Peeping Bookworm

(登場人物)

・渋屋(しぶや):♂

主人公の学生。

三度の飯より本が好きな、本の虫。


・神楽(かぐら):♂

渋屋の友人。

軽い性格でよく合コンに参加するが、その恋が実ったことは無い。


・五十嵐(いがらし):♀

神楽が合コンで出会う女学生。

控えめな性格。

Nと兼任。


・栞(しおり):♀

「命の図書館」を管理する双子の妹。

物腰柔らかで言葉も丁寧。


・夾(きょう):♀

「命の図書館」を管理する双子の姉。

悪戯好きで少し言葉が強め。


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(役表)

渋屋:

神楽:

五十嵐/N:

栞:

夾:

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N:誰も知らない場所に在る、その存在すらも誰も知り得ない、とある図書館。

  暗闇が支配する中、静寂を破壊したのは、けたたましく鳴り響く、柱時計の重苦しい鐘の音。

  零時を告げるその刻の声が鳴き止んだ後、微かに、幽遠な声が二つ、漂い始める。


​栞:……はい、返却ですね。

  いつもご利用ありがとうございます。

  それでは、またお好きな本をお選びください。

  ……はい?

  ああ、それでしたら、15番通路右の本棚、4段目の左から216冊目ですね。

  どうぞ、ごゆっくり。


夾:……栞。


栞:なに、夾?


夾:気付いてるかしら?


栞:……ええ、勿論。


夾:久し振りじゃない?


栞:そうね、久し振りね。


夾:どう思う?


栞:さあ、見てみない事にはね。


夾:まあ、それもそうね。


栞:……楽しみね。


夾:ええ、楽しみね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


神楽:なあ渋屋ぁ、もう諦めようぜ。

   こんだけ探して無いんじゃあ、もうとっくに絶版になってんだって。


渋屋:いいや、諦めないね。

   確かにこの目で見たんだ、あの本が店頭に並んでる所を。


神楽:そうは言うけどさあ。

   そんでも、その店がどこだったのかすら覚えてないんだろ?

   しかも、発行されたのが10年以上前とか……

   いくらなんでも、今更探すのは無茶だっての。


渋屋:それでも、ちゃんと確かめないと落ち着かないんだよ。

   実物を見れば、一発で思い出す。


神楽:でもよー……

   もう2週間かけて、ここら辺の本屋だの図書館だの、全部巡ったのに無かったんだから、

   もうそろそろ諦めてもいいと思うぜ、俺は。

   せっかくの長期休暇なんだから、もっと時間を有意義なことに使おうぜ。


渋屋:僕にとっては、こうして一つの本の為に奔走してるこの瞬間が、何よりも有意義だね。


神楽:へーへー、そうですかー。

   でも俺、今日合コンだから、そろそろ帰って準備したいんだけど……


渋屋:…………?


神楽:ん、どした?


渋屋:あんな所に、あんな建物あったっけ……?


​N:渋屋の銀縁の眼鏡の向こうの瞳が映している、その図書館らしき古びた建造物は、

  商店街からも、住宅街からも離れた場所に、まるで世界と同化する事を拒否するかのような佇まいで、

  その所々老朽化した様は、人々で華やぐ景色には、まるでそぐわない出で立ちだった。

  目の前まで来てみると、その異常なまでの不自然な存在が、一層際立って見えた。

  それでも2人が、訝しみながらもそこから離れられないのは、

  正面玄関と思しき扉の上、ぶら下がった木の板に、掠れた字でも確かに、

  「Library」と、書かれていたからだった。


​渋屋:こんな所に、図書館……?

   ついこの間までは無かったと思うけどな。


神楽:あー、新しく出来たんだろ?

   って言いたい所だけど、そうとは思えないくらいきたねーな。

   ホントに図書館か、ここ?

   というか、そもそも誰もいないんじゃね?


渋屋:……いや、案外こういう所にこそ、掘り出し物はある物だよ、神楽。


神楽:そういうもんかねえ……

   普通だったらこんな所、おっかなくて入れねえって。

   廃墟ってわけではないんだろうけどさ。


渋屋:此処なら、僕が探している本も見付かるかもしれない。

(神楽の電話が鳴る)


​神楽:もしもし?

   えっ、合コンの場所が変わったぁ!?

   おいおい、今になってそれかよ……

   で? 結局どこでやることになったんだよ?


渋屋:………………


神楽:へいへい、じゃ、また後でな。

   悪い渋屋、やっぱ俺、今日は帰るわ。


渋屋:ああ、そんなことだろうと思ったよ。

   僕は、とりあえず此処の中もちょっとだけ見てから帰るから。


神楽:物好きな奴だなー、本当に。

   そのちょっとが何時間になるんだかな。


渋屋:うるさいな。

   神楽も本の面白さを知ったら、そうやって貶すことも出来なくなるさ。


神楽:へーへー。

   ま、そんな時が来たらの話だけどな。

   じゃ、また連絡するわ。


渋屋:ん、また今度。


​N:そうして、神楽の背を見送る渋屋。

  そんな彼が目の前の館に対して抱いた感情は、絶大な好奇心と、探究心。

  どこか高揚している心の昂ぶりを抑えながら、木製の扉をゆっくりと開ける。

  そして、彼がこの謎めいた館に足を踏み入れた時から、

  不可思議な日常に、飲み込まれていくことになるのである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


渋屋:ごめんくださーい。

   ……なんだ……誰もいないのかな。

   それにしても、此処の品揃えは凄いな……

   これとか、一体何年前の本なんだ……?

   日本語じゃない物もいっぱいあるし、本当に隠れた穴場なんじゃないか。


夾:何か、本をお探しかしら?


渋屋:えっ?

   あ、えっと……こんにちは。

夾:こんにちは。

  貴方が初めてよ。

  何らかのコネクション以外で、この図書館を見付けたのは。

  どこから情報を仕入れたのかは知らないけれど、よっぽど「覗き見」が好きなのね。


渋屋:……は?

   あの、何の話を……?


夾:惚けなくても良いのよ。

  此処を利用してるお客なんて、みんなそんな人達だもの。

  まあ、それほどまでに魅力的なモノなのは、分からなくはないけれど。


渋屋:……何を言ってるのかよく分からないけど、君は、此処の関係者の人?

   此処って、実はマニアが集まる、隠れた名所だったりするの?


夾:マニア……

  そうね、そう分類する事も、出来なくはないわ。

  でも、そういう貴方だって、そうじゃないのかしら?


渋屋:えっ?

   ……まあ、人からは確かに、「本の虫」とは、よく言われるけど……


夾:……貴方、知らない振りをしているわけでは、ないのよね?


渋屋:いや、知らない振りも何も。

   だから、さっきから君が何の話をしてるのか、僕にはさっぱり分からないんだよ。


夾:そう……しまったわ。

  本当に、何も知らない人が、此処に来てしまうなんて……

  今度からはもっと、人目に付かない所に行こうかしら。


渋屋:何も、知らない……?

   ……なあ、そろそろ教えてくれよ。

   此処は一体、何なんだよ。


夾:……今更隠し立てしても、もう色々、口走っちゃったものね。

  良いわ、見せてあげる。

  この仮初の図書館よりも、そこの古びただけの無味乾燥な本達よりも、

  よっぽど官能的で、魅力的な図書館を、ね。

  さあ、ついていらっしゃいな。


渋屋:は、はあ。

   ……変わった娘、だなあ……


夾:……ああ、そういえば。


渋屋:え?


夾:貴方のお名前は、何だったかしら。


渋屋:えっ、いや。

   渋屋、だけど……?


夾:渋屋さん、ね、ありがとう。

  申し遅れたけれど、私は、夾。

  妹の栞と、此処の図書館の管理をしている者よ。

  以後宜しく。


渋屋:あ、ああ。

   よろしく……


夾:ふふ、そう身構えないでよ、取って喰おうって訳じゃないんだから。

  ……さあ、着いたわよ。

  どうぞ、お入りなさいな。


渋屋:……!!

   なんだ……これは……!


夾:ようこそ、命の図書館へ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


N:其処は、例えるならば、「本の都」とも形容出来る程の場所。

  何百、何千、何万。

  否、何億と言っても過言ではないほどの数の本が、

  二階建ての一軒家ほどもあろうかという高さと、霞むほどの奥行きがある本棚に陳列され、

  そしてそれらを見下ろすように佇む、更に巨大な、一台の柱時計。

  この異世界感が満ち満ちた空間に、渋屋はただただ呑み込まれ、永遠に近い数刻、立ち竦んでしまっていた。


栞:いらっしゃいませ。

  ……あら、見ない顔ですね。


渋屋:えっ、……同じ、顔……!?


夾:あら、やっぱり。

  初めて此処に来た人達は、みんなそうやって驚くわね。

  でも、私達はただの双子。

  何処にでも居る有り触れた、只の一卵性双生児よ。

  さっき言ったでしょ、この娘が、妹の栞。


栞:はじめまして。


渋屋:あ、ああ。

​   はじめまして……


栞:夾、もしかして、この人が?


夾:そうよ。

  まあ、ちょっと思い違いがあって、此処の事は、何も知らないみたいだけれど。


栞:そう。

  それじゃあ、近々また、場所を移さないとね。


渋屋:えっと、結局何が何だか分からないまま、此処まで連れて来られたんだけど……

   君達は……いや、此処は、一体……?


栞:ああ、これは失礼致しました。

  夾は少し、強引なところがありますから。

  久々の新規のお客様に、気が逸ってしまったんだと思います。

  悪気があった訳ではありませんので、どうかお気を悪くしないで下さい。


渋屋:新規の、客?


栞:此処は、私達が管理する、とある本を扱う名も無き図書館。

  此処をご利用になるお客様は、「命の図書館」とお呼びになります。


渋屋:命の、図書館……


夾:そう。

  まあ、取り扱っている本を一目見たら、その意味がすぐに分かると思うわよ。

  どの本でもいいから、手に取って読んでみたら?

  その方が、口で四の五の説明するよりも遥かに話が早いわ。

  よく言うでしょ、「百聞は一見に如かず」って。

  栞、案内してあげて。


栞:そうね、分かったわ。

  ……さあ、それじゃあ行きましょうか、お客様。

  万が一逸れてしまったら、身の安全の保証は出来かねますので、しっかり後ろについて来て下さいね。


渋屋:は、はあ……


(間)


渋屋:どの本でもいい、とは言われてもなあ……

   此処まで数があると、何が何だか……

   何処を見ても、同じような見た目の本が、延々と並べられてるようにしか見えない。


栞:ふふっ。

  まあ、初めての方はそうですよね。

  でも、特にお目当ての本がある訳ではないのでしたら、本当に、適当でいいんですよ?

  ……はい、どうぞ。

  取り敢えず、この本でも開いて、読んでみてください。


渋屋:はあ、どうも。

   著者……なのか、名前しか書いてないな、変な本だ。

​   ………………

   ………………

   ………………

​   ……なんだ、どういう事なんだ、この本……!?


栞:お分かりになりましたか?

  なぜ此処が、命の図書館と呼ばれているのか。


渋屋:これって……

   もしかして、何処かの誰かの一生が、全部……これ一冊に?


栞:その通りです。

  生きている方、死んでいる方問わず、この世の全ての人間の、人生の全てが、

  この図書館に、一冊の本として置いてあります。

  死んでいる方は勿論、生きている方のこれからの人生も、最期まで事細かに、全て記されていますから、

  名だたる偉人の知られざる歴史から、本人すら知り得ない未来さえ、こっそり覗き見る事が出来るんです。


渋屋:……っははは。

   まさか、そんなことが……


栞:あら、信じられませんか?

  ……でも、例え信じられなくても、貴方ももう、立派な此処の利用者なんですよ?


渋屋:え?


栞:これを。

  (一枚の黒いカードを手渡す)


渋屋:これは?


栞:此処の会員証、及び、本の貸し出しの際に提示して頂くカードです。

  初めて此処に立ち入った方には、利用するか否かの意思とは無関係に、例外無くお渡ししている物です。

  また、此処にお一人で出入りする際にも必要になりますので、仮に今後利用されないとしても、

  今日此処から出るまでは、無くさないようにして下さい。

  それと……まあ、他にも色々細かいルールはあるんですが、夾と2人で説明した方が早そうです。

  一度戻りましょう。

  ……あっ、そうそう。

  本は必ず、あった所に戻して下さいね。

  なにせ、ご覧の通り数が数ですから、少しでもズレていると、確認が大変なんです。


渋屋:……一体、何処までが夢なんだ、これは。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


神楽:おい、どーした、渋屋。


渋屋:あっ、え、なにが?


神楽:「なにが?」じゃねーって。

   もう講義終わってんのに、ぼけーっとしてるからさ。


渋屋:……いや、うん……なんでもないよ。


神楽:そーか?

   ……それにしても、よっぽど気に入ったんだな、あの図書館。


渋屋:え?


神楽:だってよ、今日大学来てからずーっとその本、肌身離さずに持ってんじゃん。


渋屋:あ、ああ……まあね。

​N:そう返す渋屋の傍らには、一冊のハードカバーの書籍。

  あの図書館が取り扱う「命の図書」の一つを、渋屋は借りてきていたのである。

  彼をそうさせたのは、ただの些細な、一抹の好奇心。

  それだけでも、十分利用者たる理由に成り得ると、あの姉妹に誑かされた結果だった。


​神楽:それよりさ、俺らこの後カラオケ行くんだけど、お前どうよ?


渋屋:また、合コン?


神楽:そうとも言う。


渋屋:やめとくよ。

   そういうのは趣味じゃないし、僕みたいなのが混じってると、

   せっかくの空気を悪くしちゃいそうだしね。


神楽:別に、そういうのは気にしなくていいんだけどなあ。

   ま、無理強いは良くないわな。

   また今度、機会があったら誘うわ。

   ……今回は、俺の本命のコも来るしな。


渋屋:ほどほどにしときなよ。


神楽:へいへい。

   じゃ、また来週な。


渋屋:ああ。

(回想)


渋屋:……成功者?


夾:そう。

  この図書館の利用者の多くは、何らかの形で成功してるわ。

  それこそ、ビジネスの拡大、起業から、一国の総帥になった人までね。


渋屋:総帥……って、総理大臣とか、大統領とか?

   そこまでになれるものなの?


夾:それはそうよ。

  此処の本を利用すれば、己の一生の中で、自身と関わる全ての他人が、何を考え、どう動くのか、

  言い換えれば、どう生きるのかが、予め全部分かるんだから。

  頭と此処の使い方次第で、自分の人生だって、他人の人生だって、どうとでもなるのよ。

  そうやって上手く此処を利用して成り上がった人を、私達は「成功者」って呼んでるの。

  ……まあ、今の利用者の人達だって、何らかの目的があるんでしょうけど。

  貴方は、違うの?


渋屋:え?


夾:この本を、この図書館を利用して、何かを成し遂げようとは?

  使い方次第で、自分の人生をどこまででも、思い通りに出来る。

  使い方次第で、気に入らない人間を、どこまででも、貶めることが出来る。

  そんな醜い利己的な目的が、貴方にも、深層心理にはあるんじゃない?


渋屋:そんなこと……!


栞:夾、しゃべり過ぎ。


夾:あら、失敬。


栞:……はい、ではこれで、貸し出しの処理は完了です。

  返却は、一週間以内にお願いしますね。


渋屋:はあ……


栞:先程も説明しましたが、一度に借りることの出来る本の冊数は、特に上限はありません。

  ただし、何冊借りられようとも、返却期限は一週間。

  一秒でも遅れれば、本と会員証、それから、この図書館に関する記憶を、全て剥奪させて頂きます。


夾:まあ、後は一般的な図書館と一緒よ。

  本の扱いに注意してもらえれば、そんなに特別なルールは存在しないわ。

  ……また、来るわよね。

  貴方の目はもう、深層心理に鏤められた、禁じられた誘惑に、魅入られてしまった者の目……

  くれぐれも、足元を疎かにして、自滅の道へと堕ちないようにね。

(回想終了)

渋屋:(M)

   誘惑に、魅入られてしまった者の目……か。

   ……確かに、否定は出来ないんだよな。

   馬鹿馬鹿しい、そんな非現実的な話が、有り得るわけがない……って、頭では理解を拒否しても、

   あの子達の言葉には、不思議な説得力がある……


​N:そんなことを考えながら、渋屋は手元の本を開いた。

  そこには、特に顔も知らず関わりも無い、とある女性の人生が綴られていた。

  興味本位で何となく手に取った本なのだから、何の変哲もない物語としかとれない。

  適当にページを飛ばしながら、無意識のうちに、のめり込んでいた。

渋屋:人間の数だけ、人生の数だけドラマがある、か。​

   こうやって読んでみてるうちは、ドキュメンタリーみたいなものなのかな。

   ……って、もう降りる駅着いてたのか。

   ま、続きは家帰ってからゆっくり読むと……

   ぅわっ!?


五十嵐:あっ、ご、ごめんなさい!


渋屋:い、いえ僕の方こそ、ぼーっとしちゃってて……


五十嵐:あの、お怪我とかは……


渋屋:いえいえ、大丈夫ですよ、ほんと。


五十嵐:そ、そうですか。

    それじゃあ、えっと……すみませんでした。


渋屋:……?

   あ、あの。


五十嵐:え、はい?


渋屋:これ、あなたのじゃないですか、定期……


五十嵐:え?

    ……あっ、そ、そうです。​

    すみません、ありがとうございます。

    それじゃ、失礼、します。

渋屋:あ、はい……

​   ……五十嵐、さん……か。

​―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


神楽:渋屋。


渋屋:なんだよ、神楽。

   いつになく真面目な顔して……


神楽:いや、真面目な話だから、真面目な顔してた方がいいかなって。


渋屋:何だそれ……

   で、その真面目な話っていうのは?


神楽:いや、うん。

   なんというか……そのぉ、だな……


渋屋:……?


神楽:前、俺がお前を誘った時さ、本命のコがどうのこうのって言っただろ?


渋屋:そんな事あったっけ?


神楽:あったんだよ。

   でな、その本命のコから、俺は勇気を振り絞って、名前なりアドレスなりを聞き出したわけだよ。


渋屋:へえ。


神楽:だが……だが、だ。

   彼女はどうも、引っ込み思案らしくてな。

   今のまんまじゃアタックをしても、あっさり流されて、失敗するのが目に見えてんだ。


渋屋:うん。

   ……それで、どうしたんだよ?


神楽:……どうしたらいいと思う?


渋屋:は?


神楽:恥ずかしい話な、俺は合コンとかそういうのには何回も行くんだが、

   まともに女の子とお近付きになった事ってのは、実は一回も無いんだよ。

   だから、いざこういう状況になると、どうするのが正解なのかが、さっぱり分かんねーんだ。


渋屋:それで、なんでその相談相手が僕なんだよ?


神楽:だってお前、モテそうだから……

   というか、実際モテてるから。


渋屋:……はい?

   モテてるって、僕が?


神楽:なんだよ、知らなかったのか?

   お前、結構学部の女の子達から人気あんだぞ?


渋屋:知らないよ……


神楽:そんなわけだから、俺よりかは女心が分かってそうなお前が、頼みの綱なんだ。

   頼む! さりげなーくでも良いから、彼女の情報を聞き出してくれ!


渋屋:ええ?


神楽:趣味とか好みとか特技とか、とにかくなんでも良いから。

   今度、メシでも何でも奢るからさ!


渋屋:………………


神楽:頼む、後生だ!

   俺にとっては、久々に巡ってきた春なんだよ!

   これまで逃したら、次がいつ来るのかも……ていうか、もう来ないかも……!!


渋屋:……分かったよ。

   善処はするけど、期待はしないでくれよ。


神楽:おお!

   恩に着る!


渋屋:その人の名前は?


神楽:ああ、そんなら写真持ってるわ。

   ちょっと待ってくれよ。


渋屋:なんでそんなの持ってるんだよ……

   ちょっと怖いぞ、お前。


神楽:お、あったあった。

   ほい。


渋屋:どれどれ?

​   ……あれ、この人……

神楽:え、まさかの知り合い?


渋屋:え、……ああいや、何でもないよ。


神楽:あ、そう……変な奴。​​

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


栞:五十嵐さん、ですか?


渋屋:ええ……実は、かくかくしかじかな事情があって。


栞:……ああ、なるほど。

  良いですよ、此処の本をどのような目的で使おうと、それは利用者の方の自由ですし。

  ……ただ、そうですね。

  五十嵐という名字の方の本は、現在存命中の方のものだけでも、17万冊以上あるんですが……

  何か、個人を特定できるような物はお持ちではないですか?


渋屋:ああ……えっと、写真なら。


栞:ええと……?

  ……ああ、裏に名前も書いてありますね。

  「五十嵐慧子(イガラシ・ケイコ)」さん……なるほどなるほど。

  この方でしたら、3番通路左の本棚、下から2段目の、右から31冊目になりますね。

  場所は分かりますか?


渋屋:3番通路……

   うん、分かります、ありがとう。


栞:では、ごゆっくり。


夾:……あら、今日も来てたのね。


渋屋:ああ、どうも。


夾:どう、此処の常連利用者になった気持ちは?


渋屋:まあ、悪い気はしないよ。

   成功者の人みたいな利用の仕方は思い付かないけど、

   それでも、他のどんな作り話を読むより、刺激的である事は間違い無いから。


夾:そう。


渋屋:それにしても、凄いね。


夾:なにが?


渋屋:君達は、此処にある本の数とか場所とか、全部記憶してるの?


夾:それはそうよ。

  そうでもなきゃ、この図書館の管理人なんて務まらないもの。


渋屋:リストとかは?


夾:あるわよ。

  だけど、この世界中に、過去と現在、未来まで含めたら、一体何人の人間がいると思う?

  何百万、何千万なんてものじゃなく、何億、何兆といる中から、

  特定の人間をいちいち毎回リストから探し出すなんて、とても面倒臭くてやってられないわ。

  それに、一時間、一分、一秒と、今こうしてる瞬間にだって、生まれたり死んだりしてる。

  つまり言い換えたら、本は際限無く増え続け、図書館そのものもまた、それに合わせて拡がり続けているのよ。

  それを、そんな非効率的な方法で管理しようだなんて、時間の無駄以外の何物でもないわ。


渋屋:それも、そうだね。

   ……あ、そういえば、思ったんだけど。


栞:はい?


渋屋:僕とか、此処の利用者の本も、どこかに陳列されてるの?


栞:いいえ。

  利用者の方の本は、本棚には並べられていません。

  利用者である限りは。


渋屋:どういうこと?


夾:利用者である限りは、自分の人生を、他人に覗き見られない権利があるのよ。

  本自体は勿論あるけど、本棚には陳列してない。

  私達が責任を持って管理してるからね。


渋屋:それは、自分で読む、とかは出来ないってこと?


夾:出来るけど、おすすめはしないわよ。


渋屋:何故?


夾:一言で言うなら、人生が、つまらなくなるからよ。

  人生って、どういう風に流れていくのか、分からないから楽しいんじゃない?

  紆余曲折あって、四苦八苦あって、七転八起してこそ、刺激的で、面白いのに。

  此処の本は譬えるならば、100%当たる占いのようなもの。

  予め何もかもが分かっているから、順風満帆に生きられるけれど、

  予め何もかもが最初から分かっている人生なんて、そんなもの、一縷の価値も感じない。

  少なくとも、私は御免被るわ。


渋屋:……なるほど。

   まさか、此処で人生について諭されるなんて思わなかったよ。


夾:そう?

  お望みなら、人生相談も承るわよ。


渋屋:機会があったらね。

   ……じゃあ、今日は、五十嵐さんの本だけ、借りていくよ。


夾:返却は忘れずにね。


渋屋:分かってる。

   それじゃ、また一週間後。


夾:ええ。


栞:……ふふっ。


夾:なによ、いつから聞いてたの?


栞:声が大きいのよ、聞くつもりは無かったの。

  夾がそんな事考えてるなんて、初耳だし、意外だったわね。


夾:あら、そんなに似合わない台詞だったかしら。

  自分では、心にも無い言葉にしては、上手い言い回しだったと思うけれど。


栞:……そんな事だろうと思った。

  ちょっとでも感心した私が馬鹿でした。

  利用者を揶揄って遊んでいないで、たまには司書としての仕事も、ちゃんとして欲しいものね。


夾:はいはい、善処するわよ。

​―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


神楽:それにしても、意外だったなー。


五十嵐:え?


神楽:いや、まさか五十嵐さんが、同じ大学だとは思わなかったって。


五十嵐:ああ、そうですね。


神楽:合コンで会ったから、てっきり全然違う大学だと思ってたけど。


五十嵐:合コンは……断ったんですけど、友人に人数合わせでも良いからって言われて。


神楽:あー、確かにね。

   五十嵐さんは、ああいうのには無縁そうだもんね。


五十嵐:そうですよね。

    ただ私、どうしてもって言われると、断れない性格だから……


神楽:それは分かるよ。

   合コンが好きだーって言う人は結構、他人の気持ちを考えないというか、

   無理矢理な人も多いしね、俺みたいな。


五十嵐:神楽君も、ですか。


神楽:え、あっ、いやいやいやいや、俺は違うよ?

   違う……と、思うよ、うん、たぶん。

   合コンはまあ、確かに好きだけど、誘う相手の都合が悪けりゃ、当然そっちを尊重するし。


五十嵐:そうですか……良かった。


神楽:あー、それとさ。


五十嵐:はい?


神楽:……敬語、やめない?


五十嵐:え?


神楽:いや、どうせ同い年なんだし、そこまで畏まる必要も無いかなーって。


五十嵐:え、同い年……でしたっけ?


神楽:あれ、違ったっけ? 何年?


五十嵐:2年、ですけど……


神楽:じゃあ、やっぱり同い年じゃん、留年とかしてないなら。

   そんな敬語なんて、使う必要無いって。


五十嵐:は、はあ。

    でも、私、年齢の話なんてしましたっけ……?


神楽:えっ、あー……いや。

   合コンで、一緒になった人に聞いたんだよ。


五十嵐:……そうですか。


神楽:そうそう。

   ……それよりさ、五十嵐さんって、今度の土曜日、ヒマかな?


五十嵐:えっ?


神楽:いや、もし良ければ、ホントに良かったらで良いんだけど。

   映画とか……どうかなー、とか。


五十嵐:………………


神楽:あ、無理なら無理って、はっきり言ってもらって全然いいから!

   もし良かったらの話だからさ!


五十嵐:……いいですよ。


神楽:へ?


五十嵐:私も、特に予定は入ってないですし……

    神楽君が良いなら。


神楽:ホントに!?

   やった! ありがとう!!

   そうと決まれば、はい。


五十嵐:え?

    なんですか、これ。


神楽:何って、映画のチケット。

   ダメ元で2枚買っといたんだけど、無駄にならなくて良かったよ。

   なんか最近流行りの映画らしくてさ、もう観た人は、号泣した人もいるくらいだって。


五十嵐:そうなんですね……楽しみです。


神楽:……っと、もうこんな時間か。

   そろそろ次の講義行かないとな。

   また詳しいこと決めたいから、手が空いたら連絡するよ!


五十嵐:はい。


神楽:だーかーらー、敬語!


五十嵐:あ、……うん。


神楽:オッケイ!!

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(夜、電話をしている渋屋と神楽)


渋屋:……へえ、やったじゃん。


神楽:おう!

   いや、ほとんど全部、お前のおかげなんだけどな。


渋屋:え、なんで?


神楽:趣味とか、年齢とか、学部とかさ、そういう情報を教えてくれただろ。

​   それだけでも、随分助かったんだよ、話題も作りやすいし。

   何だかんだ文句は言っても、そのへんしっかり調べてくれるのがお前だよなー。

   やっぱり、モテる男は違うわー。

   大方、知り合いの女の子を挟んで聞き出したりしたんだろ?


渋屋:ああ、うん……まあね、そんなところ。


神楽:それに、映画のチケット準備してくれたのもお前じゃん?

   何から何までサンキューな、今度なんでも、好きなモン奢るわ!


渋屋:いや、良いよそんなの。

   僕には女の子の好みとかよく分からないから、人気があるって小耳に挟んだやつを準備しただけだし。


神楽:まあまあ、そう謙遜すんなって。


渋屋:で?

   それより、映画の後はどうするんだよ。


神楽:どうって?


渋屋:神楽の事だから、あわよくば、告白とか考えてるんじゃないの?


神楽:何で分かった、エスパー?


渋屋:やっぱり、そのつもりなんだ。


神楽:まあ、本当にあわよくば、だけどな。

   やっぱりガードは堅いけど、隙をついて上手いこと強く押せれば、いける気がする。


渋屋:へーえ。


神楽:なんだよ。


渋屋:別に?


神楽:……あ、それより、悪いな。

   なんか、読書の邪魔しちまったみたいで。


渋屋:え?


神楽:いや、さっきからなんかページ捲る音が入ってきてるからさ。


渋屋:ああ……気にしなくてもいいよ。


N:そう言いながらも、渋屋はまた、ページを捲る。

  その本に書かれているのは、とある女性の人生、あらゆる個人情報。

  「五十嵐慧子」という女性についての、何もかもが記されている。

  そこから仕入れた情報を、渋屋はそのまま神楽へと伝えていた。

  勿論、図書館云々については何も言わず、ただ知り合いから聞いた、と偽って。

  その行為に、やはり渋屋は、一切の罪悪感を感じてはいなかった。

  少なくとも、自分は友人の為に、情報を提供している。

  それ以外に、横流しは一切していない。

  そうして、自らの行為を、正当化していたのだ。


神楽:ま、とにかく。

   俺は今から、土曜の計画をみっちり練りにかかる!

   その前に、とりあえず報告だけしたかったんだ。


渋屋:そっか。

   まあ、なんて言えばいいのかよく分からないけど、頑張れ。


神楽:おう!

   んじゃな。(電話を切る)


渋屋:……ふぅ。

   これも、有効な活用方法の一つ……なんだよな、たぶん。

   実際、神楽と五十嵐さんは、何だかんだ上手くいってるみたいだし。

夾:くれぐれも、足元を疎かにして、自滅の道へと堕ちないようにね。

渋屋:自滅……ね。

   一世一代の大博打ってわけでもなければ、そう簡単には自滅なんて、しないと思うんだけどな。


N:嘲笑混じりに呟きながらも、ページを捲る手に淀みは無く。

  少なくとも、自分はそうはならないだろう、と、高を括っていたのだ。

  ……だが、この3人を巡る状況は、ある日を境に、思いも寄らない方向へと、転がり始めた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(後日の夜)

渋屋:ん、電話?

​   ……神楽か、もしもし?


神楽:………………


渋屋:……?

   もしもし、神楽? どうした?


神楽:……今、一人か?


渋屋:そうだけど。


神楽:そっか。

   ……渋屋、五十嵐さんの事なんだけどさ。


渋屋:ああ、また何か、情報が欲しいとか?

   それなら……


神楽:ちょっと待て!


渋屋:……なんだよ。


神楽:渋屋、単刀直入に訊くぞ。

   その情報……いや、今までのも含めてだ。

   どっから仕入れたんだよ。


渋屋:え?

   ……だから、友達に聞いて。


神楽:嘘吐くなよ。


渋屋:嘘なんて……


神楽:嘘だろ。


渋屋:………………


神楽:前々から、違和感というか、おかしいとは思ってたんだよ。

   女の子にとことん興味ないお前が、何でこうも、始めは知り合いですらなかった五十嵐さんの情報を、​

   次から次へと、ポンポン寄越せるのかって。


渋屋:……もしかして、何か言われたのか?


神楽:ああ、言われたさ。

   映画観に行った日も、なんとなく歯切れが悪かったけどな。

   決め手になったのは、昨日電話で話してた時だ。

(回想)

五十嵐:ミュージカル?


神楽:そうそう。

   今度、結構有名な劇団が、近所のホールでミュージカルやるんだって。

   五十嵐さんそういうの好きだって聞いたから、よければどうかなーって。


五十嵐:………………


神楽:ん、どうかした?


五十嵐:……誰に、聞いたの?


神楽:へ?


五十嵐:私が、そういうのが好きだって話。

    どこで聞いたの……誰から?


神楽:……え、嫌いだった?


五十嵐:好きだよ、好き……だけど。

    確かに好きだけど……だから、誰から聞いたのって。


神楽:いや、友達の友達、とか。


五十嵐:嘘。


神楽:……五十嵐、さん?


五十嵐:……あんまり、こういう話はしたくなかったんだけど。

    私、元々友達が全然いないし、趣味とか合う人もいないから、

    自分がどういうことが好きなのかとか、そういう話なんて、小さい頃から誰とも話したこと無いの。

    それこそ、親とも話したことがあるかどうか、怪しいくらい。


神楽:う、うん。


五十嵐:最初は、神楽君はそういうのを分かってくれる人なんだ、ってくらいにしか思わなかった。

    でも、誰にも話したことの無いような事すら、知ってることがあることも多くて……

    まるで、何処かからずっと、覗き見ていたんじゃないかって、そう感じてしまう程には。

    ……正直、怖い……とすら。


神楽:……っ。


五十嵐:だから、ちゃんと答えて欲しいの。

    私だって、神楽君は良い人だって、信用していたい気持ちもあるから。

    ……私の事を、私の情報を、どうやってそこまで調べてるのか。

    答えて、神楽君。

(回想終了)

渋屋:………………


神楽:結局、答える事なんて出来なかったよ、俺には。

   ……五十嵐さんが他人に対して、不快感を言葉にするほど露わにするなんて、相当だ。

   出会ってからそんなに経ってないけど、それくらい分かる。

   怖いとしか言われなかったけど、心の中じゃ、殆どストーカー同然だろうな。


渋屋:……ごめん。


神楽:俺は今は、謝罪の言葉が欲しいわけじゃないんだよ。

   ただ、お前がなんで、五十嵐さんの情報を知り尽くしてるのかってのが知りたいだけだ。

   ……責任を、全部お前に押しつけようだなんて思ってない。

   けど、その方法によっちゃあ、俺はお前を責めなきゃならない。

渋屋:……分かったよ、全部話す。

   ……全部。

​N:そうして渋屋は、命の図書館のこと、そこにある本のこと、

​  そして、それらを利用して五十嵐の人生を覗き見ていたこと、その全てを話した。

  電話の向こうの神楽の表情は分からなかったが、そんな現実離れした話を、

  笑い飛ばしもせず、黙って聴いていた。

神楽:要は、その本を使って、五十嵐さんの人生を、覗き見てた……って事か。

渋屋:ああ。

神楽:……分かった。

​   俄かには信じられないような話だけど、今までの出来事全部が、

   それが本当だって事を、証明しちまってるんだもんな。

   ……ああ、よく分かったよ。

渋屋:神楽?

神楽:五十嵐さんの事は、あとはもう、俺が自力で何とかする。

​   だから、もう五十嵐さんに……​

   ……いや、俺達に、関わらないでくれ。

渋屋:え?

神楽:じゃあな。(電話を切る)


渋屋:お、おい、神楽? 神楽!

   ……切れてる……どうしたってんだ?

渋屋:(M)

   この時の僕は訳も分からず、ただよかれと思い、そのまま本を読み進めた。

   だが、日を追って、次第に神楽の言葉の意味を、悟り始める事になる。

   神楽は明らかに、僕を避け始めたのだ。

   連絡を寄越すことも無くなったし、大学で顔を合わせても、話し掛けもしてこない。

   あの本の事を、教えたから?

   それを僕が、喜んで利用しているから?

   最早自分では、何が悪かったのかも分からないのは、

   無自覚のうちに、毒されてしまっていたからなのかも知れない。

   ……そして僕は、本の返却を言い訳にして、図書館へと足を運んだ。

   あの2人なら、何か分かるかも知れない、と、淡い程度の期待を抱いて。

   そこで、思い知った。

   自らの行動の愚かさを。

   自分の行動の、浅はかさを。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夾:愛想を尽かされたわね、それは。


渋屋:……愛想を、尽かされた?

   神楽に?


夾:そうよ。

  まあ、ある意味、当たり前ではあるけどね。


渋屋:……それは、何故?


夾:考えてもみなさいな、いい?

  ある人は、自分の好きな人の事を知りたいと思った。

  でも、奥手な自分には、自分で確かめる勇気が無いから、信用できる友人に任せた。

  だけど、好きな人に不審がられるほどに、その友人は、好きな人の情報を知り尽くしている。

  その情報をどうやって知っていたのかを問い詰めてみれば、得体の知れない何かを利用して、

  覗き見て、悪びれる事も無く、全てを知っていた、と言った。

  ……一連の流れを端的に纏めたら、こんな感じだけど、どう?

  仮に貴方に恋人、若しくはそうなりたい相手がいたとして、友人に同じ事をされたら。

  貴方はそれを、素直に受け入れられるかしら?


渋屋:それは……無理、だな。

   そんな事をされたら、いくら自分が頼んだことだとしても、

   いい気には……ならない。


夾:そう、つまりは、そういうことね。

  貴方は良かれと思ってやっていたみたいだけど、それが他人にとっても、善であるとは限らない。

  尤も、私個人の意見を言わせてもらえば、貴方だけに非がある、とは思わないわよ。

  その神楽という人は……ね、他力本願でありながらそのくせ、自分本位が過ぎるからね。

  何なら、彼を此処に直接連れて来ていた方が、或いは、上手く収まっていたのかも知れない。


渋屋:………………


夾:まあ、全てが手遅れになってから、たらればの話をしても、仕方無いわよね。

  実際、多少パターンは違うけれど、此処の利用の仕方を間違って自滅した人は、星の数程いるもの。

  だからこそ警告したのだけれど、やっぱり貴方も、まんまと同じ穴に嵌まっちゃったみたいね。

  だけど、良かったじゃない?

  嵌まった穴がまだ、奈落行きのモノじゃなくて。  


渋屋:……それでも。

   僕のこの行動で、神楽や五十嵐さんを、傷付けたのは確かなんだ。

   今更、言い逃れは出来ないだろうし、するつもりも無い。


栞:では……どうされますか、これから?


渋屋:……僕はもう、此処の利用は止めておくよ。

   此処は、趣味道楽で楽しむべき物でも、私利私欲の為に利用するべき場所でもない。

   ……喩えるならまるで、人の悪意の寄せ集め、醜悪な欲望の掃き溜めだ。


夾:あら、管理者の私達の前でそれを言う?


渋屋:いいさ。

   どのみち、一度退会したらもう、二度と此処には関われないんだろう?


栞:そうですね。

  一度退会し、こちらに会員証を返却した場合、二度と此処には入れませんし、

  此処に関する記憶も、全て抹消されます。

  そして、仮にもう一度、此処の事を思い出そうとしても、絶対に思い出せませんし、

  万が一、偶然此処に辿り着いたとしても、此処の扉を開けることは出来ません。


渋屋:……それは、そういうものだから?


栞:はい。

  こういうものだから、です。


夾:あとは、そうね。

  二度と此処とは関われない代わりと言ってはなんだけど、利用者の最後の権利として、

  後日貴方の家に、貴方の本を届けてあげることは出来るわよ。

  勿論、それが何なのか、その頃には忘れているでしょうけど。


渋屋:ああ……

   会員である限りは、誰にも読まれることは無い、って言ってたやつね。


夾:そう。

  まあ、それが良いモノなのか、悪いモノなのかは、本人次第だけれどね。

  前にも言った通り、これから何が起こるか分からない人生の全てが分かってしまうわけだから、

  何もかも思い通りに生きられる代わりに、一生で得られる刺激は、一切無くなるわ。

  それでも良ければ、ね。


渋屋:因みに、それを断ったら?


栞:在庫の一つとして、此処の本棚に並べられます。

  そうすることによって、不特定多数の会員の方達の目に触れる事になりますが、

  それが、貴方の人生にどのような影響を与えるのか、私達には分かりかねますし、

  その結果貴方の人生がどうなろうと、私達は責任を負いかねます。

  読むも読まないも、保管するも破棄するも貴方の自由ですから、

  誰の目にも触れさせず、手元に置いておきたいのなら、ご自身で管理されるのが無難かと。


渋屋:……いや、遠慮しておくよ。

   きっと、僕みたいな本の虫は、例え何も覚えていなかったとしても、

   些細な興味本位で、それを読破してしまうだろうから。

   僕の本は、そっちで管理してもらって構わない。

   この会員証も、君達に返す。


栞:はい、確かに。

  では、此処から去られた後、貴方の記憶から、此処に関する全てが抹消されます。

  ご利用、ありがとうございました。

  さようなら、御達者で。


夾:さよなら。


渋屋:ああ……じゃあね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


渋屋:(M)

   ふと、僕は我に返った。

   まるで……そう、長い、とても長い、夢を見ていた気分だ。

   自分が何故此処にいるのか、そもそも何の為に最初、此処へ訪れたのかが、全く覚えていない。

   思い出せないというよりも、最初から記憶の一部にだけ、ぽっかりと穴が空いているかのような。

   そんな違和感、のようなモノ……としか言い表せない、靄の掛かった空白。

   ……そうだ。

   最初は僕は、とある本を探していたんだ。

   昔、何処かの近場の書店でその本を見掛けて、その時は不運にも、持ち合わせが無かった。

   次に見付けたら、絶対に買おうと思っていたんだが、どうにも再び巡り逢うことは叶わず。

   探しあぐねていた所で、この古びた建物を見付けたんだ。

   何とも胡散臭いというか、時代遅れというか……

   だけど、不思議と僕を惹きつける、何かがあった。

   そこで……

   ………………

   ……そこから先が、何も無く、すっぽりと抜け落ちてしまっているんだ。

   ただ、朧気ながらも覚えているのは、神楽に何か、とても悪いことをした、という、曖昧な記憶。

   具体的に何だったのかがどうしても思い出せないが、謝っても謝りきれない、何かを。


渋屋:とりあえず……電話してみるか。

栞:……ねえ、夾。


夾:ん?


栞:それって。


夾:ええ、そうよ。

  あの人の本。


渋屋:……出ない……か。

   留守電だけでも、残しておくか……?

   いや、でも、ろくに覚えてないんじゃな。

   なんで、思い出せないんだろう。

   思い出さなきゃいけないって意識だけは、やたらと強く残ってるのに。

栞:随分、薄いのね。

夾:あら、栞。

​  まだ読んでなかったの?


栞:誰かさんが司書の仕事をさぼってたせいで、読めてません。


夾:あらあら、それは失礼しました。

  ……ま、薄いのは当たり前よ。

  変わり映えもしない、薄っぺらい人生だっていうのもあるけれど、何より……

渋屋:やっぱり何回かけ直しても出ない……か。

   くそっ……なんで一番大事なところだけ思い出せな……

   っ!!?


(突如突っ込んで来たトラックに、大きく撥ね飛ばされる渋屋)

夾:……あの人、今日、死ぬんだもの。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


N:誰も知らない場所に在る、その存在すらも、一部を除いて誰も知り得ない、とある図書館。

  栞と夾は、今日も淡々と、管理者を全うする。

  次なる利用者を、淑やかに迎える為に。

  更なる来訪者を、嫋やかに迎える為に。

  喜びとも、怒りとも、哀しみとも楽しみとも括れぬ灯で、伽藍堂な双眸を、鈍く暈しながら、

  人形めいた、傍観者のように、淡々と、只々、淡々と。


​栞:……はい、返却ですね。

  いつもご利用ありがとうございます。

  それでは、またお好きな本をお選びください。

  ……はい?

  ああ、それでしたら、20番通路右の本棚、15段目の左から139冊目ですね。

  どうぞ、ごゆっくり。


夾:栞。


栞:なに、夾?


夾:気付いてるかしら?


栞:……なにがかしら。


夾:あら、乗ってくれないの?

  冷たいわね。


栞:だって……ねえ。

  わざわざ、確認するまでもないでしょう?


夾:そうね。

  今度は随分と、大所帯みたいだし、ね。

  こういうのもやっぱり、久し振りじゃない?


栞:そうね、久し振りね。


夾:どう思う?


栞:さあ、見てみない事にはね。


夾:まあ、それもそうね。


栞:……楽しみね。

  この人達は、あの人の事、知ってるのかしら。


夾:それはそうよ。

  一部始終を覗き見てたんだし、当然、知っているのでしょう?


栞:……それじゃあ、心配いらないかしら。


夾:どうかしらね。

  前の人みたいに、自覚無しに破滅する人だって、出てくるわよ、きっと。


栞:そういう話する時は嬉しそうね、夾。


夾:さあ、なんの事かしら。


栞:それよりほら、お客様がお待ちかねよ。


夾:ああ、そうね。

  ……それじゃあ、改めまして。


栞:(同時に)ようこそ、命の図書館へ。


夾:(同時に)ようこそ、命の図書館へ。


​N:暗闇が支配する中、けたたましく鳴り響く、柱時計の重苦しい鐘の音。

  零時を告げるその声が止んだ時、少女達はそっと微笑んだ。

  その笑みが意味するものは、まだ誰も、知る由も無い。


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