね。
女:そう、分かった。
定期検診は、明日行ってくる。
そっちはお願いして良いのね?
男:ああ。
女:じゃあ、よろしく。
男:(M)
……それから、今日という日が終わり、明日を迎えるまでの間に、
僕達が交わした言葉は、何一つとして存在しなかった。
有ったのは、彼女が密かに零した、たった一粒の涙と、
それに込められた、幾星霜もの、形に成り損ねた言葉と、感情達だけ。
……彼女も、僕も。
話を進展させるに足るだけの言葉も、冷静さも、持ち合わせてはいなかったのだ。
僕のみが抱えるそれは、少なくとも、彼女の望む答えであったとしても、
彼女を満たす希望の光には、決してならない。
……むしろ、或いはそれらすらを貪り、飲み込んでしまいかねない、
幾重もの錠前を掛けて閉ざしておいた、パンドラの箱なのだ。
そんな代物を、おいそれと開けてしまう度胸は……
僕には、……無い。
たとえ、彼女を裏切る形になってしまったとしても。
……これを開ける鍵も、術も。
僕は、最初から持っているくせに。
……臆病者、と罵られたのなら良かった。
卑怯とでも、薄情とでも、邪険とでも、
……いっそ、糞野郎、とでも蔑んでくれたのなら。
或いは、何も思わず、何も考えない、ただ研究を遂行するだけの、木偶になれたのかも知れない。
……けれど、彼女は。
そのどれもを、言わなかった。
……言っては、……くれなかった。
女:(M)
何を言っても、傷付けてしまう気がして、
何を言われても、傷付いてしまう気がした。
ほんの欠片程度の些細な言葉が、私達の臓腑を抉ってしまうのが怖かった。
だから、朝起きて、朝食を食べて、身支度をして、家を出るまで。
すぐ傍にいた彼と交わせる言葉は、何一つとして、生み出しようがなかったんだ。
……定期検診は、拍子抜けするほど、あっさり終わった。
個人差こそあれど、少なくとも数時間は掛かる、と言っていた筈なのに。
翳った表情の医師から贈られた言葉は、
「お疲れ様でした」よりも淡泊で、「お大事に」よりも冷淡な、
「来年からもう、来なくていい」だった。
……その言葉が意味する事を知ったのは、およそ半日振りに、彼と話を始めた時。
その時の彼の表情は、今まで見た、どんな時よりも……
男:……嘘だ。
女:本当。
男:確かに、そう言ったの?
女:うん。
男:……そうか……
でもまさか……そんな……
女:……ねえ。
もしかして……なんだけどさ。
それって、来年までに私が、発芽する……ってことなの?
男:………………
女:……そう、なんだね。
男:……隠しても、しょうがないか。
その通りだよ。
「来年から来なくていい」というのは、
「あなたは今年中に発芽する」を濁した言い方なんだ。
皆、いつか来る最期には、そうなる事を承知の上で種人になってはいるけど、
いざその時が近付いたら、心の準備が必要な人が、大多数いるからね。
女:でも、いつかは絶対に来るものなんだし、仕方無いじゃない。
それを、どうして……
男:……仕方無くなんて、ない。
女:え?
男:君に限っては、仕方無くなんてないんだよ。
いくらなんでも早過ぎる。
予定では、もっと先の筈なんだ。
それなのに、どうして、もう……!
女:……やっぱり、まだ何か、隠してるんだね。
もっと、とても大事な事を。
男:言った所で、信じられないだろうさ。
女:……そう。
ねえ。
男:ん?
女:どこまでが、嘘なの?
男:嘘?
女:昨日、あなたは話をしてる間、ずっと私と目を合わせなかったでしょ。
あなたが、真面目な振りをして、嘘を吐く時の常套手段。
男:……参ったな。
女:誤魔化さないでよ。
男:そんなつもりは無いさ。
確かに、昨日の話の中には、噓も少なからず混じっている。
……けど、残念ながら、ほぼ全部、本当だよ。
機関も研究員も実在するし、僕がその一員で、君がその対象である事も、本当。
女:そう……
……じゃあ、確認なんだけど。
男:なに?
女:あなたは昨日、私と一緒にいるのはあくまでも研究の為で、そこに多少の愛情が付随してるに過ぎない、
……って言ったよね。
男:ああ、言った。
女:その言葉も本当で、多少なりとも愛があってくれるならさ、
……発芽前の最期くらい、お願いを聞いて欲しいんだけど。
男:お願いって?
女:種を、遺したいの。
……あなたとの。
男:……なんだって?
女:私は、自分が緑に還る事自体は、何も怖くもないし、心の準備とかも要らない。
元々、いつかそうなる事は決まってて、絶対に覆らないんだから。
そうなる事も分かった上で、私は種人になる事を選んだ。
……けど、確かに私は緑に還って、世界の一部として遺り続けるとしたって、
所詮それは私自身じゃなく、あくまで世界の一部……でしかない訳でしょ。
それならせめて、そうなる前に。
私が私であった証を、私という人間が、種人と成って、
生きていて、そして……還っていった、って。
そう証明し続けてくれる何かが、欲しいって思ったの。
……あまりにも勝手な理由だって、あんまりにも不純な動機だっていうのは、百も承知のつもり。
でも、……こんな生き方しかしてこなかった私には、こんな事しか、思い付かなかったから。
男:……駄目だ。
女:………………
男:君の気持ちは、痛いほど解るよ。
仮に今、僕がこういう立場でなく、こんな事を知らなかったなら、或いは……
それを、受け入れていたかもしれない。
母親の愛を受けられない事を知りながら、子を創る業の深さは知ってる。
君がそれすらも分かっていながら、それでも……と望んでいるのも、解ってる……つもりだ。
……けど、例えそうだとしても。
君の、今際の願いだとしても、
……それだけは、駄目だ。
女:……ずるい。
男:え?
女:ずるいよ、そんなの。
……そんな曖昧にはぐらかし続けるくらいなら、それならいっそ、全部を話してよ。
私が今更何を知ったところで、何かがどうなる訳でもないじゃない。
私を傷付けたくないからって、あなただけが全部を知っていたって、それはただの、あなたのエゴでしょ。
そうする事で、救う事が出来るのも、救う事が出来たって思い込むのも、あなただけだよ、そんなの。
ほんの少しでも、私に対して、愛があるって言ってくれるなら……
……いっそ、一思いに、せめて最期くらい、あなたの隣に居させてよ。
男:……それを知る事で、報われる人間は、ここには誰もいないんだよ?
何も変わらないし、誰も変えられない。
ただ、君のなけなしの希望が、虚無へと還るだけだ。
女:どうして、そこまで言えるの?
男:タネが、どうして無くならないのか。
女:え……
男:君も知っての通り、種人は近年で、増加の一途を辿ってる。
その全ては区画外から来る、新たにタネを服用した人達だ。
……おかしいと思った事は無い?
女:何を?
男:種人になろうと、生殖能力が失われる訳じゃない。
発芽する前であれば、性行為も、妊娠も、出産だって可能なままなんだ。
にも拘わらず、これまで区画内で、乳幼児を見掛けた事が、一度でもあるかい?
女:……無い、かも。
でも、それ自体は別に、おかしいって言う程の事じゃ、
男:それに、タネの製造コストだって馬鹿にならない筈だろ。
それはそうだ。
人類の叡智の結晶とも呼べる、生命の理を根本から覆すような代物を、
そうそう容易く造れる訳が無いんだから。
……でも、タネは無くならない。
決して安価ではないにせよ、増え続ける需要に合うだけの供給が、
今までただの一度も絶えていないのは、どうしてだと思う?
女:……まさか。
男:そのまさか、さ。
タネは、緑へ還る直前の種人から核を採取して、
それを素として製造するのが、より生産性が高い事は、理論上は分かってはいたんだ。
特に、脳……若しくは心臓を素材とすれば、質の高いタネが造れる、という事も。
でも、そんな事、倫理的に、道徳的に許される筈が無い。
だから、例えコストが嵩)んでしまうとしても、
増え続ける需要に、近い先、追い付けなくなる事が明白だったとしても、
タネを一から製造する事に拘っていた。
種人同士の間に出来た胎児が、より純度の高いタネに成り得る、
……と、明らかになってしまうまではね。
女:……ッ!!
男:それに気付いてさえしまえば、この枯渇した世界に、より豊かな緑を齎すという大義名分の下、
機関の研究が人道を外れ始めるのも、自然な道理じゃないか。
……タネと、人間と、種人。
こんなに残酷で滑稽な輪廻が他にあるなら、是非知りたいよ。
女:……もういい。
男:ん?
女:あなたが私に、どこか不自然な距離を取ってた理由も、
真意に近付こうとする度に、言い淀んで、言葉を濁してた理由も、嫌になるくらい解った。
……解ったから、少し、独りにさせて。
男:もう良いのかい?
まだせいぜい、3分の1に達するかどうかというくらいだけれど。
むしろ、ここからが一番大事な話だよ。
僕だけじゃなく、君にも直接関係のある話だ。
これを聞いたら、もしかしたら……
女:良いから!
……良いから、今日はもう、ほっといて。
(女、部屋から出て行く)
男:……ああ。
……今回も、駄目か、やっぱり。
となると、急がないとな……
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
女:(M)
……そして私は、歩くよりも遅いほどの足取りで、夕闇に染まりかけた外へと逃げ出した。
なんてことは無い、ただの卑怯者の逃避行。
全部を知りたいと自分で言ったくせに、いざ信じたくもない現実を突き付けられたら、
耳を塞いで、受け入れまいとする。
そうする事で物事が好転した試しなんて、一度たりとも無いのに。
……彼の言葉を、信じたくは、ない。
信じてしまったら、私自身ですらが、私自身を解らなくなってしまいそうで。
けれど、信じれば信じるほど、この箱庭の濁った現実が、時折感じる、不自然で歪な現実が、
目を覆いたくなる程に、鮮明に浮かび上がって、私を……
種人達を、嘲笑っている気がした。
……虚しくなるほどいつも通りに、陽は沈み、月が昇る。
夜風に木々が戦いでも、まだ、私は独り。
やがて、答えの捜し方を探す事すらも、億劫となってしまったまま。
女:……いつまで、こうしてるつもりなんだろ、私……
男:あぁ、いたいた、こんな所に。
女:……っ!
なんで……?
男:ほっとけって言われて、そのまま一晩ほっとける程は薄情ではないし、
浅い関係でもないつもりだからね。
そもそも、君は僕の研究対象だって言っただろ。
愛の有無なんて関係無く、僕は君からあまり離れる訳にはいかないんだよ。
女:……そこは嘘でも、愛も少なからずあるから、とか言ってくれれば良いのに。
男:何が?
女:何でもない。
……それより、何しに来たの。
男:何しにって、迎えに。
女:……まだ、帰る気分じゃない。
男:うん、帰らないよ。
あの家には、二度とね。
女:え?
男:少しばかり、事情が変わったんだ。
君の発芽までに、一年を切るのが明らかに早いのが、どうしても気になってね。
いきなりで申し訳無いんだけど、君には今から、機関の特別施設に来てもらう。
嫌って言っても良いけど、その時は強制収容になるから、そのつもりでね。
女:え、それって……
男:違うよ、まだそういう事はしない。
……簡潔に言うと、普通の種人と違って、君は少し特殊な例でね。
それもさっき説明しようと思ったんだけど、その前に飛び出していっちゃったから。
女:そこで……何するの?
男:定期検診とは別の、専用の検査。
……としか言えないかな、今は。
女:検査?
……でも、発芽はまだ……
男:まだ、だからこそ意味があるんだよ。
今さっきも言っただろ、一年を切るのが早過ぎる、って。
むしろ、今を逃すと、手遅れになるかもしれない。
女:手遅れ……って、何が?
何をそんなに急いでるの?
男:それも、後でまとめて話すよ。
……話せたら……ね。
女:話せたら、って……
ねえ、本当に、どうしたの?
なんか、今のあなた、変だよ。
いつもと全然違う。
男:悪いね、少しばかり急を要するんだ。
一から十まで説明してると夜が明けかねないから、今は省かせてくれ。
事がちゃんと上手く運んだら、その暁には、その時こそ、全部話す。
嘘で塗り固めた、上辺だけの仮初の作り話じゃなく、
本当の僕について、本当の君について、そして……
今のこの世界すらもが偽りで、本当の世界がどう在り、どう成り往くのかについても。
……まあ、それら全てを知る前に、きっと、今までの君なら、思い出してくれるだろうが。
少なくとも、今の君では、思い出す事はおろか、信じる事すら……
それすらも、無理だろうから。
女:……なに、何を言ってるの?
分からないよ、ねえ。
私、怖いよ……!
男:心配いらないよ、怖いのは今だけだ。
……ただ、道中、見られたら困る物も多い。
手荒な方法で悪いけど、少しの間、眠ってもらうよ。
(男、薬品を含ませた布を女の口に当てる)
女:……ーーっ!
……ッ!?……
男:……おやすみ。
また、いずれ目覚めた時に、もう一度逢おう。
(女、力無く崩れる)
女:………………
男:……ふう。
(男、電話を取り出し、慣れた手付きでどこかへ電話を掛ける)
男:……ああ、私だ。
彼女は確保した、迎えを寄越してくれ。
……いや、構わん。
取り繕った所で、今は聞いてはいない。
どのみち、恐らく……今回も、もう駄目だ。
それよりも、これまでより明らかに、発芽の周期が早まっているぞ。
私が着いたら、直ぐに取り掛かれるように整えておけ。
……取り返しの付くうちに、取り返さねば……!
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女:おはよー。
男:ああ、おはよう。
女:あれ、珍しい。
ちゃんと朝ごはん食べてる。
男:……たまには、ね。
女:何、今の間。
男:いや、別に。
女:あ、そう。
男:パン焼く?
女:うん、お願い。
タネの栽培は、順調?
男:ああ。
君の見立て通り、区画外の方が育ちが良い。
管理された環境下じゃないと、一定以上は育たないと思ってたけど、とんだ盲点だったよ。
女:それはそうでしょう。
成長を遮る余計な物が、何も無いんだから。
ヒトの文化さえ無ければ、タネは、緑は、勝手に芽吹き茂っていくものよ。
男:流石、原案者なだけあって熟知しているね。
女:殖やすのはあなたの仕事でしょ、しっかりしてよね。
男:面目無い。
……ああ、そうだ。
起き抜けの君に、良い報せだよ。
女:なに?
男:例の、B2054号なんだけど。
女:ああ、あれね。
どうだった?
男:成功したよ。
限り無く、理想に近い形で。
脳から採取したタネから、素体と全く同じDNA配列の個体が発生した。
素体の発芽状態にも影響無し。
あとは数をこなしていけば、自ずと法則性まで導き出せるだろう。
女:僥倖ね、素晴らしいわ。
男:君の方は?
女:今の所は順調よ。
一番状態が理想に近いのは、E3842号かしらね。
通常の個体と比べて、老化の進行速度が10分の1程度まで低下してるわ。
正直、ヒトの躰の成長を止めるのは、そんなに難しくなさそう。
……ただ、やっぱり、タネの成長は止められないわね。
あと半年もしたら発芽しちゃうわ、多分。
男:……まあ、そうそう都合良くはいかないか。
女:今更でしょ。
そう簡単に言ってたら、ここまで何世代にも亘って苦労はしてないわ。
……あ、そうそう。
男:ん?
女:私、11ヶ月と24日後にはまた発芽するから、悪いけど、暫く宜しくね。
男:……またか。
やっと少しは、落ち着いてきたと思ったのに。
女:仕方無いわ。
何の因果か知らないけど、私はずっとこうだもの。
それに、記憶を定着させられるようになっただけでもマシじゃない?
男:そうだね。
とはいえ、そうなるまでの君も、初心で可愛らしかったから、捨て難いよ。
「あなたとの種を遺したい」とか言われた時は、ちょっと本気にしそうになったものだ。
女:もう勘弁してよ、その話は。
覚えが無くても、恥ずかし過ぎて死にたくなるわ。
男:君が言うと、おかしな話だな。
女:……お互い様でしょ。
男:ああ、全く以てその通り。
……それじゃあ、性懲りも無く、今日も始めようか。
君がまた、君として生まれられるように。
女:ええ。
あなたが、あなたのままで在れるように。
男:そして最期には、互いに一人のヒトとして。
女:共に、土に、還られるように……ね。
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