100回目のハローワールド

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

A♂:

B♀:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


B:おはよう。


A:……おはよう。


B:やっと起きた。

  どう、気分は。


A:……良くはない、かな。


B:じゃあ、悪くもない。


A:いや……

  そういう訳でもなくて……


B:まだ、眠っていたい?


A:……いや、違う。


B:どれくらい、眠っていたのだろう、とか?


A:……それもある、けど。


B:まだ、夢の中にいるんじゃないか、そんな気分でいる。

  若しくは、そうでありたい、という願望が、湧いてきている。


A:………………


B:此処が何処なのか、私が誰なのか、今は何時何分なのか、

  何故、何時から、何が如何なって、今こうなっているのか。


A:……いや……ああ。


B:諸々含めて……ねえ。

  何から訊いたらいいか、分からない。


B:そんなところじゃあない?


A:……ああ、その通り。

  まさに、今君が言った、そのままの通りだよ。

  ……何者なのかは、知らないが。


B:まあ、そうよね。

  あなたはこの時、いつもそうだもの。

  何度繰り返しても、何度目覚めても、いつもそう。


A:いつも?


B:ほら、憶えていないでしょう?

  此処が何処なのかも、私が誰なのかも、この「世界」の事も、何もかも。


A:憶えていないも何も……


B:「知らないことを、憶えているも何も無い」。

  そう言いたいのでしょう?


A:……ああ、そうだよ。


B:そして、次の質問は、

  「なんでさっきから、自分の考えている事が分かるんだ」。

  そう考えているのでしょう。

  違う?


A:……その通りだよ。


A:何故、君はそんなにも……


B:何故、だと思う?


A:何を訊くか分かっているのなら、質問を質問で返さないでくれよ。


B:……そうね、ごめんなさい。

  何度も繰り返す内に、無意識に意地悪になっているみたい。

  それじゃあ、単刀直入に、教えてあげる。

  これが、99回目だからよ。


A:……99回目?


B:そう、99回目。

  この世界であなたが目覚めて、私があなたと話をして、こんな遣り取りをする。

  私とあなた、という存在が創り出されてから、今に至るまで。

  同じようなことを、何度も何度も、何度も何度も何度も、繰り返しているのよ。

  そして、前回が98回目、今回で99回目。

  次でちょうど、100回目。


A:……駄目だ。


B:何が?


A:言っている意味が、さっぱり分からない。


B:分かってる。

  今の段階であなたが理解したことは、98回の内、一度たりとも無いから。

  そして、残念ながら……99回目も、駄目だったみたいね。


A:だいたい、僕は……

  ……僕は……いや、俺は……?

  私……は、いや……あれ……?


B:……まだ、記憶が混在しているのね。

  無理も無いわ、目醒めたばかりだもの。

  でも直に、少しずつでも思い出す。

  何もかも、全てを……ね。


A:……君の口からは、何も教えてもらえないのか。


B:理解が得られないもの。

  仮に、この「世界」の有りの侭を今のあなたに話したとしても、

  あなたの混乱に、拍車をかけるだけだわ。


A:……だとしても。

  このまま何も知らず、何も分からないまま、こんな場所で過ごすのは、只の拷問だ。

  何も見えない、何も匂わない。

  何も感じない、何にも触れられない。

  ……君以外の、何も聞こえない。

  まして、自分が何者なのかすら……曖昧。

  こんな世界があっていいものか。

  自分の眼が、開いているかどうかすら、分からないなんて。

  こんな、到底受け入れ難い状況に、容易く対応出来る程、器用に出来てはいないんだ。


B:……そうね。

  あなたでなくても、誰であっても。

  私ですらきっと、同じ立場なら、同じ事を言うわ。


A:そうだろうさ。

  だからこそだ。

  話してくれ、教えてくれ。

  君にとっては99回目なのかも知れないが、少なくとも、今の僕にとっては1回目だ。

  全てでなくてもいい……いや、一片程度でも構わない。

  無知なんてものは、死にも勝る恐怖でしかないんだ。


B:……死にも勝る。

  この場においては、可笑しな言葉ね。


A:何が?


B:こちらの話。

  ……いいわ、そこまで言うのなら。

  話してあげる、教えてあげる。

  私が知り得る事、全てを。

  ただし、条件が、1つだけ。

  それさえ飲むなら、私の口から、全てを話してあげる。

  99回目の邂逅に、99回目のお話だけれども、ね。


A:……条件とは、なんだ。


B:私の言葉は、全て真実。

  嘘偽りは、一縷として存在しない。

  それを大前提として、私の言葉を聴いて。

  私は、真実しか語らない。

  こんな世界のこんな状況で、真実を騙るなんて、馬鹿馬鹿しいもの。

  ……まあ、信じるか疑うのかはあなたの勝手だけれど……ね。


A:……分かった、信じるよ。


B:本当ね?


A:ああ。


B:よろしい。

  それじゃあ、何から知りたいか、あなたから訊いて。


A:なんでもいいのか?


B:ええ、なんでもいいわ。


A:それじゃあ……

  まず、此処は何処なんだ。

  何よりも先に、それを知りたい。


B:此処、というのは、この一帯の空間において?

  それとも、この「世界」の、全てにおいて?


A:……この空間と、「世界」とで違いがあるのなら、その両方において、だよ。


B:そうね……

  一言で表すなら、「無」。

  或いは、「ゼロ」と表現したほうがいいかしら。


A:どういうことだ?


B:どういうことも何も、そのままの意味よ。

  何も存在せず、何も生まれず、何も消える事も無い。

  「零」ではなく、「ゼロ」。

  「終末」。

  「帰結点」。

  表現の仕方はお好きに。


A:……もう少し、簡潔に頼むよ。


B:あなたはさっき、自分で言ったでしょう?

  何も見えない、何も匂わない。

  何も感じない、何にも触れられない。

  そして、私以外の、何の音も聞こえないって。

  それはそうだわ。

  今この空間において……いいえ、この「世界」において。

  私とあなた以外、ありとあらゆる存在の、概念すらも、消えてしまっているのだから。


A:話が、突拍子過ぎる。


B:それは、まだあなたが、余計な魂の残滓を引き摺っているからよ。

  それが無くなれば、自ずと理解できる筈よ。

  元々あなたは、私と同じモノなのだから。


A:同じモノ?


B:そう、同じモノ。

  あなたと私は同じモノだけれど、それ以外は全て、違うモノ。

  そういう風に出来ているのよ。

  生まれた時から、私達は、ね。


A:それなら……君は、一体誰なんだ。

  いや、何者なんだ、と訊いた方が適切か?


B:どうかしらね。

  今の私は、誰でもなければ、何者でもないから。

  器が無い限り、私は私であり、僕であり、俺であり、

  やっぱり、誰でもないのだもの。

  ……少なくとも、今は、私だけれど、ね。


A:それは、僕も同じく、か?


B:そうよ。

  偶々、あなたの最後の器がそうだったように、

  偶々、私の最後の器が「私」だったから、今の私は、「私」として在るだけ。

  ……まあそれも、時と共に、消えていくけれど。


A:消えていく?

  ……さっきから言っているが、抑も、器とは何なんだ。

  僕達は、僕達じゃないのか?


B:いつかまではね。

  だから、今においては「だった」、が正解よ。


A:……やっぱり。


B:やっぱり、理解が追い付かない?


A:ああ、申し訳ないけどね。


B:何故かしらね。

  私は、何度繰り返しても、はっきりと憶えているし、理解も出来ているのに。


A:……すまない。


B:謝らないで。

  99回も繰り返せば、慣れもするものだわ。


A:そういうものか。


B:そういうものよ。

  ……そうね、一言で「器」と言っても、あくまでもそれは、私がそう呼んでいるだけで、

  概念としては、もしかしたら少し、間違っているかもしれないわ。

  それでもいい?


A:他に正解の探しようが無いのなら、今在る物が正解でいい。


B:あっさりしてるのね。


A:恐らく、君ほどではないさ。


B:……輪廻転生、って言葉、知ってるでしょ?


A:命が何度尽きようとも、輪を廻る様に生を転じて、また違う命として生きる。

  そんな教えだったかな。


B:解釈は人それぞれ。

  生まれ変わり、又は、死に変わり。

  命は廻り続け、魂は、あの世とこの世を廻り続ける。

  簡単に言うなら、そんなところね。


A:一応、知ってはいるが。

  それが何か、関係が?


B:万物の事象において、「永遠」などという概念は、ほぼ例外なく存在しないのよ。

  肉体と比べれば永劫に近しいモノであれ、魂といえども、孰れは摩耗し、朽ち果て、寂滅する。

  それは最早、死ですらなく、文字通りの消除そのもの。


A:魂も、輪廻を繰り返す内に磨り減り、最後には消え去ると?


B:ええ。


A:まさか……


B:猜疑心が沸いてきた?


A:……まあ、正直今に始まった事じゃないけれどね。

  その話が本当なら、魂がまるで、消しゴムだ。


B:でも、あなたは信じるしかない。


A:……ああ、そうだな。

  信じる以外の選択肢は、用意されていない。

  いくら君の言葉を疑えど、現に、自分が置かれているこの状況がまさに、その成れの果てだと。

  嫌でも本能的に、理解せざるを得ないからだ。


B:そう。


A:だから、「ゼロ」か。


B:そういうこと。

  全てが生まれ、育ち、繁栄し、息絶えて、受け継いでいく。

  美しき生命と魂魄の逓伝、その終末点が、此処。

  いえ、今の私達そのもの。


A:それじゃあ、僕達は憶えていないだけで、輪廻転生を繰り返してきた、ということなのか。


B:22京6475兆9931億7628万1110回。


A:……なんだ、それは。


B:98回目の世界が、始まってから終わるまでに、私が生まれ変わり死に変わりした数よ。

  今回の世界は、随分と早く滅びてしまったから、あなたもきっと、それくらいじゃないかしら。


A:……早い遅いの基準が分からないよ、僕には。


B:そう?

  明確な共通の基準じゃない、数字という名辞は。

  今までで一番長かったのはたぶん、57回目の世界かしらね。

  なにせ、134溝2543穣6660抒5852垓……


A:分かった分かった。


B:なによ。


A:それほど、君が途方も無いくらいに生き続けているのは、よく分かったよ。


B:生きているわけじゃないわよ。

  器に入り損ねている一つの魂魄が、「在る」、というだけ。

  無論、今のあなたもそう。


A:だろうね。


B:だいぶ、分かってきたみたいね。


A:これだけ君の話を聞いていればね。


B:それでも、これだけ話をしても、あなたは次また逢う時には、忘れているのよ。

  嫌になっちゃう。


A:……妙だな。


B:何が?


A:永劫に近しいモノであれど、魂といえども、永遠に在り続ける事は出来ない。

  そう言ったな。


B:言ったわ。


A:……君は、いや。

  君という魂は、と言った方がいいか。

  生まれ変わりは、していないのか?


B:おかしな事を訊くのね。

  魂は肉体の代替が出来るけれど、魂は容れ物ではないわ。

  死んでしまった肉体から、新たに生まれる肉体に、

  魂が遷り変ることを「生まれ変わる」、と表現するだけで、

  魂自体に、生まれ変わりなんて概念は、存在する筈もない。


A:それなら、尚更不可思議だ。


B:だから、何が?


A:君が魂の一つでしか無いのなら、君の理屈なら、摩耗し、消えてしまう筈だろう。

  なのに、99回もの世界の終焉を、知っているのだろう。

  それが年月として、幾星霜になるかは見当も付かないが、

  明らかに、永遠に近く在り続けている事になってしまう。


B:……私は、こうも言ったわよ。

  「永遠」などという概念は、「ほぼ」例外なく存在しない、って。

  そして、それよりも前に、こうも言った。

  あなたと私は同じモノだけれど、それ以外は全て、違うモノ。


A:それじゃあ。


B:そう。


B:私達は、何度世界が生まれ消え逝こうとも、

  夥しい数の魂が、溢れ、摩り消えていこうとも。

  その濁流の中に揉まれながらも、最後の最後の最後には、

  こうして宿存し続け、また新たな世界の始まりを、そして、その終わりをも待つだけ。

  そういう存在で、それだけのモノなのよ。


A:……そんな……


B:信じられないでしょうね。

  けれど、念を押した通り、私は真実しか語る気は無いし、真実を騙る気も無いの。

  全て、真実なのよ。

  あなたが信じたくなくてもね。


A:……いや、そうでなく。


B:打ち拉がれる気持ちは、よく分かるわ。

  私も、この歯車の仕組みに気付いた時には、黯然としたものだもの。

  けれど、諦観してしまえば、気楽なものよ?


A:違う、そうでもなく。


B:じゃあ、何?


A:……すまない。


B:どうして、謝るの?


A:それくらいの間、僕は君に何度も、寂しい思いをさせてきたんだな。


B:……蕭索とした思いにはもう、倦んでいるのよ。

  飽きたと言ってもいい。

  今更よ。

  私はもう、どうも思っていないもの。

  抑も、此処にはもう、感情なんて概念すら無いのよ。

  そんな無意味な話……


A:嘘だな。


B:え?


A:感情という概念すら無いのなら、寂しいなんて感じない。

  何より、君の言霊にここまで、喜々とした情動も、感じる事は出来ないだろう。

  さっきまで何も分かっていなかった僕でも、それくらいは分かる。


B:………………


A:次が100回目、なんだったっけ?


B:……そうよ。


A:それなら、今度は100回、僕が待つ番だ。


B:え?


A:これからこの世界で君が目覚めて、君が僕と話をして、こんな遣り取りをする。

  君と僕という存在が創り出されてから、同じ時に至るまで。

  同じようなことを、何度も何度も、何度も何度も何度も繰り返そう。

  次が100回目なら、その次は、199回目まで。

  200回目からは、また交代だ。


B:……意味が分からないわ。

  だいたい、あなたはこの99回までの間、ただの一度も、私の事を憶えていなかったじゃない。

  そんなあなたから、そんな事言われたって、信じられないわ。

  きっとまた、100回目も忘れてる。


A:そんな事にはならない。


B:嘘よ。


A:嘘じゃない。


B:なんで、断言できるの?


A:98回目までの僕が、こんな事を言ったことは?


B:……無い……けど。


A:それなら、根拠はそれだけで充分だ。

  これだけ言って、それでも駄目だった時は、

  そんな僕の事などは、捨て置いてくれて構わない。


B:それは、無理よ。


A:何故?


B:……飽きはせども、慣れはしないもの。

  億万劫と繰り返しても、やっぱり、孤独は嫌だわ。


A:嘘吐きだな。


B:意地悪よりマシでしょう。


A:始めに意地悪したのは君だろう?


B:今のあなたに比べたら、可愛いものだわ。


A:そういうものか。


B:そういうものよ。


B:……ああ、もう来た。

  なんだか、あっという間に感じたわ。


A:来たって、何が?


B:100回目の、世界の始まりが、よ。

  すぐに、世界の第一子、最初の器が生まれるわ。


A:ああ……成程。


B:……それにしても……


A:どうかした?


B:私は私で、あなたはあなたのままだったわね、結局。


A:ああ、結局、僕は僕だったな。

  時と共に、消える筈じゃなかったのか?


B:今までは、そうだったのよ。


A:それじゃあ、何かをきっかけにして、個性でも生まれたんじゃあないか。


B:……魂に個性?

  梼昧を通り越して、痛快だわ、そんな与太話。


A:否定は出来ないだろ。


B:否定が出来ないだけよ。

  ……ほら、それより、器がお待ちかねよ。

  器は魂が入らなければ、生まれる事すら出来ないのだから。


A:君がいくかい?


B:いいえ、あなたからどうぞ。

  99回目までは、私からだったもの。


A:そうか、それなら仕方ない。

  それじゃあ、先にいって待ってるよ。


B:ええ。

  まあ、世界の何処かで出逢ったとしても、この「世界」での事も、私の事も。

  憶えてはいないでしょうけどね。


A:100回目なら、何かが起こる気がしているよ。


B:はいはい。

  分かったから、早くいってらっしゃい。


A:ああ、いってきます。

  また、世界で。


B:ええ。

  ……またね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


A:おはよう。


B:……おはよう。

  今、何時?


A:もう昼過ぎだよ。

  珍しいな、いつも早起きなのに、寝坊なんて。


B:んー……目覚まし掛けなかったからかな……


A:はは、そうか。

  まあ、たまの休みには、それもいいだろ。

  疲れは溜めないようにしないと。


B:そうね……

  ……なんかね、いつも以上にたっぷり寝たからか、変わった夢を見たの。


A:へえ、どんな?


B:アダムとイヴ……みたいな話?

  小さい頃から、同じようなのを何回か見てるんだけどね。


A:アダムとイヴ……なんでまた?


B:よく分かんない。

B:でも、夢なのに夢じゃないような、そんな感じなのよ。

B:妙にリアルっていうか、他人事とは思えない、っていうか。


A:あー……

  でもなんか、言われてみれば僕も、そんなような夢、ちょくちょく見てる気がするなあ。

  あんまり夢とか気にしないから、憶えてなかったけど。


B:どんな?


A:……よく、分かんないな。

  でも、なんか夢の最後で、一言言ってるのは、はっきり憶えてるんだ。

  合言葉とか、なんとか言って。


B:あ、それ私も。


A:……同じ夢、かな。


B:同じ夢、かも。


A:せーので言ってみるか。


B:う、うん。


A:……せーの。


A:おはよう、世界。


B:おはよう、世界。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━