FALL

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(役表)

A♂:

B♀:

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A:退屈な、ひどく退屈な毎日だった。

  同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗って、同じようにもみくちゃにされて、

  同じ時間に学校に着き、同じような授業を受けて、同じ時間に帰宅する。

  毎日毎日、ただそれだけの繰り返し。

  「灰色の人生」という言葉はまさに、こんな時に使うのだろう……と、しみじみ思う。

  ……呆れ返るほどに、虚無感で満ち溢れる日々。

  これならいっそ、死んでみた方が、少しはマシになるんじゃないか。

  そんな事を考えていた、早朝の電車の中。

  この日は何だか、妙に目が冴えていて、外は仄暗い空に覆われていた。

  こんなに早い電車に乗っていたって、何の意味も無いのに。

  ……そんな時、いつも通りの気怠い体と、いつも通りな慵げな頭に、唐突に衝突した言葉。

  なんてことのないその一言で、灰色の世界に一色、光が灯った気がした。 


B:おはよ。


A:……え?


B:いや、え? じゃなくてさ。

  こっちが「おはよ」って言ってるんだから、挨拶くらい返してよ。


A:え、あ、あぁ、ごめん。

  お、おはよう。


B:ん、よろしい。

  ダメだよー、朝は元気よくなきゃ。


A:……キミ、さ。


B:ん、なに?


A:どこかで会ったこと、あったっけ?


B:無いよ。


A:だよね。


B:うん、無いよ、今日が初対面。


A:なのに、なんで……


B:あ、違うか。


A:え?


B:正確にはね、毎日会ってるはずなの。

  ほら、同じ学校の制服でしょ?


A:……言われてみれば。

  まあでも、同じクラスってわけでもないし、面と向かって会うのは、今日が初めてかな。

  私、いつもこの時間の電車で通ってるからさ。


A:なんでまた。


B:こんな早い時間にって?


A:そう。


B:そうだねー……

  単純に、家が遠いからっていうのもあるんだけど。

  私、この空間が好きなんだよね。


A:この空間?


B:そう。

  公共の交通機関のはずなのに、自分以外に誰もいない、この空間が好きなんだ。

  まるで、自分一人しか世界にいないような錯覚に陥って、

  なんていうのかな……特別な感じがするんだよね。


A:今日は、僕がいるけど。


B:うん、だから珍しいなーって思って、つい声をかけたの。


A:珍しい?

  確かに、こんな時間にこの電車に乗る人なんて、そうは……


B:……んー、違うな。


A:なにが?


B:私が、アナタに話しかけた理由。

  私がアナタに興味を持ったからっていうのもあるけど、それ以上にね。

  誰かに声をかけてもらいたそうな、そんな感じがしたから。


A:……そう、かな。


B:あくまで直感ね、違ってたらごめん。

  ただ、何となく、そんなように見えただけ。


A:……いや、正解。


B:え?


A:誰かの声が欲しかった、……かも、しれない。


B:……そっか、よかった。


A:また、会えるかな。


B:え、なに?


A:……いや、なんでもない。


B:あ、着いたみたい。


A:ああ。


B:……この時間なら。


A:え?


B:この時間なら、きっと居ると思うよ。

  いつもじゃないけど……きっと、ね。


A:……そっか。


B:うん。


A:降りないの?


B:こんなに早く行ったって、する事も無いでしょ。

  私、余計な寄り道するのも好きなの。


A:変なの。


B:よく言われる。


A:……それじゃ、また。


B:うん、またね。


A:(M)

  この時の僕達は、まだ知らなかった。

  「また」。

  この言葉が、僕達が思っている以上に特別で、有り触れない物であった事を。

  この一言が無ければ、きっと僕達は、二度と出会っていなかったのだろう。

  この一言が有ったから、きっと僕達は、何度も会えているのだろう。

  この一言を、出会いの頭語に。

  この一言を、別れ際の結語に。

  この一言をきっかけにして、僕は初めて……

  恋に、落ちていった。


(間)


A:キミって、さ。


B:ん?


A:毎日この時間の電車に乗ってるの?


B:んー、流石に毎日とまでは言わないけど……

  どうして?


A:なんか、気になってさ。

  なんでわざわざ、こんな早い時間の電車に乗ってるのかなって。


B:今更じゃない?


A:そうでもないよ、初めて聞くんだから。


B:うーん、改めて聞かれるとなー……

  でも、それを言ったらアナタだって、何だかんだでよく乗ってるじゃない?


A:僕だって、いつもでは無いよ、時々。

  それに、僕はちゃんと理由が有って乗ってるから。


B:理由って、どんな?


A:……それは……


B:それは?


A:秘密。


B:えー、なんでー。


A:なんでも。


B:それじゃあ、私も秘密。


A:なんでだよ。


B:なんでもー。

  ……それに、聞いたってきっと、つまんないから。


A:どういうこと?


B:なんでもない。

  それよりほら、そろそろ着くみたいだよ。

  準備しなきゃ。


A:キミは、今日もまた寄り道?


B:まあねー。


A:よく飽きないな。


B:日課みたいなものだから。


A:日課……ねえ、変なの。


B:前も言われた、それ。


A:何度でも言ってやるさ。

  ……たまには……


B:たまには?


A:……いや、なんでもない。


B:なにそれー、さっきから変なの。


A:いいだろ、別に。

  なんでもないったら、なんでもないんだ。


B:ふうん。


A:……ところで、さ。


B:なに?


A:これも今更なんだけど、キミって、何年何組なんだ?


B:……あはは、本当に今更だね。


A:だから言ったろ。


B:……そうだなぁ、秘密。


A:そこは、別に秘密にしなくてもいい所だろ。


B:いいのいいの。

B:ほら、早く降りなきゃ、ほらほら。


A:……なんか釈然としないな。

  それじゃ、また。


B:うん……またね。


A:(M)

  歯切れの悪い相槌。

  併せて、質問を聞いた瞬間の、彼女の表情。

  何か……聞いてはいけない事を、聞いてしまったような気がする。

  彼女は何も言いはしなかったが、直感的にそれが、理解出来た。

  何故、どうして、何があって。

  背徳的な好奇心が、罪悪感とは別の場所で蠢く。

  ……そして、その真意を知るまでに、時間はそれほど必要としなかった。

  彼女の顔も、名前も、影も形も、存在すらも。

  学校のどこを探しても、誰に聞いても皆、彼女という人間を知らなかったからだ。


(間)


B:……知っちゃったんだ。


A:……ごめん。


B:別に、謝るような事じゃないよ。

  でも、出来れば……知られたく、なかったな。


A:なにがあったのか、聞いてもいい?


B:後悔しない?


A:しない。


B:聞いたらきっと、嫌な気分になるよ。

  聞かなきゃよかった、って、思うかもしれない。


A:構わない。

  キミが嫌じゃなければ、話してくれ。

  それで、少しでもキミの気が晴れるなら、尚更。


B:……優しいね。


A:お節介焼きなだけだよ。

  加えて、知りたがり。


B:それでも、ありがと。

  ……どこから、話したらいいかな。


A:どこからでも。


B:……じゃあ、先に、結論から言うね。

  私、学校辞めてるの。

  入学して、1ヶ月もしないうちに。

  だから、みんなが私の顔も名前も知らないのも、無理無いことだと思うよ。

  その1ヶ月すら、ほとんど登校してなかったんだから。


A:どうして……


B:まあ、平たく言っちゃえば、家庭の事情ってやつ。

  お父さんが、私が生まれた頃から、ずっと無職でね。

  そのせいで、私の両親は、ずっと不仲で。

  最近になって、ますますそれに拍車が掛かって来てて、凄く居心地が悪かったんだ。


A:……もしかして、あんな早い電車に乗ってたのって。


B:うん。

  少しでも、家にいる時間を短くしたかったから。


A:それじゃあ、なんで制服を着たりしてたんだ?

  ……僕に、嘘を吐いてまで。


B:それは……

  少しでも、気分を味わいたかったから……かな。

  やっぱり、そう簡単に諦められないし、羨ましかったから。

  今更だけど、ごめんね、騙してたみたいで。


A:……別に、いいさ。

  キミが悪いわけでもないし、僕は責める気も無い。


B:ありがと。

  ……でも、なんか複雑でしょ。

  こんなこと、聞いちゃって。


A:まあ……正直、ね。


B:だよね。

  ……だけど、大丈夫だよ。

  もう、離婚する事も決まって、ある意味、家の中も落ち着いて来てるから。

  あとは、私の気持ち次第って感じ。


A:……そっか。


B:だから、この話はもう、忘れて。

  そして、今まで通りで接して。

  そうすれば、明日からまた、何事も無く、何気ない関係でいられるから。


A:……何気ない関係。


B:そう。

  それが一番、気楽でしょ?

  お互いに、さ。


A:……ああ、そうだね。

  そうするよ。


B:ん、よかった。

  ……それじゃ、また今度。


A:ああ、また。


A:(M)

  「何事も無く」。

  「何気なく」。

  「また」。

  この言葉達は、こんなにも簡単で、こんなにも、残酷なモノだっただろうか。

  彼女が作った、僕と彼女を隔てる、不可視の壁。

  この壁はきっと、僕が思っている以上に、とても頑丈で、

  けれど、彼女が思っている以上に、酷く脆い。

  それを察してしまったが故に、僕は、この壁を越える第一歩を、踏み出せなかった。

  ……だが、もしかしたら彼女は、それを望んでいたのだろうか。

  その疑念が確信に歩み寄る程に、彼女はゆっくりと、遠のいて行った。

  ……そして、僕がそれを追い、彼女が歩を止めた時。

  僕と彼女が立っている場所は、同じ。

  いつもは通過しているはずの、名も知らぬ駅のホーム。

  分厚い雲と、屋根で翳る二人の場所は、これまでのどんな時よりも、灰色だった。 


(間)


B:久し振り。


A:……ああ、久し振り。


B:いつ以来だっけ。


A:分からない。

  ……きっと、大した程じゃないけど、酷く懐かしさすら感じるよ。


B:……私も。

  正直、こうしてアナタが目の前に来るまで、誰だか気付けなかったもの。


A:それくらいの事が、あったんだろ。


B:……聞いて、くれる?


A:キミが、それを望むなら。


B:……私の両親が離婚するって話、前にしたよね。

  それで、離れ離れになる以上、当然、私はどっちかに付いていかなくちゃいけない。

  それでも、遥かに気楽だと思った。

  お母さんとお父さんが、同じ空間に居さえしなければ、きっとそれが、平和なんだって。

  私が望んだ、平穏な日常ってものなんだって。

  そう信じてた。

  信じて、疑わなかった。

  ……だけど、違った。

  何もかもが、私の望んだモノにはならなかったの。


A:……なんで。


B:「お前は邪魔だ。

   やっと別れてせいせいするってのに、お前が付いてくるなんて冗談じゃない」。

  それが、お父さんに言われた言葉。

  「あんたは疫病神だ。

   あんたさえ居なければ、私達は幸せでいられた。

   あんたが生まれてきたせいだ」。

  これが、お母さんに言われた言葉。


A:………………


B:ああ、そうなんだ。

  結局、そういう事だったんだって。

  私は全部を悟ってしまったけど、全部を理解したくなかった。

  現実から逃れたかっただけなのに、抜け出した先も、こんなだなんて。

  あんまりじゃない。

  ……私は、普通に生きたかっただけなのに。

  何気ない生活に、憧れていただけだったのに。

  ただ生まれてきただけで、疎まれる存在だったなんて、気付きたくなかった。

  思い知らされたくなかった!

  ……だけどもう、アナタと会えない間に、嫌というほど、突きつけられたの。

  私がいない世界が、こんなにも。


A:言うな!


B:………………


A:それ以上言うな。

  ……それより先は、口に出したらいけない。

  それ以上は、何も……!


B:……どうして。


A:誰かの存在価値なんて、誰かが決める物じゃないだろ!

  普通に生きたいのなら、生きればいいじゃないか!

  何気ない生活に憧れていたのなら、何気ない生活を送ればいいじゃないか!

  キミは自分で、こう言っただろ!

  僕との関係は何事もなく、何気ない関係だって、そう言っただろ!

  あの言葉は嘘か!

  僕の存在は結局、キミの世界では、何の価値も無かったのか!!


B:……そう言うアナタも、どこかでこう思ってたでしょう?

  「何気ない」なんて簡単な言葉ほど、こんな時には、何よりも残酷な言葉だって。


A:……ッ……!


B:ね?


A:それは……だけど……!


B:……ありがとう。

  アナタに出会わなかったら、私はきっと、もっと早くこうしてた。

  ううん、こうする前に、アナタと出会ってしまったから、今、余計に苦しいのかも。

  ……あはは。

  そう考えたら、アナタには感謝するべきなのか、恨むべきなのか分かんないね。


A:……なにを……


B:でも、ね。

  アナタと出会えたから、少なくとも私の世界には、色が芽生えた。

  ずっと灰色だと思ってた日常に、色が増えていく感じがした。

  ……アナタと出会えて、良かった。

  これだけは、本当にそう思ってる。


A:それなら!


B:だけど。

  ……これ以上は、もうやめて。

  私の中でアナタが特別な存在になる前に。

  私の心に、躊躇いが生まれてしまう前に。

  せめて最後まで、アナタだけは……

  ううん、キミだけは。

  今まで通りでいて。

  何事も無く、何気ないだけの関係のキミで。


A:……そんな事、出来るはずないだろ……

  僕は……キミが……!


B:お願い。

  これが、最初で最後の、私の我儘だから。

  ……そして願えるなら、今だけは。

  私を見ずに、送り出して。

  今まで通り、これまでと同じように、

  「またね」って。


A:(M)

  そう言って、彼女は、僕の前から去っていった。

  何事も無かったかのように。

  何気も無く、何の躊躇いも無く。

  灰色に満ちていた空虚なホームも、嘗て彩りを取り戻しつつあった、僕の世界も。

  彼女が無造作に撒き散らした、ただ一色に塗れ、元の色を忘れていった。

  偶然にも、僕と彼女が初めて出会った時間と、寸刻変わらない、この瞬間に。


  「また」。

  この一言を遺して、彼女は……

  こいに、おちていった。


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