白狐の夢

(登場人物)

・泰作(たいさく):♂

村医者。

正義感が強いが不器用。


・士郎(しろう):♂

百姓。

誰に対しても分け隔てなく接する穏やかな人物。


・白狐(ハク):♀

心で会話する術と人に化ける術を持つ、白い狐の妖怪。

罠にかかっていたところを士郎に拾われ、恩返しをしようとする。


・薬屋:♂

村の薬屋。

妖怪が大嫌いで、体躯が立派。


・N(ナレーション):不問

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(役表)

泰作:

士郎/薬屋:

白狐(ハク):

N:

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N:昔々、ある村の近辺で妖怪が跋扈し、人間に日々悪行を働いていた。

​  村人達は度重なる被害に憤りを隠せずにいたが、神出鬼没な妖怪達に対抗し得る手段は無く、

  業を煮やす毎日を送っていた。

  そんな中、楽観的な村人・士郎と、村で唯一の医者・泰作の二人は、山菜採りに村はずれの山中を歩いていた。

  その山が、妖怪達の温床……巣窟である事を知りながら。


泰作:士郎さん、そろそろ戻りませんか。​


士郎:ん?

   おお、もうそんな時間か。

   陽が沈んでは、帰り道も分からんくなってしまうしな。


​泰作:問題はそこじゃありませんよ。

   士郎さんだって知っているでしょう?

   ここら一帯は、妖怪達の塒なんですよ。

   今でこそ大人しくしているようですが、陽が沈もうものなら、途端に何をしてくることやら……


士郎:ははは。

   なあに、命までは取られまいよ。


泰作:士郎さんは楽観的過ぎるんですよ……

N:泰作が溜息混じりにそう吐き捨てた時、前を歩いていた士郎が足を止めた。

泰作:……?

   士郎さん、どうかしましたか?


士郎:ん……いや、気のせいかも知れんがな。

   微かに泣き声のようなものが……


​泰作:泣き声?

   ……いえ、僕には特に何も聴こえませんが……


​白狐:(助けて……)


士郎:……いや、やはり気のせいではないな。

   ちょっと行ってみよう。


泰作:ちょ、ちょっと士郎さん!?

   危険ですよ、妖怪の類だったらどうするんですか!


N:泰作の制止も聞かずに、士郎は早足で雑木林の奥へ奥へと入っていく。

​  陽も傾き始め、徐々に翳りを増していく情景に、泰作は少なからず不気味さを感じていた。

​  そして、生い茂る草々を掻き分け、漸く士郎に追い付くと、士郎はしゃがみ込んで何かをしているようだった。

泰作:士郎さん?

   そこで一体何をしてるんです。


​士郎:いやなに、ちょっとな。

​   誰が仕掛けたものかは分からんが、トラバサミにこいつがかかっていたから、外してやってるんだよ。

   ……よしよし、良い子だ、そのまま暴れてくれるなよ。

   よっ……と。

   よぉし、外れた。


泰作:(M)

   ……なんだ……こいつは。


N:泰作は、心底訝しい心持ちで、トラバサミから解放された「それ」を見る。

  ……ただの獣では、断じてない。

​  そこにいる「それ」は、不気味なほどに美しい、純白の毛色をした一匹の狐だった。

​  トラバサミにかかっていた脚には血が滲んでいたが、そこまで傷は深くないようだった。


白狐:(助けて頂いてありがとうございます……!

​    なんとお礼を申し上げたら良いか……)


​士郎:なぁに、例には及ばんよ。


​泰作:……士郎さん、誰と話してるんですか?


士郎:誰って、目の前にいるコイツではないか。

   お前には声が聞こえていないのか?


白狐:(私の声が聴こえる人に出逢えたのは何年振りでしょうか……

​    あの、もし良ければ是非とも恩返しをさせて下さいませんか)


​士郎:俺はただの道すがらの貧乏百姓だぞ、関わってもお主に得はあるまいよ。


​泰作:……さっさと帰りましょう、士郎さん。

​   真っ白な毛並みに人語を解する狐なんて、妖怪に相違無いですよ。


白狐:(それでも、どんな形でも御恩は返さなければ私の気が済まないのです。

    どうか、私を連れて行ってはくれませんか)


士郎:むう……

   そこまで言われては容易く足蹴にするわけにもいくまいな……

​   ……ふ、仕方ない、特別だぞ。


​白狐:(っはい、あ、ありがとうございます!)


​泰作:士郎さん?

   まさか、連れて帰るおつもりですか!


​士郎:なんだ、なにか問題でもあるのか?


​泰作:大有りですよ!

   今、僕達の村の中で妖怪がどれだけ忌み嫌われてるかご存知でしょう?

   そいつが疎まれるだけならいいですが、その矛先が士郎さんに向かないとも限らないんですよ!?


​士郎:はは。

   それなら、「こいつはただの珍しい獣だ」とでもはぐらかしておけば良かろう?


泰作:それで済むほど物事は簡単じゃないんですよ!


白狐:(……あの……やはりご迷惑でしょうか…?)


士郎:なに、気にするな。

   こいつは少々、神経質な所があるだけだからな。


泰作:……っ!

   僕はもう警告しましたからね。 どうなっても知りませんよ!

N:それ以上何も言えず、泰作は乱暴な足取りでさっさと歩き出す。

​  それに笑いながらついて行く士郎と、その腕に抱えられる白狐。

​  こうして、この二人と一匹の物語は、幕を開けたのである。

​―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

泰作:へえ、随分元気になったもんですね。


​士郎:おお、泰作か。

​   なに、元々そこまで深い傷でもなかったからなぁ。

   三日もすればあの通りだ。


N:泰作は、士郎の畑を訪ねてきていた。

  そこには、いつも通り農業に勤しむ士郎と、木の実採りを手伝う白狐の姿があった。

​  士郎の言うように傷は完治したようで、高い木に容易く登っては、次々と木の実を落とす。

  その身軽さは、猫も顔負けなほどであった。

泰作:まあ、あんな所で捕まっていては、他の妖怪の格好の獲物でしょうからね。

​   罠を仕掛けた者も、物好きな輩も居るものだと思ったものですが。

​   ……しかし、大丈夫なんですか?

   ただでさえ狭い村なんですから、いくら士郎さんの敷地内とはいえあんな狐、目立ちますよ。


​士郎:うむ、お前の言うこともやはり一理あると思ってな。

​   特に何もしなくていいと言ったんだが、ああ見えてなかなか強情なやつでな。 何か手伝わせろと聞かなんだ。

​   だから、ああやって高い場所で仕事をさせてる。

   こんな日差しの強い季節じゃ、わざわざ上を向いて歩く奴なんていないだろう、とな。


泰作:……成程。

​   士郎さんもちゃんと考えられてるようで、少しは安心しましたよ。


​士郎:それに、正直なところ助かっているのも事実だからなぁ。

​   おーい、ハク!

   今日はそんなもんで充分だ、降りておいで!

白狐:(あ、はい!)

泰作:ハク?

士郎:そうだ、ハクだ。

   特に名前も無いと言うものでな、俺が付けてやった。

ハク:(あ……え、と、泰作……さん?

    こんにちは!)

N:木から降りてきて初めて泰作の存在に気が付いた白狐・ハクは、泰作に頭を下げた。

​  強い太陽の日差しは、いつにも増してハクの純白の毛を輝かせる。

​  そんなハクには目もくれず、泰作は士郎のほうに目を向けた。

泰作:で、どうですか?

   最近、体調のほうは。

士郎:ああ、頗る快調だぞ。

   お前に勧められた通りの生活を続けてるが、

​   特に体調の悪さを感じたことは、ここ最近とんと無いな。


泰作:そうですか。

   それなら良いんですが、くれぐれも気を付けてくださいね。

​   今日のような日差しの強い日は、急に目眩とかを起こして倒れる人が毎年毎年後を絶たないんですから。

   士郎さんのような百姓の方は特に、です。

ハク:(……士郎さんは、どこかを悪くしてらっしゃるのですか……?)

士郎:まぁなあ。

   一度、急にふらーっと来てぶっ倒れちまってな。

​   そん時はとにかくしんどかったもんだが、泰作と泰作の親父に介抱してもらった。

​   こいつの所には、二代にわたって世話になってるんだよ。

ハク:(そんな事が……では、泰作さんは、ご立派な方なんですね!)

泰作:相変わらずその狐は、士郎さんとしか喋れないんですか?

​   ……まあ、動物が人間と話せるなんて時点で、世の理から外れてますけど。

士郎:まあまあ、そう厳しいことを言うなって。

​   ハクは、お前のことを立派だって言ってくれてるんだしよ。

泰作:……っ……そんな事、僕にはそいつの声は聞こえないんですから、分かりませんよ。

   とにかく、僕はもう帰りますけど、体調管理には気を付けてくださいね。

   士郎さんも、それと……そっちの、ハクとやらも!

ハク:(えっ、あ……はい!)


(泰作、足早に立ち去る)


士郎:あっはっはっは!

   素直じゃねえなぁ、あいつも。

   なあ、ハク。

ハク:(そうですね……

    ちょっと不安だったけど、私、あの人に嫌われてないなら、それだけでも……少し、安心しました)

士郎:まあ、あいつはあんまり、妖怪についていい考えは持ってないからなぁ……

​   家柄が医者なだけに、お偉いさんってこともあって、妖怪の味方をしたくても出来ない立場だ。

   本心がどっちかまでは、俺には分かんねえけどな。

ハク:(複雑なんですね……)

士郎:ま、少なくともあいつは、お前の敵じゃあないってことだけは確かだな。

​   そんなことより、今日は大収穫だったからな。

   ちょっとは晩飯が豪勢になるかもだ。

ハク:(あ、はい!

   お役に立てて嬉しいです)

N:士郎とハクの生活は、順調に続いていた。

  それこそ、まるで親子に見えるほどに。

​  泰作は三日に一回士郎を訪ねてきていたが、心配に及ぶ事も無く、一人と一匹の様子を少し眺めて、帰宅する。

​  そんな毎日が、当たり前になりつつあった。

  しかし……​

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

士郎:いやー、大漁、大漁だ!

   たまには、魚捕りもいいもんだなぁ。

ハク:(はい。

    水浴びも出来ますし、また行きたいです)

士郎:そうだなぁ。

   よし、いっちょうこれで旨い刺身でも、

   ……っ……?

ハク:(……士郎、さん?)

N:突然大きくふらつく士郎。

  足が縺れ、そのまま力無く、糸が切れた人形のように倒れ込んだ。

ハク:(!?

​    士郎さん? 士郎さん!?)

泰作:ごめんくださーい。

   士郎さーん、いますかー?

ハク:(っ!

    泰作さん、よかった!)

泰作:うお、なんだお前か。

   士郎さんはいるか?

ハク:(こっちです、こっち!

    早く、早く!!)

泰作:なんだなんだっ、引っ張るな!


N:ハクは泰作の服に噛み付き、ぐいぐいと士郎のもとへと引っ張る。

​  その必死さに、泰作も何かを感じ取ったのか、急ぎ足でハクについて行った。

​  村の中では、原因不明の伝染病が少しずつ拡大しており、泰作はその警告をしに来たのだった。

  案の定、士郎もそれに感染し、突然倒れ込んでしまったのだろう、と、泰作はハクに話した。

士郎:………………

泰作:……気が付きましたか、士郎さん。

士郎:……泰作……?

   ここは、……そうか、俺の家か。

泰作:そうです。

​   ……士郎さん、落ち着いて聞いて下さい。

​   どうやら士郎さんは、今流行り始めている病に、罹ってしまったようなんです。

士郎:病?

泰作:ええ……

   今、父と原因を調査してますが、全く何も分かっていないのが現状です。

​   とりあえずは、症状が軽いうちは、既存の風邪薬でもある程度は効くようですが……

士郎:……そうか……

​   まあ、症状が軽いんだったら、まだマシだったと思うべきなんだろうな。

泰作:そうですね……

   とにかく、今は安静にしていてください。

​   僕もこれから、他の人の所へ巡回に行かなければいけませんから。

士郎:おう。

​   お前も気ぃ付けろよ。

N:泰作は頷き、薬の袋を置いて出て行った。

  士郎は仰向けに横になり、ぼうっと天井を眺める。

​  泰作に強がっては見せたが、士郎の受けた感染はかなり深く、意識もまた朦朧とし始めていた。

  動かない自分の体に苛立ちを覚えながら、士郎は再び目を閉じた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハク:(……さん、……郎さん……士郎さん……)

N:遠い意識の向こうで、士郎は微かに聴こえる声に気付いた。

​  ふと目を覚ますと、周囲は月明かりも無く、完全な暗闇となっていた。

士郎:……んお……ハクか?

​   いけねえ、また寝ちまってたか。

ハク:(あ、いけません、安静にされなくては……

    今、水をお持ちしますから)

士郎:お?

   ……おう、悪いな。

士郎:(M)

   ……水を、持ってくる……?

​   そんな器用なやつだったか……

ハク:(どうぞ、薬も置いておきます)

士郎:お、おぅ……

​   ああ、その前に、ちょっと灯りくれないか。

​   流石に、暗過ぎて何も見えたもんじゃない。

ハク:(……あ、……はい)

N:ハクは少しどもりながら、囲炉裏に火を入れる。

​  ぼう、っと橙の色が照らし出した部屋の片隅にいた、その存在に、士郎は目を丸くして驚いた。

​  そこには、純白の着物を来た、白髪の少女が座っていたからだ。

士郎:……お前……もしかして、ハク……か?

ハク:(……はい。

    もう、狐のままの姿じゃ、なんにも出来ないんだって……分かりましたから)

士郎:…………

ハク:(あはは……気味悪いですよね、狐が人間の真似事するなんて。

​    ……でも、心配しないでください。

    士郎さんの病が治ったら、ここからも、姿を消しますから……)

士郎:……その必要はなかろうよ。

ハク:(え……?)

士郎:いや、寧ろそんな芸当が出来るんなら、最初からやって欲しかったなぁ。

​   そっちの姿のほうが、本物の親子って感じがして良いじゃないか。

ハク:(……えっ? あの……)

士郎:しかし別嬪だな、こりゃあ魂消た。

​   こんな美人に看病されたら、病なんてメじゃなかろうな。


ハク:(……受け入れて、くださるんですか、こんな私を……?)

士郎:なぁにを当たり前の事を。

   自分の娘の姿が女子だろうが狐だろうが、それをとやかく言うほど、俺は無粋な輩じゃないぞ。

ハク:(……士郎さん……!)

士郎:おーおー。

   泣いたらそれもまた、可愛いもんじゃないか。

ハク:(ふふっ……なにを言ってるんだか……

​    ほら、とにかく早くお薬、飲んでください)

士郎:おっと、そうだったな。

N:士郎はゆっくりと薬を水と共に飲み干すと、ほどなく眠りについた。

  それを見るハクは涙目で微笑み、狐の姿へ戻り、寄り添うように床につく。


ハク:(この時間が、いつまでも続けば良いのに……)

N:そう願うハクの想いを嘲笑うかのように、伝染病の蔓延は留まらず、士郎の症状も少しずつ悪化していった。

​  泰作も仕事に追われるようになり、あまり顔を見せなくなってしまい、

​  徐々に徐々に侵されていく日常に、ハクは不安を隠しきれないでいた。

  そして……​

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハク:(あれ……おかしいな、確かにここに、全部置いておいた筈なのに……

​    ……もしかして、昨晩の分で最後だった……?

​    どうしよう……泰作さんも最近、顔見せてくれないし……

    ……ぅわっ!?)

N:ハクは、一人台所で慌てふためいていた。

  というのも、士郎が服用している薬が無くなってしまっていたからである。

  当然ながら薬の知識など持ち合わせていないハクは、何とかならないかと右往左往していた。

  しかし、足を引っ掛けて薬箱をひっくり返した時、ひらり、と一枚の紙切れが落ちた。


ハク:(あいたたたた……

    あれ? これって……

    ……字は読めない、けど……たぶん薬の名前だよね。 

    そうか……そうだ、これさえあれば……私でも!)


士郎:おぉい、ハク、どうした?

   なんか凄い物音がしたが……

ハク:(あ、いえ大丈夫です!

    士郎さん、私、ちょっとおつかいに行ってきます)

士郎:あっ?

   なんでまた?

ハク:(お薬がもう残ってないんです。

    でも、泰作さんは忙しくて来れないみたいですし、買い足しに行かないと……)

士郎:なんだ、そんなことか。

   それぐらいのことで、わざわざ危険を冒すことは無いだろうよ。

   少しくらい飲むのを怠った程度じゃ死には、

   っげほッ!!


ハク:(士郎さん!?)


士郎:いや……っ大したこたぁ……ない、ちぃとばかし胸が……

   げほっ、……ぅっ……ごほッ!!


ハク:(士郎さん!

    すぐお薬買って帰ってきますから!

    それまでどうか、待っててください!)


N:そう言って、士郎の制止も聞かずハクは家を飛び出した。

  勿論、自分が村民の目に触れるという行為が、どれだけ危険な事かは自覚していた。

  しかしそれでも、ハクは動かずにはいられなかった。

  士郎を苦しめている病魔は、今にも命まで奪わんとしている。

  そう確信出来るほどに、士郎の容態の悪化は著しかったからである。


ハク:(でも……この姿ならある程度は誤魔化せるはず……

    とにかく、早く戻らなきゃ……!)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ハク:(ご、ごめんください……)


薬屋:ん?

   なんだ、見慣れねえ嬢ちゃんだな。

   どうした、おつかいかい?


ハク:(いえ、あの……

    ……そうか、この人にも、私の声は聞こえないんだ……)


薬屋:黙ってちゃ分かんないだろー。

   ……ま、あらかた用件は、察しがつくけどな。

ハク:(こ、これを……)


N:ハクは、大柄な店主に紙切れを渡す。

  その内容を見た男は、太めの指で頭を掻きながら、渋り顔で口を開いた。


薬屋:……ああ、やっぱりこいつか。

   そりゃあそうだよな、今は、村中が大騒ぎだからな。

​   皆、お目当ての品は一緒ってわけだ。

​   申し訳ねえが、今すぐに渡せるのはこれっぽっちだ。

   ただでさえ、調合が追いついてなくてな。

ハク:(いえ、それでも……ありがとうございます!)

N:ハクは薬が入った小袋を受け取ると、何度も何度も頭を下げた。

​  そして代金を払い、あとは帰るだけ……となった時、ハクは最大の失敗をしてしまう。

​  一瞬でも安堵し気が緩んでしまったせいか、変化が解け、純白の尻尾が着物の裾から出てしまったのである。

  それを隠す間も無く、薬屋は目の前の少女が人間ではないことに気付く。

  あまりにも、残酷な必然だった。

薬屋:ほぉー……なぁるほどなぁ……

   これで合点がいったぜ。

​   お前がこの厄介な病魔の権化で、人間の姿で俺を騙くらかし、

   人間の頼みの綱である薬を、根こそぎ奪っちまおうって魂胆だったってぇわけかい!

   相も変わらず汚ねえなァ、妖怪さんの考えることはよぉ!!

ハク:(ち、違っ……私は、そんなつもりじゃ……!)

薬屋:……「私は違います」って顔してんな。

   まァ、どっちにしたって一緒さ。

   ただでさえ俺たちゃ、お前らのやり方に、はらわた煮えくり返ってんだ。

​   お前さん、妖怪であることに間違いはねえんだろ?

​   だったら、どのみちここで、息の根止められるって事は変わんねえよ!

ハク:(なっ……そんな……っ!?)

N:ふと周りを見直すと、いつの間にかハクは、鋭い殺気を孕んだ眼光を放つ村人達に囲まれていた。

​  そして村人達は、各々が持っていた凶器、鍬や鋤で、女子供は石ころを投げつけて、

  一斉にハクを袋叩きにし始めた。

  一片の容赦も無く降り注ぐ暴力に、ハクはただ必死に身を守るしか出来なかった。

ハク:(助けて……誰か……助けっ……!

    ……士郎、さん……!!)

泰作:おい、これは何の騒ぎだ!

ハク:(……!)

泰作:貴様ら、揃いも揃ってか弱い女子に何をしている!

ハク:(泰作……さん……?)

薬屋:おんやァ、誰かと思えば。

   何をしてるってのは、こっちの台詞だぜ、泰作さんよ。

​   お前さん、妖怪を庇い立てするってのか?

泰作:なに?

   ……この少女が……妖怪だと?

薬屋:あぁそうだよ。

   真っ白な狐の尻尾が生えてんのを、さっきこの目でしっかり見たからな。

​   そいつは貴重な薬を奪って逃げようとした、最低最悪なケダモンなんだよ!

​   それでも、俺たちがやってることが、間違ってるって言いてぇのか?

泰作:(M)

   ……真っ白な、狐の尻尾……?


泰作:……そうか。

   とにかく、この場は私が預かる。

​   この妖怪は、私が責任を持って村の外に追い出しておこう。

   薬も其方に返す。

   それで、一先ず文句は無いだろう。

薬屋:……ふん。

   まぁ、お医者様のご子息に、そこまで言われちゃな。

​   ……分かったよ、ここはお前さんに免じて見逃しといてやる。

​   だが、次にもう一回、この村の中でそいつを見た時は……絶対に、生かしちゃおかねえからな。

泰作:……ありがたい。

N:騒動が一旦収束すると、村人達も渋々とその場から去っていった。

​  そして、泰作はハクが持っていた薬の袋を薬屋に返し、傷だらけのハクを抱えて、村の出口まで連れて行った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ハク:(……泰作さん……)

泰作:……念の為確認するが、お前は……ハク、なんだな?

ハク:[頷く]

泰作:……結局、僕が最初から危惧していた通りになったってわけか。

​   とにかく、これで痛いほど思い知っただろう。

   お前が人間の生活に入り込むのが、どれだけ危険な事なのかが。

ハク:(……!)

泰作:分かったら、元のお前の住処へと帰れ。

   ここまで騒ぎを起こした以上、お前の居場所など、もうこの村の何処にもありはしない。


ハク:(嫌です!

    ……こうしてる間にも、士郎さんが……!)


N:ハクは必死に、双眸に涙を溜め、首を振って叫ぶ。

​  しかし、どれ程声を大にしても、その一言一句は泰作には聴こえる事は無い。

  ただ強情なまでにその場から去ろうとしないハクに、泰作は僅かな憐れみと、苛立ちを覚える。

  ……そして、数刻の沈黙の後。

  夕闇に染まりかけた閑静な空に、ハクの頬を泰作の掌が打つ渇いた音が、微かに響いた。


ハク:(……ぇ……?)

泰作:……いい加減にしろ、妖怪!!

​   お前はそもそも、存在自体が村中から疎まれているというのを、その身をもって味わっただろう!

​   そんな奴を庇い立てした僕が、皆から批判を浴びるのは別にいい!

​   だがな、お前を娘のように可愛がっている士郎さんはどうなる!!

​   お前の身勝手な行動一つで、士郎さんはいつ村から追い出されてもおかしくない人なんだよ!

   お前を拾ったあの日からな!!

   お前の身はお前一人の物じゃない、全てのしっぺ返しは士郎さんに行くんだ!

​   士郎さんが大事なら尚更、これ以上あの人に、この村に関わるな!!

ハク:(……士郎さんが……大事なら……

    でも……私は……)

N:その日以来、ハクはその村から姿を消した。

​  しかし、当然ながらそれによって村に潜む病巣が衰える事は無く、

  士郎もまた、いよいよ峠を迎えようとしていた。

​  そして、数日が経ったある日の深夜。

  一発の銃声が、村の静寂を打ち破った。

​―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

泰作:今の銃声は一体…… ……っ!?

ハク:……た……ぃ作、さ………

N:泰作の家門の前。

​  そこには、血の海に横たわる、数日前村から去った筈の、少女の姿をした狐の妖怪がいた。

​  その身を鉛で貫かれ、息も絶え絶えで瀕死に陥っていた彼女は、その変化もままならず、

​  尻尾はおろか、純白の狐の耳も頭部に現れ、そしてそれら全てがあまりにも痛々しく、朱に染まっていた。​

  泰作は、自らの手が血に塗れる事も厭わず駆け寄り、彼女を抱き起こす。

泰作:お前……なぜまたここに現れた!?

   あれほど……あれほど、もう二度と現れるなと言っただろう!!

ハク:分かって……ます。

   ……だか、ら……もう、私は……ここで死ねば……

​   ……この村の、……人達は……安、心……できる、って……


泰作:何を言って……!

   ……お前、言葉を……!?

ハク:……これ、を……

泰作:これは、……薬、か!?

ハク:……妖怪……の秘薬、です……

   ……これなら……きっと、この村の病魔にも……

​   人、間に渡した……なんてバレたら……妖怪からも……お払い箱……です、よ……

泰作:お前…… なんで、そこまでして……!!

ハク:……あは、は……

   これ……せめての……恩、返……

​   ………………

泰作:……おい、ハク……?

   ハク、……ハクっ!!

​   ……恩返し、か……確かに、受け取った……!

   お前の命を懸けた想い、無駄にはしないぞ、ハク……!

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


士郎:よう。

   今日も来てたか、泰作。


泰作:ええ、まあ。

   士郎さんこそ、いいんですか?

   せっかく快復したばかりなのに、こんな場所まで出歩いたりして。

士郎:なんの、なんの。

   元より、床に臥せっ放しというのは性に合わん、身体が鈍っちまう。

   ……それに、俺がここに来ない理由などあるまいよ。


泰作:(M)

   あの日以降、僕は、ハクが遺した秘薬の成分分析に尽力している。

   士郎さんだけでなく、村そのものを救ったあの薬は、人間の知識の範疇を大きく超える程に、

   とてつもなく複雑で、途方も無く繊細な代物だった。

   未だに、その類似品すら作ることも叶わない。

   だがそれでも、村全体の医療技術が大きく成長したことは確かで、

   あれだけ生死の境を彷徨っていた士郎さんでさえ、何事もなかったかのように快復出来たのだ。


士郎:しかし……あれからもう、どんだけ経つのかねえ。

泰作:正直、今でもあの日々は、夢だったんじゃないかって思う時もありますよ。

​   士郎さんにも、ハクにも、振り回されてばっかりでしたしね。

士郎:はっはっは、確かにな。

   まあ、それは悪かったと思ってるよ。

   だが、夢なんかじゃあなかったってのは、こいつが一番分かってるだろうよ。

   ……なぁ、ハク。


N:士郎はそっと、墓前に一輪の花を供えた。

  嘗て、士郎と泰作と白狐が、初めて出会った場所。

​  3人しか知らないそこには、小さな墓石が建てられ、「ハク之墓」と刻まれている。

泰作:そう……ですね。


士郎:……いや、もしかしたら、あれも、あいつの夢だったのかも知れないな。

泰作:え?

士郎:さーて、帰ってまた一働きしなきゃな!

​   帰るぞ、泰作!

泰作:ちょ、ちょっと士郎さん!

   待ってくださいよ!

   ……全くもう。

N:……昔々、ある村の近辺で妖怪が跋扈し、人間に日々悪行を働いていた。

​  しかし、それはもう、過去の話。

  今やその村に、かつての人間と妖怪の対立は無く、

  やがて妖怪と人間は、互いに友好関係を築き始めるにまで至った。

​  そして、その礎となった白狐の墓は、決して風化することなく、

  まるで士郎達を見守るように、永久に、佇み続けたという。​


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