月刊マサイ
ROM 8:28
月刊マサイ
ROM 8:28
1999年12月、登戸エクレシア・キリスト教会がホームページを立ち上げる時に、「月刊マサイ」というコーナーを作ってもらいました。以後、日常生活の中から御言葉を分かち合う目的で書き続けて来ましたが、おかげさまでそれも24年目に入りました。まだまだ書いていくつもりですので、お付き合いをよろしくお願い致します。
掲載の聖書箇所は、最近では「聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会」と入れるようにしていますが、初期の表示がない頃は、当時の新改訳としては最新のものから使わせていただいています。
5月の大型連休、今年も細君と教会のスプリングキャンプに参加した。去年は日程の都合で1泊しかできなかったが、今年は2泊3日フル参加出来た。部分参加も含めると、PAZチャーチの4キャンパスから総勢200人を超える人が集まった。普段会社や居住地域では、周りにクリスチャンがいるかいないのか分からないので、これだけたくさんのクリスチャンと一緒に過ごせて、一緒に神様の話が出来る機会はとても嬉しい。
ZOOMでよく会っているメンバーと生で会えるのもとても嬉しい。去年はこのキャンプで、バイブルカレッジの同期生と仲良くなれたが、今年はより関係を深められた。年齢、国籍、言語様々な神の家族とのコミュニケーションも、最近はAIが言語の壁を取り去るのを手伝ってくれる。前半2日間は天気にも恵まれて、気持ちよく森林浴も出来た。
5月5日(月・祝)は、ジョサイア・ヒューバー牧師の「お互いの徳を高める預言について」のメッセージを聞く。神様は癒し主。私たちは、お互いの徳を高めて、お互いのために預言する。預言には種類がたくさんあるが、預言は異言と違って、他の人たちも成長する。お互いを高める、励ます預言の重要性を語ってくれた。
コリント人への手紙第一
14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
14:3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。
小グループに分かれて、心の痛みや、癒しが必要なことについて分かち合い、お互いに祈り合う時間を持った。マサイは腰痛持ちで、いつも気を付けているのだが、4月にひょんなことからぎっくり越しになってしまい、完治まで10日間、腰が延びずに辛い思いをした。それで皆に腰に手を当てて祈てってもらった。腰に当ててもらった掌から暖かさが伝わり、お互いを高める、励ます預言で神様に取り次いでもらう祈りの力を感じる。
早朝自然に囲まれて。靄が薄れ、日が出てくる新しい一日の始まりに、神様の創世の雰囲気を感じる。イエス様を信じる者は新しく生まれ代わる、と昨日のメッセージにもあった。外のベンチでデボーションをしていると、ベトナムから来ている女性が、何か祈る事がありますか。と声をかけてくれた。その場で祈ってくれたのだが、クリスチャンたちとともに過ごす時間が神様に祝福されているのが分かる。今年もたくさんの新しいクリスチャンたちと仲良くなれたのは嬉しい。
しかし神様の恵みが多くあふれた時ほど、サタンの攻撃も大きい。細君はキャンプ2日目、マサイと一緒にレジャーシートを敷いて森林で横になっていた時に、山蛭に踵を噛まれて、ずっと血が止まらなかった。管理棟で傷口を見せると、山蛭だと教えてくれた。幸い毒素を注入されたようなことはなく、痛みもなかった。ただ靴の中の踵の部分が血で染まっているのを見て驚いた。
キャンプで遅くまで起きていたということはなかったし、いつものようにごく早朝に起きなくても良いので、却って普段の睡眠不足が解消されることを期待していたのだが、長距離移動の疲れと、たくさんの仲間たちと過ごした興奮が大きかったらしく、大分疲れた。
我が家は二人とも、疲れが抜けにくい年齢になったようだ。細君は鼻風邪のような症状がしばらく続いていた。それがやっと治って来た思った土曜日の朝、布団を上げようとした時に、腰に痛みが走る。最初は小さかった痛みがだんだん大きくなって行く。細君は初めて腰痛を経験する。マサイの腰痛ベルトで腰を固めてみたが。腰が真直ぐに伸びない。買い物に行く時の車の乗り降りも辛そうにしていた。
17日土曜日、細君は25日の礼拝でメッセージをすることになっているので、その原稿作りをしていた。腰の痛みはクレッシェンドして行く。翌日の日曜日はPAZ湘南平塚のキャンパスへ、ラインストリームを使った礼拝運営について見学に行く予定をしているが、片道2時間はかかる。これも学び多き時となるはずだが、長距離の電車移動は、腰痛患者には辛い。しかし細君には、家で安静にしているより、神の家族と共に賛美し、祈り、神を礼拝する方が早く良くなるという確信があった。
早速祈って、腰に湿布を貼る。教会のメンバーに回復の祈りをお願いして、皆にも祈ってもらうという。お互いを高め、励ます預言が、細君を強め励ましてくれる。
ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
細君は初めて体験する腰の痛みをこらえて、座ると痛むからと、マサイの部屋の出窓にノートパソコンを置いて、立ったままメッセージ作りをしていた。へブル人への手紙からメッセージをする予定で、信仰について話すつもりでいた、という。喜び、信仰、愛を持って日々過ごすこと。
ヘブル人への手紙
11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
金曜日に仕事をしていると、細君からメッセージのレジュメと、メッセージ用のメモが送られてきた。痛めてから1週間、細君は大分良くなった。マサイより回復が早い。「あなたの信仰があなたを癒したのです、というフレーズをイエス様は何回も使っていますが、私たちの祈り方にどういう影響を与えるでしょうか」、ということをバイブルカレッジで丁度学んだところだった。
本当の信仰は、イエス様のことばをそのまま信じること。
ピリピ人への手紙
1:19 というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりに、このことが結局は私の救いとなることを知っているからです。
実体験でも信仰について学べたことに感謝。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
何年かに一度の大掛かりな片付けをしていている。まず引き出し入っていたものを全て出してみる。思ったよりいろいろなものがたくさん入っていて、収納の有難さを感じる。
押し入れの中も同じ。全て出してみると、よくぞこんなにという程、種々雑多なものが入っていたのに驚く。押し入れというのは魔界で、何でもとりあえず受け入れてくれて、扉を閉めると、それは永遠に隠され、存在すら忘れさせてくれる。
昔いろいろなものを取っておいたら、マンションに住めない人だと言われたことがある。収納が少ない集合住宅で快適に住むには、それなりのダウンサイジングが常に必要だということである。しかしそう分かっていてもいろいろなものがたまっていく。捨てるには忍びないものは、とりあえず段ボールに入れて押し入れに収める。なんとなく片付いた感があるが、やがてその上に箱が乗り、余程のことがないと引き出すことはなくなる。
会社も同じ。フリーアドレスになったので、固定された仕事机がない。会社の指令で、袖机に入っていた物を与えられた個人ロッカー一つに入るほどにダウンサイジングさせられた。それも両袖分。電子保存できるものは極力したのだが、ここでもやはり特にすぐ必要ではないが、捨てるには忍びないものが出てくる。それを段ボールに入れて、そっと秘密の隠し場所を見つけて移動しておく。誰かが間違って捨ててしまってもきっと惜しくない。完全退職の日には捨てて行こうと思っている。
TV番組で収納のプロがアドバイスをする。いつか使うだろうと思って取っておく紙袋、箱、缶類は、まず使いません。段ボールに一旦しまい込んだ物を出すことはまずありません。1年以上開けない段ボールは捨てるべきです。「いつか」役に立つと思っても、「いざ」使おうとする時には古びてしまって、新しいものが欲しくなるものです。
記念に取り置いた物も、出してみれば劣化し、色が飛んでしまっている。今回の片付けでいろいろなものを発見した。引き出物類やいただきものが多いのだが、見るからに高価そうな物ばかり。これだけあると使いきれない。使いきれないから、と目につかない所へ又しまってしまえば、いつまでも同じこと。貴重な収納スペースを占領し続けるだけ。いわゆるタンスの肥やしである。それこそもったいない。貴重な物こそ出しておいて日常使うべきだ、と学ぶ。
まず捨てるべきなのは、いつか使うかもしれないから大事にしまっておく、という考え方。またもったいないから取っておく、という考え方。それが出来なければ、一生使わずに大切にしまっておくことになる。高価なものでも、使って初めてその価値を楽しめる。それで欠けたり、剝げたりしても良い、という考え方を持つこと。
持ち物だけでなく、せっかく学んだ神様の知恵の言葉も、自分の内に大切にしまっておいたのでは何もならない。いつも口に出して、長く使い続けることで、それが生きたものとなるということか、と考える。
調べてみると、良い言葉を聞き、その言葉を繰り返し発することは、脳にとっても良い影響があるという。ポジティブな言葉を繰り返し使うことで、脳内の神経回路が再編成され、前向きな思考が習慣化される。このプロセスにより、自己肯定感が向上し、困難な状況にも柔軟に対応できるメンタルが育まれる、と書いてある。
学んだ聖書の御言葉をしまっておくことなく、口に出して言うことは、伝える側にも素晴らしい効用がある、ということである。
PAZバイブルカレッジは今年5期生の入学を受け付けた。マサイたち4期生で入学者が大幅に増えたと聞いていたが、5期生はさらに増えたという。ZOOMで集まるので、国内あちこちからだけでなく、外国からの参加者もいるようだ。彼らは今までの在校生が生き生きと学んでいる姿を見て、また話題の中にバイブルカレッジで学んだことが度々出てくるのを聞いていた。それでこの4月の入学がずいぶん待ち遠しかったらしい。神を求める人がどんどん増えている。また教会内の一致もより強くなる。
学んだことは自分の内にしまい込んでしまうことなく、全世界へ向けて一緒に発信していきましょう。それは「いつか」ではなく、「いま」役に立つものなのです。
マタイの福音書
5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
ヤコブの手紙
1:22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
今月末で65才になる。世界保健機関(WHO)では、65才以上を「高齢者」と定義している。また、日本においては65~74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と呼んでいるが、根拠は不明らしい。
では、一般的には何才からが高齢者と認識されるか。国が2014年度に調査した国民の意識調査によると60才以上の人の多くは「高齢者は70才以上」だと思っているという。つまり60~69才までは自分がまだ年寄りだと思っていない。給料は下がるが、定年後再雇用で65才まで働くのがあたりまえのようになっているし、まだいるのと思える先輩と社内ですれ違ったりする。しかしさすがに70才以上になると、あきらめて老いを認めるようになるようだ。
年金請求書の封書が来た。年金受給の意志を問うもので、受給開始時期を繰り下げると受け取れる年金が増額出来ると書いてある。65才受給開始を基本にして、それを1年ずらして66才スタートにすると受給額が8.4%増える。67才スタートだと16.8%増、68才になると25.2%と増えていく。魅力的な内容だ。同級生との飲み会でもこれが話題になることが多い。いつ貰えなくなるか分からないから、貰える時に貰っておいた方が良い、という考えが多かった。同級生のほとんどは、自営でない限りこの年度末でいよいよ完全定年退職を迎える。
この増額の勧めは、いったい何年間もらうことを想定しているのだろう。受給開始年齢を65才から68才まで一才刻みに、スタート年齢ごとの受給総額を比較してみた。75才までは65才からもらった場合が一番多い。77才になると、66才スタートが一番多いが、67,68才スタートよりは、65才スタートの方が多い。78才になると、66,67才に抜かれるが、68才スタートよりは多く貰える。79才になって(受給開始14年たって)初めて65才スタートが一番少なくなる。少なくなるとは言え、月にならすと、差額は3千円台だ。
考えてみた。79才になったら、何にお金を使いたがるだろう。欲しいものがそんなにあるだろうか。物を買っても、それを何年使えるだろう。食事といっても、既に胃袋は小さくなって来ているので、そんなには食べられない。今のところは親の介護が終わるまで長期の旅行には出られないが、使うとしたら細君と旅行に行くくらいか。こんなふうに使い道はそれほど浮かばない。80才過ぎて貰える金額を期待して待ち、結果使えずにいるよりは、元気で使えるうちに貰っておいた方が良いのかなと考える。
細君に相談すると、年を取ったら、お金の使い道もなくなる、と全く同じ考えだった。マサイは年度末が誕生日なのだが、細君に何か欲しいものは?と聞かれても思い浮かばない。欲しかったジージャンを正月にやっと見つけて、たまっていた電子マネーで買ってしまったので、特に欲しいものはない。今あるものをぜいたく品に買い替えるような無駄遣いはしたくない。
しばらく祈って、65才から受給を開始する、欄にチェックを入れ、マスキングテープを上から張った葉書を投函した。自分の意志で選びとるようなシステムにして、結果を全て選択した者に責任を負わせる、というやり方に不満を覚える。老境の生活は、ギャンブル性のある最初の選択にかかっている。夢のような絵を目の前にぶら下げられて、選択した後、常に後悔し続ける人生は送りたくない。現に投函した後でも、100%それで良かったと思えず、心は揺れている。
マタイの福音書にこう書いてある。
4:1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
今この御言葉を与えられた。「本当にその選択で良かったと思っているのかい」と心揺らされるのはサタンの試みに他ならない。
私たちの心が、古い罪深い性質、肉によって支配されると、死に至る。そしてこの古い性質によって支配されているなら、絶えず自分の中に争いがある。しかし私たちの思考と心が聖霊によって支配され、聖霊によって導かれているなら、命は平安だと聖書に書いてある、とバイブルカレッジの聖霊とその働きの授業で学んだばかりだ。
クリスチャンは、祈ってやったことは神様が必ず良い方向へ導いて下さる、という確信を持つことが出来る。今やるべきことは、惑わされることではなく、神の口から出るひとつひとつのことばで生きることであると心に刻む。すると神様の前で全ては解決し、心が平安で満たされる。神様感謝します。
ヨブ記
22:22 神の口からみおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。
23:12 私は神の唇の命令から離れず、自分の定めよりも神の口のことばを蓄えた。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
細君はデボーションで祈っている時、並んだ細君とマサイの後ろにイエス様が両手を広げて二人の肩を抱くように立っていて、「その時になったらわたしが、行け、と二人の肩をたたく」と言われたという。
親の介護について、変化があったので報告します。
マサイが両親の介護のために埼玉のこの地へ引っ越して来てから6年8か月たつ。その前は川崎から通っていたが、息子の就職、独立を機に実家の近所に引っ越してきた。
母は4年前の今頃亡くなった。86才だった。病院に入院した時がコロナ騒ぎの真最中だったので、見舞いにも制限があった。最期には立ち会えなかったが、転院先で看取っていただき、葬式、相続などを済ませた。それから4年。残った父親は幸い自分の事は自分でできるので、通い介護の日々となった。食事を届け、話し相手になり、買い物をし、病院へ同行し、薬局で受け取った薬を届ける。なぜ同居でないのかという点は、ここで説明することではないので割愛させていただく。
子育ては、子どもの学校の入学や卒業という節目があるので、先が見える。ところが介護は先が見えない。この生活がいつまで続くのだろうかと、悩む日もあった。近所の仮住まいには家賃が発生する。サラリーマンのマサイはこちらに移ってきた後、定年を迎え、定年後再雇用の期限も最終年になって、給料をもらえる最終期限があと3か月と先が見えてきた。
教会はこの地から車で1時間かけて通っている。日曜の午後は介護に行くため、早々に引き上げてこないといけない。後ろ髪を引かれるような思いを何度もした。
教会は2024年から大きなプロジェクトを始動した。新たな場所へ移動して、より大きな活動をして行こうというもの。この開拓についてはしたいことがたくさんある。幸い我ら夫婦ともに健康なので、自らの老いの悩みがそこに加わることはないが、いろいろな事のはざまで悶々と悩む日々が、終わりの見えないまま続いている。主よ、いつまでですか、と祈る事もあった。
その答えが冒頭にいただいたもの。そして「GO」と肩をたたかれた。
父は昨年末から、夢と現実の区別がつかなくなることが度々あった。特に午前中がひどい。その思いに固執して、全てが現実に起こったことと思い込んでしまう。そのたびにメールや電話が来る。解決がつかずに自分でも悩んでいたようだが、午後にはけろっとして何も言ってこない。
2025年1月1日。元旦の食事を実家で父親と一緒にしていると、酔っぱらう前にと、父親が話し始めた。自分は老人施設に入る、という。随分考えた上でのことらしいが、前言撤回はよくある事なので、松が明けたらケアマネージャーに相談して探してあげると返事をしておいた。大きな決心を伝える宣言であったが、その思いが強いことは伝わって来た。
父とは毎日メールのやり取りをしている。これが励みになるという。日に何度も送信音が鳴る時がある。この内容が否定的で愚痴が多く、読むとこちらの気分が落ち込むので、祈ってからメールを開くようにしていた。過去の経緯からして、あれはやめた、と言ってくるのではないかと思っていたが、早く(施設に)移りたいというメールが来るようになった。
松が明けて、ケアマネージャーに相談すると、早速近所の施設のパンフレットを届けてくれた。老健や特老、サ高住、ケアハウスなどの用語は、細君が両親を介護している時に聞いたことがあったが、違いが分からない。いずれにしても回りの話を聞くと、入所まで随分待たされるという印象が強い。父は92才、介護1認定なのだが、着替え、トイレは自分で出来る。そのため入所させてくれるかどうか心配だった。
細君と土曜日に4件見て回った。アポなしなので、館内を案内してもらうことは出来なかったが、スタッフの応対でだいたい雰囲気は分かった。父の望みを優先して考えるのだが、それと合致するところを探すのはなかなか難しい。料金の問題もある。
老人が多い町なので、通いのデイケアセンターは多く、今は週に2か所、1日ずつ通っている。最初は難色を示していたが、そこで仲間が増え、話し相手が増えたことを喜んでいた。しかし老人特有の不満、愚痴が増えて来た。なので、実際本人に見学させる必要があると感じていた。一泊体験入所も出来るらしいが、本人が不要であると言う。
夕暮れが近づいていた。一番遠い施設は、車で訪問するには道が狭く、どの駅からも遠く、入り口のドアからのぞいても誰も出てこなかった。残念感をもって帰路につき、もう今日はやめようかという気分になっていた。期待はしぼんでいた。しかしパンフレットはもう1件ある。暗くなってきたが、行ってみようかということになった。
行ってみると、実家に一番近かった。住宅地で通りに面しているが、交通量は少なく、静かな印象を受けた。のぞくと施設長自らが応対して説明してくれた。夕食前で、スタッフの動きも見えて、温かい印象を受けた。
翌日曜日、前日話が聞けなかったところの予約が出来て、礼拝後に訪問する。大手が運営するデイケアセンターも併設している綺麗な施設だ。出入り自由ということで、入り口に外出届けがあった。ここの行き先欄に教会と書いていた人が2人いた。だが、どこか冷たさを感じる。ここは料金もかみ合わなかった。
次の土曜日、見学予約をして、施設長が応対してくれた施設に父を連れて行く。迎えに行くといつになくおしゃれな格好をしていて、期待しているのが分かる。施設長から詳しく説明をしてもらい、館内を案内してもらうと、より気に入ったようだ。さらに空きが一部屋だけあるという。ここはサービス付高齢者住宅ながら、介護付(特定施設入居者生活介護)であるので、父の望むところと合致している。
父が気に入ったので、話を進める。ここからが忙しくなる。提出書類記入のために訪問し、1時間半いろいろな書類にサイン、押印をする。入所のための下着類、生活用具を新しく買いそろえ、全てに名前を書く。持って行くものの選別を始める。父の翻意を一番心配していてが、不安を感じることなく、早く移りたい、というメールが来るようになった。
宣言が1月1日、入所が1月29日だった。神様に祈って進めることは何でもスムーズに進行する。
細君は再び夢で示された。イエス様から「わたしが導く事であるから、何でも喜んでやりなさい」と言われた。それに励まされる。
入所日、父はかつてないハイテンションで、会う人ごとに明るく笑顔で声をかけて、早く馴染もうとしていた。個室なのだが、思ったより広い。車で何度か往復して家具を運び込み、翌週にはテレビもついて、部屋の中も落ち着いた。
入所以来、毎朝来るメールから愚痴や否定的な内容がなくなった。実家の近所に住む母の友人が週に2回働きに来ていることも分かり、部屋にも顔を出してくれると喜んでいた。一人ではないという安心感が出来たらしい。立ち眩みがする、膝が痛くて歩けない、体調が悪い、ということもなくなったらしい。メール本文が明るくなった。この施設が神様の導きだったことを感じる。
これで介護が終わったわけではないが、救急車のサイレンを聞くたびにドキッとする、メールや電話の着信音に悩まされる、ということはなくなった。今まで面倒を見てもらった、ケアマネージャー、訪問看護師、診療所の先生、近所の方々にお礼を言って回る。
実家が無人になるのを父が心配するので、今度は我々がそこに移る準備を始める。これが思ったより大変なことで、細君と2人とも寝ている間も次々にやることが頭に浮かんでくる。正月の宣言から2か月後の2月末に引っ越す予約もできた。
この頃の細君のデボーションノートにはこうある。
1月1日に動き出したことを、主よ、感謝します。本当に出来るのかと心配し、悩み、思い煩いがいろいろと心に浮かびますが、神様が次の一歩、次の一歩と道を示して下さるから安心です。
ネヘミヤ記
9:12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。
不可能なように思えるネヘミヤの城壁再建の召命のように、踏み出す道を開いて下さった。そしてネヘミヤ4章6節のように一つ一つの仕事を感謝と喜びをもってやり、出来ない、無理、というサタンに対して、神に祈りの声を上げることが大切と教えられた。
ネヘミヤ記
4:6 こうして私たちは城壁を築き直し、城壁はすべて、その半分の高さまでつなぎ合わされた。民に働く気があったからである。
細君とマサイは、イエス様に行け、と言われるのをずっと待っていた。旧約時代、エジプトを出てシナイ半島を巡っていた人たちは、雲の柱や火の柱に導かれて、そんな日々を送っていたのだろうと考える。
出エジプト記
40:36 イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。
40:37 雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。
40:38 旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。
しかしいざその時が訪れてみると、え、そんな急に、ちょっと待って、もう少し時間を下さい、カナンの地には巨人が住んでいてとても恐ろしいと聞いているし、と人々には不満が先立っていた。しかし神様は、それが出来ると思うから、我々にそれを与えて下さる。だから神様が行けと言われたら、一刻の猶予もなく、直ぐに行動する。神様が示して下さったのだから、必ず出来る。それに従うことで、祝福が待っている。
感謝して忙しく動き回る日々を喜んで送っています。ハレルヤ。
テトスへの手紙
3:5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。
3:6 神はこの聖霊を、私たちの救い主イエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
新年開けて1月4日、細君と東京都内で礼拝会場に貸してもらえそうなレンタル会議室を探しに出かけた。公共のものは条件的に難しいので、民間のものを、亀戸駅、錦糸町駅、両国駅近辺で探してみる。松の内なのでまだどこも閉まっていた。まあ気に入ったところ、斜め前が韓国教会だったところ、なんとなく気が進まないところがあったが、パームサンデーの4月13日から毎月第二日曜日は、開拓エリア内で会場を借りて、礼拝を始めてみたいと考えている。街を歩いてみると、WEB検索に出て来ないような、貸し会議室の案内がガラス扉に貼られていたりする。スタートまであと三か月、場所を定めて、足で探すのも良いようだ。
先月号で新規開拓の難しさを少し書いたが、今月の会場探しも合わせても、先人がされた開拓の苦労とは比べようもない。苦労という言葉を使うのもお恥ずかしい限りである。日本にプロテスタントの種をまいた方々が如何に苦労をしたかを、パズ・バイブルカレッジの「日本教会史の概観」で習ったばかりである。このクラスサイトのオープニングページの背景に、日本宣教の功労者が並んでいる。内村鑑三、その右にフランシスコ・ザビエル、ど真ん中にいるのがヘボン博士、そして高山右近、中田重治。
ど真ん中にいる割には知名度が低いと思われるので、今回このヘボン博士の開拓についての偉業を紹介しておきたいと考えた。ついては、この機会に教会の図書にあった、「ヘボン」(教会新報社、豊かな人生文庫 少年少女信仰偉人伝53)、「ヘボン伝」(有隣新書88)を読んでみた。
J.C.ヘボン博士は、アメリカ長老派教会の医療伝道宣教師として、夫婦で中国宣教に従事していた。その後1859年に日本の地を踏んだのだが、まだ日本中に反キリスト教の勅令看板が掲げられていた。当時の日本は、ペリーの黒船来航後、攘夷運動で殺気立っている江戸時代末期で、異国人は討ち払えという物騒な時代であった。実際ヘボン博士滞在中、間近で生麦事件が起こっている。日本語の聖書もない、プロテスタントの教会もない、辞書もない、言語も通じない。日本での開拓は、ゼロスタートというより、マイナスからのスタートであった。
この時の宣教師たちとその家族が、肉体的、精神的、霊的に最も困難な生活を強いられたのは想像に難くない。今までの自国での豊かな生活を捨てて、神様の使命を帯びて、言葉や文化が違う国へ宣教に来た上での苦労であった。ヘボン博士も、ニューヨークで高名な医師であった。日本に来る前は、アジアでも医師の宣教師として活動していた。
しかし日本の鎖国時代も大きく変わり始めていた。日本での最初のプロテスタントの礼拝が1853年にペリー提督の艦上で行われた。宣教師も含めて外国人が日本に住むようになり始めた。ヘボン博士は、来日後、仏教寺院を借りて診療所を開設した。当時オランダ医学を学んだ日本人もいたが、まだ西洋的な病院がなかった。ヘボン博士は身分の上下なく、無料で診療をした。
後に政府は宣教師が日本人とかかわることを禁じ、診療所を閉鎖したが、そのことによってヘボン博士は日本語の学びに集中する時間を持つことが出来るようになる。そしてその時期に有名な和英辞書を作り上げるに至ったのである。来日後「コレハナンデスカ」と聞いて回り、日本語を収集したという。
1863年、キリスト教禁止の高札が撤廃される10年前、医者として以外にも高等教育に力を注いだ。ヘボン博士は学校を開いて、他の宣教師たちと一緒に、そこで英語を教えた。現在も残っている学校であるが、元々は英語と聖書を教える目的で立ち上げた学校であった。
1863年 ヘボン塾(男女共学)を横浜に開設
(以下のように現在の校名に至るまで学校の名前が何回か変わる。)
1873年 ブラウン塾/スコットランド学校となる
1875年 男女を分け、男子校はバラ―学校となる
1877年 東京一致神学校となる
1880年 築地に移り、築地大学校となる
1883年 先志学校と合併し、東京一致英和学校となる
1886年(明治19年)白金台へ移転。明治学院となる。ヘボン博士が初代総理に就任した。日本で最も古いキリスト教学校である。
マサイは現校名になって89年後の1975年4月、この学校に入学した。上記の学校の歴史は、高校に入ったばかりの頃に習ったものである。
この他ヘボン博士の日本での大きな功績としては、西洋医療の施術、ヘボン式ローマ字の開発、初の和英辞典を編纂、新約聖書の翻訳(1880年)があげられる。離日直前には聖書辞典も編纂していた。実に33年にわたる開拓期間の輝かしい功績である。
歴史の常として、悲劇的な人生の結末を迎える人が多いのだが、ヘボン博士は神様に守られて、96才にしてその人生を終えられた。
明治学院の校歌は、卒業生であった作家の島崎藤村が作詞している。それは以下の歌詞で締めくくられている。
ああ行け たたかへ 雄雄志(おおし)かれ
眼覚めよ 起てよ 畏(おそ)るるなかれ
藤村はこの校歌を通して学生たちに、ヨシュア記、イザヤ書からのメッセージを熱く語っているように聞こえる。同時にキリストを宣べ伝える者たちへの激励の言葉だったのだな、と励まされた。
ヨシュア記
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
イザヤ書
41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
マサイはヘボン博士が作った学校で高校一年時の教科書と一緒に聖書(旧新約)と讃美歌集を買った。初めて手にした自分の聖書である。それはヘボン博士から綿々とつながって来た聖書であった。ヘボン博士の名前は、高校入学後すぐに教わった。そして学校の授業で初めて聖書を学んだ。また大学のラボのヘッドセットを通して、それが本当は、ヘップバーンと発音するのだと教えられた。この校歌も高校1年生の最初の音楽の授業で習った。
神様から召命を受け、こういう形で日本に大きく貢献したヘボン博士と、今開拓に携わろうとしている自分がつながっていたことを改めて喜ぶ。短くまとめたが、ヘボン博士の功績を少しでも記憶にとどめていただければ幸いである。マサイは長い歴史を経ての門下生であるが、ヘボン博士が持っていた神様に仕える心を、へりくだって受け継いで行きたいと思う。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
8月号で教会リ・スタート計画についての第一報をお知らせした。そこで今後の参考にするためにも、開拓の日々を時々この場で報告していきたいと思う。
船橋エクレシア・キリスト教会のリ・スタートというより、東京の墨東から江戸川までのエリアで教会開拓をすることになった。場所は千葉県境に限りなく近いところで、両方からの人たちが参加出来る教会を想定し、船橋エクレシアがそこに吸収される。
その第一弾として、3月もしくは4月から、毎月第2日曜礼拝を、開拓エリア内で会場を借りて、行うことになった。場所の雰囲気を見るために、あちこちで実際に活動してみる、ということである。
同じブランチ教会の湘南平塚は、しばらく市内の総合公園で礼拝をしていた。雨の日もテントを張ってやっていたが、今年理想的な会堂が与えられた。広い会堂が与えられれば、それに比例して人も増える。まず椅子を100脚買ったのだが、すぐに足りなくなって、50脚追加した。
次は我々東京東(トウキョウ・イースト)の番になる。どこでも、誰が始めても、教会開拓というのは神様の導きを感じてワクワクするものである。しかし同時に、すぐにいろいろな問題に直面することになる。いつの時代でも同じような悩みにぶつかって、神様に祈り、それを乗り越えて行ったのだろうと考える。
コリント人への手紙第一
10:13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
レンタル会議室なら簡単に見つかるかと思っていたのだが、立ちはだかる障害は多い。求めているのは2部屋。礼拝を行う広いスペースと、チャーチスクールを行う子どもたち用のスペース。理想的には区の施設を借りることなのだが、WEBで調べてみると、会議室とCS(教会学校)用の畳の部屋もあって、料金も安く、考えている通りの環境である。しかし利用案内を読むと、夢は打ち砕かれる。
・宗教の集まりはお断り
・団体登録は5割以上が区内在住、在勤、在学である必要あり
・区外の人が利用する場合は、利用料が3倍になる
まず探してみたのは江戸川区、葛飾区、墨田区、江東区。公共の施設は全て似たような条件が付く。
交通の便も良く、外観は立派な施設なので、あっさり諦めるもの悔しいが、仕方がない。ひと月に一度だとはいえ、嘘をついて借りることは考えたく無い。
何より、これから開拓して行こうと考えているので、現時点では、全員区外在住者である。
ヘブル人への手紙
13:18 私たちのために祈ってください。私たちは正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動したいと思っているからです。
次に一般の会場を探してみる。コロナ禍でテレワークスペースの需要が増えたらしく、小さな個人用のレンタルスペースは多く見つかる。その中で30人以上入る場所を探してみた。こちらも、探せばあるものだなと、満足できるほど綺麗な会議室が見つかった。安心していたら、ここにも障害が待ち受けていた。大きな音は禁止。マイク使用禁止というところもあった。つまり賛美が出来ない。ゆくゆくはバンドが奏でる音楽に合わせて、聖霊の流れに導かれて賛美をしたい、と考えているのだが、騒音と捉えられた時点で即時退去、という条件が書いてある。
されば、音楽目的の貸しスタジオ的な場所を探すか。ちょっと高くなるのは仕方がない。しかしそういう場所には、区の施設にあったような、チャーチスクールが出来るような畳の部屋がない。
また良い場所があったなと思ったら、借りられるのは10時から。貸出開始の10分前には来ているように、ということなので、少しは早く入室出来そうだが、礼拝は同じ10時から始まる。10分間で何もかも整えて開始できるか。いろいろなものを持ち込んでセットするのだが、皆でやればそんなに時間はかからないかもしれない。
もともと出エジプト記のユダヤの民は、移動生活をしていた。雲の柱の移動とともに移住していた。それは神様から与えられた何かを学ぶ期間だったのだろう。そういう時、荷物の開梱、撤収なども手早くやっていたはずだ。
出エジプト記
13:21 【主】は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
13:22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。
これも神様からいただいた試練であり、試練が大きいほどその後にやって来る祝福は大きいと思って、喜んで答えて行こうと前向きに考えることにする。
今、総武線沿いの新小岩から両国の間、北は押上から南は葛西までのエリアで探している。当初は月1回だが、夏の終わりまでに毎週礼拝が出来る場所を見つけたいと願っている。
9月にはJR新小岩駅北口から団地、公園、幹線道路、橋、住宅街、神社、お寺などを主の御心をたずね求めながら地域のため、暮らしている、働いている人々のために、チームが祈り歩いてくれた。
本当は日曜日に使っていない倉庫のような場所が借りられれば良いのかもしれない。広くて、音を気にせずに済むところ。出来れば礼拝が終わった後、予約時間に縛られてそそくさと撤収しなくてよい場所。同じ場所で、ファミリーグループのミーティングが出来るのが理想的だと考え、祈っている。神様の御声に素直に聞き従おうと思い、祈り会でも毎週この件について心を合わせて祈っているのだが、皆離れたところに住んでいて、職場もそこにあるわけではないので、地元とのつながりがまだない。
そこで、こういった場を使って、広くお願いをすることにした。どなたか場所をお貸しいただけると有難いです。また情報提供でも有難いです。祈りの面で支えて下さっている方々にも感謝します。神様の祝福がありますように。
使徒の働き
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
マサイと細君は本が好き。2人で年間100冊以上蔵書が増えて行く。息子には読むように強制したことはないのだが、最近は興味がある本のリクエストを送って来る。小説なら大概あるので、それをレターパックで送っている。新しい本を買ってあげようと思うのだが、字が小さくても、ページが茶色くなっていても、気に入った箇所のページの端が折ってあったり、線が引いてあったりする親が読んだ本が良いのだという。自分が読んだ本を読んでくれるのはとても嬉しい。
さて、今年も神田古本まつりへ細君と行って来た。本好きにはたまらないイベントで、昨年初めて行ったのだが、その時の日記には「人ごみでワゴンに近寄れない。こんなに本を読む人がいるのかと嬉しい気持ち。老人ばかりでなく、若い人もいる。デジタルの時代ながら、アナログを求める人の波に一緒に揺られて、すっかり満足できた」と書いてある。
今年も細君とこの日を楽しみに待っていた。始まって最初の週末、お昼には既にマニアックな面々が集まってにぎわっている。昨年で学んだので、今年は狙いを定めて行く。マサイの狙いは神田すずらん通り。ここには書店や出版社のワゴンが出ている。早川書房や東京創元社のワゴンは長い行列が出来ていてワゴンに近づけない。
去年この通りの岩波書店のワゴンから発せられる、在庫僅少、3冊でブックカバー進呈、という呼び声を聞いてワゴンに吸い寄せられて行った。文庫本「クオ・ワデス」上・中・下の3冊を見つけて即購入。僅少在庫本だから定価なのだが、新品ではある。この本は今、品切れで手に入らない。大手書店でもネット書店でも見つからない。版元ならではの嬉しい提供品だ。これが古書まつりの良いとことである。
古書店はそれぞれ得意分野がある。今年はまず細君希望の古書店を2件見る。次に人の頭しか見えない岩波書店のワゴンに突入。細君は後ろに避難、待機している。人垣をかき分けて一番前に行くには要領が必要だが、苦労して一番前に行った甲斐はあった。岩波文庫解説目録2024年版には品切れと出ている本がすぐに目につく。米文学と仏文学の作品を3冊、今年もブックカバーを貰う。品切れだからもちろん大手書店でもネット書店でもこの値段では手に入らない。
その他靖国通りの書店前のワゴンで仏文学を2冊、通りを左に折れたところで伊文学を1冊手に入れた。後で休憩をしていた時に、細君に狙ってきたが見つからなかった本の話をしていると、それならさっき見た、と言われ、もうひと往復するが、その店が見つからない。売れてしまったのかもしれない。古書に「後で買おう」は通じない。見た時に買わないと、戻った時にはもうない。
最後の1冊を買った時も、散々迷って一旦書店を出てきたが、細君に品切れ本なら今買っておかないと絶対に手に入らないから買ってくるようにと言われ、すぐに引き返して買う。実は随分前から欲しかった本なので、買って良かった。
細君も2冊、古書ながら美本を安価で購入。皆買ったものを袋に入れて嬉しそうに歩いている。集中して本の背表紙の字を見ていたので、さすがに疲れて来た。今年も満足して帰路に就く。
いっぱい買うと読むのが随分先になる。去年買った3冊も今年7月末に読み終えた。ポーランドの作家による歴史小説で、原題は「クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語」。紀元64年頃、暴君ネロ治世下のローマ帝国を舞台とした、1896年の作品。
若いクリスチャンの娘(実は捕虜となっている王女)と、ローマ人将校の恋愛を中心に、ネロによるクリスチャンへの残虐な迫害の様子が描かれている。
「クオ・ワデス QUO VADIS」とは、ラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」の意味。ヨハネの福音書13章36節からの引用である。
13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
この言葉は、ペテロの運命を決めたばかりでなく、その後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとして作中のクライマックスで用いられている。
軍団将校は、王女を通して目が開かれていく。恋愛が優先か、神が優先か。実際にイエスと行動を共にした使徒ペテロや、イエスに出会ったパウロの言葉により、徐々に信仰が確固なものとなって行く過程が描かれる。信仰を持ったように感じた後でも、完全にイエスに従えず、人間的な思いが見え隠れするところが実にリアルだ。
しかしネロから結婚の許可が出て安心した矢先にローマ市内に火が放たれる。ネロの関心を買おうとした者の放火によって、ローマ全体が燃え上がる。その放火犯に仕立て上げられ、逮捕されたクリスチャンたちがスタジアムに集められる。見世物としての処刑。相手は猛獣たち。次いでスタジアムにびっしりと建てられた。十字架上での火責め。クリスチャンたちは、永遠の世界へ思いをはせ、悲壮感なく、この日を迎える。
フィールドの聖とスタジアムの悪がくっきり分かれている。これはネロにとって自分が表現する芸術の一つであり、それに対する人民の反応だけを気に掛けていた。その大トリとなる見世物が、王女を守るリギ人対野牛。野牛の角にはリギ族の王女が縛られていた。
69章で終わると良いのに、と思いながら、70章をしばらく読まずにいた。70章では使徒ペテロが逮捕される。ネロのクリスチャン弾圧に際して、ペテロは逃げるようにクリスチャンたちに説得され、迷いながらローマを後にする。しかしアッピア街道を落ちて行く途上、反対側から歩いてくるイエス様に会う。ペテロが「主よ、どこへ行かれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ戻る」と答える。ペテロはそれを聞いて目が開かれ、殉教覚悟でローマへ戻る。
あくまでも伝承を基にした小説であり、外典などに記されているが、新約聖書に書かれている内容ではない。また史実として実証されていることでもない。軍団将校や王女、ネロを配しているが、主役はイエス様を3回否定した使徒ペテロで、タイトルの引用元となった聖句の最後にある、「しかし後にはついて来ます。」というローマでの決意であった。
読み終わってみれば、心から読んでよかったと思える作品。こういう本が普通には手に入らなくなっているというのは悲しい。しかし古書まつりではこういう本に出会うことが出来る。神様が出合わせて下さったと信じている。感謝。
ヨハネの福音書
13:32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのなら、神も、ご自分で人の子に栄光を与えてくださいます。しかも、すぐに与えてくださいます。
13:33 子どもたちよ、わたしはもう少しの間あなたがたとともにいます。あなたがたはわたしを捜すことになります。ユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも言います。わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません。
13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
この夏、アメリカでの会合に出席するために、教会の牧師、宣教師たちが渡米して行った。不在の間、何もないと良いなと思っていたが、登戸エクレシア・キリスト教会を黎明期から支えて下さった大先輩の女性Tさんが7月に亡くなった。とても暑い土曜日の午後、第一報をもらったのだが、場所が離れているゆえに動けず、代わりに教会の皆さんがすぐに対応してくれたことに深く感謝します。
渡米組が帰国して来た8月末に、教会堂でお別れ会を開いた。この教会は1989年9月にスタートしたのだが、Tさんが洗礼を受けられたのが1991年9月16日。マサイが初めて参加した洗礼式だった。ここでTさんの証を聞いて、神様からいただく祝福を知り、この世界への目が開けたような思いがした。この時、次は自分かな、とうすうす考えたことを覚えている
お別れ会の当日は、Tさんを知る昔からのメンバーが教会堂に集まって同窓会のような雰囲気になった。まず主任牧師がTさんの人となりを紹介した。スクリーンには洗礼式後の集合写真が映し出されている。主役は、中央に赤いワンピース姿で花束を持って笑顔で座っておられた。
マサイは弔辞の代わりに、教会史からTさんの名前が出ているところを抜き出して紹介した。初めて牧師宅を訪ねて行かれた日、洗礼を受けられた日、日曜礼拝の中で話をされた日、聖書勉強会を始めた日やその時のメンバー、役職就任日などなど。データベースを読み上げるようにしゃべり、皆がよく知っているTさんを思い出してもらった。ガラテヤ人への手紙5章22~23節にある御霊の実を全て持っておられた方だった。日曜礼拝の中で、牧師の「御霊の実は何か知っていますか?」という質問に、即座にすらすらと9つ挙げられた時のことを覚えている。明るく朗らかで、牧師から頼まれたことは絶対に断らない、という強い信仰の持ち主だった、というエピソードを続けて紹介した。
皆感心して聞いてくれたが、個人のことについて、本人も覚えていないような詳しい記録が残っていることに驚いていたような印象を受けた。この教会史は細君が神学校へ提出したものをマサイが受け継いで書き続けていたもの。教会の拠点数や人数が増えてきたため、日々の活動がとても追えなくなって、残念ながら2003年9月までで途絶えてしまった。記録として残すために一人が追っていかれるのは、拠点一か所、人数は100人位までが限界かもしれない。約16年の記録だが、書いておいて良かったと思っている。
しかし神様の書物にはそれがもっと克明に書かれている。それも半端でない人数の全てが、その人がまだ地上に誕生する前から既に書き記されている。
詩編
139:16 あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。
ルカの福音書
10:20 しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
自分の事が天に書き記されている。自分の事を自分以外の人が、しかも神様が分かっていて下さっている、ということに大いに喜びたい。Tさんはその天に凱旋された。我々には、Tさんが行かれた場所は分かっているという安心感があるので、ここで明るくお別れの会が開けている。
細君は教会が始まったばかりの頃、毎週木曜日主婦のための聖書勉強会で一緒に時間を過ごして来たことを紹介した。頭のいい人、神様の前にとても謙遜で従順な人、気がきき思いやりのある方、尊敬出来る方、心を割って話せる良き先輩、いつも元気で、前向きで、明るい笑顔、ずっと年下の私のことをいつも信仰のお母さんと親しみを持って呼んでくださった。「この地上でもうお会い出来ない寂しさはありますが、また天国で会えることを楽しみにしています」とまとめた。
息子さんからも母のエピソードを紹介してもらった。今まで断片的に聞いたことはあったが、昭和の激動の時代を生き抜いて来られた力強い歴史の中で、イエス様と出会い、牧師のアパートまでそれを確かめに訪ねて行かれたという、貴重な個人史を教えてもらった。まさに神様が呼んで選んでくださった方だった。
いろいろな人が次々とエピソードを語ってくれた。その中には、今まで気づかなかったような一面もあった。そんな話しの中にTさんの笑顔、自転車で教会堂にやって来られる姿が蘇って来る。
必ず教会堂にいて下さった方なので、姿が見えないのはとても寂しい。御霊の実全てを持っておられたTさんは、素晴らしい、尊敬すべきお方でした。今は天国で神様と一緒に過ごされていることと思います。Tさん、今までお世話になりました。有難うございました。
ガラテヤ人への手紙
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
最近読んだ本の結末に、一日で一番良い時間は夕方である、と書いてあったので、抜き書きをしておいた。この本では夕方を人生の晩年にかけてもいるが、老人が暮れ始めた海を見つめ、そこにあかりが灯るエンディングが印象的だった。
「しばらく前までこのベンチにすわり、私と奇妙な問答を交わしていったその男は、私に向かい、夕方こそ一日で一番いい時間だ、と断言したのです。たしかにそう考えている人は多いのかもしれません。そうででもなければ、ただ桟橋のあかりがついたというだけで、あれだけの歓声が自然発生的に湧き上がるものでしょうか。」カズオ・イシグロ 日の名残り
そんな夕方・夕暮れを礼賛している代表的な作品は、清少納言の枕草子。ここは夕暮れと言っても、特に秋の夕暮れを称賛している。学校の授業で暗唱したのを思い出した。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端をいと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。」
夕方、夕暮れには、人を特別な世界へ誘うような印象がある。一日を外で過ごした後、大切な人のもとへ帰る時間だからかもしれない。マサイも子どもの時から夕方から夜が始まる時間にかけてに特別な色合いを感じていた。
この夕方からユダヤ人の一日は始まる、とバイブルカレッジで教わった。やはりこの時間帯には人知を超えた何かがある。
創世記
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
朝があって夕があった、ではなく、夕があり、朝があってから一日が完結する、と書かれている。ユダヤ人の一日は、新約聖書の時代に於いても、夕方、日が落ちてから始まっていた。
創世記
24:63 イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。
暗くなり始めた夕暮れ近く、なぜイサクは散歩に出かけたのか。
これは神様と一緒に時間を過ごすため、だと教えてもらった。しかし仕事が終わった後、神様のところに行ったのではなく、一日の始まりに、瞑想するため、祈りのために出かけた、ということだという。
夕方から新しい一日が始まるということを理解するには、現代の常識の枠にとらわれていたのでは難しい。ユダヤ人、イスラエル人は、夕方から一日を始めていた。教会暦や典礼暦と呼ばれるキリスト教における神聖な暦、正式な規定においては、一日は、前日の日没からはじまり、当日の夜明けを経て、その日の日没に終わりを迎える。イサクの時代、夕暮れが一日の始まりだった。だから一日の始めに一人になって瞑想し、神様と共に時間を過ごしていた。イサクは、まず一日の始まりに神の国とその義を第一に求めていた。この短い一節からだけでも教えられることは多い。
一日の始まりにこそ、神様との時間をゆっくりとりたい。個人的な神様との時間、それが終わって家族との分かち合いの時間があり、神様とたっぷり時間を過ごした後、眠りの中で神様から祈りの答えが示されることがあったかもしれない。こうした神様による充電が終わった後、目を覚まして働き始める。仕事の終わりとともに一日も終わる。
私たちは優先順位として最初に神様を置く必要がある。一日の始めに、御言葉を聞く、御言葉を読む、神様との対話から始める。それが一日の活力源となる。これが大切なことであるので、一日の始まりは、神様と一緒に過ごす時間としたい。
また夕暮れというのは、明かりがつく時間でもある。自然光が消えて暗くなった後、代わりにあかりが灯り、あたりは明るくなる。
ヨハネの黙示録
21:23 都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。
冒頭に紹介した作品にあったように(あかりがついたというだけで、あれだけの歓声が自然発生的に湧き上がるものでしょうか)、一日の始めである夕暮れは、一緒に過ごす神様のあかりを感じて、歓声をあげたくなるほど嬉しい瞬間である。
日が沈んだ後、静まって聞く神のことばは、清少納言が言うように、「言ふべきにあらず」、言葉では言い表せない程素晴らしい。神様によって定められた神聖なる一日の始めは、神様を、またその光を身近に感じ、神様と一緒に過ごす時間としたい。清少納言が推奨したように、その声を聞くのに特に素晴らしい季節がやって来る。夏休みを終えて、バイブルカレッジの創世記Ⅱのコースが始まる。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
教会が大きく動こうとしている。多くの人の祈りが結実しようとしている。
船橋エクレシア・キリスト教会が現在の場所に移転して来て、現在の教会名で初めて礼拝を行ったのは、2001年9月2日。来月で丸23年になる。ここ数年、人の入れ替わりがあったが、少ない人数ながら安定した活動が出来ている。
しかし活動を広げて行くには少し手狭に感じている。常駐の担当者がいないことも改善したい点である。ビルの1階を会堂としてお借りしているで、毎日曜日9時半前にシャッターを開け、机を並び替え、看板を出して、教会堂をオープンする。礼拝後はまた締めて帰る。1週間のうちに教会のシャッターが開いている時間が4時間弱と、短いのがとても気になっていた。マサイは日曜日の午後、介護の為に実家を訪問しているので、ゆっくり教会堂で過ごせない。皆をせかすようにシャッターを閉めて帰るのを申し訳なく思っていた。
シャッターが閉まっている時間が長いと、地域に密着しているという印象が薄くなる。いくらWEBで活動を告知し、ZOOMでの活動をしていても、いつもシャッターが閉まっている教会、という外見イメージはよろしくない。理想は、いつも開いている教会。そこに行けば誰かしらいて迎えてくれる、御言葉にあふれる教会。
毎月1回主任牧師と運営などについてZOOMミーティングを開いているのだが、4月のミーティングで、牧師から船橋リ・スタートについて提案があった。移転を伴う大計画だ。船橋エクレシアがより大きく発展して行くために、もっと広い場所を探す。子どもたちのためのチャーチスクールのスペースも大きくとる。候補地としては、現在のJR下総中山駅から東京方面へ向かう総武線沿線で探す。現メンバーの家からも遠く離れないように、電車で10~15分程度の範囲内が望ましい。千葉県にはこだわらず、イースト東京をイメージする。
変更点は場所だけではない。礼拝は、英語と日本語のバイリンガル礼拝にする(現在は第1週目のみ)。今向ヶ丘遊園で開いている同グループのPAZチャーチをイメージする。グローバルな教会への転換となるが、ゆくゆくは日本語だけの礼拝も増やしていくことを考える。
他のPAZチャーチと連携が取れるように、礼拝時間を現在の10時30分開始から30分繰り上げて、10~12時に変更する。これにより、月に何回かは礼拝メッセージを他PAZチャーチとリアルタイムで連携することが出来る。
働き人が新しく何人か加わる。主任牧師が交代し、今度は常駐になる。現主任牧師は統括的な立場になる。そして様々な賜物を持った開拓チームがやってくる。
奉仕はこれから新しくチームで行っていく。船橋のメンバーは今までの訓練期間を終了して、チームリーダーとして同労者とともに奉仕をする。
新規オープンの目標は、2025年4月。ここに向けて実際に動き出していく。
5月24日、同じブランチ教会であるPAZ湘南平塚は、教会堂購入を決定した。1階に120人くらい座れるスペースが確保できる。2023年4月30日にオープンした教会だが、早速祈りの答えが与えられた。
5月26日礼拝後のミーティングで、教会員に上記の内容を発表。
6月22日(土)細君と午後から江戸川区、葛飾区エリア探索散歩へ。新教会堂の場所選定の下見を兼ねてプレイヤーウォーキングをしてみた。教会堂の候補地としては、総武線沿線の快速電車が止まる駅が理想的なので、現教会から近い東京都に入ったところの駅を南から北へ歩いて雰囲気を見る。今まで下りたことのない駅だが、ここで開拓の働きが出来るのかと思うとすれ違う人、建物、全てが新鮮に見えて来た。駅からは南へ向かって商店街が伸びている。下町の雰囲気が好ましい。江戸川の土手に上ると、あたりが見渡せる。はるか南側には高層マンションが林立している。駅前に高層マンションを建設中だった。人口が増える地区であることが好ましい。
創世記
13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」
アブラムは、神が与えた地を実際に歩いて確かめるように、という指令を受けた。そしてアブハムは神からいただいた約束について、実際にその土地を歩くことによって、神に従っているという信仰を表した。
アブラムの目に映ったような祝福された地が目の前に広がっているのを感じる。ヨシュア記1章3節でも神はヨシュアにこう言っている。
ヨシュア記
1:3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
神は、これから「あなたがたに与える」、ではなく、既に「あなたがたに与えている」、と言われた。あなたの先祖アブラムが、あなたが生まれるずっと前にこの土地を歩いて、既に所有していた。だからこの場所というのは、これからあなたたちに与える土地ではなくて、もう既にアブラムを通してあなたがたに与えているものなのだと、神は言われる。
創世記
15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」
礼拝、教会イベント以外にも、英語教室、ポルトガル語教室、コーヒーショップ運営、アートスペース、なども考えられるだろうか。人がたくさん集まって来る、明るい教会。そんなことが出来るのだろうかという、今まで考えたこともないようなアイデアがどんどん浮かんでくる。どうやってそれを実現させていくのだろうかということは、神様が教えて下さると信じている。
コリント人への手紙第一
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
これからこの地で一緒に開拓をするスタッフと多くの足で、この地をくまなく歩いてみようと考えている。喜んで教会が一致して進んで行く事が出来るように、神様から与えられたビジョンの実現を楽しみに日々祈っている。こういうまたとない機会を与えて下さった主に感謝。
創世記
15:6 アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。
皆さん、お祈りでのご協力をお願い致します。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
6年前の引越しに合わせて今の教会に移った時、若い人たちが一生懸命やっているので、邪魔にならないように影からサポートさせてもらおうと思っていた。58才だった。それがいつの間にか毎週前に出て喋るようになってしまった。いつまでも年寄りが出しゃばっていると、次の世代が育たないし、やろうと思っている若い芽を摘んでしまうことは良くない、と今でも思っているのだが、やればやるほど足が抜けなくなる上に、やることがどんどん増えて来る。子育ても仕事も一段落して時間もあるので、と思ってやっていたら、気が付くとほぼ終日教会の事を考えている。
生涯現役、という言葉を聞くようになった。65才直前とはいえ、昔持っていたこの年齢に対するイメージは、引退後の老人というものだ。しかし生涯現役となると、バトンタッチや終わりはない。最後まで走り続けることを神様が望んでおられるようだ。
そこで調べてみた。教会に限らず社会では、団塊世代(約660万人)が65才に到達する2014年あたりから次のような声が大きくなってきたようだ。少子高齢化が進んで、労働力不足が問題となって来る。そこで働く意欲のある高齢者が能力や経験を生かして、年齢に関わりなく働くことができる生涯現役社会を目指すことが重要である。
厚生労働省のサイトでは「人生100年時代構想」を大きくうたっている。人生100年という時代を見据えた経済社会システムを創り上げるための政策が出来ているようだ。ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳より長く生きると見込まれていて、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えている、と報告していた。
最初の人、アダムは930年生きた。当時は長寿社会なので、アダムが亡くなった年、その子セツ、孫エノシュ、曽孫ケナン、玄孫マハラエル、来孫ヤレデ、昆孫エノク、仍孫メトシャラ、雲孫レメクと9代目までが同時代を共有していた。まだ人の数も少ない時代だったので、きっと皆生涯現役だったのだろうと考える。
その後、ノアの時代、洪水が起こる前に、
創世記
6:3 そこで、【主】は言われた。「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」
と神様は人の齢を定められた。ノアの生きていた時代に人の齢は120才に設定されたわけだが、現在の統計を見るとまさにそれに近づいているのに驚く。
2024年時点、世界最高齢ランキングは、116才が2人(アメリカ)、次いで115才が2人(この内一人は日本人女性)。ここまで全て女性。114才が4人(この内一人は日本人女性。一人は男性)。
また110才までに到達した方を表すスーパーセンテナリアンという言葉がある。2020年の調査では世界に141人のスーパーセンテナリアンがいらっしゃる(男性1人、女性140人)。現在存命中の日本人男性の最高齢はまさにその110才。
神様が定められた120年というギリギリまで人間が生きるような時代を迎えているようだ。
日本の100才以上の人口は88,085人(2023年1月1日の統計)。「人生100年時代に、高齢者から若者まで、全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことのできる社会をつくることが重要な課題となっています」、と厚生労働省のサイトにあった。また「100年という長い期間をより充実したものにするためには、幼児教育から社会人の学び直しに至るまで、生涯にわたる学習が重要」、だとも記してある。
ここに示されている2つ、まず元気に活躍し続けられる場はある。教会がまさにそれ。年齢様々な教会員たちと一緒に神様の御言葉を聞き、賛美し、イエス様を伝える活動を続けていく。イエス様を中心とした安心して暮らすことのできる社会のモデルが教会にある。また生涯にわたる学習については、64才から神学校での学びを始めた。それが今楽しい。卒業は68才になるが、そこで終わるのではなく、さらに学び続けたいと思っている。学ぶ方は生涯現役でいられる自信はある。
神様は人の齢を120年と定められた。それは元気で活躍できる年齢の上限であると考える。
テモテの手紙第二
1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
1:10 今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。
ノアが950才で亡くなった時、アブラハムは58才だった。当時まだイサクも生まれていない。これは冒頭の自分の年齢と重なる。神様の目から見たら、まだまだこれからが活躍の年だ。64才で後進に道を譲るなど言ったら神様にまだまだこれからだ、と言われてしまう。
ローマ人への手紙
11:29 神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。
船橋エクレシア・キリスト教会は、今年大きなプロジェクトを始動した。その実現に向けて、皆で神様の御心を求め、導きを祈っている。マサイも細君も神様が行けと言われたところに行き、永遠の命に至る食べ物の為に働くというのがこれからの人生となる。神様とともに生涯現役でいられることを幸せに思う。それがとても楽しみであるし、ぜひ用いてください、と祈っている。
ヨハネの福音書
6:27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
ヨハネの福音書
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
4月から始まりまったバイブルカレッジもふた月がたち、最初の8週、聖書入門のコースが終了しました。最終テストも終えて、皆さんほっとしている頃かと思います。70人強の同級生がいるということは、大きな励みになっています。4年後にはぜひ皆さん一緒に卒業しましょう。
毎週日曜日に3コマずつレッスンが送られてきますが、皆さん、いつ受講していますか。マサイは週末まで持ち越して、焦って終わらせたくないので、月曜日から早朝ヘッドフォンをして受講しています。1日1コマが目標なのですが、終わりそうもないと、起きる時間が早くなります。もともと老人の早起きで目は覚めているし、早朝から外は明るいので、苦にはならないのですが、昼食をとった後に必ず眠くなります。
電車の中でイヤホンをしてスマホの画面を見ながら受講すれば良い、と勧めていただきましたが、せっかくの機会なので、じっくりやりたいと考えています。そこで机に向かってノートパソコンを開いて、ということになります。画面右半面にワープロソフトを立ち上げ、左半面にYouTube映像をシアターモードで映して、口述筆記をしています。最初はペンで紙に書いたものを文字起こししていたのですが、年々自分が書いた字が読みにくくなっていて、解読にばかり時間を取られるようになってしまいました。そこで、見ては止め、見ては止め、して入力しています。AIが発達しているし、精度の高い自動文字化ソフトがあると教えられそうですが、自分でやらないことには頭に入らないので、このスタイルでずっとやって行こうと思います。入力が終わるまでだいたい映像収録時間の3倍かかります。
入力したものは、誰にでも分かるように読みやすい文章にとめて行きます。喋った言葉を読む文章にするというのは、簡単なようで難しいものです。この作業をやっていると、入力したものを何度も読み直すことになるので、一回の講義を3回以上は繰り返し受けるのと同じことになります。生の講義だけではこうは行きません。これだけやると、さすがに頭に入って来ます。今までさらっと読んでいた箇所に新しい発見がたくさん出て来るので充実感があります。
週末にZOOMでグループミーティングがあり、その週に学んだ内容をシェアしていきます。マサイのグループは5人でやっています。その時発表するために、さらにこの週受講した3コマのエッセンスをまとめる作業を行います。皆同じことを聴いていてもそれぞれ着目する箇所が違うので、良い勉強になります。
こういった作業は、だいたい木曜日までかかるのですが、それが終わるまで落ち着きません。朝5時に起きて始めていたものが、4時半起きになり、時にはもっと早くなっています。細君には睡眠不足はアルツハイマーの原因になるからと注意されているのですが、そういう細君は、平日の日中、集中して勉強しているので、いつもマサイより早く終えています。
グループミーティングをYouTubeにして、最後にGoogle Classroomにアップするのですが、同級生の他チームが一生懸命やっているのが分かるので、これも大きな励みになります。
以下に8週24コマの授業のから学んだことを、凝縮して8つあげておきます。
◇私たちの目標は、神様の御言葉によって内側から変えられること、御言葉を通してイエス様との関係をさらに深めて行くことです。私たちがイエス様と同じ姿に変えられると、イエス様の心を持つようになります。
◇キリスト中心の賛美と礼拝には、私たちの想像以上の力があります。私たちは、礼拝する相手や、そのものに似て来ます。礼拝している対象のようになって行くのです。
◇神様は高慢な者には敵対します。高慢が神様に敵対するのです。イエス様は、へりくだる事、謙遜になる事を教え、身をもって示してくださいました。自分がへりくだれば、神様があなたを高くして下さいます。
◇イエス様は、本物の弟子と、ただご利益的に祝福を求めている弟子とを分けようとされました。自分の身を委ねずに、ただ祝福を求めるような人になってはいけません。
◇神様はあなたが目的を果たすことを強制していません。私たちは神様に選ばれました。しかし選択するのは自分です。
◇私たちの目標は、キリストの弟子を作る事です。聖霊が働いて下さるので、あなたに与えられている賜物は、人々がイエス様と出会うことの助けになります。
主にあってキリストの弟子を作って、教会を生み出している時、必ず攻撃を受けます。しかし攻撃は自分が正しいことをやっている証拠です。迫害があるところには福音が必ず広がります。
◇私達は、全てを完璧に準備してからでないと働き始めようとしません。イエス様はそれを望みません。とにかく従いなさい、とにかく行きなさい、ただ行きなさい、と言われます。
◇パウロがそこまで成功した理由は、聖霊の御声に聞き従ったからです。パウロの例に従って、犠牲を払っても、神様が私のために計画して下さったことを全部果たすことが出来るように祈りましょう。
受講中はとても充実しています。今まで何度も読んできた箇所が、分かりやすく頭に入って来て、聖書を深く知る喜びを味わっています。4、5月は教会のスプリングキャンプや屋外バーベキューなどのベントもあり、今までになく充実した2か月でした。バイブルカレッジでの学びを通して、自分がやりたかったことは実はこういう事だったのか、と気付き、これを勧めてもらったティム・ヒューバー主任牧師に、そして今このタイミングで受講を始めさせて下さった神様に心から感謝しています。
詩篇 ダビデの賛歌
23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
4月10日、スマホに送られてくるアーサー・ホーランド師の文書に以下の聖句があった。
イザヤ書
43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
4月7日、細君とそろってバイブルカレッジに入学した。細君は実に日米合わせて神学校3校目、マサイは初めて。当教会がやっているPAZ BIBLE COLLEGE 4期生になった。神学生である。卒業は4年後の2028年3月予定。完全定年になって、時間の余裕が出来てから、とも考えたが、待つこともないかと、すぐに始めることにした。実に神様が備えられたタイミングだった。
以前会社帰りに立ち寄れる神学校について調べたことがある。学ぶことについて興味はあるのだが、この時の目標が単に知識欲を満たすためのものだったため、会社、教会、介護の隙間に入れるには難しいと考えて諦めていた。当時の決心はその程度だったのだが、今回はまず祈ってみた。神様が用意して下さったのだから、あらゆる障害を取り除いて、最後までやり遂げさせて下さるはず、と細君と話し、入学を決めた。息子に「Bible Collegeに入学します。4年かけて卒業します」とLINEを送ると、「え!すごい!頑張って!!」と返事をくれた。
4期生は75人。入学オリエンテーション時に「神様から与えられている使命を果たす」という目標を告げられた。単に個人的な学習欲を満たすためのものではない。講義は毎週Googleクラスルームを通して送られてくる。1週間に3コマ。それを視聴した後、毎回小テストがあり、それについてのグループディスカッションを1週間に1度小グループに分かれてZOOMで行う。また各コースの始まりと終わりに全員参加のZOOMミーティング(日曜日18時より)がある。
4月8日、早速最初のレッスンをやってみた、と細君が昼間ラインをくれた。問題は、いつやるかということ。日々の時間管理が難しい。早朝机に向かうのは、デボーションの時間として習慣づいている。頭が一番冴えている時間なので、学ぶにはこの時間が一番良い。マサイも翌9日朝から始めてみる。1時間集中して、1コマ終えると充実感に満たされる。考えていた以上に興味深いことをたくさん教えてもらえたし、出来事を地図に落としていくので分かりやすい。これなら続けられそうだ。翌日は夜、細君が教会のメンバーとZOOMでバイブルスタディをやっている間に21時からやってみた。しかし夕食後は眠くて頭に入らなかった。
結局デボーションの時間を変更して、週3回、朝やることにした。最初は、視聴して、小テストに回答して、テキストの空欄を埋めて、という一連の学びが1時間で済んでいたが、真剣に学びたいのでだんだんそれでは済まなくなって来た。パソコンでの視聴なので、分かりにくいところは何度も戻って聞き直すことが出来る。便利なのだが、その分時間もかかる。5時に起きて朝食前には終えられたものが、細君が早く出かける日などは、4時半から始めないと間に合わなくなった。最近は随分早くから明るくなって来たし、充実した時間だからよいが、日中眠くならないように、と祈る。ディスカッショングループでの分かち合いも、毎週気持ちよくできている。思えばこれもコロナ禍で通信環境が飛躍的に発展したことの恩恵だと考える。あらゆるものを通して、神様が道を整えてくださっているのを感じる。
新しいことを始める時は、大きな意欲がわく。こんなに自分は学ぶことに飢えていたのかと驚くほど。これは聖句の通り、自分が新しいことをしているのではなく、神様が新しいことを始めてくださったのだ。心の中に道を設け、潤いを与える川を流して下さった。
合わせてデボーションではヨハネの福音書をゆっくりじっくり読んでいる。こちらも日々新しい発見が行間から湧き出て来る。教会員皆でやっている通読は、出エジプト記。学生になったのだから学業に専念するのは当たり前だが、日々生活の中で神様の事を考える時間がずいぶん長くなった。それがとても嬉しい。
アーサー師の配信文のタイトルは「新たな一日、新たな始まり」だった。その通りの毎日が順調に始まった。
アーサー師はさらに言う。
「焦らず慌てずじっくり、ゆっくり、一歩一歩を忘れないことだ」
「先に先にと流行る気持ちに押されないように」
「何事も今のこの時、この瞬間を大切にすることだ」
「(ジーザスは)、今日あなたの心の渇きを潤し、泉を湧き上がらせてくださる方なのだ」
3週間学んだ内容から、神学生としての学びの決意をまとめてみる。
神様は私を選んでくださいました。その大きな恵みに感謝します。神様はその恵みを豊かに、へりくだった者に与えて下さいます。様々な試練や誘惑に合った時は、忍耐を試されます、その時は自分の判断を優先することなく、まず神様に祈り、神様の前に静まり、御声を聞き、そして従います。
私が出来ると知っているので、神様はこれを与えて下さいました。私は神様のご計画の内にあって、既に古い呪縛から永遠に解放されているのです。時と機会は、私ではなく、神様が定めて下さる、と私は信じています。
神様は、道がなくても、道を作って下さるお方です。後悔を持って生きないように、神様の御声を聞いた時は、私が目で見ている周りの状況に左右されることなく、信仰に基づいた選択をしていきます。
アーサー師は繰り返す。
本質なる方は
「あなたにわたしは新しいことをする」と約束され、
「確かに荒野に道を荒地に川を設ける」と約束される。
アーメン!
コリント人への手紙第二
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
今年のイースターはマサイの誕生日、朝からこの曲をかけようと思っている「When I'm sixty-four?」 。ビートルズ8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバムSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの、昔のLP盤で言うところのB面2曲目、ポール・マッカートニーが「僕が64才になっても」と歌っている。1967年の曲だが、昔よく聴いていた。
そう、マサイはこの日で64才になる。この歌詞で言うところの64才のイメージとは、髪が抜けて薄くなっている。僕は役に立つんだ、電球が切れたら信管を直してあげられる、日曜の朝には、庭の手入れをしたり、雑草を抜いたりするよ、と切実に自己アピールを繰り返し、存在を忘れないようにと訴えている。孫たちがいる。そういえば祖父も父も64才ではおじいちゃんだった。
そしてサビは「僕を必要としてくれるかい? 食べさせてくれるかい? 僕が64才になっても」。
これがユーモアを感じるメロディーに乗って歌われる。64才になっても〇〇してくれるかい?と未来に期待する歌だが、老境に入る頃には今までの愛が薄れてしまうと考えるのか。存在が消えていくような人生の週末を想像しているようで、ちょっと寂しい未来像だ。皆から忘れられたくない、という強い思いが発せられている。マサイは一週間後、その年齢になる。さて64才のマサイは?
イースター一週前、棕櫚の日曜日、義理の両親が通っていた教会の礼拝に細君と参加した。5年ぶりだが温かく迎えていただいた。メッセージは、「イエスの弟子であることを勇気をもって表明する」というマサイの好きな内容だった。
午後は三浦海岸にある教会の共同墓地の前で墓前礼拝があった。3つの教会の共同墓地が並んでいて、海が遠くに見える。ここに細君の両親の骨壺を納めてある。墓地を前にして「名が記されていること」という牧師の話を聞いた。大きな石造りの墓地は正面に「主はわが牧者なり」と刻まれている。その横に墓誌が立っていて、そこに物故者の名、生年、没年月日が記されている。今回その字をより鮮明にするために、刻んだところへ白ペンキを入れてくれた。ここに名が記されている人は墓地の中に(骨壺が)入っており、墓地に入っている人は墓誌に名が記されている。これはリンクしており、どちらかが欠けることはない。墓誌の名は石を彫り刻んであるので消すことはできない。書き直すことも、取り消すことも容易にはできない。それが記されているということです、と牧師は話す。
神様は我々クリスチャンの名を天に書き記して下さる。それは消えることなく、色あせることなく、まして取り消されることもない。神様が記して、神様が覚えてい下さるのだ。ルカの福音書にはそれを喜びなさい、とある。
ルカの福音書
10:20 しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
ヨハネは、より力強い約束を記している。
ヨハネの黙示録 3:5
3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
だから我々クリスチャンには、64才だろうが、もっと年を取ろうが、ポールが歌うような不安はない。神様が我々の名を天に、いのちの書に、書き記していて下さる。それは既に記されていて、消されることはない。そしてお会いできる時には、イエス様が私の名を天の父の御前と御使いたちの前で言い表して下さる。その日を喜び楽しもう。
曲の最後にあるように、「永遠に僕のもの」と用紙に書いて下さるのは神様なのだ。神様は、私たちを覚え、天に名を記し、必要とし、養ってくださる。それは我々がいくつになっても変わらない。まさに私たちの永遠の牧者であられる。なんて素晴らしい。ハレルヤ、神様感謝します。
詩編
139:16 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
あと1年を切った。会社を定年になって4年、そのまま同じ場所へシニアスタッフとして通い続けているが、完全定年まであと1年となった。この2,3月と一足先に完全定年になった先輩達が会社を去って行った。それに加えて自己都合退職の人も増えてきた。長い間同じ船に乗っていた人が、どんどん下船していく。契約期間は65歳の誕生日の3月31日までなので、それまで在籍しているとしても、有休を残さずに使い切るために、最終出社日は2月17日になる。そう考えると、いつの間にかあと1年を切っていた、ということである。
ちょっと前までは、まだまだ働き続けられる自信があったが、最近は各社コロナ禍のテレワークも終わったようで、電車の混雑が元に戻ってきた。それで通勤が辛く感じる時がある。また1ドル150円を超えてインバウンドが急増しているため、観光客が増えている。マサイが通勤に利用している東京メトロ築地駅には、日々外国人観光客が絶えない。そんな人たちに行く手を遮られて歩くのも面倒になってきた。
マサイは早生まれで年度末が誕生日なので、まだ1年あるが、会社勤めの同級生は、もっと早く完全定年を迎える。昨年一緒に飲んだ時、来年以降はどうするかということが話題になった。求人募集を見ても65歳以上でも可という仕事は少ないと言う。その時は、もう次を探しているのか、と感心して聞いていたが、今年に入って求人広告を気にするようになった。できれば通勤電車に乗らないで済む地元で再就職先が見つかれば良い。
22才で社会人になってから今まで、勤務時間中は頭をフル回転させて仕事をしていた。それが全く考えなくてよくなる。頭の中のぽっかり空いたところへ新しい職場のための知識を一から詰め直すのか。それならフル回転させていた頭を神様のために有効活用したい。
しかし一人で引きこもることは考えていない。コロナ禍がもたらした通信環境の飛躍的発展で、オンラインでいろいろな教会の礼拝メッセージを聞くことができる。さまざまな聖書勉強のためのセミナーにもPC画面から参加できる。自宅を出ずして、聖書の知識をどんどん蓄えることができる。そうやってたった一人で聖書に取り組むと人が増えている、と聞く。しかしイエス様は
マタイの福音書
18:20 二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」
と言われている。早朝ゆっくりじっくり聖書を読んで示されたことは、真っ先に細君に聞いてもらう。マサイが夢中になって喋るのを細君は黙って聞いてくれる。喋ったことによって考えがまとまったものは礼拝後の分かち合いの時間にシェアする。するとそれが自分の内で確かなものとなる。ひとりの頭の中にあるものを一旦外に出すことによって、よりまとまったものとして自分に帰って来る。これは一人で引きこもっていたのでは得られない大切なものとなる。
「イエスと出会う」最近この言葉が気に入っている。来し方を振り返る機会が増えてきたが、イエス様と出会ったことに感動することが多くなった。イエス様と出会うことによって、私の目が開かれた。どれだけ恵まれたか、励まされたか。イエス様と出会ったことを教会内でシェアすると、恵みはより大きくなる。教会員に聞いてもらうことによって、励ましが倍増する。
ルカの福音書
24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。
先月参加したメンズリトリートで聞いたスティーブン・ケイラー牧師の話から。
「我々クリスチャン男性は世に遣わされている。遣わされるところに神の約束がある」
「教会に来たら、神との出会いを体験します。神様との親しい関係が養われます。神の家族の関係を楽しみます。日々の生活のために励ましをいただきます。生きがいのある使命を発見します」
だから
「全力を尽くして教会を愛する」
「輝かしいクリスチャン男性の生きがいのある人生を発見する」
仕事にかかわっていた長い時間をあてる目標がここにあった。私の存在目的は、神の栄光を輝かせること。素晴らしいものを与えていただいた。神様、楽しみにしています。
ピリピ人への手紙
3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
詩篇
84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
1月7日、2024年最初の礼拝メッセンジャーは、ジョサイヤ・ヒューバー牧師であった。タイトルは「変革をもたらすレガシー」。
スクリーンにイラストの魚がたくさん左から右へ泳いでいる画像が映し出される。「チョーズン」というテレビシリーズのオープニングだという。
大小さまざまなたくさんの魚が同じ方向を向いて泳いでいます。皆さんのファミリーヒストリー(家族の過去)は皆同じ方向へ向いているかもしれません。自分の回りの社会も皆同じ方向へ歩んでいます。何か違うことをしようとすると矯正され、だめだ、こっちに行けと言われます。そして周りの皆と一緒に行くことになります。
そこにイエスが現れます。
イエスは群衆と一緒に歩みません。
イエスは群衆が進む方向を逆行します。
イエスの生き方はこの世の中の誰とも異なります。
ある時、イエスに従って行こうと決意する者が現れ、イエスと同じ方向へ向きを変えて泳ぎ始めます。そして他の人たちがこの流れに反してイエスに従って行くのを手伝います。
皆が苦しんで地獄へ向かっている中、私たちはその流れに反してイエスに従います。
回りの皆の人間関係が崩れている中、私たちは健全な人間関係を持ちます。
回りの皆が落ち込んで鬱になっている中、私たちは神様の喜びの中で生きます。
イエスが残してくださった遺産を私たちは受け取るのです。
そうして私たちはこのストーリーを変えるのです。
ヨハネの福音書
10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
ここには2人のリーダーがいます。どちらのリーダーに従うかによってその結果は大きく変わってきます。
箴言
14:12 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
クリスチャン一世であるマサイは、こうやって自分のストーリーを変えた。
回りの皆が同じ方向へ泳いでいた。皆が同じ方向を向いて泳いでいるので自ずとそこに流れが出来る。流れに乗っているのは楽なものだ。その中で前後することはあっても、隊伍を乱すものはいない。皆がそうしているので、それが当たり前だと思って育ってきた。ファミリーヒストリーもこの流れの中にあった。
しかしある時、イエスと同じ方向へ行こうと考えた。そしてファミリーヒストリーを自ら書き換えた。細君に結婚を申し込もうとしていた時期でもあったので、結婚をしたいがためににわかにクリスチャンになるのかと揶揄する者もいた。しかしその時、細君の返事がノーであったらもう一生独身で良い、しかし絶対に信仰は捨てまいと思った。これは自分の中で動かしようもない決意であった。イエスを主として受け入れ、従う事。流されるのではなく、自らの意思を持ってついて行くこと、一旦泳ぎ変えた向きは変えない、というその時の気持ちは今も変わらない。
今、マサイは細君や息子とともにイエスと同じ方向を向いて泳いでいる。そこに新しいファミリーヒストリーが刻まれていく。一族の歴史を変えたこと、これから未来につながる一族のためにイエスにつながったこと、これからの家族は皆イエスにつながること、イエスにつながることは神様に直接つながること。マサイが書き換えたファミリーヒストリーは、子々孫々を神様につなげるものである。新しい連鎖は実にワクワクする。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
先月号で書いた伝道セミナーの後、あちこちで聖書を学ぶ会が始まった。セミナーが強い刺激になったようで、使命を帯びた人達が、可能な限り声をかけて回りの人を誘うようになった結果が実っている。
細君もクリスマス礼拝の後のカフェタイムで、初めて教会に来てくれた方にセミナーで配布されたテキストを渡して誘っていた。蒔いた種はすぐに実って、新年から女性4人でこの「イエス様のグッドニュース(マタイによる福音書に基づいて)」というテキストを使った学びを始めることになった。話が決まる時は、「ちょっとスケジュールを見てみます」などという「待った」なしに、スムーズに流れる。まさに、「私たちの行く先に神様が私たちの話を聞く人の心を用意して下さいます。だからその人に福音を伝えればよいのです」とセミナーで言われた通りであった。
マサイの高校時代からの友人達は、同時期に聖書を買って、同じ聖書の授業を受けて来たので、種は蒔かれている。発芽のきっかけを与えてあげればよいのだが、なかなか直接的な声掛けができないでいる。年末、種蒔きの使命をもって、何気なく文章の最後に教会へ誘う一文を入れてみた。どう読んでくれたか分からないが、それが芽吹くのを期待したいと思う。
ルカの福音書
21:1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。
21:2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。
21:3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。
21:4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」
イエス様は、律法学者たちの不正を弟子たちに教えた後、貧しいやもめの態度を通して、献金の価値は、全てを神にゆだねた生き方が示されていることにある、と語られた。長年この箇所は、献金(お金)の事を言っているのだと思って読んでいたが、今回じっくり読んでみて、そればかりではなく、時間について、を教えているのではないかと考えた。
神様からいただいたもののどれくらいをもって神様に仕えているかは、お金もその一つであるが、そればかりとは限らない。神様からいただいた時間のほんの少しを神様との時間に当てているのか、神様からいただいた時間の全てをもって神様と向き合って過ごしているのか。日曜日に礼拝堂に行くだけか、24時間、365日、常に神様に心を向け、神様に従う生活を送っているか、をイエス様は問うているのでは、と考えてこの箇所が重く心に残った。貧しいやもめは、強いられたわけではなく、持っていた全ての時間をもって神に仕えた。
テサロニケ人への手紙第一
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
神様が望んでおられることには、「いつも」、「絶えず」、「すべて」、という言葉がつく。まさに我々が神様からいただいた時間の一部ではなく、全てを、という事である。
詩篇
103:22 【主】をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
リック・ウォレン氏は、「人生を導く5つの目的 第16日一番大切なこと」の中で、このように言っている。
「物事の重要性は、それに費やした時間で測ることができます。(中略)
時間は最も貴重な贈り物です。なぜなら、どんな人でも決まられた分しか持てないからです。お金は増やせますが、時間は増やせません。ですから、人のために時間を使う時、あなたは二度と戻らない人生の貴重な一部を与えていることになるのです。時間こそ、あなたが人に与えることのできる最高の贈り物です」
時間は神様から与えられたもの。それは人間のみならず、この地上に生あるもの全てに平等に与えられたものである。上記の引用箇所の「人」を「神様」に言い換えてみると、「時間こそ、あなたが神様に捧げることのできる最高の捧げものです」となる。
マタイの福音書
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
仕事も、子育ても一段落ついてきた今であるから、やっとそう考えることができるようになったのかもしれないが、この世での時間を、神様にお返しできる捧げものとして使えるように与えて下さったのは神様です。それを、いつも、絶えず、すべてをもって捧げていきたいと、2024年の年頭に思うマサイでありました。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
10月に続き11月もPAZジャパン主催の伝道セミナーに参加しました。クリスチャンがより積極的にキリストの福音を伝えるためのセミナーです。なぜ福音を伝えるのか、誰に福音を伝えるのか、何を伝えるのかなど、開拓していく伝道を学ぶ2日間。18日(土)は向ケ丘遊園のPAZコーヒーショップを貸し切りにして、10~16時100人を超す受講者が集まりました。翌19日(日)は礼拝の後、14~16時ZOOMで4教会をつないで配信されたものを船橋エクレシアの教会堂の壁に大きく映して視聴しました。ここに1日目の内容を中心に短くまとめてお知らせします。
福音を伝えるのは、イエス様からの命令です。
マタイの福音書
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
勇気が出でない人は、やり方が分からない、と言い訳します。伝道出来ないのは、恐れを持っているから、とまず冒頭で心の中を見透かされました。
神様の働きを信じると、神様は私たちに聖霊を与えて下さいます。私たちの仕事は種を蒔くことです。それが神様の力によって芽生えます。蒔かなければその機会はありません。その種を誰に蒔くかですが、私たちの行く先に神様が私たちの話を聞く人の心を用意して下さいます。だからその人に福音を伝えればよいのです。
ピリピ人への手紙
4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
伝え方として、最初に祈ることから始めましょう。神様に何をしてほしいかを祈り、続けて未信者が信じるようにと祈ります。カジュアルな会話から始め、意味のある会話へ。そして霊的な会話から福音を伝える。相手の心を変えるのは神様です。
使徒のはたらき
19:8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。
19:9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
19:10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。
全ての人が話を聞いてくれるとは限りません。大きく分けて3種類の反応が想定されます。①興味なし、②もっと知りたい、③イエスを神と信じます。①のように相手に拒否されても大丈夫です。平安はあなたのところに返って来ます。
ルカの福音書
10:5 どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。
10:6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。
マタイの福音書
10:13 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
この時の注意点は、聖書の言葉(悔い改め、創造主など)を極力使わないという事です。我々クリスチャンは日常的に使っていますが、いわゆる専門用語なので、相手には伝わりません。短い自分の証をして、福音を伝えることが大切です。次につながるような会話にしましょう。聖書の学びに誘えた時のために、イエス様のグッドニュース(マタイによる福音書に基づいて)というテキストが今回配布されました。英語、日本語、ポルトガル語の3版あります。これをチームや教会全体でやっていきます。
それでは福音の伝え方として、何を伝えるか。何を語ったらよいかを具体的に考えてみましょう。相手に一番伝わりやすいのが自分自身の証です。これを短く15~30秒以内にまとめることが肝心です。証というのも専門用語のようですが、分かりやすく以下の3点にまとめます。
・イエス様と出会う前はどういう人生を歩んできたか。
・イエス様との出会い(どうやって出会ったか)。
・それから自分はどうなったか(私は赦された、イエスは救い主、イエスに従う決心をした、など)。
そして最後に相手にこんな質問をします。「こんな事はあなたにありましたか?」「この話をどう思いますか?」この質問の答えから会話につなげていきます。
実習でこの証を急いで作ってロールプレイングをしました。イエス様と出会って劇的に180度人生が変わりましたという話をよく聞きますが、そういう人ばかりではありません。そういう劇的な出来事があれば話もまとめやすいのですが、そうでないと簡単には思い浮かびません。1つ、2つ無理やり書き出してみましたが、納得がいくものが出来ません。
やはり実際に自分が体験したことでないと、相手にも伝わりません。そのうちに、32年前の洗礼式で喋ったことを思い出しました。イエス様との出会った瞬間について、思い返せば、全ての原点はここにありました。以後自分は実際に変えられました。こちらは実体験に基づくものなので、すらすらとまとまりました。語る時もスムーズに話せそうです。迷った時には原点に立ち返ること。そして人にはそれを伝えていくことです。
マサイの証
イエス様と出会う前の自分は、いつも嫌いな奴がいて、そのことに常に悩まされていました。「あいつがいなければ…」「みんなあいつが悪い」とイライラ・不平・不満は募ります。でもその「あいつ」がいなくなってほっとすると、すぐに別の「あいつ」が現れます。
つきつめて考えると、一番いやな奴は自分だということに気づかされます。問題は自分の中にあるのです。そこで自分を変えようと努力し始めました。しかしいくら格好をつけても、仲間を変えてみても、中身は変わりません。「お前昔と全然変わってないな」とすぐに見破られてしまいます。キライなものは、自分の中から次々と湧き出して来るのです。
そんな時に参加した教会のキャンプ会場で、イラスト入りの小さなトラクトを見つけました。「きらいだよ」というタイトルで、まさに自分の事が書いてありました。
そこにある小さな醜いイラストの怪獣がまさにそんな思いをもっていました。そして
「変える方法がひとつだけある。変えるのではなくとりかえるのだ」
と語ります。
「イエス・キリストは、私達の罪のために十字架につけられた。そして3日目によみがえり、新しいいのちを私たちに与えてくださる。そう聖書に書いてある。
このイエスを信じる人は、自分自身から解放され、新しいいのちで生きることができる」
目からうろこが落ちたようなイエス様との出会いでした。自分の心をイエス様ととりかえ、自分自身から解放され、新しいいのちをいただいた瞬間です。まさにトラクトに書いてあった通りになりました。
今回、自分の短い証を考えることを通して、信仰の原点に立ち返れたのは、とても良い機会でした。解決はイエス・キリストにあり。私の遺伝子は神様のもの、私の内にはイエス様の血潮が流れています。もはや〇〇家の血ではありません。そしてそれはいつまでも変わりません。この他まだ学んだことはいろいろありましたが、それを確信できたセミナーでした。神様は素晴らしい。
こんな事はあなたにありましたか?この話をどう思いますか?
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
10月9日にあった、エディ・レオ牧師の「キリストの弟子作りセミナー」から第二弾
エディ牧師は、マイクロセルを説明する時に「ハブルータで生活する」と話していました。ハブルータとは、ヘブライ語で「ユダヤ式教育法」といったもの。ユダヤ教の神学校などで日常的に行われている学習法としてよく紹介されています。具体的には、マイクロセルで聖書の学びを2~3人で行う時に、一方的に教わるのではなく、「質問」と「討論」、しながら「パートナーと教え合う勉強法」で進めていくものです。ハブルータの「ハ」の発音は喉の奥を振るわせてから出します。細君はすっかりこの語感が気に入って、夢にも出てきたらしいです。その細君実は、小学生の頃からこの教育法で学んできたといいます。
マサイもこれについてはずっと考えて来たことがあります。教科の学びは、一方的に受ける形でずっとやってきました。学校とはそういうものだと教えられて来ましたので、疑う事もありませんでした。しかし授業中は背を正して先生の話を「見て・聞く」と教えられた従来の学習法では、いざ自分の口でそれを表現しようとしても、思ったようにできません。個人差はありますが、特にマサイは一人っ子で、家で勉強の内容について話す相手もいません。覚えらない原因を、子どもの頃は集中力がないからだ、とよく反省していました。
教科書やノートを見て、レポート用紙に要点をまとめるのはよくやったのですが、作ったものを何度も頭の中で繰り返していくら分かったつもりでいても、人に説明をしようとすると、うまく言葉にできません。それはしっかり聞いているつもりでいても、聞いて終わりだから、メモを作って終わりだからです。みんな頭の中を素通りして行く感じがします。メモをして、それを清書して、重要と思われる箇所にマーカーをひいて覚えてみても、記憶に残らない。自分の口でうまく表現できないということは、自分のものになっていない、ということになります。
長年礼拝のメッセージを聞いて来て、聖書に何が書いてあるか分かっているようでいても、自分の口でうまく神様を伝えられない、伝道できない。メッセージの中で質問されても答えられない。受けることはできても、与えることはできない。そんな情けない思いを何度もしてきました。先月号で書いたように、このセミナーの冒頭、エディ牧師から神様を受け入れてから何年たったか、成長しているか、成熟しているか、30才の幼児ではないか、と問われてはっとしたのも全てはこの辺りに原因がありそうです。
へブル人への手紙
5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
聞いたことや学んだことを自分のものにするために、学んだことを誰かに伝える、という方法の効果は大きいようです。自分の考えを声に出すと、それを自分の耳が聞き、考え、より発言するようになります。覚えたことを人に教える場を作ることが大切です。「皆の前で発表する、他人に教える、互いに説明し合う」と頭でまとめたことを、短くても良いので自分の口を通して説明する習慣をつけると、頭が整理され、深く記憶に残り、自分のものになる、という事が自分でやってみて分かりました。
ハブルータの利点を紹介する文章の中に、従来の丸暗記な学習法とは違い、自分の言葉で説明していくことによって、思考力が高まる。説明することで記憶に定着させやすい。 討論することによって論理的思考力が養われる。説明を受ける側も適切な質問を考えるので、意味を捕まえやすいとありましたが、まさにそれですね。
「パートナーと教え合う勉強法」で一度理解すれば、忘れることはないということです。ユダヤでは、学校で質問することを勧めるといいます。質問と討論は、ユダヤ人特有の文化だと聞きました。1対1の討論では グループ討論よりも発言回数が増え、勉強への意欲も向上するという利点があるようです。彼らは、質問と討論を旧約聖書の時代から続けてきました。繰り返し行う事で 戒律を深く学び、強い信仰を形成してきたのです。
礼拝のメッセージを聞く、それを自分が他の人に伝えるという訓練は、絶対により聖書理解につながると思います。メッセージの中で自分が感じたこと、感心したことを、声に出して誰かに聞いてもらう習慣がつけば、より聖書の理解が深まります。礼拝で聞いたメッセージが自分のものになり、イエス様を伝える時に言葉がスムーズに出て来ることにつながります。
教会の少人数での交わり(セルグループ)でこの学習方法を習得することと、その場を設けることが鍵となり、大きな成長につながります。大切なことを学びました。
ヘブル人への手紙
10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
詩編
92:12 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。
92:13 彼らは、【主】の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。
92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
10月9日(月・祝)に登戸エクレシア・キリスト教会の教会堂で開催された「キリストの体を建て上げる、キリストの弟子作りセミナー」に参加して来ました。講師はインドネシアから来日したエディ・レオ牧師。9時から17時まで、途中休憩をはさんで8時間、集中して学ぶセミナーでした。
マサイが属している船橋エクレシア・キリスト教会は、国際的にはPAZ宣教団体の中の一つの教会であり、日本ではPAZジャパンという組織の中にいます。PAZジャパンには、登戸エクレシア・キリスト教会、PAZチャーチ、PAZ湘南平塚、船橋エクレシア・キリスト教会という4つの教会があるのですが、今年度から一緒に活動する場を増やしていこうという計画のものと、4教会が一致した大きな組織となっています。今回はそのPAZジャパン4教会共同イベントでした。
エディ牧師は暖かい口調の方でしたが、最初から、神様を受け入れてから何年たったか。成熟しているか、停滞して成長なしか、30才の幼児ではないか、という問いかけに喝を入れられました。
幼子は神様が守ってくれますが、大人は、悪に打ち勝ち、立ち向かう為に神様が訓練を行います。つまずかずに「成熟」するには、御霊に満たされ、堅い食物をとることが大切です。
ヘブル人への手紙
5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
自然と、自分はキリストの弟子として成長したい、という強い思いが湧き上がって来ました。この日たくさんの事を学んだのですが、以下の4つから始めていきたいと思います。
1.マイクロセルというコミュニティの重要性について。
マイクロセルは、キリストの体の最小単位です。教会内2~3人での交わりのことを言います。このコミュニティの中で日々互いに愛し合い、励まし合い、与え合います。正しい者は神の家(コミュニティ)に植えられた時、成長します。又ここで他の人を弟子訓練する事によってさらに成長します。その訓練を続ける事が大切です。これを実践すると、パワフルな相乗効果を生み出し、コミュニティは増殖していきます。ですから教会員は教会のセルに根付くことが大切です。
詩篇
92:12 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。
92:13 彼らは、【主】の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。
92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。
ヘブル人への手紙
10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
2.教会の本質について。
真の弟子は、イエスの生き方を学んでそれに従います。それを図にしてみます。正三形の頂点を、上(UP)とします。ここは、「神を愛し、父なる神との交わり」です。左下の頂点は、内(IN)、「互いに愛し合う、弟子たちとの交わり」。そして右下の頂点は外(OUT)、「未信者を愛す、失われたものを捜し、救う」です。これはイエスのライフスタイルです。教会の本質も同じ正三角形で表されます。上(UP)、「毎日の礼拝」。左下の頂点は、内(IN)「毎日の交わり」。そして右下の頂点は外(OUT)、「毎日の大宣教命令」です。両方の正三角形共に大切な事は、この上(UP)-内(IN)-外(OUT)を同時に行うということです。
使徒のはたらき
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
3.弟子として成長することについて。
イエスの生き方を学んでそれに従います。イエスの弟子化のモデルは、見習いです。現場で学ぶ、一緒に生活することで、教師から見習いの弟子として学ぶのです。イエスの見習いとして、弟子はイエスに従う、イエスから学ぶ、そしてイエスのようになります。見習う対象は常にイエスです。
ヨハネの手紙第一
2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
4.自分が出来ること、捧げること
常に神の顔の前で生活する事。途切れることにないコミュニケーションをとることが大切です。これは双方向のコミュニケーションです。神の臨在の中に共にいて、全てを委ねる訓練をしましょう。イエスが私の生活を支配すると、全てが与えられます。あなたの体の所有者はイエスであるからです。祈る時には、私達ではなく、私を主語にして祈ります。
テモテの手紙第二
3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
教会員と共にイエスにあって成長し、共に弟子を訓練していきましょう。必要なのは心の一新です。神様が私自身を整えてくださいます。聖書を読んで、そこにどのような真実を見つけ出すことができるのか、神様は私の何を戒めようとしておられるのかを祈って神様に聞き、神様から示されたことを自身修正する、そして神様に従う具体的な計画を立てて行くことを日々心掛けたいと思います。
ローマ人への手紙
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
キリストの見習いとなって弟子訓練を続ける、そして弟子を育てていく、その弟子がまた弟子を増やしていく。神様のご計画は素晴らしい。弟子になれたことを感謝します。
とても恵まれた内容だった為、恵みが大きすぎて頭がいっぱいになり、この後2日間疲れが残っていてすぐには書けず、木曜日になってやっと書き始めました。これついて書いておきたかったので、10月号掲載が遅くなりました。
セミナーの様子YouTubeでもご覧いただけます。
午前の部
https://www.youtube.com/watch?v=27kXWB0cmIU
午後の部
https://www.youtube.com/watch?v=JgRazBz1Im8
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
お盆休みの始まる前、「本日の12:45分ごろ、S県のボーイスカウトS***団カブ隊10名と引率者が6名、会社見学に来ます」という案内メールが流れてきた。夏休みになったので社会見学らしい。懐かしいユニフォーム姿が、社内に入ってきた。
ボーイスカウトと聞いて、懐かしく思ったのは、マサイも小学校3年生から5年生まで小田原第*団のカブスカウト、小学6年生からボーイスカウトだったから。
入団のきっかけは他愛もないことだった。マサイは当時8才、友達の家に遊びに行ったら、お母さんと一緒にボーイスカウトの団長に入隊のための説明を聞きに行くところだった。「一緒に行く?」と誘われたので、一旦帰って母親を連れ出し、4人で団長の自宅(国道1号線沿いで洋品店をされていた)を訪問し、ボーイスカウトとは何であるかを座敷で聞いた。2人で一緒に入隊したが、友達はすぐにやめてしまった。
スカウトの魅力はいくつかあった。横文字文化であること、同校、同学年生以外とのつながり、ユニフォーム(スカウトハット、ネッカチーフ、それをとめるリング、ガーター付きのハイソックス)。ベルトにはナスカンをつけてロープを下げる、赤白の手旗信号用の旗、飯盒、ホイッスル、磁石、寝袋、スカウト手帳、どんどん装備が増えて行く。それに加えて早朝や夜間の野外活動。テントでのキャンプ、キャンプファイヤー、オリエンテーリング、飯盒炊爨、ロープの結び方各種はここで学んだ、全て楽しいものだった。
記憶があいまいなので調べてみると、創始者ロバート・ベーデン・パウエル卿は、牧師の父を持つイギリス人。リベラルな神学者でもあり、当時の保守的な英国国教会と戦っていた、という。ならば創始者の意図が聖書に基づいていてもおかしくない。
そういえばボーイスカウトのシンボルともいえる徽章に「そなえよつねに」とひらがなで小さく書いてあったことを思い出した。この徽章上部は百合の花になっているのだが、百合の3枚の剣上の花びらは、三位一体の象徴といわれる。それを下から支えるような場所に「そなえよつねに」と書いてある。
丁度ルカの福音書の12章のそれと思われる箇所を読んでいたので、両者が結びついた。
ルカの福音書
12:35 腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
12:36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。
12:37 帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。
12:38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。
やはり聖書的な教えがあったのかと喜んで、調べてみたが、日本語のサイトにははっきりそういうことは書いてない。聖書的と表現することが日本にそぐわないと考えたのだとしたら残念。それでも基本的なものは聖書の教えに基づいたものであったと考えたいので、さらに調べてみた。
スカウトは全ての活動が「ちかい」と「おきて」の実践を基盤において行われている、とある。カブスカウトからボーイスカウトに上がる時にこの3つのちかいと、8つのおきてを覚えて言うのが昇団試験だった(小田原城の常盤木門で暗くなってやったのだが、マサイはこれが覚えられなかった)。
その3つのちかいの最初のちかいが
「一つ、神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります」(ボーイスカウト日本連盟のサイト「ボーイスカウトの教育」より)である。
この神(仏)の部分が原語(創始者がイギリス人なので)ではどうなっているのか気になったので調べてみた。
ボーイスカウトアメリカ連盟のサイト
On my honor, I will do my best, to do my duty, to God and my country,
「私の名誉ために、私は最善を尽くし、神と私の国に対する私の義務を果たし、」
イギリスのボーイスカウト世界連盟の英語で表記された「ちかい」
On my honour I promise that I will do my best
To do my duty to God and the King (or to God and my Country);
細かなところにお国柄が出ているが、創始者の国では、神(仏)のところは「to God」である。ここが肝心なのだが、g は大文字のGod、固有名詞 (名前)である。我々クリスチャンが信仰する神を表わしている。やはりこの活動の根底にあるのは、聖書に基づいたものであり、創始者の精神というのは実に素晴らしいものであったと考える。なぜシンボルのような徽章に、標語のような「そなえよつねに」というひらがなが刻まれていたのかの謎が、半世紀を経た今分かったように思えた。ルカの福音書12章の御言葉を要約した形として覚えておきたい。
伝道者の書
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
コリント人への手紙第二 2:14
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
8月10日の祈り会で分かち合われた聖句から(これは暗唱聖句として、随分前に繰り返し反芻した聖書箇所です)。
ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
この聖書箇所についての分かち合いを要約すると、
「思い煩う代わりに感謝を。感謝の大切さを知り、感謝の心をいつも育てる。神の約束に基づいて祈って、自分の願い事を神に知っていただく。神様の約束を信じないのは、神様を信頼していないということ」となります。アーメン。
私はお医者さんではありませんので、以下の考えは医学的な根拠があっての事ではありませんが、常に心配ばかりして悩んでいる人には、このピリピの箇所に聖書的な解決方法があると考えました。
「思い煩い」は、外からの攻撃に対するものとは限りません。内から湧き出すもの、自分が作り出すものの方が多いように思います。心の中心に自分がいるから、それを守るために、あらゆる攻撃を想定して、常に心配を生み出しているのです。それが思い煩いです。誰もそんなことは言っていないのに、そう言っているのではないかと、勝手に想像しているだけなのです。誰もそんな目で見ていないのに、そう見られているのではないかと、勝手に人の目(近所の目)を気にしているだけなのです。これは自らの想像の産物です。
勝手に想像して気に病むことで、自分の体にストレスがかかります。それがひどくなると神経が胃を攻撃し、胃炎のような痛みが生まれます。それで胃病ではないかと心配するようになるのです。またひどく思い煩うあまり神経が過敏になりすぎて、自身コントロールが効かなくなることがあります。極度に追い詰められたような状態になりと、貧血のようにフラフラして来ます。今度は血管が詰まっているのではないかと心配し始めます。このようになると、すぐに医者に行きますが、血液検査をしても、MRIやCT撮影をしても悪いとことはどこも見つかりません。気が病んでいるだけなので、実は体は健康なのです。
どこも悪くないと診断されると、医者を批判します。いろいろな医者にかかりますが、たいていは同じ診断結果です。すると自分の思った通りの病名を言ってくれない医師をみな藪医者呼ばわりします。二度と行かないと心に誓う医院が増え、気に入る医師はいなくなります。何でもよいので病名を付け、薬を処方してもらえばそんな心も一時は安らぎます。しかし症状がなくなるわけではないので、次は体が病む原因は薬の副作用にあると考え始めます。それでまた別の医者に行きます。これを繰り返すので、医者には相手にされなくなります。
自分の心の中心に自分がどっかり座っている為に、それを守ろうとして自分が心配でしようがないのです。思い煩いはここから生まれて来ます。他人に助けを求めるのですが、自分が聞きたいアドバイスをしてくれる人が見つかるまで、いろいろな人に同じ相談を持ち掛けます。真剣に考えてあげようとしている人たちは振り回されるばかりです。だんだん人が離れていきます。
マサイは最近こうアドバイスしています。
「あなたはしなくてよい心配をしているのです」「それはあなたのする事ではありません」。
8月10日に読んだアーサー・ホーランド師の配信の中から引用させていただきます。
「陽明学を学んだ三輪執斎は武士道と良心について、次のように述べている。『天と地とその全てを創造された生ける神は、人の心の中に宿り、人の心となる。故に心は生き物であり、常に輝く』」
心配が生まれるという事は、神様が自分の中心にいないという事です。心の中心に神様を迎えてみれば、自分はへりくだり、神様への感謝が生まれます。常に神様の事を考え、日々神様の恵みに包まれ、感謝の連続となります。生かされていることを喜び。神様が自分に持っている計画に胸がわくわくしてきます。そして毎日が恵みと感謝にあふれたものとなります。
あなたが私を選んだのではない、わたしがあなたを選び、あなたを任命した、と聖書にはあります(ヨハネ15:16)。何も思い煩わないで、差し伸べられた神様の手を握り、心の中心を神様に明け渡し、新しく生まれ変わることです。それが心配や体の不調から解放されるための神様からの大きな恵みであると思います。人の全ての考えにまさる神の平安に包んでいただきましょう。
ヨハネの福音書
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
ヨハネの福音書
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
コリント人への手紙第二
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
教会のミーティングで、クリスマス礼拝に向けて皆でクリスマスキャロルを練習しよう、という提案があった。賛同する人が多く、誰もが知っている曲をやりましょう、とあっという間に決まってしまった。聖歌隊やゴスペルクワイアーというと、おそろいの長いローブを着て教会堂で歌う姿がすぐに思い浮かぶだろうが、それを船橋エクレシア・キリスト教会でもやろうという事になった。
講師を誰にお願いするのか、練習はいつできるのか、お披露目は礼拝の中でか、教会堂前で外に向かって歌うのか、と話はどんどん進む。歌う側の人数は子どもを入れても多いとは言えない。広く希望者を近隣に募る案も出た。夏前から計画を立て始めたとはいえ練習時間は限られているので、そう短時間で立派なものには仕上げられない。今年は第一回目なので多くは望まず、毎年徐々に成長していこうという事で話はまとまり、まず専門家にYouTubeで音源を作ってもらって、それぞれ自宅練習をした後皆で合わせよう、ということになった。
皆前向きに考えているが、マサイは出来るならマネジャーをしていたい。音楽は嫌いではく、賛美の奏楽を担当していた事もある。ただ歌は人前で披露したくない。これにはそれなりの訳がある。しかし今日のアーサー・ホーランド師の配信メッセージに「己の恥をさらけ出せる人は相手の気持ちを察することができる粋な者となる」とあったので、ここで恥をさらけ出してみようと考えた。この心の傷は半世紀以上前に遡る。
マサイは年度の最後が誕生日なので、同学年にはほぼ1年前に生まれた連中がいる。そのせいばかりとは言えないが、今思い返してみると出来の悪い子どもだった。何より集中力がない。ただ音楽は嫌いではなかった。小学生の時に鼓笛隊のトランペット隊員募集があって、業者がトランペット販売のデモンストレーションを講堂で開いた。やりたいと言ったが、親は許してくれなかった。
小学校の音楽の授業は、音楽室に移動し、担任ではなくTという音楽の男性教師が受け持っていた。ピアノを習っている子、エレクトーンを習っている子はおなじみのようだったが、そうでない児童は普段接する機会が少ない。こちらは好意的に思っていても、向こうはそう思っていない。おまけに授業に集中できない分、手いたずらが多い。音楽教室には教室の外で列を作り、並んで整然と入っていかなければいけない。それを早くに行って、2~3人で机の間で遊んでいた。他の教室にはない珍しいものが沢山ある音楽室を独占したようで嬉しかった。それを見ていてもTは何も言わなかった。
その報復が授業中に来た。いきなり「Kの後ろ」と怒鳴られた、名前すらない。確か親指の傷から膿が出ているのをいじっていた。シンコペーションの授業だった。説明してみろ、と言われて、聞いた通り「タ・タン・タ」と答える。すると自分の名前を言えと言う、そしてもっと高く、もっと高く、と際限もなく繰り返させられた。小学生の頃、声が低かった。五線譜の一番上のミの音は高くて出せない。ウィーン少年合唱団のようなボーイソプラノは間違っても無理。皆の前でつるし上げ状態は続いた。この時問題がどういうふうに解決したのかは覚えていないが、クラス中にあいつは「オンチである」という認識が広がった。小学生にとって初めて接する単語で、十分人を笑いものにすることが出来た。その意味も分からず、自分は歌が歌えないのだと思い込むようになった。以降Tには全く相手にしてもらえない。何をしても見てもくれない。正面黒板の上にシューベルトの「魔王」の絵があった。子どもを後ろに乗せて馬で疾走する父親。後ろから空飛ぶ魔王が子どもに手を伸ばして捕まえようとしている。実に恐ろしいタッチで、いまだにシューベルトの魔王は、ピアノの低音部が怖くて聞いていられない。この絵のように音楽を嫌う霊に捕らえられたのかもしれない。
中学に入ってその呪縛から逃れられるかと思ったが、すっかり歌が苦手になっていた。今度は女性音楽教師を中心に合唱クラブの輪が出来ている。混声4部に分かれていたと思う。つるし上げの傷が深く残っているので、そんな輪には入れない。全体で歌う時は皆の歌声に隠れられるので問題ないが、少人数になると歌えない。歌の試験ではメロディーパートにつられて自分のパートが歌えなかった。人前で歌う事がすっかり恥ずかしくなった。
高校では音楽の授業の最初に教師が全員をテノールかバスかに分けた。男子校なので2声にしか分けられない。マサイは低音のつもりでいたのだが、テノールだった。もう声は低くない。大過なく過ごせたが、2年からは音楽と美術が選択科目になったので、マサイ人生の音楽の授業は、高校1年生で終わった。爾来47年、心の傷はあまりに深く、消えない。
ミーティングでは2曲、「きよしこの夜」「諸人こぞりて」を形にしようと決まった。賛美は現代においての神さまへ捧げる生贄である、頭ではそう理解している。
ヘブル人への手紙
13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
しかし上記の心の傷のため、今でも録音した自分の声を聞くのは一番嫌い。何のこだわりもなく人前で歌える人をうらやましく思う。聖書には、賛美によって一致し、教会堂が神様の祝福で満ち、教会の礎が据えられるように、とある。
歴代誌第二
5:13 ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、【主】を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と【主】に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち【主】の宮は雲で満ちた。
エズラ記
3:11 そして、彼らは【主】を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、【主】の宮の礎が据えられたので、民はみな、【主】を賛美して大声で喜び叫んだ。
細君は、オンチとは音程が正しく取れない人の事を言うのであって、マサイは決してそうではないという。問題は、小学生の時の心の傷が人前で歌う事をできなくしている事にある。この問題について、いつか月刊マサイで書きたいと思っていたが、ずっと先延ばしにしてきた。クリスマスキャロルに皆で取り組む前に、このあたりでそれを吐き出せと神様に言われたように思う。さらけ出したことで、一つ吹っ切れた感がある。神様、私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。12月24日礼拝でのクリスマスキャロルは、教会員が一致した素晴らしいものにきっとなると信じます。よろしくお願いします。
詩篇
119:171 私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。あなたが私にみおきてを教えてくださるから。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ChatGPT(チャット・ジー・ピー・ティー)という言葉を聞く機会が急に増えた。アメリカOpenAI社が生み出した最新のAI(エーアイ)チャットボットだという。パソコンやスマホ画面のメッセージ欄に文章を入力すると、それに対応した回答を生成AI(人工知能)が考え、あたかも人間が作ったかのような返事をする、ということらしい。かつての「近未来的な」は、既に現実のものなのだ。
これが最初に身近になったのは、2022年クリスマス礼拝の招待状を人工知能で作ったと聞いた時。いろいろな条件を指定したら、それを画像にして返してくれたという。それが十分満足できる仕上がりだったので驚いたものだ。確か無料であったと記憶する。次に聞いたのは、3月26日の日曜礼拝メッセージの中。メッセンジャーの関氏が、人工知能の危険性について、ビル・ゲイツ氏の発言を引用して触れていた(注意をして、距離を保って、見ている必要がある)。
そういえば、会社からもこの人工知能の使い方について、注意勧告が随分前に来ていたことを思い出した。あまりに頭がよいので、ChatGPTで会社の機密情報を処理するのは避けた方が良いというものだった。情報漏洩などのリスクもあるらしい。
しかしそういう難しい話ばかりではないようだ。丁度今日こんなメールが流れて来た。難しい会社の綱領を若い人にも分かりやすく、意味が伝わるように、とChatGPTに聞いてみたところ、なかなか刺激的なラップ調に変身した綱領が返って来たという。人工知能には遊び心もあるようだ。
危険を承知しつつ、リスクにつながらない程度に、職場でも気軽に活用し始めている。ちょっとした宣伝物のキャッチコピーは、昔なら随分長い時間をかけ、頭をひねって考えたものだが、それが気軽に「ちょっとChatGPTに聞いてみましょうか」と、いくつかのヒントになるような単語をメッセージ欄に入力している。すると瞬時に出来上がって来た。その出来に「これで十分」、と嬉しそうに評価をしている。最高度の満足ではないが、ある程度の水準は超えているのですぐに使えるという。そのまま使わないにしても、アイデアの素案をこれで作れば、そこに人間の知能で肉付けをして仕上げられる、という使い方だ。これならデザイン会社に発注して高額の請求書が来ることもない。
インターネットや携帯電話が当たり前となる前と後では、ライフスタイルが大きく変化している。同じような波がまた現れるのだろう。今まで人間が当然のように行なって来た仕事のうち、AIにも出来るものはたくさんある、と聞く。前出のビル・ゲイツ氏は、「AIの影響で人間の仕事が大きく減ることはないでしょう。仕事の退屈な部分がいくらか減り、新たな仕事の機会が生まれるはずです」と予測する。
早速スマホにダウンロードして使ってみる。試しに今読んでいる小説「ティラン・ロ・ブランについて知りたい」と入力すると、情報不足という答えが返って来た。1490年に出版された本である。さらに「騎士道物語」と付け加えると、円卓の騎士アーサー王について答えて来た。しかしこちらは別物語の主人公である。AIの認識する騎士とは、この有名人どまりらしい、また情報不足だという。
AIにも得意分野とそうでない分野があるらしい。しかし使い方次第では思わぬ能力の発揮を期待できる。短編小説を書く、文章を要約する、メールの代筆などお手の物。目的と方向性を示してやるだけで良いという事だ。辞書替わりにもなり、翻訳もしてくれる。双方向のやり取りもでき、レシピの提案までできる。
便利だな、で済めばよいが、何事にも表裏がある。何か問題が起こるだろうなと思っていたら、学校の作文の宿題にこれで作ったものを提出した者がいるという。さすがに先生もこの生徒がこんなものを書けるはずがない、といぶかって問いただしたところ、ChatGPTに作ってもらったと白状したという。有料になるともっと精度が上がるということだから、宿題ばかりでなくコンクールなどでこれを使われたら、見分けるのは大変だ。
長足の進歩と変化に期待が先立つが、どのように使うかによって世の中が正反対の方向に進む可能性がある。何でもそうだが、人間がより良い世界を目指してそれを利用すれば、人類にとって有益なものになるだろう。しかし知能を作り出すというのは神の創造の世界を冒すように思える。聖書や神の教えをしっかり持ってこの開発に携われるクリスチャンがいてくれる事を期待する。また利用者としても同じことが言える。善悪の判断を聖書に置いて利用することを心掛ける、それがこれから発展していく未来に向けて、我々が基本としなければならない大切な事であると考える。
コリント人への手紙第一
3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
エペソ人への手紙
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
テモテへのお手紙第二
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
今年もNFL(アメフトです。毎度のことながら、大好きなアメフト話題は長くなってしまいます。謝)のドラフトが終わって、ファンにとって9月まで4カ月間の長いアメフトロス期間に入った。NFLファンになって5年、このドラフトを巡るドラマが年々楽しくなって来た。2022年シーズンは、ドラフトで1巡目に指名された選手ばかりでなく、最後の7巡目に指名された選手もルーキーイヤーから活躍の機会が与えられ、彼らがフィールド縦横で力を発揮する姿が印象的だった。
ドラフトが新人選手獲得のために行われる会議、というのは日本のプロ野球と変わらないだろうが、NFLのドラフト会議は、各チームの戦力が偏らないように、前シーズンの成績下位球団から順番に選手を指名する。3日に渡って、1~7巡目の選手指名が行われる。ただし、指名権のチーム間トレードが可能であるため、いきなり指名順が変更になることがある。来年以降の指名権も対象となる。指名権のやり取りは、さながら試合を見るよう。戦術と戦略にたけた者の知恵が分かって、その深さに驚き、これから始まる2023年シーズンがより楽しみになる。
NFLドラフトの1巡目はコミッショナーが指名し、テレビでも放映される。1巡目の全体1位指名になると、同世代の間での花形選手で、高校生、いやもっと前からスポットライトを浴びて来た選手。その選手をどこのチームが指名するかがたくさんの人々の注目するところ。補強を必要とするポジションが各チーム違うので、必ずしも全チームが同じ選手を指名するとは限らない。我が家でもドラフト情報を満載したムックを予約して、発売日の夜から選手の名前を書き出して、細君と検討を始める。自分がジェネラルマネジャーだったら、次のシーズンを勝ち抜くためにどういう選手が欲しいか。しかしこの全体上位指名された選手が、毎年必ず活躍するかというと、そうとも限らない。各チームがどの程度、選手を見極める目を持っているかを知るのも興味深い。
昨2022年ドラフトでは262人の選手が指名された。その内の最下位指名選手を、ミスター・イレレバントという。1976年以降の呼称だが、ミスター・イレレバントになると、家族がカリフォルニア州ニューポートビーチに1週間招待され、ディズニーランドなどの施設へも招待され、トロフィーを与えられ、種々のメディア取材の対象ともなるなど、アメリカらしい注目の仕方をされる、と聞く。2022年ドラフトでのミスター・イレレバントは、32チームによる指名の7巡目全体262位でサンフランシスコに指名されたクォーターバックである。人数を単純に割れば各チーム8名程度の新人を指名したことになる。2022シーズンには45才の大ベテランもまだ現役クォーターバックとして活躍中だったので、選手層の厚いプロの世界では、ルーキーが出場の機会を手に入れるだけで大変な事だということは、容易に想像できる。それが2022シーズン終盤には、このイレレバント氏、史上最高の最下位指名選手と言われるほどになった。
クォーターバックは、チームの司令塔であり、要、中心となる重要なポジションである。ミスター・イレレバントを指名したサンフランシスコは、前年2021年ドラフトで1巡目全体3位指名した選手をクォーターバックのスターターとして2022年シーズンを戦って行く構想を立てた。ルーキーイヤーの1年を準備期間にあて、やっと晴れの舞台に立ったのだが、シーズン2週目にして怪我による戦線離脱。今シーズンの復帰は難しいと言われた。変わってベテランが引き継ぎ、調子よくチームをけん引してきたが、13週(12月)に足首の骨折により離脱。
その機会は突然やって来た。ミスター・イレレバントは急遽ベテランをリリーフしてNFLの表舞台に立った。ものすごい体格の選手に混ぜるのが可哀そうなくらい、プロのユニフォーム姿に優しさがにじみ出ている。フィールドに立つだけでシンデレラボーイ扱いされるほどの状況だが、ミスター・イレレバントとしてレギュラーシーズンの試合でNFL史上初のタッチダウンパスを決めた。以後負けなしでプレイオフまで勝ち続けた。NFCのチャンピオンシップで右肘内側側副靭帯を断裂してラインの外に出るまで、ファンの期待を一身に背負っての快進撃だった。レギュラーシーズン、プレイオフ合わせて7連勝。スタンドにはご両親が立って応援をする姿が何度も写し出された。
同チームの要が3人も怪我によって交代したのだが、ミスター・イレレバントをリリーフした4番手も同じ試合で怪我をして退場を余儀なくされた。ミスター・イレレバントはここで再びフィールドに戻って来た。あと一つ勝てばスーパーボール出場だったが、痛々しい姿での奮闘は見ていて涙が出るほどだった。しかし残念ながらルーキーイヤーはここで終わった。
そのスーパーボールでも7巡目指名のルーキーたちが活躍した。細君の応援するチームでは、シーズン中1度もタッチダウンを決めていないルーキーが、このスーパーボールの大舞台でタッチダウンを決めた。生き生きとしたフレッシュな力を感じた。
ドラフトの上位指名候補は、即戦力として期待される。年々の戦術の変化でベテランも若手にポジションを奪われかねない。フィールド内に立つことはおろか、ベンチ入りをすることさえ競争率は激しい。1巡目、つまり32位指名まででもレギュラーを保証されるものではないから、262位指名にプレイの機会が回ってくること自体、夢のような話だったに違いない。いつ回って来るか分からないチャンスに即対応できるように準備をして常に待機している日常の努力はいかばかりだったか。与えられたチャンスを生かせる力、というのは大きな才能であると考えた。
細君と感心していたのは、ジェネラルマネジャーたちは、どうやってこの原石が輝くかどうか見極めて指名したのだろう、ということ。人を見抜く力がある指導者がいるチームに指名される選手は幸せだ。その指導者は、試合に出られない間も真面目にやっている選手を見ていて、的確な起用により輝かせ、あなたのやっていることは必ず報いられると励まし、選手の潜在的な力を引き出す。チームの一員でいられることがとても楽しく、選手はずっとこのチームにいたいと願う。
同じことを日々感じている。私たちクリスチャンは、神様によって選ばれた幸せ、見守られている幸せ、賜物を与えられ、励まされ、使命を与えられる幸せを感じ、ずっと神様のチームの一員でありたいと願う。選んでくださった神様を心から信頼し、感謝している。
ヨハネの福音書
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
ペテロの手紙第一
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
2:5 あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
年をとると涙腺が緩くなる。何かにつけてすぐに涙があふれそうになり、声を出そうとすると、涙声になって細君にバレそうになる。
誕生日の朝、昨日の3月30日をもって30年の歴史を持つ東京辰巳国際水泳場が閉館になったという記事がツイッターで配信された。国内の大きな大会や、数々の国際大会が開かれたプールである。それを惜しむ人たちのリツイートを読むと、昔の思い出がたくさんよみがえって来た。皆が書いていた通りに、良い時も悪い時もあったが、ここは水泳をする者にとって、また家族にとっても、水泳の聖地であった。そんな投稿一本一本に涙腺が緩んだ。
「辰巳」と呼んでいたこのプールは、ジュニアスイマーにとって、JOC(ジュニアオリンピック)という全国大会の会場であった。全国大会だけに厳しい制限タイムがあって、それを突破しないとこの大会に出られない。その制限タイムを突破すると、普段着ているジャージもレベルアップする。辰巳に出られるというのが、大きなステイタスであった。東京都内のクラブに属していればここで都の大会があるのだが、極端な言い方をすると、他県の子どもたちはJOCに出場しないとここで泳げない。このプールで泳ぐことが大きなあこがれであり、ここで泳げるようになるために日夜努力を重ねた。その日々がよみがえってくる。
初めて辰巳のプールへ行ったのは、息子がJOCに出られるようになって、その前日練習に行った時、春の良い天気の日だった。東京メトロの辰巳の駅から、各スイミングクラブのジャージを着たスイマーがたくさんプールへ向かって歩いていた。マサイ本人が選手としてそういう場にいたかったのかもしれない。それを息子を通して追体験させてもらっていた。
JOCは3月と8月にあるのだが、選手は当日試合前に練習で泳げるので、相当早く家を出て会場へ向かった。春は辰巳駅から桜並木を歩いて行く。夏はそれが蝉時雨となる。全国大会なので、たくさんの選手、クラブのコーチ、応援団の親、親族、(ティム・ヒューバー主任牧師夫妻も見に来てくれた)が一堂に会する大会当日は、ものすごい数の人がここに集まる。アップへ向かう息子と別れ、親は開場前に朝早くから長蛇の列に並ぶ。一人は入場のための列、一人は大会記念グッズ販売のための列と細君と分業する。いくら広い会場でも簡単に席は取れない。壁面の階段だったり、通路だったりにシートを敷いて狭い場所を確保する。それからビデオを撮るのに最適な場所を探すのだが、短水路(25m)の試合の時は、電光掲示板の下あたりに陣取る。ここだと泳いでいる姿が真横から綺麗に撮れる。ただ掲示板の下なので、肝心のタイムが分からない。しかしそこはしっかり分業体制が出来ていて、スタートライン延長線上の通路前列に立つ細君が、ラップタイムを書き留めていてくれる。マサイは安心してひたすら息子の泳ぎを一脚で支えたビデオのモニター越しに追う。まだスマホで撮影する前の時代だった。
会場では息子は親と別行動になる。選手しか入れないエリアにいるのだが、レース後、ダウンが終わると、ビデオを見に観客席にやってくる。小さな画面でしばらく自分の泳ぎを確認して帰って行く。スタンドではあちこちで同じような光景が見られる。水泳を通して良い親子関係が築けているようでほほえましい。
建物の入り口付近にある東京辰巳国際水泳場の看板下で記念写真を撮るのも楽しみだった。春・夏の大会に出ていられた小学生の頃、これを当たり前のことと思ってはいけない、と自戒したことがある。初めてここ出られたことがどれだけ嬉しかったかを忘れてはいけない、おごり高ぶってはいけないと常に考えていた。
東京都にある大学に行ったので、今度は都大会でここに来られるようになった。息子は寮からここに来て、寮に帰って行く。細君と出場時間に合わせて会場に行き、いつものようにビデオ撮影をする。一日に複数回泳ぐ場合は、プログラムで時間を確認しながら、その間ひたすら待つ。息子と一緒にいられるのは、ビデオを見に来てくれるわずかな時間だけ。少しやせたのかな、鍛えすぎかな、と控え所に帰っていく姿を見送る。
冬の試合の日、息子は辰巳での午前中の試合を終えて、雪の舞う中、駐車場でスーツに着替えて、就職ための会社訪問へ出かけて行った。そんなふうに辰巳には通った数だけ思い出がある。暑い日、寒い日、晴れの日、雨の日、10才から22才まで、息子にとっての青春の場であると同時に、我々家族の歴史の思い出深い場所であった。細君も閉館を惜しむメッセージをSNSにアップしていた。
息子はつい先週、このプールでの最後のJOCにコーチとして参加していた。担当している選手が笑顔で賞状を持った写真がSNSにあがっていた。先を見据えた試合だったらしい。今度は近所に新しく出来た東京アクアティクスセンターが新しい「辰巳」になり、これからの人たちにとっての聖地になる。発展的解消であり、新しいプールに感動を持って訪れる人はこれからも増えて行くのだろう。そして辰巳のプールは2年後、アイスリンクへ変身するという。ひと時代、東京辰巳国際水泳場という水泳の聖地につながれたことを感謝する。そんな風に思うたびに涙腺が緩む。
詩篇
16:6 割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい私へのゆずりの地です。
16:7 私はほめたたえます。助言を下さる【主】を。実に夜ごとに内なる思いが私を教えます。
16:8 私はいつも【主】を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。
16:9 それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。
ヨシュア記
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
会社で若い人たちが楽しそうに喋っているのを、仕事をしながら聞いている。もう一旦リタイアしたシニアなので、極力おとなしくしていて、会話に加わるように誘われたら最小限の仲間入りをしようと心がけている。積極的にシニアの経験談を披露してもしようがないし、若い人たちの会話の邪魔にならないように、控え目にしている。
最近部内は、厄年の話で盛り上がっている。会話の初めは、厄年が何歳なのかということから。そのうち、前厄、本厄、後厄とあるが、皆行かないといけないのか、という質問になった。聞いている本人は、神社へ行けばいいのか、お寺へ行けばいいのか分からないという。若い人でも気にするんだ、と思って聞いていた。答える方は、うちは全部行った、全部行かないとダメよ、と答えている。そういうものなんだと聞いていたが、そこでこちらにお鉢が回って来た。マサイさんはどうしましたか?という。クリスチャンなので一切関係ない、と笑顔でキッパリ答える。神社でお祓いをしてもらわないからと言って、何も心配することはない。確かに何も気にしないまま厄年は過ぎてしまっていた。日本文化から独立したような目で見られている。それが後になって、マサイさんに聞いたらキリスト教徒なので関係ないと言われた、とみんなに話を広めている。マサイの答えが格好良く聞こえたらしい。
また普段信仰生活とは縁のないような女性が、娘の七五三で水天宮へ行って来たという。自宅の近所だからというわけでもなく、わざわざ人形町まで行っている。小さな子どもに着物を着せて千歳飴を持たせて、という記念行事なのだろう。この時も、行ったんですか?と聞かれた。クリスチャンなので神社へ詣でるようなことはしない、とこたえると、楽でいいですね、と返って来た。信仰に対する考え方はその程度のものらしい(教会ではこの年齢の子どもたちに対して祝福式を行っている)。
一般的に事故が重なると、お祓いに行った方が良いと言われる。何か悪いものに憑かれている、と考えるらしい。神社へ行くとそれを祓ってくれるのだろう。当たり前のように勧めてくれるのだが、こういう事があるたびに、自分はクリスチャンであると周りに伝えられて、良い証しの場となる。
そういう時に感じることは、神様の祝福が大きい時ほど、サタンの攻撃も大きくなる、ということ。サタンは嫉妬深い奴らしい。しかしそれに乗ると、サタンの思惑にはまる事になるので、神様に守って下さいと祈る。サタンの攻撃が大きい時ほど、実は神様にもっと大きな祝福を与えられているのだと考え、感謝のお祈りをもって乗り切っている。
最近サタンの攻撃が特に足元に集中している。昨年細君が右足を骨折した。教会員の女性が、教会堂の前で転んで、こちらも骨折になった。別の女性は今朝足底筋膜炎になって家で安静にしていると報告してくれた。入院先の病院から老健に移った女性は、歩行のリハビリ訓練をしている。実はマサイも左足親指の付け根あたりが妙に腫れて、骨に異常があるように見える。痛みを感じる時もあるのだが、外側に体重をかけるようにして歩くとごまかせるので、病院へ行くことを先延ばししている。
これだけ重なると、お祓いを勧められそうだ。そう、船橋エクレシア・キリスト教会は神様に祝福されている、と実感する時が多い。それに対してサタンが攻撃をしてきているようだ。
へブル人への手紙
12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
この私たちは以降が、別訳(ALIVEバイブル)では、
特に、足にうるさくまとわりついて、つまずかせようとする過ちをふり捨てるんだ。そして、神の用意された特別のコースを、根気強く走り抜こうではないか!
となっている。
やはり足元への攻撃は、サタンのものらしい。それを感じる時、足を止めることはない。私たちは、この聖書の言葉にあるように、それらをふり捨てて、惑わされることなく、神様が用意された道を走り抜けて行かれる。神様から既にもっと大きな祝福をもらっているのだから。
エペソ人への手紙
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
前回の車検を終えた時、次回の車検は随分高くなる、と言われていた。もう古い車種なので、部品調達が難しくなるからだという。2006年4月30日に新車で納車されてきてから、丸17年乗って来た。それでも走行距離は8万5千キロくらいだ。自分としては3代目、思い出深い数々の場面を一緒に過ごしてきたので、愛着がわいて、家族の一員のような存在になっている。今は毎週片道30㎞弱の道のりを教会堂まで走ってくれている。
この地に越してきて4年半、何度かエンジン不調を感じたので修理をしてもらった。1年後はお別れか、と思っているうちにその日が来た。車検の案内状が来たので、ギリギリまで乗って、乗り換えるタイミングはいつ頃かと聞くと、まさに今だというので、細君と土曜の午後に自動車販売店へ出かける。
今の車は17年間乗った。買い替えた後、今から17年乗るとすると、運転免許自主返納の時期が見えてくる。車を買うのも最後になるかもしれない。そればかりではなく、最近はだんだん先細って行くような考え方、ものの見方が増えて来た。完全定年までもあと2年。もっと明るく自由な人生設計を考えないといけない、と自戒してみても、いろいろな節目が次々とやって来る。
そんな終わっていく節目が多い人生後半にも、何かを始める節目はやって来る。去年から教会員皆と、毎週第1日曜日礼拝後に基礎勉強会を行っている。14のレッスンをひと月一課ずつ進めているのだが、まず1時間近いYouTube画像を見ながら予習し、それをもとに学びの場を持つ。2月は第8課「罪を告白することの大切さ」、前回は「赦し」、その前は「へりくだった心」というタイトルだった。これまで何回か同じことを学んできた基礎だが、年齢によって理解するポイントや深さが違ってくる。毎回新たに教えられることは多い。その他毎週第2日曜日礼拝後にも別のテキストを使った学びの時がある。
突然始められるようになったという節目もある。12月号で、日~金曜日は朝5時に起きてノートをとりながら、聖書をゆっくりじっくり読んでいる(これについては改めて書きたい)、と書いた。年相応に早く目覚めて眠れない時の時間の使い方について書いたことだが、約束通り以下に書いてみる。
今までの聖書全66巻の通読は、「通読」が目的として先行していたので、とにかく先を急ぐ読み方だった。もっと深く考えたいとか、疑問を解決したいと思っても、立ち止まる事をせずに先に進んでいた。なので、もったいない読み方であった。ゆっくり聖書を机に向かって読みたいという希望はあったのだが、完全定年後でないとそういう時間は持てないだろうと諦め、楽しみを先に延ばしていた。それを突然昨夏から始めたのは、上記の勉強会がきっかけであった。
簡単な計画を持って、ただそれに従って、こつこつと続けるなら、神様との祝福された時間が持てるようになります。祈りと、聖書とノート、この三つの事をその計画に入れて下さい。(基礎勉強会、第3課「神のみことばによって神様に近づいて行こう」)
8月下旬から聖書をじっくりゆっくり読むことを始めた。書き写しに近いような形でノートをとるので、毎日多くて10節くらいしか進めない。この方法は今までやった事がなかったが、書くことによって見えてくるものがある。書き写した後は、その時の状況を行間に深く想像する。どういう時代だったか、近隣諸国では何があったか。一日のうちのどの時間か。イエス様が喋っている時は周りに誰がいたのか。イエス様はどういう表情だったか。どういう感情の動きがそれを聞いた者達にあったのか。彼らはなぜこの言葉を使い、何を考えたのか。旧約聖書とのつながりは。神様は今の私に対してここで何を語っているのか。私はどうしたらよいのか。などをじっくり考える。規模感、地形や距離を想像すると臨場感が湧いてくる。そして全て赤と黒のインクでノートに書きこんでいく。ほぼ1時間。会社に間に合わなくなるので、毎回ノート見開き2ページで終えるようにする。書く事がないように思える時でも、終わる頃にはびっしり字がうまっている。充実した時間を持てたという実感がある。
一般的なデボーションノートの書き方に沿えば、タイトル、聖書箇所、観察、適応、祈りといった流れで御言葉に向き合っていくのだろうが、マサイはこのオリジナル方式で進めている。始めると、その時代、その場所に入り込めるのでとても面白い。マリアの気持ち、レギオンの思いなど、深く見えてくるものがある。そうか!という目鱗は、一日の始まりに活力を与えてくれる。
人生のこの時期にあって、ゆっくり神様に向き合える時間を持てるようになった事を喜んでいる。御言葉に向き合うことで、勇気と自信を与えられ、迷い、考えのブレがなくなった。同時に神様からいただいた使命への思いも強めてくれた。
新約聖書から始めた。8月末にマタイの福音書からスタートして、2月の頭でまだマルコの福音書の後半である。今までのようなもったいない読み方をしたくないので急がない。ノートも3冊目が終わろうとしている。旧約聖書全巻マラキ書が終わるのは、いつになるか分からない。やりながら最適なスタイルを考えて来たので、最近なじんでいるスタイルに落ち着いたのは、マタイの福音書の後半から。マラキ書が終わったら、その前半部分も必ずやり直したいと思っている。
人生まだまだ面白いことが待っている。神様に近づけた事を感謝します。
哀歌
3:25 【主】はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。
3:26 【主】の救いを静まって待ち望むのは良い。
ヘブル人への手紙
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
マルコの福音書
13:34 それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。
13:35 ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。
13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。
13:37 わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
マサイも細君もクリスチャン1世である。つまり親、祖父母、それ以前にクリスチャンがいない。その家系の鎖を断ち切るようにクリスチャンになったので、クリスチャン1世。家には神棚はあっても、15才まで聖書はなかった。息子は2世である。最初から家の中に御言葉があふれていたし、生まれてすぐから教会に通っていた。信仰の継承が出来たのを、親として心から喜んでいる。
登戸エクレシアのクリスマス会に初めて参加して今年で丸33年、いろいろな人がこの教会に集ってくれた。その全てとなると、相当数になる。教会が大きくなっていくそれぞれの節目の時期を思い出し、その時に一緒にいたメンバーの顔を思い浮かべる。何かの拍子に最近来ていないと聞くと、心配すると同時に、とても寂しく思う。教会の規模が小さかった頃、ティム・ヒューバー主任牧師の作ったTim’s original Bible lessonをテキストに、牧師宅の6畳間で一緒に学んだ1世たち。その当時、真剣に悩んで、真剣に学んだ。もう既に神様に信仰告白をしてから30年以上になる。最近顔を見なくなったとはいえ、転地して、そこで信仰厚い生活を送っているのなら、それで嬉しい。
例え話を一つ、マサイは長年会社勤めをしてきたので―、
とある会社に勤めていた人がいるとする。大学卒業時に自分で選んで入った好きな会社である。ある日社長に呼ばれ、急にあるプロジェクトに抜擢される。自分が思ってもみなかったような仕事内容で、なぜ自分が任命されたかを不思議に思う。
よく聞いてみると、実は社長が学生の頃からあなたに目をつけていて、この会社に入るように誘導した。そしてこのプロジェクトをあなたにやってもらいたいと最初から考えていたという。その目的をもって雇用されたわけだ。会社では、社長や上司が丁寧に仕事を教えてくれた。最初は何でも積極的に取り込み、情熱をもってやるので楽しかった。
しかし何年も続けてみると、自分の好き嫌いを周りに言えるようになり、社長のやり方より、自分のやり方を優先するようになった。また仕事ばかりではなく、自分の時間も大切にしたくなって来た。遊びにも行きたいし、会社外の友人と飲み食いもしたい、仕事より優先したいものがたくさん出て来た。しかし与えられたプロジェクトの規模は実に大きく、そんなことをしていたらとてもやり遂げられない。腰が引けて来る。自分の力ではどうしようもないので、何と言って断ろうかと考える。好きで入った会社なのに、だんだんそうでなくなってくる。
最初は仕事を何よりも優先してやっていたが、気が散じて来ると情熱がなくなる。だんだん身が入らなくなってくる。身が入らないので、仕事の優先順位がどんどん低くなる。そしていろいろなことにつまずく。仕事に社内から賛同が得られない、新しく赴任してきた上司に受け入れてもらえない、一生懸命やっているつもりなのに心無い言葉をぶつけられて傷つく。つまずく要因がたくさん出てくる。すると前に進めない。やりがいを失い、自分はここでは必要とされていないのではないか、と思うようになる。
そして全ての解決はこの会社から離れることにある、と思うようになる。ここを離れても、何とかなると考える。そして辞表も出さずに会社を辞めてしまう。
せっかく双葉の頃から選んで、任命した社長は悲しく思う。自分は高齢で、いつまでも一緒にいられるわけではない。会社を将来背負ってもらうために、実際に見せて、聞かせて一生懸命指導して来た。それが少し出来るようにもなって来た。社員だから当然だが、指導料を取るわけでなく、全てをタダで教え込んできた。それなのに真の意味するところを何も学んでくれなかったのだろうか。ここを離れて今まで学んできたことを全て無駄にするつもりなのだろうか。風の便りにも別の会社に入ったとは聞かない。
かつての同僚たちも心配して便りを出す。
「もしあなたに復職の希望があれば、社長はすぐに認めてくれます。社員もみな喜んで迎えるつもりです。もう一度来ませんか。あなたは目的をもって選ばれたのだから、その目的に向かって、一緒にやっていこうではありませんか。
ヘブル人への手紙 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
「あなた」が選んだのではなく、「神様」があなたを選んだのです。メリー・クリスマス。
ヨハネの福音書
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
ヨハネの福音書第一
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
マルコの福音書
9:19 イエスは彼らに言われた。「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
毎朝5時に起きている。起きているというか、その前から目が覚めて眠れないので起き出す。何時に寝ても、ほぼ同じ時間に目が覚める。会社の定期健康診断で問診の際に最近の悩みとして相談しても、しようがないですね、程度の反応しかもらえない。早く目覚めたのなら、その時間を有効に使うように、というアドバイスをもらう。
ならば、と日~金曜日はノートをとりながら、聖書をゆっくりじっくり読んでいる(これについては改めて書きたい)。まずはお祈りから。「私は、神様との交わりを願っています。神様のための時間を作ります。神様が出会って下さると期待します。私は何をすればよいのか教えてください」と始めて、もうちょっとお祈りをする。今年は今までになく病院づいていたが、振り返ると、霊的にはとても恵まれていたと思える。今月は、この「神様が出会って下さると期待します」の祈りの答えの話。
土曜日も同じ時間に起きる。そして走っている。夏は既に明るいが、12月の今はほぼ真っ暗。今日は5時26分スタート。何でこんなに暗い時間に、とほとんどの人があきれるくらいに、まだ夜。しかし走っている間は、マサイの祈りの時間。神様と一対一になれる。
元荒川の土手を走る。街灯がついているので助かるが、ランナー同士、正面からの衝突を防ぐためにLEDアームバンドを左に緑、右に赤を巻き、点滅させる。懐中電灯で足元を照らしながらウォーキングをしている人もいるのだが、反射テープのつかない色の濃いウェアの人がいきなり目の前に現れて驚くことがある。今朝も一度驚いた。お互い走っているので、すれ違う時は、そこそこのスピードが出ている。黒いウェアのランナーがワープして現れたようだった。相手にはマサイの派手なライトが遠くから見えているはずなので、ぶつからずに済んだ。
中川に沿って北上し、新方川との分岐で左へ行く。このあたりは走り出して5~6㎞の地点になるのだが、ここでいつも6時の鐘が鳴る。今日はそれでもまだ雲が厚く暗かった。このあたりは誰もいない。いつも、誰かに襲われても目撃者はいないだろうと思いながら走っている。襲われたら全速力で左手の農家に駆け込むつもりだが、どこが一番近いかと目で探している。途中道が急に細くなるが、ランナーならぶつからずにすれ違えるほどの幅はあり、両側には白線が引いてある。街灯はない。
ここで急に左後方の足元が明るくなった。日が出て来たのかと思ったが、周りは暗いので日の明るさではない。自転車が近づいて来たのかと思ったが、そんな音もしない。振り返ったが、誰もいないし、日も出ていない。LEDライトが白線に反射して明るいのか、と思ったが、左腕には巻いてあるLEDライトは緑色だし、点滅している。発光面は前向きに巻いてあり、腕はそんなに大きく振っていない。明るいのはあくまでも足元から後方で白色、点滅はしていない。それが随分明るく感じる。明るい光はついてくる。
神様が後ろにいて守って下さっているのだな、とすぐに思えた。後ろを見たい衝動を抑え切れずもう一度振り返ったが、後ろは暗かった。
だんだん街灯がある通りに近づいてきて明るくなってきたところで、白い明りは感じなくなった。
「神様が出会って下さると期待します」の祈りのはっきりした答えに感動し、神様がこの小さきものと常に一緒にいて下さること、常に守っていてくださることを、目で見て実感出来た。毎朝「神様が我々家族に持っておられるご計画を分かりやすい形で示して、それを祝福し、導いて下さい」と祈っている。自分が今やっていることを続けて行って良いと答えていただいた安心感に包まれて家まで帰って来た。
なかなか信じてはもらえないだろうが、今朝あった本当の話。朝食時に細君に話すと、神様は今日の川原のこの場所だけでなく、いつもマサイと一緒にいてくれて、今日はあまりに暗いので、明かりをつけてくれたのだ、と言ってくれた。また朝食時に読んだ聖句が丁度ヨハネの福音書8章12節だった。
ヨハネの福音書
8:12イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
詩篇
119:105 あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
今年は丁度12月25日が日曜日に当たるので、クリスマスの日にクリスマス礼拝が出来る。アドベントも12月の一週目からなので分かりやすい。昨年までは、11月の第3週目にクリスマス礼拝のプログラムや準備について話し合っていたが、教会員からそれではあまりに準備期間がない、もっと早くから、という声が上がったので、今年は9月から話し合いを始めた。
クリスマスの本当の意味を伝える、近隣の方で今まで教会に足を向けたことがなかった人に興味を持ってもらいたい、クリスマスのメッセージを聞くことによって教会につながってほしい、という希望を掲げた。25日にクリスマス礼拝ができることで、普段より「教会に行ってみたい」という気になってくれる人が多いのではないか、と期待している。話し合いの後いろいろ準備に入り、必要なものは買い揃えた。今日は招待状が出来上がって来た(表裏原稿をウェブ入稿すると、送ってきてくれる)。明日の礼拝(11月の一週目)後は教会堂内外のデコレーションを始める予定でいる。
もちろんホームページでも案内をする。先日教会を探している方が、市内のキリスト教会をウェブで検索して、ホームページをチェックして来た、と礼拝に参加して下さった。まずはいろいろな教会の礼拝に参加してみているという。当教会も活動情報をホームページやフェイスブック、インスタグラム、ツイッターで配信している。時代に合ったSNSの宣伝効果の高さ、重要性を感じる。
昔はクリスマス礼拝のポスターを皆で手書きしてあちこちに貼ってもらい、案内状を簡易家庭印刷機でプリントして用意し、市内の地図を拡大コピーしていくつかのエリアに分け、教会員全員で分担地を決めてポスティングに出かけた。祈ってポストに投函していったのだが、これを見てくれた人がどれだけいたのか、という事を考えるとSNSの比になるものではない。時代とともに情報配信の方法が進化して、より多くの人に確実に届くようになったのは有難い。
ホームページには今、クリスマス礼拝の案内の他に、教会のお知らせ、日曜礼拝のメッセージ、教会活動の案内、教会が初めての方が心配なく来ていただけるように基本的な質問をまとめたQ&Aを掲載している。その教会活動の案内にある通り、小さい教会ではあるが、日曜礼拝の他にいろいろな活動をしている。日曜礼拝メッセージの動画配信、チャーチスクール、聖書勉強会、子育ての学び、回復グループ(セレブレイトリカバリー)、主任牧師が分かりやすく聖書を説明するYouTubeチャンネル、など。これらを通して、多くの人に神様を知ってもらいたい、と教会員一同が神の国のために働いている。
11月3日のA新聞朝刊のひと欄に、元ビジネスマンの僧侶が、東京・築地本願寺の宗務長から京都にある浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺の執行長になった記事が載っていた。50歳まで、銀行勤めから人材コンサルティング会社経営をしていた方だ。築地本願寺では、徹底した顧客主義を掲げ、誰でも入れる合同墓を作り、悩みに僧侶が応える会員サービスを始め、敷地内にカフェも開店、その実績が買われたという。ウェブやクラウドなど様々なツールを駆使した伝道普及を行いたいとあった。
マサイはこの築地本願寺の前を通って通勤しているのだが、ある時から急に変わったな、という印象を受けた。門前には大きなスクリーンが設置され各種案内を映像で流し、正面の塀には法話を描いた大きな絵数枚を並べ掲げている。カフェは女性に人気があるようだし、寺院が外に向かって門戸を開いたように見えた。わが父もここの合同墓に入ることを考えて申し込み寸前までいったことがある。寺院の運営は企業の運営と違うと反発する声もあったようだが、寺院をビジネスととらえるというより、ビジネスのノウハウを生かした寺院運営と捉えたいとマサイは考えた。
この日丁度細君と江戸の名残を求めて両国駅を出発点にして深川散歩に行った。鬼平犯科帳や宮部みゆきさんの時代小説によく出てくる回向院の門前には、「法話カフェ」という予約制の案内が出ていた。伝統的な因習が根強い印象がある世界であるが、いろいろなツール、手法を生かして今風の伝道活動を進めている事は参考にさせてもらうことにした。
教会のホームページ作成を初めて提案した時には、その新たなツールの限りない可能性についてワクワクしたものだが、教会活動については、さらなるワクワクするものがまだまだあるように思える。それを神様に祈り求めて行きたい。その為に神様が社会のいろいろなところで学ばせてくださっているのだから、今度はそれを生かして神様にお返しが出来るようにしていきたい。マサイは62才と半年が過ぎたが、まだまだそれをやりたいと思っている。
テモテの手紙第二
2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。
ローマ人への手紙
11:36 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
コロサイ人への手紙
3:11 そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
月刊マサイは、登戸エクレシアキリスト教会のホームページに立ち上げの1999年12月から載せてもらっている。それが昨年度初めあたりから若い人達の感性を生かし、時代に合わせたページに大幅なリニューアルすることになった。その後レンタルサーバーの設定変更などに伴い工事中で読めない期間があったので、そこに載せてもらっていた月刊マサイを、マサイのフェイスブックに毎日1号ずつアップしていくことにした。
2021年12月28日から始めて、最新9月号の274号まで、加筆訂正をしながらアップしていった。9月28日にやっと追いついたのだが、22年半分になるので、全て懐かしく、また信仰面でも往時を思い出して新鮮な気持ちになれて、有意義な再録になった。この再録に合わせてずっと読んで下さった皆さん、有難うございます。
今回の再録は、より広く読んでもらおうという伝道目的なので、閲覧設定はできる限りオープンにして、基本的に受け取ったお友達申請は、承認するようにしてきた。お友達がお友達を呼び、随分その輪が広がったのを喜んでいたのだが、再録も終わりに近づく頃からちょっと雲行きが怪しくなって来た。急に外国からのお友達申請が増えて来た。日本語がおかしいのは、翻訳ソフトを使っているから仕方がないのだろうと思っていたのだが、お友達承認をしても掲載原稿へ「いいね」などアクションをしてくれる人はほとんどいない。それがある日、明らかに危ないな、と思う事態になった。
ロンドンで生まれ育った75才の日本人女性から、お友達承認をした後すぐにメッセンジャーにメッセージをもらった。
「おはようございます。お会い出来て嬉しいです。どこの出身ですか。」
「私の名前は〇〇〇子さんです。私はイギリスのロンドンで生まれ育ちました。でも亡くなった両親は東京の大田区出身です」
自分の名前に「さん」を付けるのはおかしいと思ったが、人生の先輩である女性からの問いかけなので、出勤日の朝の忙しい時間だったが、すぐに返事をすると、
「喉頭がんの老寡婦です。現在、H私立病院(ロンドンらしい)で治療を受けています。何人かの先輩医師は、私が生きるのはほんの数か月だと言いました。それで私は亡くなった夫から受け継いだいくつかの資金を持っています。この基金は合計790万ポンドであり、私が死ぬ前に慈善団体、教会、寺院、コロナウィルス患者を支援するためにお金を送るために正直な人が必要です」
「彼のお金をあなたの周りの慈善団体に寄付したり、貧しい人々を助けたりするのを手伝ってくれませんか?」
とすぐに返信があった。翻訳ソフトを使ってこの分量の文章を作っているとは思えない速さだ。日本語で入力するのでも大変だ。
いきなり高額なお金の話が出て来たので、怪しいなと思って、細君に見せてそのまま通勤の駅に向かった。すぐに細君が調べてくれた。電車の中で細君から報告のラインを受け取る。「ちょっと調べたらいっぱい出てきた」という。やっぱり怪しかったらしい。
ある人は、同じような70代の未亡人から
「海外の病院に喉頭がんで入院中の77才の女性。多額の夫の遺産がある。寄付をしたいので、手伝ってほしい」というメッセージをもらったという。「30%はあなたのものに。名前、住所、職業、年齢を送ってください」と続く。
別の人も「まさに今日、その同じようなの来てました!騙されるところでした」、と書いている。
他に「ユニセフ募金をお伝えして、ブロックしました」という人もいる。
騙されるとどうなるのだろうか。被害はいろいろ耳にする。お金がからむのでとても危険だ。全てが犯罪につながるものとは断定はできないので大変申し訳ないが、今回は謹んで遠慮することにして、即、お友達解除をして、ブロックした。折角神様の祝福が広がるように開けている窓なのに、迷惑なものだ。
こうなると送られてくるメッセージが皆疑わしく思えてくる。特に友達承認後すぐにメッセージを送ってくる人は、礼儀正しいのかもしれないが、怪しく感じてしまう。最近では、台湾の女性、エチオピアの男性、ウガンダ出身の司教、自身のラインのQRコードを送ってきた女性(この人も名前は外国名だ)。皆信じてよいのかどうか迷う。その人のフェイスブックを見てみると、マサイの投稿記事に関連性がないような人ばかり。どうしてお友達申請をしてきたのだろう、と疑いたくなる。
なので、最近はいったん承認をペンディングしている。純粋にお友達申請をしてくださった方には大変申し訳なく思う。お詫び致します。こういう状況であることをご理解いただけると有難いです。何より共通のお友達として皆さんにそれらの疑わしい人が紹介され、迷惑をかけることがとても心配なのです。
かといってせっかく広げた伝道のための窓口を狭めたくない。逆に中には海外の方でも良い発信して下さって、毎日その配信を楽しく読ませてもらっている方もいる。きっとこれはサタンの攻撃なのだろう、と考える。神様の祝福があふれているところには、サタンの攻撃も大きい。だから逆に自分のやっている事の正当性が裏付けられたようにも考えられる。神様に祈って始めたことなので、この詩篇を黙想する。
詩篇
27:1 【主】は私の光私の救い。だれを私は恐れよう。【主】は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。
神様有難うございます。書かせていただいていることを感謝します。これからも宜しくお願いします。
コリント人への手紙第二
4:7 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
4:8 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。
4:9 迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
ヨハネの福音書
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
家に帰ると、バッハのブランデンブルク協奏曲がかかっている。これは細君が疲れている、というサイン。昔から変わらない。細君は疲れてくるとなぜかこれが聴きたくなるらしい。夕食の支度をしながら聴いている、というより流している。聴きなれたこの曲に癒し効果があるらしい。これがより疲れてくると、バッハの無伴奏チェロ組曲になる。こちらは良く分かる。確かにチェロの低音に癒し効果がある。
日曜日の朝から気になっている痛みがあって、鈍痛というのでもなく、時折それが強くなる。急に始まったことだし、気にしないでいれば治るかな、とそのままにしていた。教会堂について見てみると、外見上は異常がない。日中はだましだましその痛みと付き合ってきたが、夜になっても収まらない。おとなしくしていると、余計気になる。病院に行くのは嫌だなと思っていたが、このままだと寝られそうにない。朝まで痛かったら病院に行くしかないかと、半分あきらめていた。
今年になって、細君と2人病院づいている。マサイは耳鼻科に初めて行き、内科で定期的にコレステロールを下げる薬をもらうようになった。眼科は3か月に1回、人間ドックで引っかかったところは市立病院の外科で診てもらって何ともなかったが、経過観察で半年に一度検査の予約が入っている。今までどこも悪くないと言って60歳を過ぎたというのに、62歳になって一気にあちこちがたが来たか、と悩む。
夜、細君と並んでテレビを観ながら、そうだこういう時は明日の病院を心配するより、まず癒し主なる神様に祈ろう、と気づいた。人にはすぐにお祈りしますと言っていながら、我が身の場合はそれをしていなかった。すぐに声には出さなかったが、痛みを根本的なところから解決して取り除いて下さい、と祈る。
驚いた。祈りの答えがすぐに返って来た。よくティム・ヒューバー主任牧師が礼拝メッセージで指をパチンと鳴らして、瞬時に神様が解決して下さるという表現をするのだが、まさにそんな感じ。答えは指がパチンと鳴るくらい瞬時に出た。テレビのコマーシャルの時に祈って、本編に戻った時には痛みがなくなっていた。あれ、と思い、患部に意識を集中してみたが、痛くない。驚きが湧き上がって来た。感謝の祈りをする。
その晩は安心して眠れて、翌朝大丈夫だったので、細君に報告をする。イエス様は「わたしにそれができると信じるのか」と言われた。マサイはそれを信じている。それは揺るがない。マサイのしたことは、神様に癒しを祈り求めたこと。そして神様はそれに答えて下さった。ただ神様の哀れみにより、祈りを聞いていただいた。一週間たっても、その痛みが戻ることはない。神様感謝します。
マタイの福音書
9:27 イエスがそこから進んで行くと、目の見えない二人の人が、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。
9:28 イエスが家に入られると、その人たちがみもとに来た。イエスが、「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、彼らは「はい、主よ」と言った。
9:29 そこでイエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
9:30 すると、彼らの目が開いた。イエスは彼らに厳しく命じて、「だれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
ヤコブの手紙
5:16 ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
息子のインスタを見ていて気になった。「7月の末に疲労により高熱を出して」、と書いてある。いつも体調を崩すとすぐに連絡をくれるのだが、今回はもらっていない。去年の事か?心配なので細君が聞いてみる。「今日は、奥多摩で洗礼式だった。雨予報だったけど、お天気に恵まれて、自然の中で癒された〜。元気にしてる? 忙しいだろうけど、体に気をつけてね」。翌日来た返事は、「実は先月末39度出した」、もう今は「何も問題なしよ」、という。無事に乗り切ったらしい。夏の大きな大会を控えて、「長期離脱していられないから」と祈って直したらしい。選手としてではなく、指導者として臨む全国大会。現役時代とはまた違った大きな目標がある。
息子は選手時代から大切な全国大会の前後に体調を崩す。9月、2月が危ない。親が風邪を引いてうつしてはいけない、と我々も相当気を使っていた。日々の過酷なトレーニングで免疫力も弱まってくるので、細君は常に栄養面を気にかけ、息子の健康を守って来た。であるので、今回も「ちゃんと食べているだろうか」ととても心配している。自分でも上手に料理が出来るし、もう社会人になって4年以上たつから、何とか乗り切れるだろう、という考えにはならないらしい。もっと近所に住んでいたら、すぐに食事を作って持って行きそうだ。
翌月曜日、細君は週末に奥多摩であった洗礼式の疲れが抜けきれないと起きて来た。息子から「もう大丈夫」だと言われていても、心配でしようがないらしい。これから8月の末に夏の本番が控えている。過酷な暑さに体調を崩してはいられない。そこで母は息子に食事を作って送る、という計画を立てた。朝一でマサイが市役所や銀行を回って帰って来た後、暑くなりそうなので、買い物に行くなら今のうち、とアドバイスをすると、すぐに支度をして出かけて行った。疲れているだろうに、随分気合の入った表情をしていた。
数か所回って帰って来たが、買い物袋からは新しいタッパウエアがまずたくさん出て来た。そして新鮮な野菜たくさん、近所で評判のおいしい肉、などなど。そして昼からはずっとこの食材を使って料理をしていた。以下、カギ括弧内は細君から息子へ送ったライン。
「疲労回復や免疫力アップするような、副菜を作ったので、送ろうと思っているんだけど、合宿に行ってたりする?」
「いつもパパと2人でお祈りしてます」
昼から休みなく料理をし終えた後、冷蔵輸送をしてくれるところをスマホで探して、まだまだ暑い17時前に少し離れた郵便局へ出かけて行った。郵便局の人も親切に応対してくれたらしい。買った段ボールに丁度皆入ったと、発送完了報告がスマホに送られて来た。マサイはテレワークで家にいたのだが、帰って来た時の細君の表情は、達成感でいっぱいだった。母親の愛が輝いている。力強い笑顔だった。
息子へも発送報告を送っている。
「郵便局からチルドで送りました。明日の午前中に着きます。」
「送った箱の中身です!①夏野菜ピクルス、②ゴーヤの常備菜、③オニギリの具、④鶏レバーの甘露煮、⑤切り昆布煮、⑥深谷ネギのラー油(地元JAで買ったやつ)」
「日持ちするので、冷蔵庫です1週間はOK。主食と一緒に、ちょっとずつ食品数を足す感じで食べてね」
全て片付いた後、いっぺんに疲れが出て来たらしい。ゆっくり休んでいた。親が子を思う気持ちは、子が成長しても変わらない。子の事を自分の事より優先することには何の迷いもない。その親の気持ちはしっかりと息子に伝わっている。マサイは素晴らしい細君と息子を持っている。
翌日10:51に息子からラインが届く。「届いた、ありがと!」。そして夜にはそれぞれをお皿にきれいに並べた夕食風景を写真に撮って送って来た。素直に喜んでいるようだ。
一安心。親としては、これで暑い日々を無事に乗り切ってもらえれば嬉しい。体調が守られるように、そして8月末には主の栄光を輝かせるために息子が豊かに用いられるように、細君と一緒に神様にお祈りをする。
マタイの福音書
7:9 あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。
7:10 魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。
イザヤ書
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
前にも書いたが、マサイは10年日記を利用している。1日は4行ずつなのだが、巻頭に1年の総括的なことを書くページが年ごとに1ページずつあって、重要なトピックはここに書いておく。後で毎日の記録を読み返して探さなくても、このページですぐに見つけられるように日付と項目を記しておく。このページは通常1年かけて埋まっていくのだが、2022年は半年で早余白がなくなりつつある。
去年より増えたのは、病院に行った日付。付き添いではなく、本人が行くことが増えた。マサイは、今まで眼科の3か月ごとの定期健診だけだったのが、街の耳鼻科、内科、市立病院の外科が増えた。人間ドックで要再検査など引っかかった項目について、より詳しく調べてもらっている。コロナワクチンの接種日に加え、PCR検査を受けた日も書いてある。
マサイばかりではない、細君も人間ドックで引っかかったところを再検査してもらっている。乳がん検診については、いつも人間ドックでひっかかるので、乳腺専門の病院で毎年、春に検診を受けて来た。先生が3年間の写真を並べ見比べて、一旦は問題なく首が左から右へ動いたものの、首を元に戻してじっくり見直した。少し石灰化が大きくなっているように見えるから、大きな病院で生検してもらいましょう、と紹介状を書いてくれた。
早速大学病院で診てもらった。超音波、CT、MRIといろいろ検査をした後、ごくごく初期のガンを早期発見出来たという。手術で除去ということになったので、その説明を聞きにマサイも一緒に病院へ行く。出来たてほやほやのガンだという。乳管の中に納まっているので、手術しても傷口は小さくて済む、胸の形も変わらないという。転移の心配もまずなし。非浸潤で、おとなしいタイプ。手術の3か月後、転移予防に1回5分の程度の放射線治療を3日間行うが、こちらは通いで良い。手術後、翌日には元気になるという。細君が一番気にしているテニスは、翌週からしても良いと言われる。早期発見を神様に感謝する。
7月6日入院、翌7日手術、9日には退院という予定。別の窓口で入院の説明を一緒に聞く。入院に先立って4日にPCR検査、麻酔についての説明、連携医師との面談がある。コロナ禍なので、立ち合い不可かと思ったら、家族も手術の時間に合わせて病院にいて良いという。必要なものを病院内にあるコンビニで買い揃える。
息子にはどう言おうか、と相談されたが、ありのままを全て伝えて、祈ってもらうように勧める。細君が送ったLINEの返事は、
「祈った後、不思議なことに、何も心配事がない!神様が必ず癒してくれる安心感から!!」というものだった。「どうやって見つけたのか」との質問には、上記を答えとして送る。
細君の返事は
「人間ドックや健診って大切だね。神様に感謝。何も心配ないと神様に言ってもらえたことも感謝」。
教会のメンバーも祈ってくれた。最初にわずかな今までとの違いを見つけてくれた乳腺クリニックの先生に感謝。全てを良い方向へ導いて下さった神様に感謝。手術にかかわる病院スタッフについて、施設について、手術の成功と、術後の早期回復を、入院中の4日間寂しい思いをしないように、神様にお祈りする。細君は、7月の中旬から8月の頭まで教会の予定がたくさん入っている。ここに予定が入っているということは、ここまでに完治するということだから大丈夫、と細君は強く確信している。癒し主なる神様に感謝。
細君は最初にガンだと聞いた時、割と冷静だった。自分の事より、それを聞いたマサイのことの方が心配だったという。細君の気遣いにも感謝。
詩篇
41:3 【主】が病の床で彼を支えられますように。彼が病むとき寝床から起き上がらせてください。
イザヤ書
57:19 わたしは唇の実を創造する者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒やす。──【主】は言われる──
エレミヤ書
17:14 「私を癒やしてください、【主】よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。
ルカの福音書
4:40 日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れて来た。イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
やっとサタンの魔の手から解放された。随分前に「マネーゲームは向かない」、というタイトルで書いたが、やっとこの件の最終章を迎えた。月刊マサイ№96で書いたこととダブルので、株を始めた経緯などはそちらを読んで下さい。要は夢のような金利の時代に株を始めた途端バブルがはじけて、大損をしたという話。
思えばサタンの誘惑は巧妙であった。最初にわずかな金額で買ったものにハイリターンで喜ばせ、もっと金額を大きくすれば、リターンももっと大きい、簡単だろう、と耳元で優しく囁く。株価が下がっても、ギャンブルと違っていつかは上がってくるから心配ない、その間にも株主配当が入って来るんだよ、と優しく言う。
ところがバブルのはじけはそんな優しいものではなかった。送られてくる企業の決算報告を読んでも、明るい材料は読み取れない。株価は一向に上がる気配がない。買った時と同じ金額で売れれば御の字と考えていたが、それも夢物語。ずっと売れないまま30年以上この1銘柄を持っていた。自分のもののようでいて、決して自由に出来ない状態。手堅い金融商品で堅実に運用しなかったことを後悔し続ける。
いつか遠い将来には売れるだろう、とまだ期待していたが、母親の相続をしてみて考えを変えた。自分に急な事故が起こった場合に、妻子に相続で面倒な思いをさせたくない。いくら待っても株価は絶対に元には戻らないのだから、ある程度の妥協点を設定して、そこに達したら、迷うことなく手放してしまおうと考えた。昨年は一年を通して株価のピークが6月だった。今年もそのあたりに照準を当てておいたが、4月にするすると上がって来た。この時は若干目標値に達しなかったが、5月に入って目標値を超えて来た。売れた場合は、もう二度と株には手を出しません、自分の内にある欲を戒めてください、と今までの行動を悔い改める祈りをする。
急いで売り手配をして、無事に売り切れた。全てPC上で出来る。実に簡単なものだ。ほっと出来た半面、随分弱気な売り注文だったかもしれない。という後悔がすぐに起こってきた。もっと高く売れたかもしれない、というあくなき欲だ。人間の心は弱く、欲は大きい。だから今後は、もう株価は追わない、新聞の株式欄も見ない、ということにした。このあたりの人間の果てしない欲にサタンが付け入りやすいので、気を付けることにする。
しかしサタンはしつこい。スマホにWEB投資で巨額を稼いだ経験談が流れて来る。昔のように証券会社の店頭に一日座って、電光掲示とにらめっこをしているような印象と違って、スマホがあればどこでも取引が出来る。クリック一つで簡単に売り買いができて、こんなに儲かっている人がいるのだよ、と囁いてくる。その簡易さが実に危険なのだ。
今回のことを通して、改めて自分の心が弱く、欲に支配されやすいことを知る。しかし今はもう、スッパリと思い切れている。素人が片手間にするものではないし、祈っているのでこの考えからぶれずにいられる。自分の心の弱さと欲をサタンの誘惑から守ってくださったことを心から感謝をします。
ヤコブの手紙
1:14 人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。
ローマ人への手紙
16:18 そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです。彼らは、滑らかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましています。
箴言
28:25 欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、【主】に拠り頼む人は豊かにされる。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
登戸エクレシアキリスト教会では、亡くなられた方の為に富士霊園の共同墓地を契約している。大きくて立派なお墓で、マサイも細君もゆくゆくはここに入るつもりだが、何より亡くなった後も神の家族と一緒にいられるような安心感がある。義兄(細君の実兄)は病床で洗礼を受け、6年前にここに入った。
教会では年に一度召天者記念式を挙げてくれる。今年は、4月の第4日曜日の礼拝の中でその式を行うという連絡をもらった。細君が義姉を誘うと、甥と2人で出席するという。今までも記念礼拝はあったのだが、甥の仕事が忙しくて、今回やっとスケジュールが合って初参加となった。クリスチャンでない2人を礼拝に誘うには、良い機会となった。我々もこの式に参列するために出かける。
記念式では、メッセージの前にご主人を亡くされた女性の証があり、特別賛美でメサイヤを聴いた。次に墓地に入っている人を時系列にスライドショーにして、牧師が紹介してくれた。義兄も2枚映し出されたが、もう古い方になっていた。
礼拝メッセージのタイトルは、旧約聖書のダニエル書1章から「神と人にいつくしまれる」。捕虜としてバビロンに連れて行かれたダニエルと友人たちは、神と人とにいつくしまれた最高の模範、という内容だった。義姉は世界史で習ったバビロン捕囚を思い出して、メッセージが分かりやすかったという。
礼拝後4人で昼食をとしながらゆっくり話す。義兄は亡くなる直前、「この日を楽しみにしていました」と入院先の病床に牧師を迎え、洗礼を受けた。義兄は翻訳家であった。海外の作品を翻訳する為に、現地に根差すキリスト教を学んでいたようだ、知らないと翻訳できないからね、と義姉は言う。そういえば細君にも問い合わせの電話がかかってきていた。
神様を受け入れるにあたっては、病床での細君のはたらきが大きかった。その義兄は亡くなる直前、義姉と天国で待ち合わせをしている。それで細君は兄から、クリスチャンでない義姉が待ち合わせ場所にたどり着けるように、神様に導くことを託された。細君はその使命があるので、食事をしながらも分かりやすく、神様について2人に説明をしていた。義姉は中学、高校とミッション系の学校に通っていたので、授業でも学んで下地はある。社会人の甥も興味を持ってくれた。自然な形で神様の話ができて良かった。牧師も自身の伝道用動画サイトのURLを教えて、見るように誘っていた。それも見てみると言っていた。
6月末で義兄が亡くなって6年。今回、召天者記念式に2人が参加できたのも、神様のご計画であると考える。これが神様に近づく大きなきっかけとなりますように、二人を導く細君の上に、義姉や甥の上に、神様の祝福がありますように。お祈りします。よろしくお願いします。
エペソ人への手紙
2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
ローマ人への手紙
10:13 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
10:14 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。
10:15 遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
10:17 ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
忙しい年度末が誕生日、というのはいつもと変わらない。息子が一緒に食事でも、と誘ってくれたのだが、残念ながら仕事を休めなかったので、その気持ちだけを有難くもらっておいた。教会員の皆さんからもLINEやFacebookにバースデーメッセージをいただいた。気持ちが暖かくなって、とても嬉しい。「皆さん、有難うございます。62才、最近詩篇118がお気に入りです」とお礼を返した。
教会の皆でやっている聖書通読も丸1年が過ぎ、聖書の1/5が終わった。この118篇はその聖書通読の4月1日の箇所なのだが、ちょっとフライイングして読んでいるので、少し前に読んで感動していた。何度か読んでいるはずなのだが、今まで気づかなかった聖句が光って見える時がある。今回もそうだった。励ましを与えられたと、感謝のお祈りをする。
もともと詩篇27篇1節に励まされ、日々仕事のストレスから守ってもらっていた。
詩篇(以下全て詩篇です)
27:1 【主】は私の光私の救い。だれを私は恐れよう。【主】は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。
自分ではどうしようもない、明らかに悪意ある攻撃が、12節にあるように、「蜂のように彼らは私を取り囲ん」でいると感じる時がある。仕事をしている以上仕方のないことなのだろうが、それらに対して声を上げても誰も味方になってくれずに、人に頼ろうにも逆に窮地に追い込まれることは良く分かっている。聖書には「忍耐」という言葉よく出てくるので、自分に言い聞かせて祈ってみる。しかし攻撃はやまずに、辛い思いはなくならない。
そんな時この聖句与えられた。そのタイミングたるや、神様からの贈り物としか思えない。我々についていて下さるのは、全てを作られた神様である、ということを確信し、心を強く保てるようになった。攻撃を感じる時、この聖句を常に口ずさむようにした。すると大きな安心感に包まれ、ストレスに打ち勝ち、忍耐も持てるようになった。以後大好きな聖句として、あちこちで紹介したが、それと似たような個所を今回118篇で発見した。
118:6 【主】は私の味方。私は恐れない。人は私に何ができよう。
118:7 【主】は私の味方 私を助ける方。私は 私を憎む者をものともしない。
27篇と118篇の御言葉で完全武装できた思いがする。御言葉の力は強い。世にあってサタンの攻撃にさらされても、どんなに強いストレスに襲われても、負けない自信がついた。
聖書で一番短い章が詩篇117篇、逆に一番長い章が119篇、そしてその真ん中の118篇は、聖書の丁度真ん中の章、そして118篇8節がまさに真ん真ん中にあたる。
118:8 【主】に身を避けることは人に信頼するよりも良い。
聖書の翻訳の仕方によって、真ん中に違いが出てくるようだが、ここが真ん中の章、ど真ん中の節という考えは、そう思うことによってこの御言葉からもらえる絶対的な安心感がさらに増すので気に入っている。
LINEでバースデーメッセージに返信した後に、牧師からは、118篇では「大事な優先順位のことを教えている」と、特にこの節について教えてもらった。救い、砦、味方が神様であること、そこへ身を避けることができることは、まさに神様を信じる者の特権である。それを教わったのが何より大きなバースデープレゼントであった。
118:29 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
過去にあった出来事が急に思い浮かんでくることがある。良いことなら思い出し笑いでもしようが、どうしてそんなことをしたんだろう、と後悔を伴う、恥ずかしくなるようなことばかりなので、都度顔をゆがめてしまう。最近とみにその機会が多くなった。そのたびに顔をしかめてブツブツ言っているので、細君に怪しまれないかと思ってしまう。タイムマシンでその直前に戻ってミスや失敗をやり直せたらどんなに良いだろ、と教会のセルグループの分かち合いの時に言ったことがある。いくらやり直したとしても、最初の悪い結果をもたらした記憶が消え去らないかぎり、永遠にそこから逃げ出せないのでは、とリーダーに言われて、はっとしたことがある。何をすればそれを回避できたのかを考えるたびに、その時の光景を思い出すので、余計嫌な思いをする。そんな過去の失敗の記憶を送って悩ませるのは、サタンに違いない。またサタンの攻撃が始まった、と自分に言い聞かせて、神様に解決を祈るようにしている。
アメリカンフットボールの試合をテレビで見ていて、解説者が言った次の言葉をすぐにメモした。
「過去は変えられない。次に何ができるか、今に集中することで、結果として忘れられる」
いくら悔やんでみても過去は変えられない。自分ではどうしようもない事実について悩んでみても、もはやその行為自体は良くならない。原因は自分が悪いのであるから、素直に悔い改める。そしてその思いにいつまでも囚われて苦しい思いをすることから助けてください、と神様にお願いをする。これで随分気持ちが楽になった。
今年のスーパーボールでも似たような言葉を教えてもらった。アメフトでよく使われる言葉に「ショートメモリー」というのがある。何かミスや失敗をした時に、選手やヘッドコーチの間でかけられる言葉だという。ミスをした後、それを引きずらずに、すぐに忘れて意識を別のところに向ける。ミスや失敗のことをいつまでも頭の中に残しておかないで、思考を切り替えることにより、次のプレイに集中できる。
誰でも失敗することはある。生きている限り失敗は誰でもしてきた。それをいつまでもくよくよ悩んでいたら、これからの生活にも響いてくる。くよくよするという行為は、自分の意識が作り出すものなので、自分は失敗をするほど弱い人間だということを受け入れることだ。ミスをした後は「ショートメモリー」。反省することは大切だが、すぐに意識を次の局面に向ける。次の局面はどんどんやって来る。だから気持ちを切り替えて、未来を楽しくしていくことが大切。
「打ちのめされたことがない選手など存在しない。ただ一流の選手はあらゆる努力を払い、速やかに立ち上がろうとする。並の選手は、少しばかり立ち上がるのが遅い。そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである」テキサス大学フットボールコーチのダレル・ロイヤルの言葉として、「アイシールド21(原作:稲垣理一郎・作画:村田雄介)」の中で紹介されていた。
アメフトから学ぶことは多いが、我々にはもっと力強い確信があることを思い出した。クリスチャンは神様を受け入れた時に新しく生まれ変わっている。聖書には、古いものは過ぎ去って、全てが新しくなりました、とある。過去の失敗を悩むことはやめよう。いつまでもくよくよ考えさせるのは、サタンの攻撃に間違いないのだから。我々は既に神様によって新しく作り替えられているのだ。そのことを感謝し、喜び、日々向かってくる局面を、楽しいものとしていこう。
イザヤ書
43:18 先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。
43:19 見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
ヨハネの福音書
3:3 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
コリント人への手紙第二
5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、【主】が人の歩みを確かにされる。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
病院に行くと、いつも医療従事者の皆さんへ頭が下がる思いでいっぱいになる。助けを求めて行くと、親身にそれを解決してくれる。このコロナが問題になってからは、より大変な仕事になったのだろうな、といつも見ながら感謝している。
細君が月曜日の夜中から喉が痛いと言い出した。熱も少しある。翌日は一日寝ていたが、この時期熱が出ると、すわコロナ、という心配が先立つ。夕方自分で耳鼻科に発熱外来があるということを見つけて、行って来た。抗原検査を車の中でやってもらい、結果は陰性と出た。容態が変更するような場合は連絡をするように、と言ってくれて、薬も近所の薬局の人が車まで届けてくれたという。この迅速な診断と指示は素晴らしかった。後で考えても、どうしてこの病院が見つかったか思い出せないという。これは神様の指示に違いない。夜、感謝のお祈りをする。
その後、夜寝ていると喉に痛みが出たり、熱は上がったり下がったりの一進一退。水曜日には随分良くなった。正確に言うと、金曜日の午前中までは調子よかったのだが、夕食の支度を始める頃から喉の痛みがひどくなって、熱が上がってきた。瞬間38度を超えた。先日耳鼻科で、具合が悪くなったら連絡するように、と言われていたので、明朝熱が下がっていなかったら連絡してみよう、と早めに寝かせる。夜も辛そうにしていた。
どこかで感染者と接触したかと細君に聞いてみると、覚えがないという。マサイは会社の同じ部屋の中で3人目の感染者が出ている。テレワークをしない日は電車に往復1時間以上揺られている。マサイの方が危険度は高いのだが、マサイが持ち帰って発症せずにいた菌を細君に移したとしたら申し訳ない。
土曜の朝の検温も少し高い。熱を下げる薬を飲んでいてこれなら、と耳鼻科へ電話を入れると、先生が直接電話口に出てくれた。追加の薬を出してくれるというが、折り返しかかってきた電話では、保健所のPCR検査の予約を取っておいた、という。PCR検査については細君の友人から、してほしくてあちこち電話をしてもつながらない、と聞いていただけに迅速な手配に感謝する。急いでマサイが耳鼻科へ行ってその書類と、追加の薬を受け取る。この日の14時40分に保健所へ行くことになった。
この日は丁度母の一周忌なので、今度は着替えて父親を迎えに行き、車でお墓へ連れて行く。母の兄弟たちも、一周忌だからと言ってくれたが、皆高齢者でコロナ感染が心配なので外出してもらっては却って申し訳ない。謹んで辞退する旨を伝える。父親が今年行き始めたデイケア施設でもコロナ感染者が出たため、来週は施設閉鎖だという。
予約時間に保健所へ行く。車のダッシュボードに今朝耳鼻科でもらった整理番号を書いた封筒を乗せ、指定されたルートで駐車場に入っていくと、飛行場で飛行機を誘導する時のように誘導されて指定場所に止める。映画の中で宇宙からの細菌と戦う人たちが着ていたような白い防護服姿の人たちに迎えられる。車から降りてはいけない。勝手に窓を開けてもいけない。必要以外の会話はしないように。会話の代わりに、必要事項を書いた書類を見せてくれる。患者はどちら?保険証と医療機関で作ってもらった紹介状を窓につけて下さい。指示通りに窓ガラスにピタリつけると、それを写真に撮る。続いて、窓を全開にして、マスクから鼻を出し、上を向いて下さい。細長い綿棒をくりくりと鼻にねじ込み、検体採取終了。細君、痛かったようで声も出ない。よく我慢した。結果が出るまでには3日もらっています。以上で終了です。医療機関から結果の電話があるまで外出をせず、接触を控えて、安静にして待っていて下さい、という指示であった。
5~6人の係官が作業に当たっていたが、保菌者と直接接触する場合もあるし、寒風吹く屋外で立ったままの作業は大変なことだろう。とても有難く、深く感謝をする。帰って細君を寝かせた後、教会のメンバーへ、陰性であるように、という祈りのリクエストをする。皆なすぐに応答してくれた。これも心強い。
日曜日、細君は声がかすれて出ない。熱は解熱剤を飲んでいるので落ち着いている。一日横になっていた。18時半「K市医師会です」と電話がかかって来た。検査結果が出るのは火曜日と聞いていたので、あまりに早い連絡に、もしや、と凍り付いたが、「陰性でした」と言われて、力が抜ける。細君のかすれた声を聞いて、その方をきちんと治療してください、と優しい声で言ってくれた。日曜日のこんな時間まで、働いていてくれる方に心から感謝する。
細君は、神様が守ってくださったこと、祈ってくれる神の家族がいること、を感謝していた。神様感謝します。今回携わっていただいた医療従事者の方々全てにも御礼申し上げます。
詩編
9:1 心を尽くして私は【主】に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。
9:2 私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よあなたの御名をほめ歌います。
75:1 私たちはあなたに感謝します。神よ私たちは感謝します。あなたの御名は近くにありあなたの奇しいみわざが語り告げられています。
109:30 私はこの口で大いに【主】に感謝し多くの人々のただ中で主を賛美します。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
年末年始は職場のそばで暮らしている息子が帰省してくる。2泊3日なのだが、楽しみな家族団欒の時である。細君は息子の食べたいものを聞いて、そのリクエスト通りに、買い物リストを作り、準備を進めている、定番は手巻き寿司。食材を仕入れに朝3時にオープンする魚屋さんへ、細君と車で買い出しに行く。店は夜中だとは思えない賑わいである。家族とともに迎える正月のために買い物をしている人たちは、とても嬉しそうに見える。最近はその他のメニューとして、お正月料理の他に、水炊き鍋、チーズダッカルビなど、同じ器を一緒につつくものが多い。ゆっくり喋りながら、同じ皿を回し合うのは、実に楽しい。お互いの健康を神様に感謝し、日々の生活の中で感じる神様の導きや祝福を感謝する。普段の細君と二人の食事も楽しいが、息子が加わると、なお楽しくなる。
ヨハネの福音書
21:3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
21:4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」
・・・
21:9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
21:10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
21:11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
12月19日のクリスマス礼拝の前に、食事一品持ち寄りで教会員との交わりの時間を持った。コロナ禍で一緒に何かを食べながらゆっくり話すという事がしばらく出来なかったので、年内に一度そういう場を設けたいと提案したのだが、皆賛同して、腕を振るってくれた。当日テーブルの上にはメインからデザートまで美味しそうな料理が並んだ。午後のクリスマス礼拝が始まる15時までの1時間半、一人一人と喋れたわけではないのだが、同じ空間で同じ器から取り分けて食べるという事が実に楽しく、そんな皆の嬉しそうな笑顔を見ているのもまた楽しかった。神様の家族であることを実感できた時間だった。普段も礼拝後に毎回飲物を片手に立ち話をすることはしてきたのだが、腰を落ち着けてゆっくり話すことが出来たのは、別種の楽しさであった。参加してくれた皆も嬉しそうだった。
聖書には、イエス様との食事風景がいくつも出てくる。上記の聖句の他にも、弟子たちと、大勢の群衆と、婚礼で、マリヤとマルタの家で等々、食べものを前にする場面がある。一緒に食事をすることで、心を開くことが出来る。食事をしながら歓談することで、親しく交わることが出来る。そして満腹になると心に平安が生まれる。
昔教会に来始めたころは、よく一品持ち寄りで、一緒に食事をした。この時間がとても楽しみだった。決して広いとは言えないティム・ヒューバー主任牧師のアパートで、押し入れの引き戸を外してテーブル代わりして、それをぐるりと囲んで座って食事をしたこともある。そこへバイブルレッスンに通っていた当時も、駅前の八百屋で果物を買って参加したことを思い出す。年齢、性別、境遇様々な人たちと、神様を真ん中にした交わりの時間だったように思う。ここで皆と一緒になって神様のこと学んだ。
ヨハネの黙示録
3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
一品持ち寄りの食事会は、この教会の開拓時に重要な意味を持っていた。メンバーが変わってもそれは変わらない。ほぼ30年前に一緒にこたつを囲んで食事をしたティム・ヒューバー主任牧師や細君が元気でこの場にいるのも実に嬉しいことだった。
ルカの福音書
14:15 イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
上記聖句全て、新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
古書を買うことはめったにない。なるべく新本を探して買う。その点細君はあまりかまうことなく、程度の良い古書を注文しては、あっという間に読み終えている。しかし最近マサイも読みたい本が版元品切れ状態という事が多く、時々古書を買うようになった。昔、書店の棚に並んでいたことを覚えているので、あの頃買っておけば良かったと後悔する本は多い。本は買ってすぐに読むかというと、そうでもなくて、手に入れると何時でも読めるという安心感が生まれるので、ものによっては読むのが随分後になることがある。
イギリス人作家サマセット・モームが「世界の十大小説」を紹介している本がある。並べてみれば、なるほどと頷けるものばかり。国別でいうと、イギリス4、フランス3、アメリカ1、ロシア2。イギリスが多いのは、自国贔屓か。ドイツが入らないのはなぜだろう。この内9作品までは今でも簡単に手に入るので既に読んでいる。残すところ1作品なのだが、現在これだけが品切れで手に入らない。そうなるとどうしても読みたくなる。2016年4月16日に細君と神保町古本屋街散歩に行った時に、文庫本全4巻まとめてビニール梱包してあったものを1,200円で見つけて、喜んで買って来た。ビニールを開いてみて初めて分かったのだが、1,3,4冊目が昭和34年刊、2冊目巻が昭和33年刊(マサイが生まれる前)、岩波文庫だがスピンが付いている。旧漢字、旧仮名遣い、紙は茶色く、字は小さい。余程明るくないと読みにくい。
一旦1冊目の86ページまで読んではみたものの根気が続かず、しばらく放り出していた。それを買って5年経つ今回、じっくり腰を据えて取り組んでみた。旧漢字といえども大概は自信があるのだが、それでも読めない漢字は、PCのIMEパッドの手書きで読みを調べながら読む。細君が感心して見ている。
正式な題名は「捨て子トム・ジョウンズの物語」作者ヘンリー・フィールディング、1749年発表の作品である。古書なので書込み、赤・黒色のアンダーライン有り。鉛筆の書き込みは達筆で、年齢のいった方のもののようだ。1冊目の最後に「35.9.12了」と読み終わった日付の書き込みがある。2,3冊目にはそういったものはない。そして4冊目最後のページには赤字(赤なので、色が飛んでいる)で、
「いろいろの~(判読不明) とにかくこの物語全4冊を一回?読み了えた。昭和35.12.11」
そしてその横に黒字で
「本書再読の機会を得て本日午後12時50分田園調布邸前のベンチで読み了る。45.5.15日」
とある。
初回は初版出版と同時に読み始めたのだろう。ほぼ10年後に再読をしている。最終ページの書き込みは、読み終わった時の気持ちが分かるだけに一緒になってしみじみとしてしまった。これを書いた人はどんな人なのだろう。太字の鉛筆で書き込まれたアルファベットは、達筆でほとんど読めない。アンダーラインは作者の言いたい要点に引いてある。棒線、波線も意味の違いがありそうだ。治安判事でもあり、イギリス小説の父と言われているフィールディングの作品をここまでじっくり読んでいるとは、きっと大学の教授か、研究者なのだろう。ただの読者ではなさそうだ。人生の大先輩なのだと思うが、会ってみたい気がする。
さてここで紹介したかったのは、第8巻(2冊目)で隠遁者の生活を送る山の男が語る話が強く印象に残ったから。
「全生涯を捧げてもなおとうてい足らない仕事が一つだけある。すなわち栄光まばゆい永遠なる神様を思い、神様を崇めるという仕事」
という。その男はまた、
「虫や草、どんな賤しいものであっても、偉大な創造主の手で造られたというしるしを、神様の力のみならず、神様の英知、親切のしるしを、身に備えていないものはない。」
という。
これを読んで以来、ぱっと目が開けたように気分になった。全ては神様によって造られている、それらの内にはそのしるしが備わっている。そう、神様の御手で造られたというしるしのないものはない。自分の周りにある全ての中に、それを造られた神様が現れている。こう思えるようになると、全てがゆるせて、平安が自分の内側に湧き上がって、ほっとした気持ちになった。
この本の前の持ち主は、この箇所の行頭上に1ページにわたってまとめて線を引いていた。そう、分かってくれたんだ、きっと神様に対する同じ思いを持ってくれたに違いない、とその人と妙に親しくなれたように思えた。古書はその本自体が持っている思い出も一緒に読めるので、いつもとは別の楽しみを味わえた。
ヨハネの福音書
1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
詩編
100:1 全地よ【主】に向かって喜びの声をあげよ。
100:2 喜びをもって【主】に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
100:3 知れ。【主】こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの主の民その牧場の羊。
新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
最近日記によく出てくる言葉がある。「あっという間に」。あっという間に10月が終わる。あっという間にクリスマスが近づいた。今年は時のたつのが特に速く感じられる。教会の皆で3月後半から始めた聖書通読はあっという間に7か月半を過ぎた。5年で66巻完読というゴールもあっという間に来るのかもしれない。時のたつのはあっという間だが、じっくりゆっくり読めているので、学ぶことは多い。10月9日から通読箇所は、旧約聖書のヨブ記になった。途中他の書が入ることがあるが、全42章は12月18日まで続く。
大学何年生の時であったか、夏休みのレポートがいわゆる読書感想文だった。いろいろなジャンルからの課題図書を紹介した緑色の表紙の小冊子が配布されて、その中から好きな本を選ぶ。英文学科とはいえ、日本語の本が多かったから、一般教養科目のレポートだったのだろうと思う。どんな本があったかはほとんど覚えていないが、「聊斎志異」があったのだけは印象に残っている。これは夏休み中に読み終えてレポートを書くには、あまりに分量が多い、そう話していているのを聞いて、この作品を覚えた。で、何を選んだかというと、「ヨブ記」(岩波文庫)。負担ないくらいの分量で、内容は高校の聖書の授業で聞いたことがある。大まかな粗筋だけが印象に残っていたので、書けそうに思えたのかもしれない。ヨブ記を通して読んだのはこの時が初めてだったし、聖書66巻の内、1巻を通して読んだのはこれが最初だったと思う。
しかしこの時は選んで後悔した。内容は実に重く、ストーリーとして進んで行かない。まだ真剣に聖書のことを考えたことがなかった時代なので、書くのに随分苦労をしたことだけを覚えている。神様とサタンのやり取りとヨブの苦悩は理解しがたく、以来聖書66巻中でもヨブ記は永遠のテーマ的な書となっている。何度か通読をした時に読んでいるのだが、旧約聖書を始めから読んでくると、ここで必ずつかえる。ヨブが最初の家族を失った後、最後には新しい家族を得るが、同じ幸福を味わえるのか、など疑問が湧いてくる。
しかし繰り返し読んでいれば、今まで見えていなかったものに気づいて、新しく教えられることがある。今回も今までの疑問が完全に解決したわけではないが、教えられた事は自分的には大発見に等しい。すぐに細君に感動を熱く語った。
ヨブ記
【新改訳2017©2017新日本聖書刊行会】
9:32 神は、私のように人間ではありません。その方に、私が応じることができるでしょうか。「さあ、さばきの座に一緒に行きましょう」と。
9:33 私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。
ヨブ記が書かれた年代ははっきりしないのだが、この旧約時代には、神様と人間の間をとりなす仲裁者がいないと言っている。そんな時代に絶対的な神様に自分をとりなしてくれる力強い味方の不在を訴えているのだが、似たような内容は、同書の以下に挙げた16,19章にも出てくる。ただその存在は16章では我々のそばにはいない、天にある、19章では、未来的には土のチリの内に立たれる、と書いてある通り、遠い存在である。
16:19 今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。
16:20 私の友は私を嘲る者たち。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。
16:21 その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。
19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。
19:26 私の皮がこのようにはぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。
19:27 この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ。
仲裁者、天におられる保証人、生きておられる私を贖う方。これは今、我々とともにいて下さるイエス・キリストのことであって、この旧約の時代のこの書に既にそのことが書かれていた、と気付いた。それはとてもとてもすごいことである、と一人で興奮して喋っていた。聖書通読を通して、学べることが出来て嬉しく思う。永遠のテーマ、ヨブ記が少し好きになった。
書店閉店のニュースが多く耳に入る。三省堂の神保町本店が2022年3月で営業終了と聞いて驚いた。今年細君と行って、細君はここで本を買っている。本を買うと書店のカバーをかけてくれるのだが、高校時代、都会の大手書店のカバーは憧れだった。まさかと思ったが、ビルの老朽化による建て替えだという。2025~26年頃には新しくなるようだ。
伯父の葬儀で久しぶりに子どもの頃過ごした小田原に行くと、駅前にあった書店がなくなっている。調べてみたら2004年に既になくなっていた。代わりに駅ビルや新幹線口に大手書店の支店が出来ている。その影響もあるのかもしれない。同じく銀座通りあった書店も、隣の駅にできた大型ショッピングセンターに移ってしまった。
WEBで何でも情報が手に入る時代と違って、当時は本屋が外界との世界を広げてくれた。マサイの場合、テレビやラジオより本屋の方がその役割は大きかった。電車に乗って自由に都会へ出ていく前の時代、一地方都市に育った者には、文化、未知の知識、それがあふれる都会との仲立ちをしてくれるのが本屋さんだった。ここには毎週新しいものが入ってくる。タイムマシンの入り口のようなイメージである。時代、世界を越えて外界とつながれる夢の入り口であった。
その外界への世界を広げてくれた場所が街中から消えてしまった。今度は逆に帰って来られる口がなくなってように思えて、そのショックは大きい。街角に立って、しばらく感傷的になっていた。賑やかだった商店街はアーケードがなくなり、シャッターを下ろした店が多くなった。そして街自体も古びてしまったように見えた。ひっそりとして、人通りも少ない。道はそのままなのだが、そこにあった建物、友人の家、懐かしむものがなくなっている。
この街には実家はもうない。訪ねる祖父母もいない、伯父伯母もいない。両親がこの地の墓を手放したので、もうこの地に帰ってくることもない。それではここを離れないで、ずっと居続けて街と一緒に年を取って行った方が良かったのか。あの時、たら、れば、をいくら考えてみても過去は変えられるわけもない。それなのに諦観にも似た寂寥感が増してくる。今までも時折思い出したように、この寂寥感が湧いて来て感傷的になることがあった。
原因は何だろうかとこれを書きながらゆっくり考えてみた。好きな街であったとはいえ、ここで過ごしたのは、6~25才までの20年足らず。決して良い思い出ばかりというわけでもない。この地からミッションスクールに7年間通ったが、クリスチャンになったのは、この地を離れてからだ。ということは、ここにいたのはクリスチャンになる前の時代だ。そこに何か、あの時、たら、れば、の思いのようなものを残しているのだろうか。
懐かしむ故郷があるのは悪いことではないと思うが、必要以上に感傷的になることはない。この年になって考えすぎかもしれないが、自分の中にある、自分でも気づかないでいることに対してサタンが攻撃をしていないとも限らない。もしそうであったら、それを取り除いて、サタンの攻撃から守ってください、と神様に祈る。
帰り口がなくなったというもの、神様のご計画なのかもしれない。今は余計な思いに捕らわれず、前を向いて神様のご計画に従って歩いていく時なのだ、神様の祝福は今日、十分に与えられている、と教えていただいていることが分かって、身が引き締まる。
エペソ人への手紙
6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
新改訳2017©2017【新日本聖書刊行会】
夜、父親が伯父の訃報を知らせて来た。父より2つ年長で、91才になったばかりだったという。コロナ禍のことでもあるし、葬儀連絡は無理に回していない、ということを言ってきたらしい。父からは、参列できないので、香典と生花の手配を至急してほしい、と言ってきた。
葬儀は小田原の斎場で行われる。マサイは6才から26才までを小田原で過ごしている。その後実家が埼玉へ引っ越したので、こういった法事がない限り行くこともない。久し振りに懐かしの地を見ておきたかったし、今後行く機会もなくなってしまいそうに思えたので、いとこに連絡をして葬儀日程を聞き、告別式に参列させてもらうことにした。
8月の半ば、告別式の早朝は心配になるくらい雨がひどく降ったというが、着く頃には真夏の空が晴れ上がっていた。コロナ禍なので、参列者もほぼ身内に限られる。いとこにもこういう機会でないと会えない。前回会ったのは、伯母の葬儀だった。火葬場もコロナ禍で人数制限がある上、骨を拾って、その場で解散、忌中払いなし、というので、参列はこの斎場まで。といっても、告別式と初七日法要を続けて行う。
マサイはいつも葬儀に参列をする時は、黒いスーツのラペルに銀の十字架を付けていく。自分はクリスチャンであるという宣言と、無理に仏教上の習慣を押し付けられないように、という意思の表れである。具体的に言うと、焼香でいつも面倒な思いをするからだが、今回のように告別式と初七日法要を続けて行うと、焼香も2回ある。
「香」を聖書辞典で調べると、幕屋や神殿の礼拝で用いられ、神性を象徴する場所を示すもの、また天に上ることから、祈りの意義を象徴的に示している。香は、祈りのみならず、神の御前における敬虔な生涯、常に神の臨在の中に生きるきよい生涯を教えている。私たちの祈りの生涯を示すものである、とある。(エッセンシャル聖書辞典、いのちのことば社)
参列者は順番に祭壇の前に立って、焼香をする。香は神様に捧げるもの、と理解しているマサイは前に2007年5月号No.90でも書いたように、焼香をしない。他の人が焼香をしている間祈り、そのまま一礼をして席に戻る。この姿勢はクリスチャンになって、30年来続けている。
「焼香」の意味を調べてみると、お香を焚いて死者や仏様に対して拝む、葬儀などの焚く際に行われる仏教における供養の一つ。仏教では、香りは故人や仏様の食べ物だと考えられているため、焼香で香りをお供えして冥福を祈るという目的もある。仏と故人に香りをささげ冥福を祈るのだが、香が空中に満遍なく広がることは、仏教の教えが広がることを意味している、という。いとこの小さい孫までも、妙に緊張して3回つまんだ香を鼻梁に近づけている。こうやって次の世代にこの文化が伝えられていく。
マサイはこれを偶像礼拝につながると考えて焼香はしないのだが、弔問に来て弔問しないと思われても嫌だし、とその理由を口で言わずとも分かってもらえるように、ラペルに十字架を付けている。失礼や無礼なことをしているつもりはないのだが、おや、という反応が背中に伝わってくることがある。やってもよいじゃない、と考える人もいるようだ。
しかしマサイは、人や文化に従うより、神様に従いたい。それを示せたし、いとこの顔も見られたし、暑い日だったが、懐かしの街を少し歩けて、行って良かったと思えた一日だった。
ヨハネの黙示録
8:3 また、別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。すると、たくさんの香が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇の上で献げるためであった。
8:4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
第二歴代誌
26:16 しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、【主】の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして【主】の神殿に入ったのである。
26:17 すると、彼の後から祭司アザルヤが、【主】に仕える八十人の勇敢な祭司たちとともに入って来た。
26:18 彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって言った。「ウジヤよ。【主】に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは主の信頼を裏切りました。あなたには、神である【主】の誉れは与えられません。」
26:19 ウジヤは激しく怒った。香をたくための香炉を手にしていたが、彼が祭司たちに対して激しく怒ったとき、【主】の神殿の中にいた祭司たちの前、香の壇の傍らで、彼の額にツァラアトが現れた。
詩編
141:2 私の祈りが御前への香として手を上げる祈りが夕べのささげ物として立ち上りますように。
【聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会】
仕事場が元築地市場跡の真ん前にある。市場が豊洲に移転した後、ここはしばらく前から駐車場に整えられていた。オリンピックのための大型バスの駐車場予定地だ。随分広い。全世界的なコロナウィルス感染拡大に伴い、オリンピックが1年延期になって、2021年になってもなかなか実施が決まらなかった間、広い駐車場はむなしくなるほどずっと利用する車も少なく、ひっそりと開催を待っていた。梅雨の時期は、東京都職員のコロナワクチン大規模接種会場になっていた。開催中止、と言われてもほとんどの国民は驚かなかったかもしれない。そこにだんだんに大型バスが集まって来た。大型バスもこれだけ集まると、壮観なものだ。これを見て、オリンピックをやるのだなと、いう気がしてきたのは、開会式直前であった。
オリンピック種目の中でも、競泳は毎回夢中になって見ている。特に今回は息子の同世代の選手が出ている。小学生、中学生の頃から活躍を見て来た選手が、世界の舞台に立つ勇姿を見ると、親御さんの気持ちが痛いように伝わってくる。親の支え、コーチの支え、仲間の支えあってのひのき舞台なのだ。コロナ、デルタ株等の感染者数が爆発的増加という状況は、ほとんど全世界的な問題だった。いつもの練習場所が使えずに、予定していた練習が十分に積めなかった中で、ある金メダリストは、練習場所を探してプールを渡り歩き、ガレージでトレーニングをしたという。湖で藻に絡まれながら練習をしたという選手もいた。そんな彼らに「五輪を開いてくれて感謝している」、と言ってもらえたのは開催国としてとても嬉しい。
初の競技種目になったサーフィンにも注目していた。あいにくの台風接近で競技当日は、コンディション的には大変な状況だった。試合後インタビューアーは、メダルの色についての感想に重きを置いて質問をしていたが、マサイが応援していた日本代表選手の、国籍にとらわれない、気持ちの良いコメントに、アスリートとして尊敬する気持ちを持った。
「グローバルな世界では、どこに行ってもホームなんだ。どこに行っても友達がいる。みんながつながっている。国じゃない」
「彼女を応援するのは日本人だからじゃない。すごいアスリートだから、みんな応援するんだ」
一流選手の素晴らしい言葉が、こういう大舞台で感動を持って伝わってくる。若くても早くから海外で活躍してきているアスリートたちは、世界的な視野を持ち、考えもしっかりしたものだ。アスリート同志、スポーツを愛し、お互いをリスペクトする心は、実に素晴らしい。コロナ禍でのオリンピック開催には賛否両論あったが、こういう言葉を聞けて、見る側も開催してもらって良かった、と思えた。
試合会場で神様に祈る姿、ペンで白いマスクに書かれた1コリント9:24-27の文字(英語でした)、クラウチングスタートをする腕に付いていたW.W.J.Dのリストバンド、神の家族の活躍する姿も、国という境界線を越えて嬉しかった。
感謝と尊敬の言葉に感動したオリンピックだったが、オリンピック開催を喜ぶ日本大好き外国人のSNSにも素晴らしい投稿があった。漢字の素晴らしさを外国人が外国人に紹介している。普段見慣れているので考えたこともなかったが、「吐」という字は、口から+のことや-のことが吐(は)き出されるという形になっている。その「吐」からマイナスを吐くことをやめ、「口」から+(プラス)のことだけを発言すると、それは「叶(かなう)」という漢字になる。絶対日本に行って、たくさんことを叶える、だから「口」から+(プラス)をいっぱい発言する、と語っていた。日本食や日本語が大好きな外国人だが、他国の文化をリスペクトする思いは、実に素晴らしく、嬉しく思う。
神様は言葉によってこの世界を作られた。言葉には力がある。言葉を人の益にならないことには使わずに、肯定的な発言をしていくと思いが叶う。国の枠を取り払って、お互いの素晴らしさを尊敬する言葉、感謝する言葉、これに喜びや感動を与えてもらった大会だった。
【聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会】
エペソ人への手紙
5:19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
コロサイ人への手紙
3:8 しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
コリント人への手紙第一
9:24 競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
9:25 競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
9:26 ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。
9:27 むしろ、私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。
マルコの福音書5章1~20節(聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)
5:1 こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。
5:3 この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。
5:4 彼はたびたび足かせと鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはできなかった。
5:5 それで、夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのである。
5:6 彼は遠くからイエスを見つけ、走って来て拝した。
5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」
5:8 イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。
5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。
5:12 彼らはイエスに懇願して言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。」
5:13 イエスはそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。
5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかを見ようとやって来た。
5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた。
5:17 すると人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した。
5:18 イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。
5:19 しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」
5:20 それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。
教会の皆とやっている通読の他に、毎朝細君と聖書を音読しているのだが、丁度マルコの福音書のこの箇所にあたったので、今回、地図を広げて、頭の中でそのシーンを映像にして、ゆっくりと考える時間を持った。最近この時間がとても楽しい。
ドストエフスキーの「悪霊」の扉にもこのシーンの聖句がある。ルカの福音書8章32~36節なのだが、同じ印象的なシーンである。この本は翻訳者を変えて2度読んでいる。最初がクリスチャンになる前の1984年、次がクリスチャンになった後、2016年。初めて読んだ時からこの箇所が頭に残って、何を意味するのか、ずっと考え続けていた(2016年10月号の月刊マサイに詳しく書いてあります)。「悪霊」の扉では、豚が雪崩を打って湖に飛び込んだ後、それを見ていた住民が悪霊につかれていた人がどうやって救われたかを人々に伝えるところで終わっている。今回は、その後の15~20節に注目してみた。
さてガリラヤ湖の南東に、汚れた霊につかれたおっかない怪物がいた。「墓場に住み、足枷や鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足枷をも砕いてしまった。夜昼となく墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを痛めつけていた」というから、人であるのだが、きっと巨人のように大きく、たくましく、目つき獰猛、怪力の持ち主で、近寄れば、食い殺されかねないので、誰も近寄れなかった怪物だったのだろう。と想像してみる。
一方、豚はユダヤ人が最も嫌っていた動物であった。だからであろうか、その豚が飼われていたこの地方には、異邦人が住んでいた。地図で確認すると、ガリラヤ湖の南東地区である。怪物はそこにいた。であるので、この箇所は、イエス様と異邦人たちとの話である。こうやってひとつひとつ頭の中を整理してみる。
この怪物に取り憑いていた悪霊は、イエス様を見つけると、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と叫んだ。自分たちはユダヤ人ではなく、異邦人に取り憑いているから、良いでしょ、神様はユダヤ人の神様だから、異邦人を救うために悪霊を追い出すことはしませんよね、と悪霊は考えていた。しかし黙って見過ごしてくれるはずがないので、イエス様を見るとすかさず、「悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行けと自分たちにお命じにならないようにと懇願した(ルカ8:31)」。今まで近寄れなかったほどの怪物が、いきなり舟でやって来たばかりのイエス様の前にひれ伏すのを見た住民たちは驚いた。あれほどの怪物が懇願している相手は、一体誰なのだろう。怪物の親玉なのか、敵なのか、いずれにしてもすごい人なのに違いない。そしてイエス様は、この場でユダヤ人以外の異邦人から、悪霊を追い出された。
イエス様に追い出された霊は、豚に乗り移らせてくれと願った。ユダヤ人に忌み嫌われていたものに乗り移り、そのまま湖に雪崩を打って飛び込んだ。落ち着いてみると、2千匹もの豚が湖面に浮いている。圧巻である。ユダヤ人側から見れば悪者退治で、人間に取り憑いていた悪霊と忌み嫌っていた動物の両方を始末してくれたので、その地方一体がスッキリ清くなった、と喜ぶところであるが、ここは異邦人の地である。
ユダヤ人以外の自分たちにも神様の救いはある、ということを目の前で示された異邦人たちは、ここで神様に立ち返らなかった。一瞬のうちに財産を失った恐怖心と、次はわが身に何かされるかもしれない、という不安の方が大きくなり、イエス様にこの地から出て行って欲しいとお願いした。それは丁重にお願いしたに違いない。そう豚の飼い主たちをはじめゲラサの人たちは、自分の身は案じたが、神様を信じることが出来なかったためにメシアを失った。人生最大の好機を自ら手放した。
ではなぜ豚に入ることを悪霊自身が願ったのか。そして豚は湖へ向かったのか。もはやこれまでと思った悪霊が、異邦人を震え上がらせようと、派手にぶちあげた行為か。異邦人の心をかたくなにさせることを目的としたのか。ここでちょっと先へ進む。
悪霊を追い出してもらった男は、お供をしたいと懇願したが、イエス様はその申し出を退けた。そして、「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」と命じた。かつての怪物のような男は、見た目普通になり、素直にそれに従った。それを見て、人々は驚いた、とある。あまりの変わりように驚いたのだが、全ての悪行をしていたのは悪霊であったことが理解できたであろう。その憑依していたものがどれくらいの数の悪霊であったかを民に知らしめるために、豚の大群が必要だった。その悪霊のあまりの多さを目に見える形で示された人々は驚いた。そしてそんな大勢の悪霊すら一声で、全て追い出し退治することが出来たイエス様にも驚いた。しかし残念ながら異邦人は、神様をあがめる心より、保身の方が大きく、ただただ恐怖だけを感じた。
イエス様は、このかたくなな異邦人の心を溶かすのは、悪霊を追い払ってもらった元怪物の役目であるとした。デカポリス地方はユダヤ人の非居住地である。この男はこのデカポリス地方で「イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったか」を言い広め始めた。男は、自分の身に起こったことを、自らが証して回ったのだが、異邦人への宣教が始まるのは、使徒の働き10章にある、天から大きな敷布のような入れ物が四隅をつるされて地上に降りて来るのをペテロが夢ごこちに見た後のことである。そのはるか前にイエス様はその下地を作っておかれた。ここは今まで気づかなかったが、神様の計り知れないご計画に驚かされた。
聖書には、意外な人たちが福音を語るのを聞いた民衆が驚くシーンがある。ここにある元たくさんの悪霊に取り憑かれていた男から福音を聞くのは、使徒の働きでサウロから福音を聞いた人たちの驚きに似た、恐怖を伴った驚きであったろう。今回この箇所が異邦人への宣教初めであることに思いつき、そこにフォーカスして読むことが出来て良かった。ゆっくり読むことで、自分も当時の人たちと同じ時間を共有できたような感動がある。この1~20節が、とてつもない大きな世界に広がった。
4月号に「皆で聖書通読」というタイトルで書いたが、2か月たった今、教会員皆順調に通読を進めているようである。さて、6月の聖書通読箇所は、歴代誌第一、第二と使途のはたらきである。
箇所でいうと、5月の通読箇所になるのだが、第一歴代誌12章に、サウルの支配をダビデに回そうと、ヘブロンにいるダビデのもとに来た兵士の数が記されている。数字の羅列の箇所は、辛いからと過去は読みとばしていたが、今回はそこをゆっくり楽しんだ。
まず人数を書き出してみた。他部族からの援軍は、合計約34万人である。日本全国の市人口ランキング(2021年自治体調査)で比べると、792市のうち、62位に相当する。マサイが住んでいる市より約6,700人少ないが、ほぼ、一つの市の全人口に値する人たちが、ダビデを王にしようと、ヘブロンに集まってきたわけである。
第一歴代誌【聖書 新改訳2017 新日本聖書刊行会】
12:22 人々はダビデを助けるため、日に日に彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。
12:38 これらすべての、戦いに備えて集まった戦士たちは、ダビデを全イスラエルの王にしようと、全き心でヘブロンに来た。イスラエルの残りの者たちも、ダビデを王にすることで心が一つになっていた。
12:39 彼らはダビデとともに三日間そこにとどまり、食べたり飲んだりした。彼らの兄弟たちが彼らのために用意したのである。
12:40 彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。
沢山の援軍を迎えて、こんなに頼もしいことはないのだが、管理系の奉仕をしているマサイは、この人たちをどうやって迎えよう、と考えた。34万人がいきなり結集した場合、まして祝宴を張る場合、その宿営施設、食料、飲料水、排泄物について、混乱を招かずに運営することはどれほど大変なことであろう。
厚生労働省が提唱する、成人男性が一日に必要な水分量は、2.5リットルとある(年齢や体重によって異なります。おおよその目安と捉えて下さい)。これに人数をかけると、1日に必要な水分量合計は、850,000リットル。長水路プール(50m×15m×150cmとして)の水量が約1,125,000リットルだから、その3/4が毎日必要量となる。飲料水以外にもシャワーや足を洗う用に水はもっと必要になる。豊富な地下水や豊かな川が近くにあればよいのだが、あってもいくつの水場があればたりるのか。
食べ物は?34万人に同時に食事をさせるとなると、いくつの食器、かまどがいるのだろう。40節に書いてある通りどんどん食材は差し入れられる。それをさばく人の数もしかり。39節に3日間食べたり飲んだりしたとあるが、それを調理する人、給仕する人は、兵士34万人に対して、一体何人必要か。その人たちの飲料水や食料も必要になる。それよりどこからそんな大人数の厨房スタッフを探して来るのか。迎える側のパニック状態がうかがえる。それらをつかさどる責任者は、どんな忙しい思いをしたことだろう。優秀な兵士を指揮する猛将は良く取りざたされるが、実は大切な、こういう基本的なものをどうやって確保、提供したのかについての記述は少ない。
「マサイさん、まずいっすよ、まだまだ人がどんどんやってきます。テントを持ってきているようなので、そこに寝てもらえば良いですが、どこにでもテントを張るのは注意をした方が良いですよ。あちこちから苦情が来ています」「ダビデさんに会いたいと言っています」「食事が足りないと言っています。えぇ、屈強な兵士ですので、食べる量も半端ではありません」「食べ物が出来ても、各部隊に持っていく人がいません」「動物をさばくチームから休憩時間がほしいと言ってきています」「調理した動物の皮や食べ終わった骨の山はどうしますか」「当然ゴミは持ち帰ってもらいます」「トイレも準備してください」
これを全て解決できるのは神様しかない。もはや神様に頼るしか解決方法はない。マサイはひれ伏して祈るしかできない。しかし祈りを持ってすれば必ず何とかなる、という確信はある。逆に「神の陣営のような大陣営」を楽しみたい、という気持ちが大きい。せっかく集まってもらった兵士たちの戦いが長期にわたった時、前線に送るための食糧を調達、調理し、広がっている陣営にどうやってそれを運搬するか。怪我人を後方へ搬送するには、医療スタッフを待機させる場所はいくつ、どこに設ける必要があるか。祈りの応援部隊はどこにいてもらうのか。他に緊急に必要になるものは。今まで数字の羅列としか捉えられなかった箇所から、古代スペクタクルさながら臨場感を伴ってその場の活気が浮き上って来た。
今回の通読はこんな読み方もしています。今まで気に留めなかった箇所ですが、自分の奉仕に沿った読み方で、34万人に囲まれたあの場にいたような思いにさせてくれました。
第一歴代誌
16:9 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざを語れ。
16:10 主の聖なる御名を誇りとせよ。【主】を慕い求める者たちの心よ、喜べ。
16:11 【主】とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
16:12 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇跡と御口のさばきを。
3カ月前から細君と教会堂の図書の整理をしている。1台ある本棚にぎっしり並んでいるものの他に、段ボール数箱にしまわれたままのもの、急に大量に献本されたものなどを、教会員の皆に借り出して読んでもらえるように、を第一目的として、分かりやすいよう並べ、紹介していくつもり。最初は現在庫を把握するために本をリスト化することから始めようと思ったのだが、余りにたくさんあるので、まずは本のジャンル分けから始める。神学、祈り、信仰、小説、家庭、児童、伝記、語学、その他、と大まかに分けられそうなジャンルの名前書いた紙をテーブルに置き、それを元に種別していく。
しかし始めたは良いが、なかなか終わらない。この日は平日だったのだが、午後遅くから教会堂を使う人がいるので、それまでには片づけて綺麗にしておかないといけない。細君と2人、もくもくと昼食も取らずに続ける。マサイは昔から本の虫と言われるほど本好きで、自宅の書籍の並べ替えなどは実に楽しい時間なのだが、あまりに片付かないので、不安になって来た。立ちっぱなしだし、お腹もすいてきて、頭が回らなくなって来た。
時間ギリギリに何とか種別までは終わった。それごとに段ボールにしまって、不要なものは紐で縛っておく。この日はここまで。ジャンル分けをしておけば何となく内容も分かり、目的の本を探しやすくなったように思える。
次に本棚を2台、近所のリサイクルショップで見つけてきてもらった。これで合計3台と収納場所が出来たので、次の作業は、ジャンル別に丸い色別シールを本の背表紙に貼り、そこに番号を書いて、管理しやすいようにする。図書については、基本的な分類方法があると思うのだが、こうやって分類をしたものをリスト化していく。貸出票や簡単な教会の図書に関するルールも作った。
出版物は、過去印刷されたもので、初刷部数が少なく、その後増刷されない場合は、内容が良くても品切れになって、なかなか手に入らないことが多い。マサイがいつも探しているような一般文学書なら、オンラインショップで見つけやすくなった。昔なら神田の古書店街を探すしか方法は思いつかなかったものだ。それでも見つからないもの、古書価格が高価で手が出ないものは、リストにできるほどある。いつの間にか出版されていて、いつの間にか品切れになっているものは実に悔しい。高価な単行本をお金がなくて買えず我慢したが、今になって買っておけば良かったと思う本、その時は興味がなかったのだが、今になって買っておかずに後悔している本など。マサイの場合、外国文学の翻訳書が多いのだが、タイムマシンで過去へ戻って買い集めたい本はたくさんある。トーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」、フォークナー全集、ソルジェニーツィンの文庫本等々。読みたい人間にとっては実に高価な宝のような物であるので、出版社に掛け合って分けてもらえないものか、といつも思っている。そんなマサイは今、まさに自社の書籍の売り上げ管理、増刷を検討、という仕事をしていて、品切れ本については、皮肉にも注文をお断りしている立場にある。
クリスチャン向けブックセンターで、信仰良書は無料で引き取ってくれるサービスをしている。最初はここにまとめて引き取ってもらおうかと考えていたが、整理してみて、中には随分貴重なものがあるということに気付いた。いざ探そうとする時に、クリスチャン向けと限定されると、一般書より難しくなる。引き取ってもらうのももったいなく思えて来た。神様の御言葉を詳しく述べ伝える本ばかりなので、まさに宝がここに眠っている、ということになる。今やっていることはそれ蘇らせ、多くの人に開示する作業をしているとうことか、と思えてわくわくしてきた。
もうちょっとで綺麗に本棚に並べられますので、教会員の皆さん、是非興味のある宝を探してみてください。
【聖書 新改訳2017 新日本聖書刊行会】
詩編 119:66 良い判断と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じています。
箴言 2:10 知恵があなたの心に入り、知識がたましいに喜びとなるからだ。
箴言 24:4 部屋は知識によって、尊く好ましいあらゆる宝物で満たされる。
ローマ人への手紙 11:33 ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
ペテロの手紙第二 3:18 私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。
追われるような忙しさの日々が落ち着いた。母が亡くなって50日。病院の精算、市役所や年金事務所への各種届出、銀行貯金の相続手続き、医療費の控除申請、保険金受取人変更、いただいた香典への返礼品手配、墓地の契約、納骨、等々。初めてやることばかり。長男の仕事、と言えばそうなのだろうが、皆こんなに大変なことをやって来たのだろうか。
亡くなった者の貯金を相続するためには、出生から死亡までの戸籍謄本を全て揃えて提出する必要がある。親が本籍を何回移動したか分からないので、最終地より過去にさかのぼって探って行った。結局5つの市町から戸籍謄本を取り寄せた。母の出生が分かる戸籍として、祖父の戸籍を取り寄せたのだが、祖父は明治36年生まれ、子どもは5人(母は次女)。祖父の戸籍なのだが、曽祖父が載っている。明治8年生まれの曽祖父は、9人の子どもの親。祖父はその長男。祖父以外で聞いたことのある名前は一人だけだ。9人目なのに一郎という名前なのは、養子に出されたかららしい。この一郎さんと祖父の長女の生年は3年しか違わない。戸籍から予測すると、マサイの高祖父(ひいひい爺さん)は江戸時代の生まれということになる。全く遠いことだと思っていた江戸時代だが、実はそんなに遠くない。ほんの4代前だ。高祖父は何をしていた人なのだろう。手書きの戸籍謄本にある情報は名前と生年月日だけなのだが、自分につながることなので、見ているだけで面白い。
納骨式で、母方の系図を作って、来てくれた叔父叔母に配った。息子が小さい時、学校の宿題で系図を作るというのがあった。分かるところまで追ってみよう、と両親に祖父、曽祖父の兄弟について聞いたが、正確な答えは返ってこなかった。あいまいな部分があるらしい。今回の叔父叔母も同じような反応だった。ほんの2世代前のことが記憶に残されていない。
丁度3月22日から教会の皆で聖書通読を始めた。聖書同盟の通読プログラムに則って5年かけて66巻を全て読むことになる。スタートは第一歴代誌から。第1章は、アダムからの系図が続く。初めて読んだ時、頭に入らないので、紙に書き出してみた。マタイの福音書第1章を初めて読んだ時と同じく、今まで深く考えずに読んでしまったところだが、今回はペンを片手にゆっくり読んでみた。読んでみると、名前の羅列である系図が面白い。自分が記憶にとどめている以外にも、たくさんの人が聖書に名を連ねているのに改めて驚く。長男ばかりではないし、傍系も広がっている。名前が神様に導かれた歴史を物語っている。この系図に名を記されていることをうらやましく思って読んでいたら、9章12節にはマサイさんが出て来た(新改訳、新共同訳。口語訳ではアマセヤ)。神の宮の奉仕の仕事に熟練した、力ある人々のひとりであったという。自分が似たような奉仕の役割をしている事を嬉しく思う。
それで今回はじっくり読んで、今までに気づかなかった発見を楽しもうという気になった。60才台ならではの気付きがある、と信じている。通読も今までのように、自分ひとりでやるのではなく、教会員みんなで分かち合いながらやっていく。これも楽しみの一つ。礼拝メッセージもこの通読箇所からのものになる。
ですから神様、
詩編119:18 私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。
アーメン。
歴代誌第一
9:10 祭司たちからは、エダヤ、エホヤリブ、ヤキン、
9:11 ヒルキヤの子アザルヤ。ヒルキヤはメシュラムの子、メシュラムはツァドクの子、ツァドクはメラヨテの子、メラヨテは神の宮のつかさアヒトブの子である。9:12 エロハムの子アダヤ。エロハムはパシュフルの子、パシュフルはマルキヤの子である。またアディエルの子マサイ。アディエルはヤフゼラの子、ヤフゼラはメシュラムの子、メシュラムはメシレミテの子、メシレミテはイメルの子である。
9:13 彼らの同族で一族のかしらたちは千七百六十人。彼らは、神の宮の奉仕の仕事に熟練した勇士たちであった。
(日本聖書刊行会 聖書 新改訳2017 )
深沢七郎の「楢山節考」を読んだ。昔読んだような気がするのだが、入院先の病室に見舞うことも出来ないコロナ禍の状況で、自分が母親おりんを背負子で姥捨て山へ運んだ辰平のように思えて、読んでみたくなった。またカミュの「異邦人」の冒頭には、「今日ママンが死んだ」とある。この後主人公のとる行動について問題提起されているのだが、母親が死んだ後にどういう心理状況になるものか、ということが気になった。もう一度読んでみようという思い、実家から持ち帰った。年が明けて、そんな思いが起こっていた。
昨年の9月下旬から入院をしていた母が、2月5日に亡くなった。4月生まれなので、後2か月半で87才だった。職場で仕事中に病院から電話があって、血圧と呼吸に異常が見られると伝えて来た。緊急招集ではなかったので、今晩か、明日かとのんびり考えていた。すると16時48分に担当医から電話があって、「呼吸と心臓が止まりました、私たちで看取って良いでしょうか」という。お願いしますという返事をして、細君と父親に連絡をとった。
地元の駅まで細君に車で迎えに来てもらって、運転を代わり、父親を拾って病院へ。9月に入院した時から覚悟していたことなので、たんたんと事実を受け止めていたが、意識していなくても精神的なダメージを受けていたようだ。動揺しているようで、運転がおかしい。自分でもこれは意外だった。
19時病院着。この病院では最近新型コロナウィルスの院内感染者が2桁も出てしまっているので、病室には入れない。細君が荷物を車へ運んでいる間に、30分前に着いて既に準備を終えていた葬儀屋さんがランチャーを押して来た。母は直近のコロナ検査では陰性だったのだが、銀色のシートにすっぽりくるまれていて顔は見えない。移動した後の葬祭会館でやっと母親の顔を見た。実に12月21日から46日振りの御対面である。苦しまずに逝ったらしく、綺麗な顔をしていた。点滴とミキサー食だけの栄養摂取だった割には、それほど痩せていない。これまで神様に母親が苦しまないように、と祈って、いろいろ苦渋の決断をしてきたので、そんな顔を見て安心した。
翌日は葬儀の打合せ、翌々日が葬儀になった。母方の親族だけの少人数の葬式だったが、棺に花があふれるほどにして、盛大に送ってあげられた。
「楢山節考」のおりんは、楢山行を全うすることを自分の宿命と考え、それを延期することすらも許さない姿勢を貫く。生に対する厳しさを感じた。そして最後は全てを真っ白な雪が覆いつくしていく。母は、コロナ禍なので、年末も正月も誰も来ない病室で寂しい思いをしていたのか、それともいろいろな事から解放されて、自分の好きなことだけを考えるのんびりした気分を味わって、最期の時を待っていたのか。最期の表情からすると、後者だったのかもしれない。
病院のスタッフもコロナ禍で大変苦労されていたと思う。母は良い人たちに恵まれた最期だった。最期に立ち会っていないので、亡くなった実感があまりない。まだどこかに入院中と言われても、そうだね、と思える。
随分前になるが、母が大腸がんの手術をしたことある。築地のがんセンターの術後病室で二人きりになった時に、手術の成功のお礼と今後の快復について神様にお祈りした。母はクリスチャンではない。祈ってよいか、と聞いて、手を取って祈ると、握られていた母の手が強く握り返してきた。何も言わなかったが、息子が神様に祈る言葉に聞き入っていた。母親のために二人きりで祈ったのはこれが初めてだった。母はイエス・キリストを救い主として受け入れるチャンスはなかったが、自分たち親とは違うクリスチャンの道を選んだ息子の祈りを、母が受け入れてくれた、という実感が持てた瞬間だった。
【聖書 新改訳2017新日本聖書刊行会】
伝道者の書
3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
イザヤ書
66:12 【主】はこう言われる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の栄光を与える。あなたがたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる。
66:13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰める。エルサレムであなたがたは慰められる。
詩編
27:4 一つのことを私は【主】に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り【主】の家に住むことを。【主】の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。
昨年の9月から船橋エクレシア・キリスト教会では「人生を導く 5つの目的(リック・ウォレン著 パーパス・ドリブン・ジャパン)」を皆で読んでいる。副題は「自分らしく生きるための42章」。世界的に聖書に次ぐ大ベストセラーなのだと教えて貰った。本来42章を1日1章ずつ読むという設定になっているのだが、もう少し時間をかけてじっくり考えることが出来るように一週間に2章ずつ進むようにした。毎週の礼拝メッセージもそれに合わせて、2章分ずつ取り上げていく。「何のために生きているのか」ということについて、5つの目的という形で、神様の目的とご計画を理解し、永遠への備えが出来るように教えてくれる。
本に線を引きながら読み、礼拝メッセージを聞き、メッセージの後にそれについて教会員と分かち合う、という流れで進めてきたが、それもそろそろ終わりに近づいてきた。今回内容的にも読んで良かったと思えるものであったし、教会員皆で読んだことによって、全員がその内容を共有し、同じ方向を見ることが出来るようになったことがとても嬉しい。自分では、メッセージが身に付いたと感じている。
今回この本を読むことによって、信仰の始めの頃に持っていた新鮮な気持ちを随分久し振りに思い出した。ティム・ヒューバー牧師のアパートで、「確信の学び(国際ナビゲーター)」や「四つの法則(国際キャンパスクルセード)」のトラクトを貰って、バイブルレッスンを受けていた時に感じていた神様を強く求める気持ちだ。聖書を最初に買って46年、最初に通読して30年。最初が新共同訳だった。その後、新改訳、口語訳、リビングバイブル、などと、版違いを含めて、数種の訳で通読を繰り返してきた。しかし長く信仰生活を送っているうちに、なくしたわけではないが、初めに持っていた新鮮な気持ちを忘れてしまっていることに気づいた。
久し振りにこの「四つの法則」の小冊子を開いてみる。第1の法則「神は、あなたを愛しておられ、あなたにすばらしい人生をあたえようとしておられる」から始まる。この第3の法則にある、聖い神と罪ある人間の間を隔てている深淵を橋渡しする唯一の方法として、神様が与えて下さったのがイエス・キリストである、というところにマサイの信仰の原点がある。簡単な図がついているがそれが変わらずに同じページにあることがとても嬉しい。「ほら、この時に持っていた気持ちを思い出せ。心がわくわくした情熱を、忘れずにいつまでも持ち続けているのだよ」というメッセージを、今回「5つの目的」を通して神様からもらったと感じている。
礼拝メッセージの後の分かち合いの中で自分の言葉で喋ってみると、信仰の始めの時から見てほんの少しずつ理解出来るようになっていることがあるのに気づく。しかし42章の内容の中には、自戒の気持ちを持って読み進めるようなものもある。終わりに近い40章に、目的を持って生きるために、人生の目的宣言文を作成し、脇道にそれないように定期的に読み返す、という箇所がある。今後の人生の方向性を明確にしておくというものである。書き出すことによって、自分の気持ちの整理ができるし、自分の弱さ故に目的をあいまいにしたままでいることは出来なくなる。老年に差し掛かった今、祈りと決断をもって、100%そう願う、と言える自分の目的を書き出して行こう思う。
【新改訳聖書2017】
ヨハネの福音書
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
ヨハネの福音書
3:1 さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
2020年の5月、息子が連休になる直前に遊びに来た。ギターを持って帰りたいという。新型コロナ騒ぎでどこにも行かれないが、横浜の教会牧師と良い交流が出来ていて、ギターを教えてあげると言われたらしい。今まで小さい頃からピアノ、ギター、ベース、ウクレレ、ドラム、ボンゴなど各種楽器が身近にあり、親が弾いている姿を見てきたので、自然に興味を持ってくれるかと思っていたが、泳ぐのに忙しくて楽器を手にする時間がなかった。
やっと興味が芽生えたか、と親としては喜ばしく、引越し時に実家に預けておいたエレキギターとアンプを持って来る。実は今住んでいるところは楽器演奏禁止なのだが、実家に移った折には、老後の楽しみとして再び弦楽器をいじってみたいと思い、いろいろなサイトから、スケール練習のいろはを探して練習プランをたてていた。
息子がギターを抱える姿を見るのは初めてといってよい。基本的なコードの押さえ方と全音半音の法則を教えると、短期間のうちに吸収していった。耳にしたことがあるフレイズを自分で奏でることが出来て、本人も気に入ったらしい。最近はWEBで教則や楽譜が簡単に手に入る。昔は音叉でやっていたチューニングも、全ての弦がスマホで簡単に音合わせ出来る。マサイが弾き始めた頃はこれが第一関門だったが、便利な時代になったものだ。牧師が教えてくれるのも、コロナ禍なのでスマホの動画を通してだ。帰るまでには何とかスタンド・バイ・ミーが弾けるようになって、エレキギターとピックを何枚か持ち帰った。
年末にはアンプを持って帰りたい、という連絡が来る。ギターを持って帰った後、興味を持って続けていてくれたのか、と嬉しく思う。マサイはアコースティックギターを中学1年生の時に買ってもらったのだが、テスト前だというのに近所のレコード屋さんでいきなり買ってくれたのに驚いた。当時は誰もがフォークギターに憧れる時代だった。しかし買った後、誰かが教えてくれるということはなく、便利なWEBサイトもなく、一緒に買った分かりにくい教則本を頼りに、一人自室でひとつひとつコードを覚えて行った。音楽理論的なことは全く分からず、自分勝手流なので、上達する訳もない。ただフォークソングブームに乗って、見よう見まねで続けて来た。コードが付いた楽譜がないと弾けないし、応用もきかない。
それが高校に入って驚いた。皆なんてうまいんだろう。ギターでなく、ベースを弾いているのもいる。弾いているのもフォークソングではなく外国のロックだ。大学に入るとよりその気持ちがより強くなった。楽器を肩にかけて授業にやってきて、セミプロのように弾いている。とても自分も弾けると人前で言えなくなった。ギターは弾ける、のではなく、持っている、という表現に変わる。社会人になってからはケースにしまったまま、弾かなくなった。
随分経って教会賛美の奏楽者の手配が急につかなくなったことがあった。当時はキーボードで奏楽をやっていたのだが、急遽アコースティックギター2本で担当することになった。その時の片割れがマサイで、久し振りに楽器を手にすることになった。人前で弾くのは初めてだ。この時ワーシップチームとして練習を重ね、息子に渡したエレキギターを買ったり、音楽理論的な本も読んでみたりした。しかしここでもまだ独学という学び方は変わらない。しばらく続けたが、独学には限界がある。うまい人は、楽譜も見ずにいとも簡単に弾いて見せる。羨ましく思う反面、コンプレックスが強くなって来る。うまい人の前では恥ずかしくて弾けない。音楽は好きなのだが、感も耳も悪いのだろう。何か根本的なことが分かっていないような気がするが、それが何だか分からない。いつまでたっても上達しない自分にいら立ち、熱が冷めていく。引越しの時に、もう奏楽を担当することもないだろう、と楽譜集を整理し、登戸の教会に寄付してきた。
その後移った船橋の教会では、若い人たちが賛美を担当して一生懸命やっているので、その邪魔しないように、応援する立場でいようと細君と話し、2年半そうしてきた。しかし年末も押し迫った12月27日の礼拝でまた奏楽者の手配がつかない、細君が賛美リーダーなので、15年以上振りにギターを弾くか、ということになった。高校卒業時に買った2代目アコースティックギターを実家から持ち帰り、楽器演奏禁止の集合住宅なので、弦の下にタオルを挟んで消音して、コードを一つ一つ確認しながら指の動きを思い出してみた。用心して替えの弦を楽器屋に買いに行くと、久し振りに綺麗な楽器に囲まれて、わくわくした気分になった。
皆の前に立って60才の爺さんがギターを鳴らす図は考えるだけでお恥ずかしい限りなのだが、うまく弾けなくてもご愛敬、感謝を持って、楽しく奏楽に携われるようにして下さい、と祈ってきた。うまく弾けない、応用がきかない、のは自分が一番分かっている。それでもこういう話が再び回って来たというのは、何かしら神様のご計画があるということだろう。たとえ楽器を上手に弾ける人が礼拝に来ても、臆さず、恥ずかしがらずに賛美を捧げることが出来るようにして下さい、と合わせて祈る。肝心なのは、賛美を捧げる姿勢で、自分が楽器を弾きながら集中して神様に賛美を捧げられれば良い、と考えると、自分の中で気持ちが整理出来て来た。こう考えられるようになるまで随分かかったものだ。
12月27日早目に会堂に入って、チューニングをすませ、細君とリハーサルをする。今まで消音をしていたので、生音を出すのは久しぶりの事だ。分かっていても、ついついテンポが速くなる。細君にタンバリンでリズムを刻んでもらって、その音に右手のストロークを合わせるようにする。3曲だけなのだが、左の指先が弦に食い込んで痛い。祈りを持って礼拝の開始を待つ。
本番では皆の賛美の歌声が大きいのに驚き、励まされた。繰り返しの箇所で楽譜の上を目が泳いだり、左手が追いつかなかったりしたが、細君のリードで会堂全体が賛美で一つになっていくのをはっきりと感じた。この一体感は久し振りに味わうもので、心が満たされていく。神様が祈りに応えて下さったことに感謝する。
終わって見ると、気持ちはすっきりしている。本番はテンポが速くなることがなかったと細君に言われたが、それは神様のお導きである。自分の役割は、楽器を弾く事ではなく、楽器を持って神様に賛美を捧げる事だ、と気づいた。息子が賛美の奏楽をするようになったら、まずこのことをアドバイスしてあげたい。
詩編
103:1 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
95:1 さあ【主】に向かって喜び歌おう。私たちの救いの岩に向かって喜び叫ぼう。
95:2 感謝をもって御前に進み賛美をもって主に喜び叫ぼう。
95:3 まことに【主】は大いなる神。すべての神々にまさって大いなる王である。
(日本聖書刊行会 聖書 新改訳2017)
イザヤ書
9:6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
ルカの福音書
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
マサイ家のクリスマスの思い出は、実に楽しいものばかり。居間に設置した大きなツリーにいろいろなオーナメントを下げて飾付をし、枝にはお互いへのクリスマスカードを乗せ、根元に綺麗なリボンをかけたプレゼントの袋や箱が並ぶ。我が家のクリスマス会は、毎年細君と息子の3人でお祝いをした。聖書を読んで、3人で手をつないでお祈りをして、まずは一番大切な救い主イエス・キリストの誕生を感謝する。キャンドルに火をともし、細君が作ってくれたグリスマスディナーを楽しむ。その後、プレゼントを開けるのだが、この日まで、プレゼントには手を触れても、透かして見ても、つついてもいけない、というのが我が家のルールになっている。この時まであらゆる想像を膨らませてこの時を楽しみに待つ。クリスマスカードでお互いへのメッセージを読んだ後、息子~細君~マサイと順番に包装を解いていく。プレゼントを買う時から、皆が開ける時の喜ぶ顔を想像しながら気に入ってもらえそうなものを探し、ラッピングしてもらっているので、もらう方もさることながら、あげる方も楽しい。息子が小さい時に、補助輪の付いた自転車を欲しがっていた時がある。息子が寝るまで自動車のトランクに隠しておいて、夜そっとクリスマスツリーの前に置いておいた。当時は3人並んで寝ていたので、翌朝は息子が起きるまで先に起きないように待っていた。息子が起きてその自転車に気づいた時の歓声と嬉しそうな顔は忘れられない。プレゼントした側の喜びも同じように大きく嬉しかった。
学生時代に英文学を学んでいながら、英米作品の読み残しがあるので、日本語ではあるが読むようにしている、と2月号に書いた。今年の締めくくりに「スケッチ・ブック(The Sketch Book of Geoffrey Crayon, Gent)」ワシントン・アーヴィング著 齊藤昇訳を読む。アーヴィングはアメリカ文学史の最初の方に出てくる作家だ。この代表作は、1819年から1820年にわたって分冊の形で出版されたもので、34篇の短編小説と随筆からできている。昭和56年4月に新潮文庫で買って、読まずに積読していたのだが、これが抄訳版で、実は岩波文庫(上・下巻)がフルバージョンであると今年になって気付いた。上巻を探すのに苦労したがやっと手に入れて、ほぼ40年越しに読み終えた。この下巻は、クリスマス、クリスマスイブ、クリスマスデイ、クリスマスディナーと、この時期に丁度ぴったりくるものが並んでいる。アメリカの作家なのだが、イギリスの典型的な田舎貴族が、集まって来た子どもや大人と一緒になってお祝いするスペシャルデーの様子が描かれている。
一家皆で半マイル離れた教会まで歩いて行き、お祈り、合唱隊の演奏に続いて、牧師がクリスマスの儀式や礼法について説教を垂れる。これが終わると自宅に帰って、盛大なお祝いの食事を皆で楽しむ。その描写からは、敬虔なというより、純粋にクリスマスのお祝いを楽しむ人たちの温い心を感じる。そこには救い主の誕生を純粋に喜ぶ人の姿がある。
マサイが最初に登戸エクレシアの行事に参加したのもクリスマス会だった。1989年12月24日、夜には雪になるクリスマスイブだった。旧多摩市民館でアーサー・ホーランド氏のメッセージを聞いた。その後、本当のクリスマスの意味を伝えるために、教会のスタッフとして、キャンドルサービスやクリスマスキャロル、イエス様の降誕劇などなど、様々な企画を通して、たくさんの方々とクリスマスのお祝いをした。
2020年は、コロナ禍が収束しないために、登戸エクレシアキリスト教会では、毎年クリスマスイブに行っているキャンドルサービスの集会の代わりに、スペシャルビデオを作成した。全世界を襲った禍であるが、時代がいろいろなものを進化させた。オンライン礼拝やビデオ視聴であれば、どこからでも参加でき、いろいろなデバイスで気軽に見てもらえる。Facebook、twitter、Instagram、LINE、メールなどで全世界に福音を知らせるチャンスである。まさに時代である。
クリスマススペシャルビデオ告知画像も作成した。http://www.ekklesia.cc/shared/Christmas2020.jpg
本編は、12月24日(木)18時より公開。18時に間に合わない方でも後でゆっくり見ることが出来ます。ぜひご覧ください。
ヨハネの福音書
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
スマホの画面に聖書アプリから聖書箇所が送られて来た。どういう機会に送られてくるのか分からないが、これはめったにないことで、たまにあってもすぐに起動ボタンを押してしまうので、読まないうちに消えてしまうのが常であった。無事に読めたのは今回が初めてかもしれない。
詩編27:1
主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。
主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
仕事の引継ぎ、介護で胃にストレスがかかるような毎日を送っているので、これほどタイムリーな聖句が与えられるのは、神様のご意思以外に考えられるだろうか、と驚く。神様からのメッセージであると信じて疑わずに、早速暗唱してみると、すがりつける聖句だ。心から感謝する。
さて、先月の続きです。10月14日、母は腸閉塞の具合が良くなって、歩行訓練のために市内のリハビリ病院に転院していた。
10/21(水)コロナ禍で面会禁止なので、順調に回復プログラムをこなしているだろうと安心していたのだが、昼前にリハビリ病院から電話あった。母の呼吸がおかしいので、胸のCTを撮ったところ、肺に水がたまって肺炎を起こしている。ここでは対応ができないので、救急車で転院してもらう。血液も骨髄腫の疑いもある。
昼過ぎ、救急車で市立病院の緊急外来へ搬送された。会社から駆け付けると、市立病院救急担当医師から説明があった。転院先の病院で食べられなかったようだ。脱水症状を起こしている。通常60~70である脈拍数が140を超えていた。尿路感染も考えられる。肺に水がたまり、肺炎、心不全を起こしている。心房細動の疑いもある。心臓の僧帽弁が固く、開くのが難しいようだ。貧血症状もある。1週間前の市立病院退院時よりヘモグロビン値が減少している。腎臓にも負担がかかっている。
3階の循環器系の病棟個室に入院。入院は一か月くらいを予想。コロナ禍なので面会不可。
10月24日(土)11時 父と循環器の担当医からの説明を聞く。前回入院をした腸閉塞は問題なく、今回起こしている心不全の原因として以下の2つが考えられる。
・僧帽弁狭窄症 心臓の左房より左心室へ血液が流れる入口弁が固く、開くのが難しくなっている(狭窄)。肺から心臓へ向かう血流が悪くなり、心臓が送り出す血量も少なくなる。すると肺うっ血になり、呼吸が苦しくなり、これが心不全の原因となる。これは小児期にかかったリュウマチ熱の影響が考えられる。
・頻脈性心房細動 「不整脈」の一種で、心房が痙攣したように細かく震え、血液をうまく全身に送り出せなくなる。
延命治療になるのか、と父が質問をする(以前救急で担ぎ込まれた別の病院で、まず延命治療を望むかどうかと聞かれたことがあり、それがショックで頭に残っていたという)。老人医療そのものが延命治療の範疇に入ってしまうが、今回の治療については、中心静脈栄養、酸素・陽圧換気、人工呼吸器が延命治療に入る。
一旦病室へ母を見舞うと、鼻の両孔から酸素を取り込んでいるらしい。薬の作用のせいか、眠っていたらしく、口を開けてハアハア息をしている。時折目を開け、何か言いたそうにするが、会話にはならない。
引き続き医師の説明。今後起こりうること。
◎心不全要憎悪 弁膜症手術や不整脈治療などの根本治療は、困難なため利尿と心拍コントロールでしのぐ。しかし表裏をなす危険もある。利尿には脱水の危険が、心拍コントロールには徐脈の危険がある。酸素化不良に関しては、呼吸をサポートするマスクをつける。それでだめなら人工呼吸器になるが、これは喉に管を入れるものなので本人の痛みを伴う。
◎栄養状態不良 正常な状態では、血管中を流れる血液が濃ければ水分は血管に取り込まれ、尿として排出される。ところが点滴などをして血液が薄くなると、血管から水分が出ていって肺などに水が溜まる。原因は栄養不良にある。点滴と薄い粥だけの食事では栄養不足は防げない。治療としては、中心静脈栄養といって、点滴用カテーテルを心臓に近い太い静脈に挿入して、栄養を送り込む方法がある。これは一時しのぎ的なものであって、体内でこの成分が作られるようになるまで、という条件が付く。しかし、母は数値を見る限り、多発性骨髄腫であることは間違いない。骨髄腫にかかると体内でたんぱく質、赤血球を自分で作り出すことが出来なくなるので、口から栄養を取れない場合、これをずっと続けなければいけなくなる。
◎腎不全、循環不全 合わせてこれも起こしている。治療としては、人工透析という方法があるが、透析を続ける場合は手首への手術が必要になり、本人も痛みが伴う。
呼吸サポートだけで元気になる場合もあるが、栄養不足の解消にはつながらないので、退院して自宅へ帰ることは現実的ではない。◎を付けた3つの治療は、家族の許可が必要なものである。月曜日に担当医師がマサイに電話をくれるため、それまでに話し合っておいてほしい。もしもう一度先生の説明が聴きたい場合は、火曜日の夕方なら時間が取れるということだった。
10月25日(日)礼拝の後、祈って実家に出かける。昨日13時過ぎに聞いた担当医師の話を父に説明し、中心静脈栄養について、家族の意向をまとめる。父は、延命を望まない、本人が痛い、苦しい思うことを無理にせずに送り出してやりたい、医師との再度の面談も不要、という考えだった。今後カテーテルをはずせないまま、コロナ禍なので面会者もなく、病床でずっと過ごす、というのが母の幸せであるのかどうか。カテーテルを入れたままではそこからの感染症も考えられる。多発性骨髄腫について調べてみると、これからは母が苦しむばかりなように思える。家族も覚悟が必要な時期になった。
10月26日(月)担当医師に、喉から管を入れる人工呼吸、中心静脈栄養、人工透析について、希望しない、という家族の意向を伝える。母の為を思ってした決断ながら、後味は良くない。医師は我々の決断を尊重してくれて、出来うる限りの最善を尽くすと言ってくれた。しかしこの決断によって母が亡くなるとすれば、病室で最後に見た黒目の動きを覚えている限り、少なからず悔いは残る。この決断の責任は重い。神様、これが母にとって、また残された父にとって最適なものであり、後々後悔するものでないことをお祈りします。
コロナ禍で面会禁止なので、このまま会えないのは寂しい。どうにかして見舞ってやりたいと考える。
マルコの福音書
12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
86才の母親が、以前治療をした腸閉塞の症状がひどくなり、心臓、肺、腎臓に悪影響をおよぼして、近所の市立病院に入院した。
9月の4連休の初日、あまり食べていない母が吐いたというので実家に飛んでいく。翌日再び吐いたという連絡が父からあって、早朝救急窓口へ連れて行った。CTの画像を見ると、胃の形がはっきり分かるほど、胃の中に食べ物がたくさん残っている。腸からずっと詰まっているらしい。その周りに水もあるようなので、食べた時に気持ちが悪くなって嘔吐した可能性がある、心電図の波形が前回と違うのは、心臓付近の血管の石灰化によるもので、心筋梗塞の心配があるという。便通を良くすれば、詰まっていたものが外に出て問題は解決するか、というくらいに考えでいた。
連休明けに外来で再受診すると、その場で入院となった。コロナ禍なので面会も不可。洗濯物や渡したいものがある場合は、入り口の警備から連絡をしてもらうと、病床スタッフが下まで受け取りに来てくれるという。
入院3日目、医師からの説明によると、腸閉塞で入院をしたのだが、心不全を起こしかけているという。口から食べ物を摂れず、脱水症状を起こしていた。点滴に頼っているので、心臓が弱り、呼吸が苦しくなっている。そこで心臓が良くなるまで、鼻から細い管を入れての腸閉塞の治療は一旦お休みをする。前回の入院時にはこの心臓の問題はなかったが、今回は腸閉塞がきっかけとなって起きてしまったようだ。病室へ行くと1人部屋で、思ったより辛そうにしている。連れて来た時とは一変しているが、意識はある。コロナではないという。鼻から入れた管が気持ち悪かったらしく、2m超の管を50cmくらい自分で引き抜いてしまったらしい。それを防ぐためにミトンをしていた。口から管を入れるものではなく、呼吸をサポートする人工呼吸器をつけてもらった。
入院4日目の医師面談の内容は・・・水分が心臓に負荷をかけているらしい。腎臓も以前から問題がある。この器官には水分が必要なのだが、心臓はその水分が逆に負担になる。それで利尿剤、血管拡張剤、人工呼吸器という処置をしてくれている。口の中は雑菌の巣で、痰を外に出せない分誤飲して肺に入っているようで、肺炎も起こしかけている。尿が出て食事が出来るようになったら、大腸の先の方まで状況を見ることが出来るのだが、腸が狭まっているとしても、高齢のため手術は出来ない。病気や入院で体力が落ちている。たとえ持ち返しても、元通りに出られるという保証はない。86才という年齢を考えると、体力がどれくらい持つかであるという。短くてあと2,3日という事もありうる。本来面会不可だが、15~19時という規則通りの時間内なら、1回に2人位まで、短い時間に面会に来て構わないと言ってもらえた。母は声がけに反応する。人工呼吸器をつけているので、はっきりとは聞き取れないが、こちらの言うことは分かるようだ。
入院6日目、息子の誕生祝を都内でやるように予約を入れていたのだが、こんな状態なので最後になるかもしれないからと、キャンセルをして息子を病院に連れ行く。すると母は人工呼吸器も鼻からの管もとれていて、ベッドも半身起こしていた。左手にミトンはしていたが、意識もしっかりしていて随分元気になった印象だった。驚異の回復力だ。とめどなく喋り続けるのだが、内容は随分支離滅裂であった。しかし孫のことはちゃんと分かっているようだった。担当医からは、ちょっと話すと脈が上がるが、尿も出ている。造影剤を入れて腸を見てみたが、詰まっているところはない。これからリハビリをしていく。まずは歯磨きから。飲み込む訓練をしていく。昼は外している人工呼吸器を夜には付けさせてもらいたい、ということであった。
礼拝は2週続けて行かれなかったが、教会員の皆さんがお祈りしてくれた。感謝しています。入院の時期に重なるように、9月から教会で丁度始めた「人生を導く5つの目的(リック・ウォレン)」第2日に、ラッセル・ケルファーの詩が載っていた。
神はあなたを母の胎の中で組み立てられました。
あなたは神が望まれた通りの姿をしているのです。
あなたにその両親を選ばれたのは神です。
神様が私のために両親を選ばれた、とは今まで気づかなかった。
ここまでが、9月の10日間の動きです。今、リハビリ病院への転院を待っているのですが、10月の展開については、次号で詳しくお伝えします。
詩編
22:9 まことにあなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
22:10 生まれる前から私はあなたにゆだねられました。母の胎内にいたときからあなたは私の神です。
34:1 私はあらゆるときに【主】をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。
34:2 私のたましいは【主】を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
34:3 私とともに【主】をほめよ。一つになって御名をあがめよう。
34:4 私が【主】を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。
34:5 主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔は辱められることがない。
34:6 この苦しむ者が呼ぶと【主】は聞かれすべての苦難から救ってくださった。
定年後半年たった。仕事については、一緒に働いている皆の負担が軽くなるような仕事がしたいと常々神様に祈ってきたが、新型コロナウィルスという今までにないものがきっかけとなって、働き方が変わってきてしまった。誰もが経験したことのない形態は、定年したからこうなったと言っても良いくらい絶妙なタイミングからの開始であった。この件ついては前に書いたが、テレワークをしている時は、会社とのやり取りをメールでしている。それがいきなり電話がかかってきた。「今決まったのですが、10月1日から異動が決まりました」という。定年になったというのに、まだあちこち行けと言われるのか、とがっかりした。
実際の業務引継ぎが4月以降になったので、約半年間定年前と似たような仕事を続けていた。窓を背にしなくなったとはいえ、同じ島に座っているものだから、まだ「~をどうしたら良いですか」と聞かれることが多い。今の責任者を差し置いて答えてしまっては、新体制がやりにくかろう、と気を付けている。4月から来た後任者に引継ぎをしているのだが、いつまでもマサイが横に座っているものだから、分からないことはすぐに聞けばよい的な安心感があるらしい。前回説明を聞いていて、メモを取っていたはずなのに、それでも同じことを聞いてくる。いつまでもマサイがここにいるからダメなのか、10月頭に中間決算の引継ぎを終えたら強制的に独り立ちしてもらおうと思っていた。しかしその決算直前にマサイが異動になった。今の仕事は、全社レベルの責任が伴うため緊張感はあるが、自分に合うと思える職種だった。なので7年4か月間やりがいがあった。それがお役御免ということらしい、元の部署に戻ることになった。
随分前の話だが、元の部署にいた時に新規事業が立ち上がり、この管理方をマサイがやることになった。思えばある日突然降って沸いたような印象だった。その上今までにない特殊な分野の仕事なので、誰にも聞けない。始めるにあたって何の説明もされなかったので、面倒な仕事を押し付けられた感がいなめない。不安いっぱいなスタートだった。
何年かたち、やっとマニュアルを作れるほどになって、その業務を部内の人間に引き渡せた。あぁ肩の荷が下りたなと思っていたら、今の部署に異動になって、その業務の総括的な決算作業をすることになった。元が分っているのでどうにかなったが、負担が大きい仕事であることに変わりはない。また俺がやるのか、と仕事が人に付いてくるような思いがした。
今の部署で7年4か月、この決算業務は出来れば他の人にやってもらいたい、と常々思いながらやって来た。しかし今度は教えてくれる人が何人かいたので、形としてはしっかりしたものに仕上げた。しかしそれも定年でやっと解放される、と一人とても喜んでいた。
早速昨年10月から3人にマンツーマンで教えてみた。一人は未経験者なので仕事の概念をつかむのに苦労していたが、半年に一度の作業なので、実際やってもらう前に異動してしまった。その後に教えた2人は経験者であるので大丈夫だろうと喜んでいたが、物を作ったり、日々の現場作業ことをしたりは出来ても、事業の総括的な仕事を理解するのは難しかったようだ。マサイがこういう仕事をしていたことすら知らずに驚いていた。いくら手順書を細かく詳しく作ってみても、不安が大きかったらしい。顔の表情がそう言っていた。
しかし一通り説明をしたので、この中間決算では相談に乗るだけで、もう手を付けなくてよいと喜んでいた。ところが直前に2人とも異動になり、どうなるのかなと思っていたら、結局マサイが元の部署に異動になってその直接の担当者になった。決算作業を連れての異動なので、やはり仕事は人に付くのか、とまたもがっかりした。会社としてマサイしか出来ない仕事を作って良いのか、常に誰かに渡したいと思っているのに仕事を抱えて離さないような印象を与えるのも嫌だな、と考える。一方この仕事のエキスパートだから、と喜んでいる人も多い。
しかしここまでくると、神様のご計画を感じないわけにはいかない。定年後の仕事については、冒頭に書いたようにずっと神様に祈って来たことだから、こうまでしつこく付いて来るものにはきっと何かご計画があるのだろう。そこで頭を切り替えて、これをいやだいやだと思わずに、自分の考えの及ばないところにある素晴らしいものに期待しよう。そう考えてみるとスッキリした。やることがあるのを感謝し、新しい部署での仕事が守られるようにと祈って、10月から何が待っているかを楽しみにしたい。
エレミヤ書
33:3 『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
ヨハネの手紙第一
5:14 何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
5:15 私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。
細君が最近は良いネギが手に入らないという。鍋に入れて美味しい印象があるので、冬の野菜だから今はそうなのか。鍋ばかりではなく、焼き鳥から薬味まで、年中活躍する万能選手なので、一年中立派なものが手に入るのかと思っていたが、そうではないらしい。7月は雨が多く、気温も平年と比べて過ごしやすかったのでそのせいかもしれない、と勝手に考えていた。
ランニングコースの河原に沿った左手の一角がネギ畑だったことを思い出して、走りながらチェックしてみた。緑の葉を勢いよく天に向かって伸ばしている。その中にはネギ坊主も遠くに見える。それが一面なので、立派に育っているものと思ったが、よく見ると細い。収穫前だからかもしれないが、なるほどこれがスーパーに並んだら良いネギという印象にはならないだろう、と思えた。
ところがちょっと先のネギ畑には、立派なネギがたくさん植わっている。種類が違うのだろうか。太くて、買うのならこれを買いたいな、と思うほど違いがある。そういえばこれが植えられる時、畑に畝に盛り上げて両側に溝を付けたその天辺に植えていた。余分な草を全て抜き去って綺麗に植えられている。溝もあるので、随分高いステージに植えるのだなと、見ていた。
梅雨が思ったより長かったせいか、雑草が伸びるのが早い。ランニングコースの土手両側の雑草も、あっという間に背丈が伸びた。このネギ畑にも最初、溝の底に緑の雑草が生えてきた。次に走った時にはそれが伸びていた。翌週になるともっと背丈が伸びた。走るごとにネギの両側に密生して来る感じがする。我が物顔で増殖する外敵をどうすることも出来ないのか。畑も畝も栄養もネギを育てるためのものなのに、それが取られて貧弱なネギがスーパーの店頭に並ぶことにならないか、と心配になった。
改めてみ見ると、細い方のネギ畑は除草したようだ。しかし立派に見える方は、雑草が今のところ伸び放題で背丈も変わらなくなっている。細い方のネギは、十分にケアしてあげる必要があるのだろう。立派な方は、外敵の攻撃にも耐えて行かれるらしい。
そんな畑を見ていて、毒麦のたとえを思い出した。
マタイの福音書
13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は次のようにたとえられます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
13:25 ところが人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて立ち去った。
13:26 麦が芽を出し実ったとき、毒麦も現れた。
13:27 それで、しもべたちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。』
13:28 主人は言った。『敵がしたことだ。』すると、しもべたちは言った。『それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。』
13:29 しかし、主人は言った。『いや。毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない。
13:30 だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。』」
もし自分の畑なら、どうするだろう。収穫まで抜かずにいるには、大きな忍耐が必要である。ネギと雑草には、麦と毒麦のように形状の近似性はないので、マタイのこの聖句で言わんとしていることと同じ光景ではないが、走りながらの観察の結果、細いネギには手をかけてあげる必要が、太い方は成長をじっと見守る必要がある、と見た。細いネギには植えた者のケアが、太いネギにはじっと見守っていても大丈夫、という信頼が注がれている。どちらも生産者の愛情が込められているのだと考えた。
何度も読んだことがあるこの聖書箇所をゆっくり考える良い機会となった。37節以降でこのたとえの配役と設定が発表される。良い種を蒔く人は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子ら、毒麦を蒔いた敵は悪魔、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたち。そして世の終わりに、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝く。神様は太いネギのように、我々を育つままにずっと見守っていてくれる。見守るということは、信頼されているということだ、と気づいて嬉しくなった。神様に信頼されることの幸せ。走っていてと、とても嬉しい気分になった。神様、感謝します。
細君が教えてくれた映画がとても面白かった。「オーケストラ!(邦題)」というフランス映画なのだが、政治的部分を抜いてごくごく簡単に言えば、ある事情で散り散りになった昔の仲間を探し出して、オーケストラを再結成し、コンサートを成功させるという内容。エンディングの感動は言うに及ばず、救急車に乗って往年の名楽団員を集めに回るシーンが印象的だった。
今まで見た内で一番好きな映画は、と聞かれてまず思い浮かぶのが、ジョージ・ロイ・ヒル監督の「スティング」。初めて観た時の驚きは、今でも忘れない。これも似たものがあって、ある目的のために、散り散りになっている昔の仲間を呼び集めて、プロ集団を結成する。その仲間がそれぞれ特殊な役割でのスペシャリスト達ばかり。中心人物が彼らを集めにあちこち回るのだが、ここがこの映画で一番好きな場面だ。遠くの物陰から微笑みながら鼻の頭を人差し指でさっと撫でると、皆仕事を放り出して瞬時に従ってくる。その時に何の迷いもない。待ってましたとばかり。それが実に楽しそうだ。今の仕事をまず片付けてからとか、仕事の内容を教えてほしい、という者は一人もいないところにお互いの信頼関係の強さを感じる。
マタイの福音書
4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。
神様は我々を実はこんな風に教会に集めている、と映画仕立てに考えてみると、とても楽しくなってくる。神様がある地に目を付ける。そして、メッセージをする者、牧会、奏楽、讃美する者、会計、その他彼らの活動を取りまとめる者、祈る者、励ます者、気が付く者、今はそうでなくてもやがてはその道のスペシャリストとなって行く者たち(神様から賜物を与えられた者達)を一人一人呼び集めていく。ここにチームが出来上がり、祝福が与えられ、この地から宣教が広まって行く。
ローマ人への手紙
12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
神様は、こんな風に目的を持って我々を呼び集めている。つまり我々にはここに呼ばれた意味、ここで果たすべき役割がある、それが神様から与えられたもので、作戦は神様の計画によるものだ。そう考えると、神様をとても近く感じる。
ヤコブの手紙
1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
神様のご計画によって集められた仲間と一緒に、神様を中心に仕掛けていくプロジェクト。その先には、涙を止めようもない感動、胸のすくような勝利、が絶対に待っている。そんなチームに呼んでもらい、神様の作戦に直接参加させてもらえる。これが映画の話ではなく、実際に味わえる、と最近感じている。神様がごく身近にいて、作戦を与えて下さる。ここが興奮するところ、何と素晴らしい。
コリント人への手紙第二
4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
本決算が終わった4月の後半から家で仕事をするようになって、いろいろ今までと変わったものが見えてきた。自宅で起業したわけではなく、働き方改革での在宅勤務、いわゆるテレワークだ。ノートパソコンを持ち帰って、部屋に引きこもって会社でと同じ仕事をしている。やってみると、今まで「当たり前」と自分の内で理解して来た事について、その必要性を疑うようになった。
仕事相手とはメールでつながっているので、これで十分やりとりは出来る。相手もテレワークで出社していない。自宅同士でつながっているので、100%今まで通りとは言えないが、ほぼ片が付く。今までが便利すぎたと思えば、納得がいく範囲である。資料も電子化、やり取りは暗号化してある。会社のキャビネットから古いファイルを探す必要もない。申請・承認作業もブラウザ経由なので問題なく出来る。出社して自席で同じことをする意味が見つからないほどだ。
それでも重いパソコンを背負って週に一回は出社する。すると対人関係のストレスが急に見えてくる。聞こえてきてしまうひそひそ話や、いろいろな人の顔色、勤務態度が見えるというのは実に嫌なものである。それに対してどうこう発言できる立場でもなくなっている。対人であるが故に一種のパワハラ的なものも生まれる。テレワークで孤独感を感じる人もいるというが、定年後、シニアスタッフとして働くマサイには対人関係の方がストレスになる。
片道に1時間以上かける通勤も不思議に思えてきた。テレワークであれば、終業後すぐ帰宅になる。サラリーマン生活38年、混んだ電車で我慢するのは当たり前と思ってきたが、通勤のストレスがないというのは夢のような話だ。出発時間に間に合うように駅まで走る、早く帰りたいのに混んだ電車に乗れずに見送る、車内では押される、つぶされる、遅延にいら立つ、開かない踏切を延々と待つ、そんなストレスを挙げればきりがない。
それがパソコンを家に持ち帰るという環境を作ることで、これらのストレスが一気に解決していく。通信環境さえ整っていれば問題なく始められて、しばらく続けてみたら、元に戻れないほど体が順応してしまった。
昔は土曜日も、年末ギリギリまでも、会社へ行っていた。毎日会社へ行っていた頃は、家にいてじっとおとなしく仕事ができることが理想だと考えていた。実現するとは夢にも思わなかったが、定年=シニアスタッフという変化を機にそんな新しい仕事環境に変わったことを有難く、新鮮に受け止めている。年寄りには優しい職場環境だ。週一の出勤日が金曜日なので、日曜日の夕方から気分がすぐれなくなるサザエさん症候群も起きなくなった。始業前、終業後、細君と過ごせる時間が多くなったことが一番喜ばしい。細君もマサイが働く姿を初めて見て喜んでいる。定年まで走るように働き続けて来たご褒美として神様が用意してくださった新環境に感謝している。
詩編31:7
あなたの恵みを私は楽しみ喜びます。あなたは私の悩みをご覧になり私のたましいの苦しみをご存じです。
テサロニケ人への手紙第一
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
60歳の誕生日をもって定年退職してシニアスタッフになった。いわゆる定年後再雇用という立場で、同じ職場にいるのだが、社員のような恵まれた雇用条件ではなく、時給労働者である。これを期に働き方を変えようと思っているのだが、4月1日異動なので、大切な決算の引き継ぎが時期的に間に合わず、ここまでは自分がやるから、と4月は今まで通りの仕事をしていた。
4月以降は、同じ島にはいても、もう役職者でも何もない。変に口を出すと、新しい組織を作ろうとしている次の役職者がやりにくいだろうと思って、諸先輩を見習って出来るだけおとなしくしていようと考えていた。席も窓を背負ったところから、一番末席に移動させてもらった。部員が仕事をしやすいように、仕える仕事を目指しているのだが、早々に切り替えるのは難しい。
忙しさが落ち着いてくるこれからはできるかもしれないが、まだ自分も周りも新しい環境に慣れていない。どうしましょうか、と相変わらず指示を仰ぐような質問をされて、つい答えてしまう。いかんなぁと思うのだが、周りも質問に即決してもらって納得している。しかし指示系統が2つあるのは、今までの経験から、良くないと分かっている。だが苦情も同じように来るのには閉口する。部への苦情なので、後任に言って欲しいのだが、今まで通りの方が言いやすいらしい。
ずっとプレイイングマネジャー的な働き方が気に入って続けて来たので、一向に重荷は減らない。自分でもこのままで良いのかなと思うような忙しさである。4月も下旬になって、決算も片付いたので徐々に引継ぎを始めようと思ったのだが、今度はテレワークで会社に行く日がローテーションで決められてしまった。出社しても自分の島に一人しかいないので、引き継ぎができない。
マサイは在社中大きな仕事の引継ぎを3度したのだが、全て前任者が既に辞めていたり、半月から一か月以内に辞めて行ったりしたので、聞きたい時に教えてくれる人がいなかった。なのでほぼ自分で作り上げてきたものである。しかし、ちょっと前までであれば、60歳の誕生日翌日から出社しなくなるのだから、いくら今まで自分が作り上げてきた自信のある仕事でも、この日をもってやりたくてもできなくなっていたはずだ。ちょっとややこしい仕事なのだが、プライドもないし、こだわっているわけでもないのにいつまでも抱えていることはないか、とさっさと放出することにした。きっと次の世代なりにやりやすい方法に変えて行ってくれるだろう。いつまでも前に進まないより良い、と4月の終わりから後任へ渡せる仕事のファイルをどんどん送り始めた。送られる方もこんなにいっぱい、と驚いていたが、こんなものを前任者は便利だと思って作っていた、と思ってくれるだけで良い。
しかしこれを書いていて気が付いた。今でも会社の数字に関することなら誰よりも自信を持って答えることができる。会社の中で交わされている会話に、それは違うと口を挟みたい。送ったファイルを見て驚いている後任に、心の中ですごいだろうと自慢している自分がいる。指導し、まとめ上げる立場から、仕える立場への転換がうまく出来ていないのは、自分の頭の中であるようだ。まだそこには奢り高ぶりがあり、下ろしきれない荷物を背負ったままでいる。役職が外れると責任がなくなり、楽になれると口では言っていながら、そうしようとしていない自分の行動を自戒する。60才という老年になっても成長しきれていないことを反省。神様、それを教えてくださったことを感謝します。神様が導かれる道へ進むために、まずこの奢り高ぶりを取り除いてください。そして引き継いでくれる次世代を励まし、応援して行かれるようにこれからの日々を導いてください。よろしくお願いします。
申命記
31:1 それから、モーセは行って、次のことばをイスラエルのすべての人々に告げて、
31:2 言った。私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。【主】は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と言われた。
31:3 あなたの神、【主】ご自身が、あなたの先に渡って行かれ、あなたの前からこれらの国々を根絶やしにされ、あなたはこれらを占領しよう。【主】が告げられたように、ヨシュアが、あなたの先に立って渡るのである。
31:4 【主】は、主の根絶やしにされたエモリ人の王シホンとオグおよびその国に対して行われたように、彼らにしようとしておられる。
31:5 【主】は、彼らをあなたがたに渡し、あなたがたは私が命じたすべての命令どおり、彼らに行おうとしている。
31:6 強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
31:7 ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目の前で、彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。【主】がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。
31:8 【主】ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
60才はどうあがいてみても老人の域である。しかし実はこの瞬間を楽しみにしていた。人生に於いての大きな節目を迎えた瞬間に、ものの見え方が変わるかもしれない、と期待して来たのだ。
昨年末から定年までの日数を毎日カウントダウンして楽しんでいたのだが、最後の10日間は忙しくてそれを忘れるほどあっという間に過ぎてしまった。最初の会社が3年半、今の会社が34年1カ月、ここまで無事に勤めて来られたことを心から神様に感謝している。平穏な毎日ばかりではなく、狼の群れの中の子羊のような気持で、ダビデによる詩編を繰り返し読んで、祈り、乗り切った時があった。上下左右前後から板挟みのような立場にいる今は、細君が職場での人間関係について毎朝祈ってくれる。会社では、箴言16章32節を常にパソコンのデスクトップに置いて、何かあったらすぐ読めるようにしていた。神様を知らなかったらどうなっていたか分からない、と心から思う。
箴言
16:32 怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。
息子がLINEをくれた。いつものことながら息子の暖かい文面には泣かされる。誕生祝いと定年のお祝いをしてくれるという。息子は仕事の後に来るので、職場に近い横浜駅近辺で店を探す。折しも新型コロナ拡散防止対策で、不要不急の用事以外での外出は控えること、という要請受けて、テレワークや時差出勤をしている人が多い。最初はこの時期に外で飲み食いして良いのだろうかと考えたが、せっかく息子が祝ってくれると言っているのに先延ばしはしたくない。マサイの誕生日前日の夕方、細君と横浜に出かける。
会場は、息子が教えてくれた駅に近いジンギスカンのお店。新型コロナ対策で、客同士を近づけない配慮なのか、ゆったりと食べたり飲んだりできる。久しぶりに息子とゆっくり話すことができた。いつもの事ながら我が家3人の会話は楽しい。仕事の話、趣味の話、教会の話などなど、話題は尽きない。息子の仕事の話を聞いていると、教えるという事の奥深さ、面白さが伝わってくる。良い人に恵まれているようで安心する。細君も嬉しそうだ。
赤いちゃんちゃんこの代わりに、七輪の煙に包まれて2時間半喋った後、場所を変えてコーヒーを飲みながら話の続きを楽しみ、日付が変わって60才になったところで家に着いた。楽しい還暦、定年祝いの会をしてもらった。素晴らしい家族に恵まれて、元気にこの日を迎えられたことは何よりの幸せである。神様、心から感謝します。
年度末が誕生日なのだが、新年度からも同じ場所へシニアスタッフとして通ってくることになっている。通常通り仕事をして帰宅すると、細君が大きな花束とカードを持って迎えてくれた。人生で花束をもらうことはあまりない。前回は洗礼を受けた後だと記憶する。この時も細君からもらっている。実に嬉しく、感動した。妻子二人にしっかり支えてもらっているので乗り越えられた局面も多い。家族には心から感謝している。
船橋の小林牧師や登戸のヒューバー牧師からも誕生祝いのメールをもらった。これもとても嬉しい。ヒューバー牧師からは以下のエペソの聖句を貰った。
エペソ人への手紙
3:14 こういうわけで、私は膝をかがめて、
3:15 天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。
3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
3:21 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
60才後の人生をこの聖句とともに生きていきたいと思う。誕生日の朝、50才台とは違った世界に目覚めたような不思議な感覚があった。新しい世界を開いてもらったようなワクワク感がある。神様とともにある、恵まれた人生に感謝。
今年に入ってバッハのカンタータ200曲全聴を始めた。高校の時によく歌った賛美歌に似た旋律があるのに気づくととても嬉しい。土曜の午後、部屋で対訳の声楽全集を広げてヘッドフォンで聴いていると、友人がLINEで写真を送ってくれた。懐かしい高校の校舎の写真だ。校舎お別れ会に来ているという。高校のホームページで調べてみると、旧校舎さよなら式典という案内があった。教室のある校舎を建て替えるらしい。その式典がチャペルで開かれている。同級生は今年度皆60歳、サラリーマンなら、定年の年を迎えているはずだ。そんな我々が卒業して42年経っているが、建ったのはその前だろうから、築50年以上になるのだろう。
狭い土地で、当時男子校だったのを途中から男女共学にした。息子が高校受験の年に細君と見学に行ったのだが、校門を入ってすぐの柔剣道場だった建物をプールにし、食堂を増設して教室棟とつなげていた。狭い土地がどんどん狭くなっていた。最後に残っていた1年生の時の担任教諭もその年度末に定年になった。これで教室棟も建て替えとなると、懐かしく思い出せる母校がなくなってしまう。
3月から建て替え工事に入るらしい。去年の7月から校庭に仮校舎を建設していて、ここに移った後、現校舎を解体し、その場所に新校舎を建設、2022年夏には完成予定だという。式典のプログラムには旧校舎見学というのもあったので、知っていれば行きたかった。
旧校舎とは、マサイが3年間過ごした校舎で、ここの2階入り口で入学直前に教科書を受け取った時、マサイは初めて日本聖書協会刊行の1955年改訳口語訳聖書と讃美歌集を手にしている。口語訳だったのかと、改めて気づいた。共同訳だとばかり思っていた。在学中の3年間に、週一回の聖書の授業と、1時間目と2時間目の間にあるチャペルでのアッセンブリーアワーで、聖書を学んだ。授業の内容はもはや記憶にないが、2年生の時の担当教師の一言がずっと頭に残って、卒業後13年経って聖書通読につながった。神様のご計画が働いていたように思える場所なので、なくなってしまうのがとても残念に思える。
高校3年間で使っていた聖書はまだ手元にある。ページをめくってみると、鉛筆でアンダーラインがしてある(文末にその箇所をまとめておく)。授業では主に新約聖書から学んだようだ。今回その箇所を改めて読んでみると、心を洗われるような新鮮な思いがして、その後、心が燃えて来た。聖書を全く知らない相手に対して伝道する時の、実に見事なほどに聖書のエッセンスを抽出したマニュアルを示されたようだった。
まず神様は我々に対してこう望んでおられる。
テモテの手紙第一
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
ペテロの手紙第二
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
その神様は、こう言っておられる。
ヨハネの福音書
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
ヨハネの福音書
20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
コリント人への手紙第一
1:18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
我々はどうしたらよいのか。
ガラテヤ人への手紙
2:16 しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。
そして神様が来る時はこうなる。
ヨハネの黙示録
21:3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
このアンダーラインの箇所を読んで心が燃えるような思いがしたのは、これが聖書を全く知らない若き日の我々のためのものであったと同時に、まだ神様を知らない人たちに、ここで学んだことを述べ伝えよ、という神様のメッセージでもあったのだ、と気づいたことによる。そのために、ここまで分かりやすい具体的なテキストを45年近く前から既に与えているのだ、と神様が直接教えて下さった。久し振りに内から震えるような大きな感動に包まれた。召命を感謝します。
アンダーラインがしてあった個所
詩編31:1
イザヤ9:6、66:2
マタイ1:18~25、4:1~4、5:22,43~48、6:16、7:23、8:1~4,17,28~34、10:2~4、11:5~8、12:9~12,25~29、17:1~8、20:12~16、22:34~40、25:21,23、26:36~39
マルコ1:40~45、14:51、16:15、
ルカ1:1~4、5:13~16、6:6~7、11:14~26、15:11~32、23:33~34、
ヨハネ1:1~5,9,51、2:1~11、3:3,16~18、5:19~27,39、11:3,36、12:24、17:1~25、18:1、20:1,31、
使徒1:8、6:11,13,54~60、9:1~22、16:37、18:3、22:1~11、
ローマ3:21~30、7:8,15~16,33、10:10,18、12:1、
1コリ1:18~25,26~31、13:4~9、
ガラテヤ1:16~17、2:16(「救いの内容は、最後の決め手が神であって人でない、異端は最後の決め手は人とする」と欄外にメモしてあった)、5:13,16~24、
エペソ1:23、2:1~2、7~10、
ピリピ2:6~9、3:5~9
コロサイ2:20~22
2テサロニケ3:6~11
1テモテ2:4、4:3~4、
2テモテ3:2,16、4:13~14
ヘブル3:4
ヤコブ2:14,19~20
1ペテロ1:22~25
2ペテロ1:4、2:5~7,19、3:2,8
1ヨハネ3:6、
黙示録5:1、6:14、21:3~4
学生時代に英文学を学んでいながら、誰もが知っているような英米の作品を読み残しているので、日本語ではあるが読むようにしている。年明けて、ロビンソン・クルーソーを読み始めた。イギリスのダニエル・デフォーによる今からほぼ300年前の作品である。
ロビンソン・クルーソーの名前を知らない人は少ないと思うが、実は3部作で、ここで紹介しようと思ったのはその第1部、岩波文庫の上巻にあたる。この本の正式なタイトルは、「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述」と、とても長い。
海難事故で無人島に漂着した主人公による少年少女向けの海洋冒険小説、とこれまでマサイは勝手にイメージしていた。同時代のジョナサン・スウィフトが「ガリヴァー旅行記」を執筆したのも、この作品の影響が大きいと聞くと、ますますその感が強くなった。同じようなイメージを持っている方も多いと思う。それで今まで手を付けずにいたのだが、読んでみて驚いた。実はものすごい伝道の書であった。
主人公ロビンソンは、絶海の孤島でたった一人孤独な生活を送っていたが、ある時、病魔に襲われる。この時に神様を覚え、悔い改めることができるように祈り始める。きっかけは、座礁した難破船から生活に必要なものを筏を組んで引き上げていた時に、聖書を見つけたことによる。この時まで聖書をのぞくひまもなければ、そんな気になったことはなかった、というほど聖書とは縁遠い生活を送って来たロビンソンだが、それは疑いもなく神の導きによるものであった、と後に告白している(以下、聖句は文中で引用されたものです)。
詩編
50:15 苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出しあなたはわたしをあがめる。」
これがロビンソンを信仰へ導いたキーヴァースで、この聖句によって信仰が目覚める。そして神様から降り注がれる祝福に感謝することなく、神様が与えられないものばかり求めていたそれまでの自分を悔い改める。
ロビンソンはイギリスでの恵まれた状況から己のおごり高ぶりのために家出同然に出奔した末、何もない島で一人生活することになった。当初はその現実の不安、見通しのきかない未来に対する不安をしきりに後悔していたが、それは、それまで聖書を開いたこともなかったロビンソンが、悔い改め、聖書を読み、祈り、節度を知り、そこに自分に対する神様の恵みを感じ、今置かれている状況を感謝するようになるためであった、と自らへりくだるようになる。文中に「神様の摂理」という言葉が繰り返されるが、分かりやすく言えば、「神様のご計画」といったところであろう。人知を超えたご計画に、何度も驚き、感謝し、神様をほめたたえている。
箴言
30:8 むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
ヨハネの手紙第一
2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。
ロビンソンは、この世から切り離された環境下で、逆に自分を惑わすこの世の欲から全て解放され、神様とのみ向き合うことができた。その島での生活を神様の恵みととらえ、そこに慰めを見つける。神様のなさることについて、全て前向き肯定的にとらえる姿勢は素晴らしい。そこから神様に感謝する信仰の毎日が始まる。大自然の中、神様の声を聞くことが自分の義務であると告白し、自分の意志より神様の意志を優先し従う。全ては神様のご計画である、とその信仰は揺るがなくなる。読めば読むほど、クリスチャンとしての長大な証(あかし)であることを知る。
やがて長年の孤独の末に、近隣の島の土着民の仲間を得る。人食いの習慣が残る原始の生活を送っていた土着民の抗争相手からロビンソンが救い出したという設定で、奴隷という書き方だったが、主人公の接し方はとても優しい。彼に言葉を教えると同時に、神様を述べ伝える日々が始まる。自分で感じたことを、今度は導き手として、言葉にして伝えるうちにロビンソンの信仰がさらに成長していく。また土着民も素直な心が真実に対する目を開き、立派な信仰者になって行く。
無信仰であった過去、神様との出会い、罪の悔い改め、恵みへの感謝、神様の声を聞き、それに従い、それを述べ伝える、というクリスチャンとしての成長を、28年2か月と19日にも及ぶ無人島での生活を通じて証しするものであった。
使徒のはたらき
5:31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。
詩編
27:14 待ち望め【主】を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め【主】を。
ここに登場する人物の神様に向き合う姿勢にとても感動できた。読んで良かったと思える作品に出合えた時は実に嬉しいもので、今回はまさにそうだった。第2部にあたる下巻は、ちょっとこの証し中心からそれてしまうと思えるので、読むなら上巻をお勧めしたい。
息子が就職して職場近くの横浜で寮に入ることになった時、近くに良い教会が与えられれば良いと細君と祈っていた。登戸まで通うにはちょっと距離がある。職住接近なので、教会もその近辺にあれば、我々も安心していられる。そんな折、ヒューバー牧師が比較的若い人が集う横浜の教会を紹介してくれた。
ホームページをチェックしてみると、会堂を持たないので、会場を借りながら礼拝等を運営しているらしい。同年代の人もいそうだ。この教会の情報を息子に伝えた後、もう社会人なのであとは任せておいたら、仕事のない日曜日に出かけたらしい。牧師さんとにこやかな笑顔で写した写真を送ってきた。教会の雰囲気も、集う人たちも気に入ったらしい。日曜日に仕事があった日も、礼拝後に皆が集う場所を教えてもらったので、そこへ行けば会える、と喜んでいた。良い信仰の友がたくさん出来たようだ。聞いてみると、その近所に住む人たちばかりではないらしい。あちこちから集まってきているということは、それだけの魅力があるのだろう。登戸の教会に来たことがあるメンバーもいた、という。その後、休みの日にみなとみらいで教会のメンバーと偶然出会ってゆっくり話せたり、花火大会に参加したり、と自然に教会とつながってくれたことを神様に感謝する。
息子から、今通っている横浜の教会に一度来てほしいと言われていた。どんな教会か見てみたくて、細君と行くつもりで、いつでも都合が良い時に声をかけてくれ、と息子に言ってあった。クリスマス前に礼拝に出て、その後中華街でゆっくり食事でもしながら家族の時を持つのを楽しみにしていたが、息子は日曜日にも仕事が入るので、どうやら年内は都合がつきそうにないと言ってきた。
残念に思っていたら、その横浜の教会の牧師さんと教会メンバーが、マサイの住む隣の市の教会でクリスマスコンサートを開くから行ってみれば、と息子が連絡をしてきた。土曜午後の催しなので参加出来る。行ってみる、と返事をすると、牧師さんに伝えておくという。
開場時間に行ってみると、昨年創立50周年を迎えた伝統ある教会で、会堂は広く、幅広い年齢層の教会員の方々が既に集まっていた。2階に会堂があったが、来年早々建て直すという。旧会堂での最後のクリスマスコンサートは、「クリスマスの喜びを歌とフランダンスで」と題して、フラダンス、讃美、メッセージという構成だった。会うのを楽しみにして来た牧師さんは、赤いチェックシャツにデニム姿で、息子に送ってもらった写真とは髪型が違うし、眼鏡もかけていないので、随分違う印象だ。
ハワイの言葉、英語、日本語の賛美の後、①今日、②私たちの為に、③救い主がお生まれになった、とクリスマスのメッセージを分かりやすく伝えてくれた。心にダイレクトに語りかけて来る話し方で、イエス様の愛があふれていた。そこに神様の祝福を感じて心が熱くなり、最後には図らずも涙がわいてきた。
会場で手渡しでいただいたメッセージカードには、
イザヤ書43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
という聖句と。讃美の歌詞から、「あなたの存在が、私にはどれほど大きな喜びでしょう!(きみは、愛されるため生まれた歌詞より)」とあった。また涙腺が緩んだ。
終わって牧師さんに挨拶をすると、とても明るく、暖かい人柄が伝わって来た。息子は、常に良い人たちに恵まれている。それが息子の財産になっている。そういう人たちが与えられるように毎日に祈って来たので、祈りの答えに感謝する。一緒に写真を撮りましょうと言ってくれて、スマホで撮った写真を早速息子に送ってくれた。帰り道、心が満たされ、クリスチャンでいることがとても嬉しかった。神様と息子からの大きなクリスマスプレゼントだった。息子にLINEでクリスマス会の報告をし、この会に誘ってくれたことのお礼も言う。我々が喜んだことを、息子も喜んでくれた。
ルカの福音書
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
登戸エクレシアキリスト教会のティム・ヒューバー牧師と初めて会ったのは、1989年12月24日、小さな雪片が舞うクリスマスイブだった。建て直す前の多摩市民館での登戸エクレシアのクリスマス会に細君(当時はまだ細君ではなかった)が招待してくれたので、出かけて行った。夕方からだったと記憶する。始まる頃には暗くなっていた。早目に着いてトイレに入ったところへ、ワイシャツにタイ代わりのリボンを結んだ外人さんが楽しそうに仲間と話しながら入って来た。それがティムさんを見た最初である。30年前のことになる。広い会場にたくさん椅子を並べた割にはお客さん側の人数は少なかったが、アーサー・ホーランド氏の熱いメッセージと手作り感いっぱいの暖かいクリスマス会だった。この日は8月のアフリカ旅行以来やっと細君に会えたのでその他のことはあまり記憶にないが、ティムさんを紹介してもらっただけでゆっくり話していないように記憶する。
後日細君から、ティムさんがゆっくりお寿司を食べながら話しがしたいと言っている、という連絡を貰った。教えてもらった登戸のアパートH荘に出かけて行ったのは、その月の12月31日大晦日だった。昼過ぎに行って、こたつで京樽のお弁当を食べながら2人でゆっくり話した。出身地のブラジル(アマゾン)の写真を見せてもらいながらの話で、英語しか喋れないのかと思って、夕方まで苦労しながら喋っていたら、日本語が問題なく話せる人だった。何をしたいのか、小説を書きたい、何について書くのか、人間のエゴイズムについて、と喋った事を覚えている。夕方になって細君も含め、数人集まって来た。讃美歌、礼拝というものは幼稚園と高校、大学で接しているので違和感はなかったが、少人数での祈り、ギターでの賛美というのは初めて経験をした。夕食は一品持ち寄りの楽しい時間で、とても温かい雰囲気だった。この日細君は横須賀の実家に帰るので先にここを出た。帰り間際に、「また来れます?」と言われたのを覚えている。
ティムさんは、土曜日の午後にTim’s Original Bible Lessonというテキストを使って無料で英語を学ぶ教室を開いる、と聞いていたので、その後しばらく間が開いたが、H荘に顔を出した。四つの法則、確信の学び、などの分かりやすいテキストも使って、学生、社会人が学んでいた。授業が終わると一品持ちよりの食事会になる。皆それなりに真剣に考えている若者たちで、食事の時も疑問をぶつけ、ティムさんはそれに丁寧に答えていた。クリスチャン一世は自ら壁をぶち破って神様を受け入れて来たので、悩みも大きかった。が、そんな話を聞くのも楽しかった。聖書の中にペンを挟んで、我々がペンで神様を着るとはこういう事、と意味を説明してくれるのは実に分かりやすく、今まで学校の授業や外国文学の中で学んできた学問としての聖書が、身近のものになって行った。それからは毎週顔を出すようになった。
ティムさんがブラジルから両親、親戚を招いた時も、H荘1階の畳6畳の1DKで、歓迎の飾り付けをして迎えた。新宿、箱根、川崎、立川へ一本で行かれる2路線が使える駅まで5分と利便性は良いのだが、狭い玄関を入ってすぐ左手がキッチンで、右がトイレと風呂、押し入れのあるフローリングの部屋に机とキャビネットがあり、突当りが畳の部屋。皆初来日だったはずで、随分狭い住まいに驚いたのではないかと思う。何か申し訳ないような気持ちになった事を覚えている。
神様を受け入れたいと思っていた時に、英語で祈りを暗記して、日々繰り返していた。ティムさんの前で披露すると、「よく覚えたね」とほめられた。表面だけなぞって、本質にたどり着いていないことを看破されたようで、はっとした記憶がある。とにかく忙しい人で、駅へ全力で走っているのを見かけたことがある。急いでいるのだから行かせてあげればよいものを、つい声をかけると、立ち止まって笑顔を返してくれた。
異国に来て、一人で何もかも始めたのだから、大変だったでは言い表せないものがあったことだと思う。手伝ってくれと言われた細君は最初からそのサポートをしてきた。9月の30周年の記念礼拝は、そんな色々な事を思い出して感慨深いものがあった。今と比べてどうという事ではなく、昔の楽しかった思い出が忘れられず蘇ってきた。
ティムさんには1991年11月23日に洗礼式を挙げてもらった。2018年7月、息子の洗礼式の時、ティムさんからお父さんがやりますか、と聞かれ、親子二代の洗礼式をティムさんに挙げてほしい、と言うとすぐに理解してくれた。親としてはとても嬉しいことであった。実はもうひと世代(親子三代になる)洗礼式を挙げて欲しいと考えている。
本人は何も気にしていないし、外国の習慣なのだからと割り切れば良いのだが、「ティム」と呼び捨てにしたことはない。尊敬すべき牧師さんを呼び捨てにしてはいけない、とこちらは日本の習慣にこだわっているので、必ずさんを付けている。
結婚式の司式をしてくれたのも、朝食にグラノラを食べる習慣を教えてくれたのもティムさんである。まだまだ元気でいてもらいたいので、これからもキリストの愛がティムさんに強く迫って(コリント人への手紙第二5:14口語訳)、ますます神様に豊かに用いられるように、毎日祈っています。
マタイの福音書
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
エペソ人への手紙
3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
3:21 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
月刊マサイは今月号で240号、満20年になりました。1本でも読んでくださった方に御礼申し上げます。ホームページへ掲載をしてくださった教会の歴代システム担当の方々、毎号最初にチェックをしてくれた細君、そして何より毎月書かせてくださった神様に感謝します。
月刊マサイを書き始めた1999年末は、パソコンの普及率は今ほどでなく、今では想像も出来ないであろうが、スマホもタブレット端末もなかった時代であった。ADSL回線で、メールを送るたびに電話回線でつなげていたので、夜原稿を送信しようとすると、回線をつなぐ大きな電子音で小さかった子どもが起きてしまうといけない、とスピーカーを手のひらで押さえて音を消していた。
当時まだホームページは、どの教会もが作っている時代ではなかった。しかしこれが教会の付近に住む人ばかりではなく、離れたところにいる人にも、都合で礼拝に来られなかった人たちにも御言葉を伝えるツールとして、これからは教会の顔になると考えた。そこに御言葉を発信するものを連載したい。確か細君と表参道で何かの記念の食事をしている時に、この構想を伝えた記憶がある。作るのはその筋に詳しい人にやってもらい、ホームページ内に月刊マサイのコーナーを設けてもらった。まだブログも一般的でない時代だ。当然インスタもフェイスブックも、ツイッターもない。
その為にノートパソコンを買い(それまではワープロを使っていた)、当初は10本くらい原稿を手元にためておいてから余裕を持ってスタートするつもりでいたのだが、こんな感じで、と第一号を担当者に送るとすぐに掲載してくれた。月刊と名付けたので、それから毎月コンテンツを提供する事になり、月に一度は御言葉について深く考える時間が持てるようになった。
ホーム画面に「エクレシアメンバーであるマサイ一家は、イエス様が中心のファミリー。毎日繰り返される生活の小さな出来事の中に、神様の恵みや素晴らしさを見つけて綴っています」と紹介されている通りの内容で、A4サイズ1枚に収まるように、と書き始めた。分量は、負担なく読み切れるようにと考えてのことで、随分推敲して凝縮していたつもりである。それが、だんだん長くなってしまった。
人前で証しをするのが苦手なので、こうした形を利用させてもらっているのだが、ひと月に一本といっても、教会のホームページで広く発信をするので、好き勝手な話題を取り上げるわけにはいかない。聖句も偏らないように、など色々な事に気遣って題材を選んで来たつもりである。御言葉が最初から浮かんでいる時は、あっという間に書き上がるのだが、話題的なものから書き始めると、どうにも収拾がつかなくなる時がある。納得がいかなくてまるきり書き直し、というのは何本もあった。もっと聖書を読まないと、といつも反省し、毎日聖句を配信されている方々、毎週礼拝メッセージをしている牧師の方々をすごいなぁ、と尊敬しながら、祈り、書かせてもらっている。送信ボタンを押して担当者に原稿を送信した後は、集中して張っていた糸が緩む思いで、今月も書けた事に感謝の祈りを捧げる。
国内外から励ましの連絡をいただいた事も励みになった。月刊マサイを読んだ、と言ってメールで問い合わせをくれたり、礼拝に来てくれたりした方がいる。自分の年に合わせて、子育てネタ、介護ネタが多くなってしまうのだが、これ通して、思いもよらぬ出会いがあったり、つながりが出来たりしたのは大きな恵みであった。同じような思いを持った事がある方に、御言葉が伝わってくれたのではないかと思う。神様の御言葉が確実に広がっていると感じ、この働きをさせていただいていることに感謝し、今後も続けられる限り、続けさせていただきたいと祈っている。
エペソ人への手紙
1:15 こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛を聞いているので、
1:16 祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
1:19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
登戸エクレシアキリスト教会30周年記念礼拝に出席するために、久しぶりに登戸の教会堂へ出かけた。引っ越して以来1年3か月振りとなる。力強い「感謝と喜びを」の賛美から始まり、たくさんの人たちと共に祝えた記念礼拝は、主の祝福が会堂いっぱいに満ちた素晴らしいものであった。小さなアパートの一室から始まった教会の成長を振り返ると、神様のご計画に心から感動しないではいられない。聖霊に満たされて何度も涙腺が緩んだ。
まずティム・ヒューバー牧師がメッセージの中で語った聖句5つを紹介したい。
伝道者の書
7:10 「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。
詩篇
34:3 私とともに【主】をほめよ。一つになって御名をあがめよう。
103:1 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
コリント人への手紙第一
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
マタイの福音書
16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
神様がこの地にゼロから建て上げられた御業に感謝し、賛美するために、発足時からの教会の歴史ついてまとめておいたものがある。ちょっと長くなるが、記憶の中で風化されて行く前にここで披露しておこうと考えた。合わせて普段感謝を伝える機会のないティム・ヒューバー牧師へ、心からの尊敬と感謝の意を表したい。
按手執事として2003年4月までお手伝いをしてきた事を書きためておいたが、ここではその最初の10年強、この月刊マサイの連載が始まるまでをまとめておく。出典は3つある。1987年4月から1991年9月までは細君が神学校の授業で提出した「私の教会の歴史」を参考にした(発足当時細君は教会の秘書をしていた)。1991年12月から1995年3月19日まではマサイの礼拝ノートを、1995年4月よりは教会の月報の記事を参考にした。氏名は牧師、宣教師以外はイニシャル表示にし敬称は省いた。日付後のかぎかっこ(「 」)内はメッセージのタイトル。
登戸エクレシアキリスト教会 教会史 1987~1999年
1987年
4月 使徒クリスチャン連盟「PAZ」ブラジル・サンタレンより宣教師としてティム・ポール・ヒューバー来日。神奈川県川崎市多摩区登戸、平和荘(6畳の1LDK)にて開拓開始。
23日 1976年9月~1978年8月にチーム短期宣教師として四国に来日した時の友人を中心に、「土曜English Bible Study」スタート(6名)。
ピリピ人への手紙
2:19 私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。
2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、だれもいません。
2:21 みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。
2:22 しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。
2:23 ですから、私のことがどうなるのか分かり次第、すぐに彼を送りたいと望んでいます。
1989年(1年目)
4月「多摩クリスチャンファミリーセンター(以下多摩CFC)」という名称のもとに英会話教室をスタート。将来、各地のホームチャーチ伝道活動の本部、兼、各地のホームチャーチの連絡本部として設立。教会の中に吸収されるものではなく、独立並列の位置とする。ディレクターはティム・ヒューバー、秘書は細君。法的には日野キリスト教会(加藤牧師)の伝道所として存在している。
ティム・ヒューバー、恵泉女子短期大学の講師に就任。
1~2日 第一回万座温泉スキーツアー(主催:多摩CFC)
7月28日 使徒クリスチャン連盟オハイオ州アクロンより短期宣教師として、エイミー・レベッカ・ウェルチ来日(吉祥寺で細君と同居)。
9月
12日 本格的に「多摩CFC」活動開始。英会話クラス数7。英語/日本語の聖書勉強会クラスあり。対象:高校生・大学生・一般社会人。
13日 恵泉女学園短期大学にて昼休みの聖書研究会開始(細君)
16日 高校生への伝道・研究会(ハイスクールクラブ)を月1回の割合で開始(ティム&細君)。
※24日 16時半~第一回礼拝「礼拝とは何か」 「登戸ホームチャーチ」という名称のもとに、礼拝開始。出席者6名。当時の目標としては、
出来るだけ初代教会に近い礼拝を行う事(使徒2:41~47)。礼拝は聖霊の導きにより進めるので、定まった形式は特にない。聖霊が自由に働けるような礼拝とする。そのため原則的には、主を信じて受け入れた者だけの集いとする。
ノン・クリスチャンを誘う場としては、伝道用の集まりや、将来彼ら用の礼拝を持つ予定。ノン・クリスチャンが礼拝に参加する時には、事前に会い、礼拝方針を説明する必要がある。献金は1/10の教えに基づき、海外の宣教師サポートや、恵まれない子供たちへのサポートとする。ホームチャーチとは、教会は信じる私達自身であるから、教会建物を所有しない。礼拝の場所は各家庭とし、最高人数は15人ほどの集まりとする。それ以上となる時には、リーダー2~3人と共に分離し、新しいホームチャーチを開拓する。
メンバー全員がどこかのコイノニア(弟子作り)に所属する。月に1度セレブレーションを兼ねて、各ホームチャーチが一同に会し、共に礼拝し、神の家族としてのコイノニアを深める。
ということを掲げている。※ここでは教会創立をこの日として、周年の計算をしている。
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
10月「愛の便り」を使って、勉強会を開始 3名(細君)
11月
23日 洗礼式(登戸新約バプテスト教会)2名。
29日 女性3名で「’89隊」というコイノニア開始。
12月
17日 クリスマス会(旧多摩市民館)
24日 クリスマス会(旧多摩市民館)ゲスト:アーサー・ホーランド
31日 ニューイヤーイブ礼拝(平和荘)「イエス・キリストはすぐに再び来る」
1990年(2年目)
2月
12~15日 第2回万座温泉スキーツアー(主催:多摩CFC)
28日 「大根の会」練馬集会における聖書研究会開始(細君)。
3月 15日 多摩CFC 南武線の隣駅に移転(エイミーと細君、センターに転居)。
4月
11日 洗礼式(登戸新約バプテスト教会)2名。
エイミー・ウェルチ 主婦の為のEnglish Bible Study開始。
24日 イースター祭(多摩市民館)
5月
ティム・ヒューバー 日系2世ブラジル人のための聖書研究会開始。
※教会名変更「登戸ホームチャーチ」⇒「登戸エクレシア」
27日 洗礼式(登戸新約バプテスト教会)1名。
31日 主婦の為の勉強会開始(細君)。
8月 26日 洗礼式(奥多摩)3名。転会1名(現船橋エクレシアキリスト教会牧師小林智彦)。
9月 29日 フレンドシップ・ナイト(主催:多摩CFC)目的:英会話の生徒同士の親交を深めるため)
ダニエル国広(ブラジル人への米国宣教師の息子)、日本にいる日系人を助けるために来日。
10月 ブラジル・エクレシアの礼拝開始。
21・22日 秋のフレンドシップ奥多摩(リーベンゼラ奥多摩福音の家)主催:多摩CFC。英会話が2時間ついた、伝道を目的としたキャンプ。
11月
17日 感謝祭 ゲストのハンプトン牧師夫人による七面鳥料理講習会
23日 洗礼式(登戸新約バプテスト教会)2名。
25日 ※礼拝場所移転。登戸平和荘で行っていた礼拝を、南武線の隣駅中野島のマンション(新多摩川ハイム)に移転(木造アパート故の騒音問題が起こってきたため)。
12月
8日 クリスマス会(多摩市民館)。出し物:劇「放蕩息子」。
24日 親しい友同士、神の家族のクリスマス会(新多摩川ハイム)。
1991年(3年目)
毎週土曜日の夕方から平和荘でEnglish Bible Studyが開かれていた(ティムさん)。テキストはTim’s Original Bible Lessonやマルコの福音書。
2月 5~8日 細君、第26回教役者大会(主催:日本ペンテコステ親交会)に参加。
3月 3~6日 第3回万座温泉スキーツアー(主催:多摩CFC)
4月
多摩CFCの現状→英会話クラス数16、ホームレッスン8、バイブルスタディ4。
6.7日 リトリート(修養会) 於:奥多摩イングリッシュ・バイブル・キャンプ、目的:コイノニア
15日 礼拝時間の変更 15時半~
小林智彦 「Youth With A Mission」の沖縄プログラムに参加。
27日 フレンドシップ・ナイト(主催:多摩CFC)目的:英会話の生徒同士の親交を深めるためのタレント・ショー(於:多摩市民館)。
6月 登戸エクレシアのオリジナルTシャツ完成。
8.9日 第2回春のフレンドシップ奥多摩(主催:多摩CFC)「むなしさに打ち勝つ」。
7月
2~4日 細君「細胞グループセミナー」主催:日本教会成長研修会に参加。
6.7日 第2回リトリート(奥多摩福音の家)目的:聖霊の賜物とキリストの体について学び会う。
9月 16日 洗礼式〈登戸新約バプテスト教会〉1名。
10月 5.6日 第3回秋のフレンドシップ奥多摩(主催:多摩CFC)「真実の愛を求めて」目的:英会話の生徒や友人に伝道。
11月 23日 洗礼式(明大前あさがお教会)1名(マサイ、日系ブラジル人5人と共に受洗。式の様子がクリスチャン新聞1面に掲載される)。
12月
1日「心の方位磁石」エクレシアメンバー
8日「愛の歩み(赦し)」エペソ4:31・32
15日 クリスマス会 多摩市民館。
22日 すき焼き礼拝 中野島
29日「リメイク前のAlways」 ウェイン・ハンプトン。
1992年(4年目)
1月
19日「神の子供にふさわしい歩み方」エペソ5:3~7
26日 エペソ5:8~14
2月
2日 エペソ5:15~20
9日「夫と妻 キリストと教会」エペソ5:21~33
16日 小林智彦さんの話
23日 エクレシアメンバーによる話(細君)イザヤ40:28~31、マタイ20:29~34
※礼拝開時間変更 午前10時~ 中野島の新多摩川ハイム*号棟***号室。
3月
1日「親子関係vs神様と私達の関係」
8日 Ⅰコリ6:19・20、3:11~15 エペソ6:5~9
22日「途方にくれても生き詰まることはない」Ⅱコリ4:7~12 日野教会加藤牧師
14日 第一回ミルク&ハニー(以後M&Hと表記。於:新多摩川ハイム)コンセプトはプレ礼拝。日本同盟基督教団久里浜福音教会深澤牧師夫妻参加。
4月
5日 エペソ6:10~24
26日「礼拝について」
6月
28日「何故『見捨てた』なのか」
23日 洗礼式(登戸新約バプテスト教会)2名。
9月 14・15日 エドワード・ヒューバー(ティムさんのお父さん)「幸せな家庭セミナーⅠ・Ⅱ」於:登戸バプテスト教会
10月
25日「ジェリコから学ぶ」
M&H 「愛の実践 パート2」
11月
1日「主の喜びはあなたの力です」
8日「キリストにある私の新しいアイデンティティ」
15日「信仰によって歩む事」
22日「御言葉を人生の土台に」
29日「聖霊に導かれる」小林智彦
12月
6日「信仰の力」
13日 クリスマス会
20日「信仰と疑問」
27日 ヘブル12:1~4 ウェイン・ハンプトン
1993年(5年目) 93年のテーマ「全ての聖徒と共にキリストの愛を知る」
テーマ聖句 エペソ3:17~19
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
1月
10日「一生の間、人にとって一番大切な戒めは?」
17日「主に捧げる事」
31日「まことの礼拝」ヨハネ4:21~24
3月
7日「福音を伝える事を優先する」
14日「本当の幸福な人生 魅力的な生き方」
21日「キリストに出会う心」小林智彦
4月
4日「平安」マタイ8:23~27、14:22~33
11日「キリストの復活にある希望」
25日「アダムとエバと神」
5月
9日 列王記7:1~9 斉藤先生(from Brazil)
30日「暗闇に生きる」創世記6:1~14
6月
20日「恵みを受けたアブラハム」
27日「失敗したアブラハム」
7月
11日「試練にあったアブラハム」
24日 洗礼式(奥多摩)3名。
8月
22日「ヤコブについて」
29日「神の恵みを自分の人生に生かしたヤコブ」
9月 26日「大きい夢を抱こう」ヘブル11:22
10月
17日「弱い時こそ強い」モーセの生涯
24日「モーセ 世界一謙遜な人」民12:1~15
11月
7日 Ⅰコリ5:6~8、出12:1~34
14日「成功について」
12月
5日「聖霊の満たしと祈り」―ギデオン―
12日「戒め」
1994年(6年目)
1月
9日「教会改革」
16日「キリストの生き生きしている元気な体」
23日「教会―選ばれた民」
30日「キリストの体」エペソ4:11~16
4月
3日「復活の力」
10日「最高の弟子作り」
17日「イエス様、あなたから決して離れない」ヨシュア1:1~11
5月
15日「罪の悲しみから解放されて」
29日「言葉の力」デボラの生涯より 士師4
6月 19日「心を注ぎ出す祈り」
7月
10日「聞く耳を持つこと」
24日「お父さんの愛がかけていた『エリとサムソン』」
31日「父親の愛 パートⅡ」
8月
7日「The Authority of the Bible」ジェフ・ベンディッド
28日「Act17」 ジェフ・ベンディッド
10月
2日「Spiritual Warfare」ジェフ・ベンディッド
16日「ダビデの生涯から学ぶ②」
23日「ダビデの生涯から学ぶ③」
30日「ダビデの生涯から学ぶ④ 友情 ダビデとヨナタン」 Ⅰサムエル18:1~4
11月
13日「本当に自由に生きるため」ダビデの生涯から学ぶ⑤
20日「ソロモンの知恵に学ぶ」
12月
10日 バプテスマ(登戸新約バプテスト教会)3名。
11日「レハブアムから助言を聞く事について」
17日 クリスマス会
25日「献げることの幸いさ」使徒20:35 お金の経営に関する聖書の原則
1995年(7年目) 95年のテーマ「キリストにある私達の立場」
この頃の礼拝は毎週日曜日10時から中野島の新多摩川ハイム*-***号室で行っていた。川崎インターナショナル・フェローシップは登戸のYMCAで教室を借りて毎週日曜日10時半から礼拝を行い、毎月第2週目はインターナショナルとの合同礼拝をYMCAで行っていた。
1月
1日「マリヤとマルタ 優先順位」
8日「イエスとペテロ」ヨハネ1:16
30日 ヨハネ14:17
2月
12日「本当の馬鹿は誰?」
19日「神を礼拝する事について」礼拝の定義
3月
19日「イエス様と一緒に集まりましょう」
25・26日 リトリート 荒木牧師
4月
2日「隣人に最高の愛を」エドワード・ヒューバー
9日 YMCAでの合同礼拝 エドワード・ヒューバー
16日「幸せな家族作りのための土台 Ⅰ」クリスチャンの恋愛Ⅰ
23日「幸せな家族作りのための土台 Ⅱ」クリスチャンの恋愛Ⅱ
30日「幸せな家族作りのための土台 Ⅲ」
エドワード、キャサリン、エスタ・ヒューバー来日
2日 月報創刊 教会会計:細君
8日 M&H エスタ・ヒューバーの歌と話&スペシャルミュージック
「献金思い出してね封筒」スタート
川崎インターナショナル・フェローシップ 第1・4日曜日のメッセージはエドワード・ヒューバー、第3をDが担当。日曜学校担当はN.M。
5月
7日「幸せな家族作りのための土台 Ⅳ」
14日「隣人に最高の愛を」
21日 登戸エクレシアメンバーの話
28日 YMCAでの合同礼拝 ジョン・リチャードさんの話(合同は今月に限り4週目)
13日 M&H「イエス様の例え話」 母の日の祝い
14~16日 ティムさんの妹ベッキーのご主人ジェフ・ヒュービック(Paz International のディレクター)来日。
15日 18~22時 新多摩川ハイムにてオープンハウス開設(時間内にいつでも来てもらって、話し、楽しい一時を持つフリータイム)
16~26日 ティムさんA.D.2000 Movement(世界を福音化する運動)の韓国(ソウル)での世界会議に参加(200カ国から4,500人が参加予定)。
この頃コイノニアは「ヤング」「アダルト」「サーティーズ」というグループがあった。
6月
4日 登戸エクレシアメンバーの話
3~4日フレンドシップ奥多摩 エドワード、キャサリン、エスタ・ヒューバー参加
11日 YMCAでの合同礼拝
17日 M&H イエス様の例え話シリーズvol.2「よいサマリヤ人のたとえ」。父の日のお祝いも含めたスペシャルプログラム
18日「キリストのうちにある私」
25日「私のなかにおられるキリスト」私はキリストの内におり、キリストは私の内におられる!!
7月
2日「キリストの内にある新しい夢」
9日 YMCAでの合同礼拝 ヘンリー
16日「しるしと奇跡:神の国の実現」
23日 登戸エクレシアメンバーの話
30日「キリストの内にある新しい行い」Ⅱコリ5:17
毎週月曜日にT.Sさんを中心に新しい勉強会が始まる(3名)。
第2回目の特別献金
教会内にフリーノート設置。
8月
6日「クリスチャンとして先祖の罪を考える」
13日 中野島での合同礼拝 ヘンリー
20日「キリストの内にある新しい行い」
26日 ジェリコ・ジャパン(読売ランド、オープンシアター・イースト) 礼拝で東京ジェリコに必要な献金を募る
27日「いやし主イエス様」 このころのレジメは手書き。
ヘンリー帰国
会計より…長年負って来た負債は、今月をもって全額返済終了、の報告。
Robert Pernesky&Joshua Fellows来日
9月
3日「神はじつに世を愛された」10/40窓のチャレンジ(ビデオ)
10日 YMCAでの合同礼拝 エイミー・ウェルチ
17日 YMCAでの合同礼拝 エドワード・ヒューバー
24日 登戸エクレシアメンバーの話 エクレシア6才に 教会会計担当はマサイ
10月
1日「神への恐れ」
8日 YMCAでの合同礼拝 デイヴィッドさんの話
11日よりティムさんジャカルタへ。
15日 エドワード・ヒューバーさんの話
22日 登戸エクレシアメンバーの話
21・22日 シオン祈祷院でリトリート 所沢ヴィニヤード・クリスチャン・フェローシップと登戸エクレシアのクリスチャンのための計画。相模湖の近くをピクニックして、ランチをとってからシオンに参加。
26日 コイノニア・ハニーズ、スタート(4名)
29日「神を恐れることの幸い」
11月
5日「祈りと神との親しい関係」
12日 YMCAでの合同礼拝 15時~バプテスマ(登戸新約バプテスト教会)4名
19日「祈りと神とのパートナー」
26日「御心による祈り」
3日 ハイキング
5日 4名のメンバーで新コイノニアスタート「神に深く根ざして」
8~18日 エドワード・ヒューバー 会議に出席のためアメリカへ帰国。
23日 10時~ バプテスマ(登戸新約バプテスト教会)3名
ビデオ「マタイの福音書」購入の為の献金呼びかけ。
12月
3日「祈りと信仰」
9日 M&H クリスマス・スペシャル企画。
10日 YMCAでの合同礼拝
17日 9時からクリスマス会のための祈り会
13時半~クリスマス会(中野島会館)メッセージ:アーサー・ホーランド氏、ゲスト:アメリカンスクールの高校生コーラスグループ
24日「恵みと誠に満ちたイエス・キリスト」礼拝後内輪のクリスマス会(すき焼きパーティ)。プレゼント交換の代わりに、中国に聖書を送るための特別献金を行う。
31日 中野島での合同礼拝 エドワード・ヒューバー
ティムさんの弟エイブ・ヒューバーさん来日(日系人の年末キャンプのゲストとして)、1/16まで滞在。
1996年(8年目) 96年のテーマ「実践しよう!みことばを」
1月
7日 小林智彦さんの話
14日 YMCAでの合同礼拝 エイブ・ヒューバー
21日「実践しよう!御言葉を!」
28日「本気で祈る」(断食の役割について)
中国への特別献金「神様の愛の御言葉を中国へ伝えよう」新生宣教団へ郵送
西船橋で新しい勉強会開始
2月
4日「誰でも赦せる秘訣」
10日 M&H「啓示を与える神(詩篇19)」キャサリンさんの話とスペシャルミュージック
11日 YMCAでの合同礼拝 エドワードさんの話
12日 総会 10時~16時(中野島) 教会員:登戸24名、西船橋3名、インターナショナル4名、合計31名
18日「愛のうちに歩む」
25日「へりくだった心」
3月
3日「イエス様によるはかりしれない救い」
8・11日 キャサリン・ヒューバーのお料理教室 10~12時
9日 M&H 「1年を振りかえって」エドワード・ヒューバー
10日 YMCAでの合同礼拝 エドワード・ヒューバーさんの話
16日(土)17日(日)フレンドシップ奥多摩 於:奥多摩福音の家 アーサー・ホーランド氏のスペシャルメッセージ、青山学院大学二部の聖歌隊による特別賛美。
17日「目標を目指して一心に走る」エドワード・ヒューバー
24日「イスラム教による“福音”」
キャサリン&エドワード・ヒューバー帰国。
4月
7日「肉に打ち勝つ秘訣」この礼拝より礼拝の場所変更⇒中野島会館。毎月第2日曜日はいつもの通り登戸のYMCAで合同礼拝を行う。
14日 YMCAでの合同礼拝「真にすぐれたものを見分ける力」幼児祝福式2名
21日「試練を大歓迎する(ヤコブの手紙シリーズ①1:1~12)」
28日「誘惑に備える(ヤコブの手紙シリーズ②1:13~18)」
カナダから宣教師としてウィルフ・メラニー&デイヴィッド来日。
20日 M&H カナダから宣教師として来たウィルフ、メラニー&デイヴィッドの紹介。詩篇23からの話。
5月
5日「清い魂による自由(ヤコブの手紙シリーズ③1:19~27)」
12日 YMCAでの合同礼拝 ウィルフさんの話
※執事任命式5名
19日「どんな目で人を判断するべきか(ヤコブの手紙シリーズ④2:1~13)」
26日「救われる信仰の姿(ヤコブの手紙シリーズ⑤2:14~26)」
川崎信用金庫に貯金が出来るようになる。
11日 M&H「母の日スペシャル」
6月
2日 エクレシアメンバーによる話
1・2日フレンドシップ奥多摩、テーマ「希望 Ⅰコリ13:13」参加者43人。賛美ゲスト「ノア」
8日 M&H「父の日スペシャル」特別音楽エクレシア・シスターズの歌と踊り&T.Yの「お父さんへのことば」
9日 YMCAでの合同礼拝 デイヴィッドさんの話
16日「舌の力(ヤコブの手紙シリーズ⑥3:1~12)」
23日 エクレシアメンバーの話
30日「2種類の知恵(ヤコブの手紙シリーズ⑦3:13~18)」
礼拝準備係(毎週2人)による奉仕開始。
7月
7日「心の貞操(ヤコブの手紙シリーズ⑧4:1~10)」
14日 YMCAでの合同礼拝
新会堂(小田急線線路沿い)を借りられる話があり、見に行く。
16日 8月に帰国するデニース(1年間西船橋で奉仕)の替わりにシャーリー・エミックさん来日。
21日「自分の立場をよく理解する(ヤコブの手紙シリーズ⑨4:11~17)」
27日 バプテスマ(登戸新約バプテスト教会)10時~ 7名。
28日「富を第一にする人の悲惨(ヤコブの手紙シリーズ⑩5:1~6)」
デニースの送別会
8月
4日「忍耐を持って主イエスの再臨を期待しましょう(ヤコブの手紙シリーズ⑪5:7~12)」
11日 中野島会館での合同礼拝
18日 エクレシアメンバーによる話「いやしのための祈り」
25日「体のいやし主イエス様(ヤコブの手紙シリーズ⑫5:13~16)」
9月
1日「信仰による祈りの力(ヤコブの手紙シリーズ⑬5:15~20)」
8日 YMCAでの合同礼拝 エイミーさんの話
15日 エクレシアメンバーによる話
22日「賛美」(パートⅠ)
29日「賛美」(パートⅡ)
インターネットメール使用可能にJeklsia@ibm.net
マイク・シュラッター来日(「イエスが来る!」が口癖だった。)
10月
6日 エクレシアメンバーによる話
13日 YMCAでの合同礼拝 ジョナサンさんの話
17日(木)10時~レディース・ランチョン 岸先生のサックス演奏とお話 参加45名
20日 川崎青少年の家での合同礼拝「キリストの体・教会について」天川清彦牧師
19・20日リトリート(修養会)ゲスト:天川清彦牧師
27日「本当の献身」
11月
3日「愛は礼儀に反する事をせず」このころのレジメはとても細かく書いてありました。
4日 ハイキング(高尾山)
9日 ディナ・マウントさん来日
10日 YMCAでの合同礼拝「成功する子育て」ティム・ヒューバー
17日「こうなりましょう!エクレシア本来の姿Ⅰ」
23日 ハニーズ・メリーズ&マミーズ主催、カップルズパーティ(於:ヒッコリーファーム)カップルの為の交わり。
24日「こうなりましょう!エクレシア本来の姿Ⅱ」新約聖書から教会(エクレシア)の為の重要な点の要約
12月
1日「初めの愛を回復させよう」
8日 礼拝とクリスマス会の為の祈り会(9時~)
クリスマス会 メッセージ:ケニー・ジョセフ牧師&ベアンテ・ボーマン氏のチェロ演奏
14日 M&H クリスマス・スペシャル。エクレシア・シスターズの特別音楽&証。
15日「主イエスから目を離さないように(ヘブル12:1~12)」
16日~97年2月8日 ティムさんアメリカとブラジルへ。ご両親の金婚式(12月)、PAZ宣教団体の2年ごとの会議(2月初め)以前働いていた教会での奉仕の為。
22日 エクレシアメンバーの話
29日 小林智彦さんの話
1997年(9年目) 祈りの土台を築き上げる年 テーマ「リバイバルの為に備えよう!」
1月
5日 ジョナサンさんの話
12日 YMCAでの合同礼拝
19日 エクレシアメンバーの話
26日 エイミー・ウェルチさんの話
11日 M&H 小林智彦さんのメッセージ&エクレシアメンバーのショートトーク
川崎信用金庫の貯金を「会堂建築積み立て」に変更。
コイノニア・ハニーズ火曜日に曜日変更
2月
2日 小林智彦さんの話
9日 YMCAでの合同礼拝
16日「日本のリバイバルの備え」
23日「この巨人たちを倒そう!!」
8日 M&H メラニーさんのメッセージとディナさんのショートトーク。
3月
2日「ふたりの主人(神と富み)」
6~8日 総会準備の為のリトリート。
8日 新教会堂掃除。
8日 M&H 旧約聖書人物シリーズ開始。ウィルフ&メラニー最後のM&H。
9日 YMCAでの合同礼拝 メラニーさんの話
10日 宣教師ウェイン・ステイチさん来日(米国サンディエゴ出身)。
15日 新教会堂へ引越し 9時~
16日「ビジョン(使命)によって生きる」
16日 ウィルフ&メラニーさん送別会。
20日 総会 10~15:30(於:新教会堂)教会員 登戸30名、西船橋5名、インターナショナル4名、合計39名
21日 シャーマン(ウィルフ&メラニー)一家、帰国。シャーマン一家へ特別献金。
23日「先祖崇拝という巨人」
30日 エクレシアのメンバーの話 これより礼拝は新教会堂にて
4月
6日「ゆるがない人生―相対主義という巨人」
13日 合同礼拝「主の栄光は宮に」
※新教会堂、献堂式
20日「畏れられるべき唯一のお方」
ディナお別れパーティ
25日 19時:30~23:30第一回半徹夜祈祷会(分部参加OK)教会堂2階
27日 エクレシアのメンバーの話
5月
4日「最高に満たされた人生」 日野キリスト教会にて礼拝
11日 合同礼拝 シャーリーさんの話
18日「こんな私は神の最高の作品」
23日 第2回目リバイバル祈祷会
24日 フィレオ・フィエスタ(教会へ来た事がない人たちを誘うためのアウトリーチを目的とする集まり) 映画「Dead man Walking」鑑賞
25日「聖霊によって生きる」
29日 レディース・ランチョン 岸&キム・ヨンイル・コンサート&メッセージ。
30日 シャーリーさん帰国のため25日に送別会。二次会は西船橋で。
6月
5/31~6/1 フレンドシップ奥多摩 31日夜は三上勝久氏の特別ミニコンサート
1日 合同礼拝
8日 合同礼拝 ウェインさんの話
15日「真実の瞬間」
22日 エクレシアのメンバーの話
27日 リバイバル祈祷会
28日 フィレオ・フィエスタ
29日 ブラジル日系人との合同礼拝 ジルベルト牧師の話 於:中野島会館
7月
6日「狭き門」イエス・キリスト以外に救いはない
12日 M&H エイミーさんの送別会・フルートの演奏と話。
13日 合同礼拝 エイミーさんの話
14日 クリスティーン・ヒューバーさん来日。
18日 ロン・ミラーさん来日。
20日「神に聖別される」
エイミーさんの送別会&クリスティーンさんとロンさん歓迎会
25日 リバイバル祈祷会①富士山祈祷会②エクレシア堂での祈祷会。
26日 フィレオ・フィエスタ ブラジル料理&ゲーム。
27日「試練からの賛美」クリスティーンさんの話
月報紙面内容をリニューアル。
8月
2日 M&H クリスティーンさんのショートトーク
3日 小林智彦さんの話
10日 合同礼拝 デイヴィッドさんの話
17日 合同礼拝(ブラジル人教会+英語礼拝の人達+エクレシア教会、於:中野島会館) 加藤牧師の話
ティム&クリスティーンの婚約式+エスター送別会(18日帰国)
22日 リバイバル祈祷会
23日 フィレオ・フィエスタ 多摩川での花火後教会堂でおしゃべりタイム
※クリスティーン9月3日にアメリカ経由でブラジルへ帰国、11月8日ブラジル、パラ州サンタレン市でティム&クリスティーン結婚式。
24日「罪に打ち勝つための神の恵み」
31日 クリスティーンさんの話
9月
7日「福音をまだ聞いていない人々と大宣教命令」
14日 合同礼拝 「福音をまだ聞いていない人々」ヒュー&ヘザー
21日「戦いの精神」
26日 リバイバル祈祷会
フィレオ・フィエスタはリトリートのためお休み
ティムさんの姪・エリザベス・ルービック来日。一年間の滞在予定。啓明学園に留学。
ダニエラ・ファイファーさん来日。西船橋で奉仕開始
28日「イエス様による励まし」於:府中青少年の家
27・28日 リトリート(府中青少年の家)ゲスト:平野牧師(東京ホライゾン・チャペル)「励まし、励まされる」
10月
5日「コイノニアからの恵み」
12日 合同礼拝 ロン・ミラー
19日「幸せな夫婦Ⅰ」
24日 リバイバル祈祷会
25日 フィレオ・フィエスタ ムービーナイト C.S.ルイスの恋愛についての映画「永遠の愛に生きて」鑑賞&ディスカッション
26日「幸せな夫婦Ⅱ」
11月
2日 エクレシアのメンバーの話 「感謝と健康」
ティムさん日本出発。8日(土)ブラジルで結婚式。帰国予定は12月10日
3日 ハイキング(丹沢、山&温泉)
9日 合同礼拝 ウェイン・ステイチ
15日 M&H ウェインさんの話
16日「心のリバイバル」小林智彦
21日 リバイバル祈祷会
22日 フィレオ・フィエスタ メキシカンフード・パーティ
23日「エクレシアのリバイバル」小林智彦
30日「日本、世界のリバイバル」小林智彦
12月
7日 エクレシアメンバーの話
14日 クリスマス会 9時より礼拝&祈り会
クリスマス会 14時より ゲスト:平野耕一牧師 アメリカンスクール聖歌隊
19日 リバイバル祈祷会
20日 M&H クリスマス・スペシャル
21日「イエス・キリストの降誕から学ぶ」
21日 西船橋クリスチャンセンターのクリスマス会 14時~ ルネ西船橋集会場にて
23日 中国へ聖書を(新生運動)&ギデオン教会へ献金
1998年(10年目)
テーマ聖句 エレミヤ33:3
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
1月
4日 ヒューバー・ファミリーの話
16日 リバイバル祈祷会
22日 ダニエラ帰国(カナダ)
総会(3/21)へ向けてのアンケート配布
僕(しもべ)訓練会開始。毎月第2・4土曜日13時~ 教会堂
25日「御手の中に」
2月
1日「自分の救いを達成する」
8日 合同礼拝 ロンさんの話
15日「キリスト・イエスの兵士として生きる(霊的な戦いⅠ)」
20日 リバイバル祈祷会 今月から第3金曜日に変更
22日「悪霊とその対応(霊的な戦いⅡ)」
28日 フィレオ・フィエスタ ヴァレンタイン・デー&ホワイト・デーパーティ
3月
1日「キリストにとどまり実を結ぶ」阿部起士牧師
8日「新しい事をなさる神」ウェイン・ステイチ
15日「愛の力」ピリピシリーズⅠ(1:1~11)
20日 リバイバル祈祷会 「霊の戦い」ビデオシリーズⅡ鑑賞
21日 総会 10時~15時半 教会員 登戸33名、西船橋4名、インターナショナル7名、合計44名
22日「祈りⅠ」
28日 フィレオ・フィエスタ チャイニーズ・パーティ(餃子パーティ)
29日「祈りⅡ」
4月
5日「生きる理念」ピリピシリーズⅡ(1:12~30)
12日 合同礼拝 ロン・ミラー
17日 リバイバル祈祷会 「霊の戦い」ビデオシリーズⅢ
19日「幸せな心を持つ秘訣」ピリピシリーズⅢ(2:1~11)
25日 フォレオ・フィエスタ ボーリング大会
26日「幸せな生き方」ピリピシリーズⅣ(2:12~30)
5月
3日「人生最高の発見」ピリピシリーズⅤ(3:1~11)
9日 M&H 母の日スペシャル
10日「きれいな良心を持ちつづけること」 クリスティーン・ヒューバー
15日リバイバル祈祷会 「霊の戦い」ビデオシリーズⅣ
16日 バプテスマ(奥多摩)2名、転会式3名
17日「主の御名」小林智彦 ブラジルのアマゾン地方へ宣教師として行かれる松永アミルトン&パウリンヤさんの壮行会
24日「すばらしい契約」小林智彦
31日「目標を目指してひたむきに進む」ピリピシリーズⅥ(3:12~21)
ワーシップリーダー・ミーティング「賛美のめぐみ」(小林智彦)
教会としてランプン人への宣教の重荷を持つことを検討。
朝の祈祷会開始 毎週火曜日~土曜日 午前7~8時 エクレシア堂
6月
7日「本物のプラス思考」ピリピシリーズⅦ(4:1~9)
14日 合同礼拝 ロン・ミラー
19日 リバイバル祈祷会
21日「祝福が増し加わる方法」ピリピシリーズⅧ(4:10~23)
28日 登戸エクレシアメンバーの話
フレンドシップ奥多摩
アイゼイヤ・ヒューバーさん中学を卒業し来日。クリスティーンの姪・ルーサーン・カイザーさん来日。8月末まで滞在予定。
忘れ物カゴ設置。
ジョサイア・ヒューバー&ベス・ルービックさん、ビザ更新のため韓国へ。そこで聖餐式用のグラス付聖餐セットを購入
30日 ベス・ルービックさんブラジルへ帰国(9月からはオクラホマの大学へ行く予定)
7月
4日 バザー
5日「私の地境を広げてください」Ⅰ歴代誌4:10
12日 合同礼拝 デイヴィッドさんの話
17日 リバイバル祈祷会
19日 クリスティーンさんの話
20日 マミーズ&パピーズ合同ランチョン
23・24日 富士山登頂
25日 フィレオ・フィエスタ そうめんパーティ
26日「主の道を用意せよ」ルカ3:2~9
ワーシップリーダー・ミーティング
8月
2日「主の道を用意せよ」ルカ3:2~9
9日 合同礼拝 クリスティーン・ヒューバーさんの話
15日 リバイバル祈祷会
16日「クリスチャンライフの秘訣」―不安について― 小林智彦
22日 フィレオフィエスタ アメリカンフードパーティ
23日「クリスチャンライフの秘訣」―平安について― 小林智彦
30日「リバイバルのしるし」使徒2:38~47
ティム&ジョサイア、3~20日タイ・マレーシア・カンボジア・ベトナムへ
9月
6日「キャッチ・ザ・ビジョン」エクレシアメンバーの話
13日 合同礼拝「愛のビジョン」ティム・ヒューバー
18日 リバイバル祈祷会
20日 リトリート「教会を成長させる力の源」
19・20日 リトリート(川崎青少年の家)テーマ「教会の成長」ゲスト漆間先生(相模原市青葉キリスト教会牧師、2つの保育園役員、障害者住宅運営委員)
26日 フィレオ・フィエスタ ヴァイオリンの演奏とティーパーティー ヴァイオリン(川畑淑子さん)
27日「イエス・キリストにある勝利」ⅠコリントシリーズⅠ(1:1~17)
10月
4日「イエス・キリストにある力と知恵」ⅠコリントシリーズⅡ(1:18~2:5)
10日 僕(しもべ)訓練会スタート 以前はプレイヤーズ・ミーティングをやっていた。
10日 M&H。ディアン・マイヤー来日 2ヶ月滞在予定
11日 合同礼拝
12~17日 小林智彦さん韓国断食ツアー参加
16日 リバイバル祈祷会
18日「聖霊による神の知恵」ⅠコリントシリーズⅢ(2:6~16)
25日「何とすばらしい神」詩篇19 賛美礼拝
第1部:讃美歌聖歌を中心に、第2部:子供賛美、パントマイム「罪の椅子」、特別賛美、第3部:プレイズ&ワーシップを中心に。
ワーシップリーダー・ミーティング
29日 第5回レディース・ランチョン 講師:クリスティーン・ヒューバー「喜びにあふれた人生を送る秘訣」10時半~ 中野島会館
11月
1日「キリスト中心に生きる」ⅠコリントシリーズⅣ(3:1~23)
3日 ハイキング(丹沢・大山)
8日 合同礼拝 ロン・ミラー
14日 賛美チームのコイノニア、スタート。今後は第2・4土曜日9~12時(←毎月最終日曜に行っていたワーシップリーダー・ミーティングにかわるもの)。
M&H 入江理里子さんのコンサート
15日「心の指導者」ⅠコリントシリーズⅤ(4:1~21)
18日 グレイス・ミニストリー開始 4名
20日 リバイバル祈祷会
22日「エクレシア…キリストの聖い共同体」ⅠコリントシリーズⅥ(5:1~13)
23日 バプテスマ 10時~ 登戸新約バプテスト教会 3名、転会1名
28日 フィレオ・フィエスタ アメリカ人3人のドラマチーム「カベナント・プレイヤーズ」の福音的なパントマイム
29日「愛の実践」ⅠコリントシリーズⅦ(6:1~11)
日本国際ギデオン教会への献金
ワールドビジョン:チャイルドスポンサーのサポートする子が変更、名前:パウリン、ユリタ、ヴァレンティナ(推定:小学校5年生の女の子)国:インドネシア、民族:バタク族、使用言語:バタク語(トバ語)
※教会のホームページ立ち上げ http://members.tripod.com/noborito
朝の祈祷会曜日変更 毎週月曜日~金曜日 午前7半~8時半 エクレシア堂
12月
6日 小林智彦さんの話
執事会…今後は2ヶ月に1度奇数月の第4日要午後に開催。①イベント係新設、②国外宣教部門にランプン人を加える。
13日 合同礼拝 「幸せなファミリーライフ」クリスティーン・ヒューバー
幼児祝福式2名
18日 リバイバル祈祷会
20日 クリスマス会 14時~ 於:中野島会館 ゲスト:新垣勉氏
23日 クリスマス賛美と中国に聖書を(新聖宣教団体への)献金
24日 駅前キャロル15、17、19時 イブ礼拝 16、18、20時
27日「愛の実践」ⅠコリントシリーズⅧ(6:1~11)
1999年(11年目)
テーマ聖句 第2歴代誌7:14
7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
1月
3日「私の身体は神の神殿」ⅠコリントシリーズⅨ(6:12~20)
9日 M&H
10日 合同礼拝「最高の新年の抱負」 ウェイン・ステイチ
17日「歴代誌第2 7章14節」小林智彦
ホームページに毎週の「礼拝メッセージ」掲載開始
22日 リバイバル祈祷会
23日 フィレオ・フィエスタ
24日「日本の癒し」Ⅱ歴代誌7:14
ジョン&シャーリー来日
25~27日 新宿淀橋教会にて断食聖会(国際キャンパスクルセード) 26日ハニーズ参加
31日「クリスチャンライフと結婚」ⅠコリントシリーズⅩ(7:1~24)
30~2/2 米沢興譲教会セミナーに参加
2月
7日「祈り…神との交わり」クリスティーン・ヒューバー
10~12日 この春大学を卒業し社会人になる人の為のリトリート(川崎青少年の家)。
13日 M&H ジョン&シャーリーさんのトーク 今年から「幸いな人」シリーズ開始
14日「ランプン人による神の愛を」ヒュー&ヘザー・ネルソン
ヒュー&ヘザー・ネルソンさんを迎えて、インドネシアのスマトラ島に住むランプン人をエクレシアの特別な海外宣教プロジェクトとして公式に受け入れる。
19日 リバイバル祈祷会
21日「聖書による断食」イザヤ58
27日 フィレオ・フィエスタ
28日「あなたの隣人への愛」テッド・カスター
3月
7日 「日本の癒し、教会の癒し」小林智彦
9日 ジョサイア・ヒューバーさん来日(5~6ヶ月滞在)
13日 M&H 山上の垂訓シリーズ「柔和な者は幸いです」より本物の強さについて
14日 合同礼拝「自らへりくだり、神様に聞き従う」クリスティーン・ヒューバー
19日 リバイバル祈祷会
21日「受けるよりも与える方が幸いである」エクレシアメンバーの話
22日 総会 10~15時半 教会員 登戸39名、西船橋5名、インターナショナル6名、合計50名
27日 フィレオ・フィエスタ イースターのお祝い
28日「キリストの受難の意味」
執事会 総会の為の話し合い10~19時
31~4/2 スキーツアー(対象は13~19歳まで)
ティムさん恵泉女学園での講師職終了。
4月
4日「復活の力をあなたに」
※西船橋にて午前中の礼拝開始
10日 M&H 山上の垂訓シリーズ「義に飢え渇いている者は幸いです」
11日 合同礼拝「イエスの人生は全世界に影響を与えた」 ロン・ミラー
12~23日 ティムさんフロリダへ。キャサリンの見舞と家族に会うため。
17日 リバイバル祈祷会
18日「キリストの共同相続人」クリスティーン・ヒューバー
24日 フィレオ・フィエスタ トーク&トーク
25日「満たされた独身生活」Ⅰコリントシリーズ11(7:25-40)
CS、以前やっていたものを拡大して開始 場所:登戸ドレスメーカー学院
ランプン人へ月例献金開始。
4月より賛美チーム・コイノニアをプレイズミニストリーに名称変更。
5月
2日「キリストにとどまる素晴らしさ」ヨハネ15:1~17
4日 エスタ・ヒューバーさん来日。3ヶ月半の滞在予定。
9日 合同礼拝「母の日について」箴言31:10~31 クリスティーン・ヒューバー
15日 リバイバル祈祷会
16日「神の臨在を楽しむ賛美」詩篇16:11 小林智彦
22日 フィレオ・フィエスタ ゲーム・パーティ(Only English Time!!)19時~
23日「神に目を向ける賛美」詩篇100 賛美礼拝「信仰・希望・愛」 第1部:讃美歌中心、第2部:特別賛美(CS、ドラマ、ゴスペル)、第3部:プレイズ&ワーシップを中心に
ペンテコステ
30日「キリストの愛の中にやすらぎを」エペソ3:14~21
夕拝(バイリンガル)開始、19時より。これにより今までYMCAで行っていたインターナショナルの礼拝を夕拝に移行。YMCAでの礼拝は無くす。ただしウェインさんによる聖書勉強会はYMCAで行う。第2日曜日は合同という形もなくす。
8日 M&H 山上の垂訓シリーズ「あわれみ深い者は幸いです」
6月
6日「愛は人の徳を建てる」Ⅰコリントシリーズ12(8:1~13)
12日 M&H 山上の垂訓シリーズ「心の清いものは幸いです」
13日「キリストにある自由」ウェイン・ステイチ
18日 リバイバル祈祷会
20日「私達にも祈りを教えて下さい」小林智彦
26日 フィレオ・フィエスタ エスター&ジョサイアさんによるコンサート 19時~
27日「福音を伝えましょう」Ⅰコリントシリーズ13(9:1~18)
7月
4日「失われている魂に対する情熱」Ⅰコリントシリーズ14(9:19~27)
8~13日 ルイジアナより14人の賛美奉仕チーム来日。9.・10日向ヶ丘遊園駅南口にてコンサート。
10日 M&H「自分を愛する」
11日 ルイジアナ賛美チーム・ディック・バシタさんの話
横田米軍基地所属のAnointed Voices Choirのコンサート(主催:多摩CFC、於:多摩市民館・大ホール)会場16時開演17時~18日「世界宣教…ランプン人への宣教について」
16日 リバイバル祈祷会
20日 バプテスマ(奥多摩)3名
24日 フィレオ・フィエスタ フルーツの入ったものを一品持ち寄ってのパーティ。ショートドラマなどのプログラムあり。19時~
31日 フィレオ・フィエスタのライブ 19時~
8月
1日「誘惑に勝つ確信」Ⅰコリントシリーズ15(10:1~13)
8日「サタンの誘惑に打ち勝つ」ウェイン・ステイチ
15日 小林智彦さんの話
17日 エスタ・ヒューバーさん帰国
20日 リバイバル祈祷会
20日 ソロモン・エミックさん短期宣教師として来日 1~2年の予定。
22日「偶像礼拝の本当の意味」Ⅰコリントシリーズ16(10:14~22)
28日 フィレオ・フィエスタ おしゃべりタイム 19時~
29日「愛によるクリスチャンの自由の限界」Ⅰコリントシリーズ17(10:23~11:1)
2~13日 ティム&アイゼイア・エスター、インドネシアのランプン人を訪問。
9月
1日 西船橋クリスチャンセンターのジョン&シャーリー夫妻アメリカへ帰国。
4日 恵泉フレンドシップデイ ゲスト:アーサー・ホーランド
5日「権威の下にとどまる大切さ」Ⅰコリントシリーズ18(11:2~11:16)
※5日~ 夕拝時間変更 18~20時半。
11日 M&H 賛美と証し。
12日 ソロモン・エミックさんの話
ホームページ・リニューアル
19日 リトリート「交換された人生」
18・19日 リトリート 於:川崎青少年の家。ゲスト(18日):アーサー・ホーランド テーマ:祈りと伝道。29名宿泊、日帰りを含めて53名出席。
23~25日 東京インターナショナル・ワーシップ・シンポジウム
24日 エクレシア10周年
25日 フィレオ・フィエスタ ムービーナイト 19時~ 300円(ドリンク&スナック代)
教会堂用の椅子購入10脚
26日「イエス様の再臨が近づいている&ランプン人スペシャル」
ランプン人の文化と必要性について、スライドを通しての分かち合い。トルコ大地震への献金
10月
3日「クリスチャンの一致を表わしている主の晩餐」Ⅰコリントシリーズ19(11:17~29)
執事会…今後は毎月最終日曜日に開催。
10日「キリストの愛の鞭」Ⅰコリントシリーズ20(11:17~34)
※登戸エクレシア10周年のお祝い。
15日 リバイバル祈祷会
17日「神との関係を確かにする祈り」小林智彦
23日 フィレオ・フィエスタ 劇、ドラマを見る。
24日「神のギフトをあなたに」Ⅰコリントシリーズ21(12:1~11、27~31)
賛美集会(夕拝時)18時半~ 2部構成
29日 レディース・ランチョン 中野島会館 11~14時 講師:久米小百合
31日「心を込めて」エクレシアについてのスペシャル
※メーリングリスト開設。教会堂用の椅子購入20脚
11月
3日 ハイキング 奥多摩(古里~奥多摩)
5日 アリス・ドゥーリーさん短期宣教師として来日。
6日 PAセミナー(プレイズミニストリー)
7日「あなたも必要とされているキリストの体」Ⅰコリントシリーズ22(12:1~12~27)
13日 M&H 女性4人のGpspel Choir “Grace Unlimited”による賛美&証し。
14日「何よりも愛」Ⅰコリントシリーズ23(13:1~7)
早朝礼拝開始。8時より 教会堂2階
19日 リバイバル祈祷会
21日 「幕屋の祈り(1)」小林智彦
23日 バプテスマ 主都福音キリスト教会 10時半~ バプテスマ7名、転会式3名。
24日~3週間 クリスティーン・ヒューバー渡米。
27日 フィレオ・フィエスタ Thanks Giving Party
28日 ウェインさんの話 アドベント一週目
ギデオン協会のAさん他、礼拝出席
12月
5日「いつまでも残るもの…信仰・希望・愛」Ⅰコリントシリーズ24(13:8~13)アドベント2週目
11日 M&H エクレシア・クワイヤーによるクリスマス賛美とハンドベル演奏。中野島レストラン・ノア
12日「クリスマス…神の恵みとまことの実現(ヨハネ1:14~18)」 アドベント3週目
16、17日、20、21日 断食祈祷会
17日 リバイバル祈祷会
19日「メリー・クリスマス」小林智彦 アドベント4週目
クリスマスコンサート(多摩市民館)18時開場、18時半開演
24日 クリスマスイブ礼拝 19時、21時 クリスマスキャロル、ハンドベル、聖歌隊、クリスマスについての話、キャンドル・サービス
26日「より豊かな2000年を迎える秘訣」
執事会…毎月①教会堂建築貯金(一万円以上)② 物品購入貯金(総献金額の7%以上)を開始する。
27~29日 ティーンエイジャーのスキーツアー(於:栂池ケセパセ)18名出席
今月のフィレオ・フィエスタはなし。
31日 大掃除
31日 ニューイヤーズ・イブ・パーティ。22時~
ランプン人へクリスマス献金 ビデオデッキとラジオプログラムプレゼントのため。
クリスマス献金
ホームページアドレス変更
http://homepage1.nifty.com/noborito(現在はhttp://ekklesia.cc)
※「月刊マサイ」創刊
クラシック音楽を聴いてみよう、と思ったのは35年近く前になろうか。思っては見たものの、クラシック界は巨城のようにそびえていてとっつきにくい。小学生の時、音楽室の正面黒板の上にシューベルトの魔王の絵があって、息子を抱いたお父さんが必死に馬を走らせている後ろから、子どもを捕まえようと空飛ぶ悪魔が手を伸ばしているものだった。これがとても怖かった。この印象が刷り込まれているからか、今でもこの曲は怖い。ピアノの低音が鳴ると思わず後ろを振り返りたくなる。
その割には中学3年の時に学校で受け取る音楽の月刊誌を定期購読していた。シングルレコードが付録で、ヴィヴァルディの四季はこの時に初めて聴いた。作曲家の自伝が漫画で連載されていて、ベートーヴェンの回は水木しげるが書いていたのを覚えている。この頃家にあったのは、美しき青きドナウやスケーターズワルツ。EP盤だったか、これは美しいなと思って聴いていた。
さて聴いてみようとは思ってはみたものの、あまりに世界が広すぎて何から聴き始めたら良いか分からない。作曲家の他に指揮者や演奏家もたくさんいる。大きなレコード屋さんでは、クラシックは別コーナーになっている上、ジャンル別になっているので、目的のものが見つけられない。おまけに素人を寄せ付けない独特の雰囲気を感じた。
たまたま前の会社にいた時、勤めていた女性の御主人がある大作曲家の研究家と聞いて、「これから聴き始めたいのだが、何から聴き始めたらよいか」と奥様を通じて聞いてもらった事がある。25歳の時だ。当時はメールも携帯もないから、メモ書きで返事を貰ったように記憶する。すぐに2枚(LP盤の単位です)推薦してくれた。ベートーヴェンの交響曲第4番、指揮はカルロス・クライバー、オケはバイエルン国立管弦楽団。もう一枚はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番、ピアノはウラデミール・アシュケナージ、指揮はズービン・メータ、オケはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。曲だけでなく、指揮者や演奏者を指定したメモだったのに感動した。早速買って来て繰り返し聴いてみた。交響曲は、5番運命でも9番合唱付きでも3番英雄でもない。4番だったというのは今にして思えばすごいお勧めだった。しかも指揮者はフルトヴェングラーでも、ムラヴィンスキーでもない(後日聴き比べてみて分かったのだが、最初にフルトヴェングラーでこの4番を聴いていたら、ここまでのめりこむことはなかったかもしれない。※あくまでも個人的な感想です)。もう一枚も、協奏曲というジャンルに今後興味が持てるようにという配慮であったと思う。さすがというしかない。この最初の一歩は素晴らしいものだった。
ここが始まりだったので、古典派の交響曲とピアノ協奏曲から世界を広げていった。それまでは、ワールドミュージック(レゲエ、ボサノヴァ、サンバ、サルサなど)を好んで聞いていたのだが、映画音楽も好きでよく聴いていた。35年前に聴いてみようと考えたきっかけとなったのは、ある時ふと、好きな映画音楽がフルオーケストラで演奏されていることに気づいたことによる。ならばクラシックに苦手意識を持つことはないのではないか、と考えた。大きなきっかけとなる気付きだった。何でもそうだが、突破口さえ開いてもらえば、面白いもので、ちょっとした小さな種が大きく成長していく。しかしこの突破口を開いてもらうのがなかなか難しい。
細君のお父さんはクラシックファンである。義父は指揮者をやっていたほどの人で造詣が深い。結婚が決まった後、マサイのクラシック好きが細君から伝わったのだろう、CDを持っているなら貸してくれ、というリストを貰った。それが1枚2枚ではない。持っているものより持っていないものの方が多かった。しかし好む路線が似ていたのは嬉しかった。婚約者の父からの頼みなので持っていませんとも言えず、何でもきっかけだし、この機会に聴いてみようと、まとめて買って来たことを思い出す。
聴き始めたころは、指揮者や演奏者を気にせずに、1曲1枚ずつ安価なシリーズものを買っていたのだが、指揮者やオケによって曲の印象が変わってくることを発見してからは、収集家になった。礼拝には車で行くのだが、FMラジオのクラシック番組を聴きながら行ける。長い歴史の中に現れたいわゆる名盤、名演奏というものがあって、どこがどうなのだと、細君は昔お父さんから聞かされたような話を、同じように夫から聞かされるようになった。その類似が面白いのだろう、いつも笑顔で聞いてくれる。その細君は絶対音感の持ち主である。外から聞こえてきた音を、「A(ラ)の音だ」などと簡単に聞き分ける。細君をますます尊敬するようになる。
いろいろな人からいろいろな形で手引きをしてもらって今があるのだが、マサイは専門的な教育を受けたわけではないので、音楽用語の意味するところが分からない。それが理解出来たらもっと面白くなるだろうといつも思っている。ピアノを長く学んできた細君が、当時使っていた楽譜を見せてくれるのだが、音楽を聴きながら目で追うと、とてもついて行かれない。すぐに見失う。そんな状態なので聴いたものを良い悪いなどとはおこがましくてとても言えない。
全くの個人的見解ながら、好き、苦手の2極に分けて聴いている。好きに入るものの中には、神様をたたえる曲や、神様を感じられる曲がある。オーケストラ全体が鳴って、まさに天地創造の瞬間に立ち会っているような、自然と両手を天に向かって差し伸べたくなるような思いに包まれることがある。そんな時は、心の底から感動を味わい、涙がわいてくる至福の時である。神様を賛美し、この曲に出会えたことを神様に感謝する。ほんの小さなものでもきっかけを与えて下さり、手引きをしてくださった皆さん、こんなに素晴らしい世界へ道案内をしてくださり感謝します。あなたの貴重な一言がこんなに世界を広げてくれました。今日もヘッドホンを両手で耳に強く押さえつけて、あぁいいなぁ~と一人しみじみと聴き入っている。
使徒のはたらき
8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
8:31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
8:32 彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
8:33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
8:38 そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
8:39 二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
拝啓 突然のお便りをお許しください。登戸エクレシアキリスト教会のマサイといいます。皆さんがお住まいの*号棟***号室に昨年6月30日まで住んでいた者です。我々が引っ越した後に入られた方が、近くの教会に新しく赴任されて来た牧師ご夫妻と聞いて嬉しくなり、勝手ながらお手紙を差し上げました。
我々は、息子が生後3カ月になった時に登戸から稲田堤へ引っ越して来ました。その部屋の2代目の入居者になります。以来約23年、細君と息子の3人でともに喜び、ともに祈り、神様の祝福に感謝する日々を送って来ました。神様の愛があふれた家は3人とも大好きな場所でした。ずっと住んでいたかったのですが、息子の就職独立を期に、私の両親を介護するために埼玉県東部にある実家の近所へ引っ越さなければいけなくなり、昨年泣く泣くその家を離れました。早一年になります。今は87歳と、85歳の両親へ食事を届け、様子を見に行くのが毎日の日課になっています。
我々が引っ越した後、しばらく空いたままだったと聞いていましたが、次に入られた方が牧師夫妻だと教えて下さった方がいて、とても嬉しくなりました。この月刊マサイの220本以上はあの家で書いたものです。あの部屋から信仰の発信が続くように、そういう方を選んでくださったのだ、と神様のご計画を感じています。
我々にとって稲田堤は子育ての地でした。そもそもそこを探す時に、子育てに最適な環境を、と細君と毎日神様に祈って与えられた場所です。それは素晴らしい祈りの答えでした。隣人にもご近所さんにも恵まれました。家の中にいても、建物の下で遊ぶ子どもたちの賑やかな笑い声が聞こえてくるので、安心していられました。この地でたくさんの友達、先輩、後輩に恵まれた事は息子の財産になっています。そんな息子も昨年4月に社会人になって独立し、夏には洗礼を受けて、親の役目もひと段落です。細君は知り合いが一人もいない地に夫の両親の介護のために快く移ってくれました。川崎で恵まれていたたくさんの仲間たちとの別離はかわいそうでしたが、こちらで1年経つうちに新しい仲間が増えたことは、神様の恵みだと思っています。
教会堂へはそこから通っていました。登戸エクレシアキリスト教会は、御教会発足から6年後の1989年、登戸のアパートの一室から始まりました。集う人が増えるにつれて礼拝をする場所も変わり、隣駅の中野島のマンションや集会場、登戸に戻ってYMCAの教室、線路沿いの一軒家、とめぐって、現在の教会堂が与えられました。この9月24日で第一回礼拝を持ってから30年になります。長きにわたりこの地で神様に愛されてきたことを感じます。教会員はこの地域から発する宣教の声を聞いて、あちこちから集まって来てくれました。インターネットが普及してからはより声が遠くまで広がるようになったことは感謝です。教会では我が息子も含めて、教会員の2世代目が育って来ています。自らの意思で神様を求めた信仰の初代とは違い、最初から家庭に祈りがあった世代です。その世代が素直に神様を受け入れてくれたことはとても嬉しく、教会が豊かになったような気がします。3世代目、4世代目と信仰の継承が出来ることを祈っています。
引っ越して登戸が遠くなりましたので、今は姉妹教会である船橋エクレシアキリスト教会に通っています。こちらも来年20周年を迎えます。船橋発の信仰の声がより広がり、ここでもこれからクリスチャン2世、3世が育って行くことを期待しています。
教会堂までは目の前の坂を下りて行けばすぐですね。クリスマスイブの夜には御教会の若者たちがクリスマスキャロルを歌いながら駐車場にやって来てくれました。それがとても暖かくて嬉しいものであったことが記憶に残っています。今後この地で長く神様を述べ伝える重要な役割を果たされていく事と思います。神の国が建て上げられますように、この地に福音が広がりますように、世代を超えて信仰が継承されますように、牧師先生ならびにご家族皆さんの上に神様の祝福があふれますように、お祈りしています。
敬具
テモテへの手紙 第二
1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
1:6 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
1:7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
1:8 ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
1:10 今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。
ふた月前にも書いたように、NFL(プロアメリカンフットボールリーグ)にはまって3年目になる。9月のシーズン開始までのカウントダウンは60日を切った。息子に教えてもらって試合を見始めた頃は、有名選手の名前はおろか、チーム名すら全部分からないので、どこのファンという事もなく、ただTV放映を見ていた。40年以上前、高校生の時に文具でアメフトグッズがはやった事がある。色味で選んでダラスのチームのブリーフケースを持っていた、サンフランシスコのチームジャージを新婚旅行先で着ていた、夏休みの旅行先でワシントンのチームのシャツを買った。そんな頃から興味はあったらしい。
全部で32チームあるのだが、TVで無料放映されるのは、昨年は週に1試合だけだった。ダイジェスト番組で全チームの試合結果を見られるが、シーズンを通してTVで放映されないチームもある。最初はルールを覚えようと2時間半の試合を必死で見ていたが、だんだんすごいと思うプレイを通して、名前や背番号を覚える選手が増えて来た。そしてそういう選手が多いチームをひいきにするようになる。ファンになれるチームができると感情移入できるので、より面白くなる。息子はニューオリンズ、マサイはロサンゼルスのファンである。お互いの好むところが分かるので、話し始めると止まらない。
実は細君、留学していた頃にスーパーボールを見に行っている。連れて行ってもらったらしい。そんな細君は、マサイと息子が二人で盛り上がっているのがうらやましくてしようがない。いつも付き合って試合を一緒に見てくれるのだが、昨シーズン後半から、自分もひいきのチームを作って楽しむ、と宣言して参戦してきた。選んだのはカンサスシティ。3人とも別チームを応援、という事になって面白くなった。
御徒町のアメフトショップでは、他に客もいなかったこともあって、店員さんと大いに盛り上がった。まず、どこのファンですか、と聞かれ、そこから話がどんどん広がっていく。アメフトについて話せる人は数少ないので、話し出したら止まらない。教会では、アメリカ人がマサイのアメフトTシャツに反応してくれた。息子のロス土産なのだが、ロス出身だからマサイと同じチームのファンである、と分かってここでもチームの話題で盛り上がる。
ひいきのチームが出来ると、試合を見るのが格段に面白くなった。ルールも大分分かって来たし、ボールしか目で追えなかったのに(それすら早くて追えない時がある)、全体が何をしているかが見えるようになって来た。家族3人でシーズン中の勝ち負けだけでなく、オフのドラフトやトレードでも盛り上がれるほどになった。
スーパーボール直前のチャンピオンシップ2試合は、細君と朝5時前に起きて、毛布にくるまって夢中になって見ていた。ベスト4に3人ともひいきのチームが入っていたので、見ていて力が入る。2試合続けて5時間観戦した後は、ぐったり疲れてしまった。翌月の頂上決戦が終わって、結局3人の推すチームはどこも優勝できなかったが、実に面白かった。
7月始めの新聞にこういうのがあった。参院選公示前の記事だ。
「ひいきのチームを持とう--。スポーツと同じように選挙でも、それが大事なことだ」、と文芸評論家の書いたことを引用していた。「ひいきがなければ「政治など誰がやっても同じ」と思ってしまうのは、当然だと/「選挙とは、端的に言えば『ひいきのチーム』や『ひいきの候補者』に一票を投じる行為です」
政治もそういう感覚で興味を持ってもらおうということか。分かりやすいし、面白い視点だと思って記事を切り抜いておいた。
マサイはマラソン大会に出る時には、チームジーザス(TEAM JESUS)と英語で背中にプリントしたシャツを着て走っている。随分前にランニングショップにロゴを持ち込んで作ってもらったオリジナルなのだが、以来気に入ってずっと使っている。一番のひいきのチームであり、大のファンである。そして自分もその一員であることを喜んでいる。ジーザスフリークになって28年目、それはずっと変わらない。我が家3人とも大ファンである、という事がとても嬉しい。
詩篇
6:2 私は【主】に申し上げます。「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」
103:1 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:21 【主】をほめたたえよ主のすべての軍勢よ。主のみこころを行い主に仕える者たちよ。
103:22 【主】をほめたたえよすべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。わがたましいよ【主】をほめたたえよ。
今月末で引っ越してから1年経つ。昨年春に母が入院し、父も老々介護で疲れて具合が悪いというので、6月末に実家の近所に引っ越した。昨年の今頃は寝ても覚めても荷物整理の事ばかり頭にあって、休む間もなかった。よく引っ越せたものだと今でも細君との話題に上る。
母は介護2、父は支援1である。週日は細君、週末はマサイが食事を持って実家を訪問するようになった。金曜日だけ休ませてもらって、それ以外は毎日顔を出すようにしている。それまでは、料理などしたことがない父が台所に立ち、買い物はもっぱらコンビニで済ませていたようだ。鮭のおにぎりや助六のような母の好きなものは手に入るが、栄養面を考えられなかったようで、母の体重が激減していた。呼吸も規則的でない時があるのが聞いていて良く分かった。それが細君の作ってくれる食事を届けるようになると、元気になって来た。今では体重も32kgから39kgと元にもどった。呼吸も正常になり、見た目も元気そうだ。
月に一度会社を休んで母を近所のクリニックへ連れて行く。その他春に入院をしていた市民病院へ定期的に細君が連れて行く。医者に具合を聞かれると、「私は何処も悪くないんです」と明るく答える。貰って来た薬を決まった時間に飲ませるのが大変だと父がこぼしているので、どうして通い続けるのかと聞いたら、薬を飲ませないといけないからだと父が言う。
母は直近の記憶が無くなるようで、台所で水を出したまま忘れてどこかへ行ってしまったり、水を入れないままお釜でご飯を炊いたりする、数々の奇行が父のストレスになっているらしい。心配の度を越して、母を24時間見張っていないといけないという強迫観念にかられて疲れてしまっているようだ。優しく見守ってあげてほしいのだが、父が一番心配しているのは一人でどこかへ出て行ってしまわないかという事と、呼び鈴が鳴った時に知らない人を家の中へ招じ入れないかという事。特に後者は最近年寄りを狙った犯罪が多いので心配をしている。
介護については、「やりすぎず、やらなさすぎず」という当初の目標通りに細君とやっている。全てやってあげてしまうと却って日々の張りがなくなるだろうと思って、自分たちが出来ることはやった方が良いと思っている。ところが父はやりましょうかと言われるのを待っている。そこに気持ちのすれ違いが生じているようだ。
ほぼ毎日行ってもらっている細君には実に申し訳ないと思う。1日に1回訪問という単純なことながら、気を抜ける時間が少なくなってきた。介護に気をとられて、ストレスばかり感じてもしようがないので、小さな幸せを積み重ねて感謝と喜びを捧げるようにしようと細君と心がけている。感謝なことに、最近は身近に小さな喜びをたくさん見つけられるようになった。年齢相応の楽しみというか、ここまで年齢を重ねてきたからの楽しみというか、今まで目の前にあっても気付かなかった事が小さな幸せとなっている。神様からのギフトは既に与えられていて、そこここにあふれている。何で気付かなかったのだろうと思う事もあるが、それに気づけるようになったことを感謝しようと思う。
神様のなさることは、全て時にかなって美しい(伝道者の書3:11) アーメン
箴言
3:1 わが子よ、私の教えを忘れるな。心に私の命令を保つようにせよ。
3:2 長い日々と、いのちと平安の年月が、あなたに増し加えられるからだ。
3:3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。
3:4 神と人の前に好意を得、聡明であれ。
3:5 心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
3:6 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。
3:7 自分を知恵のある者と考えるな。【主】を恐れ、悪から遠ざかれ。
3:8 それは、あなたのからだに癒やしとなり、あなたの骨に潤いとなる。
アメフトのNFLにはまって3年目。今はオフシーズンだが、ドラフトで大いに盛り上がっていて、インスタグラムにいろいろな情報が送られてくる。アメリカのカレッジフットボールもフォローしているので、日々新しい情報に接して楽しんでいる。4月のある日に送られてきた映像をほほえましく思い何度も見直した。簡単に言うと、大学のアメフト選手がフィールドで彼女にプロポーズするものだが、突然跪いて差し出された指輪に彼女は感激し、めでたしめでたしという映像。
アメフトの専門用語ばかりで分かりにくいと思うが、状況を詳しく書くとこうなる。観客がたくさん入ったフィールドで、フィールドゴールを彼女が蹴らせてもらう事になっている。本来パンターの彼氏がホールダーの役目をして、スナップされたボールをキッカーが蹴りやすいように立てかける。それを彼女が蹴ろうと助走に入ったところで、彼氏が手で制して止め、代わりに跪いた姿勢のまま、ケースの蓋を開けて指輪を見せる。驚いた彼女は泣きそうになりながら、こくりと頷く。二人はチームメイトとたくさん入った観客みんなの祝福に包まれる。
5月9日の27回目の結婚記念日を前に、当然自分の時の事を思い出しているのだが、プロポーズをして、細君が頷いてくれた時の表情は忘れない。そんな時の状況は以前書いたので、それ以後の事を書いておこうと思う。プロポーズを細君に受けてもらって、人生で一番嬉しい時を味わっていたのだが、さてこの後は細君の両親に挨拶に行く大仕事が待っている。ドラマで見たり現実に聞いたりしていた話では、挨拶に行った時、灰皿が飛んできた、お父さんが横を向いて口を聞いてくれなかった、などなど心配な状況ばかり。大切な御嬢さんをもらうのだから、何があってもおかしくない、と思っているので緊張している。帰って両親に報告したらすぐにおめでとうと言ってもらった、と細君が電話をくれた。ご両親ともに初めて会うわけでもないので、何も心配することはないし、細君も大丈夫だよと言ってくれていたのだが、妙に緊張していた。
スーツを着て手土産を持ってという改まったスタイルで細君の実家のある駅まで出掛ける。改札口まで細君が迎えに来てくれた。実家に着くと、細君の両親も改まった服装で、心なしか緊張している。細君だけがリラックスして嬉しそうににこにこしていた。とりあえず言う事を言わないと何も始まらないので、リビングで極度に緊張しながら御嬢さんとの結婚のお許しくださいという口上を述べた。今でも思うがこの時以上に緊張した事は人生でない。心配していたようなことは何も起こらず、細君が言っていた通り、にこやかに受け入れてもらった後に、義父が聖書からエペソ5章22~33節を読んでくれた。
エペソ人への手紙
5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
5:33 それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい。
聖句で迎えてもらえたのはとても嬉しかった。暖かくしっかりしたものに包まれた思い。ほっとして皆の緊張が解けた。
談笑が出来るようになった後、義父母が通う教会へ証人をたのみに行った。証人とは世にいう仲人である。こちらでも牧師先生が、創世記2章19~25節を読んで、共に祈ってくれた。
創世記
2:19 神である【主】は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。
2:20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21 神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
2:22 神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。
2:23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
2:25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
自分たちの結婚について聖句で祝福し、祈ってくれる、という事をとても有難く感じた。神様が喜んでくれているような、天からの大きな祝福に包まれた思いだった。会う人皆がおめでとうと言ってくれるのがとても嬉しく、それに素直に有難うと答えられているのも嬉しかった。プロポーズについて、牧師夫人が「良く、うんと言わせましたね」と、にやっと笑いながら語ってくれたのが今でも強く印象に残っている。実家に戻って夕食をごちそうになって帰ったのだが、緊張が一転して、感謝の気持ちに満たされた帰路となった。
打ち合わせたわけでもないだろうが、この日二人が読んでくれた聖句には「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」という箇所が入っている。我々の結婚のスタートにこの聖句があるのだが、以来27年、常に、細君と心を、思いを一つにしてやって来た。これからも細君を自分と同じように愛するという事は変わらない。
某大手電機会社の入社式における社長挨拶は、「今の仕事がずっと続くという幻想を捨てる」というものだったらしい。なるほど今様の内容だが、旧来の仕事をちょっとずつ発展させながら何十年もやってきた時代の人間には強烈な印象である。
昨年から言われている働き方改革は、仕事のあり方を根本的なところから見直す機会になった。結局今あるもの全てのあり方を見直して改善していかないと前に進まない。抜本的な規模での発想の転換が問われる。長時間労働を解消し、効果的、効率的な仕事の仕方を実現させるために、これから世の中は全く違った形へ急速に変化していくのだろう。
最近のマサイの身近な話題では、紙代が値上がりするという。製紙業界の詳しい動向は分からないが、紙そのものがなくなってくるらしい。今はまだ毎朝チラシをたくさん挟んだ新聞が届いているが、この当り前を維持することが難しくなってくるようだ。何かが無くなる、別の方法に転換する、供給が復活しても新しい方法が根付いてしまい、旧来のものは不要になる、という図式で入れ替わっていく。何でもパソコンやタブレット端末でこと足りるようになっているので、紙でなくても良いという環境に使う側が慣れてくるのに時間はかからない。
メガバンクの支店長が新年度初めの挨拶に来た。今の新入社員に求めるものは、今までにないものを生み出す力なのだという。業界を吹き荒れる改革の嵐を乗り切っていく力、ではなく、嵐そのものを生み出す力が求められる。店舗の無人化、相談窓口化など、今まで考えもしなかったような斬新さがこれからは現実のものになっていくようだ。最後に電子マネーを勧めて行った。スマートフォンがあれば財布がいらない。入出金だけでなく、支払、割り勘もそれでできる。手数料がかからない。ゆくゆくは紙幣や硬貨そのものが無くなるらしい。銀行でも札勘という名人芸は最近見られないと聞いた。お札も紙だからなの?と細君は真っ先にその点を付いて来た。
モバイル端末ありき、という生活に慣れて来ている。割引を受けられる店舗のカードも、今までドラッグストアだけで何枚も持っていて、財布が膨れ上がっていたが、今度はカードを発行する代わりに、スマホにアプリを読み込む方式になったという。スマホを持っていれば、専用のカードを何枚も持つことはない。バックを替えたがためにカードを持って来るのを忘れてサービスが受けられない、ということがなくなる。
時代が先へ先へと進んでいくと、色々なものがなくなってくる。もっと進化して、コンビニでは顔認証システムで、手ぶらで買い物ができるようになるらしい。もはやスマホすらいらなくなる時代に向かっているらしい。近未来のものと夢見ていたものが現実になって来ている。高速進化についていくには、用語を覚えるのだけでも大変だ。出来るならこの波の先端とまでは行かないまでも、波に巻き込まれずに乗って行きたいと思う。年寄りだから時代について行かれない、と言われたくない。
変わるものに対応して行くためには、逆に変わらないものを見つけて、そこにしっかり足をつけていないと、自分自身を見失う事になっては大変だ。
コリント人への手紙 13:13
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
という聖句がほっと心に来る。何でもかんでも根本的にあり方を見直す時代にあって、「いつまでも変わらずにある」ものがあるのだ。世の中がどう進歩し、どう変わろうが、神様は変わらない、御言葉も変わらない。そこに根差しているからこそ、自分を見失わずに変化に耐えられる。何がどう動こうと変わろうと、神様とともにいられるということに感謝します。
出エジプト記
3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。
「主は陶器師、我は土くれ~」、と賛美が頭の中で流れる。3月最初の温かい土曜日、細君と大陶器市に出かけた。梅まつりも同じ公園内で開かれていて、春の日を楽しもうと期待して行く。年齢が上がるにつれて、目が国内に向いて来た。こういうイベントに行って見ようかと思うのは大きな変化である。
全国から多くの窯元が集まって、テントの中に家庭用の食器から人間国宝の作品まで、たくさんの陶器を並べている。有名産地の漆器や木工品などもある。陶芸に興味を持ったことがないので○○焼きというのには詳しくないが、それでも聞いた事があるビッグネームが揃っている。特徴や色、焼き方など、見れば分かる人が来ているのだろう、来場者は年配の方が多い。こんなものを買いたいと細君と話していたものはいくつかあるのだが、こういっぱい並んでいると目移りするし、値段もピン切りで決められない。しかし色、形、用途様々な器は、見ているだけで楽しい。
会場を一周して、大体どういうものがあるかが分かってきたところで、二周目はじっくり選びにかかる。どれも同じ形という規格品ではなく、一つ一つ丹念に土から練り上げて作られた作品ばかりである。だから形は同じようでも微妙に細部が違う。茶碗の飲み口が心持歪んでいたり、焼き方によって、色の違いが出ていたりする。それが特色となって、良い味を出している。表情様々で、陶器が生きている、しかも堂々と胸を張っているという印象を受けた。
信楽焼の里から来たという年配の男性が、高級品の説明をしてくれる。テントの中に並んでいるような値段ではない。薪窯で焼いたものと、ガスや電気窯で焼いたものとの違いを教えてくれた。薪窯で焼いたものは、一旦灰に埋もれてそれが落ち着くと茶碗の底に宝石のように綺麗な色合いが出て来る。火や灰の当たり具合で焼味が変わってしまうので、一点物の魅力がある、という。軽いだろうと言い、一つ一つ持たせてくれる。持った感じを味わってみろというのだが、落したら大変という気持ちが先立ち、おっかなびっくり触っている。陶器と言えば薄く滑らかな、見た目にも美しいものが高級品だと思っていたが、この表面からは無骨な、という印象を受ける。見た目、遺跡から発掘したばかりの年代物、もしくは長年海に沈んでいて小さな貝殻がたくさん付着してしまったもの、という表現がぴったりする。その独特なごつごつさ加減が、かえって人間の手で作られたものではないような有難味として伝わって来た。なるほど高級品だなと、素人にも思える。
男性が愛着を持って作品について語っている様を見て、冒頭の賛美が思い浮かんだ。人間は神様によって土から作られた。神様は自分の作品である人間を愛して下さる。神様もこんなふうに愛情を持って我々のことを見てくれていると思うと、嬉しくなってきた。作られた人間も、神様の作品である事を誇らしく思う。こういう愛情関係を良いなと感じて、思わず買わずにはいられなくなった。
帰って買って来た器を食卓に並べてみる。たくさん並んでいる中で見るより、はるかに良いものだった事に気づく。よく来たね、と愛情いっぱいに迎えてみると、器も少し自慢げに、嬉しそうに見えた。
創世記
2:7 神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
イザヤ書
64:8 しかし、今、【主】よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
「60歳定年後の再雇用の意思確認」、という書類を会社からもらった。60歳まではまだ1年と2か月あると思っていたので、もう来たのか、と驚いた。返答期限が丁度定年の一年前なので、その前に書類を渡したということらしい。考慮期間は2か月。引き継ぎの為の書類を早々と用意し、誰にどの仕事を振るかを考え、常々あと15か月などとカウントダウンして来たが、正式な書類を貰うと、はっとするものだ。定年になっても別に寂しさは感じないだろうと思っていたが、そうでもないのかもしれない。一線を退いて、60歳以降も働くか、働かないかという意思表示をするだけなのだが、もともと働くつもりでいたので、途中まで書類を書いてみた。しかし神様に祈ってからにしよう、とひとまずやめる。
マサイは早生れで年度の最後が誕生日なので、同級生の誰よりも定年の日が遅く来る。祖父の時代は定年の年齢が57歳だった。マサイが働き始めた時もそうだった。それが途中で60歳になり、父は還暦で定年を迎えた。60歳の誕生日に親戚一同を自宅に招待して、食事をふるまい、赤いちゃんちゃんこと帽子を身に着けて祝った、というのを覚えている。昔の人はこういう儀式を絶対にするものだと考えていたらしい。その後そのちゃんちゃんこと帽子は親戚に使いまわしされているようだが、来年戻ってくるとは思えない。今まで還暦のイメージとしては、人生にひと段落つけた、終焉が近い老人というものだった。当時は定年後の再雇用制度が一般的になる前だったので、60歳以後の進路を決めかねていた父のことを「定年後も働いてもらわなければ困るのよ」、と母が陰で真顔で言っていた。収入減が困るのか、家にずっといられるのが困るのか、両方だったような気がする。いくつかのお誘いがあったようだが、フリーのライターで活動出来ていた。
マサイはトータルで37年半働いてきたわけだから、そろそろお役御免で後進に道を譲る、ということについては何の違和感もない。その後有難いことに同じ職場で65才まで働ける。長く働けることは感謝だと考えている。今更リクルート活動は辛いものだ。それをしなくて済むというのは有難い。定年後には、仕事の内容が変わるし、責任もなくなる。今している仕事はこれからの一年、これで最後ということばかりになる。年末から一生懸命2019年度予算を作っているが、実算を入れた年次報告という最後の仕上げは後任の仕事になる。それはそれで寂しい。当然給料は今まで通りはもらえない。大幅な減額になるので、生活設計を変えないといけない。これが一番問題だが、そんな日が近づいている。親の面倒はいつまでという期限付きのものではないし、自分たちの生活も考えないといけない。全く先細って行くような気持で、どうも気分が明るくならない。帰宅してから書類を前にして細君と一緒に祈り始める。
次の日曜日に礼拝でルカ22章32節からのメッセージを聞いた。讃美についてのメッセージだったが、ゲストメッセンジャーの語る言葉はとても力強く、理解しやすい。すると、突然ひらめきのように、そのメッセージの奥から直接マサイの心に響くものがあった。それはメッセージの言葉が直接というのではなく、その言葉の奥から照射された。それは場面が180℃転回するような、マサイにとって大きなものだった。
「全てが終わって行くのではなく、新しいことを始める大きなチャンスなのだ。何かが出来る、ということを喜ぶことだ。先細るのではなく、先は末広がりに開けている。終わりではなく、始まりである」
まさに目から鱗が落ちる、という状態で、暗い気持ちが急に明るくなった。その後の賛美の歌詞にも涙腺が緩んだが、これは久しぶりのことだ。何事も後ろ向きでいたことを反省する。あれこれ思い悩んでいてもしようがない。心配は神様がしてくださる。何をするにしろ、顔を上げて前を向いて生きて行かれるというのは、とても嬉しい。終わらなくて良い、始まりの時だ。主がその道を用意して下さる。祝福されたようで、ほっとした思いに包まれる。
終わりという閉塞感はなくなり、以後の人生に何が待っているか、楽しみになってきた。60歳から牧師を目指すという事ではないが、神様をのべ伝える何かが出来るという予感がしている。神様、ご計画を示してください。そして導いてください。
ルカの福音書
22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ヨハネの福音書
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
16:14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
エペソ人への手紙
3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
3:21 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
シュリーマンの「古代への情熱」を読むように言われたのは、高校一年の世界史の授業中だった。持込可にするが、試験もこの本から出すという。しかし当時の岩波文庫は旧漢字が混じり、とても読むのに辛い思いをした覚えがある。字面を追っただけで、読み終わったという記憶はない。
引越しがあったので、遅めの夏休みを11月にとり、細君とトルコ旅行をしてきた。トルコを約半周する旅は、ヨーロッパとアジアが共存するイスタンブールに着いた後、まずトロイ観光へと進む。トロイはホメロスが書いたイーリアスに出てくるお話の世界、伝説上の都市だと多くの人に信じられていた。しかし少年時代にこれを読んだシュリーマンは、トロイ戦争は実際にあった、トロイの都は今でも地中に埋もれている、と信じた。当時は夢のような話だったろうが、それを一生かけて追い、発掘し、ついには考古学上の大発見に至った、というのが「古代への情熱」の内容である。現地を訪ねた後、当時の岩波文庫を読み返してみた。今は活字中毒、さらには紀元前の遺跡大好き、なので興味を持って読み進み、買って43年後にやっと読み終えることが出来た。読んだことで、あのトロイが一層身近に感じられた。
事はトルコの話ではなくて、課題図書の話。休日のお昼ごはんを食べた後のまったりした時間に、細君と課題図書で辛い思いをしたことを話し合う(細君とはよく本の話をする)。中学や高校の時、何であんなに課題図書で辛い思いをさせられたのだろう。興味もない、時代背景の知識もない、という状態では内容を理解する事がとても難しい本を無理矢理読まされた。その最たるものが「古代への情熱」だったが、その他すぐに思い浮かぶのが小林秀雄。「無常という事」が高校で課題図書だった。扱っている内容は古典についての6編。古典は嫌いな科目ではなかったが、とにかく日本語であるのに何も頭に入ってこない。一行一行分けても、言葉が理解できない。脳が拒否反応を示していたらしい。それきり小林秀雄=難解という印象が強く残って、遠ざかっていた。細君もその難解さを分かってくれたが、細君の場合はもっとすごくて、課題図書が小説だけでなく、哲学系、歴史系などの本が一つのグループになっていたという。いくつかあるグループのうちから一つを選ぶというものなので、否応なしに、哲学書や歴史書も読まなければいけなかったという。これはものすごい課題だ。
大学でも一般教養で課題図書があって、その中に岩波文庫の「ヨブ記」が入っていた。色々なジャンルから紹介された多数の本の中からの選択だったが、当時マサイはヨブ記を選んだ。高校の聖書の授業でヨブの話を聞いた事があったからかもしれないが、ボリューム的に少ない本を選んだだけかもしれない。聖書の中の一つの書を読み切ったのはこれが最初であったが、後半辛かった記憶がある。感想文を書くのもなかなか辛かった。初の聖書通読はこの後12年後である。
無理やり接する機会を与えられるというのも、その時点では辛いが、振り返ってみれば悪いものではなかった、ということを今回のシュリーマンで感じた。いつかは読める時が来るものだ。しかし最初に手に取っていなければ、旅先での感動も薄く、一生読まなかったかもしれない。小林秀雄の他の作品「ドストエフスキーの生活」は、社会に出た後ドストエフスキーに強く惹かれた後に読んだので、問題なく読めている。この時は、作者への拒否反応を克服できた感が大きかった。これを書いている途中で実家から「無常という事」を持ち帰って拾い読みしてみる。あの頭に入ってこなかった文章がとてもおもしろく感じられて、すいすいとまでは行かないが普通に読める。読む事が出来なかった過去の経験も含めて、楽しめそうだ。読み切れば、実に41年ぶりという事になる。最近こういう本が増えて来た。
旅行では、トロイの後にエペソへ進んだ。エペソはパウロが書いたエペソ人への手紙の宛先であり、パウロもそこを訪れて、コリント人への手紙第一を書いたと言われている場所である。当時は小アジアの経済の中心地であったと言われているが、なるほど立派な遺跡だった。クレオパトラがエペソの図書館を見て、ご自慢のアレキサンドリアの図書館より立派なのに嫉妬して、本の原料となるパピルスの輸出を禁止したと言われる大図書館跡など繁栄の跡が残っている。紀元前のこの時代から、本を書き、読み、それを守る巨大な施設を作っていた人がいたという歴史的な重みに圧倒されると同時に、それをとても嬉しく感じた。
伝道者の書
3:1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
伝道者の書
3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
ヨハネの福音書
1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
12月1日、10月に亡くなった伯母の四十九日法要と納骨の為、父の代行で小田原に行った。神奈川県小田原市はマサイが小学1年生の2学期から26才の誕生月の前月まで約20年住んでいたところ。2020年に向けて駅前に大観光施設を作る予定があるとWEBにあった。ランドマークたる小田原城を中心に街が整っていくようで、久しぶりにそれを見てみたかった。喪服のラペルに銀の十字架ピンバッチをつけて出かける。
12時集合だったが早めに行って、昔なじんだ通り、我が家のあった場所、いろいろな裏路地を歩いてみた。10年ぶりくらいになるだろうか、歩いてみて驚いた。あったものがなく、見上げるマンションが増えている。駅をちょっと離れると、にぎやかだった通りがどこもシャッター通りになってしまっていた。あの店には同級生がいたはずなのに後を継がなかったのかな、と友人の家の店があったあたりを寂しい思いで見て歩く。何よりショックだったのは、マサイが子どもの頃から通い詰めた本屋さんがなくなっていたこと。立ち読みをはたきで追われ、あの本屋に行けば必ずマサイがいると言われていた本屋さんだ。隣の駅から行く大ショッピングセンターに移動したらしい。
祖父母の墓は浜町の、1492年創建という古い歴史を持つ曹洞宗の寺にあり、その隣の区画を祖父が父の為に確保しておいてくれた。父は次男なので、代々の墓というものはない。現在は石の枠組みで基礎を固めたものがあるだけで墓石はまだ建てていない。小田原にいる頃は歩いてすぐだったのだが、埼玉から来るととても遠い。
父は埼玉に引っ越した後、小田原は遠くなったと思っていたらしい。築地本願寺の合同墓に母の妹夫婦と一緒に申し込みをしたことがある。保証人のマサイに、形だけでも本願寺信徒にならないといけないがなってもらえるかと聞いて来たが、ああそうですかと引き受けるわけにもいかずに断ると、その話は立ち消えになった。築地を選んだのは、マサイの勤め先が築地だから。地下鉄が乗り入れているので一本で行かれる場所だからというもの。何も言わないが、息子がクリスチャンであることに気を使った気配がある。クリスチャンは仏教の葬式の喪主が出来ないから自分たちの葬式をあげてもらえない、と勝手に勘違いをして思い悩んでいたようだ。
納骨を終えて報告に行く。正直な感想として、あまりに遠いので、そう簡単には行かれないと思った、石の枠組みも随分風化の跡が見えるので、墓石を乗せるにしろ、一度整備が必要だろう、と伝える。今回祖父の墓にお骨を収めたのだが、伯母の骨壺が入ると、もういっぱいなように見えた。
父か母のどちらが先に逝くにしろ、自分たちは墓参りに行かれない、と父は考えて、あれこれ思いを巡らしていたようだ。もともと今回亡くなった伯母や妹である叔母から墓地のあの区画を譲ってほしいという話を受けたことがあるという。その際は断っていたらしいが、そんな話は初めて聞いた。今回マサイが遠かったというのを聞いて、それが自分の考えと一致して安心したのだろう、結論めいたことを言い始めた。小田原の墓を手放して、この近所に見つける。幸い近所に宗派不問の霊園がたくさんある。母は具合が良くない時もあるし、近所に見つけておいた方が安心する。自身は昔散骨でも良いと思っていたくらいだから室内タイプの合同葬などどこでも良い。間に合わなかったら建ててくれ、という。
細君の両親は三浦の教会墓地に入っている。登戸エクレシアキリスト教会の共同墓地は、富士山が見える御殿場にあると写真を見せる。ここには先に細君の兄が入っている。マサイも細君も息子もここに入るだろうと伝える。この墓の問題は、どうにか良い解決方法はないかと、ずっとマサイの悩みの種となっていた。マサイの両親が亡くなった後、小田原に新たに墓を建てる、しかし両親を収めた後は誰も入らないという事になると、どうやってこの遠隔地に新たに作る鈴木家の墓と付き合っていけば良いのだろうと悩んでいた。マサイはなじみがあるが、細君も息子も住んだことがない土地だ。息子の次の代には墓のあることすら風化してしまうことも考えられる。
父はこれで小田原と縁を切る、と宣言した。マサイよりはるかに長く住んでいた本人の意見なので尊重したいと考える。この寺は、相模国風土記にその縁起が記されている名刹で、ここの方丈さんは昔父が大学生の頃勉強を教えた教え子であるという。その寺ばかりではなく土地に結びついていた幼少時の思い出と縁を切るような決断なのだが、言ってスッキリしているようなので、今後の展開については、祈り、神様の最善を求めていこうと思う。日本人のクリスチャン1世が直面する問題であるので、葬式の問題、墓の問題、位牌の問題など次の世代に伝えて行かれるように、問題点と解決策をまとめておくつもりである。
コリント人への手紙第二
4:15 すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
ローマ人への手紙
11:36 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
先月号にヨシュア記1:9で励まされた話を書いたが、その原稿を日曜日の朝送信して、礼拝へ行くと、メッセージが同じヨシュア記1:9からだった。8月にも哀歌で同じようなことがあったが、この偶然の一致は実に嬉しい。最近は旧約から励まされる事が多い。
7月に洗礼を受けた息子が、10月1日で23才になった。早いものだ。社会人になって、毎日オンとオフを楽しんでいるようで、休日に横須賀へ向かう電車内の映像がインスタグラムに上がっていた。生まれた病院があったそばで遊んでいる。京急線の汐入駅近くにある聖ヨゼフ病院で息子は生まれた。当時分娩室に入る前の観察室には、十字架にかけられたイエス様がかかっていた。残念ながら今は産婦人科がなくなってしまったようだが、マサイと細君にとっても思い出深い場所である。
1995年9月末、おしるしがあったので細君を病院に連れて行った。しかし予定日を過ぎてもなかなか降りてこない。そこで医者に勧められるままに、細君の手を取って、病院内の階段で何度も上ったり下りたりを繰り返していた。そして予定日を2日過ぎた10月1日の17時1分、無事に生まれて来てくれた。立会い出産だったので、細君よりマサイの方が先に息子に会えた。足が長い、というのが第一印象だった。
細君の妊娠が分かった時、神様に聖書の中から名前を与えて下さいと祈って、創世記から読み返し始めた。ところが決定的なこれ、というものに決められないうちにヨハネの黙示録まで読み終わりそうになってしまった。しかし全て読んだところでそれは見事に与えられた。
「イエス」というのは、ヘブライ語「ヨシュア(イエシュア)」のギリシャ語訳で、「神は救い」という意味だと書いてある。また「主」というのは神聖文でYHWH。この神様の名前は、人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い。イザヤ、エレミヤなどがそうだ。この2つを合わせたヨシュア+ヤ=ヨシヤ(イエス+主)というのはどうか。外人にはジョシュアと呼んでもらおう、と細君ともどもこの名前が気に入る。
さてそれにどんな漢字を充てるか。これは迷わなかった。「ヨシ」は「義」。義の字を分析すると、我の上に羊が乗っている。私の上に常にイエス様がいらっしゃる、という字である。羊(イエス・キリスト)の十字架の犠牲によって、罪ある人間は赦されて義とされた。すなわち人間が義とされるとは、イエス・キリストのゆえに神様の前で正しいとされることである。そして「ヤ」は「哉」。哉には、初めてという意味がある。神ははじめである。また我々の最初の子である。「羊が我の為に命を捨てられたことによって、我は義とされし哉」で「義哉」と名づけた。
聖書の中にこの名前があった。イエス・キリストの系図の中に、ヨシヤという王様がいる。アブラハムから数えて14代目はダビデ、ダビデから数えて14代目がヨシヤ王であり、ヨシヤ王から数えて14代目がイエス様である。このヨシヤは、YHWHは癒すという意味だと書いてある。
ヨシヤ王が出て来る第二列王記22:2には、
彼は【主】の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。
とある。素晴らしい名前をいただいた。
誕生当時の記録を読み返すと、健康で、病気や事故知らずに育ってほしい。そしていつの日か自分でイエス様に出会って、クリスチャンになって欲しい。親として強制はしない。自分で出会うことが大切である、と書いている。それが見事に今夏洗礼に結び付いた。なので、この機会に息子の名前について、23年前に細君と真剣に祈り考えた事を書き残しておくことにした。その後これ以上気に入る名前は思い浮かばない。名前は、神様からのビッグプレゼントであったと感謝している
ヨシュア記
14:7 【主】のしもべモーセがこの地を偵察させるために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。私は自分の心にあるとおりを彼に報告しました。
14:8 私とともに上って行った私の兄弟たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、【主】に従い通しました。
箴言
4:23 何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。
4:25 あなたの目が前方を見つめ、まぶたがまっすぐ前を向くようにせよ。
4:26 あなたの足の道筋に心を向けよ。そうすれば、あなたのすべての道は堅く定まる。
4:27 右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。
最近出エジプト記を読んでいて、はっと思い当った。モーセは、エジプトからカナンの地へひとつの民族を全て導き出した。しかし人々はずっと黙ってついて来たわけではない。エジプトにいた方が良かった。ここには食べるものもない、飲む水もない。エジプトにはそれらがあった、と不平不満を呟いている。人は辛くとも慣れ親しんだ環境の方が良く思えるらしい。それをモーゼに訴え出る。なぜ連れ出したのか。荒野で死なせるために連れ出したのか。と男女を問わず苦情を持って詰め寄ったに違いない。人数からすればものすごい大きな声だ。きっとモーセやアロンにしてみれば、生死が危ぶまれる程の強烈なクレームだったのだろう。
状況は今も昔も事の大小はあれ変わらない。マサイは会社で管理系の仕事をしている。ここにあるような民族全体とまでいかないまでも、会社全体を大げさに言うと運営している。偉そうになってしまったが、日々の仕事に苦労はある。現状には不満が出る、かといって新しく導入しようとするものに対して、社員の大多数がもろ手を挙げて賛成するという事はほとんどない。業務の効率化を考えて、社員のために良かれと思って提案しているつもりなのだが、反対理由はあらゆる方向から出て来る。全員を納得させることは難しい。1人、2人の声の大きな苦情に胃の痛む思いをすることが度々ある。
われわれはエジプトの地で死んでいたら良かった。と憤る民衆に、「そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。民数記14:5」とある。株主よりも、上役よりも、取引先よりも、自分と同じ社員への説明の方が気が重い。何でそこまで今のままでいたいのか理解できない。前に進めばもっと良くなるのに、なぜ改善を受け入れようとしないのか。上下左右前後からの包囲網のように攻められていると感じる時、逆にパワハラで訴えてやろうかと思った事もある。細君が毎日職場での事を祈ってくれているし、幸い役職の定年まであとわずかである。あと1年5カ月で肩の荷を下ろせる。そこまで主が守ってくださるので頑張れる、と自分に言い聞かせて耐えている。マサイの立場にいた前任者2人は、それをせずに会社を早々に辞めて行った。
ヨシュア記
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、【主】があなたとともにおられるのだから。」
モーセとアロンは、神様からの約束を信じて自らの使命を全うした。2人が受けたであろうクレームの強烈さを考えてみると、会社での辛い思いが吹き飛ぶような思いがする。それはそれは大変だったのだろう。神様はそれから守って下さった。この箇所を今この時に神様が与えて下さったのだと思って喜ぶ。神様のなさることは、全て、時にかなって美しい。この聖句とともに励んで行かれるように思えて、気が楽になった。最後まで神様とともに勤めあげたいと考えているし、できると確信している。
ヨシュア記
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
引っ越してから気が抜けている。
この一年、実家を訪問するという予定が毎月数回入っていたり、引っ越しに向けて22年半住んでいた家を片付けないといけないということを常に考えていたり、息子の2度の引っ越しなどに追われた日々を送っていたので、それが全部片付いてしまった今、急に手持無沙汰を感じる時間がある。昨年の今頃は親と同居するつもりでいたので、実家の片付けや、自分の荷物整理など、移転について始終考えていた。何をしていても家の中のあちこちに目が行き、気になることばかり。あれをしないと、これはどうする、と常に頭の中はフル回転だった。それが無くなった。
今落ち着いているかというとそうではなく、最終的には実家にもう一度引っ越すので、仮住まい的な思いがある。それがいつまでになるか分からないので余計落ち着かない。もし実家へ引っ越すということになったら、レイアウトを変更してから移りたいと思っているのだが、今はまだできない。毎日暑いのを言い訳にして実家へ持ち込んだ荷物の整理も先延ばしにしている。何かが心に引っかかったままなのである。とても良い場所に引っ越したのだが、何かをただ待っている状態。早く落ち着きたい気持ちが大きい。
良い場所と書いたが、こちらに引っ越して来て良かったことは、歩いてすぐに行かれる場所に食べ物屋さんやコンビニがあること。新鮮な野菜、肉、魚が近所で手に入ること。ほぼ平地なので走りやすいこと。毎朝座って電車通勤できること。逆に心配なことは、川に囲まれているため、いざこれが決壊した時は何処に逃げるのかということ。駅前には高い建物があるのだが、川を渡らないと行かれない。とにかく近所で一番高い市立病院のビルに逃げ込もう、と細君と打合せている。そこまで約1km。今まで多摩川がそばにあったが、山の上のさらに5階に住んでいたので、全く問題なかったことが心配の種になっている。画眉鳥や鶯の声が聞こえなくなったのも寂しい。
7月に一日介護休暇を取った。年寄りの面倒を見に引っ越したと言いながら今まで細君に任せてばかりだったので、一日それらしいことをしてみた。坐骨神経痛になったという父を車に乗せて、午前中に近所の地区センター、銀行、市役所、郵便局を回り、午後は母を近所のクリニックまで定期検診に連れて行った。骨折だ、腸閉塞だ、肺に影がと騒いでいた問題もなくなったようだ。簡単な問診で薬を出してもらった。それで両親ともに安心している。マサイも負担を感じることなくこの日は終わった。介護したという実感はなく、しいて言えば自分の時間を親のために使った、ということ。下旬日には市役所の担当者が父の支援認定のために実家に面談をしに来た。出勤前にその立ち会いもした。
実家へは1.2km、平日は細君が、週末はマサイが訪問をして食料を届け、様子を見てくる。お互い疲れるので長居はしないが、細君の作ったものを食べるようになって、元気になってきたようだ。特に母が元気になったので安心している。離れていた時は今にも危ない、というようなメールや電話が父から何度も来ていたのだが、急いで移ってくる必要があったのかと考えてしまうほど問題ないように見える。
この月刊マサイでも86才と84才の両親の介護について何回か書いてきたが、しばらくは話題になりそうもない。介護については、両親の為にも「やりすぎず、やらなさすぎず」というスタンスでいるのだが、毎日訪問をしていると、一緒にいてもだんだん話すことがなくなる。何かやってほしいこと、買って来てほしいものがあったら教えてほしいと言ってあるのだが、何も用がないと、ただついているテレビを一緒に見て時間の過ぎるのを待つだけ、ということがある。今は時間を共有するということで良いのか、と考える。
引っ越してきて一日の経つのが早くなった。一週間があっという間に過ぎる。両親にとってはもっと早く過ぎているのかもしれない。移転、移転先、介護について、ずっと祈ってきて今がある。なので、神様が我々二人をこの地へこの時期に遣わされたと考えている。今こうして気が抜けたようでいるもの、何か我々の考えも及ばないことの為、であると思える。それが分かった時、またこの話題について書こうと思う。
ローマ人への手紙
5:1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
出エジプト記
3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」
3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。
ローマ人への手紙
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
10:11 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
「クリスチャンになった時と、妻と結婚した時に次いで人生で三番目に良い日となった」アメリカン・フットボール、ミネソタ・ヴァイキングスのクオーターバック、ケース・キーナムがスーパーボール直前のプレーオフで、終了間際に奇跡のような大逆転劇につながる特大パスを決めた後、インタビューに答えてこう語っていた。実際にはWhen I came my life to Jesus Christ,と言っていたのだが、人生で一番良い日は、クリスチャンになった時だという証しが全米はもとより、こうして全世界へ放送されている。思わず動画に撮って息子に送った。今年初めの頃のことだ。
そんな息子にとって、忘れられない人生で最高の良い日がこの夏やってきた。7月16日月曜日、海の日の祝日、息子が洗礼を受けることになった。22才での洗礼である。親からは洗礼を強制するようなことを言ったことがなく、息子の意思に任せて来た。後はお祈りの中で、主の御心にかなった、息子にとって最適なタイミングで洗礼を受けさせて下さいと毎日お願いをしていた。なので息子から洗礼を受けたい、という連絡をもらった時は、神様の大きな祝福に感謝し、細君と感動を分かち合うと同時に、親として、子育ての役割を卒業出来たような大きな安堵感に満たされた。
今年の1月に聞いたアーサー・ホーランド氏のメッセージが強く息子の心に響いたようだ。礼拝後に祈ってもらい、氏の本も数冊読んで感銘を受け、その後、教会の基礎勉強会に参加するようになった。一緒に住んでいる時は、食事の時に必ず聖句を読み、事あるごとに3人で手をつないで祈ってきたが、祈り手はマサイや細君だった。しかしいよいよ息子自ら、自分の意志で神様に向かって動き始めた。立派に成長してくれてとても嬉しい。
場所は西多摩郡奥多摩町の古里駅から歩いて行かれる多摩川の河原で、昔教会でバイブルキャンプを泊まりがけでやっていた場所だ。この日が洗礼式と決まってから、洗礼式の祝福と、良い天気に恵まれて、川も増水していないようにとお祈りしてきた。それが見事な祈りの答えで、当日は好天になった。この洗礼式に参加してくれた70人以上の人たち、早朝から河原に場所取り、テント設営などの準備をしてくれた教会員の皆さん、感謝します。
この日、6人が洗礼を受ける。内4人はクリスチャン2世以上だ。悩んで救われて来た親の世代と違い、物心がついた時から当たり前のように親と一緒に礼拝に参加してきた世代が、自らの意思で洗礼を受けるという事は実に喜ばしい。最初は証しから。6人いるので短く簡潔に語るようにという指示があった。短くしないもともとの証しはプリントして配られた。息子のものは、言いたい事を簡潔にまとめた、分かりやすい証しになっていた。
ルカの福音書
6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。
現在水泳を通して教育者として働いているが、御言葉で心を満たすことにより、イエス様の御心を話す事が出来、指導を通して伝道する事になる、と考えている。
また社会人として働くにあたり、大切にしていることは、
コロサイ人への手紙
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。
嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、全ては神様の計画に従っての出来事であるのだから、心から主に感謝すべきだと考えている。
息子は4番目、配布されたものを短くまとめたヴァージョンで語り始めた。イエス様からありのままの自分を愛されている事を知った、ということから始まり、「罪への完全なる勝利と永遠の命の確信により、私は人生を明け渡すことが出来ました。私の願う事ではなく、主イエス・キリストの御心がなされますように、私を用いてください」と息子は力強く宣言をした。
以前から息子が証しをするのを聞いたら、涙もろいマサイはきっと泣くに違いないと心配をしていたが、川を背にして立って証しをする息子を見ていると、喜ばしい、また誇らしい気持ちになった。一瞬うるっと来たことは白状する。
続いて水のバプテスマ。マサイは27年前、明大前のあさがお教会でティム・ヒューバー牧師から受けている。親子2代の洗礼をヒューバー牧師にしてもらうことをずっと望んでいた。それが実現する。できれば3代目までお願いしたい。
「あなたの信仰告白のゆえに、イエス・キリストの御名によって、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けます」
マサイと細君も一緒に川の中に入っていたのだが、水から上がって皆に拍手で迎えられた成長した息子の後ろ姿を見て感動に包まれた。この場に一緒にいられた事は実に素晴らしい神様の祝福であった。マサイと細君にとっても、忘れられない人生で最高の良い日となった。
伝道者の書
3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
最近ここに「すべて」と入っている事を実感している。「神のなさることは、時にかなって美しい」ではなく、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」。全てである事をしみじみと思い、神様の素晴らしさに感謝する。
この洗礼式に神様から細君と同時に与えられた聖句は哀歌だった。
哀歌【新共同訳】
3:22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
3:23 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
息子は、喋ることが仕事なのに緊張した、と後で言っていた。教育者として、目先の成績を求めるのではなくて、選手という人間を育てていきたいという。神様、これからも息子をあなたの聖霊で満たして、守り、導き、助けて下さい。宜しくお願いします。
見事なほどの祈りの答えだった。引っ越しの日は良い天気に恵まれて、問題なく移転できるようにしてください、とお祈りしてきたが、土日曜日と引越しのために休んだ月火曜日は見事な晴天になった。木曜日の夜にご近所へ挨拶回りをし、引越し前日の金曜日、細君は朝から最後の片付け。夕方早く帰ってきたマサイが合流しても片付く目途が立たない。1年計画で準備をしてきたが、本当に明日引っ越すのだろうかと疑いたくなるほどで、二人とも途方に暮れてしまった。それでも何とか寝るまでには全部段ボールに詰めた。
22年半ここに帰ってきた。建物が坂の上にあるので、どこへ行くにも坂がついてくる。さらに下の号棟から上の号棟へほぼ2階分の階段を上り、そこから5階まで、エレベーターがないので、合計7階相当の階段を毎日上り下りした。慣れだろうが、それを苦にしたことはない。息子が3ヵ月半の時にここに引っ越してきた。ここでの生活は子育て時代と言ってよい。息子が建物の周りのどこで遊んでいるかは、5階にいても子どもたちのにぎやかな声が聞こえて来るので分かった。それで安心していられた。通学して行く姿をずっとベランダから見送った。幼稚園から大学までの入学式や成人式に出かける前に駐車場にある桜の木の前で記念写真を撮った。思い出はあちこちに限りなくある。
翌土曜日引越し当日は、眉美(ガビ)鳥が朝早くからにぎやかにお喋りをしている。ここは鶯や眉美鳥の声がよく聞こえ、心を和ませてくれた。9時前から引っ越し業社の3人が荷物を手際よく運び出して行く。どんどん部屋が広くなる。荷物がなくなると声が良く響く。11時過ぎて出発。荷物を積んだ2トントラックの先を走っていたつもりだが、首都高速の渋滞でいつの間にか真後ろを走っていた。13時半過ぎて越谷市の新居着。今度は2階なので、荷物を運び上げるにも負荷が少ない。掃除をしに来た時には広かった部屋がどんどん段ボールで埋まっていく。まだ来るの、というほどで積み上がってまた途方に暮れた。
寝る場所だけは何とか確保しないと、と細君を励ましながら、開梱作業を始める。暗くなる前に、一旦休憩して実家に顔を出す。車で行けば5分とかからない。我々が近くに引っ越して来て、父の表情が柔らかくなっている。元気になったのかとも思える。外で会った近所の方に、息子夫婦が近くに引っ越して来てくれたと、嬉しそうに話している。実家は30年前、当時新規造成地で8戸同時に建ったのだが、当時マサイくらいの年齢だった世帯主たちは、今や皆80才をとうに過ぎていて、久しぶりに顔を合わせると驚くほど年を取っている。その子どもたちの世代がこの場所を離れているため、この一角は老齢化している。お子さんがまだ結婚していなかったり、離れて暮らしていたりする人が多いので、父親はうらやましがられて嬉しそうにしている。
近所に越して来たので、一回の訪問を長時間にせず、お互い疲れない程度にして、毎日顔を出すことにしよう、と細君と話す。目安は、30分から長くて1時間。それを越すと親の方が疲れてくるようだ。やりすぎず、やらなさすぎずという微妙な距離感について、自分の頭で悩んでいても分からない事を、具体的に神様が導いて下さる。自分の計画ではなく、神様のご計画に従う。夕食後も夜遅くに寝るまで片付けは続く。
翌日は今まで住んでいた部屋の鍵渡しと最後の廃品回収があるので、朝早く川崎に戻る。まだ自分の家という思いはあるが、何もなくなった部屋に声が良く響く。ここを初めて見に来た時はとても広くて嬉しく思ったものだ。ここもリフォームされて別の人が住むようになるのかと思うと、だんだん感傷的になって来た。酷暑の中、段ボールが山積になっている家に戻る。もうこちらが自宅になった。同じ階段を使う人に挨拶をしてみると、皆良い人たちで安心する。
月曜日は市役所へ転居の手続き。印鑑証明やらマイナンバーの住所変更やらを済ませて、駅で通勤定期券を買い、警察で免許の住所変更をする。毎日外食だし、慣れない環境だし、という日々は、旅行先のホテルに泊まっているようだ、と細君と話す。火曜日も一日片づけ。何とか部屋の中を歩けるようになってきた。実家へ夕方顔を出すと、嬉しそうに二人揃って迎えてくれる。水曜日、新居からの初出勤。細君は買ったばかりの自転車で実家へ料理を持って行ってくれた。短い訪問でも親は喜んでいたし、近所の爺様たちとも立ち話をしてきたという。神様に従っていれば祝福がある、と確信しているので、この新しい地での祝福は素直に嬉しい。いつかもう一回この実家への引っ越しがあるのだが、元気なうちにここまで来られて良かった。前々回も書いたがいよいよ人生の第三章が始まった、という気持ち。そんな水曜日に息子の洗礼式の日が決まったという連絡が来る。神様の祝福は限りなくあふれている。ハレルヤ!息子の洗礼式にいついては、来月号で。
伝道者の書
7:13 神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできるだろうか。
7:14 順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。
使途の働き
20:35 このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
最近の息子との聖句の分かち合いから。
コリント人への手紙第二
12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
実家に帰ると両親がソファに並んで腰を掛けている。何を話しているでもなく、並んでテレビを見ているとか、縁側に並んで座って庭を見ているとかする姿を最近よく見かける。仲良く並んでいる図を見るのはほほえましい限りだが、2人が並んでいるのを見るのはこの年まであまりなかったように思う。お互いに介護をして寄り添っているということなのだろうか。仲良く過ごしていてくれるのは有難い。
母は最近いつも「お?」というような表情をしている。息子が来ているのは見て分かるのだろうが、普通の会話は聞こえていないかもしれない。今月の訪問では、皆の会話に時折うなずきはするが、帰るまで母の声を聞かなかったような気がする。4月に腸閉塞で入院していたのだが、退院する時に、栄養のある食事をよく噛んでゆっくり食べるように、という医師の指示があった。早速細君が宅配の総菜を探して注文してくれた。最初は喜んで食べてくれたのだが、もう飽きてしまったらしい。父が毎回食べろ、食べろとあまりうるさく言うからか、ある日気付くとゴミ箱に捨ててあったという。母は好き嫌いがある。昔はトマトと豆腐が嫌いだったという記憶があるが、うどんとパンも食べないらしい。服の中の体が細くなったように思える。ひと月に1度顔を合わせてきたが、老いの進行が目で見える。
いよいよ今月末が引越しの日となった。実家の近所に借りた部屋の掃除は順調に済んだ。全ての荷物は入りきらないので、実家へ持ち込む荷物も多い。その分は引っ越し業者を頼まないで自分達でやっている。今住んでいるところはエレベーターがないので、5階から段ボールを階段で一つひとつおろし、車に積んで実家の2階へ運び入れる。そんなことを昨年の9月から何度もしている。まず息子の寮からの引っ越し、次に社員寮への引っ越し、実家への我々の荷物運び入れ、と段ボールを持って何度階段を上ったり下りたりしたことだろう。これも筋トレだと思ってやって来たが、さすがに疲れがたまってきた。ゆっくり休みたいが、常に引越しのことを考えているので頭も体も休まらない。
まだ何でもできるつもりでいるが、昔のマサイなら言わなかった、休もうか、と言うようになった。疲れがたまってきて、体が悲鳴を上げているのが分かる。休憩が必要だと体が訴えている。結婚した当時、細君とデートをしていて、細君が疲れたと言った時に、マサイが自販機で嬉しそうに飲み物を買って来てくれた、と細君は今でも言う。細君としては、喫茶店でゆっくり休みたかったらしいのだが、当時のマサイは休まない。休むより早く終わらせることをいつも考えて常に前に進んでいた。細君はしょうがないとあきらめたと聞く。そのマサイから休もうと言うようになった。今回、老いた両親の介護のために引っ越すのだが、我々にも老いは忍び寄ってきているらしい。昔持っていた58才というイメージは老人の域だった。しかし自分がその年になってみると、そのイメージとは程遠い。まだまだやりたいことはたくさんあるし、出来るつもりでいる。そんな気持ちでいるから、無理をするな、と神様が休憩することを教えてくれたように思える。
23年分の荷物の整理も、気持ちの整理もできて、引っ越し先での生活を楽しみに考えられるようになった。今はまだ親の家から離れているので楽しみと言っていられるが、引っ越した後は我々の生活に両親の生活が加わる。どうなるか想像できないが、両親の介護をどうやったらよいか、どう付き合っていったらよいかは、神様に委ねている。全ては神様のご計画のままに。
こちらも最近の息子との聖句の分かち合いから。
ガラテヤ人への手紙
6:9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
人生の第3章という事をよく考える。第1章は独身時代、第2章は結婚して子育てをしていた時代、そして第3章は老いとどう付き合っていくのかという時代。これは自分たちの老いもあるが、老いて行く両親の介護という面も持っている。入社した頃は定年が満57歳だった。それはもう既に過ぎてしまった。それが60才になった。それもあと2年弱だ。余生ということを考え始める年齢でもあるようだ。社会人としての生活を全うした後は、その時間を神様のために使おうと楽しみにしていたのだが、最近は65歳過ぎまで会社で働ける環境になっている。年金の受給開始年齢など先行きが見通せないが、いつかは必ずそういう時間が持てるようになる事を期待している。
その第3章が始まる。既に書いて来たが、両親の介護のために、実家の近所に家を借りて引っ越す予定である。5月の連休で引越し先を決めようと話して、良い物件が与えられるように祈り続けていた。細君が毎日WEBで賃貸情報をチェックしてくれている。そんな折、母の入院先の病院で医師の説明があるから来てほしいと父に言われ、4月14日に細君と出かける。何を言われるのかと心配して行ったが、いつでも退院してかまわないというという話で、食事は良く噛んで食べるように、再発した時に見極め方等、退院後の食生活についての注意を受けた。どうせ行くならチェックしておいた物件を見学させてもらおうと、前日に不動産屋へ連絡すると、見せてくれるという。入居希望の部屋は未だ人が住んでいるので、同じ建物の1階の部屋を見せてもらう事にした。偶然30年前に実家を建てた住宅会社の不動産部門だった。父親をバス停で見送って、細君と歩いて待ち合わせの場所へ。
とても静かな住宅地で、部屋数こそ今より少なくなるが、専用の収納スペースが大きくとってあり、細君ともども気に入る。実家まで1キロ強。十分歩ける距離だ。しばらくはここから介護のために通う。この地域で人生の第3章を始めるのかと思うと感慨深い。実家は川の向こうなのだが、実家の周りとは雰囲気が違う。公共の用が足せる建物が近く、買い物に利用できるお店も多い。駅まで歩いて15分。バスも利用できる。
祈って与えられた物件なら神様が祝福して下さるだろうと思っていると、内覧から契約までするすると進んだ。細君は移転先について、もしここが御心なら、ここだという確信と平安が与えられるように、御心でないなら、不安と迷いが起こされるように、祈っていたという。引っ越し業者も選んで、各所へ早いくらいだが、と連絡をする。やってみると片付けの他にもやることが多く、決して動き出すのに早すぎたという事はなかった。連休には23年以上ため込んだ物を整理して行く。いつか使うだろうと思っていたものが使わないまま取ってある。その山を前にして、途方に暮れた時間もあった。それも今は何とか片付き始めている。
移転する事についての不安はだんだん消えて来たが、介護についての不安はなくならない。4月末に実家を訪問した時には、母親は元気そうに見えた。退院したばかりの母の具合について聞くと、いつものことながら、父は自分のことを話しだす。神経で胃がただれて赤くなっている、という。今にも倒れそうな顔をしている。神様を知らないとこんなにまで平安がないのかといつも思う。子ども(マサイ)をどういうつもりでミッション系の学校に入れたのか、ついに聞けずにいるのだが、これは聞いておくべきだったと思う。こちらが聞いている事に対して、別な答えが返ってくるので、会話はかみ合わない。しかしこれはいつもの事だが、食事をさせて帰る頃には全く違った元気な顔になって、見送ってくれる。
介護については、お互いにストレスにならないように、どうやったら良いのか、どこまでやったら良いのかを教え導いてくれるように神様に祈っている。細君は、「介護についての思いは、二人を敬うという事。自分の力ではなく、神様の力で愛するという事を大切にしようと思っています。関係の距離感が難しいので、やり過ぎず,やらなさすぎずの距離感を、一つ一つ、神様に聞きながら行おうと思っています。頼まれた事を喜んでできるように」と言ってくれた。
マサイも細君もこの第2章を過ごした川崎市が人生の中で一番長く住んでいる地である。その地を離れるのは容易ではない。細君は仲間が送別会を開いてくれるという。しかし神様は常に最適な場所を与えて祝福して下さる、全てのものには必ず何か神様のご計画がある。神様、宜しくお願いします。
ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
コロサイ人への手紙
2:6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。
2:7 キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
3月はあっという間に駆け抜けていった。早目に咲いた桜を観賞する余裕もない。新年度から社会人になる息子の配属先が横浜に決まって、近くの寮に引っ越すことになった。いよいよ親元から本格的な独立になる。大学の寮から持ち帰ったものを再び運び出すことにし、足りないものは新たに買いたす。そんなことで2月末から忙しい。今年は引越しトラックの手配がつかない引越し難民が多いと聞く。細君が早めにトラックを押さえておいてくれたので、心配なく準備が出来た。神様感謝します。
土曜日の引越し当日は息子を先発させ、親は荷を送り出してから電車で追いかける。その荷持を運び入れている間に、買った荷物がどんどん届いて大変なことになった。その夜息子は水泳部の4年生を送り出す最後の飲み会で新宿へ。日曜日は午後から片付けて何とか快適な空間が出来上がった。3人で手をつないで、新生活について神様に感謝のお祈りをする。
息子は、月曜日午前中に区役所や警察で転入の手続きをして、住所、本籍地ともに独立という事になった。その月曜日の夕方から入社式の予行練習のため新宿へ。その日は会社がとっておいてくれたホテルに前泊し、火曜日は新宿で入社式。新年度からかと思っていたら、随分早い入社式だ。卒業式と同じ日になった為に午後からみなとみらいであった卒業式には出られない。午後は多摩センターで施設の見学、終わって駅まで急ぎ、桜木町での卒業式後のパーティー会場へ駆けつける。2次会は横浜、3次会は渋谷へ。実に縦横無尽に動き回る一日。渋谷なら実家の方が近いので、夜中に我が家へ帰ってくるのかと思ったら、朝、横浜の自分の部屋へ帰って行った。
無事社会人のスタートが切れた。ここまで成長させて下さった神様に感謝します。これからもよろしくお願いします。教会から少し遠いのが心配だったが、牧師が近所の教会を紹介してくれた。日曜日に無理なく行かれる距離だ。信仰の環境も整えられそうで安心する。
日曜日は息子も合流して3人揃って細君の両親の属していた久里浜の教会の礼拝に出席する。棕櫚の日曜日の礼拝だった。午後は墓前礼拝で三浦にあるお墓へ。ここには細君の両親のお骨が収められている。良い天気に恵まれて、神の家族という事を強く感じることが出来た。
やっと落ち着いて細君と二人きりになると、やはり寂しい。昨年の9月半ばまでは2人で生活していたので半年ぶりに元に戻っただけなのだが、我が家にぽっかりと大きな空間が開いたような寂しさがある。マサイがこれから埼玉へ越してしまうと、息子は気軽に帰って来られないし、2度と一緒に暮らすことはなくなる。これが気分的に一番こたえているのかもしれない。この半年間、一緒にデニムやアメカジの話をし、NFLのゲームを観戦し、卒業旅行の相談に乗り、と幸せな毎日を送っていたので、特に感傷的になっている。桜を愛でる気にもならないのはこのせいらしい。
この半年間、息子は信仰的に急成長した。祈りの力を信じ、職場や社会の中で、自分を通して神様を光り輝かせる存在となることに強い興味を抱いている。神様、その通りになるように導いて下さい。あらゆるサタンの攻撃や誘惑からお守り下さい。細君とマサイは、息子を信用している。神様を悲しませるようなことはしない、と信じている。そういうふうに子育てをしてきたつもりであるし、神様にもそう祈って来た。これからも祈り続けるし、神様が息子と一緒にいて下さるから安心、と思って感傷的な気分を乗り越えて行こうと思う。
月末、マサイは58才になった。早速朝、細君からバースデーカードをもらう。息子からもお祝いラインが入った。何よりも嬉しい。この家族を与えて下さった神様に感謝。これからも家族3人を守り導いてください。宜しくお願いします。
エペソ人への手紙
3:14 こういうわけで、私は膝をかがめて、
3:15 天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。
3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
親とは同居はしないことになった。近くに住むところを借りて住み、通い介護をすることに変わった。
2月号で、マサイが親と同居することについて、マサイが考えているイメージをまとめ、出来ることと出来ないこと、最低限これだけはしてほしい(してほしくない)という我々の希望について文章にして渡してきた、と書いた。1ヶ月間返事はなく、2月の上旬に訪問した時にそれについての話し合いになった。マサイは同居、介護について毎日祈ってきた。細君も我が両親のために毎日祈ってくれる。この朝も祈ってから話し合いに臨んだ。
マサイの実家はマサイが28才の時に新築して引っ越している。マサイはそこに4年弱しか住んでいないので、26年間は親が2人きりで住んでいたことになる。親にとっても自分達の人生の中で一番長期間住んだ家という事になる。そこに2人増えるということは、簡単なことではない。母は1階に、父は2階に寝ていたが、2階を我々のためにあける事を最初は了解してくれていた。しかし実際に動き出してみると、父はたくさんある荷物を前に呆然とし、母が一緒に片付けられないので負担が自分一人にかかってきたので、考えが少し変わって来たらしい。
父親の話の中で何度も出てきたのが、自分は一家の主人であるという表現。台所は女の城であり、その城主(主婦)は母であるという表現。同居イコール代替わりというつもりはないらしい。この考えを確認できただけでも大きい。
そこでいわゆるスープが冷めない距離にマサイと細君が引っ越して朝夕顔を出すことを提案してみた。そうすれば我々を受け入れるために、片づけをしなくても済むし、今のまま何も変わらずに過ごせばよいことになる。近所にある集合住宅を父親に見せて、こういう近所に住むという状況ならどうだと聞いてみると、悪くなさそうな返事をしていた。
しかし翌朝メールが来て、近所に住む話はなしにしてくれという。同居を望むという内容なので、この件について神様に祈り、解決を求めてから以下の内容を書き、メールで送った。
「2/11はゆっくり良い話し合いができたと思っています。ああいう時間を持つことは大切です。もっと早く持っておくべきだったのかもしれません。
何度も出た「一家の主人が」、ということはよく分かりました。父が一家の主人であり、台所は母の女の城だということ、その通りです。その考えは尊重します。その主人が自分を犠牲にして下に降りるということ、降りる先が監獄のような部屋であること、これも良く分かりました。ひと月考えた上での発言でしょうから、監獄と言ったのを途中から撤回する必要はありません。監獄へは行ったことがないので、どういうことを意味して言っているのか正確には分かりません。ただ移動先としては大変不愉快である、ということは伝わってきました。一家の主人に不愉快な思いをさせたくはありませんので、今まで通り過ごしてください。それが一番だと思います。
いわゆるスープの冷めない距離で物件を探してみました。車で移動する距離ですが、たくさんありました。今と同じ3LDKを借りると家賃が高くなるので、2DKを探しいています。あふれた荷物を2階の冷蔵庫のある部屋と、本棚のある部屋に置かせてください。アルバムや本が一番場所をとるので、収納できるラックごと持って行きます。その他は楽器などですからその2部屋で十分収まる量です。その2部屋がいっぱいになることはありません。
移動したもの、片付けのために我々が押し入れからどんどん出してしまったと言われたものは、3月に行った時に、できるだけ元に戻しておきます。不信感が残るといけないので、今後はマサイのもの以外は家の外に持ち出すこともしません。
引っ越した後の日常は、朝マサイが会社へ出かけた後、細君が顔を出して朝食の支度をし(それ程食べられないのなら、おにぎりを握っておくとかします)、夕方にはおかずを届けます。台所はレイアウトを変えると料理をする父が使いにくくなると聞きましたので、レイアウトを変えることもしません。作って鍋ごと持って置いてくるなど工夫します。ただ食材や調味料を買うには費用がかかります。その都度レシートで精算も大変なので、例えば月にいくらか決まった額をください。その中でやりくりします。生協ではコメやパン、牛乳、自分達が食べたいおやつのようなものを好きに頼んでください。
週末はマサイも顔を出しますので、雑事がある場合はこの時にやります。言ってください。緊急の場合は近くにいますので、すぐに行かれます。母が一人残ることを心配しているようなので言っておきますが、もし父が倒れて入院ということになったら、母が一人になるようなことはしません。どちらかがすぐに泊まり込みに行きます。
仲良く暮らしていきましょうということには、全面的に賛成です。こちらも全く同意見です。宜しくお願いします。」
以上のものは、1月に置いて来た文書に対して、話し合いで出た父の意見を出来るだけ尊重し、祈って書き送ったつもりなのだが、訪問時での父とのやり取りを考えると、これでも簡単には済まないだろうと想像できた。朝このメールを送ってしばらく返事がないので、それでも同居にこだわると言われたらどうしようかと思っていたら、夕方以下のメールが来た。
「疲れて携帯をバックに入れたまま、いま読みました。 ほっとして疲れが消えました。ありがとう。母に長文を聴かせました。~良かったね~の一言。私は全力で守ってやります。ありがとう」
直撃寸前の大型台風に備えて用心していたら、直前でそれが雲散霧消してしまって台風一過の晴天が広がっている、というような力の抜けた印象だった。神様の力が働いたとしか考えられない。感謝します。肩の荷が下りたというか、あれこれ考えなければいけないと心配していたことが一挙に減った思い。導かれた通い介護というアイデアも、これで問題なくうまくやって行かれるように思えてきた。介護については、引き続き祈って神様の導きに従って行こう。神様感謝します。
エペソ人への手紙
3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
3:21 教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
ローマ人への手紙
8:27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、【主】が人の歩みを確かにされる。
19:21 人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。
マサイは高校大学時代の友達と毎年末に会合を行っている。一年間に読んだ本や見た映画、聴いた音楽をまとめたものを交換し合う行事で、もう35年も続いている。昨年末もいつもと同じように元気に顔をそろえた。
雑談をしてから始めるのだが、定年が見えてきた年齢の悩みごとはだいたい同じである。一人は昨年夏、実家に戻って母親と同居を始めた。一人は実家に母親が一人でいるが、スープの冷めない距離に住んでいるのでいつでも飛んで行かれる。マサイも同居計画があるので、いろいろ聞いてみる。一番聞きたかったのは、どうやって同居しているのか、毎日の食事の事、光熱費や日用品の支払いの事、介護の内容。
作夏同居を開始したのは、実家をリフォームしてから引っ越しているので、からの空間に荷物を移した。それまで都内に購入したマンションに住んでいたのだが、それは貸すことを考えているという。からの空間に移ったというのはうらやましい。マサイの場合は二親ともいるので、その荷物を片づけて、我々の移る空間を作ることに大変な思いをしている。何より母親が持っている衣料品の多さに驚く。服も靴もいつこんなに買っていたのか誰も知らない。その母親は物忘れの症状が出て来ているので、片付けてもらうわけにはいかない。父もどうしてよいか分からない。勝手に捨てるわけにもいかず、片付けは難航している。
日常のお金の精算はどうしているのか。通帳を預かるべきかどうか。皆お金についてはいろいろな逸話を持っている。オレオレ詐欺はみな体験しているようで、親が騙されかけたという。年代的にそうなのか、マサイの親は銀行のキャッシュカードを持っていない。銀行の店舗が開いている時間に行かないとお金の出し入れはできない。代わりに行ってあげるからキャッシュカードを作るように説得して、銀行に問い合わせたら、既に発行済みだと言われる。どこかにあるのだ。父は以前コンビニで買い物をしている時に、財布をカウンターに置き、気付いて戻った時には、既になかったという。心配の種は尽きない。光熱費はレシートで分けて後で精算するのも一つの方法だが、食費はどうする、科目で分けた方が良いのか。食事は毎回作るのか。マサイが帰る時間は遅いので、時間を合わせて一緒に食べるのか。二度に分けると細君の負担が大きくなる。
マサイはずっと家の中に年寄りがいない環境で過ごしてきた。祖父母の介護はどうしていたかを思い出してみる。マサイは直接自分の父親がどう面倒を見て来たかは知らない。基本的に双方ともに長男がずっと同居していた(マサイの父は次男である)。介護が必要になって、兄弟やその奥さんが交代で通う日があったが、免許も持っていないので、病院へ車で送迎するという事もなかったように思う。
昨年同居を持ちかけて後、実家に帰るたびに片付けをしているのだが、だんだん気が重くなってきた。我々が触るわけにはいかないところについて、父親はぼちぼちやっておくというのだが、次に行っても何も変わっていない。無理矢理に動かして整理をすると、その配置が気に入ったというメールが後で来たりする。ぼやきや泣き言は絶えずあるが、それを聞いていろいろ調べて良かれと思って我々がしてあげることは受け入れない。何だかんだと言い訳をする。何かをしてほしいのではなく、ただ聞いていれば良いらしい。
1月の片づけではあまりの物の多さに細君は途方に暮れ、精神的に混乱させてしまった。悪いことをした。片付け優先で親とゆっくり話している暇もなかったので、同居についてマサイが考えているイメージをまとめ、日常出入りする生活費の話、出来ることと出来ないこと、最低限これだけはしてほしい(してほしくない)という我々の希望について文章にして渡してきた。お互いの同居という言葉の持つイメージがかけ離れていると、こうしてくれると思っていたのに、と相手に求める希望が大きくなり、一緒になった後で嫌な思いをする。考えうる限りのことをまとめたのだが、これについての話し合いは2月以降のつもりでいるらしい。
聖書にある通り、親を敬うことは当然のことだと思っているが、なかなか先が見えて来ないというのが正直なところである。自分でも親のしてきたことを見て来ていないだけに想像もつかない。想像がつかないので悩むことが多い。だから同居については毎日祈り続けている。これが良い証しと伝道になりますように、神様、知恵を与えて下さい、神様のご計画を示して下さい、最適な道へ導いて下さい。お互いが楽しく過ごせますように、この機会を祝福して下さい。宜しくお願いします。
エペソ人への手紙
1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
1:19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
3:15 天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。
3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
モロッコへ旅行に行ったことについては先月号に書いた。楽しい旅行だったのだが、一つ後を引く問題ができた。
行き飛行機の中では、せっかく仕事から離れたので液晶画面類から解放されて目を休めたいと思って、座席の前についているテレビも見ず、本も読まずにひたすら寝ていた。あまり動かなかったらしい。細君によると、あんまり動かないで寝ているので、心配になって鼻の前に手を持って行って、息をしているかどうか何度も確かめたという。機内では靴を脱いでスリッパで過ごしていたのだが、動かなかったのが悪かったのか、左ふくらはぎの真ん中からやや下の部分に痛みが生じて、気になって眠れなくなった。マッサージをしたり、トイレに立った時にストレッチをしたりしたのだが、症状は変わらず、患部を押すと痛い。
現地に着いてからは気にならなくなった。歩くのに支障はないので、観光に夢中になっているうちにそのことを忘れてしまった。しかし帰りの飛行機でまた痛み出した。すわ、エコノミークラス症候群か、と細君が心配している。血栓ができて、それが肺動脈に流れ込み、血管を塞いでしまうと呼吸困難を起こす、ということになったら大変だ。心配しだすときりがない。こういう時には、まず神様に祈る。祈れば安心できる。痛みを気にしないようにして、祈り続けていた。
帰国後すぐに細君が総合病院に予約を取ってくれた。血管外科と、何やらものものしい。診てもらうと、エコノミークラス症候群は左足になりやすいが、その場合は足がパンパンに腫れるという。血管は本来逆流しないように弁が働いているのだが、その弁に異常があって血液が逆流したことによって静脈瘤ができたのだという。元から左足には気持ちの悪い血管の凸凹があったのだが、そこが詰まっているために、今回はその下の部分に同じようなものができてしまったらしい。深部静脈でなく小伏在静脈なので、固まった血液が移動することはほぼほぼない、と聞いて安心する。
翌週エコーを撮る。画面を見ると、血液が逆流しているのが分かる。右足は問題ないという。今後出来ないようにするために、詰まった血管上部をレーザーで焼き、今回新たにできた部分から固まっている血液を抜く、という手術をすることになった。1泊2日でできるというので、12月の頭にやってもらうことにした。
細君に病院まで送ってもらい、受付から病室に行って、点滴の針が腕に入った後、すぐに手術室へ。最新機器が並んでいる部屋で、担当医と看護婦さんの2人でやってくれた。患部に部分麻酔をしてうつぶせになっているので、意識はしっかりしているが何をやっているか分からない。リラックスさせるためか、3人で和やかに話しながら手術は進んでいく。途中痛みはないが、力いっぱい何かを引っ張っているのが分かる。
病室を出てから戻るまで1時間15分かかっている。思ったより長い手術だった。しかし麻酔が切れた後も痛みはなく、午後からはずっと病室で横になって本を読んでいた。病人という気がしない。ずっと祈っていてくれた細君は、マサイの普段通りの姿を見て安心していた。
翌朝には退院。圧力ストッキングを1週間着用、痛み止めを4日間服用、という指示だけ。あとは歩いてかまわないという。一カ月後に検診をすることになった。ふくらはぎなので、電車の中で後ろから患部を蹴られたり、鞄をぶつけられたりしないように、扉に背中をつけるようにして身を守っていた。縫ったわけではないので傷口が開く心配はないのだが、用心しながらゆっくり歩いていると、都会のスピードについていかれない。右から左からの人の移動がこんなに速かったのかと驚く。とてもかわしていられない。しばらくは怖い思いをした。
様子を見て走ってもかまわないと言われたが、用心して2週間走らずにいた。その後走ってみたが問題ない。手術をすると足がつりにくくなる、と言われていたので却って安心して走れている。
この時期読んでいた聖書の箇所が、実に力強かった。
イザヤ書
44:6 イスラエルの王である【主】、これを贖う方、万軍の【主】はこう言われる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。
44:7 わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べ立ててみよ。彼らに未来のこと、来たるべきことを告げさせてみよ。
44:8 おののくな。恐れるな。わたしが、以前からあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があるか。ほかに岩はない。わたしは知らない。
46:3 ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
46:9 遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
自分が祈り、求めている方のあまりの偉大さ、計り知れない大きさを改めて知るような思いで読んでいた。同時にこの上ない安心感を持てた。主は素晴らしい。痛みの発生からあっという間に解決してくださった癒し主なる神様に感謝。
細君とモロッコへ行って来た。正式にはモロッコ王国。民主社会立憲君主国である。エジプト、ケニヤに次いで3度目のアフリカ大陸旅行。勤続30周年でもらった有給休暇7日間を使って12年ぶりの海外旅行である。ツアーコンダクターであった細君はたいがいの国は仕事で行ったことがあるので、細君が行ったことがない国を選んだ。
イスタンブールまで12時間40分。乗り換えてカサブランカまで4時間5分。到着後は、時計回りに国内を一周した。青い街、迷宮のような中世そのままの古都、アトラス山脈、サハラ砂漠、活気あふれた巨大なスーク、などこの国はいろいろな面があって実に面白い。マラケシュでは、11月だというのに気温は30℃近くになった。世界遺産を4つ訪ねた。異文化に身を置くと、珍しくて興味深いことばかりだ。移動中インフラ整備をあちこちで行っているのを見た。この国はこれから急速に発展して行くのだろう。
一番感動したのがサハラ砂漠。マサイは昔から何もない世界に感動する。神様が作ったままの自然には圧倒されるほどの力がある。真っ暗なうちに4WDでホテルから60km離れたメルズーガへ。まだ夜が明けていない、眠っている街を走るのは、異次元の世界へ向かうような印象がある。真っ暗な道をひた走り、標識もないところで道路から左へそれて未舗装の道なき道を行く。やがてサハラ砂漠の砂丘が見えて来た。ここがその西の端。北へ向かうとアルジェリアだ。キャラバン隊の基地のようなところに着いた。闇の中で駱駝が待っている。
まだ星がきれいに見える。スークで買ったターバンを頭に巻いて、ひとこぶ駱駝に乗る。砂漠の民、ベルベル人が先導してくれた。5騎縦に連なって曳かれて行く。駱駝初騎乗の細君は気に入ったようで、ずっと乗っていたいという。暗い中、足を引きずるように歩く駱駝で砂丘を上がる。「月の砂漠を、はるばると、旅の駱駝が行きました~」という歌詞通りの情景であった。
ある程度まで行ってからは、小丘を徒歩で登る。砂浜より足をとられる。茶色い砂を手に取ると、とても細かくさらさらしていて、冷たい。驚いたことに、一帯音がしない。静寂があたりを支配している。鳥の泣き声すら聞こえない。砂漠が音を吸い込んでいる。音が切り取られてしまった、という不思議な印象。これには驚いた。人の手が加えられていない創世記の時代そのままの風景が目前に広がっている。日の出前の砂漠の空気は清澄で、神聖な気持ちになれた。
徐々に周りが明るくなってくる。遠くの砂丘がシルエットになり、その向こうから太陽が昇り始めた。天気も良く、見事な日の出だった。神様が創られた自然には人を感動させる力があると実感できた。帰りも駱駝に乗ったが、今度は日の出が作り出す我々の影が砂漠に映し出されて、一緒に移動して行くのを楽しめた。
マタイの福音書
2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
砂漠で聖書の東方の三博士を思い出した。博士たち一行が砂漠で駱駝の手綱をひいたキャラバン隊のように描かれた絵を良く見る。当時こんな感じで東方の三博士は駱駝に揺られながら星を追って来たのかな、と勝手に考えていた。
彼らは待ち望んでいた方の誕生を知らされた。そしてその方に会いに、星に導かれるままにやってきた。その方とは、初めにあった方であり、神とともにあり、神であった方、初めに神とともにおられ、すべてのものは、この方によって造られ、造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない、その方にいのちがあり、このいのちは人の光であった、という方。その方が人となってこの世に誕生した。
その誕生を知らされたのである。東方の三博士は興奮して急いで星を追ったのだろう。駱駝に揺られながら、ここでこのまま星に導かれて生まれたばかりのイエス様に会いに行けるような気がした。とにかく砂漠は見渡す限り何にもないので、あの時代と同じ風景を見ていると考えても間違いではないように思える。三博士になったつもりで、明るくなってきた360度の地平線を見渡しながら感動に包まれていた。
ルカの福音書
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
大学4年生の夏の大会が終わり、9月末、水泳部を引退した息子が寮から戻って来る。入寮時は車に積めるだけ積んで一回で運び入れたが、向こうで買いそろえたものがあるので退寮となるとそうはいかない。元は3人で暮らしていた我が家も、3年半細君と2人で少し広々と生活をして来たので、アパート暮らしで増えたモノが全て移って来るとなると大ごとだ。
息子は4月からの社会人になるので、配属先によってはまた独立することになる。この近所に配属になったとしても、以前も書いたように、来年6月、マサイと細君は親の介護のために今の場所から実家へ移動する予定なので、親子3人で暮らせるのもあと半年ということになる。
この夏細君は息子を迎えるために家中の整理をした。随分捨てた。捨てないことには始まらない。大切にしまいこんでいるものならまだいいが、あることすら気付かなかったものがたくさん出てきた。普段使いには良いもの過ぎるので、20年以上仕舞いっぱなしになっていたものだ。それでも使えるものを捨てるのは忍びない。この点息子はあっさりしている。記念や思い出としてとっておくという事は考えない。息子がいらないと言っているのに、マサイがとっておいた教科書類がある。これもマサイが老後楽しみに勉強したいからと捨てられずにいる。老後とはいったいつかという疑問もあるが、どうしても捨てられない。
父親が検査入院をするので留守番をしに実家に泊まりがけで行った時に、こちらも来年の6月に向けて整理を始めた。押し入れの中のものを全て出してみると山になった。自分の判断で捨てられそうなものを選別してみる。息子の中学の頃のプリントを捨てたばかりだというのに、マサイの中学の頃のプリントが出てきた。随分変色している。高校の時の聖書の教科書も出てきた。大学1年の時に履修した基督教概説のレポートが出てきた。「レポートとしては無難」という評が教授の赤字で書かれていた。まだ簡単な知識としての聖書という程度の理解しかしていない時代のもので、実に生意気なことが書いてある。細君に見せてから捨てる山に種分けしたのだが、約40年後に懐かしいと思うためだけにとっておいたことになる。見返して懐かしいと思うのは一瞬で、その上そう思うのは自分だけだ。捨てても何の問題もない。小学校の時のボーイスカウトグッズが紙袋一つにまとまっている。制服などどうしようもない。手旗信号用の赤白の旗や飯盒など一瞬とっておこうかとも考えたが、誰が受け継ぐものでもないので、細君や息子にとっては全て不要なごみでしかない。写真のネガやアルバムが特にそうである。何枚か電子保存をして後は捨ててしまおうと思う。
実家のマサイの部屋は6畳間の長辺いっぱい床から天井までが作りつけの本棚になっている。そこに今まで読んできた本が詰まっていて、マサイの頭の中ともいえる。9月に息子を実家に連れて行った時、マサイの本棚を興味深そうに見ていた。そこからマンデラ大統領の本や、聖書解説の本を抜き出し、マサイが高校一年生の時に教科書として買った口語訳聖書を見つけ、新改訳より読みやすいと言われて持って帰って来た。受け継いでくれるものはとっておいて良かったと思う。
あまりに多くのものを抱えていた事に驚いたが、捨て出すと止まらなくなった。押し入れにしまった時にはとても大切なものであったはずなのだが、しまった事を忘れた時点でそういう思いも消えてしまうものなのかもしれない。随分無駄遣いしたものだ。
伝道者の書にこうある。
5:15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。
片付けをしながらこの聖句が浮かんできた。定年退職後は買ったきり読んでいない本を読むのが楽しみなのだが、本棚の本を全て引き継げと言われたら息子はさぞ困るだろう。今では手に入らない絶版本もあるが、次世代が喜んで欲しがるものではないように思える。
喜んで引き継いでもらえるもの以外を全てそぎ落として行く生活というのが、老境で目指すものなのだろうか。究極は聖書一冊だけ残せばよいかと考える。息子は既に持っているが、それが一番喜んで受け継いでもらいたいものである。今回の片付けを通して改めて発見したことであったが、とても嬉しい発見だった。神様、感謝します。
伝道者の書
5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
以前から水泳選手である息子の引退レースについて考えていた。幼稚園の年中から18年間泳いできて、競技者として14年間様々な大会に出てきた。個人で楽しむ水泳は続けられても、競技者としての競泳はいつか終わりの日が来る。
マサイと細君は18年間息子を応援し続けてきた。選手として競泳を始めてからは毎日ストレッチを手伝い、栄養バランスの良い食事を考え、風邪をひかさないように気をつけ、水の抵抗が少ない水着やゴーグルを求めてあちこち出かけた。親も息子にうつすといけないので風邪をひけない、と電車の中では一年の半分マスクをしていた。
親は選手のマネジャー業務で忙しい。試合の日は早朝に起き出し、選手をまず集合場所に送っていき、お弁当を作って後から会場に駆けつける。お弁当の中身も、胃に負担がかからない、即エネルギーになるものをそろえる。雨の日も、暑い日もあった。雪の日にチェーンがないのでそろそろ車を運転しながら送って行ったこともあった。細君ともども欠かさずに会場に出かけ、開場前は長蛇の列に並び、開場時間になると少ない観客席を確保するために突入する。泳ぎを確認できるようにマサイがビデオを撮り、細君が電光掲示される50m毎のラップタイムを書きとめる、というスタイルを続けてきた。泳げること、健康な体、この大会に出られることを常に神様に感謝し、家族3人、手をつないで祈り合ってきた。
大会であちこちに行かれた。親もそんな遠征を楽しめた。しかしタイムが良い日は高揚し、悪い日は落ち込む。良い時もあれば悪い時もあると他人を慰めることが出来ても、自分ではその感情をコントロールすることは難しい。試合が終わるとたいてい夕方暗くなった。レース後のダウンや片付けでなかなか出てこない息子を待って車で連れて帰る。
百分の一秒を競う世界だった。日常生活では意識できないほどのほんのわずかな時間が明暗を分ける。息継ぎ一回、ゴールのタッチが合う、合わないが明暗を分ける。いろいろな選手の泳ぎを見て、フィジカルな面、精神的な面をどうすればよいのか、水の抵抗を受けない水中姿勢とは、など家族一緒になっていろいろ考えた。楽しい時期も辛い時期もあったが、家族が一つになってずっと同じ方向を向いていた。
息子も大学四年生になったので、そんな生活も終わりに近づいている。日を追うごとに、あと何試合、今回でこの大会は最後、この会場は今日が最後、短水路(25mプール)での試合は最後、と一回一回何かが終わって行った。競泳の世界から引退するというのはどういうものだろう。最後のレースはいったいどういう気分になるのだろう。保護者としては、寂しくて涙々、というものだろうか。強烈な喪失感で虚脱状態になるのだろうか。それとも今まで十分やってきたので、達成感が残るのだろうか。以前息子を見てくれていたコーチに最後の公式戦はどういう感情に捕らわれたか聞いたことがある。本人にすると現役最後は、すんなり通過できてしまうものらしい。そんなものかと思って聞いていたが、どんどんその引退の日が近づいてきている。
そしていよいよ息子が競技者として参加する最後の公式競技会の日になった。長水路(50mプール)での試合。最後は思い出深いプールでの大会になった。初めて200m個人メドレーで県の大会に出場したのはこの会場だった。初めてジュニアオリンピックに出る標準記録を突破したのもこのプールだった。
慣れた会場なので、いつもの手順で席を確保し、出番を待つ。会場に着いた時にここに来るのも最後かと一瞬考えたが、まだ実感はわかない。やりきった感が大きいので、寂しくはならないのではないかと前日細君と話していた。実際細君は良くやってくれた。選手ともどもお疲れ様、と言ってあげたい。会場にたくさんいる選手一人一人はどれほど保護者のサポートを受けていることか。選手達もそれが分かっているようで、仲良さそうに親子で会話をする姿をあちこちで見かける。
小学校の家庭訪問の時、先生から言われた事が記憶に残っている。一人っ子には見えないですね。普通一人っ子は自分のやりたいことを押し通して、あまり仲間と協力し合うことをしないのですが、どうやったらあんな風に育てられるんですかと聞かれた。先生が出した結論は、きっと水泳をやっているからでしょうね。家族が同じ方向を見て、一緒になって頑張っているからなんでしょうね、というものだった。その通りだが、家族が三人が神様に信仰を持って祈り続け、同じ方向を見てきたという事もある。
息子はこの世界で実に多くの友達、仲間を作ってきた。これが大きな財産になっている。学校生活だけでは得られないような世界の広さだ。ともに泳いできたメンバーは、中学受験、高校受験と機会あるごとに減っていった。この世界でずっと続けてこられたこと、最後まで無事に泳いでこられたことを神様に感謝する。水泳は幼稚園児の頃、肺炎で入院した後に始めた。当時も決して軟な体つきではなかったが、今では見事な体つきをしている。これも水泳選手の特徴なのだが、実に綺麗な指をしている。水をかき分けているうちに見事にシェイプされたようだ。
小学4年生の時からは、週1回の休み以外は毎日泳いできた。小学校の時は、この休みの日も別のプールに連れて行って自主練習をしていたものだ。こそ練のつもりなのに、行くと仲間に会ったりする。夕方からの練習なので、帰りが夜10時近くになる。息子が帰って来るのを待って家族三人で夕食をとる。大学に入ってからは毎朝3時に起きて泳いでから学校へ通っていた。休みは週一回。泳ぐのを嫌がったことは一度もない。
最後になるこの大会は200mと100m自由形の2種目にエントリーしている。招集所へ向かう姿、スタート台の後ろに並ぶ姿。スタート台に立って飛び込む姿を目に焼き付けようと思っていたが、ビデオを撮ることに集中しているので、他の事は考えられない。午前中の200m自由形の後、マサイが撮ったビデオを確認に来た。何回か繰り返し見て泳ぎをチェックしていたが、真剣に見てもらえると、何組も前から一番写しやすい場所を確保して、手足の動きが分かるように撮っているマサイも役に立てたかと思えて嬉しい。
そしていよいよ次がラストレース。泣いても笑っても、マスターズで泳ぎ続けない限り、競技者として息子が泳ぐ姿を見るのは最後になる。100m自由形、最終組10コース。撮影するベストポジションに移動して、心の中でずっと神様に祈り続けながら出番を待つ。マサイと細君は息子のファンである。その気持はずっと変わらない。最後もいつもの通りに招集所から飛び込み台の後ろへ移動して行った。スタート台に上ると、いつものように息子を応援してくれる大きな声が会場のあちこちから聞こえる。力強い声援で、実に有難い。息子が皆から愛されていることを感謝する。
泳いでいる間は、ビデオのズームボタンを操作しながら、心の中でいつも通りに応援していた。マサイはいつもビデオのモニターしか見ていないので、息子以外のレース展開は分からない。今回もモニター越しにたった一人を追った。力強い良い泳ぎで、ベストに近いタイムで帰ってきた。
泳ぎ終わってプールサイドに上がって、荷物を持ってダウンプールへ向かったところで録画を止める。最後までやりきれたことに感謝する。当然のように次のレースがスタートして行き、招集所から次の組が移動して行った。当たり前のことなのに、急にこの世界が自分の世界でなくなった。不思議なことで、当事者から部外者へと大きく転換したような気持ちに捕らわれた。そんな寂しさもあるが、味わったのは、満足感とロス感の両方だった。
息子はここまでよく頑張った。悪い時も腐らず、ずっと頑張ってきた。スタートの合図に対するリアクションが最速0.61秒で飛び込むのだが、大会では一度もフライイングをしなかった。選手たちは、親への、コーチへの、仲間への感謝と尊敬の心を持っている。水泳は個人競技ではないと教えてくれたコーチがいた。この世界でやってこられて良かったと、神様の導きに感謝する。細君も実に良くやってくれた。ファンとしての実に楽しい18年間だった。神様、細君、息子に感謝。
夫婦しみじみとここに来るのももうないねと話しながら帰って、早めに寝たのだが、翌朝息子からのラインが昨晩来ていたのに気付いた。感謝を伝えるラインだった。朝から泣かされた。細君も泣いた。
「長い間本当にありがとう。
大好きな水泳をここまで思う存分やってこられたのは2人のおかげです。
水泳を通じでたくさんの仲間ができて、たくさんの先生方に支えられて成長し、それが今の自分を形成する大部分です。そんな自分が誇らしいです。
本当に本当にありがとう。」
この世界を与えて下さった神様感謝します。全てを導いて下さった神様感謝します。丈夫な体を感謝します。この環境を与えて下さったこと、ずっと続けてこられた事、たくさんの人に巡り合えたこと、たくさんの人からたくさんの事を教わったこと、そのひとつひとつを通して成長してこられたこと、全てが感謝です。神様のご計画は、人の考えをはるかに超えて素晴らしい。ハレルヤ。
エペソ人への手紙
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
テモテ人への手紙第二
1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって
1:10 それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。
昨年10月号№203に続く、露小説読み返しシリーズ、今回は第3段である。この作品を読むのは3回目。1,2回目は同じ翻訳者で読んだが、今回は代えてみた。本の虫と言われるほど生涯様々な本を読んできたが、そのベスト1か2にあたる作品なので、都度真剣に向き合っている。20代、40代で読んで、今回作者が書いた時とほぼ同年齢で読んだ。読むたびに感じるところが違う。翻訳で読んでいるので、解釈上それは違うと反論を持たれる方もいるであろう。前回も書いたが、あくまでも個人的な感想であって、これが正しい解釈だということではない。その点はご理解いただきたい。
タイトルはあえて出さないが、小説の舞台となる村の名前は、スコトプリゴニエフスク。ある父親と3兄弟、下男を中心に、1870年前後、8月の終わりから9月にまたがる3日間とその後日にわたる物語である。
作者はシベリア流刑時に流刑囚の家族からもらった聖書を溺読した、ということがどの評伝にも出て来るが、この作品にも他作品同様聖句がたくさん出てくる。聖句や神様についての記述を中心に読み進めるのがマサイ流読書である。
まず小説の巻頭に聖句がある。
ヨハネの福音書
12:24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
この物語は殺人事件の謎を扱ったものだが、今回は作中3兄弟の神様との出会いが実に印象的であった。特に関心という点では一番神様から遠かった長男が、神様に対して感動的に目が開かれた箇所にひかれた。
ずば抜けた体力の持ち主で退役したばかりの軍人である長男は、父親殺しの容疑で身柄を拘束される。尋問が一段落した後のうたた寝に夢を見る。火事で焼け出された貧しい母親と子どもがみぞれ交じりの雨に濡れながら立っている。長男にはどうして泣いているのか、不幸なのかが分からない。今この瞬間から、誰一人涙を流すことのないように、全力で何かしてあげたいと、と告白する。この夢のあと、長男は生まれ変わって、喜びに照らし出されているような別人になる。神様は夢を通して働きかけ、目を開いた。そしてそれが長男の転機となった。
このように長男は神様と出会ったのだが、信仰はまだ確固としていない。せっかく生まれた新しい人間が離れて行ってしまうことを恐れている。それは自分の中に閉じ込められていたもので、夢の件で雷のような一撃があり、外に出てきたと考える。しかし長男はこの不安に負けず、信仰は固くなっていく。「神様は存在する!」と絶え間なく自分に言い続けることができれば、何にでも、どんな苦しみにでも打ち克てる力があるような気がする。何千という悲しみに囲まれていても、拷問に身をよじらせながらも、杭に縛られても、神様は存在する。神様が見えなくても、神様が存在することは分かっている。神様が存在すると分かっていること、それだけでもう全人生だ、と語る長男は、神様と出会うことにより、自己存在についても確たるものを得る。長男は、自分の中の罪に対して死ぬことにより豊かな実を結んだ。
理論家であり、事件の真相を唯一知る次男は、無限の神が存在しなければ、どんな善行もあり得ないし、そうなったら、善行など全く必要なくなり、全ては許される、と常々犯人に語っていた。思想的に神様から一番遠かった次男が、長男の裁判の前日、一転神様を信じ始めた。全く神様を信じなかった人間の転機には感動的なものがある。翌日の法廷で自身を犠牲にして真実を告げることに喜びを感じた次男は、得体のしれない、喜びに似た何かが自分の内に訪れ、何かしら限りない強さを感じる。このように神様と出会った喜びに満たされて家に帰るのだが、部屋で待ち受けていたものは、人間の姿をとったサタンだった。サタンの攻撃は執拗で激しい。折角信じたものを自己の内から破たんさせようとする。それは精神の混乱にまで発展する。サタンの姿は次男以外には見えない。三男はこの病気の正体を、神様を信じるという誇り高い決心から生まれた苦しみ、深い良心の呵責であると見る。しかし犯人が自殺した今、精神に異常が見られる次男が真相を語ったところで、証拠もなく誰も信じない。思想上一番タフに見えた次男がサタンの攻撃に負けて行く。
そして神様に一番近い三男。巻頭の聖句は、三男を巡る箇所で再登場する。三男が尊敬する長老は、若き日に修道院へ入る決意をするが、その時謎の訪問客が現れ、過去の殺人の記憶と懺悔を語る。その時に長老が読んだ聖書の箇所がヨハネの福音書12章24節(一粒の種)、ヘブル人への手紙10章31節(生ける神の手)であった。人々の罪を恐れず、罪のある人間を愛せよ。神が創られたもの全てを愛せよ、と勧める。
三男が修道院の僧庵に戻ると、その長老の棺の前でP神父によりガリラヤのカナでの結婚式の場面(ヨハネの福音書2章)が朗読されていた。疲れて居眠りをするうち夢の中に長老が現れる。婚礼の式に新しい客を絶えず呼び招いている、それが永遠に続く。三男はここには何か痛いほど心を満たすものがあり、神の世界から伸びる糸とつながった、と感じる。誰かが僕の魂を訪ねて来たのだと言う。以前の罪深い自分に死に、神様の前に生まれ変わることにより、豊かな実を結ぶようになる、という大きな転換場面である。
ひとつの作品を読み終わった後、いつまでもこんなふうに神様の事を考えられるのは実に楽しい。神様が与えて下さった楽しみの一つと考えている。今回は三兄弟の神様との出会いについて中心に考えることが出来た。また10年くらいしたら読み返したいと思っている。次回は今まで気づかなかった何が浮かび上がって来るのかが楽しみである。
定期的に細君とマサイの実家を訪問している。父は心臓近くの血管の詰りを除去する手術をした後、術後の検査で良好であるという診断を受けている。市の検査で母が肺がんの疑いと言われて再検査をしたが、こちらも見えた白い影は癌ではなかった。で安心して生活をしているのかと思っていたら、父がまた具合悪そうにしている。食後数時間すると気持ちが悪くなるというので、胃カメラを飲んで診てもらうと、真っ赤にただれているという。どこも悪くないのに、神経でそうなっている、と自己診断をしていた。立ちくらみもする、と今にも倒れそうで声にも元気がない。
原因は、最近2人の医者に今後のことを考えておいた方が良い、と言われたことにあるらしい。母は今相談相手が務まらないので、余計一人で抱え込んで思い悩んでいたようだ。実に表情が暗い。こういう場合、マサイにはっきり自分の希望を言えばよいと思うのだが、実に心細そうに「今後のことを考えろ、と言われている」と繰り返す。母は見た目元気で明るい。そばにいるのだが、聞こえていないのか話に加わってくることはしない。最近の話で、居間のソファに2人並んで腰かけていて、父が具合が悪くなって苦しんでいた時に、母がそれに気づかず、寝ていると思って何もしてくれなかった。もしこのまま自分の意識がなくなったら、2人はどうなっていたか分からない、と心配している。
マサイは一人っ子であるので、実家で同居して親の面倒を見る、という計画を細君とは立てている。これについてはずっと祈ってきて、二人の間での了解事項だが、細君ははっきりそう言ってあげた方が良いという。その方が安心するだろうというので、この訪問で言うつもりで来たのだが、着くなりすぐあまりに具合悪そうに何度も今後のことというので、順序立てて話し出す。
大学4年生の息子は、9月には幼稚園の年中から続けてきた現役水泳選手から引退する。そして9月末には寮を引き払って戻ってくる。就職活動は数社から内定をもらっているが、来年4月になって入る会社の配属先によっては、一緒に住めるかもしれないし、また独立するかもしれない。しかしその動きさえ決まれば今住んでいるところから動けるようになるので、実家に帰ってきて一緒に住む。ただ、仕事の具合で4.5月は動けないので、一年後の6月を想定している。
であるので、1階か2階どちらかを開けてほしい。というと、2階を開けるという。父もそれを望んでいたようで、実は今月から部屋の片づけを始めていたという。全て父が既に自分の中で考えてきたことらしく、答えがすぐに返ってくる。だんだん暗かった父の表情が緩んでくる。片づけていたら、なくなったと思っていた2人の年金手帳が出てきた。綺麗に片付いているだろう、と話す内容も肯定的になってきた。
昼食は野菜が足りていないということだったので、細君がいろいろ考えて作ってくれた。食欲も出たのかよく食べた。普段食べないと父が嘆くほどの母もしっかり食べた。帰る頃には父の表情もすっかり明るくなっていた。きっと胃の赤くただれたところもすぐに治ってしまうだろうと思われる。小田原から越谷市に越してきてほぼ30年。マサイが出てから27年になる。父がこの家に越してきたのがちょうど今のマサイと同じ年齢になる。マサイはこの家に3年しかいなかったので、今までずっと2人で住んできた家に一気に3人増えるかもしれないということになった。
来年父は86才、母は84才、さすがに放っておくには気になる年齢である。両親が喜んでいるのを見てこちらも少し安心した気分だったが、四半世紀以上暮らした場所からの移転は相当の覚悟がいる。ここの環境がとても気に入っているだけに辛い思いがある。リストにしてみると片付けなければいけないものがたくさん出てきた。それをこれから一年弱でやって行く。
マサイの人生での本拠地は大きく3つに分けられる。小学生以降学生時代を経て26歳までいた小田原市、結婚し子育てをし、息子を独立させるまでの川崎市多摩区、そして定年退職の日が近くなって埼玉県越谷市へ。今まで積み上げてきたものを全て一からまた積み上げ直しという状況になるが、今度は自分の最後に向けての積み上げになるのかと、明らかに老境へ向かうような思いがしてきた。
これから細君に一番面倒をかけることになるが、全て一緒に祈って来たことなので、これも神様のご計画であると信じる、と言ってくれた。同居することにより、両親に日常の生活の中で自然に福音が伝えられるようになる。移転した先でも教会から離れることにならないように、細君は友達がたくさんいる環境を離れるので、行った先でも同様に良い仲間がたくさん出来るように、同居や地方都市特有の近所付合いがストレスにならないように、新しく始まる生活が楽しいものとなるように祈っている。神様が示された道であるので、我々の計り知れない素晴らしいことが待っていると信じます。神様感謝します。
ローマ人への手紙
8章28節 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
箴言
16章1節 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。
箴言
16章3節 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
5月9日に銀婚式を迎えた。1989年に出会って28年になる。細君との出会いについては、約3年前、2013年8月の165号に、「本来銀婚式の結婚25周年でこの話を書こうと思っていたのだが、出会って24周年の夏に書いてしまった。」と待ち切れずに既に書いてしまったので、出会いについては165号を読んでください。
アフリカ旅行から帰って来て、写真に礼状を添えて細君に送った。お客さんがツアーコンダクターさんに写真送ることは良くあるだろうが、その返事が来たのが12月、クリスマスイブに教会のクリスマス会を開くからというお誘いだった。
当時はまだ教会発足間もない頃、登戸ホームチャーチという名称のもとに第一回目の礼拝をしたのが1989年9月24日だから、発足年最初のクリスマス会ということになる。写真を送った後、いつ返事が来るかと4ヶ月間毎日ポストを恨めしく見ていた後だったので、やっと来た返事を喜ぶ。電話をすると(当時はポケベルも携帯もない固定電話だけの時代であった)、外人女性が出た。当時細君はアメリカから来た女性宣教師と吉祥寺に住んでいた。一生懸命英語で話した記憶がある。細君は教会に行っているので帰りは遅くなる。夜遅くに電話をしても良いか?構わない。というような内容だった。夜ドキドキしながら電話をすると4カ月ぶりに声を聞けた。嬉しい、また会えるんですね、と言ってくれた。当時は便利なWEB地図などないので、向ケ丘遊園駅から会場である昔の多摩区民館でまでの行き方を教えてくれた。
確かほんの少し雪の舞うホワイトクリスマスだった。広い会場に集まった人は少なかったが、アフリカ旅行へ一緒に行った女性メンバーが3人来ていた。ティム・ヒューバー牧師が挨拶をして、細君と教会のメンバーが英語で簡単なスキットをしたり、先日電話に出たアメリカ人女性がフルートでバッハを吹いたりした。その後のメッセージがアーサー・ホーランド師だった。大学2年で聖書の授業が終わってから久しぶりに聞く聖書の話で、敬虔な気持ちになれた。後日、細君がアーサー師のメッセージを録音したカセットテープを送ってくれた。こうして知識として聖書が、細君に導かれて信仰へとつながり始めた。聖書を創世記から黙示録まで66巻を通読し、思うところをレポートにまとめた。それはそのまま洗礼時の信仰告白となった。
その後細君は吉祥寺から教会堂に近い中野島に引っ越した。その頃は、ツアーコンダクターをしながら神学校へ通っていた。その帰りに合わせて中野島に行き、駅前にあった喫茶店ノアで喋るようになった。名前の通り素晴らしいクリスチャンのご夫妻が経営する喫茶店で、奥さまがカウンターで厚い聖書を読んでいる姿が印象的だった。ここで随分長い時間を過ごした。話が途切れないので、最初にコーヒーを頼んで、やがて夕食も頼み、その後もう一度コーヒーを注文するというほど、最長14時から終電の23時まで窓際の席でずっと喋っていたことがある。讃美歌が流れ、壁には聖句が張ってある環境で、このご夫妻に見守られてのデートだった。食前のお祈りをしている時、奥さまが終わるまで給仕を待っていてくれたこともある。我々のデートはほぼこのノアと、淀橋教会での集会前に行った高田馬場のラーメン屋さんという程度で、気取ったところへ行ったことはない。長い間喋っていて実に楽しかった。
細君は教会の事務も手伝っていた。教会の様々な形を作り上げる時期の大変なことは全てかかわっていた。ツアーコンダクターと教会関係の働きと神学校という3足のわらじだ。そんな忙しい日々の息抜きに、とディズニーランドに誘った。10月21日、八丁堀の駅で待ち合わせをして、浦安へ。細君は、ティムさんに気軽に手をつないだりしてはいけないと注意を受けてから行った、と後になって教えてくれた。
マサイは女性に気軽に声をかけられないタイプである。しかしプロポーズしないでいると一生後悔することになる、断られたら一生独身で構わないと思った。閉園間際、出口に向かって歩いて来て、ウェスタンランドの淡い照明の中でプロポーズ。その直前に、カリブの海賊で撮った写真を受け取りに行くのを忘れていて、全速力で取って来た後なので、細君はマサイがいきなり大きく深呼吸をしたのを走った後の呼吸を整えているのだと思ったらしい。単刀直入なプロポーズに細君は二つ返事で承知してくれた。
そして7カ月後に結婚。仲人の役割をする証人は細君の両親が所属する久里浜福音教会の牧師夫妻に頼んだ。牧師夫人に「良く、うん、と言わせましたね」と言われたのを覚えている。結婚式には我々の目標とするメルヴィン・ヒューバー牧師夫妻も出席してくれた。多くの牧師が出席してくれた式であった。
以来あっという間の25年だった。妻を愛する気持ちは片時も変わらない、というより、より強くなっている。日々ともに神様に祈り、愛し、思いやり、いたわり合って来た。細君は、神様が最初から計画されていた相手であったのだなと確信している。銀婚式の日、ビーチにシートを敷き、並んで海を見ていた。出来れば人生の最初から一緒にいたかった。これからも元気で神様を中心とした家庭を守っていきたいと思っている。神様、よろしくお願いします。
箴言 18:22 良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、【主】からの恵みをいただく。
詩篇
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 【主】は、あなたを守る方。【主】は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
介護ネタが続きますが、前回の後日譚です。
予定通り5月31日に母を一泊のショートステイに送り出し、父は千葉の病院へ。3月初めに心臓周りの血管の詰まりを手術したのだが、その3カ月後検査がある。2泊3日の予定だが、異常個所が認められた場合、追加治療をすることになる。以前に一回そういうケースがあって、入院日が伸びたことがある。
父から母をやっと送り出したというメールが入る。父が帰ってくるまで6月1日は休暇を取ったマサイが、1日夜から2日にかけては細君が母の面倒を見るという予定なのだが、31日日中に父が出かけた後、母がしばらく一人になる。父は母を一人にすることを異常に心配するので、近所の老人用ショートステイ施設へ泊りに行ってもらうことになった。その送り出しをしたというメールであった。
31日夜、仕事が終わったところで留守番に実家へ行く予定だったので、帰り支度をしていると、ショートステイ先から電話が入った。母が訳が分からないことを言い始めているという。電話を代わってもらうと、本人は帰ると言い張っている。帰らないと父が心配だという。こんこんと説明をしても、私は何も聞いていないという。帰らなければならないという。そこから頑として意見が変わらない。どうして泊らなければいけないのか理解できないらしい。母は実家を空けることを極端に嫌がる。向かいの家に何度も泥棒が入られたことを気にしているようだ。そこはマサイが行くので心配するなと説得する。施設の人が一番困っただろうが、さすがに慣れているらしく、優しく対応してくれた。以前からこの件は家族で話し合って、母もその場にいたし、出がけに父から言われているはずだと言っても理解できない。何とか説得をして今晩は泊ることを納得させる。
電話を切った後、父からのメールに気付いた。
「施設から電話。F(母)が私の事が心配で家に帰ると困らせているようだ。電話があったら実情を説明してやってください。今の状態では理解できないかも?可哀想だ」
母の事を可哀想だと労わるようになったのは最近の事だ。母は言動に不思議な兆候が出ているのだが、夕方になるとこれが激しくなるらしい。いざ夜になって、やはり引き取ってくれと言われたら対応しないといけないので急いで実家へ。幸いなことに非常事態にはならずに済んだ。
翌朝、父からメール
「今看護婦の話しでは私の検査は二番目だという。順調なら午前中で終わる。通常なら右手首から挿入するが(カテーテルを)、数をこなしたので状態が悪く、今回は左手首からやるらしい。無難で終わることを願うばかりだ。」父も母が心配なようで、出来るだけ早く帰りたがっている。
その後検査は順調に終わったらしい。
「バンザイです。10時に呼ばれてカテーテル室へ。検査は15分ほど。医師の説明では、以前に治療した箇所は健在、血液の流れも良好とのこと。助かった。機器を挿入した場所の血が完全に止まっているなら明日午前中に帰れる。心配をかけた皆の応援に感謝します。」
と読んで安心する。
14時半頃母は施設の車に送ってもらって帰って来た。迎えるなり「パパは?」と聞く。まず父に会いたいらしい。父がどこにいるか思いだしてごらん、というと、頭がおかしくなっちゃうから、と思い出そうともしない。父が病院に行っていることについて、私は聞いていないという。そんなはずはないのだが、言った後はけろっとして父がいない状況を受け入れている。昨夕の電話の件についても何か言うかと思ったら、何も言わない。すでに忘れているようだ。お泊まりは「まぁ、楽しかった」という。4人部屋なのだが、広い部屋だったので他に人がいるのが気にならなかったという。カルテを見ると、水分もちゃんと定期的に摂っているし、夕食も食べている。ステイしている人たちと一緒に喋り、夕食後はちゃんと寝ていた。風呂にも入ってきたという。さすがにプロなのでマサイがやるよりちゃんと面倒を見てくれている。
母が帰ってきたことを父にメールで知らせると、すぐに電話がかかってきた。母の声が聞きたいらしい。入院中もずっと心配していたことが良く分かる。しばらく2人で楽しそうに喋っていた。退院の日時について喋っていたようなので終わった後に聞いてみると、そんなことは喋っていないという。何を喋っていたのかと聞くと、分からないという。
この後夜まで母と二人だったのだが、その不可解な行動や言動の連続は驚くばかり。本人悪気はないのだろうが、父がいつもこぼしているのはこういういうことかと納得する。
夜細君が来てくれた。細君は実に良く面倒を見てくれる。マサイは明日仕事があるので、交代して家に戻る。母の面倒を見るより、細君と離れている方が余程辛い。細君が大変な思いしないように神様にお祈りをする。
翌日父からのメール
「順調に帰って来ました。有難う。新築の大病院でのんびり過ごさせてもらいました。」
時間からすると、医師のOKが出て、清算を済ませた後、飛んで帰って来たらしい。父の顔を見て母は嬉しそうだった、と細君が教えてくれた。恋愛中の二人のような純なものを感じる。金婚式も随分前に済ませた夫婦が、老々介護をするようになってお互いに心通い合わせている。子の立場から見ていると、今までそんな親の姿を見たことがなかったで、実にほほえましい。神様が老々介護という機会を用いて、愛を教えて下さっていると考える。そのまま神様の愛にも気付いてくれると嬉しいです、とお祈りをする。神様よろしくお願いします。
伝道者の書
8:16 私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、
8:17 すべては神のみわざであることがわかった。
イザヤ書
26:4 いつまでも【主】に信頼せよ。ヤハ、【主】は、とこしえの岩だから。
創世記
2:21 神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
2:22 神である【主】は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
2:23 人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
大型連休の始まりは実家で過ごす。4月で83才になった母は随分元気になっていた。肺にたまっていた水もすっかり無くなり、前回気になった呼吸の乱れもなくなっている。食べてくれない、毎食食べさせるのが大変だ、と父が事あるごとにぼやくので、大分痩せてしまったかと思っていたが、想像していたほどではなく血色も良さそうに見えたので安心する。ただちょっと声がかすれるようになった。
前回帰り際に相談したいことがあるからと父が謎めいた予告をしていた。その父は看護疲れなのか、元気がない。本人はストレスであると自覚をしているようだ。最初は天気も良いのでどこかへ散歩へ出かけようかと話していたが、そのことには触れようともしない。明らかに母の老々介護がストレスになっている。食べさせる使命感、薬を毎食後忘れずに飲ませる使命感の他に、台所作業を始めていながら忘れてしまう母の症状などがストレスの原因になっているようだ。そのストレスの根底には自分の具合もあまり良くないのに、自分が倒れたら母はどうなるのだと気に病んでいる事がある。必要もないストレスを自分で生み出して、それが立ちくらみなどの身体的症状につながっている。
父は来月85才になる。マサイが子どもの時から何度も医者行っていたが、原因が血管の詰まりにあると分かるまでには随分時間がかかった。何年か前にやっとその原因が分かり、心臓付近の血管の詰まりを解決する手術をし、今年の3月にも別の血管について同じ手術をした。術後の経過は良好で、日常生活も快適になっているはずなのだが、その他の事で気に病むことが多いらしく、相変わらず具合が悪そうにしている。
相談したいことというのは、術後健診で5月31日に検査入院することになったということだった。前回来た時は、こういう時のために母が宿泊できる介護施設に登録をしたと嬉しそうに話していたのだが、母が行きたがらないという。横で聴いている母は、聞こえていないのか、何もその件については言わない。良く聞いてみると、宿泊がいやなのではなく、その間実家が無人になるのが物騒だというのが家を空けられない理由らしい。施設に母が行かないとすると、母の食事の面倒が出て来る。父は安心して検査入院が出来ない。
検査入院の日程表を見せてくれた。コピーなどしないで、手書きで自分用と、我々用で同じものを2つ作っている。入院した翌日が検査になるが、この検査の時間が未定で夜中になるかもしれないので当日は帰宅できない。帰宅は早くてその翌日午後。検査によってはもう一日延びる可能性もある。しかし父はだからどうしてくれとは言わない。今回もこちらからどうしてあげようというまで、帰宅が一日延びるかもしれないということを何度も繰り返すばかりで、自分の欲するところは言わない。
細君のスケジュールと合わせて確認をした上で、マサイが前半を、細君が後半を受け持って、父の退院を待つことを提案する。この提案が自分の希望と合っていたらしい。表情が明るくなってきた。安心したようだ。いつも母と二人で考えているようだが、結局いつも一人で悶々とすることになっていたらしい。その悶々と悩むところを誰かに聞いてもらえばもっと早く安心できたと思うのだが、こちらからするメール連絡の返信には使命感に対する愚痴ばかりで、そういうことは書いて来ない。はっきり言ってくれればよいのにと思うが、昔から父はマサイに直接頼む事をしない。いつも母経由だった。頼んで断られるのを極端に恐れているのか、遠慮をしているのか、というように思える。そういう親子関係だった。この期に及んでという気持ちが大きいが、正面向かって言ってくれれば有難いのにと考える。
こういう時、我々には自分の願うところを祈れる神様がいることを感謝する。いつでもどんな時でも我々の思いを祈りで伝えることができる。祈ったことは神様が最善へと導いて下さるという信仰によって心に平安が生まれ、悶々とすることはない。この特権を与えて下さった神様、感謝します。父母にもそう感謝出来るようになってほしいと願う。
検査入院の話がまとまって父はすっかり元気になった。昼食に作った具沢山うどんは3杯もお代りをしたし、庭で母が細君に散髪してもらっているのを進んで手伝っていた。母の次に父も髪を切ってもらって、さっぱりしたと喜んでいた。
ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ペテロの手紙第一
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
57歳になった。マサイが勤め始めた時は、定年が57歳だったから、誕生日が過ぎた今、もうリタイアしていることになる。一昔前なら老人の仲間入りということか、といつも通り休日の朝走りながら考えた。今年の桜の開花は遅く、花見を楽しめるほどではなかった。15kmを約1時間半で走ったが疲れも残らない。まだまだ若いつもりでいたい。
面倒な仕事は早く若い者に引き継いでしまいたいのだが、まだそれが出来ずにいる。なのでいつもまでも忙しい。誕生日の前日、会社で本決算のための作業に追われていると、息子から電話が入る。通帳口座から覚えのない金額が引き落とされているという。1万円弱。引き落とされたのは月曜日のことだが、本人は全く記憶がないという。一つ一つ朝からの行動を聞いてみる。学校に行って、実験をして、帰りに買い物をして帰って来た。良く聞くと、引き落としではなく、キャッシュカードで引き出している。どこのATMだ?記帳された番号からすると、いつも使っているATMマシンと同じだという。息子はやっとお金を下ろさなきゃと思ってATMの前に行ったことまで思い出した。しかしそれが何のためで、その金をどうしたかまでは思いだせない。キャッシュカードも通帳もずっと手元にあるという。一旦電話を切ったが、毎日あらゆるサタンの攻撃からお守り下さいと神様に祈っているで、悪用されるわけがないという思いがある。結局マサイの方が先に思いだした。アパートの大家さんに支払う金を下ろしたのではないかと連絡すると、それで全てが解決したらしい。「スッキリした!!!」というラインの文字から安堵感が伝わってきた。
同じ日に細君から、テニスで使うリストバンドをなくしたという連絡が入る。これも仕事中だった。マサイがちょっと早い誕生祝いに買ってあげたもので、これを使うと、ラケットを握った手首がかえりやすい問題が解決できると喜んでいた。買って1回しか使っていない。次の週の月曜日の試合で使うのを楽しみにしていた。日中テニスの練習が終わってスーパーで買い物をしている時、店内で邪魔になったサングラスを外し、手袋をはずし、リストバンドを外してバッグに入れた。魚売り場の前だったが、この時女性にぶつかられた(後で考えるとこの時落としたらしい)。バックの中に入っているものと思っていたが、翌日ないことに気付いた。バックの中にはサングラスも手袋もある。リストバンドだけがない。なくしたとしたら前日なのだが、テニスコートから、スーパー、と歩いたコースをくまなく探したが見つからない。スーパーとテニス場を管理するスポーツ施設に落し物として届けた。警察にも届けようと思って交番へ行ったが不在だった。マサイからバースデープレゼントにもらったものなのに、と可哀そうなほど落ち込んでいた。マサイも帰宅後、玄関から家中を探してみたが見つからない。しかし不思議とマサイはどこかからひょっと出て来る、必ずある、見つかる、という気がしていた。夕食時から神様に祈り続ける。
なくしたのが水曜日、気付いたのが木曜日。細君はずっと元気がない。日曜日の礼拝後、スーパーへ買い物に行って、念のためにと細君が聞いてみると、カウンターの下から出してくれた。魚売り場の前に落ちていたのを預かっておいてくれたという。細君の表情が急に明るくなった。安堵感に包まれている。試合は明日。間に合った。神様、感謝します。
この日は仕事中に親からもメールが来た。心臓エコーの結果、母の心不全の原因が僧帽弁狭窄症らしい、という。弁口が正常なら4~6cmなのに、心臓の4つの弁の内、僧帽弁が1~2cmと異常に狭くなっているらしい。それが原因で肺に水がたまったり、息苦しくなったりするという。今は良い薬があるので大丈夫、と言われて来たようだが、夫婦して心臓病ということを心配していた。父が自身の心配をするのは良いが、親の既往症が息子に出ては困る。マサイが走り続ける理由の一つはここにある。そんなことを考えながら、慰めるメールを送る。両親の事は毎朝細君が祈ってくれている。なので悪いことは起こらないだろうと考えている。仕事中とはいえ、マサイは日々忙しい。
翌日、マサイ57歳の誕生日、6時少し前に息子からラインが入る。「お誕生日おめでとう。身体大事にして、いつまでも健康でいて下さい」とある。入寮して家を離れてから毎年誕生日には連絡をくれる。実に優しい、思わず涙腺が緩む。細君からは愛にあふれた嬉しいバースデーカードをもらった。この家族を与えて下さった神様、感謝します。共に神様に祈り合える家族がいるのはとても嬉しい。神様、全ての事を感謝します。
箴言
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。
マタイの福音書
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
風邪かと思っていた母が近所の内科で診てもらうと実は心不全で、肺に水がたまっているという。薬をもらってきたが、利尿剤なので夜中に何度もトイレに行くのを見て、父はまだ寒い季節だしかわいそうだと言っていた。
その父が心臓付近の血管の詰まりを手術した話は以前書いた。手術は千葉の病院でしたのだが、さすがに遠いので、近所の大学病院にカルテなどを移動させてもらっていた。最近また苦しくなったのでそこへ行ってみると、検査はひと月に一回だと言われ、手遅れになっては大変だと心配になってきた。結局ホームドクターのアドバイスで、もとの千葉の病院で診てもらうことにしたという。
水曜日、以前手術をした先生に診てもらうと、すぐに手術しましょうということになった。それでは明日手術ということになって一旦帰って来た。カテーテルを入れての手術になるのだが、1泊2日になるという。さすがに母一人で残して行くのは後ろ髪を引かれるらしい。私は大丈夫よ、と母は言うのだが、心配である。
で、細君が1泊してくれることになった。計画としては、木曜日、父が病院に出かける、細君がマサイの実家に入り、昼、夜、朝の食事の面倒を見て、丁度金曜日は母がデイケアへ行く日なので、送り出し、昼過ぎに父が帰ってきたら交代して帰る、というものであった。
木曜日、予定通り父が出かけ、細君が食材を購入して現地入りをしてくれた。父は昔、心臓付近の血管の詰まりを砕いて開通させ、そこに血管の太さを保つものを挿入する、という手術を2箇所している。そこは今も問題なく順調に機能しているのだが、新たに3本目が以前のように詰まって来たらしい。そこを前回同様の手術をして血管の太さを保つものを挿入し、血管を2箇所広げてきた。1時間半の手術だったという。術後ベッドに寝ながら片手で打ったというメールで状況を知らせてきた。医学の進歩と医者の技術で無事に済んで、それを気軽に連絡してきているが、大変な手術だ。神様感謝します。
無事に済んだので翌日帰れると思っていたら、様子を見るために退院は明後日ということになった。そこで金曜日、会社を午後休みにしてマサイが交代することにした。ところが朝になって母がデイケアに行きたくないと言い始めた。父が電話で説得するが、うまくいかず、最終的には細君がうまく話してくれて出かけて行った。マサイは通勤途中に母がごねているという連絡を受けたので、一旦会社に行って、当面の仕事の処置だけをして、介護休暇ということにしてもらい、すぐに実家へ向かった。細君と交代。
母は16時過ぎに帰って来た。行けばいつものメンバーがいるので楽しかったと言っていたのだが、1日家を離れていると疲れる、父はどこへ行った?と同じことを何度も言う。説明をすると納得するのだが、また同じことを聞く。呼吸が時折走った後のようにハアハアいうのが気になった。肺に水がたまっているのが原因かと思って聞くと、本人は何ともないという。細君が作ってくれたものを温め、食べさせて薬を飲ませる。
翌日土曜日、父は会計がすいていたと言って思ったより早く昼前に帰って来た。母は病院の事も聞こうとしないでけろっとした様子だったという。病院のベッドで一晩心配していた父は拍子抜けしている。
翌々日の月曜日は母の(これも前に書いたが)骨折して診てもらった医者での定期健診だった。行って状態を診てもらうついでに他の医院で心不全という診断を受けたという話をすると、レントゲンを撮って、この病院に循環器系の医者が水曜日に来るので、良く診てもらえと言われた。この先生は専門外だから診断らしいこと言わなかったが、早くちゃんと診てもらわないと大変なことになると脅されてきた。
水曜日に再び行き、循環器系の先生に診てもらう。またレントゲンを撮った結果、診断は肺に水がたまった心不全ということで、薬を出してくれた。以前と同じ診断結果だが、処方された薬は違うものだという。1週間後に再度診てもらうことになった。即入院という事態を考えていたが、そうはならなかった。こちらも神様感謝します。
細君は毎朝の祈りでマサイの両親の健康について祈ってくれる。薬が効いたのか、翌朝母は調子が良かったらしい。以前同じ診断をしてもらった時にも薬をもらっていたのだが、それが切れた後診断に行かず、父も自身の病院のことが気がかりで、そのままにしたのがいけなかったかもしれないと反省していた。
近所の人はいつでも声をかけてくれと言ってくれたり、訪問してくれたりしているのだが、そろそろ2人で生活をさせることの限界が近づいているのかもしれない。子育てが終われば親の介護に専念できる。息子が大学を卒業するまで移動は無理としても、最速で来年の春移動が可能になる。来年父は86歳、母は84歳。実家を見回しながら、自分たちが移ってくるにはどうすればよいを考えるようになった。
ここには21年間住んでいる。静かで見晴らしも良く、野鳥の声も楽しめる。その前の新婚時代を過ごしたところを入れると、25年、四半世紀この地に根付いている。教会も近所にある。出来ることなら子育てをした思い出があちこちにあるここを離れたくはない。であるのでこれについては随分前から祈っている。転居することについては、神様の御心が行われますように。神様、御心にかなった最適な環境をお与えください。我々は神様の御心に従います。よろしくお願いします。
箴言
19:20 忠告を聞き、訓戒を受け入れよ。そうすれば、あなたはあとで知恵を得よう。
19:21 人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。
19:22 人の望むものは、人の変わらぬ愛である。貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。
19:23 【主】を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。
息子の就職活動が始まる。どこで調べるのか、各所から就活についての案内が郵送されて来る。大会場でのガイダンス、セミナー、スーツの案内などなど。毎年就職協定が変更になるので親には流れが良く分からないが、卒業一年前の3月頃から本番は始まるらしい。
最近はナビとつくWEBサイトが就活支援をしているらしい。そこに登録をして情報をもらうようだ。就活準備、OB訪問、筆記試験の準備とやるべきことが書いてある。本番が始まる3月までにやっておくこととして、業界研究や企業研究、自己分析とあるが、速いところでは、前年の6月頃からインターンシップといって学生に就業体験をさせる企業もあるらしい。実際に企業で一定期間、職場体験をし、適性の見極めをする。当然無報酬。漠然としたイメージや憧れだけで本番選考に臨むのと、インターンシップを経験し、具体的な業務イメージややりたいことが明確になってから望むのでは違いは大きいという。この春休み中に各企業のエントリーが開始になって、6月頃から試験や面接が始まり、順次内定、と決まって行くらしい。
最近は売り手市場だということを読んだことがある。朗報として受け止めたい。昔でいうところの履歴書、今でいうエントリーシートに添付する顔写真を、好印象を与えるように撮影をします、ということを写真スタジオがうたい文句にしている。昔のようにネガから紙焼きではなく、撮ったその場で確認できるし、デジタル処理が出来るので、多少の難あり箇所は補正してくれるという。書類選考につながる重要なものなので、学生の間でも噂は広まっているらしい。何でも商売になるものだ。
時代があまりに違うのでマサイの頃の話は参考にならないだろうが、マサイは1981年、大学4年時に就活していた。就職氷河期であった上、一般企業の青田刈りもあった。狭き門であったので、今の売り手市場がうらやましい。当時の就職協定は、会社訪問10月1日解禁、マスコミ系入社試験11月1日解禁だった。マスコミに限らず、旅行会社や貿易会社も訪問したので、今になって振り返ると良い社会勉強になった。就職先を探す材料として、給料と言っていた同級生がいた、有休の多さが最重要だと言っていた者もいた。当時、何を不謹慎なことをと思って聞いていたが、今にして思えば会社人間ではない人種が育ち始めていたのだ。
昔と違うのは、定年延長や、60歳定年後にシニアスタッフとして働ける環境が企業内に整ってきているということ。企業としては今まで通りに新卒社員を採用していくと、総人件費が増えてしまう。しかし人事担当者や会社を運営する側は、長期的に見て社員の世代間に空白を作らないためにも、新卒も採用しておく必要がある。ベテラン戦力として残ってくれるシニアスタッフと、これから長い目で育てて行く新卒と、採用比率には頭を悩ませることになる。
これからは22歳で就職して、65歳定年は当たり前になっているだろうが、在職40年の内には時代がどう変化して行くか分からない。マサイが新卒で就職した頃は、オフィス機器としてはコピーがせいぜいで、FAXですらそれほど普及してはいなかった。その後、ポケベル、PHS、携帯、スマホと電子機器はすさまじい進化を遂げてゆく。そこに入れば安泰と思われていた有名企業が吸収合併されてなくなったり、小さな企業が逆に大化けしたりしたケースもあった。
誰もが知っている知名度の高い企業が実はブラック企業だったりもする。マサイは一回転職しているが、それは新卒の時以上にエネルギーを使うものだ。そういう経験は息子にさせたくない。先々を見通すことは神様にしかできないので、息子がこれから40年以上働くことになる会社選びについて失敗することがないように、神様に祈って行く。
社会人の先輩として、働く者の世界に息子を迎え入れるのは感慨深いものがある。親の庇護化から脱する時が来るのか、我々も子育てから卒業ということになるのか。それももうあと一年でやってくる。大きな変化のある一年である。神様を第一に考えて働き、そこで神様を中心にした家族を作って養っていけるような就職先、神様の御心にかなった、息子にとって最適な就職先を与えて下さいと日々祈っている。人と環境に恵まれますように、神様、よろしくお願いします。
箴言
16:1 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。
16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
16:4 【主】はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
16:5 【主】はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。
16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。
16:7 【主】は、人の行いを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。
16:8 正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。
息子は夜中の2時に起きてプールへ行き、年末恒例の4時間におよぶハードトレーニングを終えて、朝食も取らずに世田谷区にある整体医へ向かっていた。トレーニングの後で疲労もたまっているので、家で寝ていようかと思ったが、体のメンテのために整体医に行くことにした。多摩センターから電車で行こうか迷ったが、ツーリングがてらバイクで行くことにした。
目的地まであと少しというところで、前を走っていた乗用車が不審な動きをしている。右折車線があるのだが、そちらへ行くつもりなのか車線をまたいで運転をしている。息子が法定速度で真直ぐに走っていたところ、ウィンカーもつけずにいきなり左へ車体を寄せてきた。乗用車の完全な後方不注意で息子は避け切れず、ブレーキによるハンドル制御不動のまま、道路わきのガードレール代わりの植木に突っ込んだ。
いきなりの展開でショック状態だったらしいが、バイクの損傷も大きかった。本人は左側に倒れた時に膝を痛めたらしい、大学名の入ったスウェットパンツが避けて膝に怪我をした。また植木に突っ込んだ時に、そこの植木で左目の上を切った。相手は逃げずに止まって警察を呼んでくれた。息子はバイクのダメージが大きいので、レッカー車を呼んだ。
ここで警察を待っている間にマサイに連絡が入った。たいていの連絡はラインで来るので、電話がかかってくるのはろくな時はない。祝日の午前11時半過ぎ。この日は午後、息子のアパートに年末年始帰宅用の衣類を取るに行く約束をしていた。この整体でのマッサージが終わって帰った頃の時間で待ち合わせをしていたので、マサイも細君もまだ朝食後、食卓でのんびり喋っていた。
転倒が路上ではなくて、植木に突っ込んでのことだったこと、鉄のガードレールではなく、力を緩衝してくれる植木だったこと、後続車がさらなる事故を起こす危険性もあったがそれからも守られたこと、これをすぐ神様に感謝する。前回のもらい事故の時は50ccのバイクだったが、今度は750cc(ナナ半)での事故なので惨事にもなりえた。電話の声は大丈夫そうだったので、神様が守ってくださったことを続けて感謝する。
警察は事情を聴いて、こういう場合の定石通り、物損事故にするか、人身事故にするかを聴いてきた。一通りの事故処理をして、後は当事者同士で示談交渉をするようにということで帰ってしまったという。怪我はたいしたことはないということだったが、後で痛みが出るのも心配なので、医者には行く事を勧める。相手の連絡先は聞けたので、相手にも了解を取って医者に行くことにする。
息子はレッカー車に一緒に乗せてもらって、寮の近くのバイク屋さんまで帰って来た。そこへ細君と迎えに行く。まず無事な姿を見て安心する。事故の説明も整然としてくれた。病院に連れて行くと、祝日の午後だったが、救急外来ですぐに診てくれた。膝のレントゲンを撮って、問題なし、打撲ということになった。目の上の傷については、目の上の骨は他のところと比べるととても固くできているのでこの程度では大丈夫だという診断。救急なので、月曜日に再度診察に行くことになった。今回の事故について、これからの展開について、車の中で3人手をつないでお祈りをする。こういう時の祈りは心を静め、安心感で包んでくれる。
ピリピ人への手紙
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
年末が近づいてくる。早く解決しないと、保険屋さんが年末年始休暇に入ってしまう。出来るだけ早くこの件にはけりをつけたい。ぎりぎり年末30日まで相手と相手の保険屋さんとの交渉を繰り返す。しかしバイクメーカーが既に休みに入ってしまったので、修理用のパーツの値段が出ない。交渉は全て息子に任せたのだが、心落ち着かない年末だった。年が明けてからはバイク屋さんが間に入ってくれて、相手の保険屋さんとの新たな交渉に入った。
後続車によるさらにひどい事故につながらなくて良かった。神様感謝します。スピードを出したり乱暴な運転をしたりしていたわけではないのに、相手の不注意が原因で転倒してしまった。この事故は精神的にもショックが大きかったようだ。大型自動二輪免許を取る時から交通安全について祈り、購入時にも祈り、買った後は事故、事件、怪我、違反、盗難、転倒から守られるように毎日祈り続けてきた。今回の事故を通して神様は何かを語りかけている。バイクは毎朝3時に起きてプールへ行くのに必要な足であるので、2017年秋の引退までどうしたらよいか、その後どうするか、一緒に祈り続けよう、祈ってその御声に聞き従って行こうと親子3人で話し合う。神様よろしくお願いします。
詩篇
118:5 苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。【主】は、私に答えて、私を広い所に置かれた。
118:6 【主】は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
118:7 【主】は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。
118:8 【主】に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。
118:9 【主】に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。
エペソ人への手紙
3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
マルコの福音書
11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
会社で定期健康診断が春秋の2回ある。春は人間ドックと重なったので受診しなかったが、秋の健診を受けた。問題はないつもりなのだが、一年以内にかかった病気欄に腰痛と書いておいた。医師との問診では、通院したのならOKということでこの話はそれより進まなかった。血圧、尿検査、視力、聴力は問題なし。
今回採血した結果はすぐに出ないので、昨年の血液検査の結果から指導を受ける。コレステロール値について。これには毎回引っかかる。悪玉コレステロールの値が高いのだが、正常値を少し超えたところでずっと安定している。父親も高いので遺伝だろうと安心していたが、悪玉コレステロール値を善玉コレステロール値で割ると、正常な人は1~1.5というところらしい。マサイは4以上ある。数値よりこのバランスが重要で、これが高いと血管のつまり、心筋梗塞につながる可能性がある、と今回初めて教えてもらった。
徴候として現れるのは、第一段階では、手足の冷えや肩こり、頭が重い、むくみ、つめの縦しわ、肥満、膝や関節の痛み、肌荒れ、食欲不振など。第二段階では、高血圧や耳鳴り、手足のしびれ、物忘れ、息切れ、目の充血、高コレステロールなど。頭が重いことは時々あるが、たいていはパソコンの使い過ぎで目から来るもの。物忘れは年齢的な程度、とどれもまだ当てはまらないので、マサイには実感がない。
問診医は悪玉コレステロール値を下げる対処方法は3つあるという。一つは薬で数値を下げる。2つめは食事療法。豆腐、納豆などの大豆をとる。青み魚を食べる。3つめは運動をすること。細君は以前からマサイの健康診断の結果を気にしていろいろ考えてくれている。食事療法で教えてもらったものは、細君がよく作ってくれる。インターネットでコレステロールを下げる食品を調べてみると、食卓に並ぶものばかり。
その他細君がいろいろ調べてくれて最近とり入れるようになったものがある。全て神様が作られた自然界にあるものだ。まずはクルミ。クルミに多く含まれる成分には、動脈硬化や高コレステロール血症などを防ぎ、血液をサラサラにする効果がある。次にトマトジュース。トマトに含まれる「リコピン」という赤い色素には強力な抗酸化作用があり、悪玉コレステロールの酸化を防ぎ、血液をきれいにする効果が期待される上、血中の善玉コレステロールを増やす働きもあるため、生活習慣病の予防に効果的と考えられている。
この他父に教えてもらった芋焼酎がある。父は効用を知って勧めたというより、実家で食事の時にたまたま細君に勧めたものだ。それまで焼酎は飲んだことがなかったので、早速家に帰って飲んでみる。マサイはアルコールに弱いので、一杯飲めば十分であるが、香りと味が楽しめる上に頭が痛くならないので、気に入る。
この芋焼酎の効用をインターネットで調べて驚いた。善玉コレステロールを増やす作用、血栓を溶かす作用、ストレスを軽減させる作用、痴呆の予防、免疫機能、肌荒れや消毒薬代わりの殺菌作用、関節痛を抑える作用があるという。芋焼酎には、ウロキナーゼという体内にできてしまった血栓を溶かす作用がある酵素を増やす効果があり、サツマイモがアルコール発酵するときに出来る脂肪酸エチルエステルという成分が脳梗塞を出来にくくする、血圧が安定してコレステロール値が下がる、と書いてあった。良いことずくめなのだが当然適量があるようだ。
家では悪玉コレステロールを下げる食事を続けている。お昼は細君がお弁当を作って持たせてくれる。運動は問題ない。前回検査時以降クルミを毎日食べるようになった、トマトジュースも定期的に飲むようになった、芋焼酎を適量続けて飲むようになった。いつもマサイの体調には気を使ってくれる細君に感謝している。この結果は今回の血液検査に出て来るはずなので、それを楽しみに待つことにする。
年をとると、こういうことひとつひとつが命に結び付く重大なことになる。本人はいたって健康なつもりでいるので、出来れば薬に頼らず、神様がお作りになった自然界のもので解決したい。日々このことについてはお祈りしている。神様、健診で注意を受けたことについては、神様の御手にゆだねます。解決を与えて下さい。よろしくお願いします。
詩篇
25:12 【主】を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
25:13 その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。
25:14 【主】はご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになる。
25:15 私の目はいつも【主】に向かう。主が私の足を網から引き出してくださるから。
母は随分元気になってきた。月刊マサイ188号で、骨粗鬆が原因の「腰部脊柱管狭窄」と診断され、脊髄の3と5が圧迫骨折していた、と書いたが、順調に回復して今は背中もそんなに曲がっているようには見えない。訪問するたびに細君が台所に立って食事を作ってくれるのだが、母は厚手の肉でもぺろりと平らげる。82歳なのだが、食欲は落ちていないので安心する。
母は、勧められて近所のデイサービスセンターに週一回行くようになった。車で送迎をしてくれるという。8月に初めて行った時は、体温、血圧を測り、体操、リハビリ、足温浴、ボディプラス(わずかな上下運動で効果的な動きを作るもの)、エアロバイク、ドクターメドマー(空気圧を利用した波動型の医療用マッサージ器具)、脳トレ、をやってきた。「本日はご利用有難うございます。皆様とお話をされたり、いろいろ挑戦されたりしていました。お疲れかもしれませんので、今日はゆっくりお休み下さい」というメッセージと実際にやっているところのスナップ写真をプリントした挨拶状をもらってきた。パンフレットを見ると、機能訓練と効果的な介護予防、機能向上効果のリラクゼーションで素敵な笑顔を応援します、とある。
その後、週一回、毎週金曜日に通っている。折り紙やら塗り絵やらが配布されて楽しく時間を過ごしているようだ。良い人たちばかりだ、と言っている。本人がとても気に入ったので、週に1回ではなく、もっと頻繁に行っても良いのだが、今度は父が母を離さない。母が不在の間に自分が一人で倒れたらどうする、という心配に取りつかれているらしい。母を一人自宅に置いて、病院に行ったり、外出したりするのは心配なので、デイケアに行っている間にそれらをしたいと言っていた割には、いないと不安になるようだ。
体の心配なくなってきたのだが、物忘れがひどくなった、と父は言う。確かに時々訳の分からないことを言う。細君と2人で訪問中に、さっきいた孫(我が息子)はどこに行った?と聞く。我が息子は一人っ子であるのに、お兄ちゃんの方は~、とあたかも弟がいるような話をしたりする。しゃべり方はしっかりしているのだが、本気で言っているのかとぞっとする時がある。
残念なことに老化は舌にまで及んでいるらしい。おふくろの味が食べられなくなった。我々の訪問時には、息子(マサイ)が好きだったからとおかずを作っていてくれるのだが、その味が変わって来ている。きんぴらごぼうに今まで入っていたことがないニンニクや肉が入っている。焼豆腐は味が全く違う。どちらもマサイの子供の頃からの好物である。母はちょっと失敗したと言うが、最近その失敗が度重なるようになった。実家では言えないが、味付けは確かにおかしい。骨折が治るまで調理から遠ざかって、買ってきた惣菜や冷凍物を食べる機会が増えていたからかもしれない。本人はご飯があれば十分だと言っている。うどんやパンではだめらしい。悲しいことであるが、マサイの好物は、細君がその味を受け継いでくれるという。
マサイが息子目線から見て大丈夫そうな84歳と82歳になる両親のことは、細君が毎朝祈ってくれる。私にはもうマサイの両親しか親はいないからと日頃言ってくれているので、いつも細君には感謝している。両親が不慮の事故や事件に巻き込まれないように、認知症にならないように、介護ノイローゼにならずに日々楽しく過ごせるように、まだ神様を受け入れていない両親が救われるように祈る。神様の恵みと祝福が両親の上にありますように、よろしくお願いします。
詩篇
103:15 人の日は、草のよう。野の花のように咲く。
103:16 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。
103:17 しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、
103:18 主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。
103:19 【主】は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。
通勤電車の中では本を読んでいる。イヤホンをして音楽を聴くことはしない。マサイが好む音楽は、ピアニシモでは聴こえなくなり、フォルテシモでは周りに気を使って音量を下げてしまうので楽しみが半減してしまう。だから音楽は家で聴くことにしている。15歳からずっと通学、通勤の友は本なのだが、かれこれもう41年以上読み続けている。今、出社時は途中までが祈りの時間なので、祈りが終わり次第本を取り出す。
聖句や聖書箇所が出て来る小説を気に入って読んでいる。作品の中に聖句を見つけ出し、作家が繰り返し読んだ聖書から神様について何を語っているのか、それがどこに隠されているのを読み解いている。時には囲碁のように自分に都合の良い「勝手読み」になる場合もあるが、展開的にはずれが出たとしてもそんな風に読むのは実に楽しい。それが正しい読み方だということではない。解釈上それは違うと反論を持たれる方もいるであろう。あくまでも個人的な楽しみでやっていることなので、その点はご理解いただきたい。
ほぼ30年前に読んだ外国小説を違う翻訳者で読み直している。翻訳者が変わると随分印象も違う。全集を買って読んだお気に入りの作家なのだが、さすがに30年もたつと内容が思い出せない作品もある。その作家の長編小説は5つある。これから1年に1作品ずつ読んでいけばちょうど定年前には読み終わる、という計算のもとに昨年から読み直し始めた(何故定年前までにと考えたのか、などはあくまでも個人的な問題なのでここには書かない)。
読み直しといっても、中には3回目、4回目のものもある。しかし作者がその作品を書いた時の年齢を読み手の自分が超えて読むのはこれが初めてである。印象は随分違う。また2回目以降はクリスチャンになってからなので、聖書的観点から読んでいる。今回は上に書いたように、作品を読みながら聖書についていろいろ考えることができたので、それを書いてみる。
昨年読み返した1作品目は、20代で最初に読んでから4回目で、読むたびに新しい発見がある。さすがに5回目はないだろうと思って、細かにノートをつけながら読んでいた。ここではヨハネの福音書のラザロの復活の箇所が中心となって物語が組み立てられている。盗品を隠す場面で登場する、転がされた大きな石というのも実に聖書的なメタファーだな、と考えながら読んだ。新約聖書のいくつかの箇所が重要な役割を果たしているのに、作品解説の類を読むと、ほとんどその箇所に触れていない。わざと触れないようにしているように思える。そういうところは実に残念である。
今年選んだ2作品目の舞台は、ロシア中西部の地方都市と、その郊外にあるスクヴォレーシニキと呼ばれる別荘地。事件は1869年の秋から冬にかけて起こる。日本では明治になったばかり、版籍奉還が行われた年である。1861年のアレクサンドル二世による農奴解放令以後、ロシアは新たな自由化の波に翻弄され、社会全体が混沌とし始めていた。この作品を読むのは2回目である。
まずは巻頭にルカの福音書8章32~36節がある。
8:32 ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。
8:33 悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。
8:34 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
8:36 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
物語が始まる前の予告的なものである。1回目に読んだ時は、いきなり聖句が出て来るので嬉しく思ったものだが、この聖句をどう理解すればよいのかが大きな問題だった。悪霊自身がイエス様に底知れぬところへ行けと命じないで(31節)、豚に入ることを許してくれと願う。行き先を指定して追い出してもらっていながら、その直後に自殺行為が起こる。この作品中、自殺は主人公だけである。登場人物が次々に命を奪われて行くことにつなげるために巻頭にこの聖句が置いてあるのだろうと当時は考えていたが、何となく釈然としないものがあったので、今回は、実は作者の言いたいところはそこではなくて、
8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
8:36 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
というところにあるのではないか。この小説を農奴解放で混沌としたロシアに起きた革命騒動のメンバー内での殺人をめぐる物語と受け止めている人も多いようだが、主人公に取りついたいろいろな悪霊が追い出されて滅んでいき、主人公は正気に返り、信仰を手にする物語なのではないだろうか、と考えながら読んでいた。実に聖書的だ。
聖書のこの箇所にのみ忠実に話を進めるならそういった展開もあるなと十分期待して読んでいた。しかし物語は、そう進まなかった。聖句通り主人公から追い出された悪霊は若者たちに乗り移り、怒涛のように湖に雪崩入って溺れてしまった。それはまさに上に書いたルカの福音書8章通りだったが、主人公一人だけがそう進んでくれなかった。この聖書箇所はマタイの福音書とマルコの福音書にも同様の記述がある。この主人公の行動の鍵は、きっと巻頭の聖句がヒントであって、次の38節以降にあるに違いないと思っていろいろ探したが、正気に返ったレギオンはその後出てこなかった。この聖句だけに物語のヒントがあるのではないらしい。
その他文中には副主人公的なS氏をめぐる展開の中で、「右の頬を打たれたら」という断片的な言葉や、福音書売りの女性が「山上の垂訓」を読むという短いくだりがあるが、この箇所が膨らむようなことはなかった。
物語の文中で聖句全文が出て来るのは、黙示録3章14~17節である。ラスト近く、福音書売りの女性がS氏に適当に開いたところを読んでくれと言われて、この箇所を読む。しかし本来は、主人公が修道院に主教を訪れた際に、主教が聖句を暗唱する場面で登場するものであった(ここの箇所の扱いについては、過去いろいろなことがあったらしく、原文中ではなく巻末に付録として付けている出版社もある)。
3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
3:15 「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
3:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
さて、これをこの作品にどう結び付けて行くかだが、原文で読んでいるわけでもないので、マサイ個人はこう考えながら読んだという(あくまでも個人的な)こととしてご容赦願いたい。
ラオデキヤはローマ時代には富裕なことで知られた町で、金融業、毛織物、眼薬で有名であった。日本の作品解説では、絶対に聖書や信仰に結び付けて作品を考えないが、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい、というのは、100%イエス・キリストを受け入れる、またはイエスに捧げることであって、生ぬるいということは、その反対を意味する。主教にこの聖句を読んであげたいと聖書を要求した主人公の根底にあったのは神様を求める心であり、同時にそれを暗唱した主教からは、神様を知らないあなたは、「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」、だから神様を受け入れ、神様に全てを捧げよ、というメッセージが発せられていたということであると考える。
主人公は、神様を受け入れる瀬戸際に立って揺れていた。無神論は無関心より神様に近い、と主教は語る。しかし結局主人公は、神様を認めながらもそこにたどり着くことを自らの意思でしなかった。
主人公は神様に到達し得なかったが、福音書売りの女性に同じ黙示録の箇所を読んでもらったS氏に救いは現れる。ここには直接出て来ないが、黙示録の前述に続く箇所は、以下の通りでる。
3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
3:21 勝利を得る者を、わたしと/ともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
重要な登場人物の一人であるS氏は、最期に救いにたどり着く。S氏は20年以上にもわたり生ぬるさの中にあったが神様から吐き出されることなく、自らの意思でそこから出て、神様への信仰を告白した。
作者が書きたかったところはここにあったのかとやっと気付いた。1回目に読んだ時も、今回も、1巻目最初にあるルカの福音書の聖句があまりに印象強く、そこだけに捕らわれていた。ルカ8章の周辺を何度も読み直しても釈然としないものがあった。一人で悶々としていたが、あきらめてどういう意味だろうと細君に話してみた。詳しく説明をしているうちにはっと気が付いた。鍵は黙示録の方にあり。こっちなのか、と目から鱗的な気付き方だった。神様の意思も作家の意思もここに表れていた。黙示録と合わせて考えることをしていなかったので、作者の言いたいことにたどり着くのに随分かかった。
この作品を読みながら、また読んだ後も、聖句について随分考える時間が持てた。充実した時間であった。素晴らしい聖句に感謝します。
マサイにはオートバイに対するあこがれのようなものがある。自身免許をとる機会がなかったのだが、大型のアメリカンタイプでゆっくりツーリングというのに憧れていた。しかし興味を持っていた昔は、オートバイイコール暴走族的な見られ方もされていたころだし、危険視されていたし、してきた。その上身近なところでオートバイの事故が2件発生した。一人は中学の同級生で、停車中の車に400ccのバイクで突っ込んでしまった。もう一人は取引先の御子息で、大学でラグビーをやっていたがバイク事故を起こした。2人ともに健康で頑丈な若者だったが、オートバイ事故で大切な命をなくしてしまった。親御さんの悲しみや如何にと思うと涙が出て来る。その印象が残っているので、小さい頃から息子にはバイク禁止を言い渡してあった。
普通自動車運転免許を取ると50cc以下のオートバイに乗れるようになる。息子は大学入学前に免許を取った。大学に入ると朝練のプールが寮から離れている。入学直前に朝練に参加させてもらった時は、先輩の運転する中型免許で乗れる大きなスクーターで連れて行ってもらった。3時起床での移動は、かえって自転車では危険。距離も自転車では辛いほど離れている。この時入学後の生活について話を聞いて来て、日々の足、移動手段としてミニバイクが必要になるので覚悟してくれという。毎回祈ってから乗ることを約束して、50ccのバイクを大学入学前に購入した。マサイとしては苦渋の決断であった。
納車の前日が雪になった。家までの坂は今でも強烈に印象に残っているほどの積雪状態で、スキー場のようだった。そりがあれば夜を徹して遊べそうなくらい。膝まで雪に埋もれながら帰った。その翌日朝からスコップを手に、雪かきをこの共同住宅の駐車場から駐輪場までやった。息子のミニバイクを寮のそばのバイクショップまで取りに行く日だったので熱心にやっておいた。初の公道運転が雪の解け残った道で危険なので、マサイが代わりに取りに行ったのだが、マサイは最近自転車にすら乗ったことがない。というのに、初めての道、初めてのミニバイク、道路は雪が解け残り、ところどころ凍結が心配、という条件下での運転となった。無謀な計画だった。初めてのヘルメットはメガネの弦がなかなか入らず、操作方法も分からず、当然バイクは思うように動いてくれず、路肩にはかき分けた雪が積もっている、マンホールはどれも凍結していて滑りそうだ。半泣き状態で祈りながら、10km以上の道のりを走って帰って来た。
息子は雪かきをして綺麗になった団地の駐車場で行ったり来たりしてバイクの練習。普通はこういうことをしてから公道に乗り出すものだ。エンジンのかけ方とハンドルロックのし方を説明されただけで、いきなり時速50kmの2車線の公道へ乗り出したのは、無謀としか言いようがない。後から考えてもゾッとする。
息子はその後まだ入学前、夕方のトレーニングからの帰り、センターライン上でブレーキをかけて転倒したと興奮して帰ってきたことがある。何が起こったか分からなかったらしい。幸い後続車がいなかった。センターラインや横断歩道上でのブレーキが危険であることをまず学んだ。入学後はやはり皆同じように慣れないバイクの運転で、朝連へ向かう時に自爆事故で怪我をした仲間も数人いたらしい。二度と運転したくないと思っていたが、息子がインフルエンザにかかった時に駅前の駐輪場から寮の駐車場まで代わりに運転して行ったことがあった。これが2度目の運転だったが、この時も緊張度合いはMAXだった。危険であることに変わりはない。マサイは毎日バイクの運転については祈って来た。事故、事件、怪我、違反、盗難からお守り下さい。その後息子は毎日練習や学校の行き帰りに運転をしていた。駐禁が2度、盗難騒ぎが1度、ヘルメットの盗難が1度、挙動不審の車にまどわされたもらい事故が1度あった。家に遊びに来ても寮に帰るまで心配でしようがない。ラインで帰宅を知らせて来てやっとほっとする。
このミニバイクには2年半乗った。仲間内では中型自動二輪の免許を取って、250~400ccに乗っているのがいるらしい。昔のように大型バイクイコール暴走族という見方もなくなってきた。30km/h制限の50ccに比べ、法廷制限速度が出せるので、移動時間が違うという。昔から免許を取るなら応援すると約束をしてあった。矛盾するようだが、マサイとしては最初のポリシーがあるから、ライセンス習得だけを考えていた。免許さえ持っていれば、いつでも運転はできる。しかし年を取ってからでは恐怖が先に立ってしまう。マサイ自身のことを考えると、免許は取れる時に取っておかないと後で後悔する。ということで自動二輪の教習代は応援しようと前から言ってあったが、中免と限定しておかなかった。
どうせなら大型自動二輪の免許を取りたいという。寮の近所に大型が取れる教習所があるらしい。教習料特別割引のチラシが丁度ポティングされていた。で、一旦中型を取って大型にステップアップするのかと思ったら、最初から大型自動二輪の免許を取るという。教習時間も中型17時間に対して、大型は31時間と多い。その代わりどんな排気量のバイクでも乗れるようになる。冒頭に書いたようにマサイには大型バイクへのあこがれがあった。働き始めてから免許を取るのは難しいだろうからと、予定していた以上の教習料だったが応援することにした。
大型の教習なので750ccを使う。今年新型を導入したばかりということだったが、今までの教習用定番バイクと違って大きく見えない。重そうにも見えない。しかし50ccがいきなり750ccになるので、やはりパワーが違うという。ほんの数ミリスロットルを動かしただけで、加速するという。教習が終わって50ccで帰る時、目いっぱいスロットルを回してもスピードが出ないので、あまりのパワーの違いに笑ってしまった、と報告してきた。
教習はスムーズに行った。卒業検定も一発合格。6月23日から教習を開始して、7月24日に教習所卒業。翌25日に運転免許センターで更新して、免許に大型自動2輪が加わった。ギア付きの大型に乗ってみると、ほしくなってきたという。当然の成り行きといえばそうなのだが、マサイは免許までしか想定していなかった。後輩にバイク雑誌を借りてきて見ているという。親子でアメリカンが良い、と意見は合致しているのだが、モトクロス用のようなモタードも気になるらしい。乗車姿勢が前傾になるスポーツタイプや一般的なネイキッドタイプ、スクーターは興味がないらしい。スピードを出すつもりもないし、ゆったりと走るクルーザーとして楽しみたいという。
マサイは昔からアメリカンタイプのバイクが好きだった。自分でも免許を取る機会があったら乗ったのだろうか。それはそれで世界が変わったかもしれない。ただバイクの事故が身近であったので、危険なものを避けていた。息子は教習所の卒検直前に、先輩たちも買いに行ったというバイクの中古専門店へ行って、アメリカンタイプを探してもらったという。すっかり買う気でいる。大手チェーン店なので、カタログから気に入ったものを選ぶと全国から取り寄せてくれるらしい。良さそうなものをLINEで写真を送ってきた。相談事はいつもこういう形で送られて来る。店にいて返答を待っているだろうからと、マサイは仕事中でもすぐにアドバイスを返すことにしている。250ccか400ccくらいを買うのかと思っていたら、いきなり1100ccの画像を送ってきた。チョッパーハンドルで、見た目いかにも昔でいうところの「族」。そんなハンドルにしてしまったから売れないらしく、ちょっと安い。本人それでも気に入ったらしい。大型アメリカンクルーザーも1100ccになると随分大きくなる。それだけでも心配なのに、このハンドルは尋常ではない。親としてさすがにこれには難色を示す。
金はどうするのかと思ったら、ローンなら月々1万円という表示に騙されたらしい。1万円くらいならアルバイトをすれば返済可能と言われ、世間知らずでローンの仕組みも分からない学生は簡単に引っかかってしまった。すっかりその気でいる。見積もりを良く見てみると、現金買い取り価格に対して、ローンで全て支払った場合の合計額は、25%も高い。それだけ余計に払うことになる。現金買い取り価格を1万円ずつ分割支払いするのだと簡単に考えていたようだが、表示価格に対して、実際にいくら払うことになるのかその現実を教えると、はっと驚いていた。その他ガソリン代や、保険代、車検代、重量税など支払うものはたくさんある。結局、親が立て替えて一旦全額支払い、月々1万円ずつ返済していくという形にできる?と言われて、そこに落ち着いた。良い社会勉強だった。
後日またバイク屋さんへ行って、黒のアメリカンを全部検索してもらった。それが細君と都美術館でポンピドゥー展を見た後、上野でデートをしていた時だったが、どんどんラインに写真が送られてくる。細君と見てアドバイスを送り返す。YAMAHA、HONDA、KAWASAKI、750cc~1100cc。排気量が大きくなればなるほど危険性も増すような気がして、出来れば400cc位のものを選んでほしいのだが、せっかく大型免許を取ったのだから400ccという選択肢はないらしい。アメリカ車はどこまでも続く真直ぐな道を走るように開発されたもので、日本のように小回りを要求される道路には向かないと書いてある。それを日本仕様にしたのが、日本のメーカーのアメリカンタイプ。性能は安心できるし、デザインもよし。店員さんといろいろ話しながら送ってきているらしい。どれが良い?と聞いていながら、だんだん自分の中では750ccに傾いているのが分かる。初めてでいきなり1100ccを選ぶのより安心できる。ハンドルもチョッパーでない。750ccでも随分大きなバイクだ。前のオーナーが綺麗に使っていたので程度も良いという。帰っていろいろ調べてみると、発売当時限定1,000台生産の貴重なものだった。良いじゃないの、と連絡をすると、早速取り寄せてもらうことにしたという。
7月25日、試験場で大型免許をもらってきた後に学校へ行ったが、取り寄せた750ccが入ったということで帰りに寄って見てきた。綺麗でびっくりしたらしい。料金は提示額からまけてもらえなかったが、決めたという。今まで乗っていた50ccは、タイヤやブレーキなどあちこち支障をきたしていたらしい。それも引き取ってもらえるという。苦渋の選択から2年半、また大きな選択をすることになった。どうしても買ってはいけないと言えなかった。購入の話が出てから主に安全を祈り、この選択が間違っていたら止めて下さいと祈り続けてきた。小さなミニバイクに乗るより、かえって存在感の大きなバイクに乗っていた方が安全かもしれない。今後の運転、交通事故について神様にお祈りをする。ゆったりクルージングするタイプなので、スピードを出したり、高速に乗って遠出したり、ということは考えていないらしい。細君が乗る前には必ず祈るように再度伝えて約束をしていた。バイクの事に限らず、どんな時にも神様を知り、求めていれば、あらゆるサタンの攻撃や誘惑から守られる。常に祈り続けていてほしい。
7月27日、息子は一人で近所の大型バイク用品店にヘルメットを買いに行った。あまりにいっぱいあるので迷ったらしい、映像が次々とラインに送られて来た。アドバイスは送ったが、最終的には本人がバイクの色と合わせたものを選んだ。バイクは購入の意思を伝えて手続きが始まった。しかしこのあと保険、重量税、カバーなどの付属品、等々、自分で最初に考えていた以上に出費が重なることが分かってきた。物を買うということがどういうことか、良い社会勉強になったようだ。マサイの応援は教習所の規定時間分のみで、途中試験に失敗したりした場合は自分で払うように言ってあった。余分な出費もなく卒業できたが、親の応援はここまで。バイク購入については全て自分で払う。親への4年2カ月にわたる返済は8月から始まった。
なかなかナンバープレートが来なくて納車にならなかったが、やっと連絡が来て取りに行った。その夜1時間くらい一人であちこち走ってみたという。教習所で乗っていたタイプとは別物であるが、運転していても全然疲れないので気に入ったという。マサイは早く見たくてしようがない。乗って帰って来た時にまたがらせてもらう。重いものだ。思ったより大きく、安定感はある。あこがれの大型バイクに56歳にしてやっとまたがった。息子もこんなのに乗るようになったかと、感慨深いものがある。帰って行くのを見送ると落ち着いてゆっくりと走って行った。安心感を持って見送れた。
バイクの購入については祈ってきたことなので、後は神様に委ねます。運転については細君と日々祈り続けていきます。神様、安全な運転環境をお与えください。あらゆる事故、事件、怪我、盗難、違反、故障、悪戯からお守り下さい。そしてこの大型自動二輪を息子にとって有意義なものとしてください。よろしくお願いします。
ローマ人への手紙
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
詩篇
144:2 主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。
144:12 私たちの息子らが、若いときに、よく育った若木のようになりますように。私たちの娘らが、宮殿の建物にふさわしく刻まれた隅の柱のようになりますように。
歴代誌第一
28:9 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。【主】はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。
当たり前のことが当たり前にできないことのもどかしさを感じた。6月は月間200kmを目標に毎朝5時起床で走っていた。気候も良く調子良く走れるようになってきたので、一回に走る距離は延ばさず回数を増やす設定で、目標を今までの倍の距離にしてみた。順調に走っていたのだが、6月16日月間累計120kmを過ぎたところで腰を痛めた。
帰ってきて洗濯物を干していた時に、落ちた洗濯バサミを取り上げようと腰をかがめた瞬間に腰に電気が走る。今まで何度かギックリ腰のようなものをやって来たが、電気が走ったのは初めて。やったか、でも気のせいなら良いな、と自分をごまかしてみたが、気のせいではなかったようで、どうにもならなくなった。ベランダから細君を呼び、助けてもらう。無理やりストレッチポールに乗って体を延ばしてみる。これで少しは良くなるはずだと思ったが、効果はなかった。細君に腰に手を置いて神様に祈ってもらい、自分でも祈り続ける。過去何度か同じようなことがあったが、重い物を持ったからそうなったということは一度もない。いつも日常の何気ない動作の瞬間に起こる。今回は今までで一番ひどい状態だ。
株主総会前日なので準備も気にかかる。運営を担当しているので会社は休めない。腰痛用のコルセットで締め上げて何とか立てる状態にするが、猫背で身長が縮んだような気がする。細君に最寄り駅まで車で送ってもらって何とか出社する。座っていれば楽な時もあるのだが、しばらく動かないでいると固まって次の動作に痛みを感じる。株主総会進行の最終確認までして、半ドンで帰って来た。再び細君に駅まで迎えに来てもらう。
忘れた頃にこの腰痛が出て来るので、会社へ行く時の鞄は背負いタイプのものにし、片側に荷重がかからないように工夫をしている。また膝を使っての動作など、普段から腰痛には気を使って来ていた。当日走ったのもいつものコースで、時間にして50分弱。距離的にもたいした距離ではない。ただ前日からちょっと危ないなという予感はあった。しかしせっかく朝早くから明るくなってきて、走れる環境が整ったというのに休むのはもったいないという意識はあった。
金曜日、無事に株主総会や役員会が終わってやっと休みになる。痛みはあったが、土曜日は約束をしてあったので、実家の両親を訪問する。日曜日にやっと終日横になっていられた。今までは週末おとなしくしていれば、痛みが引くのだが、今回はひどかった。第一に寝返りが打てない。寝ていて腰をちょっと横にずらすという簡単な動作で激痛が走る。両肘をついてほんの少し腰を浮かせて、指先で腰を押してやる。それを何度か繰り返してベストポジションへ持っていく。夜トイレに行きたくなっても、立てない。当たり前のようにして立ちあがっていたことが出来ないもどかしさを感じる。まず首から背中にかけて起こす。膝を立てる。ここからがどうにもならない。右にも左にも動けない。天井から紐でもぶら下げておけばそれを掴んで立てるのだろうが、反転もできない。腰がいかに重要な部位かということが良く分かる。時間をかけてやっと四つん這いになったまま、掴まれるところまで膝をすって移動する。細君が何をやっているのかと驚いて起き上ったような状態。一旦動き出せば何とかなるのだが、再び横になる時には苦痛が伴う。今まで意識もせずに当たり前に出来ていたほんの簡単な動作が出来ないということはとても辛い。
結局コルセットは1週間以上外せなかった。会社でも仕事途中に時間を見て立ち上がって、背中を延ばすようにしていた。帰宅時は速く歩けず、階段の一段飛ばしが出来ない。
7月頭に人間ドックを予約してあった。遺伝なのだろうがマサイは悪玉コレステロール値が高い。血管内にそれがたまって血流が悪くなり、やがては詰まってしまうことを防ぐ対策として、常に血流を良くしておこうと考えてランニングをしている。その他血液をさらさらにする効果のあるトマトジュースやクルミ、芋焼酎など効果がありそうな物は全て取り入れて、今度こそはという思いで今回のドックに備えていた。しかし結局人間ドックの直前は半月以上走れないままでの受診となった。そのせいか悪玉コレステロール値はいつものようなものだったし、中性脂肪値が高くなっていた。これがとても悔しい。
何で200kmにこだわったかというと、今までの最長月間走行距離は、丁度10年前の6月に走った190km。10歳若かったのだが、以降それほど走れた時はない。その時も相当無理をしたのを覚えている。一生に一度くらいは月に200km以上走ってみたいという単なる数字上のこだわりに、コレステロール値を正常値にするという希望を結びつけて考えたことによる。ぎりぎりまで体を絞って検査を受ければ検査結果は良くなる、という勝手な思いこみで自分を鼓舞していた。当然根拠のあるものではない。しかしいつも自分の判断で無理をしようとすると神様がそれを止めてくださる。今回もそれだったのだろうと考えている。相当痛かったということは、体にそれ相応な負担をかける無理をしようとしたのだろう。それを教えてくださった神様感謝します。
詩篇
138:1 私は心を尽くしてあなたに感謝します。天使たちの前であなたをほめ歌います。
138:2 私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。
箴言
21:2 人は自分の道はみな正しいと思う。しかし【主】は人の心の値うちをはかられる。
7月1日、翻訳家であった義兄の葬儀は神様に祝福された素晴らしいものになった。平日金曜日の13時からにもかかわらず80人以上が参列してくださった。そんな人たちにティム・ヒューバー牧師の「確信を持って生きる、また死ぬ」というメッセージや、病床で神様を受け入れた義兄の最後のメッセージ、妹である細君の故人の思い出の中で語られた証しがしっかりと伝わっていた。神のなさることはすべて時にかなって美しい。ハレルヤ!
エンディングノートが売れていると聞く。遺書を書くには勇気がいる。しかし伝えておきたいことをまとめることは、死だけではなく、改めて生を見つめることになる、という。息子のためにもエンディングノートを書いておこうと細君と話す。マサイは一人っ子であるので、S家の歴史を背負っている。それを次世代に引き継いでいかなければならない。
ノートは、細かいながらなるほどそれは必要だと思える項目を記入しておくようになっている。「もしも」のときにすぐに知らせてほしい人、病気について、介護について、終末医療についての考え方、財産、遺言、葬儀、お墓、履歴、思い、など。
こうやって改めて項目を並べてみると、息子が知らないことは多い。例えばマサイの父方の墓は小田原に、母方のは大磯にある。細君は連れて行ったことがあるが、息子はない。細君の両親は三浦の教会墓地に入り、義兄は富士の登戸エクレシアキリスト教会の墓地に入ることになる。マサイの親戚関係についてはうっすらとは分かっているだろうが、正確なところはマサイしか分からない。細君や息子のために、自分の周りを整理しておくのも良い機会なので真剣に書いてみようと思う。
貸付金や借入金、ローン、保証債務、ショッピングローン・・・全てなし。したこともなし。
財産といえるものは、本がたくさんある。今では手に入らない絶版物もあるのだが、マサイの蔵書印が朱で押してあったり、ページの端が負ってあったり、線が引いてあったりするので、買い取ってもらえるかどうか。ただの文庫本でも、マニアが見たら垂涎の的というものもある。生涯読んできたもののベスト10を書いておくので、気に入ったら読めばよいし、その他は古本屋を呼んで買い取ってもらえばよい。クラシックCDは、現在は廃盤で手に入らない歴史的名演を含め、たくさんある。これも場所をとるものなので売り払ってしまって構わない。財産と言えるのはこれくらいのもの。
生命保険や年金、損害保険については証書を写せば済む。履歴は書き始れば長くなるので、簡潔にまとめておこう。パソコンについては登録メールアドレスや受信メールその他の保存データをどうするかを記入する欄がある。取っておいてもしようがないものばかりだろうから、消去して一向に構わない。生きている間は不要な物をひたすら収集し取り置くという行為を繰り返しているということになるようだ。本人にとって必要な物も、家族ですら不要な物である。だから宝は天に積んだ方が良い。
マタイの福音書
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
しかし残すべきファイルは一つだけある。息子の泳いだ大会の全記録。5歳で出たスイミングクラブの構内記録会以降、出場レースのラップタイムが全て記録してある。これだけは取っておいてほしい。
法定相続人は細君と息子。遺族間の争いが起こるわけもないので、遺言は書くつもりはない。遺言はないということをこのノートに書き留めておこう。弁護士、税理士、行政書士、遺言執行人は現時点では誰もいない。
かかりつけの病院は、めったに行かないが近所の内科。定期検査に行っている病院と眼科医、人間ドックの健診クリニック。このあたりにカルテが残っている。56歳の今、既往症や持病はない。常備薬もない。病名や余命告知については、病名も余命も全てマサイには告知してほしい。しかし不安にさせたり心配させたりしないように、細君には伝えないでいてくれれば有難い。ただ単に死期を延ばすだけの延命治療なら希望しない。口から食事が摂れなくなったら胃ろうにする必要はない。臓器移植と献体は考えていない。マサイの判断能力がなくなった時は、第一に細君、第ニに息子の判断に委ねる。
葬儀はなるべく質素に、遺影は不要。残された遺族のために祈ってもらう場にしてほしい。今までサーフィンをしてきた海へ散骨してもらうのが希望。葬儀の際には頌栄539番を最後に歌ってほしい。高校時代、チャペルでのアッセンブリーアワーや礼拝の時間に立派なパイプオルガンの演奏で何度も賛美したものだ。
あめつつこぞりて
かしこみたたえよ
みめぐみあふるる
父、み子、みたまを アーメン
聖書の箇所で一番好きなのがローマ人への手紙8章28節。
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
この御言葉に乗って昇天したと話してくれれば嬉しい。葬儀ではバッハの無伴奏チェロ組曲を流してほしい。演奏はパブロ・カザルスではなくヨー・ヨー・マで。
ここまで書いて、改めてクリスチャンであることを喜ばしく思う。神様に守られ、導かれ、感謝を捧げられる特権は実に素晴らしいものである。そこには不安がなく、希望があふれている。生前翻訳を通して聖書にふれていた義兄は、今頃天国でイエス・キリストと会っているに違いない。神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる。ハレルヤ!
コリント人への手紙第一
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:57 ・・・神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
ピリピ人への手紙
1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。
ヨハネの手紙
5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
息子の大学から平成28年度父母懇談会の案内をもらった。就職状況説明とあったので、細君と行ってきた。大学全般、就職状況などについて説明、合わせて修学状況などに関する個別面談を通してご父母とのコミュニケーションを図るという。我が家は一人しか子どもがいないので、こういう機会も1回しかない。今まで貴重な機会は逃さないように、全て参加するようにしてきた。毎年変わる就職戦線について、活動、状況などの説明が聞けるものならと思って出かける。
マサイが学生のころ親が大学に行って説明を聞いたという記憶はない。時代は変わったようだ。35年前は学生向けの就職説明会を受けた後、授業に出ながら個々での活動になった。今のようにインターネットで何でも検索出来る時代ではないので、それぞれ自分の希望する職種について就職課で資料を閲覧したり、掲示物から情報を収集したりした後、直接企業に電話をして話を聞きに行った。
マサイが学生の頃は4年生の10月1日会社訪問解禁、11月1日入社試験解禁というルールが表向きはあった。一般企業は青田刈りでもっと前から内定を出していたようだが、マスコミはこの就職協定をかたくなに守っていた。そのマスコミを中心にした会社選びだったが、6月に母校の中学校で2週間教育実習をした後は、教師も良いなと考えがふらふらしていた時期もあった。会社訪問解禁初日の10月1日には第一希望の会社の玄関に1番で並び、面接が終わった後は次の会社へ急いで移動し、翌日は別の会社を訪問、など充実した就職活動であった。求人は1社で3人とか極端に少なかった。就職難の時代であったことは間違いない。結果全滅であったのだが、行きたい会社へのアプローチを無理だからと最初からあきらめてやらなかったということはなく、やるだけやっての玉砕なので充実していて悔いはなかった。
成人式も済んだ大学生のことなのだからもう親の出番ではないだろう、といってそんなに集まらないだろうと思って会場に行ったら、参加者がたくさんいるのに驚いた。全体会で前年度の就職状況と就職支援情報の説明があった。数日前の報道では、前年度の就職状況が向上しているとあった。将来やりたいことを既に見つけて目標を持って入学した学生が、そのために積極的に資格を取るなどの大学生活を送っているという事例を紹介していた。そういう学生は少数派だと思うのだが、将来やりたいことを見つけるのが大変なのではないかと思う。20歳時点で自分の未来についてのビジョンを確かに持っている学生がどれほどいるか。
企業を選択する時に、全国あまたある企業から如何に自分にとって最適な会社を選ぶのかは大海に釣り糸を垂れるに等しい。TVCFで流れる会社くらいしか社名を知らないというのが現状だろう。そういう会社には求人学生も集まり、人気企業となるだろうが、入社後の労働環境が全て優良企業だとは考えにくい。かえって表には出ない優良な会社はたくさんあるはずだ。これからの一生託すに値する会社選びに息子はどうやって立ち向かっていくのだろうか。今話題のブラック企業などには絶対引っかかってほしくない。マサイは毎日神様の御心にかなった、息子にとって最適な就職先を、と祈っている。
入学してちょっと落ち着いたと思ったら、もう就職という話になった、という印象である。マサイの会社に訪ねて来る金融関係などの若い担当者を見ていると、息子はどんな社会人になるのだろうかといつも考えてしまう。数年後には息子もこうやって取引先を訪問するのだろうか。就職活動スケジュールは経団連の指針によるらしい。就職活動開始時期や、内定が出る時期などが毎年変わっている。しかし外資系は経団連に所属していないからその対象外となるなど、ルールはいろいろあるらしい。前年には「オワハラ」という新語も聞くようになった。マサイは企業の採用担当でもあるので、採用する側の気持ちも分かる。企業がどんどん新卒を募集できる時代ではない。
全体会の後、学部別の説明になる。ここでは大学院の案内もあった。次に学科別に会場を移して、具体的な話を聞く。役に立つことも聞けた。そんなこと、という類の面接、訪問時についての注意だが、この日の一番の収穫だった。個別面談は希望しなかった。そこまで心配はしていない。終了後キャンパスランチ体験チケットをもらったので、明かりが良く入る綺麗な広い学食でハッシュドビーフを食べて帰って来た。
ご子息ご息女が何を目指しているのか、何が将来やりたいのかを御家族内でよく話し合ってください、と言われた。今まで将来の安易な計画についてなら何度か聞いたことがある。息子はいったい何がやりたいのだろう。どういう社会人になりたいのだろう。ゆっくり話し聞く時間を持った方が良いのかもしれない。しかし逆に親の先入観が全く入らない状態で選ばせてあげたいという気持ちもある。企業選びは親がどうしろこうしろということではないし、本人がやりたいということに制限をかけることも絶対にしたくない。納得するまでやればよい。ただマサイの経験からして、途中で職を変えるのは、最初に職を得るより大きなエネルギーを使うので、出来ることなら最初から転職を考える必要のない企業に入ってもらいたい。
既にスポーツ選手として全国区に広げてきた地境だが、いよいよ親の庇護化から完全に離れて自分の地境を別世界で広げて行く時がやって来る。クリスチャン社会人として立派に成長していってもらいたい。親はそのことについて祈り続けます。神様が息子に持っている計画を示してください。そしてそれに従うことができるように導いてください。神様、祝福してください。お願いします。
第一歴代誌 4:10
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
箴言
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
細君の両親の納骨式に行った。義父は洗礼を受けた横須賀市久里浜の教会でかつて墓地委員長をしていて、三浦海岸が見える静かな墓地を教会として購入するために尽力していた。生前手続きをしてあったので、そこに夫婦で入ることになった。
義父は7年前に亡くなっているのだが、義母と一緒にということで、納骨せずに待っていた。義母も昨年暮れに亡くなったのだが、喪主である義兄の具合があまり良くなかったので、暖かくなってからということにして納骨を延ばしていた。喪主である義兄夫婦も出席する予定だったが、義兄の具合が芳しくなく、万が一の場合を想定して前日風の強い吉祥寺まで骨壷を2つ受け取りに行った。当日朝になっても義兄の具合が回復せず、義姉も昨晩指を骨折ということで来られなくなった。
4月最後の土曜日、骨壷を2つ、マサイの左肩に義父、右手に義母を持って、南武線、東横線、京浜急行線と乗り継いで三崎口へ。そこからバスで少し行き、降りてから実に自然豊かでのどかな風景の中を墓地まで歩いて行った。バス停付近が今年読んだ、司馬遼太郎の「箱根の坂」の舞台になったところで、説明板が立っていた。このあたりまで三浦一族を攻めに北条早雲は来たのかと、あたりを見回しながら歩く(マサイは早雲ゆかりの地、小田原育ちである)。
墓地の入り口から斜面を下って行くと、遠くに三浦海岸が見える。風もなく、良く晴れ上がった空には高くトビが両翼を広げて円を描いている。茂った木からは鶯の鳴き声が聞こえる。久里浜の教会からは我々の結婚式で証人をしていただいた前牧師夫妻、その御子息で現牧師夫妻、義父母が教会でお世話になり、我々の結婚式にも来てくださったご夫妻がわざわざ来てくださった。
管理事務所で所定の手続きを済ませた後、主はわが牧者なりと彫られた墓前に横一列に並んだ。ピアニカの伴奏で義母の好きだった聖歌157番「われいのちを」を賛美し、故人が好きだった聖書を2箇所読んでいただいた。
聖歌157
われいのちを なれに与え
血にながみを きよくなして
死とよみの手より なれを解きぬ
いかなるものもて なれこたえし
伝道者の書
3章11節 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
納骨式は埋葬式ともいう。前牧師が開会の祈りに続いて聖句から「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と題してメッセージをしてくださった。この聖句は24年前、細君の実家で結婚の申し入れをした時に、義父が読んでくれた箇所だ。いろいろな時にあてはまる聖句だが、お気に入りの箇所だったらしい。ここには二人の人生が神様のなさる業として組み込まれている。それはどんな時にもどこを輪切りにしても美しい、というメッセージだった。
ヨハネの福音書
3章16節 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
義父と義母は、娘である細君の導きにより1985年5月、上の御言葉を単純に幼子のような思いを持って受け入れ、イエス様によって愛されたものとして信仰を告白し、二人揃って洗礼を受けた。続いてこれも義父のお気に入りの讃美歌158「あめには御使い」を皆で賛美。
讃美歌158番
あめには御使い 喜び歌え
土にはよき人 みつげを聞けや
わがきみこの日ぞ 死に勝ちませる
いのちもまことも 道もイエスなり
骨壺は墓石の後ろにある重い石を外して中に納める。重い石を外して横にずらしてある様子が、イエス様の墓の前に転がしてあった石を思わせた。のぞくと上下2段に骨壷がいくつも並べられるようになっている。骨壷には名前が書いてあるので、生前仲の良かった方の隣に夫婦仲良く並べて納めてもらった。
無事納まったところで頌栄、新聖歌62「あまつ民も」を賛美し、終祷。
新聖歌62番
あまつ民も 地にあるものも
父、子、御霊の 神をたたえよ 神をたたえよ アーメン
最後は欠席の喪主に代わって細君が挨拶をした。実にしっかりとした挨拶だ。両親ともに長い間面倒を見続けてきた。それは大変なことだったが、細君は実によくやっていた。今無事にこの三浦の地に両親を納めるという大役を終えて細君はほっとしている。
三浦海岸へ移動して皆で食事をしながら故人の思い出を語った。上にも書いたが、教会の墓地委員長や会堂建築委員長をやってきた義父は、皆に尊敬され、親しまれた、委員長が似合う方であったと言ってもらえた。家庭集会での義母の思い出も出た。良い人たちに恵まれて、神様の祝福を受けていたことが良く分かる。神様の恵みあふれた良い時が持てた。神様感謝します。
水曜日の帰宅途中、電車の中で息子からラインを受け取った。
「バイト中歯欠けた」
突然のことなので、一瞬何が何だか分からない。状況説明が全くなく、結果だけを知らされて驚く。息子は寮のそばの大手宅配業者の支店で荷物の仕分けのアルバイトをしている。そこで何かあったらしい。
「労災のきく歯医に行ってくれって言われた」「前歯欠けた」「痛みはない」
とラインは続く。その後、どれだけ欠けたのかを写真で送ってきた。前歯の1本右下が扇型に欠けている。永久歯だから当然もう元には戻らない。
マサイは小学校5年生の時、プール掃除をしていて、ふざけて同じクラスの男子が振り回してきたバケツが前歯に直接当たって欠けたことがある。前歯の歯並びが悪くて丁度矯正を終えたところでそうなった。健康な歯だったが、根元だけ残して切り取り、根に穴をあけて差し歯にした。後ろ側が銀なので、それが透けて色味は悪い。さしたものが一度ずれて来たので削ったり、調整したり、何度も歯医者に通った。後に歯茎に当たる部分に隙間があいて来て、歯茎の色が濃く悪くなってきた。差し歯も一生ものではない。44歳になって差し替えることになった。綺麗になったが、お金もかかった。前歯は飾りだと思ってください、お煎餅、リンゴ、ランスパンを前歯で噛み千切るのは禁止、と言われてもう10年以上たったが、今でも気を使う。
ということがあったので息子には綺麗な歯のままでいてほしかった。子どもの頃から食後丹念に歯を磨く習慣を付けたので今まで虫歯もない。残念な気持ちが大きい。
状況を聞くと、宅配便のトラックに荷物を積み込んでいた時にトラックからパレットの支えが落ちて来て直接歯に当たった。支えは鉄パイプだった。唇が切れたり顔に当たったりせずに歯にだけあたった。立派な事故だ。支店長には伝えたという。21時過ぎまでラインのやり取りは続く
被害者が20才を過ぎているからか、翌日になっても家族にはこの事故についてアルバイト先から何の連絡も来ない。お詫びや状況の説明の連絡があってしかるべきだと思うのだが、全く何の対応もない。今回の事故がひどいものでなかったことを感謝し、祈ってから、細君に支店に行ってもらう。ここの責任者である支店長が出てきたというが、「書類を本社に回して作成するので後のことはこちらでは分からない」という全く先に進めない返事であった。細君はこの人と話しても無駄だと思ったという。大手の支店といっても、労災関係の指示や判断をできる人がいなくて、本社との取次的なことしかできないのが現状らしい。だから責任者に話しても、糠に釘だったという。生涯残る傷を負わされたので、本来なら損害賠償ものだと思うのだが、こちらも初めてのことなので、何をどうしたらよいか分からない。
息子の寮から一番近い労災指定病院を見つけて予約をする。土曜日に歯科医院へ。重要なことをちゃんと聞いてこないといけないので、最初だけは細君に一緒に行ってもらう。良い先生だったというが、病院は当然のことながら、労災の範囲内でやるのか、範囲を超えるとどうなるのかという一般的なことしか言えない。神経は大丈夫だったので、治療方法は2つ。今回欠けた所をプラスチックで補う。これは将来取れる可能性もある。当然マサイが言われたようにお煎餅、リンゴ、フランスパンを前歯で噛み千切るのは禁止。もうひとつは残った歯を削って、上からかぶせるもの。8万、10万、12万コースとある。労災で出来るのは8万まで。8万コースはプラスチック、10万は裏が金属、12万はセラミックスになるが、オーバーした分は自己負担だという。本来なら損害賠償ものだと思っているので、自己負担も何もないものだが、どの治療法にするかを次の予約を入れた月曜日までに決めなければいけない。駅前で夕食を一緒にとりながらゆっくり話す。
間近で見ると、確かに欠けている。欠けていなくてもこういう前歯の形をした人を見たことがある。気になるといえば気になるが、残った割合から見て、かぶせるために健康な歯全体を削って小さくするのはもったいないように思える。プラスチックでこの扇形の面積を埋めたとして、常に取れてしまう可能性は今後持ち続けることになる。しかし当の本人は何にも気にしていない。早朝リンゴをかじってトレーニング出かけていたのができなくなる、というくらいしか問題にならないらしい。
それ以外にも学校のことや、最近あみだしたトレーニング方法、昨年からマサイと夢中になっているデニムのことなど、いろいろ話をしていて、鉄パイプが顔に当たって、傷が残るとか、唇裂傷とか、よりひどいことにならなかったのは、主が守って下さったのだと感謝する。マサイは、毎朝息子や細君が、事件、事故、サタンの攻撃や誘惑に遭うことなく、病気、怪我からお守りくださいと祈っている。そして守ってくださる主からは大きな安心もいただいている。これからの治療法やバイト先の対応については、主に祈って委ねることにする。よろしくお願いします。
詩篇
34:1 私はあらゆる時に【主】をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
34:2 私のたましいは【主】を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
34:3 私とともに【主】をほめよ。共に、御名をあがめよう。
34:4 私が【主】を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
34:6 この悩む者が呼ばわったとき、【主】は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。
34:7 【主】の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
34:8 【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
34:9 【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
練習の合間を縫って息子が帰って来た。春休みと言っても、朝3時40分起床、朝練~午後練~筋トレの毎日は変わらない。朝練後がオフになる日に帰ってきて、家でゆっくりして行った。夕食を家で食べてから寮に帰るというので、マサイも会社から飛んで帰って来た。
久しぶりで3人で食卓を囲む。いろいろと話してくれた。練習の合間に同じ部のメンバーは近所でアルバイトをしているのだが、そこでの話。息子は中学生の時、レンタルビデオ屋さんで職業体験の1日を過ごした以外は、実社会についての勉強をする機会がなかった。高校の時は時間的な余裕がなく、大学1年生の時はアルバイト禁止だった。2年になってやっとアルバイト許可になって、お金を稼ぐとはどういうことか、社会はどういう風に回っているのかを学ぶことを始めている。
支所のようなところのアルバイトに入っているのだが、練習、試合、学業優先で働くことができる。理解ある働き場所で、一生懸命やって可愛がってもらっているようなのだが、ここでの人間関係の話。世の中にはいろいろな人がいる。いろいろな人がいるのが世の中である。しかし自分の年の倍も人生経験を積んだ人にはそれなりに尊敬できるものが見えてほしい、という気持ちが息子にはある。
いろいろな人の中には、ちょっと考えれば分かりそうなものを、というのが分からない人、指示されたことを途中でやらなくなる人、間違いを指摘されて突然切れる人、というのはどこにでもいる。ただそれを無意識のうちにやっているのか、意図的なのかが分からない。不器用で愛すべき存在として受け入れることはできるが、それによって人に迷惑がかかるので、それを防止するために誰が注意すべきなのか。責任あるトップは転勤でよく変わるという。次いでサブ的な人と、事務をつかさどる年長の人、現場へ出て行く人、ここまでが社員。構内労働を主に担うのはアルバイトだが、その勤務内容を管理監督している様子もない。息子はそういう人に会うのは初めてであるので、どう対応したら良いのかというのがお悩み相談である。
社会ではイメージするところと、現実との違いがある。出来上がった商品だけ見ていたのでは、その制作から流通過程にどういった人がどれだけかかわって、各々の工程で何が行われているのかは分からない。社会に出て学ぶべきことはたくさんある。マサイは勤続30年、そういう人たちを何人も見て来ているし、実際同じグループに所属していたこともある、自分の部下だった場合もある。年上の部下だ。「部下は選べないんだよ」と言いさとしてきた取締役に「上司も選べませんよね」と食ってかかったことがある。そういう人たちにどう対応したら良いかについては常に悩んできた。問題は日々湧いて出てくる。
親として、社会の中で働く者として実体験を語るのは出来るが、やはり解決については、常に神様に祈って、守り、導き、助けてもらうことが大切だ。息子にもそれを勧める。息子もこれからいろいろ学んでいくことだろう。筋道だった話し方や、その時何を考えて、どう解決したのかを聞いていて、随分しっかりしてきたなと、細君と安心する。神様、息子をよろしくお願いします。
箴言
16:1 人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。
16:2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし【主】は人のたましいの値うちをはかられる。
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
16:4 【主】はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
16:5 【主】はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。
16:6 恵みとまことによって、咎は贖われる。【主】を恐れることによって、人は悪を離れる。
16:7 【主】は、人の行いを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。
16:8 正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。
1月中旬の水曜日、昼食後の歯磨きを終えて席に戻るとスマホに着信履歴があった。息子からだったのでかけなおすとつながらない。しばらくたってかかってきた。
「事故った」という。
普通にしゃべっているので落ち着いて話を聞けたが、怪我はしていないというので、まず神様に感謝をする。
14時過ぎ、学校からの帰り道、駅から寮のアパートへ帰る途中だったらしい。ミニバイクに乗っていたのだが、その直前がタクシー、その前が畳を積んだ軽トラックだった。寮への真っ直ぐな一本道で、片側2車線だが、交通量の少ない広い道路だ。2台前を走っていた軽トラックが蛇行運転をしていたという。センターラインに寄ったかと思うと、急に左に寄って来た。タクシーも驚いたのだろう、右側から追い越したので、息子も同じように追い越した。と今度はそのタクシーが直進するものと思っていたところ、急に左折した。スピードは出ていなかったのだが、タクシーが左折前にブレーキをかけたのでそのバンパーにぶつかるような格好で転倒した。タクシーは止まってくれたが、軽トラックはそのまま逃げ去った。
バイク前輪の泥除けが壊れた。着ているものは一番外側の物が無償で、内側に着ていた薄手のダウンの袖が破けた。頭は打たなかったようだ。ただ事故に遭ったショックが大きかったらしい。派出所のそばだったで、すぐに警察官が来てくれた。タクシーの運転手さんも事故は不穏な動きをしていた軽トラックのせいだと言ってくれたらしい。この事故で止まった後ろの乗用車の人もいい人で、転倒で投げ出された荷物を一緒に拾ってくれたという。タクシーも息子も被害者なのだが、形的には息子がタクシーに突っ込んだ前方不注意の事故ということになってしまった。
救急車が来て、近所の大型病院に連れて行ってくれた。レントゲンを撮って診てくれたが、異常なし。擦り傷が腕と足にあったが、左膝右肘ともに何ともなし。無事であったことに感謝する。タクシー会社の事務員さんが病院に駆けつけてくれたという。遠くの病院まで連れていかれたので、歩いて帰ってきた。バイクは事故現場近くの派出所に運んでもらっていた。
転倒は2度目だが事故は初めて。興奮した口調で事故の状況を教えてくれた。事故保険に入っているので、保険屋さんに電話をして指示を仰ぐように伝える。この時、家よりは事故現場に近いところにいた細君に連絡を取る。電話がつながらなかったので、ラインを入れておいた。
やっと着信に気づいた細君は文字を拾い読みして、思わずへなへなと座り込んだらしい。ゆっくり読めば無事なことが分かるのだが、とっさのことなので事故、病院、警察という文字だけが浮かび上がってきたという。すぐに息子のアパートへ駆けつけてくれたが、息子の方が先に帰ってきていた。
息子を車に乗せて警察でバイクを受け取り、駅向こうのバイク屋さんへ。見てもらうと、保険屋さんの修理の%を聴いてから修理をしたほうが良いという。前輪プラスティックの泥除け部分が壊れただけで動きには問題はないので、そのまま乗って帰ってきた。細君が息子の元気な顔を確認してくれたのでマサイもほっとする。
マサイは毎朝息子のバイクの運転について、あらゆる事故から守ってくださいと神様にお祈りをしている。神様有難うございます。事故に遭っても大きなものではなく、ひどい怪我もせず、無事でいられたことに感謝します。息子も神様が守ってくださったということに感謝していた。今回は被害者と加害者の両方の立場に立ってしまったわけだが、神様はこの事故を通して、日常いついかなる時にも交通安全についての意識をおろそかにしてはいけないと教えてくれたに違いない。神様はいろいろなことをあらゆる事象を通して教えてくださる。感謝してその教えに従いたい。神様のなさることはすべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)有難うございます。
詩篇
34:17 彼らが叫ぶと、【主】は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
34:18 【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
34:19 正しい者の悩みは多い。しかし、【主】はそのすべてから彼を救い出される。
37:3 【主】に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
37:4 【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
息子に成人式の案内が来た。2016年1月成人の日にセレモニーがある。川崎市は近隣の3つの区合同で行うので、水泳仲間とも一緒に祝える式典となる。同日にある中学校同窓会の案内も来ていた。前日の日曜日も、次の日曜日も水泳の大会なのだが、参加できるのを楽しみにしているようだ。
息子は10月1日で20才(はたち)になった。誕生日はずっと家族そろってお祝いをしてきたが、昨年から寮に入ったので出来なくなった。朝、ラインで「おめでとう」と送る。朝練の最中だろうと思いながら、練習後に見てくれればよいと送っておいた。細君は息子の昔からの写真をうまく組み合わせて20年の歩みを昨晩遅くまで作っていて、それを朝ラインで送っていた。9時過ぎにお礼の返事が来た。息子は大学2年生。朝3時40分起床で、朝練~授業~午後練~筋トレという毎日を送っている。早起きは「慣れた」という。毎日自炊。親が思っているより、しっかり生活しているようだ。
昔のアルバムを出してきて細君と見る。生まれた時のことは鮮明に覚えている。日曜日の夕方だった。お印があったので病院に入ったもののなかなか下りて来なくて、医者の勧めに従って細君と手をつないで何度も階段を上ったり下りたりしていた。立ち会い出産だったので、マサイは細君より先に息子の顔を見ている。誕生の瞬間は実に感動的だった。その日からこの方、息子のことを祈らない日はない。神様は祈りにこたえてくださり、大きな事故に遭うことも病気にかかることもなく元気でこの日を迎えられた。心より感謝します。
大人になったわけである。自分が20才の時のことを思い出してみる。ひげを生やして片端から本を読み漁り、作家の足跡をあちこち訪ねまわっていた。今にして思えば、あらゆる可能性が目の前に開けていた時期で、恐いものを知らずにどんどん前に向かって進んで行かれた。何でも出来る気がした。そういうキラキラした時期に息子がいるのをうらやましく思う。
細君とここまで無事に育ててこられたことを神様に感謝し、安堵している。神様に祈り、子どもを授かって、子育てを真剣にやって来た。全てが成功だったと言える訳はないが、いい加減にしたことはない。常にこれで良いのかどうかを祈り求め、この世的に皆がうらやむ道ではなく、御心にかなった道へ導いてくださいと祈り、全ては神様のご計画であるので何事にも意味があると信じてやってきた。そして今、親としては子育てのゴールに近づいた感がある。大学がまだ後2年あるのだが、それもカウントダウンできる時期になって来た。今は責任を持てるクリスチャンとして社会に送り出せるように祈っている。
生まれた時から祈りのある家庭で、御言葉と神様への感謝のある毎日を送って来た。息子はそういう世界しか知らないので、それが普通家庭の日常であると思って育ってきた。寮生活で感じ始めているかもしれないが、成人したということはそうでない価値観を持つ人たちの中で社会的責任を求められるようになるということだ。これからは何をしても、全て大人として扱われる。狼の中に出て行ったばかりの羊のようなものだ。しかし神様がそばにいてくださる。神様は常に見守り、導いてくださる。どこにおいても神様を認めて、信じて真直ぐその道を進んで行ってほしい。常に神様と向き合って、神様に全て委ねて、神様とともに歩んでほしい。そうすれば人生は揺るがない、という神様の約束があるのだから。神様の祝福があふれますように、これからも祈り続けます。成人おめでとう。
箴言
3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言
16:3 あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
詩篇
34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、【主】を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
コロサイ人への手紙
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
9月号で書いた通り、7月7日の人間ドックで行った大腸内視鏡検査でちょっとしたふくらみがあり、生検をした結果8月7日の診断で悪性ではないまでも放っておくと悪性になりかねないので切除しましょうということになった。予約がいっぱいなので、手術は3カ月先の11月14日になり、毎日この手術について祈っていた。
前回同様、前日から絶食に近い状態で、11月14日(土)朝クリニックへ。一人で行くつもりだったが、細君がついてきてくれた。術後は何を食べたら良いのだろう。空腹だから何でも食べたいのだが、消化の良いものにしないといけない。うどん屋さんでもそばに見つかればよい。とにかく術後待合室ですぐ食べられるようにバナナを持ってきた。これから2週間は飲酒、運動、旅行、重いものを持つのは禁止、長時間の入浴は制限と注意事項に書いてある。腹部に力が加わると、大腸内の傷口をクリップで留めたものが取れてしまう可能性があるらしい。こういう注意事項を読んでいると、切る前から病人になった気分である。簡単な日帰り手術とは言いながら、手術に簡単はないと細君は友人に言われてきた。マサイより細君の方が心配している。祈っていてくれた。
2時間以上かけて大腸内を完全に空にした後、昼過ぎに内視鏡による手術に入った。点滴に麻酔が入って、前回同様本人は何も気づかぬまま終わった。
手術台から降りて、麻酔が切れるまで休憩をしていた時は、無事に終わったのかと思っていた。とりあえず体から悪いところがなくなって良かった。体の見えないところが切れていて、傷口がふさがっていないので大事にしないといけない、と考えると、自ずと歩き方がそうっとなる。麻酔が切れて着替えに戻る。細君の顔を見てほっとする。
しばらく待って院長からの説明になった。これからの注意点を言われるのかと思ったら、「消えちゃった」と一言。
2人とも、今なんとおっしゃいました、と驚きの目を向ける。カメラの画像をプリントしたものには「大腸扁平隆起性病変(上行結腸)は消失しました」と印字してあった。生検をした後、まれにしぼんでなくなってしまうことがあるようで、今回は10分位探したけど見つからなかった。ということなので手術はしていないという。まあ良かった。おいしいものでも食べて帰ってください、と送り出される。一瞬キョトンとして何をして良いか分からない状態になる。
何があったのだろう。そうか、すぐに癒し主なる神様に感謝する。神様のなさることは、人知をはるかに超えて素晴らしい。驚くばかりである。祈りを聞き届けてくださったことに感謝。9月号でも書いたが、ここに導いてくださったことと、今回の患部消失について感謝の祈りを捧げる。
詩篇
103:11 天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
療養生活をイメージしていただけに、完全に違った展開になった。大腸のことは気にせず何でも食べて良い、と言われたが空腹時に刺激物は却ってよくないので、とりあえず消化の良いもので空腹を満たすことを考える。体の中に悪いものがないといわれて、急に元気になった。げんきんなものである。会社でも重いものは持てないので、口は出すが手は出せません、と宣言をしてきたのだが、早々に経過説明をしておく。
詩篇
34:3 私とともに【主】をほめよ。共に、御名をあがめよう。
34:8 【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
エペソ人への手紙
3:19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
富士山に登ったのは26歳の夏、7月の頭だ。装備も経験もない者が、いきなり本屋で富士登山についての本を立ち読みした知識のみで、週末1泊2日の単独登頂計画を立てた。三島まで電車で行って、富士宮口の五合目までバスで行き、そこから3時間半で頂上に着いた。オーバーオールにテニスシューズ、水筒、ピーナッツと小魚のおつまみパックとチョコレート、カメラというのが装備の一式だった。
その時の登山の様子、山小屋の様子、日の出の見事さを家族に語っていたので、息子の意識の中にもそれが残っていたのかもしれない。9月の頭、インカレで丁度浜松に行くので、その帰り道に日本最高峰への登頂という計画を思いついたらしい。同じ寮に住む水泳部仲間と2人で登るという。
いや待て、装備はあるのか。大体のものならマサイが持っているし、サイズもほぼ同じなので、いつもならそれを持っていく。しかし以前持っていた登山靴は、あまり履かないのでソールが剥がれてしまい捨てた。少し前に教会のメンバーが登頂したが、真冬のような装備で写真に写っていた。途中で雨が降り出し、相当冷えたらしい。体力的に問題ないのだろうが、山の知識は皆無であろう。いざという時の対応に不安がある。そこでインカレの帰路、荷物を宅急便で送って登頂するというのは思いとどまらせる。結局登頂計画は先送りして、帰りに熱海で下車して日帰り温泉につかってきたという。
台風が2つ、17号、18号と来ている。登山靴は雨の中、一人でアウトレットの登山用品メーカーの店に買いに行った。商品選択で迷った時はラインで画像が送られてくる。細君と3人、離れた場所にいながら、一緒に買い物をしているようにアドバイスが行き交った。いろいろ登山の準備についての話を店員さんから聞けて、良いものが買えたようだ。ウェアは家に戻ってきてマサイのものから選んでいった。登山道や山小屋など、最近はWEBで詳しく情報を得られる。便利になったものだ。これだけ情報があれば安心できる。
実は息子ができたら細君と3人で富士登山をしたいと思っていたことがある。山頂での感動を家族と分かち合いたかった。しかし残念ながら、登山ができるような年齢になった頃には水中での活躍が始まっていたので、忙しくて実現しなかった。富士登山の良いところは、下山した後日常その雄姿を見ながら、あそこまで登ったのだと山頂を眺め、いろいろな励みとすることができることだ。
富士登山シーズンは9月中旬までと言われているが、息子はその最後に近いところで登山計画を立てた。ところが出発直前台風が来て、茨城、栃木の鬼怒川沿いに大水害を残して行った。かつてないひどい天災だ。日中細君から心配をしてラインが入る。マサイは祈っているので、もし危険だったら神様がどこかのタイミングで「行くな」と止めるだろうと思っていた。細君にそう言って安心させる。2人だけで登っているわけではない。山小屋もあるし、誰かが必ず危険を告げてくれるに違いない。息子はそれを無視して行動するような性格ではない。何より神様がついている。ただ富士登山についての話をしたのはマサイであるし、何かあったらマサイの責任であると考えていたので、出発の夜は何かがあったらすぐに出られるように覚悟はしていた。
台風による雨天が続いていたが、金・土曜日と2日間だけ晴れた。見事に計画を立てた日だった。山小屋を取らずに、夜から懐中電灯を持って登り始めるという。息子は登山初挑戦。パパの背負子の中で高尾山には登ったことがある。教会のハイキングで伊勢原から大山に登ったのはほんの小さな時なので覚えていないだろう。小中学校の遠足で山に登った記憶はない。普段水中という重力を感じない環境で激しいトレーニングをしているが、重力を直接感じるような環境下では不安がある。水泳シーズンのオフとはいえ、ここで怪我をすると今後に響く。台風が去ったとはいえ山の天気は変わりやすい、台風の残していく風も心配だ。親の心配はつきない。細君と何度も祈る。
マサイとは逆の山梨県富士吉田口からのアタックになる。距離は長いが、一番山小屋が多いルートなので少し安心する。19時58分、Let’s Go!とラインでベティ・ブープが出発を知らせてきた。パソコンで登山ルートを開きっぱなしにして、どのあたりを登っているかを気にしながら夜を過ごす。頂上に着いたら連絡をくれるように言っておいた。寝る前に今どのあたりかと確認をすると、23時32分で「8合目。すいていて、寒くない」という。とはいえ、とても安心して寝ていられない。
寝ても眠りが浅い。マサイは小さい頃はカブスカウトで丹沢や箱根の山に登り、スイス、カナダではトレッキングをしたことがある。スイスに一緒に行ったNさんには帰国後も熱心に山登りを勧められたが、海でサーフィンをする方を選んだので山からは遠ざかってしまった。そんなマサイも真っ暗な中での登山はやったことがない。前日までの豪雨で地盤が緩んでいるに違いない、富士山は活火山だし、と不安材料はたくさんある。寝る前にもう一度細君と手をつないで祈る。
3時22分 短く「着いた」という連絡が入る。山頂までの全行程7時間半。登り始めてすぐにお腹が痛くなり、しばらくトイレにこもっていたため時間がかかったという。ゆっくり登ったので高山病にもかからずに済んだらしい。ほっとして「登頂おめでとう」と返信する。
日の出は5時21分。ところが5時49分、下から突き上げる型の地震があった。高いところからものが落ちてきたほどの揺れで、多摩川対岸の調布では震度5マイナスを計測している。すわ噴火かと驚き、細君と二人とも飛び起きた。TVをつけると、富士山あたりは震度3。歩いていれば気づかないくらいなので安心する。この朝たまたま寝坊して走らなかったが、通常なら既に走り始めて2km地点辺にいる頃だ。細君を不安なまま一人にするところだった。これも主に守られた。感謝します。
9時26分、「下山」という連絡が有る。お鉢周りをすると思っていたので、思ったより早く降りてきた。5合目まで降りてきたらしい。下りは4時間だ。苦労して登ったのに帰りはあっという間に駆け下りてきた記憶がある。日の出は見られたらしい。実に見事な日の出写真を何枚も送ってくれた。宇宙から地球を見ているようだ。神様が作ったものは素晴らしい。マサイが登った時も、「こんなに綺麗に日の出が見られるのは珍しい」と言われた。3,776mから見る日の出は、雲海が一気に晴れていく素晴らしいものだった。写真はマサイの記憶と同じようだった。神様が作った大自然に感動する良い体験が出来たようだ。貴重な機会になったと思う。山頂から見下ろすと、神様の創造の業と、全世界が神様のものであるということがよく分かる。
詩篇
19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
19:7 【主】のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、【主】のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
出エジプト記
19:3 モーセは神のみもとに上って行った。【主】は山から彼を呼んで仰せられた。「あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。
19:4 あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。
19:5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
2人とも怪我はないというので安心する。上りは良かったのだが、下りが辛かったという。登りは頂上という目標が見えていたので辛くなかったが、ゴールが見えずにいつまでも下り続けるのが辛かったらしい。山登りはもういいという。富士吉田の遊園地で遊んでくるのかと思ったら、さすがに疲れたようで、真っ直ぐに寮に帰って来た。マサイもその夜は安心してぐっすり寝られた。
主よ、大自然を通して主を感じられるこの全行程を息子に与え、それをお守りくださったことに感謝します。
月刊マサイを書き初めて次の11月号で丸16年になる。ずいぶん長いこと書かせてもらっているが、その間書いて来て良かったと思ったことが何回かある。それは直接神様からの祝福だと確信出来るほど、嬉しいものであった。今月号はその分かち合いです。
9月4日、日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の初日、息子の応援に細君と会場の浜松に向っていた。去年は地元開催だったので、地方遠征は実に久しぶりのことである。親の旅行も息子の大会に合わせてしか出来ないので、喜んで出かけた。武蔵小杉から東横線に乗り換えて、菊名経由で新横浜から新幹線に乗る予定だったのだが、東横線の車内で細君が教会からのメールを受け取った。月刊マサイを読んだ方から2日前にお便りを頂いていたのだが、それがマサイへうまく転送されずにいたのに気づいて、細君のスマホに転送してくれたものだ。
我が息子と同じ年のクリスチャン・スイマーを持つ親御さん(Kさん)からのメールだった。クリスチャン・スイマーをWEBで調べていて、この月刊マサイを見つけてくれたようだ。祈りの中でクリスチャン・スイマーの仲間を与えてくださいと祈っていたという。今まで水泳を続けてきた境遇が似ているし、インカレにも出ると書いてあった。
我が息子も2年生になってレギュラー入りがかない、全国大会に出させてもらうことになった。しかしインカレに出ることは月刊マサイには書いていないので、よく分かりましたね、と驚くばかり。実に見事なタイミングで連絡をいただいた。まさに神様のご計画としか言い様がない。この大会に出かけることを主が祝福してくれているようで嬉しかった。また月刊マサイも書いていて良いのだよと言ってもらえたようで、二重の喜びがあった。
小さい頃からスイミング教室に通う子は多いが、せっかく選手になっても多くは小学校卒業と同時にやめてしまう。続けたとしても、勉強と泳ぐことを天秤にかけて悩むことになる。その後中学の卒業を機にやめ、高校生になって受験勉強が始まったからとやめて行き、卒業時まで残る方が少なく、大学でも続けるというのは余程の覚悟がいる。仲間がいなくなるのは実に寂しい思いがするので、大会に行って聞いたことのある選手名を耳にするのはとても嬉しい。トップに君臨する選手たちが続けているのは当然だが、それ以外にも競技生活を続けている選手は、減ってきたとはいえまだ全国にたくさんいる。水泳競技を引退して、トライアスロンやライフセービングなどに転向する場合もある。水から離れないでいてくれただけでも良かった、と喜んだりする。
新横浜の新幹線ホームからメールを送信する。Kさんは長野の方だった。メールのやり取りが始まる。次に頂いたメールには教会の名前が書いてあった。細君が我が登戸エクレシアキリスト教会がこども伝道でお世話になったことのある教会だと教えてくれた。やはり神様のご計画だったのだ。昔初めて中学生の全国大会に出場した時にも、直前に月刊マサイを読んだ奈良のSさんからメールをいただき、福岡の会場でご夫妻と初顔合わせをした。それ以来お付き合いをさせていただいている。全国大会というのは何か仲間を結び合わせる機会として用いられているようだ。
4日の初日は出番がなかったのでのんびり会場入りをしたためKさんとはお目にかかれなかった。5日は朝一で会場入りをしたが、選手と応援家族でごった返している上、テレビ撮影のクルーもいる。英語の聖句(ヨハネ8:12、エペソ5:1~2)を書いたTシャツを着ていているので、見つけてもらえるかなと思っていたが、そうは簡単にはいかない。皆がそれらしく見える。マサイは誰彼構わず声をかけられるような性格ではない。
息子さんの大学のTシャツを着た選手が集まるところでやっと声をかける。奥様ともご対面。実に嬉しい瞬間だ。神様がこの機会を与えてくださったと確信をする。細君も一緒に競技開始で一旦お別れするまでのわずかな間に密度の濃い話をすることができた。幼稚園児の頃から泳ぎ始めて、順風満帆な選手生活ではなく好不調の波があったこと、クリスチャン・スイマーの仲間を求めていたことなど、お互い境遇が似ているからこそ分かり合えることが実に多い。保護者としてもそういうことが分かり合える仲間は実に希少で、クリスチャンでその仲間が出来たということはとても心強い。
先に我が息子の出番。多くの方に大きな声援を送っていただき、感謝する。200mフリーは自己ベストまであと1/100秒だったが、良い泳ぎに見えたので安心する。大学対抗なので、独特の雰囲気がある。次いでKさんのご子息の100mバタフライ。筋肉質な見事なアスリート体型をしている。スタート台の上で、パンパンと2度手を叩く動作が息子と同じだったのに驚く。
泳ぎ終わった後、ロビーでゆっくり話をする。楽しい会話になった。保護者の悩み事を共有できるのは嬉しい。ずいぶん昔からの知り合いであるかのように安心して話が出来た。神様に感謝していながらも息子のタイム次第で親の気分が上下することについて、競技会が日曜日に集中することについて、今の生活で良いのだろうかと今までや悩んできたことについて、境遇が同じでなければとても分かり合えないことを分かち合う。親元を離れて寮に入っている子どもの信仰環境について、信仰生活を導くためには、親がどこまで導き、どこから自立を促すのか、保護者の悩みは尽きない。アスリート本人達だけではなく、保護者達もクリスチャン・アスリートのマネジャーとしてのつながりが必要なのだと感じた。
日本は広い。しかしその広い中から、泣く者、喜ぶ者同士を神様が結びつけてくださった。そのことに大感謝。家に帰ってもメールでのやりとりは続く。12月に学生のウィンターカップが相模原市のプールで開かれる時は、長野から応援に来られるという。アスリート同士、その保護者同士、大会の度に仲間が増えていけば良い。アスリートにとっても財産になるだろうし、我々にとっても財産になる。そのことについて日々祈ることにする。
マタイの福音書
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
詩篇
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
ヨハネの福音書
8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
エペソ人への手紙
5:1 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
大腸のポリープは取った方が良いという。胃のポリープは見つかっても悪性でなければ放置しておいても大丈夫だが、大腸のものは悪性に変わるかもしれない。つまり大腸がんにつながる。だから見つかった時は取っておいたほうが良い、と明日その手術をするのだという人に聞いたことがある。
アドバイスを有難く聞いていたが、どうやってそれを見つけるのだろうと思っていた。内視鏡検査なら見つかるらしい。今まで何度か行った病院の人間ドックは便検査を提出して調べてもらうもので、ここで何らかの異常が見つかった場合に内視鏡検査に進む。つまり怪しいものがあって詳細な検査が必要になった時に初めて出てくるものなので、内視鏡検査と言われたら大変なことになっているに違いないという印象があった。マサイは母親が、細君は兄が大腸がんの手術をしている。2人とも心配の種はある。
ちょうど川崎市から大腸がん検診無料クーポンが送られてきた。今まで人間ドックでやってきた方法と同じで、検査容器を受け取り、便を採取後医療機関に提出するものだ。大腸に大腸がんやポリープがあると便に血液がつくことがあるという。ついているかを正しく調べるために2日間同じように採取をする。陽性となれば大腸内内視鏡検査をし、結果を見て診断、手術になる。大腸がんは早期発見、早期治療で95%以上が完治するという。大腸がんに罹る数はこの30年間で約6倍に増えているが、大腸がんは進行するまでほとんど自覚症状がない。タバコを吸わず、酒も飲まず、食事のバランスに気を付け、運動を心がけていてもガンになる危険性は減少するが、ゼロにはならないと案内に書いてあった。
人間ドックはここのところずっと同じ病院で受診して来たが、便採取検査は毎回受けて問題がなかった。内視鏡検査はオプションであったが、別料金がかかってそれが随分高かったので躊躇していた。しかし上記のように心配の種があるので、機会があったら(できれば早いうちに)一度内視鏡で診てもらいたいと思っていた。会社ではいろいろな病院と人間ドックの提携をしていて、特色のある病院もある。聞くと、都内の病院で内視鏡検査を検査メニューに含んでいる病院があるという。胃と大腸、両方の内視鏡検査をしてくれるということなので早速細君と2人分予約をする。患部を直接見て判断できるので、問題がなければそれで安心できる。
検査日には大腸の中をからにしておかないといけないので、3日前から繊維質の多いものはダメという食事制限が始まる。前日は朝から食事制限メニュー。病院から送られてきたレトルトパックを湯煎し食べる。じっくりゆっくり食べないとあっという間になくなってしまう。昼はゼリー状のものとウェハス。夕食はスープのみ。若い頃は1食抜いても動けたのだが、最近は全くそれができなくなっている。昼前にはフラフラしてきた。危険なので仕事を半ドンにしておいて正解だった。帰る頃にはあまりの空腹で頭痛がしてきた。家に帰っても水を飲むしかない。家に帰る楽しみの一つに、帰れば何か食べられるという思いがあったのではないかと考えて、納得する。空腹で頭痛がひどくなった。余程病院に電話をして検査はやめますと言おうかと考えたほどだ。完全絶食ではないのに苦しい。何もできない。検査のために体が悪くなってしまいそうだ。夜スープを飲んだ後は検査が終わるまで何も食べられないので早々に寝る。
検査当日、空腹は峠を越え、頭痛も収まっていた。どこも悪いところがありませんように、もしそうでないならそれを教え、解決の道を与えて下さい、と祈って出かける。検査は準備があるので昼過ぎまでかかった。細君が先に呼ばれる。終わって帰ってきところでマサイが呼ばれる。点滴をし、麻酔をしてくれるので、実は何も覚えていない。胃の内視鏡検査用にマウスピースをくわえたところまでで記憶がとぎれ、終わりましたと声をかけてもらって目を覚ました。
細君は、胃も大腸も異常なし。マサイ、胃はストレスなのだろう、慢性萎縮性胃炎があるが要経過観察で、日常生活に注意し自覚症状があれば受信せよという。で、大腸。上行結腸に大腸扁平隆起性病変があったので細胞を取って生体検査へ回したという。写真を見せてもらったがほんのちょっと盛り上がっている、というか腫れて少し膨らんでいるようなもの。まず問題はないだろうが、後日また生体検査結果を聞きに来るようにという。
7月の終わりに人間ドックの結果が来たので、再び病院へ。生体検査結果は浮腫、うっ血、経度の炎症性変化を伴ったポリープが認められるという。グループ1なので悪性ではない。ただ1年以内には取っておいたほうが良いという。悪性に変わるとも限らないので、と言われて、すぐに手術の予約をする。ガンではないが、その予備軍になるかもしれないものを取り除くということ。また検査前日食事セットをもらってきた。手術のことより、あの辛い食事制限をもう一度やるのかと考えると気が重い。
手術といっても日帰りでできるもので、終えた後10日くらいは強度の運動ができなく(走れなく)なるというのがマサイの場合一番の痛手である。しかし人間ドックの受診病院を変えなければ、こういうものも悪くなるまで見つかることがなかったであろうと考えるとゾッとする。早期発見、早期治療で95%以上が完治するとパンフレットに書いてあった。内視鏡検査をしておいて良かった、と細君と話す。何事においても必ず主は道を備えてくださる。主の導きに感謝。
手術は11月。主が患部に癒しの御手を置いてくださるので全く心配はしていないのだが、細君は心配だからついていくと言う。一緒に行ってこようと思う。
イザヤ書
26:4 いつまでも【主】に信頼せよ。ヤハ、【主】は、とこしえの岩だから。
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
3号続けて介護の話で恐縮です。既に終えた方は自分の時を思い出していただいて、これからの方はいつかのための参考にしていただければと思う。介護中の方には至らない点などをアドバイスしていただければ有難いです。
父の様子がおかしい。介護が必要なのは母だが、老老介護をする方の父がまいっている。全てを自分でやらなければいけないと勘違いして追い込まれているらしい。健康な時は父が2階、母が1階に寝ていた。看護が始まって父は下のソファをベッド替わりにして、母の隣の部屋で寝るようになった。ソファベッドなので寝心地はよくない。おまけに革なので寝具が滑り落ちる。夜ろくに眠れないというので、細君と一緒に行った時に、我々が看ているから上で寝るようにと、2階の自分の部屋で休ませたのだが、しばらく経って眠れないと降りてきた。
腰も痛いし自分も最近立ちくらみがするのに、面倒を看きれない。入院するほどの病気ではないので、どこも受け入れてくれない。つききりで看ているので、自分が病院へ薬をもらいに行くこともできない。自分にもしものことがあったらおしまいだ。自分は男だから病院に連れて行っても検査着に着替えさせることが出来ないので、母の妹が一緒に行ってくれるから助かる。家で体を拭いてやるにも男だから出来ない。(こう出来ないと繰り返すのだが、その意味がマサイには分らない。自分の妻の着替えや体を拭く面倒をなぜ看られないのか、理解に苦しむ。男だから女だからという問題ではないだろうと思うのだが、そのまま聞いていた。)その妹(叔母)も病院で検査を受けたところ、どこか悪いところが見つかったらしい。もしものことがあったら終わりだ。ネガティブな発言は続く。何も出来ないでいるなら死んでしまおうかと思った、とまで言う。ろくに買い物にも行かなくなって、コンビニのおにぎりを食べていたという。
完全に介護ノイローゼになっている。全てを背負い込まなければいけないと思っているようなのだ。父母にはまだ伝道ができていない。神様を知らないというのはこういうことかとつくづく感じた。祈れる、委ねられる神様がいるということは、大きな安心につながると実感した。心配は神がしてくださる。
心配している一つ一つを解決してやろうかと話を聞いていると、どんどん話は別方向へ向かっていく。それを元に戻してまとめてやろうとすると、自ら解決を避けるように全く別な心配事を口にする。自分がいかに大変かを聞いてあげれば良いのかと考えて、ただ聞くことにした。その間母は痛いとも言わずに介護用ベッドの上で横になっている。
そんな時、細君は自分の親の介護をしてきたので、てきぱきと父親に対応してくれる。ケアマネージャーさんはいるのかと聞くと、そう言う人はいるという。どんどん利用しないといけないというと、今朝病院でも「いっぱい介護保険料を払ってきたのだから、自分で抱え込まずに使わなければいけない」と医者にも言われてきたという。しかし利用すればよいと言われても、具体的にどうすればよいのか、何をしてくれるのかが分からないらしい。細君がその場で直接ケアマネさんに電話をしてくれた。近所に住んでいるらしい。細君は自分の携帯番号を告げて、いざとなったら連絡してくれるように話をつけていた。具体的に何を頼めるのか、今の状態では週にどのくらいそういう時間を使えるのかを聞いて、とったメモを清書しながら分かりやすく父に説明してくれた。もらった名刺には主任介護支援専門員とあって、ケアマネージャーと書いてなかったので、分かりにくかったらしい。父は親切な市役所の人と思っていたようだ。細君も電話で話をしてみて、安心できる相手だったという。とにかくいろいろなことを自分で探して手配するという心配をすることなく、まずこの人に連絡をすればいろいろ手配をしてもらえる。窓口はひとつということが分かった。父親はそれを聞いて安心したらしい。介護経験者である細君のアドバイスを聞いて、2階から降りてきた時の憂鬱そうな表情が消えている。
午後は細君に庭で髪の毛を切ってもらってスッキリしたと喜んでいた。細君は鈴木家親子3代の髪の毛を切っている(次回は母の分もというに予約が入っている)。ソファベッドも向きを変えたり、マットを敷き直したりして、快適に寝られるように調整をした。父の表情がすっかり和らいだのを見て安心する。
会社の健康保険組合がいろいろ介護についての講習会を開いている。参加できない人のためには自宅でできる学習教材をくれる。早速申込むと、何冊もパンフレットをくれた。介護保険の上手な利用法など、聞きたかったものも入っていて勉強になる。ある一定の年齢を超えた人には全員こういう講習を受けるよう義務付ける方が良いと細君は言う。確かにそうだ。介護は突然やってくる。対象が自分になる場合もある。しかし何をしたらよいか、法律はどうなっているのか、誰が助けてくれるのかを知っていると知らないでは全く違う。いざという時に困らないための準備が必要であると考えた。
しかし何より、介護知識の前に神様を知っているかいないかでずいぶん違うことがよく分かった。まず祈れる神様がそばにいること、祈れば平安が与えられるということ、それは大きい。全てを委ねられる神様に感謝。
細君が毎日祈ってくれる。父からしばらく連絡が来ないなと思っていたら、「今日から週二回、火、金曜日に訪問リハビリが入るようになった、訪問看護師も月一で来てくれることになった」というメールが来た。ネガティブなことが書いていないメールは久しぶりだ。安心する。神様感謝します。
ピリピ人への手紙 4:6
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
ペテロの手紙第一 5:7
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
先月に続いて介護の話です。細君は自分の母親を吉祥寺の病院に見舞った後、マサイの父からSOSの電話を受け取った。
5月の連休後(4月の月刊マサイ後)父からはメールで現情報告が来るようになった。母が腰が痛いとしきりに言うので、近所の整形外科へ連れて行った結果、レントゲン検査による病名は「腰椎変性側弯症」。確かに急に猫背の曲がり方がひどくなっていた。背骨が前傾になるのをコルセットで防ぐ治療法をするという。さらに採血検査で「骨粗しょう症」が分かり、飲み薬が出たという。大きな病院の責任者をしていた人が開業した医院なので、院長と直接話が出来て信頼は出来るらしい。この病気とは別に両腿の激痛で歩行が困難にもなっているので、それを説明すると、原因は「血流が悪いためか」と診断され、血流改善の飲み薬が出た。コルセットを特注したが、治療よりも装着の慣れとの勝負が大変だと言われる。コルセットが出来た翌日の夕方、母は腰の激痛で立ち上がれず、父が急いで整形外科へ行き、痛み止めの坐薬を出してもらった。これで治らなかったら、大きな病院へ行けと勧められたが、紹介状は書いてくれないという。その診断結果で足が痛くなるはずがないと怪しんだ細君がMRIを一度撮った方が良いと言うのだが、この医院にはその設備がないらしい。近所に母の妹がいるので、心配をして見に来てくれている。
ここで冒頭のSOSが入る。7月の2週目に訪問する予定だったが、そんなにひどいのなら、と土曜日の朝早くに出かける。ところが行ってみると、コルセットはちゃんとしているし、寝たきりではない。頑張って無理をしていたのか、話している間、痛いとも言わなかった。紹介状を書いてくれないという医者を怪しんで、セカンドオピニオンを勧めてくれる人が多い。近所の方もMRIを一度受けた方が良いと、検査機械を持っている近所の病院を教えに来てくれた。細君が横で聞いていて、すぐにスマホで検索して、MRI検査の予約の電話を入れてくれた。幸いすぐ月曜日の朝一で予約ができた。近所の大学病院での検査となると一日がかりになりそうだったので、みんなでホッとする。2人に食事をさせて、風呂を洗ってと、細君がいろいろやってくれた。
母はその後ぐっすり寝ていたという。夕方、月曜日に叔母も加わって病院へタクシーで出掛ける相談を決めた直後に近所の方が見舞いに来て(先ほどとは別の人)「私の車で病院まで連れて行く」と言ってくれたらしい。母の普段の付き合いの良さが伺えた、と父も喜んでいた。
月曜日、検査の終わる頃、問い合わせのメールを入れると、短く脊髄3と5の圧迫骨折と腰部脊柱管狭窄の重症だという、セカンドオピニオンを聞いて良かった。家に帰ってから詳細なメールをくれた。MRI、レントゲンに骨量検査をした結果、骨粗鬆が原因の「腰部脊柱管狭窄」と診断される。背筋の変形で神経や血管が圧迫されて起こる病気という。足の痛みもここから来るようだ。さらに脊髄の3と5が圧迫骨折していた、と驚いていた。ただ手術はせず、毎週1回の通院で、骨を丈夫に整える注射と、毎日の飲み薬で治療を続けるということになった。優しく、親切丁寧な応対をしてもらったという。コルセットは第一の治療方法。絶対に離してはダメ、と注意をされた。骨折だからしようがない。まず半年は今の状態が続き、治療が必要となる、という診断結果だった。しっかり検査をしてもらって、その結果に納得したらしい。今までのように痛みに対して不透明な診断結果ではなくなったので、回復に向けての手が打てる。皆でひとまずほっとする。
病床から立ち上がるのが痛いのなら、と細君が介護ベッド導入を提案してくれた。介護用品は本人負担が少ない額でレンタルすることができる、と父に伝えて。早速カタログを注文する。
叔母が面倒を見に来てくれているが、母は相変わらず立てず、トイレ行きも辛いらしい。父も2階から荷物をおろしていた時に腰を痛めたという。母の弟の奥様も近所にいるので見舞いに来て、食が細い母を観て、自宅に帰って栄養がつくようにと野菜のごった煮と混ぜご飯を作ってきてくれた。病院へ送ってくれたご近所の方が夜食にポテトサラダなど持ってきて、「来週月曜日も病院に送ります」と言ってくれた。皆さんのご親切に感謝する。
父は腰痛で母をトイレに連れて行ったり、食事をさせたりが苦痛になってきたという。こちらが介護用品のレンタルを調べてあげる、と連絡した後で、父が自分で朝から市の福祉高齢介護保険課に電話して特定居宅介護支援事業所を紹介してもらった。午後一番で主任介護支援専門員の女性が来てくれた。偶然以前手摺りのことで世話になった人だった。即座に母の状態に合った電動ベッドのレンタルを決めた。トイレも使い勝って良いようにするなど、適切なアドバイスをしてもらい、助かったという。
トイレに行くのが苦痛だから食事も水もあまり取らず、夏場の脱水症や栄養失調が心配だと書いてきた。このところ自分の腰痛がひどくなって入院でもしたら、という事ばかり言っているので、そうなったら、私が泊まり込みで行きます、と細君にはっきり言ってもらったら安心したようだ。息子の言う事より、お嫁さんの言う事で安心するらしい。細君は、いかに信頼できる病院と医者を見つけられるかが重要であり、お母さんとお父さんお話を聞いてあげると安心するかも、というアドバイスを友達から貰っていた。
マサイの親の事ばかり書いているが、実は細君の母、兄と快復を祈る人は身内にたくさんいる。介護は子育て以上に向き合う覚悟は大きく心配事は多いが、思い乱れることなく、いつも主の御業を信じ、祈り、感謝し、信仰を強く持って行こう、と常に自分に言い聞かせている。祈れる主に感謝。守ってくださる主に感謝。導いてくださる主に感謝。常にマサイを支えてくれる愛する細君にも感謝。
詩篇
43:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。
23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
5月の連休に実家に帰った。息子は合宿中なので、細君と2人で出かける。高速道路を使わない方が却ってストレスが少なく、着く時間もあまり変わらないということが分かった。
父親は見た目変わらないようだが、来月83才になる。自転車で買い物に行っているというが、そろそろ心配だ。自動車の運転免許を持っていないので、自転車で少し離れたスーパーへ行っている。運転している分には良いが、事故回避などできるのだろうか。おまけに前かごに買ったものを乗せてではハンドルもぐらつくのではないか、考えれば考えるほど心配は増す。心臓付近の血管手術を行った千葉の病院から、近所の大学病院へカルテを移籍したという。いざとなれば電車にも乗らずにすぐに行かれる距離になったので、少し安心しているようだった。年をとってきたので、訪問しても一日中ずっと歓談というわけには行かない。マサイも運転の疲れで居眠りをしてしまうのだが、父親も適当な時間に昼寝をしに行く。今回は細君が床屋さんセットを持って行って、父の散髪をしてくれた。庭に座って嫁に髪の毛を切ってもらって嬉しそうにしていた。
母親は、自分の母親(マサイの祖母)もそうだったが、老いが足に来ている。ショッピングカートのようなものを押しながらなら歩ける自信があるようだが、外歩きは心配である。耳も遠くなっている。悪くなったのか、ずいぶん前から聞こえにくかったのかは分らない。マサイの声の周波数は聞き取りにくいらしく、昔から何度も聞きなおされていた。
しかし二人とも食欲は十分ある。昼食は食材を持って行って細君が肉料理を作ってくれた。年寄り2人では普段なかなか肉料理で満腹というわけもいかないだろうが、食べて元気になってもらった方が良い、と大きめのポークステーキを焼いて出した。皿に乗って出てきたものを見て食べきれるか、と思っていたようだが、全部食べてくれた。母親も同じ量を食べた。その食欲を見て安心した。
間に生命保険会社の女性が入って、いろいろな手続きを手伝ってくれているのだが、ある日仕事中に電話がかかってきて、お母様が銀行印をなくされたので、その手続きに時間がかかりますと言う。銀行で紛失届や変更届を提出するのに手間取ったらしい。おまけに地方銀行の年寄り対応が良くなかったらしい。何処かへ外出する時に持っていくものでもないので、家の中のどこかにあるのであろうが、どこにしまったかが分からなくなったらしい。結局出てこなかった。
その更新したばかりの印鑑をまた母がどこかに置き忘れたと連絡が入る。また大騒ぎになったらしい。「確認して仕舞った金庫から契約書類ごと出して、記憶喪失、しかし今回は見つかったが、最近おかしい」と父がメールで知らせてきた。その前になくした方は出てきてもどうにもならないから探さないことにした、という。
そういう状態だから父の母に対応する態度が以前と違っていた。見ていて感じたのだが、母は体の具合が原因になるのか、わがままになっている。その母が何を言っても、父は言い返さずに受け止めて面倒をみている。随分変わったなと、見ていて思った。
先日、日付が変わる直前に細君のスマホに母の携帯から着信があった。すぐに出てくれたのだが、何も言わずに切れた。普段早く寝て早く起きるのを自慢していたのに、すわ、と思い折り返すと出ない。家の電話にかけて父親を起こすが、携帯をいじっているうちに発信してしまったことにすら気づかないのかもしれないという。却って具合の悪い父親を起こして悪いことをしてしまった。
買い物に行かなくて良いように、食材を宅配してくれる埼玉の事務所に細君が電話をして手配をしてくれたのだが、印鑑をなくしたために銀行引き落としがすぐにできない、というのが分かった。事務所の男性も年寄り相手なので親切に対応してくれたのだが、外出しなくても良いように宅配に加入してもらおうと思ったのに、支払い手続きのために銀行に行かなければならなくなった。電話に出てくれた男性は、登録だけして、休止にしておいても構わない、必要になったらすぐに始められるようにしておいた方が良いでしょう、という。年寄りの場合、いざ始めようと思った時にはもう登録書が書けない状態になっていることもあるので、と親切に教えてくれた。
その手続きも宅配会社が丁寧に対応してくれたおかげで無事に済んで、宅配会社の男性からも、父からも細君宛に報告の電話が入った。5月末には「宅配で買い物は楽になりそうだ」というメールが父から来て、少し安心した。いくら車を飛ばしていけば行かれる距離だと分かっていても、どうにかしなければいけないとマサイも常々考えている。しかし考えているだけで今は何もできていない。実際に動く時が近いのかもしれない。介護を始める年に近づいているようだ。毎日マサイも祈っているし、細君も祈ってくれている。神様どうしたらよいかを委ねます。時、タイミング、方法を示してください。お願いします。
イザヤ書
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
エレミヤ書
10:23 【主】よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
10月に結石騒ぎで夜中に緊急病院に行ってから半年が過ぎた。あれ以来同じ症状は出ない。すっかり痛みのことや汗だくになって七転八倒したことなど忘れてしまった。次の検査がある4月にCTを撮って石の有無を確かめることになっていたのだが、何の痛みもないので、キャンセルをしようかと迷っていた。決算で忙しい時期だし、お金もかかりそうだし、とあれこれ断る理由を考えて電話をかける寸前まで行った。胸のレントゲンと違って、人体を輪切りにするのだから、ちょっと怖くもある。細君がWEBで金額の相場を調べてくれて、それくらいならまあ行っても良いか、ということになった。
石がある場合はこの検査ではっきり分かるらしい。もし見つかったら、大きさによってはレーザーで粉砕、手術で除去、ひたすら水分をとって体外へ排出するように、と言われるのを覚悟していた。朝食を抜くという指示に従って、何も食べずに病院へ。予約なので行くとすぐにやってくれた。検査着に着替えて診察台の上に横になって両腕を上げる。あとは勝手に機械が動いてくれる。あっけないほどすぐに終わった。
診察結果は2時間後。尿管にも腎臓にも石はなし。あの時の痛みは何だったのだろうか。たった一個あったものがおしっこと一緒に出てしまったのだろうか。コンピュータ画面をスクロールすると、自分の体の撮影した部分が上から下へ移動する。自分の体の内部がこうも簡単に見られるものかと驚く。医者は全くない、と明るく説明をしてくれた。大変なことのように考えていたCT検査があっという間に終わってしまった。
この検査結果に安心する。今までは父親もこれで病院に担ぎ込まれたのだからいつか自分もやるかもしれない、という心配があった。ただ親がこれをやったのは自分より年若い時だった。それが全くないのである。急に晴れやかな気分になった。
PSAの値も変化がないので、半年に一辺ずつやっていた血液検査も1年に一度で良いという。これは2007年からやってきた検査だ。9年間に20回同じ検査をした。9年前は年齢も若いので心配だということだったが、別のことがきっかけで値が高くなる場合もあるので、もう心配する域は超えたらしい。その他ちょっと前に検査をした首筋の血管も異常なかった。詰りなく、勢いよく流れていた。マサイは健康体なのだ。
病院に行くと、人を助ける仕事をする人がこんなにたくさん働いているのは素晴らしい、この仕事はどれだけ尊いことか、感謝、といつも思うのだが、できるなら医者にはかかりたくない。待ち時間も嫌だし、何度も通わないといけないのはもっといやだ。病院に行くと、ひどく悪くなったような気になってしまう。異常なし大丈夫、と言ってもらえればスッキリするからいいではないかと分かっていながら、今回も検査結果が出るまではすっかり結石持ちの病人になった気分だった。
日常はまず、神様に祈って、委ねることを最優先するようにしているはずなのだが・・・。癒し主なる神様はちゃんとそれに答えてくださる、ということも分かっているのに・・・。検査結果が出た後、しばし反省をする。神様ごめんなさい。
詩篇55:22
あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
今、不調はないが、代謝は悪くなっている(運動をしないと確実に太ってくるのだが、今まではこれをすれば確実に身に付いたものが落ちる、と思っていたものが落なくなっている)。年齢からくるもので、それは仕方がないか、と諦めている。こいつ時々注意をしないと、運動で暴走するかもしれないからと、神様に釘を刺されているのかもしれない(細君にはいつも注意される)。
コリント人への手紙第一
6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
大学生の運動部で寮生活をしているので自由になる時間がほとんどない息子に牧師が連絡を取ってくれた。息子は今までなかなか教会の牧師とゆっくり話す機会もなかったのだが、今回は特別にそのための時間を作ってくれた。
気にはなったが、もう大人なのだから今までのように親が一緒にいるよりも、自分で考え判断できる機会にした方が良いと思ったので、この時間は牧師に任せることにした。後日息子に聞くと、大学の帰りに教会堂に寄って牧師宅でしばらく話してきたが、良い時間をもてたという。
雑談でもしてきたのかと思ったら、随分濃い話をしてきたようだ。基本的な信仰の話から、信仰の学びまでしてきたらしい。教会には生まれた時から通っているのだが、改まって信仰の話をする機会は初めてであった。親としてはその時間が神様の祝福に満たされるようにと祈っていたので、祈りの答えに感謝する。息子がその話の時に使ったメモを欲しいといったら、わざわざ牧師が書き直してくれたという。お互いが想像以上に満足できた時間だったようだ。
マサイも約四半世紀前に同じ話を同じ牧師にしてもらった。場所は教会発足時のアパートだった。マサイの時はオレンジ色の表紙の小冊子を使ってだったが、今は少し大型になって写真も印刷も綺麗になった小冊子を使ったのだろう。内容は同じようだ。
神は私たちを造り、私たちを愛しています。
私たちは罪の状態にあり、神とは断絶状態にあります。人間的な努力を積み重ねても、この断絶を埋めることはできません。
人の「罪」のために神が用意してくださった解決が、イエス・キリストです。私たちはイエスによって神を知り、神の愛を体験することができるようになります。イエスは私たちの身代わりとして死なれました。イエスは神への唯一の道です。
イエス・キリストを受け入れることによって、神を知り神の愛を体験できるようになります。イエスを受け入れるとは、イエスを信頼するということです。私たちはイエスを個人的に信頼する必要があります。
イエスを信頼した人々に、聖書は永遠の命を約束しています。
(日本キャンパス・クルセード・フォー・クライストのKNOWING GOD PERSONALLYより)
マサイが使ったテキストには神と我々の断絶を十字架が橋渡しをして埋めているイラストがあった。神との断絶を埋めることは、人間的な努力を積み重ねても出来ない、とはっきり言っているのと、その解決方法を探し求めよというのではなく、イエスが神への唯一の道であると答えを教えてくれているのが実に分かりやすく、強く心に響いた。信仰の原点であるこの内容はいつ読んでも喜びと感謝を持って受け入れることができる。今でも疑うことはない。
マサイは親がクリスチャンではないので、こういうことをまず深く考え、聖書を熟読し、信じることから始まっているのだが、息子はクリスチャン家庭で育っているので、それが全て当たり前だと思っている。祈りや聖句は日常生活の中の一部であるし、それ以外は知らない。牧師に信じますか?と問われた時は、何を疑うことがあろうかという状態であったと思う。しかしその点はクリスチャン一家で育った牧師の方でそういう気持ちを理解してくれたに違いないない。ただ自分の言葉ではっきり「信じます」と言えたのは訪問の最大の収穫だった。マサイも細君もこのことを聞いてほっと安心し、神様に感謝をした。
自分がクリスチャンになることを親にどう説明しようかなどと気を煩わす必要もない。安心してイエス様を信頼していけば良い。マサイの希望は、息子が父親と同じヒューバー牧師に洗礼を受けさせてもらうこと。親子二代で同じ牧師に、ということを願っている。よろしくお願いします。
イエス様を信頼し、心の中にイエス様が来てくださり、全ての罪が赦され、神の愛する子どもとされ、永遠の命が与えられ、全く新しい人生がスタートしました。アーメン、感謝します。
ガラテヤ人への手紙
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ヨハネの福音書
5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
コリント人への手紙第二
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
最近はあまり聞かないが、花金(花の金曜日)という言葉があった。一週間の厳しい仕事を終えて、さあ週末だ、という楽しい土日を前にして気持ちの昂ぶりを表す華やかな言葉である。昔は土曜日の出勤が交代であり、この言葉を、フン、いいよね、と斜に構えて聞いていた。2年前からやっと土日も休めるようになったが、花金にならない。想像していたようには気持ちが浮き立たない。仕事を終えた感がないまま、というか片付かない感を持ったまま帰途につく。
毎日仕事が終わらない。仕事はひとつ終わらないうちに次が来る。どんどん湧いてくるイメージだ。朝から休みなく、昼食も席で早々に済ませて両耳から煙が出るくらいの勢いでやっているのに、終わらない。途中から明日の土曜日も出社しないといけないかもしれないと考え始める。細君の顔が思い浮かぶ。せっかく休みを一緒に過ごせるのに、仕事でそれがダメになるのは考えたくない。
机に向かって、仕事を続けていればいくらでも続けていられる状態のところを、さすがに集中力がなくなってきたからと諦めて席を立つ。駅へ向かう道道は、後ろ髪を引かれていて安心感がない。席にいれば何かあっても対応出来るので、ずっと会社にいた方が、気分的には楽に思える。途中から外での仕事に出かけても、戻って仕事をしていた方が、翌日朝一での体制がうまく整えられるのに、とずっと考えている。翌日の朝出社してからでも十分間に合うことを、やってこなかったと気にしている。
家には仕事を持ち帰らないのだが、休日にも携帯電話は鳴る。受けてしまうと会社に行ってそれを片付ければ、という気持ちが湧いてくる。かけてくる方も月曜日で間に合うのなら月曜日に会った時に言えば良いものを、会社に行くまで落ち着かなくなる。こういう終わらない感、仕事をやり残した感がずっとついて回っている。だんだん家に帰る時間が遅くなる。今まで家にいたような時間になってもまだ会社の机に向かっている。帰りがけに周りを見渡せばいつも残っているのは同じ顔が多い。そういえばこの連中も昼にコンビニで買ってきた弁当を席で食べているので、ずっと同じ場所にいる。
こういう不安に覆われての花金なので、週末も会社にいた方が安心できる。何をするわけでもないが安心感は持てる。マサイは会社の人と飲んで帰るということをしないが、飲んで家に帰らないというのも、家に帰って不安でいるより良いと考えているのだろうか。プレッシャーは上から下から左右からくる。ぐっとこらえる瞬間が多くなっている。こうやってうつ病になっていくのだろうな、と考える。妙に冷静なのだが、そうならないようにと常に祈り続けている。
もういいや、という気持ちで週末は休む。明日のための心配は無用だと書いてあるので、土曜日に会社に出るようなことはしない。家に着いて風呂に入る頃には気持ちも落ち着いてくる。
マタイの福音書
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
一晩寝ると腹も座る。休んでいる最中は仕事のことは考えない。月曜のことは月曜に考えれば良い。休日の早朝に走ると、ランニングコースにある教会の前に日曜礼拝のメッセージタイトルが掲示してあるので必ずチェックする。
ルカの福音書
6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」
そうか、と感動して、反芻するように頭の中で繰り返す。「人の子は、安息日の主です。」帰ってからは細君と過ごす。一緒に出かけるか、どこへも行かない時は、好きな音楽をゆっくり聴いたり、本を読んだりする。こういう時は仕事のことは忘れていられるのだが、ぽっとした拍子に煮詰まっていた仕事の解決方法が浮かぶことがある。休んでよかった、やっぱり休まないと、と思う瞬間である。安息日の主であるイエス様に感謝。
息子から熱が上がってきたので病院に行きたいという連絡が細君にあった。朝練後、午前中の授業はいつもと変わらず受けていたのだが、突然具合が悪くなってきたらしい。まだ学校にいる間に連絡してきたのだが、一旦寮に帰ってから電車で我が家へ帰ってきた。そのまま近所のかかりつけの病院へ。予防接種を11月末にしたので安心していたのだが、診断はA型インフルエンザだった。
体力があるので、普段は熱が出ても一晩寝ればすぐに回復する。今回も寝て直したいところだが、厳しい体育会系なので、練習を休むにも医師の診断書か薬の処方箋が必要なのだという。医者に診てもらわない限り休ませてもらえないので、みんな風邪をひいても練習に来ているらしい。そこでうつったようだ。2~3日は寝て過ごし、熱が下がってから2日は休むようにということで、我が家で静養することになった。予防接種は100%大丈夫ということではないらしい。薬をもらって帰る予定でいたので、着替えもなく、マサイのものを着て寝ていたが、熱があるので寒い、寒いと辛そうにしていた。寝る前に部のマネージャーやらバイトの代役を頼むやら、日曜の試合のコーチやらあちこちに電話をしてからやっと寝られたらしい。これが金曜日。
土曜日は息子のアパートに着替えを取りに行く。駅前の駐輪場に置きっぱなしにしておくと危険なのでミニバイクを寮に移動し、部屋の空気を入れ替え、下着を選び、冷蔵庫内の肉を冷凍庫に移動し、プール監視のアルバイトで使う用具を頼んだ代役が受け取れるように玄関先に出しておく。
マサイも細君も予防接種は受けているのだが、注射が効かないとなると自宅内感染の恐れもある。隔離して置けるほど我が家は広くない。すぐ近くで寝ている。が、マサイは息子や細君の風邪が移ったことがない。その自信があるし、家族から移るならいいか、という気もあるので、家に熱があるのがいようが、全く気にならない。何より神様に癒して下さい、細君に移らないようしして下さいと祈っているので、大丈夫だと思っている。却って息子の方で、歯磨き用のコップを別にした方が良いだの、洗面所のタオルを別にした方が良いだの、と気遣いをしてくれる。薬を飲むのに何か食べなければいけないというので、起こして一緒に食事をする。熱はあるが食欲はある。昔からそうだが、具合が悪い時でも食が細るということはない。夜は病人食でなくて、もう普通のものが食べられるという。当然食前の祈りは3人手をつないでする。会社では、周りで咳をするのがいるだけでもマスクをしたり手指消毒を繰り返したりするくらい風邪が移ることに対して神経質になっているというのに、げんきんなものだ。これもマサイが移ったものが息子に移って、試合に出られなくなったら大変だという気遣いなので、選手本人がひいている場合は全く問題ない。
日曜日は本来なら試合の日。2種目出る予定だったが、残念ながら欠場。しかし昼にはもうすっかり熱も下がって、寝ていられなくなったと起きてきた。2日も寝ていたからあちこちが痛くなってきたという。金曜に朝練をしてシャワーを浴びたままなのでもういい加減風呂に入りたいともいう。夜は風呂に入ってから、すっきりしたとすぐに寝ていた。
祝日の月曜日にはもうケロッとしていた。顔色も普段と変わりがない。静養していないといけないので、時間と体を持て余している。マサイが一番好きな映画を息子にも観てもらいたくて買っておいたDVDがある。いつでも見られる状態にしておくと観ないもので、先延ばしになっていたが、これが観たいと言うので、2時間強、2人ソファに並んで観る。マサイの期待以上の反応だった。自分が今まで見た中でも最も気に入っている作品を気に入ってくれたというのは実に嬉しいものだ。食べたいもののリクエストはたくさん出てくる。静養中で体を動かさないのにそんなに食べて大丈夫かというほど食べている。細君と2人だとそれほど食べないのだが、息子と一緒になるとつられてマサイもついたくさん食べてしまう。インフルエンザ帰省も楽しい家族の時としてくださった主に感謝。
息子は元気になって寮へ帰って行った。翌週の週末には試合に出ていた。その後マサイも細君も元気でいる。
イザヤ書
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
年末から年始へ向けて、リセットされる瞬間が好きだ。1年間365日、積み上げてきたものが、一度リセットされて、また一から始める前のまっさらな状態になる。一生懸命積み上げてきたものが、2014年というくくりの中に全てしまわれていく。マサイには、バッハの音楽とトルストイの本を楽しむことができた年だった。
去年の2月号に書いたが、53才になってトルストイの「戦争と平和」を読み終えた感動が残るまま、続けて「アンナ・カレーニナ」(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 木村浩訳 新潮文庫)を読んだ。
物語は1870年代のモスクワ、ペテルブルグ、作者の出身地を思わせる田舎、外国で展開する。アンナは、虚偽と欺瞞の悪魔が自分の中にひそんでいるのを感じながら、その悪魔に身をゆだね、夫と息子を捨てようとしている。夫カレーニンと妻アンナ、そこにヴロンスキー、リョービンとキチイ、リョービンと2人の兄、リョービンと百姓(作中に出てくる言葉をそのまま使っています)、この組み合わせのやりとりで物語は進んでいく。
タイトルから都会的なアンナだけの物語のような印象があるかもしれないが、田舎の粗野な雰囲気を持つリョービンという太い筋がもう1本通っている。ことにリョービンと百姓のやり取りの中にロシア社会を支える農村階級が持つ問題と現実、それに対する作者の考えが現れ、リョービンと2兄弟間のやりとりの中に、ロシア社会の抱える問題と作者の考えが出ていて興味深く読んだ。物語の本質は、実はこのリョービンによって多く語られているのである。
アンナとヴロンスキーの不倫逃避行がこの作品の主であるように書いている解説は多いが、もう一本の中心線である、リョービンという大地に根ざす田舎地主の信仰の目覚めについて書いているのは少ない。かつて信仰を持たなかったばかりでなく、かたくなに避けていたリョービンが、最後にはキリストの信仰に目覚める、ということがこの物語の中では大切で、作者が一番言いたかったことではないかとマサイは思う。アンナとヴロンスキーのいる、信仰に根ざすことのない虚偽と欺瞞にあふれた上流社会と、神様に祝福された世界との対比という物語の構図を(もし読む機会があれば)クリスチャンとして読み取って欲しい。
不倫の罪についての物語なら、アンナの鉄道自殺で終わっても良いところだが、この物語はその後しばらく続き、そこでリョービンの信仰に対する目覚めと確信が語られる。特に信仰を前にした人間が、神様を受け入れることを抵抗し悩むさまが良く表現されている。リョービンは、神様について真剣に考えていたのだが、納得がいくまでは受け入れることができない。私とは何ものであるか、何のために私はここにいるのか、ということについて答えを出せないでいたのである。
しかし農地の草の上で空を見上げながら、神様との関係が徐々に深まっていく。大自然は、神様を身近に感じ、己についても深く考えさせてくれる。最後の神様に対する目覚めも、やまならしの木陰の、まだ刈られていない草の上に腰を下ろしていた時であった。
リョービンは、自分に生命を与えてくれる存在を発見したのではなく、信仰によって理解した、虚偽から解放されて本当の主人を見出した、という。同時に神の真理は個人的にではなく、愛によって結ばれた人々の集まりである教会によって知ることができると、教会の重要性についても語れるようになる。
信仰に出会って暗闇に急に明かりがともったように劇的に人生が変わった、という人間は多くいる。ただそういう分かりやすいケースばかりではない。それを楽しみにしていて、いざそれが自分に起こらないと、信仰に対する自分の姿勢を疑ってしまうものである。しかし実はすでにイエス・キリストの顔を映している自分の姿に気づかないだけなのだ、というところを実に的確に表現している。
神様との出会いや関係作りにおいて、リョービンの通ってきた過程は、実はマサイにも覚えがある。だから今回よりこの作品を身近なものとして読むことができた。同じようなことで悩んでいた時に、この本を読んでいたらと思うが、その時には細君や教会のメンバーがそばにいてくれたので、現在がある。
どうぞ読んで下さい、と気軽に勧めるには長い小説であるが、こういう作品の作者の真の意図を汲み取れるのもクリスチャンの特権である、ということだけ分かってもらえれば良いなと思います。
詩篇
62:5 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。
62:6 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。
62:7 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
62:8 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。
65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。
9月13日の夜、BSで、ローマ街道物語 全長15万キロ~街道の起点ローマ編というのをやっていた。シリーズ物の一回目で、漫画テルマエ・ロマエの作者が案内人で、映画で主人公を演じた俳優が語りをやっていた。マサイは滅多にテレビを見ないのだが、たまたまつけた時にやっていた番組で、そのままついつい見てしまった。見始めて間もなく、突然イエス様や使徒と同時代のローマについて知りたくなり、番組の最中にローマ史の本をWEB検索して、読みやすそうな文庫と新書を注文してしまった。時を同じくしてローマ人の物語の作者と俳優がローマを案内する番組もBSであった。偶然は重なるもので、地上波の局でもローマを放映していた。で、これはどうしてもということになり、通勤電車の中でローマの歴史を読み始める。
ローマは古代に起こり、近隣に版図を広げ、栄華を誇り、東西に分割統治した後、西が滅び、ビザンツ帝国として命脈を保っていた東ローマ帝国もやがて滅び、その歴史が終わり、新たなルネッサンス、中世という歴史が始まる。一度完結し、復興を果たすというモデルが人々の興味をそそるのかもしれない。イタリアという国は実に興味深い。
この帝国の発祥は確かにローマであるが、その後のローマはイコール現代のイタリア半島ではない。ローマ帝国の最大版図は117年トラヤヌス帝の頃、北は現代のイギリスの南半分から、フランス、ベルギー、オランダ、スイス、オーストリア、旧ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、ポルトガル、スペインにわたっている。地中海沿岸から黒海まで、通信網がろくにない時代にもかかわらず版図は広大である。
最初は人の名前に馴染みがないのでノートに系図を書きながら読んでいた。読む前には聖書に出てくる名前以外、シーザーやアントニウスくらいしか知らなかったが、パスク・ロマーナの黄金期を支えたと言われる五賢帝など、他にも興味深い人物が大勢登場する。その中には特徴的な三悪帝の一人として暴君ネロも登場する。
早くから独裁を防ぐ社会機構作りをしたというのは素晴らしいと思うが、不倫、奸計、謀略、殺人の繰り返しの歴史である。共和制、元老院、執政官、独裁官、強力な軍隊、パトリキ(旧貴族)とノビリタリス(新貴族)、同盟市と属州、ローマ市民権、キリスト教の弾圧と国教化が、ローマ古代のキーワードになる。
ユダヤはローマの属州だった。属州は徴税も、派遣された役人が現地で個人的に雇った「徴税請負人」に行わせていた。国家は徴税経費の負担がなかった代わりに、役人が求める以上の徴税を行うことを黙認していた。例えば、10万の税金が見込める場合、国家はきちんと10万を中央に納めてくれれば、現地の役人が徴税請負人に12万徴税させて差額の2万を自分のものにしたとしても黙認した。福音書を書いたマタイやイエス様を見るためにいちじく桑の木に登っていたザアカイはそういう徴税請負人だった。
また、パウロは生まれながらにしてローマ市民権を持っていた。ローマ市民権を持つということは、特権もあったが、ローマ兵として従軍することと、納税によって戦費を負担することを意味した。パウロがどのようにして市民権を持つに至ったかは分からないが、ローマでは、身分は母親の身分が受け継がれるのが基本だった。両親がともにローマ市民であればもちろん、たとえ父親がローマ市民でなくても母親がローマ市民であれば、生まれた子どもにはローマ市民権が与えられた。その他、戦争で勝ち取った植民地に住む人にも国民の証としてこの市民権が与えられている。
新約聖書の時代はどういう社会だったのか、どういうことを考えていたか、ユダヤ人は時代の中でどういう状況に置かれていたのかが分かって、聖書を読む時の印象が違ってきた。実に読んで良かったと思っている。他国の歴史は二冊読んで全てが分かるほど簡単なものではないが、もっと深めていけば当時のユダヤが見えてくるのではないか、新約聖書の御言葉がより分かりやすくなるのではないかと期待している。全ての道は聖書に通ず、感謝します。
使徒のはたらき
23:11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。
ローマ人への手紙
11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
登戸エクレシアキリスト教会の始まりについては、細君が神学校に提出した「私の教会の歴史」というレポートに詳しい。1987年4月、ティム・ポール・ヒューバー師がブラジル・サンタレンから宣教師として単身来日、開拓開始とある。そして1989年9月24日16時半より、登戸ホームチャーチという名称のもとに第一回礼拝開始。礼拝メッセージは「礼拝とは何か」。11月23日第一回洗礼式と続く。
最初の礼拝をもって教会創立の記念日とするなら、今年の9月24日が教会創立25周年となる。ヒューバー牧師の誕生日が10月25日なのだが、この日付が頭の中に残ってしまっていて、正確な創立記念日に合わせて書こうと思っていたものがひと月遅れてしまった。この教会も四半世紀の歴史を刻んできた。細君は創立の時から関わっている。アメリカ留学時代にヒューバー牧師に会っているので、実に創立のはるか前からの縁になる。開拓を開始したのは、ヒューバー牧師が住んでいた登戸の民間アパートの一室だった。
マサイが初めてこの教会の行事に参加したのは、1989年12月24日のクリスマス会だった。積もらなかったが雪の舞うクリスマスイブで、建て替え前の多摩市民館、ゲストスピーカーがアーサー・ホーランド氏だった。教会創立後3ヶ月、スタッフが実に楽しそうに生き生きとしていて、手作り感いっぱいのクリスマス会だった。
その年の大晦日、ヒューバー牧師のアパートに招待してもらった。2階建てのアパートの1階真ん中辺りで、入口に洗濯機があって、入るとキッチン、右手にバス、トイレと並び、奥に6畳の和室がある。その午後、スナップ写真を見せてくれて、いろいろブラジルの話を聞かせてくれた。伝道の話というより、2人でいろいろ楽しく喋っていた。夕方から人数が増えてきた。揃ったところでニューイヤーイブ礼拝「イエス・キリストはすぐに再び来る」が始まった。こたつをぐるりと囲んで、入りきらない人も確かいた。賛美は生ギター1本。ヒューバー牧師を中心に若い人が多かったように記憶する。
このアパートには行くたびに人が変わって誰かがいる。いろいろな人の面倒を見ていたのだが、狭い空間なので、ヒューバー牧師にとってはプライベートな空間もない。このアパートでは土曜日の夕方から英語聖書勉強会をやっていた。一品持ち寄りで、勉強会が終わると食事会となる。仕事を終えて、駅前で果物を買って、急いで行った覚えがある。
このアパートには、ヒューバー牧師のご両親や家族を迎える準備をしたこと(6畳の和室にWelcomeの飾りつけをした)、皆で食事会をするのにテーブルがないので、収納の引き戸を外してテーブル代わりにしたこと、結婚の報告へ行ったこと、などなど、青春のひとコマ的な思い出がたくさんある。
礼拝を木造アパート行っていた故の騒音問題が起こってきたため、1990年11月に移転するまで、ここが教会堂がわりだった。大伽藍がなくても、祝福された、みんなに愛された立派な教会堂だった。
まだこのアパートは近所にあるので、近くを通るたびに懐かしく思い出す。その度にヒューバー牧師には苦労をかけたなぁと頭が下がる思いである。感謝しています。25年、ここから祝福が溢れ出して今があるのだが、神様のご計画の素晴らしさに感動するばかりである。
次にこういう文章を書くのは50周年の時だろうか。ヒューバー牧師は84才になる。神様の祝福の大きさを思って今から楽しみである。
使徒の働き
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
忙しいなぁと思いながら毎日働いていた。半年に一度の決算は、担当者が代わって初めての中間決算なので気ばかり焦っている上に、それだけに集中できる訳もなく、来年3月まで半年間期間限定で預かる仕事もある。こちらは全く任せきりにしていた別世界の仕事。とても丁寧なマニュアルを作ってくれたので、それを見ながら進めて行けば良いのだが、責任あるものなので、期日を間違えずにして行くことへの気苦労はある。当然自分だけしか出来ない仕事はある。長い間悩んでいた大きなものは9月末に何とか片付けた。それだけで負荷は十分以上であるというのに、いろいろな会社が半期決算前に駆け込みで話を持ってくる。日常の細々としているものも湧き出て来る。電球が切れている、異動者の机の設置、パソコンのランケーブルの配線、などなど。これら全て投げ出せたら気分が良いだろうなぁ。定年を迎えたらこういう責任全てから解放されるはずだから、それを今からとても楽しみにしている。あと5年半、給料をもらうのは66回、と考える毎日であった。
中間決算の前半の山場である金曜日。終電を覚悟していたが、スタッフの働きによって早く切り上げられたので、23時過ぎには帰って来られた。土曜日は自分の仕事に集中できるので、翌土曜日は出勤してゆっくり仕事を進めよう、この土曜日を乗り切って日曜日の朝ジョギングをすれば、スッキリできるだろうと思っていた。帰るまで細君がお弁当につけてくれたレーズンの入ったチョコレートでしのいだので、23時半頃にやっと夕食。鮪、鯛、イカの刺身を中心とした和食だった。食後しばらく時間をおいて、入浴後就寝。0時半を少し回っていた。
いつも通りだとすぐに寝付くのだが、尿道に少し、痛みとまではいかない違和感があって、細君の寝息を聞きながらそれを気にしていた。その後眠れたのだが、腹痛で目が覚める。へその下、やや右寄りが痛む。上を向いて寝ていた姿勢を右向きにして、体をくの字にしてみても痛みは変わらない。痛みが随分増してきた。中途半端な痛みではない。夕食の刺身は金曜日の夕方スーパーで買ったもので、古くはなかったし、美味しく食べた。消化が良くて体に良いものと細君が考えて作ってくれた食事だ。トイレに行ってみると便意はないし、何も出ないし、吐き気もない。食あたりではないらしい。
ところが痛みはどんどん増し、トイレから這い出るようにして廊下の硬いところにうずくまる。柔らかい布団の上より、硬いヒンヤリしたところを探す。思わず声が出る。胆石、尿道結石という言葉が頭に思い浮かぶ。石が出ると七転八倒の痛みだというのを何人からも聞いてきたし、何よりマサイの両親ともにこの石で救急車や入院騒ぎをしている。痛みにうなっていたら細君が起きてきてくれた。咄嗟に時計で時間を確認することと、祈ることを頼む。
1時10分だった。痛みが始まったのは1時くらいになるのか。ほとんど寝て間もない時間だ。廊下でうずくまってうなっていると、体が熱く、走り終えたばかりのように体中から汗が吹き出てきた。盲腸かというが、盲腸なら同じ右でももっと下のはずだ。細君が救急車を呼ぶかという。救急車=入院となると、今の仕事はどうなる。自分しかできないことがあまりに多すぎる。明日も出社しないといけないし。このまま収まってくれれば一番良い。細君に祈ってもらって、強烈な痛みが少し薄らいだ。石ならこうして動かずにいるよりは、歩いた方が移動してくれるかもしれないと、家の中をウロウロ行ったり来たりし始める。しかし今まで味わったことのない種類の痛みはまたやって来て、再びうずくまる。石なら水を飲んで押し出せば何とかなるかもしれない、と水を飲む。
1時15分まで様子を見る。しかし堪えられる痛みではなく、「いてぇ~」と声を出さずにはいられない。チクチクでもズーンでも差込でもない、今まで味わったことがない痛み。痛みで顔が歪むのが分かる。家の中を歩きながらバッグに健康保険証と免許、スマホ、病院に行けば点滴になるかもしれないので、暇つぶし用のイヤホン、汗だくなので着替え用の服、家の鍵を入れる。頭はしっかりしている。細君は祈ったり、スマホでいろいろ調べたりしてくれている。もう一度救急車を呼ぶかと聞かれる。いや、1時半まで待とう。入院してしまった後に発生するであろう仕事上の問題と人の顔が頭にいろいろ浮かんでくる。もう一度トイレに行くが出ないものは出ない。細君が顔が真っ白だというので鏡で見てみると、確かに白い。
やっぱりダメだ、病院へ行こう。仕事はどうにかなるだろう。結局細君が夜の街を車で病院へ急いでくれた。後部座席にうなっているのがいるので、細君は随分緊張して運転したという。途中車の振動で吐き気がしてきて、車を止めてもらって車外に出る。3度えずくが何も出ない。終電の行き過ぎた夜の街は奇妙な夢の中にいるような気にさせる。痛みは周期的に休まる時があるので、その時に自分でも祈る。
半年ごとに定期検診をしている病院に着く。やっと夜間救急の窓口から建物に入って安心したら、工事で電源を止めているので、何もできないし、先生もいない、少し離れた大学病院まで行けるかという。痛みに耐えてやっとここにたどり着いたのに、たらい回しにするのか、と普段なら怒りが口をつくのに、痛みでそれどころではない。そこへ行けば絶対に見てくれるのかと念を押すと、電話をしてくれた。今痛みに悶絶している人が行くから~と喋っている。痛みに悶絶していると分かっているのなら、どうにかここでしてくれと言いたかった。細君にまた夜の街を走ってもらう。
真っ暗な通りを曲がって夜間救急外来と書いた入口から入ると、受付の前の椅子にはおでこに包帯を巻いた人を何人かが取り巻いて説明を聞いている。事故だったのだろうか。包帯から血がにじみ出ている。そんな神妙な人たちの横で、いてぇ~とうなっているのは、妙に申し訳ない気がした。
痛みはここに着いた時点でへその下に移っている。石が移動したのだろうか。痛みは周期的にやって来る。我慢できる痛みではない。座りながら看護師さんに体温や血圧を測ってもらっている時に痛みのピークがやってきた。車を置いた細君が入ってきた時には強烈な痛みによる吐き気を懸命にこらえていた。しばらくトイレに行かれないだろうからと行っておく。少し出た。車椅子を押して女医さんが来た。誰が乗るのだろうと思っていたら、これに乗れという。そのまま処置台へ。細君は受付前で待機。そこで祈り続けてくれていた。
処置室で体を伸ばして横になると、不思議に急に体が楽になった。何人もが周りでせわしなく動いている。体温を測る。血圧を左右の腕で測る。採血をする。点滴を腕に取り付ける。その間いろいろ何度も繰り返して聞かれる。年齢、いつから痛くなったか、痛む場所は、何を食べた、下痢は、嘔吐は、かいた汗は冷や汗か脂汗か、アレルギーはないか、家族の既往症は、薬アレルギーは、血圧が高いと言われたことは、煙草は、酒は、医者に通っていることはないか、便も尿も出すのに問題はないか、色は。受け答えをしているうちに自分がどれほど健康な人間なのかを再確認しているような思いで、どんどん冷静になっていく。普段から脈拍が遅いと言われたことはないかと聞かれる。初めて言われたが、走っているうちにスポーツ心臓になったのだろうか、とこれが妙に嬉しかった。
胃部のレントゲンを複数箇所撮影、その頃には腹部の強烈な痛みは引いていた。かかとを両方強く叩かれても、腹部の触診にも痛いところはない。超音波(エコー)検査でも石は見つからなかった。小水をとってみると血尿ではない。石が出たとすると、血が混じることがあるようで、期待したが、赤い色は出てこなかった。心電図も異常なし。心筋梗塞系も問題ないという。
受け答えをしているうちに痛みは感じなくなってきた。一体どこに行ってしまったのだろう。ここに入る直前の尿で石が出でしまったか。あまり痛くないというので医者が困っている。こちらもバツが悪くて仕方がない。血液検査の結果が出るまで待てという。細君が入ってきた。痛みで顔面蒼白になって、ものすごい汗だったと説明をしてくれている。細君は外で随分待たされていた間何も知らされないので、マサイが痛みと戦い続けていると心配していたらしい。ここに来て最初に測った血圧は上が180を超えていたという。通常120-70というくらいなのに、そんな上がったのは人生初めてだ。血圧は嘘をつかないということで、やっぱり何か体に異常があったのは確かなようだ。それが急に引いたらしい。
血液検査の結果が出たが異常はない。医者が悩み始めた。診断したからには結論を出さなければいけない。腎臓の機能で少し数値が高いところがあるという。これは毎年の人間ドックで言われたことはない。白血球の値が高いと言うが、これは人間ドックで言われたことがある。初めて意見が合致して医者は嬉しそうにしていた。が、そこだけ。
結石の場合の初期症状として、背中や脇腹に筋肉痛のような痛みを言っている人が多い。確かに先週背中が痛かったり、腰が痛かったりということがあったが、今日はどうかと聞かれると、今日は別に痛くない。体内に溜まっていた便が、ある悪い箇所を通過したために痛みが取れたのかもしれない。その悪い箇所とは何だろう。聞いたのだが覚えていない。
全てが推測でしかないが、結論は出なかった。痛みが消えたので帰りたくなってきた。点滴はまだまだたくさんある。2時間コースの点滴だったのだろうか。これが終わるまで帰れないのだろうか。後はCT検査をするかどうかだが、痛みがあればその検査をして、石が見つかる可能性もある。しかし痛みがない時にやっても、ということで勧められなかった。痛みが収まっているのなら引き上げますか、ということになり、点滴を外してくれた。
受付で会計を待つ時には、いつもと変わらない状態に戻って、運転を変わってあげようかと言えるくらいになっていた。細君の運転で家に帰ったのが4時少し過ぎ。こんなにすぐに帰ってこられるとは思っていなかったので、感謝のお祈りをして寝る。
細君の祈りと、痛みが消えたタイミングがほぼ一致する。祈りの力に驚く。マサイは祈りによって痛みが取り去られたと信じている。祈りは聞き届けられるということと、主は癒し主であるということは疑ったことがない。主よ感謝します。祈りを聞き届けて下さり感謝します。細君、有難う。祈りと、寝ずに付き合ってくれたことに感謝。
色々な方から心配していただいた。石経験者は思ったより多い。仲間がたくさんいるので痛み度合いを共有できるのは嬉しい。多分石による痛みなのだろうが、そう断定できなかったことが残念。再発しないように祈り続ける。
ヤコブの手紙 5:16
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
マルコの福音書 11:24
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
夏休みに3泊4日の四国旅行を計画していた。いつものように息子の試合のついでの旅行ではなく、何年ぶりかの純粋な旅行で、細君もいろいろ調べて実に綿密な計画を立ててくれた。今まで読んできた司馬遼太郎の世界を巡る予定であり、坂本龍馬や長宗我部元親、坂の上の雲の秋山兄弟、正岡子規を育て上げたのはどういう地であるかを見に行く予定であった。松山は3回目だが、高知は初めて。細君は両地共初めて。
いよいよ出発間近というところで、台風が四国に近づいてきた。しかも2つ。台風12号の後を追うように11号が来ている。12号は何とか旅行前に通り過ぎてくれそうだ。当初11号は日本に近づかないという予報だった。しかし今年は例年と雲の動きが違う。だいたい台風の被害を受けるのはお盆過ぎで、8月の頭に日本列島に近づく台風はないものと思ってここに予定を入れていたのだが、異常気象である、何がいつ起こるか分らない。
この2つの台風の影響で、四国は記録的な豪雨に見舞われている。高知県は例年8月の降水量の何倍もの雨が1日に降っている。旅行2日前のTVニュースでは、大粒の雨が勢いよく降り、市内の川が氾濫した様子を報じている。崖崩れの心配もある。週間予報では、旅行中ずっと雨になりそうだ。高知市内でも避難勧告が出た。高知城のあたりでは集まった雨水が吹き出している場所がある。台風が来ればまず飛行機が飛ばなくなる。台風の動きを追っていると、最終日に利用する松山空港が、見事に進路にぶつかる。
夜10時過ぎに、マサイの父親から電話がかかってきた。本当に行くのかという。ニュースで台風情報をずっと見ていたのだろう。いつ「行くのはやめた」という電話がかかってくるかと思って待っていたのだが来ないので電話をした、という。この時点では行くつもりだったので、そう告げると、とても心配そうな、残念そうな調子で、そうか、という。電話を切った後、テレビをつけると、ここへ遊びに行くというのは失礼なように思える映像だった。住民が避難をしている時に観光に行くのである。この雨は止むのだろうか。ひとつ台風12号が行き過ぎて行くところだが、すぐ後にまた同じくらいの勢力を持った台風11号が確実に四国に向かっている。
高知から愛媛へバスで抜けていく計画なのだが、旅行中間違いなく毎日雨だろう。まず細君と祈った。この旅行についても祈って決めて、予約後も毎日旅の安全を祈り続けてきた。何か行かない方が良いという神様のメッセージなのかもしれない。今日キャンセルをすれば、30%のキャンセル料で済むが、明日になると40%になる。思案のしどころである。現地のホテルに電話を入れてみる。飛行機以外の市内の交通は全て止まっているという。こういう状況だから、キャンセルについてはキャンセル料を取らないとまで言ってくれた。市内観光は出来ないことはないが、傘をさして歩くには辛そうな雨の勢いだ。せっかく新鮮な海の幸でも食べに行くつもりでいたのだが、これでは到底漁に出る船もないだろう。食べ物屋さんも店を締めているかもしれない。と、いろいろ考える。
行けばよかったと後で後悔しないようにして下さいと祈って、WEB申し込み画面のキャンセルボタンを押す。楽しみにしていた細君にはかわいそうなことをしてしまった。実家にキャンセルとしたという電話を入れると、父親が嬉しそうな声で答えてくれた。安心したようだ。こと命に関わるような事故の可能性がなくなったことに対しての安堵だろう。
旅行前日になっても現地の台風と雨の状況は変わらない。避難勧告は避難指示になった。「避難勧告」は避難を強制するものではない。それに対して緊急性が高く、強制力が強いのが「避難指示」。人的被害が出る危険性が非常に高まった場合や人的被害が発生した場合に発令されるもので、避難指示が出た場合は直ちに避難する必要がある。気象情報のサイトを見ていると、高知県からこの避難指示がずっと消えない。
皮肉なことに、東京は良い天気で暑くてたまらない。旅行後に行こうと思っていた実家への訪問を早める。父母を近所の巨大ショッピングセンターに車で連れて行って、一緒に食事をする。何がいいかと聞くと肉が食べたいと母が言う。ボケ防止に肉料理が良いというのをTV番組で見たようだ。80歳にステーキはどうかと思って、中華料理店に入って、肉料理を中心にいろいろ注文して4人で分けて食べる。母はみんなで取り分けて数種食べられるのがとても気に入ったようだ。
スーパーで買い物を一緒にして車で持ち帰る。普段はこのショッピングセンターまでバスと電車を乗り継いで来ているという。車なら1本道で、あっという間に着く。母は家でもずっと細君を捕まえて喋っていた。これも楽しかったらしい。ゆっくり話せて良かったと喜んでいた。父は少し年をとったように感じた。母は杖をついている。翌週には行く予定だった実家だが、この時行っておいて良かった。
この昼食の前にマサイが買ったバッグを、取り立てて見せびらかしたわけではないのだが、便利そうだから欲しくなった、どの店で買ったのか、という。教えてやると、翌週2人で買いに行った。気に入ったのが買えた、と嬉しそうなメールが来た。我々の訪問が余程嬉しかったらしい。喜んでもらえてこちらも嬉しい。
翌週金曜日、息子がいきなり明日夕ご飯を食べに帰ってよいかという。母親の手料理の中でも大好きなものをリクエストしていた。実に4月1日に入寮して以来の初帰宅である。世の中は夏休みとは言え、強化トレーニングの最中なので、9月の日本学生選手権が終わるまでまとまった休みはない。練習の日程表を部屋に貼ってあるので、細君とそれを見ながら、今頃は朝練が終わる頃かとか、もう夕練に出かけたか、もう寝たか、ちゃんと食べているか、など息子の行動に思いを馳せている。息子が話題に登らない日はない。
土曜日夕方ミニバイクで帰ってきた。さっき出かけた先から帰ってきたような、いつも通りの帰宅だった。毎日の練習で日焼けしている。随分からだが絞まったようだ。腹筋が板チョコのように綺麗に割れている。食前に3人で手をつないで祈り、食べながらいろいろ話が出来た。楽しく元気にやっているようだ。安心する。
門限があるので、食べ終わって風呂に入ると、食材をいろいろ持って急いで戻って行った。わずかな時間だったが、実に楽しい時間だった。わずかな時間でも帰って来てくれれば親としてはとても嬉しい。すっかり2人暮らしに慣れてしまっていたが、我が家は3人家族なのだと実感できたひと時であった。
訪問する喜びとされる喜びの両方を味わえた夏休み、実家や我が家の親としての喜びを通して、我々のどんな行動が、天の父、神様に喜んでもらえるのか、を合わせて考える事が出来た有意義な時間になった。全てのことを働かせて益としてくださる主に感謝します。
詩篇 55:22 あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
箴言
23:19 わが子よ。よく聞いて、知恵を得、あなたの心に、まっすぐ道を歩ませよ。
23:20 大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。
23:21 大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、ぼろをまとうようになるからだ。
23:22 あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。
23:23 真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。
23:24 正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。
23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。
23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。
難解な局面に遭遇した時、この場所に自分を導いてくださったのは神様であって、自分ならそれができると神様が思ってくださったから自分がここにいるのだ。神様のご計画なのだから、きっと出来る、上手く行く、神様が解決してくださる、と考えるようにしている。
問題が発生した時は、まず祈る。そしてこう心の中で繰り返すと不思議と心は軽くなる。非力な自分がひとりで抱え込んでも解決出来るわけがない、神様に委ねよう、と肩の力を抜くと、煮詰まっていたものがすっと解決したりする。神様感謝します。もし信仰がなかったら、随分前に潰れてしまったかもしれない、とよく思う。
仕事を長年やっていると、それなりに背負う責任が重くなる。この責任も分け合えたり、上司に渡せたりするものなら良いが、だんだん自分のところで受け止める責任が増えてきている。責任を押し付けて、後ろに隠れていれば良い周りが気楽に見えてくる。
責任に押しつぶされて鬱(ウツ)になってしまうケースもあるようだ。どういう人がそうなってしまうという分類は簡単に出来るものではない。真面目な人ほどなる、という人もいる。人に任せられないで自分で仕事を抱えてしまって、どうにもならなくなったところで発症するらしい。管理職の場合と、新入社員や転勤等で環境が変わったばかりの人が要注意で、人間関係、仕事量の問題が精神障害に発展して、ひどくなれば休職につながる。
マサイは職場での人間関係について、相手に腹を立てる前に考えてみる。言われたことに対して自分が満足できるような返答ができなかったり、言われた通りのことができなかったりした自分に腹がたっているだけで、それを言った相手に怒りをぶつけるものではないのではないか。これが分かると職場の人間関係は多少なりとも改善される。
またどうにも解決できない問題に突き当たったり、この難局は解決不可能ではないか、このまま続けていても終わるのだろうか、と不安になったりすることがある。できれば見なかったこと、気づかなかったことにしてしまいたいと思うことがあるが、気づいてしまったものはどうしようもない。しかしいくら遅くまで会社でパソコンに向かって考えてみても、休日に会社に出ても、どうにもならない時がある。
最近は煮詰まったら一旦帰ってくるようにしている。追い詰められていたところから脱出を図るので、逃げるようにして会社を出る。帰り道はまだ仕事のことが頭の中を占めているのだが、家に帰ると、忘れられる時間がある。仕事場を離れることによって、祈る時間を取ることができる。そこで自分ひとりで解決しようとしていたものを神様に委ねてみる。内向していた頭を解放して、自分はあまりにも弱い、できませんので、解決できるように導いてください、と祈る。そして寝てしまう。翌朝細君にうなされていたと言われることもあるが、本人は多少なりとも冷静になれている。なので、翌日会社に行く時は、祈りの答えを期待するような楽しみがある。神様に委ねた安心感もある。職場に行くと、解決策を与えられることもあるし、他の人を通して解決に向かっていたりすることもある。
自分の弱さを認め、祈り、委ねること、最近はこの3つに支えられていることを強く感じている。難解な局面は自分が遭遇したのではなく、それは神様のご計画であり、それを通して神様が自分に働きかけてくださっている。そうであるから必ずこれは乗り越えられる。全て神様のご計画なのだから、きっと出来る。それは確かなことである。加えて細君が祈りで支えてくれている。神様、感謝します。細君、有難う。
コリント人への手紙第二
12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
コリント人への手紙第一
10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
年に一回毎年行っている人間ドックで必ずひっかかる項目がある。判定A~FでAが異常なし、で良い方。ほとんどがこれ。Fが要受診。これはなし。Cが要経過観察なのだが、このCが4つある。
Cのうちの2つは定期的に看てもらっていて、問題はないと言われている。もうひとつは悪玉コレルテロール。正常値とされる範囲を少し上に超えてしまうのだが、マサイの父親も高い。遺伝なのだろうと思っている。暴飲暴食をするわけでなく、細君がコレステロール値の低いものを選んで食事を作ってくれているし、昼食も細君が作ってくれた弁当を持って行っている。走る時も、体の隅々の毛細血管に血流が届くように、ゆっくり走るようにしている。数値がほんのちょっとオーバーしているだけで、血液脂質が異常値です、と警告されたが、値が下がらないのは体質なのだろうか。新聞に載っている週刊誌の見出しや、新刊本の見出しに、高くても良いようなことが書いてあるものがある。しかしこれが原因で起こるのは血管の詰まりや破裂などである。気になることなので、近所のかかりつけの医者に、首筋の動脈をエコーで見てもらった。左右ともに問題なし。そばで一緒にいてモニターを見ていた細君が、何の詰まりもなく、太く勢いよく流れていたと教えてくれた。これでこちらは一安心。
さて、最後の一つ。胃部X線の診断結果で、今までずっと「胃上部ポリープの疑い」と書かれてきた。これが6月の診断では、「疑い」が取れた。なくなったのではなく、「胃上部ポリープ」と書かれていた。どうやらあるらしい。悪性なら心配だ。前回血管の詰まりを見てもらった時に、一緒にこの件も片付けてしまおうと思っていたのだが、仕事が忙しい時だったので、予定の隙間に予約を入れることができずにずるずる来ていた。
細君が予約を入れてくれた。二人で祈ってから病院に行く。まず再度コレルテロールの件を相談すると、甘いものは好きかという。マサイはケーキはそれほどではないが、あんこ派である。空腹時の甘いものを好む。これをほどほどにしろという。禁止ではなくほどほどとは温情のある診断であった。
さて予約の胃カメラである。鼻から入れるか喉から入れるかと聞く。どちらでもと言ったら、鼻から入れることになった。右より左の方が穴が大きいらしい、右を試してから左へ移動した。喉の辺りを通過する時は苦しかったが、あとはするすると入っていく。本人もモニターで見れますよと言われたが、ずっと見ていると喉のあたりで管が動く感触が嗚咽につながるので、ひたすらおとなしく目を伏せていた。時々カラーの画面を見たが、自分の体の中を見るのはあまり気持ちの良いものではない。細君が肉屋で売っているもののようだったという。ホルモン系のことらしい。
カメラは一旦胃に入っても上下見たいところが見えるらしい。医療技術には驚くばかりだ。件のものはひだに隠れるようにしてあったのを見つけてくれた。ひだひだの中で、虫刺されのように丸くぷくっと膨れたモノがそうだという。形状から見て悪性のものではないが、組織をとって調べるという。早く終わるのかと思ったら、十二指腸まで進んで看てくれた。こちらは問題なし。
一安心ながら、綺麗な胃の内膜に縦に点々と走るものがある。赤いてんてんとした傷のように見えるのだが、これがストレスであるという。今の部署に移ってストレスがなくなったと、以前月刊マサイに書いたが、その時の名残か、未だに少しはストレスと感じているのだろうか。ストレスは自分が思うことと現実が違うことへの不満が爆発した怒りである。精神的なものかと思っていたものが、こういうふうにはっきり目に見える肉体的な傷であることに驚く。怒りによりストレスを感じることは、自らの肉体を傷つけていることなのだ。先生は笑って説明をしてくれたが、自分としてはポリープ以上にこれは気をつけなければいかんと大きなショックを受けた。
組織を取ったものは8日後に結果が分かるという。結果についても祈っていく。何より、怒りを収めることが健康にも大切であると教えられた診断であった。主よ、愚か者は怒りやすく自信が強い(箴言14:16)ことを悔い改めます。その怒りのもととなる自信を取り除けてください、お願いします。
神様、どうか私にお与えください
変えれらないものを受け入れる心の平安を
変えられるものを変える勇気を
そして、その違いを見極める知恵を
「平安の祈り」 ラインホールド・ニーバー
箴言
16:32 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
19:11 人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。
27:3 石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。
18:14 人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。
18:15 悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。
両親に5月の連休に実家へ行くがいつがいいかと伝えたら、いつでもOKだという返事と一緒に、「相談事、頼みたいことがいろいろあります。相談事の詳細は数日のうちに事前メールします。」という返信が来た。改まって嫌だなと思っていたら、後日またメールが来た。相談事とは「相続税」に関することだった。
「平成27年1月より基礎控除額が4割引き下げられる改正案が決まりました。都市部に一軒家を所有する者は相続税がぐんと増える予定です。今年までは法定相続人2人の場合の基礎控除額は7,000万円で、ほとんどの庶民は相続税を免れているが、来年からはその額が4,200万円に引き下げられます。」
マサイの実家は埼玉県の一軒家である。マサイは一人っ子なので、父の法定相続人は母とマサイの2人。両親は法案が決まっていろいろ考えたらしい。今までも相続について心配はしたことがあるが、聞いた人達からは取られたことがないという返事ばかりだったので安心していた。マサイも連休の前までにと急いで改正後の相続税の本を買って読んでみた。国税庁のホームページからもいろいろ取り出してラインマーカーで線を引きながら読んだ。確かに来年1月から大きく変わるらしい。
相続税の納付は死亡後10ヶ月がリミットで、現金での納付とある。払えない場合はやむを得ず家を売却して、ということにつながるらしい。読んだ本には急に対象者が増えることになるので、問題は大きくなると書いてある。受け継ぐものといって財産がたくさんあるわけでなく、土地と25年以上前に建てた家屋と生命保険の死亡保険金だという。父が内容を綺麗にまとめておいてくれた。ところが首都圏の土地は、東京オリンピックの影響で評価額が上がるかもしれない。評価額が上がれば、税金も上がり、高額な相続税が発生するかもしれない。その時になってみないと分らないことが多いので、心配ばかりが湧いてくる。
息子が手を離れたかと思ったら今度はまた新たな問題が発生した。息子の学費で財布の中は何も残っていない。幸いまだ両親ともに元気なのですぐにという話ではない。覚悟をしておけ、と考えてくれているだけでも有難い。法的なことはよく分らないが、決まってしまったものには従わなければならない。相続することに間違いはないのだ。
こういう場合、一番力強い味方、主にお祈りすることから始める。祈って望むことで神様の御心にかなった行動ができる。聖書には相続という言葉がたくさん出てくる。我々は人の世の相続の前に、神様からの約束で既に神の相続人としていただいている。こちらは税金が払えるかどうか、払えなかったら相続できないかもしれない、と心配をすることはない。
テトスへの手紙
3:7 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。
ローマ人への手紙
8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
我々は神様の子であり、相続人である。この世の相続は一生にそう何度もあることではない。親から我々への相続ということに合わせて、次に我々の分を息子に渡す時のことを考えてみた。我々親の役目は、財産ばかりでなく、信仰も、神様の相続も次の世代に確実に引き継いで行くことである。それが一番大切なことであると、責任の重大さを感じた。この人の世の相続ということを通して、神様の相続人であることをじっくり考える機会を与えてくださったことに感謝します。
高校の卒業式からあっという間に一ヶ月経った。いろいろなことが詰まった一ヶ月だった。引っ越し騒ぎでゆっくり花見をする暇もなかったが、4月1日火曜日、入学式の日は見事に晴れ上がり、桜も満開になった。昼頃早めに出て桜の下で3人並んで写真を撮る。大学生ともなると制服がないので、入学式にはスーツを来ていくのだが、買ったばかりのスーツは背中が早きつそうだ。立派な息子のスーツ姿を見て、ここまで無事に育てられたことを主に感謝する。
電車に乗るとひと目でそれと分かるような、スーツ姿の若者と正装をした親の組み合わせがたくさん乗っている。もう大学生なのだから一人で行かせれば良いのにと言われそうだが、マサイの母親も大学の入学式まで来てくれた。卒業式は来なかったように記憶する。だからマサイの公式行事もここまではと決めて楽しみにしていた。会場に着いて保護者が随分来ているのを見て安心する。
広いホールだが、人数が多いので学部別に入学式を行っている。息子は入口で水泳仲間と待ち合わせて一緒に会場に入って行った。先に入る、とこちらに向かって手を振ってくれた。何気ない別れの合図だが、これでしばらく会えなくなる。一緒に家は出たが、帰る場所は別、ということにまだ慣れていない。中に入って水泳部監督の教授を見つけて挨拶をする。
1時間強の入学式。学長は式辞で創立の歴史や校章の由来を説明してくれた。「本学の歴史の証人としてこれを引継ぎ、次なる歴史を創造する主体者となってほしい」、と述べ、理事長は、精神的な自立の必要性を述べ、「大学生活の全ては各自の自由な選択と判断に任されている。ただし、そこには自己責任が伴うことを忘れてはならない」と続ける。選択と判断については一人暮らしになっても必ず神様に祈ることを言い聞かせてきた。イエス様よろしくお願いします。
終わって息子は体育会系特有の歓迎会があるというので、先輩たちに連れられて寮に帰っていった。後で聞くと、高校の時も似たようなものがあったので覚悟をしていたのでよかったが、おびえていた子もいたという。高校の時の方が印象は強かったらしい。
入学式が終わって何となく身軽になったような思いがしている。細君と18年半振りにまた2人きりになったということをそれによって知るのだが、それが寂しさにはまだつながっていない。毎晩トレーニングから遅く帰ってくる息子を待つ生活は終わったのだ。食事をとって、ゆっくりコーヒーを飲んでから帰る。家の中が急に広くなったように感じた。
息子の新たな生活の始まり。月~土曜、1時限目の授業があるときは、朝4時20分に起きて、電車で学校へ、学校のプールで2時間泳いだ後、授業を受ける。帰りにスーパーで食材を買って帰宅後調理、17時30分から別校舎へ筋トレに出かけ、帰宅後夕食、そして10時には就寝。1時間目の授業がないときは4時起きで近所のスポーツクラブのプールへ、その後授業、という規則正しい生活をやっている。
生活をしてみて、ないと不便なものがいろいろ見つかったようだ。持ってきて欲しい物のリクエストがスマホに来る。書類に貼る写真、ルーズリーフのファイル、雨の日に靴を乾かすための古新聞、灰汁取りなど。食事は毎晩自炊をしているが、おたまで灰汁をすくうので、どんどん中身が少なくなるという。そのための灰汁取り。それを雨の中、仕事から帰って届ける。
細君は時々、こみあげてくる寂しさがあるという。それが家で息子の部屋に入った時ではなく、TVの録画予約に息子の名前が無くなっているのを見つけた時とか、玄関に息子の食べかけのキャンディーを見つけた時とか、ひとり暮らしのため一緒に買い物に行った100均に入った時など、いろいろな記憶に結びつくものがあるらしく、それが琴線に触れるといきなり涙腺が緩むという。特に夕方になると寂しくなるらしい。自立する前は、私はやり遂げた感があるから大丈夫だけどパパの方が寂しがって大変だろうと予想していたようだが、マサイが大丈夫なのを見て驚いている。
1ヶ月たって、体重が4kgも減ったと驚いて電話がかかってきた。本人も随分心配して、先輩に相談した後電話をしてきたようだ。まず受けた細君が心配している。今までが21時半まで泳いでいて、帰ってくると22時半、それから食事、風呂に入るとすぐに寝る時間になる、という食べてすぐ寝る生活が良いわけがないと思っていた。それが大学に入って朝方の練習になったために、却って規則正しい生活になって、適正体重に戻ったのではないか、とマサイが言うと安心していた。
金銭管理もきっちりやっているようだ。今まで定期的に小遣いを渡すという習慣がなかったので心配していたが、レシートも全部取っておいて、細君にこのスーパーは安い方かと判断を仰いでいる。学校のそばや、帰ってきた駅前に随分安いスーパーを見つけたようだ。バランスを考えた食事は、作り置きをして冷凍したものを電子レンジで温めて食べているという。学食へご飯を持っていくと、オカズだけ買えば良いので安上がりに済むらしい。おにぎりにしたり、タッパーに詰めたりしてご飯を持って行っているという。
さぞや金欠状態で苦しかろうと思って5月の生活費を振り込んだら、随分残金があった。本人もこの残金を見て、もっと肉を買ってきて食べて大丈夫だと思ったらしい。一番心配していたのは食事だが、全く問題ないようだ。1年生の仲間がご飯持ち寄りで息子の部屋に集まり、キムチ鍋やお好み焼きパーティーをやったという。話を聞いていると実に楽しそうだ。
今まで家でやったこともなかったことを、実に自然にやっているのには驚く。分からないことは細君によく質問している。いろいろな生活上の知識を急速に細君から吸収しているようだ。その度に「有難う」とお礼を言ってくれるのが親としてはとても嬉しい。毎日主に感謝し、祈り、主の道からそれないように真っ直ぐに歩んでいってほしい。己の内からイエス様を光り輝かして、周りの仲間たちを包み込む存在となるように、祈っています。
箴言
4:10 わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。
4:11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。
4:12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。
4:13 訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。
4:14 悪者どもの道に入るな。悪人たちの道を歩むな。
4:15 それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。
4:16 彼らは悪を行わなければ、眠ることができず、人をつまずかせなければ、眠りが得られない。
4:17 彼らは不義のパンを食べ、暴虐の酒を飲むからだ。
4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。
4:19 悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。
4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
4:21 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。
高校の卒業式が終わってゆっくりする間もなく、大学で始まる寮生活の準備になった。以前大学の水泳部監督を訪ねた時に、水泳部は(他の運動部もそうだが)、どんなに近くに自宅があっても寮生活をするのが条件だと言われていた。しかし合格通知を受け取った後、ただ待つばかりで、なかなか入寮についての案内が来ない。水泳部のホームページなどからだいたいの場所を推察して細君と下見に行ってみたりしたのだが、部屋の中をのぞけるわけでもなく、部屋の間取りも、何が必要かも分らないので、何を揃えたらよいか分らない。それで親は気分がせいている。
他の大学は随分早くから新入生を寮に受け入れているようで、3月に入ると今日はあそこの大学の入寮日だとか、あの人はいつ入寮だとか聞く。もう大学での練習が始まっていると聞くたびに、我が息子の予定が立たないのが心配になってくる。引越しは業者を頼まずに自分たちでやるつもりなのだが、消費増税前の駆け込み需要で、家電品が品薄になっているし、配送トラックも足りないくらいだというニュースにもあおられている。
大学の監督から電話でユニフォームのサイズを聞いてきた時に、不動産屋さんから連絡が行くからそれを聞いて話を進めておくようにということを聞いてひとまずホッとする。とりあえず待っていて良いのだなという安心感が出来たが、その電話のあと一向に連絡が来ない。
3月2週目の土曜日、待ちきれずに一人暮らしグッズの買い出しに行く。先輩に聞いて最低限必要なものは分かっている。洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ。これだけは最低あった方が良いというものは何ですか、という問いかけに返って来た答えがこの3つ。親としてはその洗濯機をベランダに置くのか、部屋の中に置けるのか、間取りは、収納は、いつになったら入れるのか、先輩が残して行ってくれるものはないのか、などなど聞きたいことはたくさんあったのだが、情報はここまで。配送先は後で連絡をすることにして、必要なものを買い出し、持ち帰れるものは家に持ち帰ることにする。
布団や台所用品など細々としたものを買って帰ってきたら、ポストに入寮案内の封書が届いていた。寮と言っても、合宿所形式のものではなく、民間アパートを一括して借り上げたような方式になっているらしい。それぞれ独立した部屋に入るので、自炊である。鉄筋コンクリート3階建ての6畳ワンルームだ。
息子は一人暮らしを始める前に、細君から最低限の料理を習うことになった。高校の授業で習ったものはあるようだが、皆で作るのと、自分ひとりで作るのは違う。第一弾が具だくさん味噌汁。第二弾は電子レンジで簡単に作れる料理ということで、鳥の胸肉を使った料理、鶏肉の甘辛煮、第三弾はコンナムルプルコギ。第四弾はポークカレー。第五弾は大好きな麻婆豆腐。大きな体でかがむようにして包丁を使っている姿がとても頼もしい。料理は嫌いではないらしい。
新潟で合宿中の先輩から入学式当日の動きについての案内が来たり、シリコンキャップのサイズを聞く電話が入ったりするようになる。主将から4月からの部費を振り込むようにという案内の封書が来る。話がどんどん進むようになった。
大学へは勉強をしに行くので、TVは買わないというのがマサイの方針。その代わりに授業で使うのにパソコンは必要だろうと思って買いに行ったら、消費増税前と、ウィンドウズXPのサポート終了にともなう買い替えが重なって売れ行きが良すぎるらしい。買えなかったが、3人揃って楽しい買い物の時間をもてた。新しいものばかり欲しがるわけでもなく、定期入れはマサイのお古で良いという。他にもマサイのお古を気に入って使ってくれている。
買い足していく生活用品と、持っていくものを仕分けしているので、家の中でカニ歩きしなければならなくなった。旅立っていく息子と一緒にいられるのもあとわずかという寂しさを感じるのかと思ったら、引越しのことで頭がくるくる四六時中回転しているので、気が紛れてしまっているらしい。あれが必要だ、あれも持たせてやった方が良い、不足しているものは、などなど。車で30分強の場所への移動だし、試合があれば顔は見られるわけだし、大学の各運動部はフェイスブックやツイッターなどで日々の活動を紹介してくれているので、行動は分かるし、心配はない、寮から家の近所を通過して毎日学校へ行くのだから、用があれば帰ってこられると思っているので、今のところ寂しさを感じる暇はない。
3月はあっという間に過ぎてゆく。最終の週末を引越しに当てる。金曜日、細君と息子で部屋の掃除。収納は大きいが、1年以上誰も住んでいなかったようだという。布団とか大き目のものを持って行ってくれた。洗濯機、冷蔵庫、レンジ、御釜など家電の配送を受け取り設置する。普段家の掃除などしたことがない息子だが、天井のすみずみまで綺麗にしてきた。
土曜日、息子は6時半からスイミングクラブの朝練へ。これから大学での練習になるためクラブは休会となる。4歳の時から14年半通い続けたプールでの最後の練習だったが、昨日晩くまで起きて片付けていたので、辛そうに出かけて行った。
車で数往復は覚悟していたが、一度で荷物は全て積めた。部屋へ運び込んで後、細々としたものの買い物へ。細君がいないと気づかないが、生活には必要なものばかり。細君を尊敬の目で見る。スーパーでは買い物のしかた教室。細君から野菜や果物の選び方を教わっていた。部屋の中はものが全部収まるところに落ち着いたので広く快適になった。聖書も棚に置いてある。
日曜日は雨。午後から片付け。早めに終わったので、3人でのんびりした時を過ごす。夕食を作るからと、帰る前に細君はその指導。ポン酢を使った肉野菜炒め。手際よくやっている。おいしそうに出来上がった。
部屋の中で3人手をつないで、寮生活や大学生活についての無事を祈る。毎日祈って、その結果として神様がここへ導いてくださったのだから、ここには何か神様の目的がある。それを信じて進んでいけば良い。イエス様よろしくお願いします。息子を一人残して帰宅。スマホで距離を測ると寮まで11.6kmだった。いつか走って行ってみようと思う。
月曜日、明日の入学式は家から行くので息子は一旦帰ってきた。夜はマサイによるネクタイの結び方講座。今まで学ランだったので、ネクタイ結ぶのは初めて。折しもマサイの誕生日。細君と息子がカードをくれた。息子は「最近は体調が良くない日が多いみたいなので気を付けてください。大学ではたくさんの仲間とともに水泳、勉学、頑張ってきます。無理せず楽しい一年でありますように」と書いてくれた。こういうことが書けるようになったのかと感動する。入学式からは寮に直接帰るので、3人で過ごす夜はもうしばらくない。
ずっと3人手をつないで食事の前に祈ってきた。これからは手の間が11.6km離れてしまうが、毎日祈り続けることには変わりない。その間をイエス様がつないでいてくれるので安心し祈り続けていく。
マタイの福音書
18章20節 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
ダニエル書
10:19 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
新ホセア書
6:3 私たちは、知ろう。【主】を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
また親としてやってあげられることが一つ減った。3月1日、息子の高校の卒業式に出席してそう思った。大学に入れば寮生活になって親の手元から巣立って自立していく事になるので、この高校卒業式が大きな節目になる。つい先日同じ会場に座って、入学式の校長先生の挨拶に感動したばかりだというのに、今日はもう最後の日となった。
雨が降っていて、おまけによりによってこの朝ギックリ腰になった。軽いものだったが、歯を磨いていた時に急に腰に違和感が走り、だんだん痛みが出てきて、腰が真っ直ぐに伸びなくなった。今まで緊張して乗り終えてきた大きなものが終わっていくのを体が感じているのかもしれない。水泳も4月からは大学の名前での大会参加になるので、明日でスイミングクラブのレギュラーメンバーとして出る大会も最後になる。高校3年生も後半になってから、これで最後というのをいろいろ数えてきたが、この週末でそれも全て終わる。
息子は先月自動車運転免許をとった。運転試験場のテスト結果が分かった後、ラインで「受かりました」と連絡をくれた。細君とおめでとうの返答をすると、「送迎や金額等々ありがとうございました」という返事が来た。しっかりお礼を言ってきた息子を褒めると同時に、子どもから改まってお礼を言われたことにジーンときた。
式の朝、いつものように息子を送り出す。我が家から私鉄の駅までは2km強ある。1年生の時は駅まで自転車で行って、電車で通学していた。2年生の時はそのまま学校まで片道9km弱を自転車通学。そして3年生になってからは駅までの2km強を歩き、そこから電車通学をしていた。幼稚園の頃から毎朝必ず見送って来たのだが、それも最後になった。
良い卒業式だった。校長先生もこの年度で最後になるという。良い校長先生、良い担任、良いクラスメイトに恵まれた。中学の時に祈って導かれた高校である。同じクラスのどの親御さんの話を聞いても、子どもたちは学校行くのがとにかく楽しいと言っていたらしい。良い仲間に恵まれたのは、神様の大きな祝福だ。それは毎日神様に祈り続けたので、祈りの答えでもあった。
そして3年間皆勤賞というのももらった。毎日学校へ行くというのは生徒として当たり前なことだし、毎日学校へ行かれるように体調管理をしておくのも息子のような運動選手には当然の義務であると思う。当たり前のことを当たり前のようにやっただけなのだが、こうやって賞をもらえるのはとても嬉しい。サポートで大変だったのは細君なのだが、それを学校も分かっているのか、皆勤賞紹介の時は生徒ばかりではなく、保護者も起立するよう案内があった。有難い栄光を共有させてもらった。
マサイは吹奏楽部による最後のほたる光の演奏を聴いていた時に感慨深い気分でいた。楽しかっただろうが、大きなプレッシャーの中、大変な思いをしてきたであろうに、くさらず、泣き言も言わず、よく頑張ったなと感心して涙腺が緩んでいた。神様がこの学校へ導いてくれたのだから、きっとそこには神様のご計画があるに違いないと祈り続けてきた。厳しい条件下で一生懸命やってきた姿を見ていた後輩からもらった寄せ書きには感動という言葉があった。神様の大きな祝福があったことに感謝する。
細君はやりきった感があって、息子を誇らしいと思う気持ちが大きく、感動に満たされていたという。そう実によくやってくれた。親の、特に母親のサポートなしではとてもスポーツ選手はやっていかれない。
子どもたちが教室に帰って最後の挨拶をしているのを、保護者が廊下でカメラやビデオを手にして重なり合うようにして聞いている。息子のクラスは他のクラスよりはるかにこの人数が多い。このクラスの保護者はそれぞれの生徒のファン第一号であるので、子どもたちの一挙手一投足に夢中である。それだけ愛されて育って来たのだ。
最後の挨拶は緊張するから親は入れないでくれと子どもたちから担任に話しがあったようだが、親が我慢しきれずに最後はなだれ込んだ。卒業アルバムに一言ずつ書くことの邪魔になってしまったが、どの親も子どもと時間を共有できて嬉しそうだった。
クラスの中で記念撮影などして実に賑やかだった。親たちもこうして子どもと共有できる時間がこれで最後になると分かっているようだった。いつまでも楽しい時間は終わりそうもなかった。過ぎた3年間の感傷に浸る者もなく、来月から始まる大学やプロという新しい活躍の世界への希望に溢れていた。羨ましいほどの眩しい輝きだった。
最後は雨が上がった中庭で時間を過ごして学校を後にしたようだ。神様、この学校で3年間を過ごせたことに感謝します。これからもこの青年たちを守り導き助けてください。この3年間の祝福に心より感謝します。
ゼパニヤ書
3:17 あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
ハバクク書
3:18 しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。
昔は買った本に買った日付を必ず入れていた。いつ買っていつ頃読んだかが分かるようになっている。細君はお姑さんであるマサイの母親に「あの子は本に育てられた」と何度も言われたという。この正月もまた言われて来た。一人でいた頃は確かに本漬けだったのだが、最後までたどり着けずに途中でやめた本もたくさんある。
読みたくて買ってきても、スムーズに頭に入ってこないものは読んでいて辛い。そういう時に他に読みたい本が出てくると、辛い本は後回しになる。放り出された本は、途中でやめたところにスピンやしおりを挟まれたまま、復活の日を待っている。読み終わった本のスピンは丁度真ん中のページに挟むようにしているので、スピンが中心からずれている本がまだ読み終わっていない本ということになる。そういう本を何年か経って手に取ると、やっと読んでくれるのかと本が喜んでいるのが伝わってくる。長い間読まなくて悪かったね、と本に詫びながらページをめくっていく。読まずにいる本というのはずっと気にかかっているもので、これが読めるようになるということは、この上もない喜びである。
昨年後半から、トルストイの「戦争と平和」(全4巻)を読み始めた。この文庫本には1985年11月30日の日付が入っている。実はこの一巻目は今回で読むのが3回目になる。しかし前1、2回目ともに2巻目で挫折しているので、最後まで読み終えていない。2巻目の250ページにスピンが挟まっているということは、挑戦2回目にここで息絶えた証拠である。
何かきっかけだったかは忘れてしまったが、また本棚から取り出した。さすがに3回なので、今度途中で放り出したら一生読めないから、と根気よく読み進めることにした。ところが28年前に買って読むのが3回目ともなると、一巻目は本もボロボロで、電車の中で343~352ページがはずれてしまって、読みながら落とさないようにするのが大変だった。全4巻で599人も登場するのだが、外国語によくあることで人物の呼称が変わるのが厄介なので、人物一覧を作りながら読む。クラーギン公爵家、ベズウーホフ伯爵家、ボルコンスキイ公爵家、ロストフ伯爵家の相関関係を家系図を作って何度もそれを見返しながら読む。こんなことをしたのは源氏物語を読んだ時以来だ。
この作品は、雑誌ロシア報知に連載されたもので、連載時期が1865~1869年とドストエフスキーの「罪と罰」の連載(1866年1~12月)と時期を同じくしている。何て豪華な連載を持っていた雑誌だったのだろうと驚く(すごいことだと思って、一人で興奮して細君に話したのだが、あ、そう的な返事だった)。舞台は同じペテルブルクから始まるのだが、描かれている時代は50年くらいこちらの方が前の設定になっている。
1805年8月のペテルブルグとモスクワから始まり、ナポレオンのロシア侵攻という歴史を扱ったものなのだが、随所に聖書的なものが見え隠れする。メインの登場人物を通して語られる聖書的な箇所を数えながら読むのも楽しみのうちの一つだった。
例えばこんな一節
「アンドレイはベッドの中で神の愛を考えていた。何かの代償に、何かのために、あるいは何かの理由で愛するような、そういう愛ではない。死に瀕しながら、憎むべき敵を見て、なおかつ愛した時に、初めて経験したあの愛だ。魂の本質そのものであるような、そしてその対象を必要としないような、そういう愛の感情。隣人を愛し、敵を愛する、すべてを愛することは――あらゆる姿で現れる神を愛することだ。親しい人間を愛することは人間の愛でできるが、しかし敵を愛することは神の愛を持ってしかできぬ。だからこそ、あの男を愛していることを感じたとき、おれはいいしれぬ喜びを感じたのだ。人間の愛で愛していれば、愛から憎悪に移ることがある。だが神の愛が変わることはありえない。何ものも、死も、ぜったいにそれを破ることはできぬ。これは魂の本質なのだ。」(新潮文庫 工藤精一郎訳)
「何ゆえにこれが起こり、これなる力がこれらの事件を生み出したのか。いかなる力が諸民族を動かすのか」、と歴史を分析しているのだが、「そこには人類の事業への神の参加を仮定しない限り、我々は権力を事件の原因と認めることはできない」、という意見の表明もある。
マサイの読書の楽しみは、いろいろな作家が聖書に書かれていることを伝えようとして、御言葉そのままを文中に用いたり、またプロットに盛り込んだりしたものを、その作品の中に見つけることにある。偉大な作品と言われた数々の大作が、表面上には出てこないが実は神様の愛を語っているものだったりする。クリスチャンでないと残念ながらそうとは気づかずに読み終えてしまうものがある。それを見つけて、作品の根底に潜むもの、作者の世界観、作者の真の創作意図を知るのは大いなる喜びである。あぁここにも神様がいる、これも神様のことでしょ、分かりましたよ、アーメン、と共感し、作者をより身近に感じることができる。これはクリスチャンの特権である。
エレミア書 15:16
私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、【主】よ。私にはあなたの名がつけられているからです。
今回は読み終えられて良かった。作中ニコライは、「重要な蔵書をつくって、買い集めた本は全部読むことを主義としていた。」とある。はい、買った本は必ず読みます。
最近は早く起きてもまだ暗い。日が出るのを待ってから走り始めている。出たばかりの日は低いのでとても眩しい。多摩川の土手を走っていると、朝の空気が澄んでいる中、白く冠雪した富士山が綺麗に見える。ほんの山頂部分なのだが、何度も首を横に捻じ曲げて見え隠れするその姿を確認する。不思議なもので、富士山が綺麗に見えると、何か良いことがありそうな気がして嬉しくなる。曇っている日や、あるべき場所に見えなかった日はその後のランニングの気分にも影響する。
息子の高校入試の日に送っていった駅から富士山がとても綺麗に見えたのを覚えている。11月に大阪へ行った新幹線の中からも綺麗に見えた。こちらは普段見ているものと違ってその大きさに圧倒された。何より安心出来る安定した形なのだろう。見ていてホッとする。回りに競合するもののない唯一の存在であるということも良いのだろう。2013年6月にこの富士山がユネスコの世界文化遺産に登録された。屋久島、知床、小笠原のような自然遺産ではなく、文化遺産で「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」という登録名だった。
登らぬ馬鹿、2度登る馬鹿と富士登山について言われているが、この富士山には1度登ったことがある。一生に一度くらいは、と28年前の夏、急に思い立って一人で登ってきた。日頃から山登りをしていたわけではないので、当然装備も、山に対する知識もない。7月の頭だったが、日本の最高峰に登ろうというのに無謀と言える。しかしこの山は受け入れてくれた。
三島からバスに乗って富士宮口の5合目まで行き、そこから森林限界を超えた何もない斜面をジグザグにゆっくり歩いて行った。長い杖をついて、そこに合目ごとに焼印を押してもらいながら登ったのだが、スイスやカナダのトレイルを歩いているのと違って、苦行にも似たものがあった。オーバーオールの胸ポケットにピーナッツと小魚のつまみとチョコレートを入れて、食べながら登り、頂上で夜を明かし、翌朝見事な日の出を見た。眼下に赤く染まった雲海が切れて行った。神様の業を見たような、心にしみる風景だった。
2度登る馬鹿の意味は、富士山は遠くから眺めてこそ美しい山であるということなのだろうが、登らぬ馬鹿の意味も大きい。一度はこの風景を目にしておくことは大切であると思う。大自然と一体化できた感動があった。登って良かったと感動しながら御殿場口に走り降りてきた。以来その姿を見るたびにあの頂上にいた自分を思い出すので余計感動するのかもしれない。
静岡、山梨の両県が来夏から夏山シーズンを通じて「保全協力金」を徴収するという。支払いは任意だが、登山者一人1、000円が基本で、富士山で入山料が徴収されるのは明治初期以来104年振りだという。そんな記事を今朝読んだばかりなので、走っていても思いは富士山の方へ向かっていた。
高いものに向かって目をあげると、いつもあるものが変わらずそこに有る安心感。富士山を見て神様の存在はこんなものなのだろうなぁと考えながら走っていた。我々が目を上げればそこに在る神様の姿を確認できる。目を上げなくてもそこに在り、いついかなる時も常に我々を見ていてくれる。そう感じるたびに、以前神様の愛に満たされた時の感動が蘇ってくる。神様の存在の大きさと偉大さが実感出来、感動に包まれた朝のジョギングだった。
詩篇
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。
出エジプト記
3:14 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」
最近幸せについてよく考える。何をもって幸せだというのかは様々あるだろうが、マサイは家族で共有できる時間があることを楽しく幸せに感じる。家族に愛され、神様に愛されているとういことを実感できるからかもしれない。幸せを感じる時はまず神様に感謝をする。この幸せを与えてくださった神様に感謝。
世の中には感謝なんか絶対にしたくない、感謝なんか出来ないという人がいるらしい。愛されて育っていないことが原因のようだ。そんな話をしていた時に息子は、スポーツ選手として学校生活を送っている我々は感謝しかない、という意見だった。同じ目標を持ち、同じ方向を向いて一緒に戦ってきたメンバーを持っているからかもしれない。仲間同士互いに感謝、導いてくれる人に感謝、サポートしてくれる人に感謝、応援してくれる人に感謝という意味だろう。
家族はたとえ一緒にいてもそれぞれが別々な方向を見ていたらそうは思えない。逆に離れていようと同じ方向を向いていればひとつ心になれる。お子さんが良い子なのは、家族がみんなで水泳を頑張っている姿を応援しているからなのでしょうね、と小学校の担任複数に言われたことがある。
早朝真っ暗なうちに起きて弁当を作り、選手を集合場所に送って行った後、ビデオを持って会場に駆けつけ、ほぼ一日プールのスタンドに座って過ごし、大会後は疲れた選手を連れて帰る、という生活を9年間続けてきた。スクール生の時から数えると14年間だ。今息子が泳いでいるジュニアの大会はくくりが高校生までなので、3月にはそこを卒業することになる。4月からは大学生として泳ぎ続けることになった。スイミングクラブ中心の練習も卒業して大学での練習になる。今度は寮生活。親元からではなく、自分の部屋から出発して、大会を終えたあと自分の部屋に帰っていく。
この大学入試にあたっては、我々の人知をはるかに超えた、主の計り知れないご計画を知ることになった。主がいかに息子のために最善のご計画を持たれているのか、それがどこから始まってどうつながってそうなったのかに気づいて驚いた。夏以来我々に起こったことについて、細君と2人で何度もよく考えて話し合った。もしあの時、こうだったらどうなっていたのか。それは息子にとって幸せなことだったのか。その方向を選んだ場合、当初は良いが、後で苦しむことにならなかったのか。そこに進んだ場合、本当にやりたいことができるのか。あの時、これには絶対意味がある筈だ、主の意思が働いているはずだと考えたことの意味はここにつながっていたのか、などなど。考えれば考えるほど、この計画は祝福に溢れ、我々がおごり高ぶることなく感謝を知るように導かれている。これからそれがますます目の前に表されてくることだろう。その素晴らしさに驚き、ただ感謝するばかりだった。
主に祝福され導かれていると分かるから、息子はこれからの生活に期待をし、不安もなく喜んで出発して行こうとしている。息子には神様に感謝する心を忘れないでいて欲しい。そして離れていようと家族で常に同じ方向を向いていようと思う。あらゆることに神様のご意志が働いているのだから、神様の方を向いていればどこにいようと、皆で同じ方向を向くことができる。これからも一生を導いてくださる主に感謝します。
イザヤ書
55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ──
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
55:12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
55:13 いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは【主】の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」
94号(2007年9月号)に腫瘍マーカーの値が上がった時のことを書いた。人間ドックで引っかかったので精密検査をしたもので、前立腺を針で26カ所刺して細胞を採取し、そこに腫瘍があるかどうか調べるという検査を受けた。カルテにははっきり前立腺がんの疑いと書いてあった。「がんの疑い」とは尋常ではない、と当時随分動揺したものだ。
しかし結果は「前立腺特異抗原4.38にて生検 26カ所ともがん細胞認めませんでした。今後は定期的に採血検査行って行きます」ということでホッとした。26カ所から細胞を取って顕微鏡で調べた結果は、日本語では「認めません」という表記だが、英語の表記では「NO悪性腫瘍」だという。つまりは「ない」ということ。
以後2月と8月の半年毎の採血検査に加え、6月に人間ドックでと年に3回採血と検査を続けている。ところがこの数値が安定しない。PSA値4.38で生検をしたのだが(4.00以下が基準値)、測ってみると、2月の数値は低く、8月は高い、と変動を繰り返す。先生は季節で変動することはないのだがと言うが、その変動の理由が分らない。下がれば喜び、上がれば次の検査まで心配を重ねた。前回より1.5も上がったらもう一度生検してみましょうと言われていたが、そこまで上がったことはなかった。
ところが今年2月に5.34へ上がった。今までで一番高いので随分心配した。上がると急に具合が悪くなってきたような気もしてくる。採血、検査をする周期を少し短くして次は4ヶ月後にということになった。しかし6月に検査をした数値は4.14に下がり、人間ドックで測った結果も3.74と2月から1.6一挙に下がって基準値内になった。そして10月も同じく3.74と基準値内で安定している。毎日この数値については祈り続けていたので、祈りの答えに感謝する。
採血の一週間後に結果が分かるのだが、この診察の順番を待つ間はいつもドキドキしている。いつもずっと祈り続けているのだが、10月の診察では印字された数値を見て先生と話すのはほんのわずかだった。「今回は基準値内に収まっています。何か今までと違ったことをやってみたとか、心がけるようになったことがあったら、それを続けてください」、「次は半年後か一年後で良いでしょう」という。安心して力が抜けた。
何か等別なことをしたという記憶はない。前立腺を病むのは、欧米の有色人種、欧米の白色人種、ハワイの日系人という順番で多いらしい。何が原因でこのPSAの値が上がるのかというと、食生活が欧米化してきたからというのも原因の一つに数えられると言う。根拠のない説はいくらでもあるようだが、できる限り細君が対応してくれた。牛乳がいけないと言われれば、豆乳に変えてくれた。トマトのリコピンが良いと言われれば、箱買いをしてくれた。過激な運動も原因のひとつらしいと聞いて、むきになって走ることをやめて、スピードを上げずにゆっくり走ることにした。やったことはそれくらいだ。肉もいけないと言われていたが、これはやめられなかった。
2月から6月にかけて急激に数値を下げるほど体に影響を及ぼした変化で一番考えられるのは、食生活や運動ではなく、「ストレス」か、と思い当たった。細君にも同じことを言われた。実は3月末に内示があって、5月1日付で会社の中で異動があった。入社以来長年いた部から全く別の部に移っている。前任者が辞めてしまったので、引継ぎには大変なものがあったが、やってみれば自分に一番向いている部署だった、と楽しく仕事ができるようになった。そして長年抱えていたストレスからもいっぺんに解放されたと実感できている。
値の高かった頃を思い出すと、確かに過度のストレスとの戦いだった。寝言でうなされていたと細君に言われ、息子にも大きな声が離れた部屋まで聞こえたと言われていた。当時自分でも必死に詩篇のダビデの祈りを繰り返していた。思い返せばこの祈りに必死にしがみついていた時期であり、この御言葉が支えてくれた。
詩篇
3:1 【主】よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。【主】がささえてくださるから。
3:6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
3:8 救いは【主】にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。 セラ
5:2 私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。
5:8 【主】よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。
6:8 不法を行う者ども。みな私から離れて行け。【主】は私の泣く声を聞かれたのだ。
6:9 【主】は私の切なる願いを聞かれた。【主】は私の祈りを受け入れられる。
11:7 【主】は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。
13:1 【主】よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。
13:2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
16:2 私は、【主】に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
6:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
17:5 私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。
17:6 神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。
18:2 【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
18:3 ほめたたえられる方、この【主】を呼び求めると、私は、敵から救われる。
18:17 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
18:18 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、【主】は私のささえであった。
18:30 神、その道は完全。【主】のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
18:48 神は、私の敵から私を助け出される方。まことに、あなたは私に立ち向かう者から私を引き上げ、暴虐の者から私を救い出されます。
37:23 人の歩みは【主】によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
37:24 その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。【主】がその手をささえておられるからだ。
40:1 私は切なる思いで【主】を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
44:23 起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。いつまでも拒まないでください。
44:24 なぜ御顔をお隠しになるのですか。私たちの悩みとしいたげをお忘れになるのですか。
46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
54:4 まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。
55:16 私が、神に呼ばわると、【主】は私を救ってくださる。
55:17 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。
57:4 私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。
57:5 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
61:3 まことに、あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。
考えていた以上にストレスが体の内側を攻撃していたようだ。そんな時主の御業は社内でも前例がない種の異動という形で現された。神様が祈りを聞き届けてくださり、脱出の道へと導いてくださったと確信している。常に私を見守ってくださっているのだという確信も持つことができた。 主は素晴らしい。心から感謝します。
詩篇
56:4 神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。
2020年東京オリンピック開催が決まった。前回はマサイ4才の時だった。父親の取材について行ってボート競技を見たと言われるが、全く覚えていない。細君はマラソンでアベベを見たと記憶している。今度の大会はしっかり覚えておけそうなので、今から楽しみである。
この大会期間は7月24日から8月9日までの予定である。同じく立候補していたドーハの開催については、暑さを不安視する声が多かった。IOCワーキンググループによる申請都市の評価にも、劣悪な気象条件とあった。しかしこの時期の日本の暑さは高湿度も加わって大変な時期になるにちがいない、と細君と話していた。
今年のその期間はどうだったかはまだ記憶に新しい。家の中も外もとにかく暑くて、動きたくない、ただ暑い午後が過ぎてくれるのを待っている、という厳しい印象だった。首都圏でも最高気温は40℃近くあり、30℃を涼しく感じるほど感覚が麻痺していた。最高気温が25℃以上を夏日、30℃以上を真夏日、35℃以上を猛暑日という、ということも覚えた。年々夏が暑くなっている。
日本生気象学会によると、2013年の7月24日から8月9日までの暑さ指数は、17日間で、警戒が1日、厳重警戒・激しい運動は中止が7日、残りの9日は危険・運動は原則中止だった。学会は気温が35℃を超えたら運動は原則中止すべきだという基準を示している。気温が30℃以下でも、湿度が60%を超えるなどの場合は、屋外では運動は原則中止としている。東京の平均湿度は7月が73%、8月が70%だった。こんな時期のマラソンや屋外での競技は人命に支障を及ぼす危険性もあるようだ。世界のトップアスリートの最高レベルのパフォーマンスを見る折角の機会なので、気候問題解決は重要なポイントだ。
国際連合の組織の一つ「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が9月27日に地球温暖化についての報告書を発表した。このままだと2100年までに過去20年の平均と比べて気温が4.8℃、海面は82cm上がるかもしれない、という。大雨や洪水が起こって農作物に被害が出ると、絶滅する種も出てきて、生態系に影響が出るおそれもあるらしい。サンゴが北上し、北方では今まで見られなかった魚が発見されている。既に生態系までもが変わってきている。
何がそうさせているのかということについては、IPCCの報告書の1回目は(人が温暖化を)「生じさせるだろう」ということだったが、前回は「可能性が非常に高い(90%以上)」になり、今回は「可能性が極めて高い(95%以上)」とトーンが上がった。二酸化炭素などの温室効果ガスは、地球を覆い熱を逃がさない役割がある。この温室効果ガスが増えすぎたことが温暖化の原因なのだが、人間は人類の発展のために競って、石炭や石油などのエネルギーを燃やし、大気中に二酸化炭素を増やしてきた。生活しやすくするための人間の活動が、人間の住みにくい環境を作ってしまった。
だからこの厳しい気候変化は地球が怒っていることの現れのように考えてしまう。特にこの夏は地球を作ってくださった神様の怒りでもあるような厳しさだった。ギラギラした太陽を眺めると、自然を破壊しすぎた人間に対して怒りの火がソドムのように下っているように思えて反省させられた。またゲリラ豪雨の日には、四十日四十夜、地の上に降った大雨とノアの方舟を思い出して、これまた反省させられた。ただもうあの時のように地を滅ぼすことはしないと言われていると考えながら、汗を拭き拭き日陰を選んで歩き、雨の通り過ぎていくのを屋根の下で待っていた夏だった。
2020年の夏に向けて東京は植樹、ヒートアイランド対策に赤外線を跳ね返す特殊塗料をアスファルトに付けるなど考えているようだ。新たに画期的な発明がされるのだろうが、人間が作ってしまった温暖化の原因を反省し解決をする時なのだ。クリスチャンアスリートの活躍を含め、オリンピックを楽しむためにも、地球環境について日々祈り続けていきます。
創世記
8:21 【主】は、そのなだめのかおりをかがれ、【主】は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。
9:1 それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。
9:2 野の獣、空の鳥、──地の上を動くすべてのもの──それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。
9:3 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。
息子は大学受験を控えた高校3年生。高校生活も早いものであと半年だ。自分の時も早く感じたが、息子の高校生活はあっという間に終わりに近づいている。
夜、水泳のトレーニングが終わって帰ろうとしたところで、迎えに来た仲間の親からどこの大学へ行くのかを聞かれたという。決まっていないし決めてもいないものを答えようがないので、そのまま答えておいたという。人の動向が気になる時期なのかもしれない。確かに学校には最終志望校を書いた書類を提出したりしている。実家でもそういう話題が出ているらしい。孫がどこの大学を目指しているのかを息子に聞くように母親からせっつかれて困る、というメールが父親から入ってきた。
細君とは毎日、神様の御心にかなった、息子にとって最適な環境の大学へ進学させて下さい。そこで良い先生と良い仲間に恵まれて、ますます伸び成長するような大学へ行かせてくださいと祈り続けている。何が何でも超有名校に入れてくださいというお願いではなく、御心にかなったとは、神様が息子に持っている計画が示されるところへ導いてくださいという祈りのつもりである。
本人にとってもそれが一番良いと思う。講義について行かれないようなハイレベルの学校に入っても、本人が苦労するばかりである。ついて行かれなければ結局中退してしまうかもしれない。それも随分辛いことになると思う。息子は大学に行っても泳ぎ続ける意志なのだが、それなら全国トップクラスが集まってくる強豪校が良いのかといえば、これも違う。学校選びを間違えるとレースに出る機会はおろか練習する環境も与えてもらえなくなる。しかし息子のことは神様が一番ご存知である。どこであれ、祈った結果入れた学校なら、そこに神様の導きや計画があると信じるし、そういう学校へは入試から入学までの手続きがスムーズにいくものだと確信している。
やってはいけないことは、親が世間的な目を気にして、有名校ばかり勧めてプレッシャーをかけること。最初から細君と2人、これは十分に自戒していた。マサイは息子が小学校に入る前から毎日勉強を見てきた。漢字の書き取り、四則演算、100マス計算、ニュースの書き写し、いろいろなドリルを買ってきては毎日丸をつけてあげた。中学に入ったばかりの頃もテストの前には勉強の仕方について教えてあげたつもりである。そういうことがあるので、必要以上の期待をしがちだが、それは親の希望でしかない。マサイの親はその先の就職のことまで心配していた。
息子の為を思ってのつもりなのだが、親の希望を捨てるのはなかなか難しい。しかしそれではどこが息子の一番幸せに過ごせる場所なのだろうかと考えてみた。細君と話し合って、祈り合って、やっと一つ突き抜けた境地に達することができて、心に余裕が出てきたのはつい最近のことだ。祈って委ねて、もらった結果を最大限喜ぼう、と心から思えるようになった。
息子の進学先については毎日ずっと祈り続けてきた。恵まれたことに、息子は行く先々で実に良い人間関係が出来上がっている。きっと我々人間の思いをはるかに超えた神様のご計画は素晴らしいに違いない。進学先については神様に委ねて、期待しつつ祈り続けて行こう。入学すれば運動部は寮生活になるだろうから、その前にもっと神様の事を知って、御言葉を蓄えておいて欲しいと思う。
箴言
22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。
ヨハネの手紙第一
5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
タンスの上に写真立てをたくさん飾ってある。息子がほんの小さい時の写真、結婚式の写真、結婚式の為の衣装合わせの時に撮った細君の写真などなど。見るたびに若いなぁと思う。その中で一番古い写真が、細君と初の2ショット。1989年8月19日(土)ケニヤからの帰り、エアインディア308便の機内で撮ったもの。カルカッタかデリーで止まった時に、機内で写してもらったのだが、2人共まだ20代だ。にこやかに笑っている。
細君と初めて会ったのは、1989年8月12日(土)成田新東京国際空港北ウィング4階日本航空Hカウンター。ケニア行9日間のツアー集合時間が10時20分で、2番目に並んでいたから、10時半前だったと思う。細君は年間210日も海外に出ているようなツアーコンダクターで、これから一人で16人を連れて、インドからケニアを回るという朝。海外旅行2回目のマサイはツアー参加者。このあたりは31号でも書いた。
昔から言っているのだが、マサイの一目惚れであった。よろしくお願いしますと挨拶をした時に、ビビっときたとか、はっとしたとか、ではなく、不思議な感覚なのだが、とても懐かしい人に会ったような気がした。こういう感覚はこの時以外、後にも先にも持ったことがない。もちろん細君とは初対面である。偶然でもどこかですれ違っていた可能性はない。これは心の奥深いところに生じた感情であった。きっと神様がマサイのあばら骨から細君を作ってくれたからそう思えたに違いない、と今でも細君と話す。冗談ではなく、本気でそう思っている。
創世記
2:20 人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21 神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
2:22 神である【主】は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
2:23 人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
インドのボンベイ経由でケニアのナイロビに入り、2つの国立公園をサファリカーで巡って、9日間でいろいろな野生動物を見てきた。とても貴重な体験だった。細君は異文化の地でてきぱきと皆を導き、とても楽しい旅にしてくれた。そんな素敵な添乗員さんと何度か一緒に並んで写真を撮ってもらおうとしたのだが、現地ではかなわず、最後に飛行機の中でやっと実現した。
細君がタンスの上の写真を見て、よくこれで一目惚れをしたね、という。もう何度目かだが、つい先日もまた言った。細君はこのツアーに出かける前に、たまには当時住んでいた吉祥寺の近場で、と初めての美容院に行った。アフリカに行くから毎日のセットが簡単なようにパーマをかけたのだが、完全に爆発した。手がつけられない状態になったので、一番硬いデップでカチンカチンに固めていた。洋服も縫い目に土が入って洗濯しても落なくなるからと先輩に言われて、現地で捨てて帰ってこられるようなものを着ていた。もっと髪の毛がちゃんとした時に、おしゃれでもしているのを見て好きになったのならともかく、と思っているらしい。しかしマサイはそんな姿の影からこっちを見ていた可愛い細君を見抜いたのだ、と答える。実際そうなのだ。
このツアーに参加するまでにはいろいろなことが2人にあった。実は旅行カタログを見てケニア行くことに決めた後に、ライオンに食い殺された夢を見た。マサイが食われたのか、他の人が食われるところを見ていて泣いていたのか、両方だったような気がする。色つきの夢など見たことがなかったのだが、ライオンが一心不乱に肉を食いちぎっているシーンでは血の色がはっきり分かったからカラーだったのだろう。で、怖いからやめようと、別の行き先を探すことにした。前年エジプトへ行ったので、ギリシャ行きで落ち着いたと記憶する。
しかし申し込みをする段になって、やはりケニアに行きたくて、行き先を元に戻した。話はここで終わらなくて、実は同じケニアでも、最初は別のツアーに申し込んでいた。ところがそのツアーに、ある会社の人達が団体で申し込みを入れた。これではその会社の人たちの中に一人で入るような格好になる。それでは可哀そうだと旅行会社の人が気を利かせて同じ時期に出発するケニア行きの別ツアーを勧めてくれた。それで「ジャンボ・アフリカ9日間」という細君が添乗するツアーに参加することになった。
一方細君はヨーロッパを主に回っていた時代で、アフリカへは南回りで飛行時間も長いし、何本も注射をしないと行かれないので行きたくなかった。その時に貴重な機会だから行った方が良い、と勧めてくれたのが登戸エクレシアキリスト教会のティム・ヒューバー牧師だった。
こうして2人は成田空港で出会うことになる。神様の意思が働いていたとしか思えないような出会いであった。
毎年8月になると初めて会った日のことを思い出す。今では何枚もの2ショット写真がある。細君はマサイが見抜いた以上に素晴らしい女性だったので、今でも日々細君のことがますます好きになっている。本来銀婚式の結婚25周年でこの話を書こうと思っていたのだが、出会って24周年の夏に書いてしまった。
箴言
18:22 良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、【主】からの恵みをいただく。
社員採用面接に立ち会った。欠員募集であるので、募集人数は1人である。それに600を越す申し込みがあった。今のやり方はマサイが就職活動をしていた時のようなものではなくて、インターネットを使ったものである。求人サイトに募集をかけると、それを見た人がWEB上で申し込みをしてくる。この段階で本来の募集要項にある年齢や条件をクリアしていない人がいるのでまずふるいにかける。ある程度絞った後、履歴書に当たるエントリーシートを送ってもらう。写真付きの学歴や資格、志望動機を書くものだ。このエントリーシートを見ながらさらに絞り込む。今回は40人まで厳選して、実際に入社試験に来てもらうことにした。
面接官は社員が業務の傍ら、土日に出てきて当たるのだが、受ける方は何度も経験をしていても、する方は初めてというケースが多い。そこで事前に専門家に、面接官の心得を講義してもらった。今までの職歴やなぜ転職を考えるに至ったか、今回の志望動機というのは、どこの入社面接でも聞かれる基本事項なので、受ける側も原稿を考えていて、それはもうスラスラと答えてくるという。今回は新卒募集ではなくて、転職希望の人が大半なので、そのあたりも慣れているかもしれない。パソコンスキルとか、転勤の可能性があるが、大丈夫かとか、基本的なことは誰でも聞ける。緊張している相手にいかに喋らせるか、自己を表現させるか、言葉の奥に潜んでいるその人の生の声を引き出すのが面接官の腕であるという。
ルカの福音書
6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
これから一緒に長く働いていくことになる人であるから真剣に選びたいが、もしその人が酒を飲むと暴れる、幼少年に異常な感情を持った人であるかどうかはどうやって見分けるのだろう。一旦雇ってしまうと、問題が発生した場合企業の責任にもなる。犯罪履歴は最近のネット社会であるので、個人名をWEBで検索すると大抵は出てくるという。その予備軍を30分の会話の中で選び出すのは出来るだろうか。月刊マサイ45号にも初めて面接官になった時のことを書いたが、当時より考えることが多くなっている。
土日の2日間で入社試験をした。この一次試験を通過するのは10人。25%の確立だ。筆記試験で学科と適性検査もする。面接は一人約30分、聞けば答える人、とうとうと自己PRする人、今の仕事はある程度満足しているが良い会社があれば転職をしたいと思っていたという人、リストラされて明日からでもここで働きたいと訴える人、各人いろいろな人生があった。
サムエル記第一
16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
2日間の日程が終わったところで、面接に携わった全員で2次試験に来てもらう10人を選び出した。面接官各人の見方が違って面白い意見の交換であった。この人はそういう鋭い見方ができるのか、と見直した人もいた。面接官にとっても良い訓練の場であったようだ。受験者の今を見て、将来を考え、社内でのバランスを考え、などして判断していくのだが、その人にとっては人生がかかっていることだし、企業としてもこれから多大な人件費をその人に投資していくことになる。双方ともに大きな問題であるのだ。
人が人を選ぶのは難しい。選ぶ側も神様に祈り続けないと正確な判断は出来ない。公正な判断ができるようにと祈る。イエス様ならどうするのだろうかと自問自答しながら考えていた。
詩篇
37:3 【主】に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
37:4 【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
採用されるのはたったの一人。残りの人たちは、今ここでこんなに、この会社にどうしても入りたい、と熱弁を振るったのに、後日別の会社で同じように熱弁を振るうのだろう。そして無事に転職を終えるまでに何度そういうことが繰り返えされるのだろう。できれば皆が満足して働ける職場を見つけて欲しいと祈る。2日間面接してみて、酒を飲むと暴れそうな人や、危なそうに人はいなかったように思う。
受け答えを聞きながら、我が息子も4年後くらいには(最近は就活が大学の最終学年ではないので、もっと前になるか)、こういう面接を受けることになるのか、と考える。その図を想像してみて、一生懸命志望しているのをはねるなどもってのほかだと、親としては考えた。
会社で部署が変わったので、まず独学ではあるが簿記の勉強を初めて、次にBS、PL、CSと財務諸表について学んできた。決算書や株主総会へ向けての資料がやっと出来上がったところで、今度は甲種防火管理者と防災管理者の資格を取るために、東京消防庁の講習を2日にわたって受けてきた。
立川消防署に隣接する防災館で120名が一緒に講習を受ける。いろいろな業種、男女、年齢様々な人達がいた。参加申し込みをしたのが随分前だったので、席が最前列だった。始まるまでは、実際にあった災害のビデオでも見て、寝ないように頑張っていれば良いのだろう、会社にいるよりは楽に過ごせる、と甘く考えていた。
ところが9時から17時まで、2日間で講義9コマ、実技2コマと昼休み1時間をはさんでびっしり講義は続く。国家資格になるものなので、甘くはない。最後にはテストがあり、それをクリアしないと資格は取れない、というので真剣に聞いていた。普段会議でも集中力が続くのは短い時間だというのに、頭をフル回転させる。
防火防災管理者は、災害時に皆を先導して逃げる、というのが役目であると思っていた。しかし実は何をするかというと、管理権限者(企業の責任者)の元、消防計画を作成し、消防署に提出。火災、地震、その他の災害時には社員を安全に誘導避難させ、初期消火活動を行い、延焼を防ぐ算段を迅速にとり、怪我人を応急救護する、など消防救急隊が来るまで自衛消防に当たり、専門家到着時には現況を報告し、速やかに引き継いで非難する、というもの。最後まで現場に残り、人名を守る、重要な役目である。
防火については消防法第8条、防災については36条に規定がある。読んでみると、知らないこととはいいながら、実にいろいろなことが定められている。3冊買ったテキストの中で一番分厚いものが法令集だった。消防に関するだけで、こんなに知らない法律がたくさんあるのかということに驚く。知らずに過ごしているが、この法令に守られていることはたくさんあるのだろう。
1日目は翌日のテストに備えて、帰宅後も復習をしっかりした。テストを受けるのは実に何年ぶりだろう。なぜか随分緊張している。引掛けのような問題もあったが、無事に資格を習得した。
今まで避難訓練と言われても何とか口実を見つけて避けてきたが、意識が一変している。会社に帰って、近隣の消防署へ管理者変更の届出を済ませた。社内では、消化器、消火栓、防火戸、スプリンクラーの場所や避難経路を確認し、災害時に落下する可能性のあるものを排除する。普段は気にしなかったそれらが自然と目に入るようになった。有事の避難先は2階の中庭なのだが、マサイの会社は海に近い。津波予防ならば、下に降りずに、却って上に行く方が安全だ。どちらに誘導するかは管理者の判断になる。建物には立派な防災センターがあってそこに統括管理者がいるので、実際は一人の判断ということはないのだが、人命を考えると、随分重い責任を負ったものだ。
しかし最近は何事もこう思うことにしている。会社の役割にせよ何にせよ、与えて下さるのは全て神様。神様はマサイならそれが出来ると思ったので与えてくださる。だから出来ないわけがない。こう思うと安心して何でも乗り越えていくことができる。災害時には管理者がまず祈って対応するので、みんなを安全に導くことができる、と確信している。
ヨシュア記
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
我が家の息子もこの4月から高校3年生、受験生になった。3年前は高校受験と水泳の全国大会へ向けての緊張した毎日だったが、また同じような日々がやってきた。大学受験と水泳の全国大会へ向けて、本人は実に頑張っているので、親としては声かけが難しい。月刊マサイの89号にも書いたが、これまで頑張ってきて、今も頑張っているのに、その上もっと頑張れとは言えない。この時期の親の役割は何だろう。
マサイの受験期はどうだったのか思い出してみる。毎日太宰治を読みふけっていた。共感する度合いがとても大きかったことを覚えている。文庫本で出ているものは夢中になって全て読んだ。しかし面白いことに、大学に入った後は、この世界に全く戻れない。あれほど夢中になったものなのに、何度か読み返そうかと思っても、出来なかった。
誰でもそうだろうが、この時期不安に襲われるのは、勉強ばかりすることが苦痛だからではない。この辛い時期を耐えさえすれば、明るい未来が待っていると楽観することができないからである。結果次第では苦しみが継続することもある。また考えていたのとは違った出口に出てしまうこともある。人生の大きな岐路に初めてと言って良いほど立った不安なのである。
当の本人が一番大変な時期を通っているということは良く分かるが、実は親も一緒にこの辛い時期を過ごしている。始末の悪いことに、親の方がこの辛さに弱いのかもしれない。やるのは本人であって親ではない。もどかしさの原因は全てここにある。何で親が、と不思議に思われるかもしれない。賛否両論あろうが、マサイには子どもの問題だからと、突き放すことはできない。主の御心にかなった、息子にとって最適な進学先へ導いてください、と祈り続けている。心配するのは信仰が弱いからだと、自分を責めてもみる。
そんな信仰が試されている時に、信仰の友に教えてもらった聖句が
ローマ人への手紙
4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
である。どんなにこの聖句に救われたことか。随分気持ちが楽になった。細君と2013年我が家のテーマ聖句にしようと話し、あちこちに掲示をしたり、PCのデスクトップに貼り付けておいたりした。御言葉は時宜にかなって与えられるものであるということと、その力はすごいなということを、改めて感じた。この聖句を教えてくださったSさんに深く感謝します。
高校の3年間は実に短く感じる。実質学校へ行くのは後半年か。親の信仰が試される日々でもある。今まで真剣に子育てには向き合って来たつもりであるが、そのゴールも近いという思いもある。大きな節目でもある。マサイが今一番やらなければならないのは、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰をますます強くして、神様に栄光を帰し、神様には約束されたことを成就する力があることを堅く信じることだ。これからも親の一番重要や役目である祈ることに専念しようと思う。
ヤコブの手紙
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
進級新入学の季節になった。歓送迎会の季節でもある。「今度○○へ行くことになりました。お世話になりました」、という挨拶メールや電話が来る。行く人、帰ってくる人の両方からである。昇進を伴うにしろ、伴わないにしろ、異動が発表される時期である。
実はマサイは11月に一度昇進を伴う辞令を断っている。転勤するものであったため、年老いた両親に何かあってもすぐにかけつけられない場所へ行ってしまうのが心配で断った。だからもう当分そういう話はないと思っていたら、3月5日に辞令が出た。別の辞令である。
入社以来27年、同じ営業系であった。部内で担当地区が変わったり、仕事が変わったりしたことはあるが、他部へ異動した事はない。同じ仕事を長くやっているので、これをどう発展させていくかということが腕の見せどころだった。仕事には自信を持ってやっているので、常に新しいものを取り入れて前に進んできた。昨年後半はデータベース管理システムについて本を読みながら、独学でシステム改善もしてみた。面白くなってきたところであるので、今年はこれをさらに進化させるつもりでいた。
それが全く他部への異動になった。外線の電話番号が変わるというのがとても新鮮だ。行き先は総務部で経理も担当する。マサイは文学部卒である。大学の一般教養でも社会は法学と社会学を取ったので、経済系は全く未知の領域になる。この仕事を始めた時に、初歩を教えてくれた人がいたのだが、今では貸借対照表という用語についての記憶がかすかに残るばかりである。
それでも数字は好きである。今の仕事も数字を扱うことが主であるのだが、ただ表の縦横が合うのが好きという程度。合って当然のことである。ただ合わない時にどこが違うのかを見つけるのが早い、というのが自慢である。それが今度は全社的な数字を見る。扱う金額の桁が大きくなった。
全くの素人なので、教えてもらうことは何でも素直に聞き入れる。元来新しいことを勉強するのは好きである。引継ぎの日程を決めた後に、前任者と本屋へ一緒に行って簿記のテキストを選んでもらった。毎朝早目に起きて、このテキストにラインマーカーを引きながらちょっとずつ勉強している。目からウロコのような面白さがある。
そんな話をしていたら、会計事務所の人が、簿記より財務諸表の見方が大切であると教えてくれた。損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書の読み解きである。これもすぐに入門書を買ってきた。用語から覚え始めているが、学んでみれば面白い。頭の中のメモリー残量が少なくなっているはずなのだが、何かを押し出しているらしく、何とか頭に入っている。
会う人は今まで営業系だったり、システム系だったりしたが、急に銀行系や財務系の人に変わった。引継ぎは短期間と限られていたので、とにかくメモを取って頭に詰め込んだ。そして何とか見よう見まねで月次関係の書類が出来上がった。しかし数字は出来たが、それが何を意味するかが分からない。ここの数字はどこを参照しているのか。えっと、こことここの数字を足しているので・・・。では、ここの数字にマイナスがついているのは、実際経営がどうなっているということを意味するのか。先月から急にこの項目の数字が減っている原因はどこにあるのか。
まだまだ自分のものにしていないから分からない、というのにいろいろ質問が来る。勉強することはたくさんある。でもやっていることは嫌いではない、面白い。神様はマサイが出来ると思って、この仕事を与えてくれたはずだ。神様がついているので絶対に出来ると思っている。そう思えると、負担も負担でなくなる。
またこの新しい仕事は、いつか教会運営の役に立つに違いないとも思っている。神様の計画はここにあるのかもしれない。しっかりやります、神様。
エレミヤ書
1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」
1:6 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」
1:7 すると、【主】は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。
1:8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──【主】の御告げ──」
1:9 そのとき、【主】は御手を伸ばして、私の口に触れ、【主】は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。
1:10 見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」
ずっと日記をつけている。昔ながらのアナログタイプのもの。日記帳に日記をつける。朝起きて一番に前日の事を書くので、書きなぐりに近い。4行だけだが、一日にあったことは一通り書ける。自分以外には読めないようにわざとそうしているのではないのだが、自分でも読めない字がたくさんある。
マサイの父方の祖父は学校の先生から最後は地区の教育長を務めた人だが、日記をつけていた。昔ながらのハードカバーの日記帳で、箱入りのものが机の上立っていたような気がする。2階の祖父の部屋を内緒で覗きに行った時の遠い記憶である。整然とした部屋とその日記帳の印象が残っている。日記を書くという事が、祖父は立派な人なんだという子どもながらの思いにつながって残っている。
高校生の時に、読んだ本を手帳につけていたのが始まりだった。結婚して2.3年書かなかった時期があったが、続けていないと、たとえ何もない一日であっても、振り返った時に空白の過去が生じてしまうような気がする。それが少しでも記録を残すことで、過去の一日として生き続けてくれる、という自分なりの奇妙な思いがあって、書き続けることにした。
今は10年日記という10年分を1冊にまとめたものに書いている。同じ日が1ページになっているので、去年の今日は、一昨年の今日は何をしていたかがすぐに分かる。読み返すのも日記の楽しみの一つ。去年は花粉が少なかったとか、そろそろインフルエンザの注射を受ける時期だ、などを家族と分かち合う。1年間でいろいろ考えも代わるもので、読み返して自分の変化を楽しめる。
息子の家庭科の宿題で、生まれた時の身長、体重、親がどんなふうに思ったか、お気に入りのおもちゃ、最初に話した言葉、歩き始めたのはいつか、どんな子だったか、小さい頃の写真を見ましょう、というものが出た。面白い宿題で、親に取材する宿題だ。
息子が生まれる時のことは細君が詳細に日記に残している。読み返してみると実に温かい気持ちになる。この宿題のためにその日記やアルバムを引っ張り出してきて3人で読んだ。そういえば、いつもクマさんの人形と一緒に寝ていた。あの時の音が出るおもちゃは今まだ天袋にしまってある。初めて寝返りをうったのは今の息子の部屋だ。つかまり立ちしたのは遊び行った先の軽井沢のペンション。初めて独り立ちして歩いたのは我が家の居間から台所へ向けてだった。歩き始めたのは早かった、など話に花が咲く。生まれたばかりの頃の息子をマサイがスケッチしたものを見て、息子がカワイイという。こういう時は記録を残しておいてよかったと思う。
実に楽しい時を持てた。食卓でのこの楽しい会話は、感謝だね~という結論につながった。我々の生活に神様のご計画と祝福が如何に溢れていたかということがよく分かった。
日記というものは、自分の人生に神様の祝福が如何に溢れていたかということを気づかせてくれるものである、ということを発見した。実に素晴らしいものであるが、日記文学といわれている有名な作品のように他の人にも読ませるために発表するつもりはない。せめて自分で読み返した時に判別できるくらいの字で書いておこうと反省した。
詩篇
147:12 エルサレムよ。【主】をほめ歌え。シオンよ。あなたの神をほめたたえよ。
147:13 主は、あなたの門のかんぬきを強め、あなたの中にいる子らを祝福しておられるからだ。
147:14 主は、あなたの地境に平和を置き、最良の小麦であなたを満たされる。
箴言
10:22 【主】の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。
2010年頃から司馬遼太郎にはまっている。きっかけは細君が美容院で教えてもらってきた「燃えよ剣」。髪の毛を切ってもらいながらの話で、「(尾田栄一郎の)ワンピースが好きなら大丈夫、とにかく格好良い」と教えてもらってきた。マサイは今まであらゆるジャンルを読んできたつもりだが、日本の歴史ものを読んだことがない。良い機会なので、早速読み始めた。時代は江戸末期、新撰組の物語である。
昔々大学受験で社会は日本史を選択したのだが、実は幕末史はあまり得意ではない。勉強法にもよるのだが、縄文時代から意気込んで始めているものだから、戦国時代までは気力が充実していても、江戸も末期になると息切れがして、ちょん髷がザン切り頭になった頃にはすっかり記憶容量オーバーになって、回線がショートしていた。丁度人がいっぱい出てくるし、混乱するところなのだ。TVの時代劇もあまり見ないので、新撰組に近藤勇、土方歳三、沖田総司がいるのは知っていてもが、それがどういう役割を日本史上でしたのかは説明ができなかった。だから読んでみて新たな発見がたくさんあって良い勉強になったし、誰彼構わず新撰組について話したいと思うほど気分が高揚した。
次に読んだのが「竜がゆく」。新撰組とは逆の立場から幕末の日本を読むことができた。丁度NHKの大河ドラマで龍馬伝をやっていたが、見てしまうとTVの役者の印象で読んでしまうので、あえて見ずにいた。そして土佐藩坂本龍馬は・・・、とここで龍馬を語ろうとすると、熱く紙数を気にせずに語れるほどにはまってしまった。新撰組以上と言っていい。苦手な幕末がすんなりと頭に入ってきた。維新に向けてこんな大きな思惑がぶつかり合っていたのかと感動した。日本の歴史を回天させたことについて身震いを覚え、幕末について熱く語り合いたくなった。
この後「坂の上の雲」を読み、続けて源平の時代から戦国時代へ、明治維新後の組国期へと司馬遼ばかり読んでいる。元来読むのは好きなのだが、こんなに読み始めたら止まらないというのも久しい。
この司馬遼ワールドを我が家に持ち込んだ細君は、マサイに続いて「燃えよ剣」を読み、「竜馬がゆく」も読んだ。今は「坂の上の雲」を読んでいる。で、今の政治の基礎は歴史上のどこにあるのか、開国へ向けての激動の日本がどうなっていたか、土佐と長州と薩摩が果たした役割は、などと2人で熱く食卓で語り合っている。細君は今の県名よりも、藩名の方が分かりやすいという。
読むばかりではなく、息子の地方大会で訪れた地では、史跡巡りをしている。大阪で司馬遼太郎記念館へ行き、京都で龍馬終焉の地を訪ね、薩長同盟締結後襲われた寺田屋から逃げた足取りを伏見で追ってみたりした。時には古地図を広げて、龍馬の江戸での足取りをなぞり、いつかは龍馬が育った土佐高知を訪ねようと細君と話している。
江戸時代1836年に生まれ、1867年まで激動の時代を駆け抜けて行った歴史上の人物龍馬は、これまで何人かの作家の作品によって現代に蘇っている。今でもその作品を通じて、新たに龍馬を知る人は増えていて、読む者をここまで夢中にさせてくれる。一度その魅力にはまってしまうと、より知りたくなり、活動の地を巡礼し、思いを同じくする人と熱く語り合うほどだ。
こう考えてみると、作家の持つ役割は大きい。司馬遼太郎が書かなかったら、完全に歴史の闇に埋もれてしまったであろう人間は何人もいる。それを、後世いつまでも語り継がれるほどにしたのである。作品によっていつまでもその功績は広く人に知られることになるし、熱狂的なファンは、本が読まれ続ける限り増え続けていく。そして夢中になったファンは、それを熱く語り、回りに広めていく。
こう考えていて、ふとこれを通してこう言われたような気がした。歴史小説はあくまでもフィクションであるので、全てが史実だと信じてしまうわけにはいかないが、我々の読む聖書は歴史的事実で絶対真理である。フィクションがこれだけのものを生むなら、本物の持つ力はもっと大きい。その聖書を通じて2000年超前のイエス様は今、我々の眼前にある。そして我々はその一言一言に夢中になり、思いを熱くしている。我々がそれを広め、熱く語れば、イエス様の熱狂的なファンをいつの時代にも作り続けていくことができる。それが我々の役割である、と。
使徒の手紙
8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
8:32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
8:33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
マサイの家では、毎年細君が居間にクリスマスツリーを飾ってくれる。細君が仕事をしていた時に外国で買い集めたオーナメントが緑の枝にぶらさがり、愛嬌のある表情を見せてくれる。飾り付が実に可愛らしく、家中が楽しい雰囲気になる。
この根元にクリスマスプレゼントが置かれていく。買ってきた人は、そうっと置いていくので、それを見つけるのは大きな喜びである。ある日気づくと、クリスマスカードや、クリスマスラッピングされたものが置いてある。我が家のルールはクリスマスまで、これを触ったり、中身を覗いたり、匂いを嗅いだりすることを禁じている。ひたすらクリスマスまで、外見から中を想像して楽しむ。貰う方も楽しいが、買ってきた方もそうしてツリーの前にしゃがんでじっと見ている皆の姿を見るのは楽しい。
マサイは妻子に買うものをずいぶん前から考えている。マサイ家のルールその2。クリスマス前は、自分のものであっても、買いたいものは、全て申告すること。プレゼントは大物ばかりとは限らない。欲しがっているもの、欲しいが自分で買うよりもらうと嬉しいもの、いろいろある。1年のうちに会話の端々から情報を貯めておくので、うっかり同じものを買ってしまうことも考えられる。プレゼントと何気なく買ってきたものがバッティングすることを防ぐためのルールだ。
今年もまず細君がプレゼントを置いた。外見からは全く想像がつかない。あれかな、これかな、買いに行ったのはあの日のはずだから、と勝手に想像力を働かせる。細君に探りを入れてみるが、なかなか教えてくれない。息子へのプレゼントの場合は、息子が喜ぶものを選ぶので、自ずと似たようなものを買ってくる場合がある。そこが重ならないようにするのは難しいが、それを考えるのも楽しい時だ。
会社の帰りに買いに行くのだが、2人の喜ぶ顔を思い浮かべながら選び、ラッピングしてもらう。持ち帰って玄関を入る時には、細君に見つからないようにし、しばらく隠しておく。ある日突然ツリーの下にプレゼントが積んである、というサンタが夜やってきたような形をとるためだ。あ、プレゼントが増えてる、と喜ぶのを見てニンマリしている。
そんな数を増していくツリーの根元の派手な包装をじっと見ては中身を想像している。ひとつ並べると、またもっと喜ばせたくなって、買いに行く。高価なものばかりではないので、ラッピングをしてくれないところもある。そういうものは他のプレゼントの後ろに隠しておくのだが、息子は目ざとく見つけて、その外見だけから見事に中身を(2つ入っていたのだが、その2つとも)言い当てた。
細君曰く、プレゼントは渡す瞬間だけではなくて、選ぶ時から、渡す時まで、ずっと相手のことだけを考えているから、その間の分、愛情がこもっているのだという。確かに顔を思い浮かべ、開けた時の笑顔を想像し、と相手のことを考えている時間は長い。ラッピングの中には、品物と一緒に愛情もいっぱい入っている。
さてやっとクリスマス。イエス様の誕生日を家族3人で祝う。テーブルを囲み、聖書を読んで、我々のために生まれてきてくださったことを感謝する。お祈りをし、細君が特別に作ってくれたクリスマスディナーを食べるのだが、食後はいよいよプレゼント開封タイム。ツリーの下に移動して、一人ずつ、1個ずつ、開けていく。まずは息子から。ママとパパからたくさんのプレゼントがある。マサイも細君もお互いに何を息子に買って来たか知らないので、一緒にドキドキしながら開けるのを待っている。息子は手にとって感触を確かめ、重さを測って中身を想像してから開けていく。笑顔がぱっと輝く。欲しかったもの、意外なもの、ずいぶん昔に欲しいと言ったことはあるが、よく覚えていたね、というもの、なかなか見つからないと言っていたのに、よく見つけたね、というものが袋の中から出てくる。次に細君が開け、マサイが開ける。幸福な時間、渡した方も笑顔になる。神様に感謝をする時間でもあった。
我々は神様からたくさんの贈り物をいただいている。神様は渡す前から何をあげようか考え、我々個人個人のために選び、贈り、それを喜ぶ姿を見て、同じように喜んでくださる。その間、我々一人ひとりのことを思っていてくださるのだ。神様からの贈り物について考える時、神様が実に近くなる。神様と一対一になる瞬間であり、祝福された、実に幸福な時間である。
ヤコブへの手紙
1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
イザヤ書
9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
息子の高校2年生での生活も半分以上が終わってしまった。本人もそのことで寂しそうにしている。3年生の話を聞くと、一つ一つ学校行事が終わっていくのが寂しいという。中学の3年間より、高校の3年間は格段に早い。
学校では何度目かの進学指導があった。真剣に進学先の志望校を考えないといけない時期に来ている。息子は大学に入っても水泳を続ける決心をしているので、今まで14年間泳いできた集大成として輝ける場を選ぶことになる。大学の体育会といえば、マサイの頃は詰襟の黒い学生服(上着のみ)を着ていたものだが、今はそんことはないらしい。
勉強も運動も高校生までやってきた以上にハードなものになるようだが、一番変わるのは住環境である。近所の大学であろうが、遠くの大学であろうが、体育会運動部は寮生活になる。人生のこの時期、親元を離れての寮生活は、現コーチもすすめている。本人もそう言われているので覚悟はしているらしい。別世界に入ることになるが、同じ目的を持った仲間たちとの共同生活なので、全くの異次元世界ではないかもしれない。
では、実際にどんな環境か見に行ってみようと、志望大学の文化祭に親子3人で出かけた。息子は大学が全く初めてというのではない。しかし普段は、近所の大学のプールで大会があったり、別の大学のプールでの練習へ行ったり、というものなので、ゆっくりキャンパスを歩くことはない。
予想はしていたのだが、文化祭なので人がいっぱいいて、模擬店もいっぱいあって、日常のキャンパスとは全く違った状況であった。マサイの母校ではなかったが、マサイのイメージするところと違って、校舎は近代的な高層ビルだし、学食は綺麗で美味しそうだし、何よりトイレの個室が洗浄機付きだったのに驚いた。30年も経てばこの変化は当たり前か。学生たちが、若さの持つ、弾けるような独特なエネルギーを発散して輝いていた。楽しいだろうなぁ、とこれからこの世界を自分のものにできる息子が羨ましくなった。
郊外のキャンパスへも行ってみた。ここも建物がみな綺麗だ。校舎の一角に50mプールがあった。外プールなので、冬は使えないだろうが立派なものだ。学校の授業で使うわけではないので、水泳部だけのための施設ということになる。有難いものだ。
隣接してちょっと形容のしようがない2階建ての建物があった。水泳部寮という看板がかけてある。プールのすぐ横だから、夏は朝早くから泳げる良い環境にある。男子寮らしい。見上げると窓のあちこちをダンボールで補修してある。住人たちは地方合宿へ行って不在だったが、玄関からのぞくと寮生の名簿が下がっていた。見た限りでは、洗浄機付きトイレが望めるような雰囲気ではない。
マサイも息子もホームページなどで紹介している寮の写真を見ているので、小奇麗なワンルームマンションを想像してきたわけではないのだが、いきなり現実を突きつけられて、戸惑ってしまった。一人息子なのでマサイがあまりに大切に育てすぎたせいもあるのだが、頭の中で息子とこの環境がマッチしない。4年もいれば慣れるのだろうか。今迄親の価値観の中で育ち、それが当たり前というより、その他を知らずに育ってきた息子は、世の中には違った価値観もあるということをここで学ぶのだろう。2人1部屋になるのだろうか、4人で1部屋か。
まだこの大学に決まったわけではないが、どこの寮もあまり変わらないだろう。マサイは寮生活をしたことがない。親以外と一緒に生活をしたのは、結婚して細君との生活が初めてだった。その細君は留学先のアメリカで2人部屋のドミトリーというものを経験しているから、マサイよりその状況が良く分かっている。マサイよりショックが少なさそうだ。息子は何も言わない。ここに可愛い息子を入れることに抵抗があるのはマサイだけかもしれない。いい加減に息子を独り立ちさせる道筋を作ってあげることを考えたほうが良い。
ここに入るのは今まで親や先生、コーチ、顧問にあれこれ面倒を見てもらって、水泳に集中してきた18才の若者たちだろう。何不自由なく生活してきた彼らはここで何を学び、大きくなっていくのだろう。ここで成人して、社会人へと巣立っていく。その成長が楽しみでもある(笑われるであろうが、その成長を近くで見守りたいマサイには苦渋の選択である。イエス様が一緒に行ってくれるのだから息子の心配はないのだが、同時に始まるマサイの自立の方が心配である。細君が横でふむふむと頷いている)。良い仲間と良い指導者に恵まれることを今から祈っている。
申命記
1:6 私たちの神、【主】は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。
1:7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。
1:8 見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、【主】があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」
人の名前が出てこなくなったのはいつからのことだろう。思い出そうとすればするほど出てこない。頭の中に相手の姿ははっきりと思い浮かんでいるのに、名前だけが出てこない。思い出そうとすればするほど、肝心の名前は深遠なる淵に沈み込んでいく。一旦引っかかると絶対に出てこない。昔はしばらくたつとひょんな拍子に思い出したりしたものだが、今はほぼ出てこない。
昔父親が、よく一生懸命思い出そうとしているのを、冗談で言っているのかと思って聞いていた。ありえないことだと思っていたが、今は自分がそうなっている。50歳を過ぎたあたりから、その症状がひどくなった。名前の最初の文字は何となく思い浮かぶ。え~と谷なんとかさんだ、谷川、谷内、谷村、谷町・・・どうにも正解にたどりつかない。結局矢野さんだったりする。本人を目の前にして思い出せない時はもっと困る。何とかごまかしながら話していて、別れた後、急いで名刺の束をひっくり返して探してみる。
WEBで調べてみると、人の名前が思い出せないという症状は、40歳を過ぎると出てくる人が多いらしい。その他のことは正常に出来ているのに、何で名前だけ、と思うのだが、これは年齢を重ねるうちに脳の神経細胞が減少するためで、誰にでも起こる「物忘れ」だと読んで一安心する。
しかし相手に対して失礼だということには変わりはない。逆に相手が名前を覚えていてくれていたりすると、とても嬉しい。特に目上の人が2度目に会った時に「マサイさんね」など、名前を頭につけて話してくれるのを聞いて、あぁ覚えていてくれたんだと感動したこともある。それだけでその人を尊敬する気持ちになる。その反対になるのだからそれは失礼だ。
イザヤ書
40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。
物忘れには正常な物忘れと病的な物忘れがあるという。注意しなければならないのは病気による物忘れだという。ぼけたか、という程度なら笑って済まされるが、痴呆症、認知症、アルツハイマーとなったら大変だ。これは脳神経がダメージを受けて、通常より急激なスピードで記憶がなくなり、記憶に障害を起こす病気である。人間の脳は、年とともに神経細胞が減少したり、情報伝達機能が低下したりするらしい。人間の脳細胞140億個のうち、40歳を過ぎると、1日に5~10万の脳細胞が死滅するという説もある。頭の中のメモリ容量がいっぱいになったので、新しいものを入れるために勝手に古いものを消去していると簡単に考えていたが、そうでもないらしい。
いろいろな症例を読んでいると、マサイの場合は正常な物忘れらしい。社会生活に支障をきたす心配はないという。その防止策は、脳を活性化したり、脳の血流を増やしたりすること。正常なものとはいえ、本人は随分不甲斐ない思いでいっぱいになっている。
名前だけではない。後でやろうと思い浮かんだ事は、たいてい思い出せなくなる。何かやろうと思っていたのだけど、何だっけということがよくある。これもいくら思い出そうとしても思い出せない。で、思いついた時に必ずメモをとるようにしている。この文章を書き終えたらメモしておこう、というのではもう間に合わない。思いついた時は、全てに優先してメモをとる。メモさえあれば安心なのだが、時には急いで書いた自分の字が読めなくて、結局何をしようとしていたか思い出せなかった事もある。実に不甲斐ない。
WEBには同じようなことを心配している人の書込みが多い。だがそれに対する診断は、少しは心配してくれよと言いたくなるほど冷たい。つまり、年のせい。しかしまだそのせいばかりにしたくない。大学4年生の時に教育実習先の中学校で、3年生4クラスの生徒全員分の名前を3日で覚えたという過去の栄光もある。脳の衰えに負けることなく、自分が名前を覚えていてもらった時に受けた感動を、今後は自分が与える側になりたいと思っている。秘訣があったら教えてください。
イザヤ書
43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
45:3 わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが【主】であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。
45:4 わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える。
FMラジオから流れてきた言葉が妙に頭に残ることがある。マサイは家で朝TVをつけないので、ラジオで天気予報や交通情報というその朝必要な情報を聴いている。
その他にもいろいろな話題が耳に入ってくる。この日のトピックは、東京の書店数が減っている、という。大型書店をあちこちで見かけるので、逆に増えているのかと思っていた。東京に限って言えば、一週間に1軒減だという。オンラインショップの台頭が原因らしい。しかしその後の言葉の方が記憶に残っている。「本屋さんは知的好奇心の集合体である」、という言葉に、ふむふむ、と頷く。マサイはまさにそう思う。
以前近所の本屋に日課のようにして通っていた。通い始めたのは小学生の頃だ。定休日以外に行かない日はない。近所に2軒、大きい書店と小さい書店、駅まで足を伸ばせばもう一軒大きな書店があった。大きな書店といっても、今のような大型書店ではない。個人経営のこじんまりした書店より売り場面積が大きかったという意味である。
大きな書店といえば、マサイの学生時代はやはり神田まで行かないとなかった。始めて神田の書店街に行った時は、その軒数とビルの上から下までが本屋であることに感動したものだ。大型書店に入ると、あまりの知的好奇心の渦巻きにくらくらする思いだった。本屋には計り知れない、未知の世界があって、どんどんそれを吸収できる場所だった。まさに知的好奇心の集合体であった。面白い本との出会いほどワクワクすることはない。貪るように片端から手にとってページをめくってみたが、この世の中にいったいどういう本があるのかということが分からなかった時代、書店めぐりは、まさに知的冒険心も満足させてくれる場所だった。書店には何時間でもいられた。
書店通いは小学生の時に店頭の漫画週刊誌を立ち読みすることから始まった。マサイの家に遊びに行っていなかったら、本屋に行けば必ずいる、と言われるほど入り浸っていた。そして年齢とともにだんだん店の中に入っていった。一般の雑誌にも目を通すようになり、文庫本になった。日本文学から始まって、世界文学へ、新潮文庫から岩波文庫へ、と書店内で立つ棚の位置がだんだん変わって行く。それが美術書になり、専門書、文芸書、哲学書とどんどん書店の奥に入っていった。興味の世界が広がり、新しい世界がどんどん開けてきた。
文学書の中には数々の聖書からの引用が含まれていた。作者や主人公が御言葉の一節を語っている。この頃は読んだ本の気に入ったフレイズをノートに書き留めていたのだが、その中に御言葉が増えて、自然と聖書の知識が増えていった。御言葉との出会いも書店であったわけだ。クリスチャンになる前に通読した新共同訳の聖書も近所の本屋で買った。
時代は変わって今は目的の本が分かっていれば、インターネットで購入という手がある。大好きな本屋さんを駆逐している敵のようなものだ。しかし最近は老眼になって、本屋ではメガネをしたり外したりしないと本が選べない。不便を感じるようになったので、もっぱらこの自宅で注文でき、届けてくれて、送料すらかからない、便利なシステムを利用している。自分が読みたい本は分かっているので、すぐに探せる。ページをめくるように中身を見れるものもある。好きな時間に買い物ができ、最短で翌日には自宅のポストに着いている。この便利さを感じる人が多いので、書店の数が減っているのだろう。
この2~3年はこのシステムを便利に使っていたが、昨日久しぶりに銀座の本屋へ行ってみた。書店でゆっくり本を選ぶことは随分していなかった。メガネをして背表紙を選んで書棚から取り出し、メガネを外して中身を読む。今までと訳が変わっていたり、字が大きく読みやすくなっていたりする。昔の細かな字がびっしりと詰まっているのとはずいぶん違う。
興味はあったが読まずにいた本を次々と手にとってみる。やはり面白そうだ。読んでおけばよかった。でも今からでも遅くない。あぁこの本も基礎には御言葉があったのか。まだまだ御言葉を伝えている素晴らしい本があるかもしれない。そんな本を見つけて読んでみたい。インターネット書店に決定的にないものは、この新刊本の匂いだ。楽しかった本屋さんの思い出が蘇ってくる。頭の中にいろいろな世界が広がっていく。こんなワクワクする気持ちは久しぶりだ。本屋を出る頃には幸せな気持ちになっていた。知的好奇心もすっかり満足している。自分の世界に戻ったようでほっとした。
箴言
3:19 【主】は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。
3:20 深淵はその知識によって張り裂け、雲は露を注ぐ。
3:21 わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。
3:22 それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。
3:23 こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。
24:3 家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。
24:4 部屋は知識によってすべて尊い、好ましい宝物で満たされる。
24:5 知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。
多摩川の土手を走っていると、川沿いにある野球場で試合をしている。大人がユニフォームを着てやっているのだが、日曜日は随分早くからやっている。走りながらついつい目が行く。自転車で通りがかった人が立ち止まって見ていたり、明らかにチームとは関係のなさそうな人が土手に座って見ていたりする。ほほえましい光景でマサイはとても好きだ。
マサイは息子に今迄いろいろやらせてきたつもりなのだが、唯一心残りは、野球の試合をどんな形であれ7回の表裏、もしくは9回までやらせてあげられなかったこと。キャッチボールはよく2人でやった。打たせれば、豪快にボールを飛ばす。しかしチームの一員として、ちゃんと守って打っての試合の面白さを味合わせてやれなかった。ユニフォームを着て活躍する姿を親として見たかったのかもしれない。まあこれからもやる機会はあると思うので、その時は応援をしに行きたい。
この夏、息子の高校が全国高校野球選手権大会(いわゆる夏の甲子園である)に神奈川県代表で出場した。マサイは母校を全国大会で応援するということを味わったことがない。甲子園球場にも行ったことがない。肝心な息子はインターハイで新潟に行っているのだが、こんな機会でなければ行かれないし、一度は行ってみたいと思っていたので、細君と2人、応援に行くことにした。
学校から案内が来ていたので、4時起きで日帰り応援に出かけた。お揃いの青い応援Tシャツが行きの新幹線の中からたくさんいた。試合開始予定は10時半だが、9時半頃には甲子園球場に着いた。空は青く暑い一日で、1塁側アルプススタンドでやっと見つけた席に座るなり、汗が滴り落ちてきた。応援の在校生がたくさんいる。当然皆神奈川県からやってきているのだろう。第一回戦は、バス9台で学校を出発したと聞いた。ブラスバンドの応援も暑い中大変だ。しかし一生懸命母校の応援をしている姿は実に楽しそうだ。
レギュラーの約半分は息子と同じクラスの子だ。高校球児をこれほど身近に感じたことはない。我が子のようで実に可愛い。応援に余計力が入る。テレビと違って、全員の動きが広くいろいろ見えるのは面白い。高校野球の聖地である甲子園に自分がいることにも感動している。
しかし9回は長い。表裏あるし、試合は2時間以上になる。その間中応援は続く。前から応援の指示が出る。打者の名前、応援の曲名。それに合わせて攻撃の時は立ち上がって大きな声を出す。スタンドが一体になって選手を励ます。選手とも一体となって、一緒に戦っている気持ちになるので、応援をしている側もとても楽しい。球場は広いが、選手一人ひとりに届くほど盛大な応援だ。選手の励みや、奮起につながれば、と応援に熱も入る。
全国大会という華やいだ雰囲気の中で、何万という観衆に自分の子どもが見守られているというのは親としてどういう気持ちだろう。親はいくら心配をしてもグランドへは入って行かれない。マサイがいつもプールのスタンドで感じているのと同じことを感じているのだろうか。グラウンドは親ですら不可侵の息子の世界。どんな危機でも、息子自身が、乗り越えて行かなければならない。ここまできたら、親の出来ることは応援で選手を励ますことしかない。「いっけー、行け、行け!」と声を大にする。
この日の試合は勝った。応援団は余韻を味わう暇もなく、次の応援団と交代しなければいけない。誘導されるままに、アルプススタンドから降り、球場から出る。外にも日差しが容赦なく照りつけていた。ここでやっとしばらく余韻に浸ることができた。楽しかった。勝ったこともそうなのだが、皆と一体となって、選手を励まし、応援出来た事が実に嬉しかった。良い経験をさせてもらった。
選手たちは疲れているだろうに、早翌日にもう次の試合があるという。マサイも余裕があれば一泊して次の試合も応援したかった。
ピリピ人への手紙
2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
最近出エジプト記を読んでいた。モーセが2度目にシナイ山から2枚のあかしの石の板を持って降りてきた箇所である。モーセは主がシナイ山で彼に告げられたことを、ことごとくイスラエル人全部に命じた
出エジプト記
35:10 あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、【主】が命じられたものをすべて造らなければならない。
造る物の内容は・・・幕屋、その天幕、そのおおい、その留め金、その板、その横木、その柱と、その台座、箱、その棒、『贖いのふた』とおおいの垂れ幕、机、その棒とそのすべての用具と供えのパン、 燈火のための燭台と、その用器とともしび皿と、燈火用の油、香の壇と、その棒とそそぎの油とかおりの高い香と幕屋の入口につける入口の垂れ幕、全焼のいけにえの祭壇とそれに付属する青銅の格子、その棒とそのすべての用具、洗盤と、その台、庭の掛け幕、その柱とその台座と庭の門の垂れ幕、幕屋の釘と庭の釘と、そのひも、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束。
随分細かなことなので驚く。神様はこれを作る知恵を人間に与えた。
出エジプト記
35:30 モーセはイスラエル人に言った。「見よ。【主】はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、
35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
35:32 それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。
しかしそれだけでは、この大事な仕事は広がらない。
35:34 また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。
35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。
神様は人の心に教える力を授けられた。そう、重要な仕事をする者は、それを人に教える、という重要な役割も担っているのだ。
最近仕事が忙しい。7月頭が特に忙しかった。働き始めて30年、こんなに忙しい毎日があったろうかと思うほど、いくら頭を高速回転させても終わらない。このまま全部放り出して帰ろうかと思ったり、30年吸わずにいたタバコが吸いたくなったり、脳みそがオーバーヒートして、耳の穴から煙が出ているのではないかとも思ったりした日々であった。
マサイは一人で仕事をしているのではなく、一応何人かを統率している。野球で言うところのプレイイングマネジャーのような立場なので、自分でも仕事を持っている。What Would Jesus Do?と自問自答しながら、日々まとめているつもりである。
仕事に速さとか正確さを求めるのは当然なのだが、最近の人は仕事に対してマサイがイメージしているところと違うものを持っているらしい。いくら説明をしても、良く分かってもらえない。何のためにこれをやっているかを考えないので、言われたことはやる。しかし言われたことも毎日同じことをしていると、飽きてくるらしい。当然言われたこと以外にはしない。あいた時間に自分から工夫をして何か生み出そうとすることはない。時々任せた仕事を確認してみると、とんでもないことになっていたりするので驚いてしまう。
期待する方が間違っているのだろうか。自分はそうではなかったという自信はある。しかしマサイの教え方が悪いというのが一番の原因である。自分は大抵のことは誰に言われるのでもなく、効率的に段取りよくやってきたので、人にもそうあることを無言で要求しているのかもしれない。だから懇切丁寧に教え続けるということができない。教えるというのは苦手だし、人に任せるということはもっと苦手である。
基本的に任せている仕事は全てマサイがやり方を考えたものであるから、自分でやった方が誰よりも早く、効率よくこなすことができる。だから危険な場合は、これがいけないのだろうが、任せた仕事を取り上げる。任せたマサイが悪かったということで、感情的には言わずにうまく取り上げるのだが、マサイがやれば、正確に早く終わる。請求や金銭が関わってくることであるので、放ってはおけないのである。しかし取り上げられても最近の人は気にならないらしい。
ということで、マサイの仕事は全然減らない。減らないどころか増えていく。だから忙しい。世のたくさんの部下を抱えている管理職の皆さん、社長さんを尊敬したくなる。任せることができると言うのはすごいことだと思う。自分の仕事を抱えて離さない、という意識は微塵もない。出来れば、いろいろなことを人に任せたい。安心して任せることが出来れば、突発的な事態が出たいしても休むことができるし、どんなに楽なのだろうかと考える。
そんな時にこの聖句を読んだ。神様は「人を教える力」を授けられた。仕事についての知恵と知識に加えてこれを与えられている。マサイの今の仕事も神様から与えられた大切なものである。それに対して、マサイは人に教えるという重要な役割を果たしているのだろうか、とゆっくり考えた。ここでこの聖句が与えられたことには大きな意味があるに違いない。これからはこの今迄苦手としていた「人に教える」、という力を祈り求めながら、神様から与えられた役割として励んでいってみよう。
サーファーのための波情報をWEBで見ていると、海岸線に海の家が建ち始めている。海の色もキラキラしてきた。もうすぐそこまで夏が来ている。反面、水の事故が報道される季節になった。
そんな時に活躍してくれるのが、ライフセーバーである。ライフセーバーといえば、黄色いTシャツに赤いダイナカットの水着、赤と黄色の水泳帽が印象的である。ハワイにも一段高いポジションから海岸線一帯を双眼鏡で監視している屈強な若者たちがいるが、彼らはマリンレジャーの事故から人々を守る大切な救助活動についてくれている。
息子の先輩達の中にはライフセーバーを目指す人が出てきた。水泳経験者なので、すぐになれるだろうと考える人もいるかもしれない。しかしプールで人より速く泳げるのと、救助は違うとマサイは考える。彼らは速く泳ぐことだけを目的とするのではなくて、救助の専門知識を学び、常にそのための鍛錬をしている。水の事故から人命を救う専門家であるのだ。
色々な救助法を調べてみると、基本的には大体同じことが書いてある。水難救助は、水難者も救助者も生還することが大原則である。陸の上から水に入らずに直接救助できれば、それが一番良い。泳いで救助に向かうのは最後の手段であるという。
衣服を着たまま水中に入った場合、その衣服の重さのため、泳ぐことが困難になる。緊急時の着衣水泳を近所の小学校では教えていたが、残念ながら息子の小学校ではその講習がなかった。着衣のままの方が浮きやすいらしいが、浮きやすいのと泳ぎやすいのは全く違う。テレビや映画で見るように格好良くは行かない。
救助する場合は、まず浮くものを探すこと。とにかく道具なしでは飛び込んではいけない、という。息子の室内プールでの水泳競技会にも、ライフセーバーが救命道具を持ってプールサイドからその試合を見守っている。日本のトップを目指す選手達だから救助は必要ない、ということはないのだ。
いざという時、救助は背後からという大原則は分かっていても、溺れている人はパニック状態にある。誰か助けに来てくれたと分かれば、必死になってそちらへしがみついてくるだろう。こうなると両者ともに危険な状態に陥るのは避けられない。水難者が救助者を素直に自分の背後に回らせて力を抜く、などという冷静な対応が出来る人は数少ないに違いない。
もし溺れている人を見つけたらどうしたら良いか。息子に子どもの時から言い聞かせていることがある。マサイは飛び込んで助けに行ってはいけない、と教えてきた。仲間と遊んでいる時に発見した場合でも、まずしなければいけないことは、近くの大人に知らせる事。そして救助の専門家を呼んでもらう事である。対象が子どもであれ大人であれ、それは変わらない。相手が子どもだから大丈夫という事は決してない。一人で飛び込んで救助に行くことの危険性をくどくどと教えてきた。
水泳選手の息子は、人より泳げるという理由で、回りは抜き手を切って救助に向かう事を期待するだろう。行かないことに対して非難されるかもしれない。しかしそれでも泳げるのと救助出来るということは違うのだ。子どもを助けに行った親が、逆に自分も溺れてしまったというニュースも良く聞く。水中では体が思うようには動かない。どれだけ鍛錬している者でも同じ。水中救助の危険性を考えた上で、飛び込まない勇気が必要である。
だから溺れている人を発見した場合、決して泳げる人をけしかけて飛び込ませてはいけない。それだけは気を付けよう。マリンレジャーはとても楽しい。神様が作ってくれた自然と一体になれる瞬間でもある。そんな楽しい時をだいなしにしないように、水の事故には十分注意をして下さい。自然の力は思ったより大きいです。皆さんがこの夏、水の事故に合わないようにお祈りしています。
詩篇
95:1 さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
95:2 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
95:3 主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
95:4 地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
95:5 海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。
95:6 来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
50才を過ぎてから人の名前がトンと思い出せない。40才くらいから始まった症状だが、一度引っかかるといつまでも思い出せない。年齢ともにそれにどんどん拍車がかかっている。顔は分かっていて、喉元まで名前が出てきているのだが、そこから先が出てこない。間違えるといけないので、呼びかけなくなる。
老眼がひどくなっている。眼鏡を外せば見えるので、眼科医には特に問題ないと言われている。電車の中で本を読む時は必ず眼鏡を外さないといけない。本屋に行った時に、背表紙で探す時は眼鏡をかけて、中身を見るためにぱらぱらページをめくる時は眼鏡をはずす。不便を感じることが多くなった。
仕事をしている日中は忙しい。とても忙しくて、パソコンが高速回転処理をしているような、ウィーンという音が頭の中で聞こえる気がする。定年退職をして、こんなふうに頭を使うことがなくなったら、ボケるんじゃないか、などと心配している。しかし別に倒れるほど仕事をしているわけではなく、眩暈を覚えることもない。
人混みを極端に嫌がるようになった。休日は出かけるより、ゆっくりしていたい。疲れが抜けにくくなってきている。それなのに朝寝が出来ない。早く目が覚める。一度目が覚めると、寝ていられない。そのくせ、毎食後はすぐに眠くなる。
これは老化現象というやつか。どこかが悪いわけではないだろう。現在一番信用している自己診断は、走って確かめるもの。もう10年以上走っているので、どこか悪ければ、ここで自覚症状が出てくるはずだと考えている。昔からのコースを同じように走ってみて、疲れが違ったり、局部的に痛みを感じたり、時間が極端に長くかかるようになったり、鼓動が妙に速くなったりすれば、それが目安になるはずだ。どこか悪ければ、1時間も走り続けていられないでしょ、と自分に言い聞かせて安心している。幸い今のところそういう自覚症状は全くない。
昔ならこんな自己診断は必要がなかった。どこか痛くても、すぐに治るだろうくらいに思って気にしないでいられた。それが最近は何かにつけ、生死の際にまでつなげるようになった。どこかが痛む。すわ血管が詰まったのか。脳梗塞か、心筋梗塞か。痛むところはリンパに近い。全身に転移するかもしれない。足首が痛い、回りにアキレス腱を突然切った人がいる。松葉杖が思い浮かぶ。年齢的なものや、親の手術の件もあるので、心配の種はいくらでも出てくる。WEBですぐ何でも便利に調べられるので探してみると、「○○症」に近い症状だ、その疑いありか。入院。手術。保険でまかなえるか、家族は、仕事は?考えるほどに気が沈んでくるが、どんどん思いは先へ先へと進んで行く。
しかし冷静に考えてみれば、表面が痛いのに、内臓が悪いわけがない。一日デスクワークをしていれば、健康な人間でも腰は痛くなるし、猫背にもなって背中が痛くなってくる。パソコンの画面を見っぱなしなので、目も痛む。視神経の疲れから頭痛も起きる。食事に行く時間も持てずにキーボードを打ち続けていれば、腱鞘炎にもなってくる。毎年行く人間ドックで、自覚症状がないのに数値が基準値をはずれている、と示されれば、そこが悪いような気がしてくる。病は気から。確かにそうだ。
年齢的に健康に注意しなければいけない世代なのである。今自分が倒れたら、妻子、年老いた両親はどうなるのか。これが何より心配だ。だから、健康については、家族、みんなのもの含めて毎朝祈っている。必ず祈る。必要のないことに惑わされて思い悩むことのないように。何でも不治の病に結び付けて心配しすぎることないように。健康でいられるように。あらゆる事件、事故、怪我、病気からお守りください。
神様はきっと守ってくださる。そう信じている。感謝します。
コリント人への手紙第一
2章9節 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
2章10節 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
ペテロへの手紙第一
5章7節 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
高校二年生になった息子が、5月の連休前に「第一志望校宣誓書」というのを貰って来た。この前高校に入ってほっとしていたのに、もう次の進学先である大学をどうするのか、という書類である。
志望校名と学部・学科・コース、志望理由、今後の学習目標と具体的な学習方法を書いて提出する。宣誓したからには、それに向かって一層奮闘努力せよ、という事だろう。いろいろ検討できるように、分厚い大学案内の冊子も一緒に貰って来た。
2年前、同じく分厚い高校案内の冊子に付箋を付けながら、じっくり読んでいた。どんな高校があるかも知らない息子の代わりに検討していたのだが、大学は自分が将来やりたいことと直結して来るので、親があれこれ口を出すわけにはいかないと思っている。まず色々息子の意見を引き出すように聞いてみた。
昔はスポーツ科学などに興味があったようだが、この学科がある大学は少なく、将来の仕事が限定されてくるので、別なことを考え始めたようだ。
一年生の時、情報という授業の中で、企業インターンという設定のもとに、自分たちでオリジナル商品を考案した。4か月に渡った作業の終わりに、パワーポイントで作ったものを、プロジェクタを使ってプレゼンした。4人ひと組で仕上げたのだが、15クラスの中で優秀グループ8チームによる発表が放課後行われた。その8チーム中、先頭を切って発表したのが息子のチーム。そんなところに面白さを発見して、考えが変わって来たのかもしれない。
学校でもいろいろ指導してくれているので、だんだん自分を取り巻く狭い世界以外に、世の中に何があるかが分かって来たようで、選択肢が広がって来た。この学部を出ると、どういう仕事に就く人が多いのか、ということを聞かれるようになった。昔と違って、最近の学部学科は、実に多岐に分かれている。マサイの母校も、在学当時からすると、2学部9学科増えた。単純に増えたものと、細分化されたものがあるのだが、細分化された方は、昔ならゼミだったものが学科に発展したような印象を受ける。
息子の将来が少しずつ見えてくるようで、一緒になって考えている時間はとても楽しい。残念ながら、マサイの出た文学部は全く選択の範疇にないらしい。余程文学に興味があるというのでなければ、親も勧めるつもりはないが、マサイの場合、文学にどっぷりと浸たり始めたのは、まさに息子の年からだった。今は、そういう事が見つかる時期であるのだ。
「可能性を示すのは親、選択は子」と読んだものの中にあった、と細君が教えてくれた。高校を卒業した後は、もう子どもの人生として大切にしてあげたいし、そうであるなら、親はここの大学に行った方が良いとか、ここの学部にしなさい、など、支配してはいけない、という。
ただ何であれ、興味のある学問を、ひたすら掘り下げて考える時間を持ってほしいと思う。大学4年間で学んだ事は、一生の財産になる。仕事に直結しないまでも、学んだ多くのことは楽しかったし、他の学部に行けば良かったという後悔は今でも一切ない。
大学は、神様の御心にかなった、息子に最適の、そこで楽しく学べる進学先を示して下さい、と祈ることにする。親の出来る大切な事は祈ることである、と高校受験で学んだので、毎日そう祈っている。
ヨハネの手紙第一
5章14節 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
5章15節 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
東日本大震災から1年経ったが、まだ時折関東でも大きな揺れが来る。時にはその揺れより、携帯電話の緊急地震速報着信を知らせる音の方に驚く。会社にいる時は、地震を感じると真っ先に細君に安否を確かめる連絡を入れるのだが、次に心配になるのは我が親。今年80才と78才になる2人なので、さすがに心配になる。携帯電話かパソコンに安否を問うメールを入れるのだが、余程大きいと、電話をする。
メールの場合、すぐに返信が来る。
「今朝の揺れは夢心地。どうにかなれーの心境で起きなかった。F子さん(母)は着換えて起きてしまったようだ。」
朝の4時20分頃の地震だったが、元気そうで安心する。が、時にはこんなメールをもらって心配になることもある。
「二階の出窓から身を乗り出して屋根から突き出てきた雪を払い落とすのには一苦労。凍って駐車場の屋根に落ちては大変。事前の防衛対策。F子さんもシャベルを手に奮闘。最近、非常に元気で安心。」
元気すぎるのも困ったものだ。送った側は、普通に近況報告をしているつもりなのだろうが、年が年なので、今転んで骨折などされたら、と読んでいる方は、気が気ではない。
「膝痛のために筋肉を付けようと、ちょっと離れた大型ショッピングセンターへ歩く。平地を歩くのはまずは大丈夫だが、駅の階段には閉口する。なんとか協力してやっています。」
何か運動をしようという考えは良いのだが、やりすぎては逆効果だと思って読む。親子で良く似ている、と言いたげな目で細君がこちらを見ている。未だにそうだが、母親は特に心配しすぎるような注意事項を常にくれる。それをうるさがっていたというのに、今度は同じような事を子どもから親へ事細かく言うようになった。
最近の一番の話題。
「市から高齢者対策の階段設置補助申請の許可が下りましたので、来週には市のアドバイザーと相談して実現に向けて動きます。1.2階のトイレ、玄関の降り口、風呂場にも手摺を。階段のほか、玄関の上がり降りに、外のポストまでの階段のところに、二階のトイレ、風呂場の中と外の計7箇所。1階のトイレは広く利用できるように外開きに改良することにしました。今になると改修する所が多々ある。2階の納戸内も整理をしたい。」
市に高齢者介護支援の申請を出せば、住宅改修費が受けられ、自己負担はわずかで改修ができるとアドバイスを受けて申請をすることにしたようだ。我が実家もそういう改修が必要になったのかと、改めて考える。
「念願の階段の手摺などが今日完成しました。」
写メが来た。しっかりした手摺なようだ。
「F子さんの高齢者支援1級が認められ(膝痛の診断が認められた)、補助金でトイレの外開きと風呂の二つ折りドアへの切り替えを間もなく行います。」
高齢者支援1級という言葉を何気なく読みとばすことができず、すわ介護か、と驚き、そろそろ一回顔を見ないと心配になってきた。で、思い立ったその日の朝、細君に「今日会社の帰りに寄ってくる」、といきなり言い出して、ホワイトデーのために焼いた自家製クッキーと、自家製パン2種類を、借りていたタッパーに入れてもらって出かける。
埼玉県の実家に夜訪問すると、元気に迎えてくれた、玄関からずっと手すりがついている。想像していたより立派で頑丈な手すりだ。トイレや風呂場の中にもついている。異様な印象はなく、色も周りと合っていて、自然な形で付いているのを見て安心した。2人とも嬉しそうにこの手すりをつたって歩いて見せてくれた。
夕食をとりながらゆっくり話して来た。日々やるとこはたくさんあるという。パソコンも楽しく使っているようだ。やることがあるので元気でいられる、というのを聞いて安心。2時間弱の滞在で帰ってきたのだが、行ってよかった。お互いに安心をした。
後でもらったメールは
「自家製のクッキーとパン、ご馳走さま。美味しかった。とたんにパン焼器が欲しくなり、目下考慮中です。F子さんはバナナ入りが気に入ったようすです。」
我が家にあるものは何でも欲しがるようになっている。こういうやりとりをしながら、親と子の交流を喜んでいる。
「火曜日にトイレと風呂のドアの改修が決りました。また観にきてください。皆さんと一緒に。」
一人で訪問して親孝行をしたようなつもりになって満足していたのだが、なんだ、やっぱり嫁孫の顔を見せてあげないとダメか。でも喜んでくれる嫁と孫を持ったというのも大きな親孝行のひとつであろう。
箴言
23:24 正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。
23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。
23:26 わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。
エペソ人への手紙
4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
近所のスーパーに買い物に行くようになった。昔はスーパーの冷凍食品売り場の冷気や混雑が嫌いで、結婚してしばらくは細君のお供もしたことがない。それでも近年は車で近所の大型スーパーに行くのに付き合うようになった。
最近は一人でトートバックを下げて買い物に行く。買い物というより、お使いに近い。細君に買い物リストを書いてもらって、スーパーのカードを持って一人で行く。銀行引き落としのクレジットカードなので、財布すら持たない。カード一枚だけをポケットに入れて行くのは、まさにお使いの気分。
今後も60才定年のままだとすると、それまであと8年。定年退職したら、こういうのが日常になるのだろうな、と考えながら歩いて行く。 偉そうに聞こえるかもしればいが、売り場で野菜の目利きができるわけではない。値段の目安も細君に書いてもらって、この値段以上だったら高いから買ってこないようにと指示を受けている。それでも野菜は一応ひっくり返してみて、傷んでいないかどうかくらいはチェックする。しかしもやしと豆もやしの区別がつかなかったりはする。リストにあるものがちょうど特売値段だったりすると、自分のお手柄のように思えて、妙に嬉しい。
1品くらいは自分の好きなものをカゴに追加する。お駄賃を喜ぶ子どものようだ。レジで買い物袋不要のポイントを付けてもらって、自分で詰めて帰ってくる。
マサイの父ももっぱら買い物担当であるという。母親よりはまだ足がしっかりしているので、一人で近所のスーパーに買出しに行ったり、もっと足を伸ばして大型スーパーに行き、宅配を頼んで帰ってきたりするという。運動がてら行くのには良いようだ。昔はそんなことをする人ではなかったのに、今は生き生きと買い物に出かけているらしい。その姿が目に浮かぶ。
最近の朝刊の生活面に「夫婦力を磨く」という記事があった。55プラスというコーナーなので、そろそろマサイも近づいている。しかし記事内容は、マサイにとって全く人ごとに思える。世の一般家庭はこんなものなのかと、不思議に思う。
55才以上のというのは、子育てが終わって、再び新婚時代のように夫婦2人きりになる年齢という設定なのだろう。まして定年退職をすれば、離れていた夫婦の距離がぐっと縮まる。そんな世代に対するアドバイスが書いてある。
まず大きな課題は、夫婦関係を回復させる、とある。これは最初から崩壊の危機にあることが前提であるらしい。男は家族のためにお金を稼いでくるのだ、男は仕事、女は家庭、というのが美徳だ、という前時代の間違った考えが、会話がない家庭を生み、熟年離婚の危機を育ててきた。内容から行くと、夫は妻に三下り半を突き付けられる弱い立場であるらしい。定年直前は、夫婦のあり方を改めて考える時期であるようだ。
連載の2回目にあったのは、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「愛している」と言おう、というアドバイス。心がこもっていなくても、とにかく言ってみよう、とはいただけない。有難うは「感謝」であり、ごめんなさいは「罪の悔い改め」、愛しているは「主を賛美」することである。クリスチャンにとって当たり前のことだ。
コロサイ人への手紙 3章23節
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
また相手の話をよく聞く。共感することが大切、とあった。神様の話に耳を澄ませて傾けるのがクリスチャンだ。日頃からお互いによく話す時間を持つことが大切であると思う。マサイは細君と話しをするのが大好きだ。だから毎日仕事が終わると、家に飛んで帰ってくる。今日あった事、考えた事、ニュースについてなど、いろいろ話している時が何より楽しい。
マサイと細君は、結婚する前、いつもデートをしていたクリスチャンが経営する喫茶店で、昼から夜の23時までずっと喋っていたことがある。牧師がそれを聞いて、それだけずっと楽しく喋っていられるのなら、結婚した後も大丈夫だ、と言ったという話がある。
この新聞記事を読んだ55歳前後の人たちはどう感じるのだろう。そんなことは出来ないと思うのだろうか。大好きな女性と結婚をしていながら、その女性が待つ家になかなか帰らないというのはマサイには信じられない。仕事での付き合いを口実に、帰りたがらない男性が実際多すぎるように思う。
だからこの聖句をアドバイスに是非付け加えたい。
ルカの福音書 6章31節
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
定年退職をした後は、会社で仕事をしていた時間をフルに教会活動に充てたいと考えているのだが、年金支給開始がどうなるか分からないので、いつになるか分からない。しかし定年後は、愛する女性である細君とずっと一緒にいられるのは確実だ。これは実に楽しみである。
テモテへの手紙第一
3章5節 ──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──
去年11月から通勤経路が変わった。長年慣れ親しんだ小田急線に別れを告げて、南武線から武蔵小杉乗り換えで横須賀線を利用している。定期が一枚になって便利になったし、車内はすいているので喜んでいる。ただ横須賀線は小田急線より揺れが激しい。
武蔵小杉駅では乗り換えで随分歩く。エスカレーターや動く歩道があるのだが、長い距離を大勢の乗客が次の乗り換え線に向かって、ものすごいスピードで移動して行く。
ところがこの乗り換えが渋滞することがある。頭の位置を見ていると分かるのだが、渋滞の元になる人に限って、下を向いて歩いている。大概は携帯電話やハンディタイプの小型ゲーム機をいじりながら歩いているのだ。中にはスマートフォンで映像を見ながら歩いている人もいる。自分では流れに乗って歩いているつもりなのだろうが、実はそうなっていない。神経は手元に集中しているので、視界が極端に狭い。逆に皆にぶつかられながら、良く操作できるものだと感心してしまう。歩く時は前を向いて歩きましょう。
前を向いて、で気付いた。我が家から駅までは、坂道を下って行く。坂道の上の方に県立高校があるので、朝その生徒達とすれ違う。この生徒達の大半が下を向いて歩いている。きついほどの坂道でもないのに(マサイにとって)、下を向いているものだから、よくぶつかりそうになる。つま先しか見えていないような頭の角度である。視界はとても狭い。すれ違う直前にやっと気づいて顔を上げる。耳に音楽プレーヤーのヘッドフォンが入っている場合は、もっと始末が悪い。前方から近づいて行っても全く気付かない。人に顔を見られるのが嫌なのではないかと思うほどだ。
創世記 4章6節
そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
坂だからかと思っていたら、平地でも同じ。下を向いて歩くので、姿勢が悪く、猫背になっている。そんなに学校へ行くのが辛いのかと疑いたくなる。
昔、下を向いて歩くことの利点を主張した人がいる。息子の小学校低学年の時の担任だ。お金が落ちているかもしれないから下を向いて歩くのだと、笑い話に言っていた。実に面白い人だった。
でもやはり歩く時は顔を上げて、前を向いて歩こう。そうすれば視界は各段に広くなるし、遠くまで見える。障害物がいつ何時現れても避けることができるし、落ちているお金も、もっと前から見つける事が出来る。姿勢も良くなる。正面が見えないほど上を向いて歩く必要はない。頭を上げて、進む方向へ顔を向けて歩くこと、これが大切。
サーフィン(ロングボード)では進みたい方向に顔を向けていれば、自ずと3m近い長いボードがそちらの方を向いて進んでくれる。それをしないと、なかなか行きたい方へ進めない。そういえば最初にハワイでサーフィンを教わった時も、ボードの上に立った後は、「足元を見るな、顔を上げて前のビーチを見ろ」と言われた。
またジョギングしている時も、辛いとついつい視線が下がりがちになる。そうなると却って姿勢が悪くなり、疲れるもとになる。無理にでも背筋を伸ばして進む方向を見ながら走っていた方が、気持ちがしっかりするし、疲れない。
ヨブ記
22章26節 そのとき、あなたは全能者をあなたの喜びとし、神に向かってあなたの顔を上げる。
いつも顔を上げて、前を向いて歩きましょうよ。きっと神様に感謝することがたくさん見つかるはずだから。
「本当に、おめでとうございました」箱根駅伝の優勝チームへのインタビューをアナウンサーがこの言葉で締めくくっていた。マサイはちょっと前からこの「本当に」が気になって仕方がない。
気になりだした時には、耳に付くほどあちこちで聞くようになったし、何でもかんでもに使われているように思えてきた。話の頭にも、え~とか、あ~とか言う代わりに「本当に~」と入ってくる。気がつけば自分でも使っている。意識しなくてもぽんっと口をついて出る。本来の意味以外に使っているとしか思えない。
この「本当に」もそうだが、多用されて気に障るものに、「ホントに、ホントに」がある。「ほんとう」ですらない。「う」が欠落している。ちゃんと通じているから良いじゃないかと言われそうだが、気になる年齢なのだ。
「本当に」を調べてみると、「実に」とか「全く」という意味の副詞で、副詞とは、主として、それだけで下に来る用語を修飾するもの。ということは、「実に」とか「全く」を前に付けてみて、変だなと思えたら、使用法が間違っている、ということになる。
ルカの福音書 23章47節
この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。
「実に、この人は正しい方であった」、「全く、この人は正しい方であった」と何ら違和感なく言い換えられる。
これに対し、現在頻繁に使われている「ホントに」は、別の意味を持っているようである。すなわち後ろに来る言葉をより強調する役目を果たしている。英語で言うと、moreかthe mostといったところか、比較級より最上級の方が近いかもしれない。「本当に有難う」は有難うより強い気持ちの表れで、more「ホントに有難う」、the most「ホントに、ホントに有難う」というニュアンスか。残念ながら「実に有難う」「全く有難う」というのは昔でも聞いたことがない。
今までこういう時には何と言っていたのだろう。「どうも有難う」という言葉がちゃんとあるはずだ。しかしこの場合も「ホントにどうも有難う」と変化していくのか。この「ホントに」は万能な修飾語なのかもしれない。でもあくまで口語であって、文章で残すには違うように思える。
ひねくれて、本当じゃない有難うって何?と考えてみたりする。「本当」の対極にあるのは「嘘」である。「本当に」を付けなければいけないとしたら、付かない有難うは、嘘なの?
同じ言葉を使うものでもっと気になるのは、「ホントですか?」と返答されること。こちらも「う」が欠落している。そして語尾がちょっと上がる。癖になっている人がいるようで、「そうですか」「は~なるほど」ではなく、何を言っても「ホントですか?」と返されるのには閉口する。これは意外なことを聞いて驚いた、ということの表現だろう。いや、そこまで深い意味はなく、単なる合いの手程度なのかもしれない。でもその語をあまり繰り返されると、こちらの言ったことを疑われているように聞こえる。であるから、「ホントですか?」と言われる度に「本当です」と答えるようにしている。「本当のことしか言いません」、とさらに切り替えすと、相手は大抵きょとんとする。返答を要しない言葉なのかもしれない。
これは仲間内の会話で、「マジ?」と昔言っていたのと同じで、目上の人にこう言うわけにはいかないので、それを丁寧に言っているつもりなのか。確かに「マジ?」と同じように軽い言葉だ。英語で言うならばreally?で、昔は「そうなのですか」と言っていたのだろう。
いずれにしても両方とも多用されるのが耳につくので、好きになれない。気にしなければ何の問題もない事なのであろう。日本語の破壊だとまでは言わないが、ある程度の年齢になると、大人として、正しい日本語が使いたくなるものなのだ。マサイもそういう年齢になったのであろう。うるさい親父、と笑ってもらえれば、実に有難い。
テサロニケ人への手紙第一 5章21節
しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
ヨハネの手紙第三 1章1節
長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。
まだ走っているんですか、と挨拶代わりによく聞かれる。答えた後、うらやましがる人たちからこう聞かれることが多い。
マサイは走り続けている。一度気に入って始めたことは、滅多なことではやめない。外を走るようになって9年たった。合計するともうじき7,000kmになる。あと4年も走り続ければ地球1/4周達成というところか。今年前半は足を痛めて走れない時期があったのだが、その時も速足のウォーキングを続けていた。歳をとってきたので、一回痛めると治るのに時間がかかる。完全に治るまでに最低ひと月はかかるのがやっかいだ。その間走れない。
毎年年初には、健康のために走るのだから、スピードを上げずに、ゆっくり、適度な距離を、体を痛めない程度に走り続けよう、と思うのだが、一年の半分も過ぎると考えが変わってくる。走った記録をずっとつけているので、前月比較、昨年同時期比較、年間走行距離累計などをパソコン上で見る事が出来る。そんなデータが気になってくる。
「月間10回以上走る、累計距離としては100km」、などと目標を立ててしまうと、それに向かって、むきになって走ることになる。月初めから9回走ってきて月末を迎えようものなら、末日の朝は仕事があろうと走らずにはいられない。それで今月も10回走れたと満足している。異常な程数字にこだわる悪い性格なのかもしれない。
単純に割ると、1回10kmずつ10回走れば回数も距離も達成するのだが、出勤前はそんなに長く走れないので、その分週末に余計走ることになる。夜仕事が終わって家族のもとに帰って来て、またすぐに外に行くというのはいやだし、休日の日中家族が一緒にいられる時間に一人で外に出るのもいやなので、走るのは週末、仕事や息子の大会がない日の早朝だけに限っている。朝がまだ明るい時期は、仕事に行く前、妻子が寝ているうちに家を抜け出し、息子が起きる前に、帰ってきてシャワーを浴び終えるようにしている。家族揃って一緒に朝食をとる(聖書を読んで、各自が祈ってから食事をとる)のが我家の習慣なので、忙しい朝を送っている。
そこまでして何で走るのか。走るのは好きだ。苦しい走り方はしないので、辛くはない。しかし走り始めるまで、気持ちが乗らない時もある。あれこれ理由をつけて布団から出ないように工夫してみる。雨が降っていない空を恨めしく見た事もある。そういう時は走り始めてもしばらくは引き返したくてしようがない。しかし走り終えてみると、これ以上気持ちの良いことはない。あぁ走ってよかった、と満足出来る。
走っていて、いつも会う人がいる。中には挨拶をするようになった人もいる。顔をジロジロ見るわけにはいかないのだが、走り方を見れば大体分かる。お互いにすれ違うだけだが、久しぶりに会うと、あの人まだ走っていたんだと、嬉しくなる。元気を貰ったり、励まされたりする。初めて見た時は太った体で、汗をたくさんかいて、見るからに苦しそうに走っていたので、大丈夫ですかと、声をかけようかと思った人が、今ではすました顔をしてマイペースで走っていたりする。
大会に出るのが目的ではなく、健康のためというのが走る目的の第一である。50歳を過ぎると、自覚症状はなくても、健康診断で引っかかる項目が増えてくる。その数値は走って血流を良くすれば正常値になるのか、ならないのか分からない(全身の毛細血管の隅々にまでくまなく血流を届けるためには、もっとゆっくり走らないといけないということは分かっている)。しかし何もしないで又悪い結果が出るよりは、何かをしていた方が安心出来る。父親が詰まった血管を治す手術をしているので、同じ悪玉コレステロール値が高いマサイもそうなる危険性はある。それにはやはり運動だろうと自分に言い聞かせている。
健康のためとはいえ、辛いことを歯を食いしばってやるのでは精神的にもよくない。楽しくやらければ続かない。一旦始めたことは長く続けたい。今年も8月以降は順調に走れている。続けるこつは、無理をしないこと。無理をして怪我をしたら、休まなくてはいけないし、楽しみがお預けになる。故障をすると治るのに時間がかかるので、確かに無理はしないようになった。自分の年齢なりに楽しんで続けていくのが一番。
箴言15章13節
心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。
箴言16章9節
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。
走り続けて行けば、地球半周くらいは出来るかな。本当に無理をしていないんでしょうね、と細君にはよく問い詰められる。
息子が高校に入って2回目の進路適性検査というのが学校であった。生徒の希望と適正について分析して、適正がある学問分野を紹介し、それに合った大学、学部、学科選びの参考にするようにというもの。
まだ大学で何を学びたいかというはっきりとした目標を立てづらい年代の生徒達に、進学してどのようなことを学ぶかという観点から、学問をいくつかのグループに分け、そのグループ別に生徒の適正を診断してくれる。それに合った学部や学科について紹介してくれるので、自分を理解し、目標を立てる上での参考になる。
特殊な学問については、大学も限られてくるし、その先の職業も決まってくる。単に高校卒業後の大学選びというより、長い目で見た将来の職業選びの指針となる。それは希望職業に向けての学校選びだから、進学した後も熱心に勉強できそうだ。
学問は13のグループに分かれて、そのグループ中にいくつかの学問系統が紹介されている。そしてそれに適した学部、学科を紹介するという内容である。適正試験の結果でどこかのグループへ導かれるようになるのだが、希望通りの結果が出るとは限らない。息子は就きたくない職業がいくつかあって、血を見る職業を真っ先に挙げている。
第一回目は記入ミスもあって、正確な診断にはならなかった。今回は間違いなくいろいろ適性検査の項目に記入していったというが、結果として出たのは・・・、
最も適正があると考えられるグループ・・・「人の命を考える」、主な関連学問系統として、医学、歯学、薬学。学部学科の紹介には、医師、歯科医師、薬剤師を養成する学部、学科が並んでいる。
外科医以外は血を見るわけじゃないから良いじゃないかと、機嫌が悪い息子を慰める。
本人が希望としていたのは「人間とは何かを探る」グループ この関連学問系統は、心理学、人間科学、哲学、倫理学、宗教学である。ここには宗教学が入っているので、おすすめ学科で神学部神学科があった。
診断結果にある分析の人物評もほぼ言い当てている。読んでみて、息子の意外な点を発見したというより、やっぱり分かるのねとか、よくそこに気付いてくれた、というものばかり。こういう結果を見て、自分を再認識することがよくある。神様から既にいただいているものに気付かない、という場合もあるのだから。隠れている自分を知ることが大切なのだ。
仕事選びは教会とは別物のように考えがちだが、今日の礼拝メッセージはまさにこれにピッタリするものであった。
エペソ人への手紙
4章11節 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4章12節 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4章13節 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
「職場を通して神様の素晴らしさを現すことは、私達ひとりひとりの使命である。私達は神様の素晴らしさを反映するために、イエス様の代わりに職場の中へ祭祀として遣わされている。これは全て神様からのギフトであって、天と地の主権全てを持つ神様が全て整えて準備してくださったもの。
生まれながらの才能は、コミュ二ティーを建て上げるためのものである。神様の栄光のために、教会を建て上げるために、必要なもの。良い動機で行えば霊的なもの、神様のもの、となり、教会のためになる。何よりそれは神様からのギフトなのであり、神様の素晴らしい御業を述べ伝えるためのものなのだから。」
ペテロの手紙第一
2章9節 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
我が息子はすごい味覚の持ち主なのだが、そういう特殊能力を生かした職に就くのが一番面白そうだ、と親は勝手に考えている。
まだ着られる服等を年下の子などに着てもらう場合は、お下がりという。これを逆に年上の人に来てもらう場合は、おあがり、というらしい。辞書で調べてみると、お下がりは出てくるが、この意味でのおあがりは出てこない。まだ市民権を得ていない言葉らしい。
小さい頃からそうだが、息子が大きくなるスピードが早いので、着るものはまだ悪くならないうちに着られなくなってしまう。実にもったいないのだが、マサイには小さくて着られない。そこで今迄は細君がもっぱら息子のお上がりを着ていた。男物ながら、家の中で来る分には良い。ダウンジャケットなどは男の子デザインで可愛そうなのだが、もったいないので、着て貰っている。
最近また大きくなった。水泳をやっている高校一年生の息子は、競技特有の見事な体型で、いわゆる逆三角形。肩幅に合わせて上着のサイズを選ぶと、LLとかOというサイズになる。締まって割れているお腹にかけて、くっと細くなるのだが、お腹にサイズを合わせると、肩は絶対に入らない。Lサイズを来ていた時期は短く、急にLLになった。
息子はそれまではマサイのお古をよく着ていた。一人っ子なのだが新しいものを欲しがることもなく、嫌がらずに着てくれていた。かえって気に入って着ていたものもあった。それももう着られない。そこで買い換えているのだが、LLというサイズは店にも数が少ない。さすがに男物のLサイズは、おあがりになっても、細君には大き過ぎる。
最近朝晩急に寒くなってきた。まだ夏服と冬服の入れ替えをやっていないので、マサイの長袖ものはしまったままである。何か代用になるものを、と探しているうちに、衣装ダンスの中に息子の着られなくなったLサイズの長袖シャツを見つけた。着てみると丁度良い。ものは悪くなっていないし、デザインが若向きなので、格好も良い。マサイが着ることにした。いよいよおあがりがマサイに回ってきたという訳だ。
息子は今月1日で16歳になった。パパとママからはプレゼントと一緒にバースデーカードを送ったのだが、細君は16年前のサイズを書いていた。身長51.4cm、体重3,284g。出産予定日、細君のお腹の中が心地良かったらしく、産まれる気配がなかった。なかなか降りてこないので、朝からマサイと手をつないで病院の階段を上ったり降りたりを繰り返していた。その効果があってか、夕方の17時1分、無事に産まれてきてくれた。マサイは出産に立ち会ったので、今でもあの時の光景は良く覚えている。神様に、細君に、感謝した。また息子にも生まれてきてくれて有難うと感謝をした瞬間だった。
そんな息子のものを着るようになったというのは感慨深いものがある。マサイはランニングを続けている効果か、上半身が痩せてきて、Lサイズでも余裕がある。身長もだんだん追いつかれてきている。夏頃から頭の位置が変わらなくなくなってきた。あとちょっとで追い抜かれる。もう5cmも差がないくらいだ。足のサイズは一足先に追い抜かれている。それまでマサイのお下がりのランニングシューズをはいていたのだが、きついと言って、最近29cmのものに買い換えた。
大きくなって欲しいと日々祈っているので、いつかは必ず追い越していくであろうと思ってはいたが、いよいよその時が来たようだ。次は息子を見上げるようになるのだろう。祈りの答えに感謝する。
子どもの成長は嬉しいものだ。きっと神様は同じように我々の成長を見守っていてくださるのだろう。そして同じように喜んでくれる。神様は遠くからではなく、今日も間近で見守っていて下さる。そこに愛を感じます。感謝します。
コリント人への手紙第一
3章7節 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
ペテロの手紙第二
3章18節 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
夏休みの一日、細君とアメ横で買い物をしていたら、携帯に電話が入った。雨の中、店の軒下に避難して出ると、父親からで、いきなり、「で、来るなら飯はどうする?」と言う。何のことか一向に要領を得ない。よく聞いてみると、非通知設定でマサイから電話が行ったことへの返信らしい。
電話はしていないし、自分の父親に電話をかける時に非通知設定にする息子もいないだろう。よく聞いてみると、息子からを装った電話があったようだ。
1回目は昼近く。「今上野にいるから、13時頃に行っても良いか」元気のない小さな声だったが、マサイと、いとこのSと我が息子の3人を足したような声で、よく似ていたという。父は余り元気がないので心配になって、「Hか?」とマサイの名前を言ってしまったらしい。向うは「そうだ」と答えたという。「いいよ」と答えると、一旦電話は切れた。
声に元気がなかったというので、今度は母親が心配し出した。だいたい普通のメールを送っても、何でそうとるか、と必要以上に心配をする母親なので、父親に「声に元気がなかった」と言われて、心配の世界が限りなく広がってしまったらしい。
2度目の電話がしばらくしてあった。「上野でトラブったので、行くのが遅れる」という。このあたりで父はだんだん怪しいと思い始めている。マサイが上野で仕事をするはずがない、と考えたという。「来るなら飯はどうするんだ」と父が聞くと、みつくろって買って行くが、「おじいちゃんは?」、と切り替えしてきたらしい。
ここにいたって、相手の化けの皮が剥がれる。マサイは自分の父親に向っておじいちゃんと呼んだ事はない。マサイは核家族の一人っ子なので、わざわざ呼称を言わなくても通じる小さな家族なのだ。電話をする時も「もし、も~し」と大きな声で言えば分かってもらえる。詐欺につながる「オレ、オレ」とすら言わない。父親は「おかし~な~」と一言、電話口でつぶやいたらしい。
また15時過ぎに電話をする、と向うが電話切ったので、マサイにかかってきた。これが冒頭の電話である。偶然なのだろうが、驚いたことにマサイは上野にいた。誰かにつけられているのか、何か落としたのかと、心配になったが、そういうことはなかった。
いろいろ考えた。電話をして、相手が出たからこういう会話になったが、出なければ留守だと分かるので、空き巣に入るつもりだったのか。実際実家の近所は空き巣の被害に合った家があると聞いている。しかしそれなら2度電話をかけてくるのはおかしい。今流行の「振り込め詐欺」に違いない。まず相手を確認するような電話をかけ、自分は息子なのだと認識させる。次に問題が起こったと言って、相手に不安を持たせる。次にいよいよ、警察や弁護士を装った役者が電話口にかわりばんこに出てきて、金融機関のATMへ誘導する、というシナリオなのだろう。
警察に電話をするように勧めると、早速電話をかけたようだ。埼玉の父親の住んでいるところは振り込め被害に合う人が多いらしい。先日も銀行のATMの前で捕まえたという。警察は犯人逮捕に協力して欲しそうだったというが、相手はどんな輩か分からない。父親は逆恨みされることに対して慎重な考えであると告げると、それなら丁寧に応対をするようにという指示であった。
金融機関へ行くと、ATMの回りに振り込め詐欺に対する注意を喚起する言葉があちこちに貼られている。マサイが住んでいる団地階段の掲示板にも、「振り込め詐欺に注意」という注意書きが貼ってある。人ごとのように思っていたが、我家もその対象になったか。
どういうリストを使って電話をかけてくるのだろう。不思議なことに、老人世帯であることが分かっていること。おまけに妙齢の子どもがいると分かっている。良く聞いてみると、保険やら、墓地やら、なんともいろいろな誘いの電話が多いという。老人世帯の個人情報リストができていて、それが出回っているのだ。
マサイは自分の親に極力心配をかけたくないと思っているので、元気のない声では絶対に電話をしない。とにかく怪しいと思ったら、こちらから名前は絶対に言わない、一旦切って、必ずマサイか細君の携帯に連絡を取ること、番号非通知の電話には出ないこと、と念を押す。
電話でのやりとりだけでは心配なので、買い物を切り上げて急遽実家へ向う。3度目の電話がかかってきたら、マサイが出て、真相を究明してやろうと待っていたが、結局かかってこなかった。父親のつぶやきで、バレた、と分かったのだろう。金曜日のことで、金融機関が閉まってしまえば、もうその先連絡をして来ないだろうと思って、夕方までいて帰ってきた。もしこれからもかかってくるなら週明けの月曜日だろうと思っていたが、月曜日も無事に過ぎた。
親と離れて暮らしているのが心配になってくる。細君の分析によると、今回はマサイとおじいちゃんがいつもコンタクトを取って、お互いの会話の特徴、考えることを良く分かっていたから、防げたのだという。これが遠く離れていて、普段ずっと交信もないようなら、簡単に引っかかってしまうのかもしれない。親は子どものことになると、冷静な判断力を失う。何とかして助けてやりたいと思うし、金銭的なもので解決できるのなら、と安易に考えてしまう。親にとっては、子どものため、というのは急所なのである。そういう時は、まず祈ることが大切、これを常に忘れないでいたい。
1週間以上たったが、以後はかかってこなかった。主の下で犯罪とは全く縁のない生活をしているつもりでいたが、サタンはあらゆるところを狙ってくるらしい。弱い所が特に狙われるのか。しかし闇は光に打ち勝てない。今回も守られた。主に感謝。
箴言29章25節
人を恐れるとわなにかかる。しかし【主】に信頼する者は守られる。
詩篇
16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
16:2 私は、【主】に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
今月はマサイの大好きなことについて。
何回目かなのだが、聖書を旧約の始めから読んでいる。何度読んでも創世記の地球や人類創世の歴史はとても面白い。読んでいろいろ考えるとわくわくしてくる。今年の2月号にマサイのエジプト好きについては書いたのだが、この地方はマサイを惹き付ける何かがある。
下の個所は何気なく読み飛ばしてしまうところかもしれないが、マサイはここをわくわくして読む。ページの端を折って、じっくり読み返すほど。
創世記
49:29 彼はまた彼らに命じて言った。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。
49:30 そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。
49:31 そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。
49:32 その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。」
ヤコブの言葉である。ヨセフは父ヤコブをエジプトの医者に命じてミイラにさせ、このほら穴に葬りに出かける。
50:13 その子らは彼をカナンの地に運び、マクペラの畑地のほら穴に彼を葬った。そこはアブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買ったもので、マムレに面している。
ヤコブの言葉の通りなら、このほら穴の中には、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアが葬られている。ちなみにヨセフもエジプトでミイラにされて棺に納められている。イスラエルの子らがエジプトを出る時に携え上ってくれと言い残しているが、このほら穴に入ったという記述はない。
この「マムレに面するマクペラにある、ツォハルの子エフロンの畑地、すなわち畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴」は一体どこにあるのだろう。もう数え切れないほどの学者達、盗掘者達がカナンの地を探し回ったに違いない。インディ・ジョーンズ的な趣味かもしれないが、もう一度大学で何かを学ぶとしたら迷わず考古学を選んでこの謎を発掘してみたい。
前方後円墳とかピラミッドとかいう巨大な建造物ではない。世界地図の中から紀元前のほら穴を探すことはどれだけ難しいことか分かるが、しかし宇宙を探すというのではない。現在誰かが何気なくその上を歩いているかもしれない地上を探すのだ。発見の可能性はあるように思える。ヒントになるのは23章2節にある サラの亡くなった場所。カナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロン。
つい夢中になって書いているが、神様自信が「アブラハム、イサク、ヤコブの神」といったほどの3人に対する冒涜だ、と叱られそうだ。
と一人で喜んでいたら、マクペラの洞穴は、とうの昔からパレスチナ自治区の都市ヘブロンの宗教史跡になっていた。この史跡はユダヤ教徒やキリスト教だけでなく、イスラム教徒からも神聖視されているという。ということは、世界中が知っている?
残念、お粗末な顛末でした。でも聖書は史実を伝えるものであり、それは間違いない、ということを改めて知って感動を覚えることができた。主よ、感謝します。
父の術後の回復は順調なようだ。精神的な不安がなくなったのが一番なのかもしれない。その後の体調をメールで聞くと、心臓は良いのだが、実は膝が痛くて、という。
医者はよく歩いて運動しろというが、歩くと膝に影響する。先日は歩き続けたせいで膝が痛くなり、近くの整形外科でレントゲンを撮ってきた。加齢からくる変形性膝関節症と言われ、ヒアルロン酸の注射を両膝に打ったという。これは円滑油代わりのもの。家にじっとしているのは苦痛だといって、よく歩くようだが、ゆっくり歩けば良いものを、むきになって歩いている姿が目に浮かぶ。こういう血は確実にマサイも受け継いでいるので良く分かる。
細君もそんなマサイの父母によくメールを送ってくれる。息子の中間試験が終わったという報告(点数もついでに)。大会の結果報告。学校での朝錬や大会の応援練習、クラブでの近況報告。「今朝は、4時起きでお弁当の用意をさせていただきました(汗)~」のようなメールにも父は嬉しそうに、顔文字を付けて返信して来る。
ところがある時、妙にしんみりとしたメールが来た。細君が書いたことへの返事だったが、細君は責任を感じている。そんな変なことは一言も送っていないというので、見せてもらったら、なるほど普通のメールだ。
「・・・そういう息子の遅かったり早かったりする動きに、一緒に付き合い、一緒に食事をして、常にコミュニケーションをとっているパパもすごいです。いつも、パパには感謝しています。」
しかしここに感じるところがあったようだ。 自分の子育て時期と照らし合わせて考えたらしい。
「表彰盾の写真有難う。遠く離れても形になる“努力の成果”を観て、孫の成長を心から喜んでいます。良く育ててくれました。
私は新聞記者という職業柄、朝出たらいつの帰りか分からない不定期な生活を過ごす毎日でした。他紙との競争の中にあって、いつ起きるか分からない事件待ちに、舞台の終了を待って夜間に俳優の取材をした芸能担当記者時代・・・。まるで時間のない生活でした。
スケジュールが立たないといえば主治医の医師のごとくで飛び回っていました。西武のT氏、TDLのK会長、ヤマハ、JAL、藤田観光、JTB・・・数々のトップと会食やゴルフと・・・忙しくて家族を省みなかった事が多かった。小田原からの遠い通勤ということもありましたが・・・。
家族でのコミュニケーションを怠ってしまった。ママのメールを読んで痛感しました。
F子(マサイ母)、H(マサイ)には“すまなかった”と反省もしています。
H(マサイ)は私を“反面教師”として、家族の絆をしっかりと守る努力をしているようですね。それで良いのです。パパ、ママ、息子、いつまでも“三本の矢”をしっかりと堅持し続けてください。
我々夫婦は常に祈っています。何よりもメールと写真を楽しみに。(*^_^*)」
親からこんな言葉を聞くのは初めてだ。そんなことは考えもしないのだろうと思っていたので、驚いた。「すまなかった」など、へりくだられると却ってこちらが恐縮する。こちらはそんなことを言って欲しいとも思ったこともない。
親からこんな言葉を聞くのは初めてだ。そんなことは考えもしないのだろうと思っていたので、驚いた。「すまなかった」など、へりくだられると却ってこちらが恐縮する。面と向かって言葉でとなると、とても恥ずかしくて言えないだろうが、メールでは心の内を素直に表現できるようだ。
こちらはそんなことを言って欲しいとも思ったこともない。息子一家が仲良くちゃんとやっていると安心していてもらえればそれでよい。マサイは我が親を反面教師としているつもりはなく、ただ主に従っているだけなのだから。
ヨハネの福音書
5章19節 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。
5章20節 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
父が術後半年の検診に一人で出かけた。病院に2泊してカテーテル検査をしてきたのだが、当日の医師の説明では「前回と変化なし」。「完全ですか」との父の問いに「完全ではないが75%でまずまず。とりあえず治療をすることはないでしょう。担当医の先生がどう判断するかですが・・・」ということで、午後の担当医からの説明を待ち焦がれていると、16時頃になって看護師が言う。
「先生は都合で今日病院には来られません。月曜日に今日の検査結果を診て、異常が発見された患者さんには電話連絡して事後処理をするそうです」
ということでその日は帰って来た。月曜日はずっと待っていたが、電話はなかった。良かったねと、連絡をしていたら、火曜日に電話がかかって来た。
「先生の伝言です。CDを診たところ左側に細くなっている箇所があるので詳しく説明したい。7月1日の定期診断日を早めて今月26日午後2時に来院してほしい」とのこと。
この箇所は前回の検査でマークされていて、「様子を見ましょう」と医師から言われていた所なので、さほどの驚きはなかったようだ。父から「歩くとたまに胸苦しさを感じるのはそれが原因か? 徹底的に治してもらうために行ってきます。心配無用です」というメールが来た。
半年前の手術では、冠動脈の詰まって堅くなっている箇所を、ローターブレーターというドリルで粉砕した後、風船で血管を広げ、薬を塗ったステント(金属の筒)を3本順番に入れて行った。(このあたりのことは2010年12月号で詳しく書いた。)心配なのでマサイも会社を途中で引かせてもらって病院に行く。2人で説明を聞いた。こんな病状だからという訳ではないが、最近は親が心配だから行ってあげないと、とよく思うようになった。 今まであまりそんなことを考えたことはないが、自分もそれなりに年をとって来たせいかもしれない。
心臓を取り巻く冠動脈のうち、前回手術をした中央と右はOK。1年後に詰まる可能性は10%ほど。普通は多少でこぼこが出てくるものだが、綺麗にまっすぐ血管が伸びている、ステントが体に合っているようです、という医師の説明に安心する。
しかしこの2本に比べて左の冠動脈が一か所くびれている。ここは太くて当たり前のところなのだという。心臓の絵を描いた説明書には当該個所に75~90%と数字が入っていた。それ程詰まっているのか。このまま様子見でもよいのだが、いずれは手術前の他の2本と同じ状態になる。それなら今のうちに血管を綺麗にしておいた方が良い。手術は普通か難しいかで、簡単はないのだが、今回は普通。カテーテルは足の付け根ではなく、右手首からでOK。そんなに時間はかからない。医師の説明を親子で真剣に聞く。
ここをやればもう完全に悪い所はなくなる。血管が詰まることを心配することもない。30日入院の、31日手術で行きましょう、と医師は言う。5日後である。父はこれで心配がなくなると、安心した表情だった。カテーテルを腕から通すというのも、時間がかからないと言ってもらえたのも、父にとっては安心材料だったようだ。
実家まで送って行ったのだが、母がバス通りまで迎えに出ていた。この二人、最近携帯を買い換えた。今までほとんど使うことはなかったのだが(母は一度買ったものの解約したてしまったし、父はメールの契約すらしていない)、気軽にメールをやり取りしたいというのが理由で、それが簡単に出来る機種を選んできた。メールのやり取りの相手はマサイと細君しかいない。しかし2010年4月号に書いたが、パソコンのメールのやり取りで随分親子間が近くなっている。病院での医師の診断内容などはパソコンのメールで詳しく報告が来る。
両親はマサイからのメールを毎日に楽しみに待っているという。メールをプリントアウトして、添付の孫の写真を印画紙にプリントし、一緒にして母が几帳面にファイルしている。それが5冊目に入った。
しかしそのメールも父がパソコンを開けないと出来ないので、母は自由に触れない。で、もっと気軽に携帯メールでやりとりしたいと考えたらしい。母が先に買ったのだが、教えるにも同じ機種でないと教えられないから、と父も同じ機種に買い替えた。ソファに並んで座って仲良くいじっている図を想像すると心が和む。
その携帯にマサイと細君のメルアドを登録し、使い方を説明してきた。父はこれで入院中に病院から連絡できる、入院中に説明書を読みながら使い方をマスターする、と喜んでいた。
手術前日30日に父は入院した。病室の場所、どんな具合かはメールで報告が来た。使いこなしているようだ。絵文字も付いている。一人で実家にいる母からはひらがなが多いメールが来る。ところどころ漢字に変換はしてあるが、ひらがなの方が多い。随分時間をかけて打っているらしい。
手術当日は会社を早退して病院へ。細君が送った励ましメールに添付した写真を見れるようにしてくれ、というので携帯を見てみると、母から沢山メールが来ていた。二人で小さな携帯画面を通して随分やり取りをしていたらしい。使い過ぎて電池がなくなって来たという。
18時に手術室へ呼ばれた。通路のソファで終わるのを祈って待つ。前回もここで待っていたが、前回ほど心配はしていない。19時10分に主治医の先生が出てきた。手術は無事終ったので、後の説明まで待つようにという。ほっとして、感謝の祈りをささげる。
呼ばれて行くと、術後の父が点滴のラックを引きながらもう歩いている。驚くべきことだ。心臓を取り巻く血管の手術をしたばかりとは思えない。一緒に映像を見ながら医師からの説明を聞く。
今回手術をしたのは、左の冠動脈。本来太くあるべき場所が、くびれたように細くなっていた。血管内でカルシウムが石灰化していたらしい。最初は風船で膨らます予定だったが、それではすまず、手首の血管からカテーテルを通し、ローターブレーターでその堅くなっているところを削った。その後削った場所を風船で膨らませて、そこに薬を塗ったステントを一本入れた。これは血管を広げるばかりでなく、再発しにくくするという効果もある。削った長さは約15mm。血管の太さは3mm。術後の映像では、血の通り道が見事に太くなっていた。これで心配なところは全てなくなった。父も安心したようだ。表情が和らいでいる。後で母からも安心した、というメールが来た。
2時間以上かけて帰宅。妻子の顔を見てほっとして、やっと力が抜けた。家族愛ということを、最近は良く感じる。これを思うと、全てを主に感謝できる。家族が元気でいてくれることの幸せ。主よ有難うございます。
ヨハネの手紙第一 4章7節
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
ゼパニヤ書 3章17節
あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
電子書籍という言葉をよく聞くようになった。出版界のみならず新聞業界も、小型の端末が紙の本や新聞紙にとって代わろうとしているので、注目している。
小型端末が普及するまでそれ程流行らないだろうと思って静観していたが、各メーカーがさまざまなサイズのものを出してきた。電車の中でもよく見かけるようになった。スマートフォンの画面で新聞を読んでいる人、もう少し大きめの画面で縦組みの文字を追っている人。興味があるのでついつい覗き込んでしまう。朝の通勤電車の中で新聞を読む人が減ってから随分たつ。本を読む人の数も減った。小型音楽プレーヤーのイヤホンを耳に入れて何かを聞いている人もいるが、携帯や小型のゲーム機をいじる人が増えた。それがまたハードを替えて本や新聞に戻って来るのだろうか。
しかし携帯端末を使っての電子媒体というのはどうもピンとこない。人のを覗き込んでいるばかりでは良く分からないので、自分でも使ってみることにした。早速スマートフォンに小説をダウンロードしてみた。国内外の名作と言われて誰もが知っている作品が50作品、すぐに無料で手に入った。行間、文字サイズ、文字の色、背景の色は自由に設定できる。ルビもちゃんと付いている。まず夏目漱石の「三四郎」を選んだ。21文字8行という設定にすると、全部で1,157ページになった。
この作品は文庫本や全集で3度読んだことがある。最初に読んだのは高校時代だ。当時柔道部に入っていたので、柔道の小説を読みたいと思って選んだ本だ。三四郎を姿三四郎と勘違いして読み始めたのだが、何処まで行っても柔道のシーンが出てこない。そのうちに読み終わってしまった。ここに出てくる小川三四郎は大学生で柔道はしない。読み終わった時にその違いに気付いたのだが、それを機会に三四郎に続く前期三部作を続けて読み、後ほとんどの作品を読んだ。もともと母親が大の漱石ファンで、よく話を聞かされていたのだが、自分でも漱石の文章のテンポが気に入っていたし、旧漢字の入った文章は、字面から時代のイメージが良く読みとれた。
久しぶりでもあったので期待半分、三四郎を小さな画面で読み始める。細君も太宰治の「ヴィヨンの妻」を読み始めた。人差指でめくる動作をして行く。思ったほど読みにくくない。この日本語はこういう時に使うのか、という再発見もあった。1ページにある分量が少ないものだから、どんどんページが進んで行く。読んで行くとどれくらい読み進んだかを%で表示してくれる。縦組みなので、伸ばす棒が片寄っていたり、ルビがずれていたりするのだが、これは愛嬌として許せる。1冊読み終わって、また読んでみようという気になった。
正直最初は馬鹿にしてかかっていた。味わいは本来の本にかなうはずもない。確かにかなわない。字面や行間からにじみ出てくる作家の世界を感じとるまでには至らない。しかし手軽であるし、ストーリーを追うという目的の作品で、本として自分の本棚に並べて取って置く必要がないなら、これで十分に思える。また紙媒体は常に何冊も持ち歩くことはできないし、重い本を持ち歩くのは辛いが、電子版なら作品を常に持ち歩いて、すぐにチェックすることができる。鞄も重くならない。利点はこれからどんどん増えてきそうだ。
その利点を一番感じるのは聖書である。マサイの端末は新改訳が取り込めないので、口語訳を入れておいた。長年使っている聖書は旧約を読みたいと思っても、電車の中で読むには厚いし、毎日持ち歩くのに重いしで、いつも残念に思っていた。新改訳聖書を4分冊にした文庫版も出たのでこれも有難く思っていたが、最近腰を又痛めたので、出来れば通勤鞄は重くない方が良い。より軽くなるのはもっと有難い。それで電子版は便利に使えている。紙の聖書はなくてならないものだが、常に携帯できる聖書はより御言葉に接する機会を増やしてくれる。
ヨシュア記 1章8節
この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
3月11日にあった東日本大震災で被害に合われた方にお見舞いを申し上げます。また復興に全力を挙げている方、関係各位のために感謝と敬意を表します。皆さまのため主の人知を超えた計りしれない力が働くように日々お祈りをしています。
何故この地方が、何故今?という疑問が沸いてくると思います。マサイは震源地から随分離れた東京都心にいましたが、あの瞬間の、あの夜の光景は忘れることができません。それはかつて経験したことのないものでした。まず真っ先に家族の安否を確認し、家族に会いたいという気持ちで夜の道を歩き続けました。
この月刊マサイは何度も書きかけたのですが、何を書いても被害に合われた方に失礼にあたるように思えて、随分悩みました。しかしへりくだって書くことを許してもらうということを考えました。
失礼をお許し頂く事をお願いして、その2日前にあった卒業式の事を書かせて頂きます。
3月9日水曜日、息子の卒業式に行って来た。3年前、越境してこの中学に入った時の事情は99号で書いた。中学での3年間は、時の過ぎるスピードが速かった。入学のお願いにあちこち回った時が遠い昔の事のようだ。
カレンダーに卒業式の予定を書き込んだ時は随分先の事だと思っていたが、あっという間にその日になった。卒業生は少し遅く登校する。出がけに玄関前で写真を撮り、いつも通りに見送る。山越え片道約2.7kmの道のりだが、毎日よく通ってくれた。
良い天気になった。父兄の会場入りは9時15分受付開始なので、一番乗りかと思って行ったら、皆随分早くから来ている。全校生徒と来賓、父兄で体育館はいっぱいになった。
入学式当日は、ほとんど知り合いもいない状況だったが、以来3年、卒業式の日に「この中学に来て本当に良かった」と思える事に感謝する。素晴らしい3年間だった。良い先生と、良い仲間に恵まれた。念願であった全中へも福岡大会と、広島大会の2回行かれた。応援団長もやった。大きな怪我や病気もしなかった。
そんな事を一つ一つ思い出しながら卒業証書授与を見ていた。このセレモニーは本人より親にとって感動的なものだ。息子が登壇して、名前を呼ばれて、卒業証書を貰って、こちらに向かって振り向くところをビデオで撮りながら見ていたが、目の奥から熱いものが込み上げて来た。又一つ息子は成長して行く。良かったね、本当に良かった。この日が無事に迎えられたことを感謝する。
校長先生の話は分かりやすくて良かった。「義務教育がこれで終わります」と言われて驚いた。そのことについては今まで考えたこともなかった。改めて義務教育9年間の終わりの意味を考える。義務教育という事を特に意識したこともなかったので、高校も当たり前だと思っていた。しかし実は当たり前なのはこの中学3年までであって、これから先は自分達で選んだ道を行く事になるのだ。そのための高校受験でもあった。自分の意志を指針として進むことには、責任が伴う。今までのような訳にはいかない。明日からそれは始まる。しっかり歩んで行ってほしい。
卒業生代表の言葉の中で、今日の日を、「じゃあね」と別れた後はもう2度と同じ教室で皆に会うこともない、とその寂しさを表現していた。在校生代表の送る言葉にも泣かされた。卒業生の合唱、全校生徒合唱も感動的だった。
今日は何か大きなものの庇護下から押し出されて飛び立って行く日。先生達も無事に広い世界へ送り出せたことを喜んでいるようだ。卒業生退出の時には、先導する先生に送る言葉として、卒業生が先生に声をかける。いくつかの御礼の言葉の最後は、「○○先生、3年全員、大好きです!有難うございました」と声が合わさって大きくなる。先生が下顎を震わせながら涙をこらえて歩いてくる。
こちらも目を大きく開いて涙をこらえる。先生有難う。先生がいてくれてよかった。安心して通わせられました、と御礼を言いたい先生は沢山いる。泣いているのは先生ばかりではなく、生徒も泣いている。感動的な退出の演出だ。先生方本当にお世話になりました。有難うございました。皆さんに出会えて良かったです。そんな環境を備えて下さった素晴らしい主に感謝します。
コリント人への手紙第二 9章15節
ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
ヨハネの手紙第一 4章7節
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
我家の受験シーズンが終わった。1月号にも書いたが、我が息子は高校受験生。出願の日は中学で推薦状を貰ってそのまま志望校へ提出に行ったので、付いて行かれなかった。入試当日は、息子に最寄りの駅まで車で送ってくれればいいと言われていたのを、電車が不通になった時には学校までの道を確保する必要がある、と必死に説得をして、学校の有る駅まで一緒に行くことをやっと許してもらった。細君が呆れて聞いている。
当日朝は幸い良い天気で、事故もダイヤ乱れもなく(山手線は事故で不通だった)、学校のある駅まで無事に着いた。改札口で見送る。さすがに大学受験ではこんなことをさせてもらえないだろうから、これが最後かと後姿を見送る。
息子の入試結果は、速達で郵送されてくることになっていたので、試験翌日は半日ただひたすら待っていた。細君は朝から何も手につかない。マサイは5階まで配達してくれると分かっていながらも、下のポストを1時間おきに確認に行ったり、ベランダから下を見下ろしたりしていた。
昼過ぎてやっと玄関のチャイムが鳴り、印鑑を持って走り出た。細君に急き立てられながら封を切る。中から「合格通知書」が出て来た。主よ、感謝します。
息子が小学校に入学する年から、小学校は土曜日が完全に休みになった。「ゆとり教育」の始まりである。結局小・中学校の9年間、土曜日授業はなかった。小学校に入学する前の年までは、隔週で学校があったらしい。我々の時代は高校まで土曜日は半ドンであった。朝登校するのは変わらないが、3~4時間の授業を終えて昼には帰ってこられるのが嬉しい日であった。
しかし息子が中学を卒業しようとする今、学習指導要領も「ゆとり」から「脱ゆとり」へ、という動きでいろいろな改革案が出てきた。「ゆとり」時代は、台形の面積の求め方が教科書から消えたり、円周率は3で良いとか、教科書も薄くとか、さまざまな試行錯誤の時代であった。
しかし国際社会の中において、日本の学習到達度が近隣諸国より下がってきた。その後に発表された学力重視傾向の新学習指導要領は、元の学習内容に近いものに戻るような印象を受けた。となると、この年代だけ教育を受ける量が少なかった、という状態になる。とんでもないことだが、その期間小・中学校にいた子どもたちは、大人になっても
「ゆとり世代」とひと括りにされて、差別を受けることになりそうだ。
高校入試制度もしかり。マサイの頃は、高校入試は2月末、5教科試験の得点で合否が決った。余程補欠募集というのがない限りは、1校は1回しか受けられないし、公立高校は一発勝負だった。それが気付かないうちに前期選抜と後期選抜という制度が出来、公立高校入試は2回チャレンジできるようになっていた。息子が受けるにあたって、やっとその仕組みが理解出来たと思ったら、2013年度からは公立高校の入試制度が変わるという。今度は前期・後期の分けがなくなり、全員が5教科の試験(学力検査)と、面接、作文を受ける、このため入試も2日間にわたる、という方向へ向っているらしい。
本当に最良の入試方式を模索しているのか、たまたまその責任者のポストについた人間が、自分の実績を残したいがための変革か、よく分からないところがある。やってみたけど、やっぱりだめだったからやめよう、ではすまない。被害者となるのは子どもたちである。
教育は国民の三大義務の一つである。一生を左右するような学習の基礎を学ぶ時の指導要領の根本がそう変わってばかりではとても困る。いつの時代になっても、いつでも同じものが、同じ条件で受けられるというのが、マサイの希望である。
伝道者の書
3章14節 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
申命記
4章2節 私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、【主】の命令を、守らなければならない。
28才の時初めて海外旅行へ行った。旅先はエジプト。お盆の次の週出発で、8日間のツアーだった。南周りで成田からマニラ、バンコクを経由して、23時間半の長旅。マサイは昔からエジプトの古代文明に興味がある。その古代遺跡をいつかは自分の目で見たいとずっと思っていた。そのためにいろいろな本を読んで、行くに当たってはカメラを買い換え、現地で不自由がないように英語も夜学に通って勉強した。ツアーで行くのに何をそんなに構えなくても、と今なら考えるところだが、何せ初めての海外旅行なので、希望が膨らんでいた。
カイロまでは遠かった。しかし飛行機に乗るのも初めてなので、苦痛に感じなかった。早朝真っ暗なうちに着いた。市内にバスで出ると、車が多い。クラクションを構わず鳴らしながら走っているのでやかましい。交通ルールはあってないように見えた。派手な明るい色が見当たらず、町全体が茶色の印象だった。これが初めて見た外国の風景だ。
憧れのピラミッドは、入りたかったクフ王のものに入れず、カフラー王のピラミッドの中に入った。この神秘的で、壮大な建造物が完成したばかりの時はどれほどすごかったのだろう。往時に思いをはせる。すぐ側にあるスフィンクスは何を見ていたのか。顔を同じ方向へ向けてみると、思ったより近いところに民家があった。この周辺地域の都市化による環境変化が原因で、スフィンクスの首が落ちるかもしれない、と22年前から言われていた。
カイロから空路でアスワンへ。そこからアブシンベルへ。これも憧れだったアブシンベル大神殿を見る。ラムセス2世が建てさせたものを、アスワンハイダム建設による水没の危機から救い出してここに移した。ラムセス2世はモーセと同時代を生きたエジプトの王様だ。この見事な巨大遺跡を前に、古代史の中に自分が入っているような感動があった。しかし暑さには閉口した。空気がゆがんで感じるほどの暑さだった。日陰ではしのげるのだが、頭のすぐ真上で太陽が照りつけているようだった。
そこからルクソールへ。ここは古都テーベ。カルナック神殿とルクソール神殿を見る。どの建造物も、はるかに昔に作られたものだ。しかしここでは現在文明と共存している。時間が止まっている部分があるのかもしれない。対岸の王家の谷ではツタンカーメン王の墓などを見る。この西岸は、より茶色い印象であった。
観光収入が多い国であろうに、治安には不安がある。西岸に有るハトシェプスト女王葬祭殿ではその後観光客を巻こんだ乱射事件があった。現地を見てきたから、逃げようのない場所での無差別テロがいかに凄惨を極めたかが良く分かる。決して安全な国ではないのだ。
ルクソールからはナイル川に沿って寝台列車でカイロまで戻ってきた。文明とは縁遠いような光景が続いていた。この国は、本当に時が止まってしまっているのではないか、と疑うほどだった。
エジプトは旧約聖書にたくさん登場する国である。アブラハムは飢饉の時にエジプトへ下って行った。ヨセフはこの国で総理大臣のような役割を果たしていたし、ヤコブもすべての子孫と一緒にエジプトへ行った。モーセもこの地で若い頃を過ごしている。イスラエル人はエジプトに430年滞在していた。イエス様もヘロデの手から逃れるために父母と一緒にエジプトへ行った。聖書を読んでいるとよく出てくる国である。
初めての海外旅行で、見るもの聞くもの全てが面白かった。特に気を引かれたのは、街の店の中に大統領の写真が飾ってあったことだ。ムバラク大統領の写真だった。1981年サダト大統領の暗殺後大統領に就任したというから、この時で就任7年後。写真といっても遠くから見て分かったくらいだから、それなりの大きさだった。フレームに入っているのもあったし、そのままを壁に止めているのもあった。宗教画か、信仰の対象のような印象だった。大統領の写真を飾るというのを珍しく感じたが、それをあちこちで見かけた。日本で総理大臣の写真を飾っている店は見たことがないので、余程人気があるのだろうと思っていた。
そんな大統領をめぐって、今反政府デモの規模が日に日に大きくなってきている。100万人規模のデモがあったのは、カイロで泊まったホテルのすぐ側だ。政治や情勢の事は分からないので、今新聞をにぎわしている事については何もいえない。新聞を読みながらも、古代遺跡を中心にしたテーマパーク的なイメージしか持っていなければ、認識は随分ずれてしまう。好きな国とはいえ、興味があるのは新王国時代までのことだ。その時代からもう3,000年以上たっている。日本の歴史より前のことだ。
ただ発掘品略奪などのニュースを聞くと、とても悲しい。貴重な人類の文化遺産だ。あれほどの素晴らしい古代遺産を抱えていながら、それが破壊されかねない危機的状況にある事を憂える。細君を連れてもう一度行ってみたいと思っていたのだが、行くまでにスフィンクスの首はついていてほしいし、遺跡も博物館も破壊されずに残っていて欲しい。
箴言17章1節
一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
エペソ人への手紙 2章14節
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
高校入試直前の息子が中学校で面接試験の準備をしている。予想される面接官の質問に対して、答えをあらかじめ用意をしておいた方が良いと、学校が練習の場を設けてくれている。
担任以外の色々な先生が面接官になって、模擬面接試験をし、受け答えについて、評定と、感想を書いて返してくれる。質問に対しては「はっきり、的確に」とは分かりやすいアドバイスだ。想定問答を暗記して、スラスラ答えられる方が不自然なようだが、そうは思わないらしい。あらかじめ作ったものはどうもうそくさい。
マサイも高校の入学試験で面接があったが、中学校での予行練習などはなかった。当日は先生2人対志願者1人。何を聞かれたのかほとんど覚えていない。この学校の印象は?家から学校までどうやって通って、どれくらいかかるかなど、あまり難しいことは聞かれなかったような気がする。受験者がいくつかの教室に分かれて順番を待つのだが、その教室の中では一番最後の順番、2040番だったということだけは覚えている。なかなか順番が回ってこなかったし、いざ始まった頃には教師はもういい加減飽きてきていたようだった。
準備はまず用紙に記入してみることから始まる。志望動機、自己PRなどを書いた先輩の模範記入例を貰って来た。学校で指導されている表現なのだろう、「貴校は~」で皆の文章が始まっているのが滑稽であった。志望動機欄では、高校をほめすぎ。いくら入りたいからと言って、おだててどうするんだという印象だった。
面接準備の用紙には。自己PRとして自分の長所と短所を書く欄がある。長所と短所は物事の表裏であると、教わったことがある。長所は短所という言葉もある。長所を書くのは書きやすいだろうが、短所は自分ではなかなか表現しにくい。その場合は長所を引用して裏返すと短所が書ける。息子もその手を使ってうまく自分の長所と短所を表現していた。
10分という限られた時間の中で、面接官は何を見るのだろう。マサイも面接官をしたことがあるが、入社試験のものであって、入学試験となるとまた違うのだろう。マサイが面接官なら、受け答えが元気良くしっかり出来れば、それで合格だと思うのだが、そうなると引っ込み思案の子はどうなるのだろう。筆記試験は出来ても自己表現が苦手な生徒はどう見てやれば良いのか。それを引き出すのが面接官の力量か。意外とちょっと喋ってみれば、すぐに分かることなのかもしれない。一度やってみたいと思う。
マサイが面接官になって聞いてみたいのは、「今までで一番感動したことは?または感動した瞬間について」ということ。この生徒は一体何に対して感動するのか。何かをやりとげた達成感を話すかもしれない。ほんの小さなことにも感動する優しい性格なのかもしれない。この質問は思考の深さ、広さを測れる。またそれをどんな言葉を使って表現するのかも評価の対象にできる。感動は人を大きくする。それを聞くのも楽しいものだ。
そんなに意地悪な質問はしてこないだろう。緊張のあまりしどろもどろになってしまってはどうしようもないが、出来れば先生と準備した優等生回答ではなく、自分の思うままに、自分の言葉で語ってほしい。ほとんどがもう15才。それが出来る年頃だ。大切なのは「私は、私が」を主語にして語ること。生き生きと語れば、自ずと合格は近付いてくる。マサイは、この春皆が志望校に合格できるように祈っています。
ローマ人への手紙
8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
両親とメールのやり取りをするようになった、ということは以前書いた。父は息子の他にはアドレスを教えていないので、マサイか細君からしかメールは行かない。というのに、毎日何回もメール受信をチェックしているというので、こちらも怠けずにメールを送っている。度重なると書く事がなくなるので、内容は他愛のない短いものになる。しかし親子の間が近くなったと、母も喜んでくれている。
そんなふうだから、普段なら送ったメールにはすぐに返事が来る。しかし3通送って返事がないと、何かあったのではないかと心配してしまう。電話をしようかと思っていたところにやっと返事が来た。
11月2日、医者に行ってきた後にメールを書いたらしい。父は4年前に右内頚動脈閉塞が見つかっている。右の頸動脈が詰まって血液が流れていない。これは趣味のゴルフを続けたさに、気楽に頭のMRI検査を受けた結果分かったものだ。
今回も他はどこも悪くないということだったが、「念のために」と受けた検査でとんでもないことが分かってしまった。
最近、朝食後に決って軽い胸苦しさに悩まされていたらしい。かかりつけのドクターの診断は、持病の逆流性食道炎の影響。ということで、胃酸抑制の投薬を飲み続けて来た。念のため5月には胃、食道の内視鏡検査をしたが、異常は見つからなかった。
「胃部の異常は心臓への赤信号」と言うので、10月の中頃、近所に開業した循環器科医院の医師に診てもらった。聴診器で聴く心音は綺麗、心電図は正常、採血検査の心臓部の数値も異常なし。しかし若手の医師は感じるものがあったのか、「頚動脈閉塞がある人は、他に異常があるかも?」と精密検査を勧め、総合病院に紹介状を書いてくれた。
10月18日に頭、首のMRI、21日に肺、心臓のCTと検査し、29日に検査結果を聞きに行くと、「動脈硬化が極度に進み、冠動脈の2箇所が細く、詰まりかけている。心筋梗塞を防ぐ手当てが必要」という診断。「異常なし」という診断の後だったので、このCT検査の結果で奈落の底に突き落とされたような思いがしたという。心配する医師は即座に大学病院にさらなるカテーテル検査の要請をしてくれた。
帰宅後、気分が治まったところで良く考えてみたらしい。心臓病のカテーテル手術ならC総合病院の院長が名医。カテーテルの治療で世界一を誇る、と週刊誌にインタビュー記事が載るほどだ。大学病院よりこの世界の名医に賭けてみようと、11月2日、父は一人で、埼玉から千葉まで出掛けた。一時間半待ちでコーディネーターに会い、院長への受診方法などを聞いた。そして医師が持つデータに紹介状を添えて、来週月曜日に初診に行く予定を入れてきた。月曜しか院長の初診がない。日本国中から患者が集まってくるので、心臓病センターは「門前列を成す」の状況だという。なので、朝8時受付で最後の人は夜20時頃までかかるかもしれないと聞いてきた。名医への受診は大変らしい。
という状態であったので、メールもご無沙汰したという。いきなりこのメールを読まされた方は驚いた。心臓の血管が詰まるとは一大事だ。内容は深刻だが、本人はいたって元気なようで、なるようになるさという心境らしい。すぐに電話をしたが、声は元気そうだった。母に「孫が高校、大学、結婚と進むまで頑張って」とハッパをかけられたという。親子3人で祈る。父のために、病院のために、担当医のために、病院のスタッフのために祈った。
11月8日 父は一人で病院へ。午前中に7つの検査を行い、午後一番の院長の診察で、即座にカテーテル検査が明日と決まる。夜までかかることを覚悟して行ったようだが、早く済んだ。「心配なく、治してみせます。正月までには元気になっています」というメールが来た。
11月9日 マサイも会社を休んで早目に家を出る。心臓回りの血管の手術というと大事だが、家で妻子と3人で祈ってから出発したので、何の心配もない。病院で待ち合わせて、両親と一緒に入院の手続きをする。夕方、造影剤を入れてカテーテル検査。この検査の結果分かったことは、右内頚動脈が詰まっているが、左から回り込んでいるのがあるから、ここは触らない、というより、触ってはだめ。 心臓に3本ある冠動脈のうち、左・右はOKだが、真ん中が2か所詰まっている。90%詰まっているところと、75%詰まっているところの2か所。
治療にはカテーテル治療が必要。 写真を見せてもらったが、血管が2箇所でくびれている。そうでないところも多少、血管の幅が狭くなっているのか、弱弱しく見える。
詰まっているところが堅くなっている場合は、必要応じてローターブレーターというドリル(高速回転式アテレクトミー、石よりも固いダイヤモンドドリル)で砕くという。心臓と血管の模型で分かりやすく説明をしてくれた。
父は昔から悪玉コレステロール値が高い。素人のマサイは血管の中に脂肪がたまって流れを細くしていると思っているので、試験管ブラシのようなもので、煙突掃除なみにやると、ほらすっきりと、安易に思っていた。しかし石のように硬くなっているという。だからドリルが必要なようだ。敏感な血管の中でそんな物騒なものを、と心配になる。
今日の検査は機器を手首から入れたが、手首からでは細いドリルしか入らないので、手術では足の付け根から入れるという説明。 ドリルで砕いただけ、フーセンで膨らませただけでは再び血管が細くなる可能性がある。そこで薬を塗ったステント(金属の筒)を入れる(ステント留置術)という。 手術は、明日夜に決まる。日程が開かずにとんとんと進めてくれるのは、とても有難い。
母親を実家に送って行く。ひざが悪いので、歩くのがやっとだというのに、帰宅ラッシュの時間に重なってしまった。守ってあげるのが大変。
11月10日(水) 手術時間が夜になるというが、夜というだけで何時になるか分からない。そんな時間に母親を一人で家から病院まで行かせるのは心配なので、家にいてもらうことにして、会社を早退して病院へ。
祈っているので、今日も心配はない。その代わり、病院に一人でいるのもかわいそうなので、そばについていてやりたいという、今までに思ったこともないようなことを考える。途中、3番目の手術だから18~19時には家の人に病院に来てもらって欲しいと言われたと電話が入る。のんびり夕食を取って行こうと思っていたのだが、父親の飲み物だけ買って急いで病室へ。ところがここからが長い、カーテンで仕切られた狭い空間に2人で2時間以上待っていた。
やっと呼ばれた。手術室に入っていたのは、19時55分から約2時間。祈りながら待つ。 途中20時5分、院長が出てきて「今、ドリルで砕き終わったので、これからステントを入れます」と説明してくれた。削る方が大変なようだ。でも、もう大丈夫ですよ、というような表情だった。
手術後、ベッドに横になった父の姿を見たが、ほっとした安堵の表情で、顔が和らいでいた。良い顔をしていたので安心する。
先生の説明を術中の動画を見ながら受ける。ドリルは一進一退を繰り返すが、確実に奥へ、奥へと進んでいる。医療技術の進歩に驚く。途中横から院長が、「ドリルを2本使いました」と説明してくれた。
ドリルで血管内の詰まりを粉砕した後、フーセンで血管を広げ、ステントを3本順番に入れて行った。 ステントは所定の場所に行くと、ぱっと広がって、血管の口径を太く保ってくれている。手前から入れて行った。 広がった血管に血液が流れて、今までより太く、しっかりと見える。あの弱々しかった血管とは別物のようだ。
明日止血の状態が良ければ、明後日には退院できるという。
11月11日 会社が終わった後見舞いに行くと、父は元気そうにしていた。点滴もとれて、明日には退院できるという。夜眠れないので、早く家に帰りたがっていた。周りに入院患者がいるために、あまり良かったね、良かったねと大声で話し続けるわけにもいかず、30分で引き上げてきた。あっという間の3日間だった、そのスピーディな処置には感謝するばかり。スタッフも皆良い人たちだった。
父親と二人きりで、色々話したり、一緒に時を過ごしたりしたのは、この3日間が今までの人生で一番長かったかもしれない。話題は孫のことだが、普通に話をしていた。父親も一緒にいてあげると安心なようだった。78才の老人を50才の初老が面倒を見ている。
2時間の大変な大手術だったが、これでいきなり血管が爆発するというような心配がなくなって安心した。もう立派な血管に血がしっかりと流れている。血管がよみがえったのだから、長生きしてくれそうである。
父は退院してしばらくは、疲れたか寝て過ごしていた。その後、外出せず、早寝早起きの毎日だという。今回の経過を記録に残そうと、闘病記を入力しているしい。親子で似たようなことが大好きなのだ。
17日には、昨日から心臓に全く異常がなく、体がステントという異物を快く受け入れてくれたようだ。徐々に運動不足を補っていくつもり、というメールが来た。
主よ、感謝します。患部の治癒はもとより、父とゆっくり時間を過ごせたということも感謝な3日間だった。
エペソ人への手紙
3章17節 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3章18節 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3章19節 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
3章20節 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
3章21節 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。
細君と我が母校(高校)の学校説明会へ行って来た。土曜日だったが、肝心の息子は、中学校で文化活動発表会があるので、二人で行く。
何で親だけでと言われるかもしれないが、息子を通わせたいから聞きに行くのではなくて、こういう機会でないと懐かしい母校の中には入れないし、細君にマサイの母校、出来れば3年間過ごした教室を見せてあげたかった、というのが一番の理由である。
マサイはここで初めて教科書と一緒に聖書と讃美歌集を買った。週2回、チャペルで讃美歌を歌って聖書の話を聞いた。授業では週1回、聖書の時間があった。全く素地のない心に、ここで初めて御言葉が撒かれたわけだ。
土曜日の午後の説明会にはたくさんの親子が来ていた。この学校は、教育方針に聖書にある「自分を愛するように隣り人を愛せよ」を掲げている。イエス様の口から出た大切な教えだ。校長の説明によると「明るく学ぶ」校風だという。校則は厳しくなく、生徒の人格を重んじる。学校紹介のビデオで、生徒達が語るこの学校の特色は、「自由」ということだが、その「自由」とは、「自分の勝手気まま」の主張ではなく、「隣り人の自由」を尊重し、思いやることを基本とする自由だという。
昔から(大学)受験、受験という校風ではない。学校生活では、勉強も、部活も、委員会活動も思い切り楽しめて、充実した三年間を送れる、という説明だった。合唱コンクールや、クラス別に出かける校外ホームルームの楽しそうな映像が紹介される。他の学校のように能力習熟度別のクラスは設けない、文系・理系によるクラス分けもしない、スポーツ推薦もなし、皆同じ条件である。校長曰く、「愚直に」過去からの伝統を守っている。
他の学校の説明会では、大学進学の実績をあげ、校則の厳しさや規律を重んじる、という説明をまず聞かされる。聞いていて、学校は教育の場ではなく、経営していくものなのだな、という印象を持たされた。しかしこの学校にはそんな印象はない。この校長が言った「愚直に」という言葉が全て表わしているのだろう。時流にはとらわれない。学校の雰囲気は明るくて楽しそうだし、すれ違う生徒は気持ちの良い後輩ばかりで安心する。
キリスト教精神に基づいて、週に2回の礼拝と聖書の授業がある、という説明を保護者は頷いて聞いている。子どもにキリスト教教育を受けさせることには大賛成なようだ。親はキリスト教教育を望んでいるのだ。35年前、この学校はマサイが選んだのではない。親が選んだわけだが、クリスチャンでない我が親もクリスチャン教育は良いものと認めていたのだろう。学校紹介のビデオの中でも、生徒たちがこのクリスチャン教育を、良いものと紹介していた。
1時間説明を聞いた後、高校の校舎見学へ。校舎のあったところが取り壊されて、跡地が一段低くなって人工芝のグラウンドになっている。建て替わったり、継ぎ足しで校舎が増えたりしていたのだが、我々の学んだ教室がある建物はそのまま残っていた。これを見てほっとする。
ここへ初めて来てからもう35年になる。何はさておき、まずは見学順路から外れて、3年間過ごした地下の教室へ。正面から見ると地下だが、裏から見ると1階になっている。え、行って良いのという細君を引き連れて、こっち、こっちと勝手知ったる校舎内を行くと、その教室は変わらずにあった。
上のフロアは教室が6つしかなく、7クラス目のG組は隔離されたような地下にあった。そのG組も我々の学年と、一つ上の学年しかなかった。2クラスだけ別個にあったわけだ。 男ばかり50人のクラスで、3年間クラス替えもなく、ここで入学から卒業まで過ごしたのだよと、細君に説明をする。
目の前にあった購買部は閉鎖されたて塗り固められ、音楽室はジムに、LL教室は別なものになっていたが、一番奥の美術室は変わっていなかった。何より15~17才まで過ごした教室が未だに残っていてくれたのには感動する。自分の高校時代がそのままそこに残っていてくれたような嬉しい思いだった。ここは息子にも見せてやりたかった。
順路に戻って校舎内を見学する。昔は男子校で、学ランだった。それが制服もブレザーになっている。女の子が一緒にいる環境は全く別な学校なようだが、楽しそうな雰囲気はうかがえる。体育館、剣道場、柔道場、室内8コースのプール、食堂と見て回る。施設の充実度、明るく綺麗な雰囲気は、私立ならでは。良い環境である。
最後に1年生の時の担任、K先生はいますか、と立っていた校長に聞いてみると、自ら案内をしてくれた。日直だからいるはずだというので、校内放送をかけて呼び出してもらった。体育の先生だからというわけではないが、走って来てくれた。
挨拶すると、覚えていてくれた。「覚えてるよ」と言ってくれた言葉はとても嬉しかった。マサイの1年の時のクラスは、確か先生が初めて担任として持ったクラスだったはずである。帰ってくる場所がある、また迎えてくれる先生がいるというのはとても嬉しい。教員の異動がある学校ではこうはいかない。しかし先生も来年定年だという。今年会えてよかった。もう他には教えてもらった先生は残っていない。校長ですら、我々が2年生の時にこの学校へやってきたくらいの人だ。
生徒の自主性に任せて見守るという校風だからか、生徒たちには裏表がないと校長はいう。校門を出て豹変するのではなく、最初から同じなんですよ、と実に嬉しそうに話してくれた。
楽しい学校説明会になった。行って良かった。長い時を経た後でも、良い学校に通っていたんだなと思えて嬉しくなった。ここで撒かれた御言葉の種が、マサイは13年後に実ったわけだが、毎年若い心に撒かれている御言葉の種が、主の御計画に従って、必ずたくさんの花を見事に咲かせるようにと願っている。
マタイの福音書
13章8節 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
22章37節 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38節 これがたいせつな第一の戒めです。
39節 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
英語の授業中、やることを早々に終えてしまったので、じゃあ家紋を描こうということになったのだが、うちの家紋は何だっけ?と息子が言う。まず、どうして英語の時間に?と思ったが、これが夕食時の楽しい話題になった。
家紋はどこの家にもあるものらしい。特に日本でずいぶん昔から家系、血統、家柄などのシンボルとして用いられてきた性格のものだ。日本だけで241種類、5,116以上の家紋があるらしい。
家紋は「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。(ウィキペディアより)
インターネットで調べてみると、名字で検索できる。鈴木姓だけでも鈴そのものが図案化されていたり、鈴なりに稔った稲穂を図案化したものであったりいろいろある。紋どころと言えば、ドラマでおなじみの水戸黄門の葵の御紋のように、それだけで別格を象徴できるものもある。
葬式の時に着る黒紋付などでしかお目にかからないので、もっと宗教色が強いものかと思っていたが、そうではないらしい。マサイも昔学校の宿題で調べたか、自分で聞いたかしたことがあったので、うろ覚えには家紋の名前を覚えていたが、この機会にと実家に問い合わせてみる。
早速父より返答メールが来る。母が家紋入りの着物を出して確認してくれたらしい。
マサイ家は「丸に違い鷹の羽」、つまり丸の中に2枚の鷹の羽が“ぶっちがえ”の図。交差した羽は、前の方は右上から左下へ、後は左上から右下への図。母の実家は「下がり藤」、藤の花が下にさがっている図。
調べたことを一生懸命送信しようとしてくれたらしい、
「送信しようとしたとたん、A から あ に変えてもひらがな入力ができなくなり、あわててリモートサポートサービスに助けを願い、2時間がかりで送信完了。良い勉強になりました。パソコンと長時間取り組んだのも久しぶりでした」
有難いものだ。一生懸命教えてくれたことに感謝する。
調べた家紋からその由来、ルーツを逆に探ってみたが、全く別の名字に行き当たった。各名字共通というものではないらしい。
これを知ったからといって、これから自分のマークにして使って行くということはない。ただこういう日本人としての出自の記憶は、次世代につなげていかないとやがては風化してしまう。残念ながら細君の実家はもう知っている人がいないので分からない。今回の息子の質問は、調べて伝えて行く良い機会になった。
しかし今の我々の家紋は十字架である。これは世界中で共通の立派な家紋で、これを背負っていると思うだけで安心出来る。こちらこそ確実に次世代に伝えて行かなければいけないものである。
詩篇 24編6節
これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。 セラ
エペソ人への手紙 2章19節
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
暑い。いつまで続くのだろう。さすがの蝉も啼き疲れてしまうような暑さだ。通勤でもわずかの日陰を探して歩く。去年はベランダに作ったゴーヤの緑のカーテンが、家の中の暑さをしのいでくれた。しかし今年はそれでもしのぎ切れない。暑いのが好きなマサイだが、さすがに今年は閉口している。
最高気温が35度以上の猛暑日を記録したのは東京都心で12日。1995年に記録した計13日の過去最高に迫っている、と新聞に載っていた。明日にでもその記録を更新しそうだが、15年間破られなかった記録の年は、息子が生まれた年だ。確かに暑かったことは記憶している。10月1日生まれなので、細君はその暑い8月を大きなお腹で頑張って乗り切ってくれた。
暑かった記憶はあるが実感としては残っていないので、どれくらい暑かったかの記憶はない。しかし今年の暑さはしばらく記憶に残りそうだ。新記録を達成しそうな今年の暑い夏の中でも一番暑い思いをしたのは、印象的な建物の前だった。
8月に息子の全国中学校水泳競技大会の応援で広島へ行って来た。早目に出番が終わった日に、細君と原爆ドームを見に行った。この建物はニュース映像や写真でなら何度も見たことがあるが、現物を見るのは初めて。午後の強い日が容赦なく照りつけていた。
昭和20年8月6日8時15分、世界で初めて投下された原子爆弾がこの町の600m上空で炸裂した。取り返しのつかない史実。それが目の前にある。見て驚いた。建物が何かを発している。叫んでいるようだ。それは悲痛な叫びだった。叫びが炎のように燃え上がっている。この建物から放たれているとてつもなく強いエネルギーに圧倒された。
見ていて悲しかった。体の内側から震えが這い上って来た。一刻も早くこの場を離れたいという思いと、このままここでずっとこの建物が発する叫びに向き合っていたいという相反する思いにとらわれていた。瓦礫とむき出しになった鉄骨。中身は何もない。いや中には一瞬にして奪われた昭和20年8月6日8時15分という時が存在していた。
たくさんの人が訪れていたのだが、建物をバックにピースサインをしてにこやかに写真を撮っている若い輩を無神経なことをと憤りを感じた。
翌日には広島駅前から被爆した市電に乗ることができた。被害者たちを勇気づけるために3日後には運行を再開し、今もなお現役で走り続けている。車内は昔懐かしい作りだったが、この市電も乗っている間中語りかけてきた。市電が持っている記憶を乗客に伝えているのだろう。どんなことがあったのか、永遠に語り続けてくれる。
午後にまた平和公園を歩いてみた。暑い日盛りの日が何もかもを白っぽく見せていた。音すらも呑み込んでしまったようで、静かだが重い日差しだった。ここでこんなに強烈な印象を受けるとは思ってもみなかった。
平和ということ真剣に考えざるを得ない。全国から集まって来たアスリート中学生たちが競技後に原爆ドームを見、平和祈念資料館に入って行った。それだけでも広島で全国大会をやった意味があったのではないかと考えた。最高の暑さとともに頭の中に焼き付けられた広島の記憶は、暑かろうが寒かろうが頭の中から決して消えることはない。
テサロニケ人への手紙第二 3章16節
どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。
ローマ人への手紙 15章13節
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
長かった、実に長かったというのが正直な気持ち。ずっと緊張の糸が緩むことはなかった。息子の問題なのに何で親がと言われそうだ。中学の父母会ではよく「子どもの人生だから」と切り離すような言い方をする親がいるが、そんなことは一度も考えたことがない。親子一体でこの目標に向って来た。もちろん立ち向かうのは息子なのだが、親も体調管理のサポートから、祈りのサポートまで、万全な環境を作り上げることに力を注いで来た。イエス様も含めたチームとして一丸となって戦って来た。
理解してくれる人は少ないかもしれない。分からない話で申し訳ない。息子が一生懸命になって乗り越えて勝ち取ったものはとても大きい。それを親子3人で喜んでいる。主に祈り、主に守られ、恵まれた瞬間だった。それは通過点に過ぎないのかもしれないが、大きな達成感と、乗り越えた後に見ることが出来る別世界があった。
8月21~23日に全国中学校水泳競技大会がある。中学生スイマーが日本中から広島に集まってくる。去年は福岡であった。先輩にスーパーエースがいたので、フリーリレーとメドレーリレーの2種目で連れて行ってもらった。今年は最高学年、個人種目での出場も狙う。この大会のための参加標準タイムというのがあって、これを50mプールでの予選会で突破すると出られる。
今年度の初めに水着に関しての規則改定があった。3月のジュニアオリンピックまで着用可だったラバー素材のものは不可、丈も膝上でないといけない、というFINA(国際水泳連盟)の公式見解に従うことになって、折角の自己ベストタイムも水着を新たにして出しなおしということになった。
水着の効果ではなく、本人が頑張って出したタイムだと信じているが、なかなか新しい水着に慣れないのかタイムが戻らない。4.5月と随分苦労をした。照準はこの全中予選会に絞ってあるので良いのだが、それでも安心できる状態ではなかった。
7月後半はこの大会への予選会と、同じく8月に東京・辰巳であるジュニアオリンピックの予選会が続く。ジュニアオリンピックの参加標準タイムは3月末の同大会で切っているというのに、上記の理由からそれが認められない。この2つために春からずっと緊張していた。予選会へ向けてただ時がたつのを待つような日々。何も手につかないし、何もする気がしない。祈り続け、息子を信じると自分に言い聞かせてきたのだが、手放しで安心はできない。実はマサイはひと月くらい前から強い緊張状態にあった。何とか息子にこの緊張を悟られないように、うつさないように装ってきたが、細君も緊張しているのが分かる。ため息が多くなっている。大会前日の夜は眠れなかった。
全国中学校水泳競技大会への出場をかけた予選会は7月21.22日。今までどんなに速く泳いできても、この日に参加標準記録を突破しないとこの全国大会には出られない。息子が狙う400m自由形はタイム決勝の一発勝負。他県は予選、決勝と2回泳げるのに対し、神奈川県は400m以上の競技のみ1回で決めないといけない。いやがおうにも緊張は高まる。
大会の朝、会場に息子を送り届けてほっとする。風邪を引かせずに、怪我もさせずにこの場に送って来られた、親の大切な役目を全うできた、という安心感があった。しかしスタンドに座って見ていても落ち着かないし、緊張はひどくなるばかり。のどはからから、息苦しい。ずーん、と頭が痛くなってきた。
初日の200m自由形は緊張しすぎた。体が思うように動いていない。予選も決勝も本来の泳ぎができなかった。400mメドレーリレーは参加標準タイムを切ったものの、釈然としない。頭の中をいろいろな思いが駆け巡る。今後のこと、進学のこと、などなど。このレースの重要性を一番知っている息子は自分を追い込んでいる。空気は実に重い。
一発勝負は怖い。今までこの学年を引っ張ってきたエース達が参加標準タイムに届かない。泳ぎ終わった後、プールサイドで茫然としている。一人ひとりにとってはとても大切なレース。数々のドラマが目の前で展開されていく。
目を閉じて主に祈る。その回数が増えてくる。目を開けると、隣で細君が祈っている。進学先についての本を読んでいた時に、大学生になったら運動部は寮生活をするケースが多いというのを読んだ。あと3年もしたら離れて暮らすことになるのか、と真剣に悩む。全く子離れ出来ない親だ。可愛い息子を手放したくないマサイは、それで少し腰が引けていた。しかし祈りの中で今の頑張りが将来息子を手放すことにつながっても、それが主の御心であり、息子の為であるならば、ご計画通りになさってください、と祈る。
2日目。息子の出番までの時間がとても長かった。酸欠なのか、貧血のような症状が出る。
得意の400m自由形の本番。ものすごい集中力を持ってスタート台から力いっぱい飛び込んで行った。レースの4分強、スタンドで水泳部員の力強い応援を背中に聞きながら、ビデオカメラの画面を通して息子を追っていた。攻めて諦めない良い泳ぎだった。最後のターンをした時にはもう絶対に大丈夫だと確信できた。そのままゴール。力強くタッチをして、すぐに電光掲示板を振り向いた。そのタイムを見て握りこぶしを突き上げる。主よ、感謝します。
この日のためにティム・ヒューバー牧師が送ってくれた聖句は…
イザヤ書
40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
標準記録を突破した時に実に良い笑顔を見せてくれた。本人が一番ほっとしたのだろう。息子はここで精神的にも大きなものを乗り越えた。自信もついたようだ。最後のフリーリレーも第一泳者として自信を持って泳いでいた。
個人種目1、リレー2種目での出場が決まって、息子はいろいろな人におめでとうと言ってもらえたと喜んでいた。皆に支えられ、守られ、勝てたということを実感しているという。息子には良い友達がたくさんいるようだ。
この日ばかりではなく、翌週のジュニアオリンピックカップ予選会でも、担当コーチばかりでなく、たくさんのコーチが泳いでいる間中応援してくれた。いろいろなところから声援がかかる。タイムが切れた後も皆が握手の手を差し伸べてくれた。きっと一番近くで手を振って力いっぱい応援してくれて、一番喜んでくれたのはイエス様だったに違いない。
応援してくれた皆に感謝。どんなにこの応援が嬉しかったことか。息子がたくさんの人に応援してもらっているのを見て涙が出てきた。長い長い緊張から解き放たれていく。こんなに緊張が長続きしてきたことは珍しい。髪の毛が真っ白になりそうだ。でも良かった。束の間のことかもしれないが、幸せを満喫している。これでゆっくり眠れる、と思っていたらその夜は興奮の余りまた眠れなかった。
詩篇
103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
息子のスイミングのコーチが異動になった。いきなりの話で驚いたが、クラブでの選手や研修生を集めた送別会は、お母さんたちも含めてたくさんの人が集まって賑やかなものになった。その場で選手の父兄と飲む機会を、とコーチに打診したところ、「折角だからお父さんたちとも一緒に飲みたい」という。細君が幹事を引き受けて、場を設定してくれた。
コーチの引っ越しが迫っていて日付や時間に余裕がなかったので、港北でのコーチ研修会を終えた後、日曜日の19時半からと遅い時間のスタートとなった。みんな忙しいので、残念ながらたくさんの参加というわけにはいかなかった。女性は細君だけで、後はお父さんたち5人。焼鳥屋さんでコーチを囲む。
普段雨の日の送迎や大会費用の支払いなどのついでにコーチに会う機会があるお母さんたちと違って、お父さんたちは大会の時くらいしか会う機会がない。コーチとゆっくり話がしたかったし、お父さん同士とも話がしたいと思っていたので、楽しみに行く。
普段は温厚そうなお父さんたち、泳ぎのことはコーチにまかせているようだが、決して無関心なわけではない。自分の子どもたちのタイムは確実に頭に入っているし、各種標準タイムは当然、他の子のタイムまで入っている人もいる。熱くそれを語るか、闘志を内に秘めるかの差はあるが、自分の(選手自身のではなく、あくまでも親の)目標設定は頭の中でできている。話を聞いていると、普段口には出さなくても、頭の中は子どものことでいっぱいらしい。
色々な話が出た。きっとお母さん方が同じシチュエーションで話す機会を持ったとしても全く別の内容になったことだろう。
話題は、脳科学について、心の問題について、水着の問題、どこまでの目標を持っているか、子どもとの対話、なぜこんなに底辺の広いスポーツなのにプロスポーツにならないのか、全中、インターハイ、国体の話、などなど。話は尽きない。「普段の練習は節度を持って見に行かないようにしている。本当は行きたいのだけど、子どもが来るなと言うので、そこは自分の子どもの考えを尊重して行かない」。うん、うんとうなずく。自分の子どもの話なので、みんな実に嬉しそうに話している。話す時の目がとても優しい。子どもが可愛くてしようがないのが良く分かる。
選手のお母さん方は、マネジャー兼栄養士兼パーソナルトレーナー兼運転手のようなものなので実に大変だ。一方お父さんたちの行動を見ていると、大会の時は早朝真っ暗なうちからの送迎に始まり、入場の順番待ちの列に長時間並び、開場後は席取り、試合が始まるとビデオ撮影。地味な役割であるが大切なところを担っている。
選手の顔は分からなくても、いつも大会で見かけるお父さん方の顔は覚えている。大会のたびに必ず一番前に並んでいるお父さん、立派な三脚の上にビデオを設置して控えにいる時から引き揚げていくまで取り続けているお父さん。子どもが泳いでいる時に、黙ってビデオを回し続けるお父さん、叫ばずにはいられないお父さん。
このお父さん達は子どもが選手としてのデビューする前から一番のファンだったに違いない。実に良いお父さん達だ。子どもたちのことを心から愛している。コーチもクラブであった送別会で選手たちに「君たちにどんなことがあってもお父さんとお母さんは君たちの味方だ」と言っていたのをみんなうなずいて聞いていたのを思い出す。
子どもたちもこんなに愛されて幸せだ。ここに集うお父さんの子どもたちは実に良い子に育っている。大きな目標に真剣に向き合っているので精神的にも強い。小さい頃から大きな大会に出てきているので、しっかりしている。個人競技のようでありながら、仲間内で高め合って、励まし合って辛い練習を乗り越えていっているので、いろいろなところに友達がたくさんいる。良い仲間に恵まれて安心だ。
マサイも例にもれず、大会では開場2時間半前から外にシートを敷き、折り畳み椅子に座って待ち、開場後はものすごい勢いで席(自由席)を取る。これでやっと一仕事終えて落ち着ける。息子の出番が近付くにつれて、深呼吸をする回数が増え、うつむいて祈る時間が長くなる。何度も目標タイムを確認する。息子の試合が始まる頃には立ちくらみがするほどにまで緊張している。ビデオを撮りながら、聞こえないと分かっていても叫んで応援しないではいられない。
マサイはいつまでも応援し続けていたい。息子が現役で頑張っている限りは最前列で応援したい。天のお父さんもこうやって我々のことをいつも見守り、応援してくれているに違いない。とても有難い。感謝します。
コリント人への手紙第二
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
イザヤ書
27:3 わたし、【主】は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。
ユダの手紙
1:24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
1:25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。
インターネットで「クリスチャン・アスリート」と入力して検索をしてみると、たくさん出てきた。ゴルフの中嶋常幸選手、元日本ハムファイターズのヒルマン監督、アテネオリンピックの銀メダリスト・ヌデレバ選手・・・。きっとたくさんの今まで活躍してきたアスリートたちがいるのだろう。その人たちが力強いメッセージを送ってくれている。どうやって神様と出会ったか。そしてどう変えられたか。どんなに恵まれたか。あの人も、この人もクリスチャンだったのか、と偉大なクリスチャン・アスリートの名前を見て嬉しくなった。中にはその証を読んで、身につまされるようなものもあった。ゴルフの中嶋選手は、「成績で一喜一憂する父親の存在に悩んでいた…」。ごめんなさい、反省します。
そこでマサイは考えた。成功したクリスチャン・アスリートとしての役割は彼らに任せて、高みを目指して日々努力を続けているクリスチャン・ジュニア・アスリートのために何か出来ないかと。彼らは学業と、運動と、教会と、とにかくハードな忙しい毎日を送っている。暇を感じる余裕すらない。そんな選手たちを一生懸命支える親御さんたちと一緒に励まし合えたらどんなに素晴らしいことだろう。
何度も書いているが、マサイはクリスチャン・ジュニア・アスリートの父親である。プールで1/100秒を縮めるために日々励んでいる中3の息子の大ファンであり、マネージャーのようなものである。インターネットでスポーツ選手の休養のこと、栄養のこと、けがの対処などについて調べてみるが、やはりクリスチャン同士のアドバイスが欲しい。マサイは牧師ではないので、選手やその父兄を神様に導く説教のようなことは出来ない。そこで同じ境遇にいる人たちと、彼らが励まされた、目からうろこが落ちた、というような聖句を分かち合えたらどんなに素晴らしいだろう、と考えた。お互いにどんなに大変な毎日を送っているかを分かち合えるだけでも良い。
ジュニアとは高校生以下のつもりで考えているのだが、トップを狙う彼らは、学業と日々のハードなトレーニング、日曜日にある大会のために、行きたくても教会に行く時間が限られてしまう。そのことについての悩みやトップを狙う辛さは、誰にでも理解してもらえるものではない。一週間に休みは一日、夜は晩い日で21時までトレーニングをしている、と一生懸命説明をしても分かってもらえないケースが多い。話しているほどにむなしくなってくる。こうなると同じ境遇の人たちを探すのが一番だ。
マサイは息子の水泳以外の世界は分からないが、どんなスポーツでも選手の親が抱える気持ちは分かり合えるような気がする。真剣に競技をする子どもの姿を見守るのは結構しんどいものだ。親の心労は大きい。クリスチャンの親でもそんな悩みを吐き出し、励まし合える仲間が欲しいはず。祈って欲しい時にその状況を理解して一緒に祈ってくれる存在は有難い。状況が理解出来る人とそうでない人とでは聖句の選び方が違ってくる。そんな相手を理解して祈り合えるメンバーを増やしてクリスチャン・ジュニア・アスリートとその親たちの輪を広げていきたい。
詩篇 62:8
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。
去年の9月号に書いたが、主はマサイに同じ境遇の祈り合える仲間を与えて下さった。1/100秒の重さを理解して一緒に励まし合える仲間というのは実に嬉しく有難い。どんなに励まされていることか。丁度先月、そんな友に高校受験に向うアスリート達のために祈っていますと連絡をしようと細君と話していた。息子もいろいろ泳ぎについて悩むことがあって、迷っていた矢先だったが、そのSさんが突然連絡をくれて、クリスチャン・アスリートのサッカー選手の記事をFAXで送ってくれた。
日本のキリスト教会においては、「部活動に中高生を取られる」との声も聞かれる。しかし今回の証では、部活動そのものに神が働かれ、祈りが応えられ、家族と地域にも一致が与えられた。「教会か、部活動か」ではなく、神がどんな領域にも働かれるのを知ることができる。そして彼らは、「祈り」には力があることを示してくれた。(Revival Japan 2010.2.15 全国高校サッカーに神の栄光!より引用させていただきました。)
連絡を取り合うのは3月の末の大会以来、ふた月ぶり。どうしてこのタイミングにこんなに素晴らしい励ましが?と驚くばかり。まるで我々の苦しみが伝わったかのようだった。神様のなさることは実に時にかなって美しい。細君が会社にいるマサイへ、Sさんとこういうやり取りがあったとメールをくれたのだが、それを読むと嬉しくて涙が出てきた。
小学生から高校生まで、あちこちのフィールドにクリスチャンがいると分かるだけでも大きな励みになる。神様がどこで働かれているのかを実感出来たら素晴らしい。彼らの活躍はすなわち我らの励ましである。そこから与えられる感動ほど素晴らしいものはない。子どもから感動をもらえるのは親としてとても幸せなことだ。
教会で素晴らしい牧会チームに支えられている人もいると思います。しかしやっぱりアスリート同士じゃないと分かり合えないこともあると思います。日々のトレーニングは大変ですね。朝早くから夜晩くまで、疲れもたまってくることでしょう。我が家では中3の息子が一番晩く帰ってきます。休ませてあげたいのに勉強もしないといけない。しかしそれには時間がない。でもそれを乗り切れると分かっているから神様がその才能を与えて下さっているのです。親も大変ですね。精神的にも肉体的にも選手の次に辛い。親もそんな選手を支えられるから大きな試練が与えられているのです。神様は耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません、と聖書(コリント人への手紙第一 10章13節)にあります。
何度も言いますがマサイは牧師ではありません。牧会もできないし、カウンセリングも出来ません。だからマサイ自身も励ましの聖句を教えて欲しいし、祈っても欲しい。そして同じ思いを持っている人同士とこのクリスチャン・ジュニア・アスリート支援の「チーム・ジーザス」の祈りの輪を広げて行きたいと思っています。クリスチャン・ジュニア・アスリート同士、その親同士、一緒に硬く手をつないで、御言葉で励まし合い、祈り合っていきましょう。その輪をどんどん広げて、日本代表選手がクリスチャン・アスリートでいっぱいになる日を目指していきましょう。
スポーツは水泳に限りません。いろいろな大会でお目にかかることが出来たら嬉しいです。応援に行けるような時は行きたいです。連絡をお待ちしております。
エレミヤ書 18章6節
「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──【主】の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。
ヨハネの福音書 12章26節
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
120号でストレスについて書いたが、最近仕事上のストレスが大きくなっている。通勤電車の遅れや混雑がそれをより大きくしている。何でこんなに激しく攻撃を受けるのだろう。ストレスが怒りとして湧き上がってくる。自分の頭の中に直接働きかけて攻撃をしているのではないかと思うほど相手の攻撃はどんどんエスカレートし、止まらなくなる。主に救いを求めるダビデの祈りを詩篇にたくさん見つけて共感している。
この間断なく無意識のうちに入り込んでくる考えは一体どこから来るのだろう。サタンがあらゆるところに悪意を張り巡らせて攻撃しているのではないかと思う。それもサタンお得意の手法で。そう、敵は自分から直接攻撃を仕掛けてくることはない。相手が自爆するように、じわじわと楽しみながら攻めてくる。爆発すればした方が不利になることもよく分かる。サタンの仕掛けは実に巧妙なのだ。だから気をつけようと自戒する。マサイはこのサタンの攻撃が細君や息子に向かわないように祈っている。その分は自分が引き受けるからと。ということでそれが胃にずっしり来ている。
詩篇55編22節
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
息子の世界にもいろいろあるらしい。幸い良い仲間に恵まれているので悩まされることはないらしい。楽しそうに学校であった事を話してくれる。それでもいくつか親の耳に入ってきたことで一緒に心配してやろうとすると、「そういう風に想像することはやめる」、ときっぱり言う。「そんなことを考えているといやになるから」、ということだ。親よりよほどしっかりしている。息子に教えられることは多い。
息子は「考えること」をやめる、ではなく、「想像すること」はやめる、と言った。
つまりは相手の実際にとった行動ではなく、自分の頭の中で相手を自由に動かし、自分をこれ以上もなくひどく攻撃させているのは、自分の内から出て、全て自分の頭の中で「想像」したものだから、やめられるのだ。
自分で勝手に怒りを増幅し、自分の胃が痛むような思いをする必要はない。その原因は祈りと心がけ次第で取り除ける。そんな思考が忍び込むごとに、息子の言う通りに「想像することはやめる」と断ち切ってみる。途端にそれは途切れる。ちゃんと断ち切れるものだ。わき出る悪意に左右されることはなくなった。この努力は繰り返ししなければいけないが、攻撃から解放される術を得たことは大きい。
サタンのやり方に乗せられて頭の中であれ復讐を企てて相手を倒す必要はない。人を憎むのは大きなエネルギーがいるものだ。聖書には、復讐は神様がしてくれると書いてある。神の怒りにまかせよ、と。この確信があればサタンに負けることはない。こうやって文章にしてみると、頭の中が整理されて、大分すっきりしてきた。頼みます、神様。
ローマ人への手紙 12章19節
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
実家でパソコンを買ったという。誰かにインターネットで病院を検索してもらって、それを見てあまりの便利さに驚いて欲しくなったらしい。父は今までずっと原稿を書くのにワープロを使っていた。それも2代目に買い替えた時に、何でパソコンじゃなくて今さらワープロなの?と聞いたことがある。その時は使い方が慣れているから、という理由で前時代的な新しいワープロに向かっていた。文字打ち専門機種だから、余計な事を覚えなくても文字が書ければ良かったらしい。年をとってから全く新しいことを始めるのは難しいのだろう。ただ値段的にはパソコンと似たようなものだった。
それが今度はいきなりノートパソコンを買ったという。我々が正月に行く時に一緒にいじってもらいたくて年末に買いに行ったらしい。77歳の手習いだ。父の机の上に乗っていたが、宝物のように大切に扱っているのだろうな、ということが良く分かる。あいにく年末に買ったものの、ネットの工事が間に合わず電話回線がつながっていないために、肝心なインターネットとメール環境は見てあげられなかった。
その工事もやっと終わってメルアドを教えてもらったので何度か送ってみたのだが、返ってきてしまう。電話でのやり取りなので、どうもアルファベットがうまく聞き取れていなかったらしい。おまけにマサイもパソコンを変えたので、メルアドが変わっていた。やっと3月18日になってメールが送られてきた。
「二度も失敗しました。遅くなってすみません。ワープロのようにうまくいかず苦労しています。字が小さくて拡大鏡を使って確認する有様です。まずはご連絡まで。」
父から貰った第一号メールは、字から緊張がうかがえる。一生懸命打ったのだろう。妙に言葉が丁寧だ。それでも今までめったに電話もしていなかったので、コミュニケーション手段が増えたこと、気軽にこちらの報告を送ったり、写真を添付したりできることは喜ばしい。ただまだ送った写真を見るところまでは行かないらしい。
パソコンのことは全く苦手かと思っていたので、全部電気屋さんにやってもらいなさいとアドバイスをしていたが、父が何かを読みながらゆっくり設定をしているらしい。メルアドも「あまりにも単純過ぎるので3月に変更しました。」という連絡が来た。メルアドの中にちゃんと父母の名前のイニシャルが並んで入っている。仲良くやっているようで安心する。
「毎日の練習は字が小さくて難儀です。F(母)は杖代わりに四つ車を引いて元気に外出、今日も南越谷へ出かけています。元気がなにより。早春賦の歌詞のように遅い春が恨めしく思う毎日です。A(妻)さん。Y(息子)君によろしくお伝えください。(パソコンの)指導が受けられる日を楽しみに待っています。」
送ってすぐに返事がないと少し不安になるが、それでも一生懸命返信してくれる。これが脳の活性化につながり、老化防止に役立つかもしれない。親の近況が分かるので安心出来るのもよい。こちらも電話と違うので気軽に近況を報告出来る。今まで以上に頻繁に近況報告ができることは間違いない。
「春は名のみの風の寒さやー早春賦を思い出す陽気ですね。
昨夜は開かずに遅れてすみませんでした。パソコンは受信サインがないのが不便、外からでも分かると良いのにとブチブチ独り言。
Y(息子)くんの銅賞(書き初め)は立派、水泳とともに 力強い前進(書き初めの題目) に感激しました。27日は水泳大会だそうで、全力投球がかなうよう応援しています。伝えてください。
こちらは寒さと雨で冬眠状態。桜咲くの日を待ち焦がれいます。パソコンはワープロと大分違い戸惑いながらも楽しんでいます。おばあちゃんは毎日Y(息子)くんの写真を観てにこにこ、元気かな が日課の言葉です。待っています。」
今までこんなに親の考えを聞く機会があったろうかと驚く。始めてみればこんな簡単に意思の疎通が図れるのかと、これもまた驚く。
3月31日はマサイの誕生日。細君と息子がバースデーケーキにろうそくを5本立てて祝ってくれた。素晴らしい家族を与えてくださった主に感謝する。ちょっと前までは必ず母から電話がかかってきていたが、妻と誕生日が近いので、妻の時に電話で一緒にお祝いを言われるようになった。今年は電話は来ないがメールでも来るかなとささやかな希望を持って開いてみると、誕生日の朝9時に送信してくれていた。親の愛情を今さら再認識する。
まずは母から
「お誕生日おめでとうございます。
体に気をつけて、大変な今の世の中を、妻子を守ってしっかり生きてください。
こちらは年相応の弱りはありますが、このごろインターネットで元気になりました。私はパパがマスター?したら教えてもらいます。
こんなに面白いものがあるのか、元気でいなくてはーと思います。
お父さん(マサイ)も、支えるA(細君)も、希望のY(息子)も,みんな元気でね。」
そして父から
「五十路に無事到達し、おめでとう。良い妻、良い息子の協力の賜物ですね。
こちらは 元気 気力 をモットーに、毎日、吉本興業の漫才師のように言い争い。これも脳の活性化のひとつと思っています。パソコンの指導を待っています。分からないことばかりです。」
メールの文章を通して楽しげなものが伝わってくる。両親の様子が見えるようだ。パソコンを前にして夫婦仲良くやっているのだろうなと思うと、こちらもほっとする。
親からメールをもらうのがこんなに嬉しいものだったとはと驚く。パソコンを通じて親子のコミュニケーションがとれ、深まったのはとても嬉しい。この月刊マサイもいつかエクレシアのホームページを開いて見られるようになるのだろうか。パソコンの上達が待ち遠しいですが、読んだら連絡下さいね。
【新改訳改訂第3版】
ヨハの手紙第一
4章12節 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
4章13節 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
ヨハネの福音書
15章12節 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
年が明けて中学の体育の授業ではサッカーをしている。息子は最近それが面白くなってきたという。親としては怪我をしたりどこか痛めたりすると水泳の大会にすぐ響いてくるので気が気ではないのだが、サッカー部の上手な子にアシストしてもらって、ゴール前からシュートを決める快感を覚えたらしい。
しかし軽いジョギングシューズでやっているものだからすぐつま先に穴が開いた。代わりを買ってやろうと言ったのだが、マサイがジョギングシューズを買い換える時にそのお古をもらえればよいという。マサイは2,000km走ったら交換するつもりでいたので、それまでにはもう少しかかる。しかしさすがにもう限界だったらしい。今朝になってどれでもよいからはいていくものを貸して欲しい、というので少し小さめのマサイのテニスシューズを出してやったら、小指が当って痛いという。結局マサイの普段履きのスニーカーをはいて行った。28cmが丁度よいようだ。
息子はよくマサイのものを着ている。一人っ子なのだが新しい物を欲しがらない。ここはマサイと一番違うところ。寝る前には引き出しを開けてマサイのパジャマを着ていく。マサイのというのは決して新しい物ばかりではない、古くなって色が落ちたようなものでも構わず着て行く。神奈川の大会へは細君の真っ赤なベンチコートを着て行くのだが、大阪の大会へはマサイのベンチコートを着て行った。それがそんなに大きくはない。買ってやろうかと言っても、いらないという。
特に関心がないのか、サイズが合えば親のもので十分だと思っているのか、どちらにしても親のものを喜んで身につけてくれるのは嬉しい。我が家は息子ばかりではなく、気がつくと細君もマサイのものを着ている事がある。
教会では息子の小さい頃の服を次の世代によく引き取ってもらっていたので、見たことのある服が教会堂で走り回っているのを見かけることがあった。しかし最近は細君が息子のお古を来ている。細君のものだと思って洗濯をたたんでいると、名前ペンで息子の名前とチーム名が書いてあったりする。すぐ大きくなるから物が悪くなっているわけではないので、細君は狙っているのもあるようだ。日頃大切に着るように言っている。
水泳の大会に出発する早朝は随分冷える。寒いだろうから保温性のスポーツアンダーを着て行くようにと言うと、きついという。喉のあたりが苦しいらしい。肩幅や胸囲でとられて首回りがきつくなっているようだ。息子は大人のMサイズを着ているのだが、マサイが同じもののLを着ているので、代りに着せてみると丁度良い。逆にマサイが息子のものを着てみると、こちらも丁度良い。ランニングで上半身の筋肉がすっかり落ちてしまったので、最近サイズダウンしている。それでMサイズが丁度良くなった。
今度はマサイが息子のお古を着るようになった。大きくなるように祈り続けてきたが、いつの間にか祖母を抜き、母を抜き、祖父とほぼ同じになった。今、マサイに迫りつつある。きっとあっという間に追い抜いて行ってしまうのだろう。親としては嬉しい気持ちで、頼もしく思う。心も体もどんどん大きくなるように祈っている。イエス様よろしくお願いします。
コリント人への手紙第一
3章7節 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
ペテロの手紙第二
3章18節 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
息子の1年先輩達が受験シーズンを迎えた。私立から始まったようだが、公立の前期選抜が週の始めにあった。学校では担任の先生が3年生と面接の練習をしていたと言う。一緒に楽しくリレーを泳いでいたメンバーがバラバラになって行くのは寂しいが、希望通りの高校に合格してくれることを祈る。
息子も一年後にはこういう時期を迎えるのか。ただでさえ息子の泳ぐタイムを気にして大会が近づくごとに胃の痛む思いをしているというのに、これに進学の心配が加わって来たらマサイは倒れてしまうかもしれない。とても仕事どころではない。
毎朝、息子にとって最適な進学先を与えてくれるように主にお祈りしている。良い先生、顧問、コーチ、仲間、メンバーに恵まれて、大きく伸びて行かれる高校に行かせて下さい。良い友達が沢山出来て、楽しい毎日が送れるような学校へ行かせて下さい。通学が苦にならず、インターハイにもリレーや個人種目で出られるような高校に行かせて下さい。知名度や偏差値だけで選択するのではなく、主の御心の高校を与えてください。
マサイは毎年、年末に昔の仲間と会ってゆっくり喋る機会を持っている。一人は高校一年から、一人は大学一年からの良い友人である。親友だからといって、年中会ってつるんでいる訳ではない。1年に1回顔を合わせて、「よっ」と言った瞬間にお互いが元気でやっていることを理解する、というような関係。普段は電話すらしないが、この年末に会う日を決めるためのメールにはすぐに嬉しそうな返事が返ってくる。
3人とも同じ大学の同じ学科だった。文藝部で一緒にものを書いていた仲間達であるので、1年間に読んだ本、聴いた音楽、見た映画などなどについて個人的な考えをまとめ、1年間の知的活動として表紙をつけ、ファイルして持ち寄る。これを読んでいれば1年間何をしてきたかが良く分かる。お互いのファイルを交換し、年末の忙しい時期にホテルのロビーにあるラウンジでコーヒーをおかわりしながらゆっくりと読み、話をする。50才のおじさん3人が本のことや音楽の話を嬉しそうに4~5時間も喋っている訳だが、お互いに出会った頃の姿のまま、深いところでつながっているような安心感がある。実に良い関係を持っている。
大学在学中から始めたのでもう30年はやっている。すっかり年末の恒例行事として定着した。当初は手書きだったが、ワープロになり、パソコンで写真を取り込んで、と形は進化している。銀座や新宿の喫茶店から始めたのだが、仲間の一人が結婚式を挙げたホテルのラウンジにこの20年くらいは落ち着いている。
30年前は同じような本を読んで、同じような音楽を聴いて来たはずなのだが、最近は本にしても、音楽にしても、映画にしても同じ作品を3人揃って取り上げることは無い。話題になったからと言っても誰かがはずしてくる。わざと揃わないようにしているんじゃないかと毎回話が出るが、お互いの好むところは分かっているので、それはそれでよい。いつの日か3人が揃うような素晴らしい作品が出てくることを楽しみにしている。
仲間の報告書を読んでいると、来年はもっと面白い本を読んでみたい、新しい世界を開拓してみたい、という良い刺激になる。お互い高め合っていることになるのか、「じゃあ、また」とあっさり駅前で別れた後にすぐ本屋に行きたくなる。
昨年末にこの集まりをしていた時に高校の校歌の話題で盛り上がった。大先輩でもある大作家が作詞をしているものに曲をつけているので、とにかく歌い辛かったのを覚えている。この気持ちを皆にも分かち合ってもらうには、甲子園での高校野球大会で一回でもよいから勝ってかけてもらうしかない、と冗談で言っていたものだが、この校歌を後輩である有名ポップグループが録音をしているという。それを一人が見つけてCDに焼いて送ってくれた。こうまで変わるものかとアレンジの妙に感心する。やや高音だが感動的な仕上がりの校歌になっていた。懐かしいので何度も繰り返し聞いていた。
息子にはこれから一生の友と呼べる友達が出来るように、良い出会いをして欲しい。それが出来る高校を選べれば良いのだが、神様がきっと祈りに答えて下さると確信している。出来ればマサイと同じ学校へ行ってくれないものかと考えている。高校では聖書の授業も礼拝もあったから、我が息子には丁度良いと思うのだが、息子は水泳を通して出来た友達があちこちにたくさんいるので、どの高校へ行くかということより、どの友達と一緒になるかを楽しみにしているようだ。
箴言
12章26節 正しい者はその友を探り出し、悪者の道は彼らを迷わせる。
17章7節 友はどんなときにも愛するものだ。
27章7節 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
月刊マサイで引用している聖書本文は、新改訳聖書第三版(©新日本聖書刊行会)を使用しています。
珍しい男から電話がかかってきた。中学の同窓会をやるという。今では年賀状のやり取りだけのつながりだが、こういう時には誰かに住所を知らせておくと、ちゃんと連絡をくれるので有難い。50歳だからという節目で招集をかけているという。残念ながら11月の大阪遠征の日と重なっていたために出席できなかった。
同級生のほとんどが既に50歳になっているのだが、マサイは早生まれなので年が明けて3月末の誕生日が来るまで40台でいられる。しかし2桁目の数字が変わるというのは、いつもの年とは違った大きな節目的なものを感じる。
30台に乗った時は、突っ走れた頃に後戻りできないことを宣言されたような寂しさを感じた。40台では自分の人生は半分を折り返したのだろうか、という考えにとらわれた。そんな風に今迄は後ろ髪を引かれるようなステップアップだったが、50台に乗る今は、いよいよ来たな、という期待感の方が大きい。映画も安くなるし、マラソンのエントリーも50歳以上の部になる。老年というくくりの最年少メンバーになる訳だ。
以前は50という響きに随分老いたものを感じていたものだが、近づいてみれば何ほどの事はない。ジョン・アップダイクのウサギ4部作の主人公ハリー・アングストロームのように、年は重ねていくが、本質的には変わらないままの自分を感じる。若くはないが、気持ちまでは老いていないからかもしれない。
しかしそれは自分の頭の中だけのことで、外身も中身も、今迄と違うと感じるものはある。確かに何の恐れもなく、前へ前へと突き進めた頃の勢いはない。自分の家族が出来た後は、怖いと感じることが多くなった。家族に対して大きな責任がある。前へ進む代わりに、留まって大切な妻子を自分の翼で覆い守ることに多くのエネルギーを費やしている。家族を守る肉食獣のようだな、と思うことがよくある。外敵に対して目を光らせているので、人ごみに行くと疲れるようになった。人生の主役の座はもう息子に譲ってあるので、主役を脇から見ていることが一番楽しい。
あれもやりたい、これもやりたい、それには時間がない、というあわただしい気持ちはなくなってきたが、相変わらず何か新しいことを始めたいという気持ちはある。40台はいろいろなことが出来た。サーフィンやテニスを始め、フルマラソンも走った。随分元気な40台だった。ここでまた一つ高い階段を踏み上がる。しかし老いを怖がる事はない。そこにどんな新しい世界が開けるのかを楽しみにしている。定年までもあと10年。主がこの次の10年に何を用意されているか楽しみである。
イザヤ書
61章10節 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
61章11節 地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。
高校の入試説明会に行ってきた。1年早いが今のうちにいろいろな学校の雰囲気を見ておきたいと思って細君と出かける。学校生活の紹介、卒業後の進学先、入試についての説明を真剣に聞く。あのちっちゃかったのが高校進学を考える年になったのかと感慨深いものがある。
息子は泳ぐのに忙しく、いわゆる受験勉強している暇がない。今はテストの1点よりタイムの0.01秒の方がはるかに重い。どうやって入試に向かって勉強をして行ったら良いのだろう。塾に通っている子は、息子が毎日泳いでいる時に勉強をし、大会に参加している間に検定を受けたり、模試を受けたりしている。最低このくらいの成績なら合格ラインになります、という話を聞くのはちょっと辛かった。そんなに高いのかと驚いた。
9月には息子が先輩に呼ばれて高校の文化祭に行っている。親が判断するのではなく、通う本人が合う合わないをどう感じるのかも大切だ。色々な印象を聞かせてくれた。
12月の頭には後期の中間試験がある。しかしこの直前にスイミングクラブの全国大会が大阪である。当然出るのを楽しみにしている。後期の期末テストは2月に3日間あるのだが、その途中にある日曜日には大切な県の大会がある。勉強をする時間はどうしても限られてしまう。
さてそのスイミングクラブの全国大会に今年も大阪まで行ってきた。50mプールで3日間に渡って開催される。小学4年生で初めてこの大会に出られた時はとても喜んだものだ。この時は50m自由形だけだった。今年は初日に400m自由形の予選と決勝、400mメドレーリレー、2日目は400mフリーリレー、3日目は200m自由形の予選と決勝、という日程。
マサイも細君と応援に駆けつける。初日、息子は元気で力がみなぎっている。力強い泳ぎだ。心配なく見ていられる。2日目は出番が少ないので、1本に集中できる。ところが3日目になってくると、疲れが見えてくる。緊張もしていた。スタートして3/4あたりが一番辛いらしく、タイムが落ちてくる。最後は力を振り絞って帰って来たのだが、ゴールしてプールサイドに上がった後はしばらく息を整えるのに座りこんでいた。体力の限界が近いらしい。最後の決勝ゴール後は全ての力を使い果たしたというように仰向いて倒れ、そのまましばらく動けない。起き上がっても目がうつろだった。
そんな姿をスタンドから見ていたのだが、一生懸命やったね、よくやった、よく頑張った、と抱きしめてやりたかった。自分の息子が全力を出しきって戦い終わった後の表情を切ない思いで見守る。この最後の決勝レースはたくさんの選手がプールサイドから息子を応援してくれた。息子の人徳のようなものだが、親も驚くほどのものがある。水泳を通して得がたい物をたくさん得ている。
リレーの第一泳者は個人種目として正式に記録が残る。その100mを含め、200m、400m全てで自己ベストを出せた。コーチからは「練習を一生懸命やっている奴にはちゃんとタイムがついてくるな」と言ってもらえた。息子は朝晩の練習に行くのをイヤだと言ったことはない。毎日の積み重ねが実っている。
親としてはインフルエンザ大流行の中、とにかく体調管理が一番心配だった。これには大変気を使った。インフルエンザにかからず、風邪もひかず、怪我もせず、今無事にこの大会を終えられたことを主に感謝します。親もほっとしました。
疲れが早く取れるように、栄養のあるものを食べさせて、ぐっすり寝かせてやりたい。この大会が最後ではなくまだまだ続いて行くので、一旦張り詰めた物を少し緩めてあげたい。
家には夜晩くに帰って来たのでゆっくり休ませてやりたかったが、翌日は学校がある。しかも中間テスト1週間前。休む間もなく、今度は晩くまで勉強をしている。最後のレースを終えた後の表情を思い出すと、とても勉強しなさいなどと言えない。本当は、勉強しなくてよいから体をいたわってやりなさい、と言ってやりたい。
細君にこれから祈ろうと言う。息子にとって最適な高校がどこなのか、我々には判断できない。入学して、良い先生、コーチ、顧問、仲間にたくさん恵まれて、大きく成長して行かれる学校はどこなのか。インターハイにも出さしてやりたい。通学はそんなに遠くないところが良い。全て神様に委ねて祈って行く事にする。
ヨハネの福音書
14章1節 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ピリピ人への手紙
4章6節 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4章7節 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
あっという間のような気がしますが、月刊マサイを書き始めて10年経ちました。一本でも読んで下さった方に、教会のHP掲載に協力して下さった全ての人に、毎月欠かさずに読んでくれた細君に、書かせてくれた神様に感謝します。
国内ばかりではなく、海外からもいろいろ励ましのメールをいただきました。出会いもありました。読み返すと我が家の歴史にもなっているので懐かしい物ばかりです。これからもまだまだ書き続けて行くつもりですので、今後とも宜しくお願いします。マサイ
「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」、と父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」(F.S.フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」野崎孝訳)
大学でゼミの論文を書くのに選んだ作者の代表作だが、冒頭にある語り手のニック・キャラウェイが父親から言われたこの言葉が一番頭に残っている。訳によってちょっとニュアンスが違うが、日本語ではこの新潮文庫版を繰り返し読んだので、文章がこのまま頭に入っている。
とにかく一歩家の外に出ると、ストレスが多い。最近特に多くなった。ストレスを感じる自分が一番ストレスの元なのかもしれないと反省してはみるが、あちこちにサタンの悪意を感じる時がある。悪意以外の何物でもない。おまけに中途半端な管理職にいるので上からは責任、責任と毎日のように言われている。全くひどい状況だ。感じたストレスは放出されたがっている。そんな時、人を批判したくもなる。
しかしストレスを感じたり、爆発したい気持に捕らわれた日も、細君と息子とゆっくり夕食をとりながら楽しく話しをしていると、「あぁ幸せだなぁ」と実感出来るので、大抵のストレスはどうでも良くなる。
そんな時に冒頭の文章が思い浮かんだ訳だが、どれだけ恵まれているかということを考えた時に、しばらくぶりに信仰に入る時に背中を押してくれたパンフレットのことを思い出した。もっと大きな恵みの存在に気付かせてくれたものだ。
まだノンクリスチャンだった1991年6月にフレンドシップ奥多摩という教会の行事に参加した時、宿舎でイラスト入りの小さなパンフレットを見つけた。「きらいだよ」というタイトルがついていた(無断転用で申し訳ありませんが、感謝の意をこめてここに紹介させて下さい)。
人には誰にでもキライな奴がいる。
それがイライラ・不平・不満のタネ。
「あいつがいなければ…。」
「あいつが悪い。」
でもその「あいつ」がいなくなると、
ちゃんと別の「あいつ」が現れたりする。
そしていろいろつきつめると、
一番キライな奴は自分だったりする。
問題は自分の中にあったりする。
変えようと思っても、上べをちっとばかり飾ってみても、
中身はたいして変わらないのだ。
キライなものは、自分の中から出てくる。
でも、変える方法がひとつだけある。
変えるのではなくとりかえるのだ。
イエス・キリストは、私達の罪のために十字架につけられた。
そして3日目によみがえり、新しいいのちを私たちに与えてくださる。
そう聖書に書いてある。
このイエスを信じる人は、自分自身から解放され、
新しいいのちで生きることができる。
目からウロコ状態でこれを読み終えた後信仰生活に入ったわけだが、今原点に戻って再び読んでみると、また目にウロコがついていたことが分かる。忙しさとストレス社会でいつの間にかたまってしまっていたのだろう。今それが目から落ちてほっとしている。ストレスに潰されることなく、怒りが消滅し、胃のつかえが取れて行く。
信仰の原点に立ち返ってみるのも良いものだ。このパンフレットの内容については洗礼式の証しで紹介させてもらった。解決はイエス・キリストにある。それはいつでも変わらない。それを確信できた。神様感謝します。
コリント人への手紙第2
5章17節 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
今年もベランダ菜園でいろいろなものを育ててみた。去年から始めたものだが、去年は獅子唐や唐辛子、パプリカなどを植えて、まさに産地直送の食材を楽しんだ。今年はゴーヤとピーマン、おくらを植えた。ピーマンとおくらは鉢に植え、ゴーヤはプランターに種をまいて、ネットを天井に向けて斜めに張ってみた。
最初はなかなか芽が出なくて心配したが、伸び始めるとあっという間にネットを這い上がっていく。細い触手を絡めて伸びる、伸びる、どこまでも伸びる。マサイの背丈よりも高くなった。隣の鉢にもちょっかいを出して絡み付いてくる。網戸の細かい網目にも細い先端を忍び込ませているのだが、引っ張っても取れないくらいに力強い。毎日水をやり、時々栄養をやった。その成長振りは見ていて実に楽しかった。
そのうち小さな黄色い花が咲き、ほのかな良い香りがするようになった。すると蜂がどこからかやってきた。細君が見ていると体に黄色い花粉をつけて一生懸命飛び回ってくれていたという。自然界は素晴らしい連携プレーを取っている。おかげで受粉できたところには実が成って来た。独特な風貌の立派なものが細い茎からぶら下がっている。これを初めて食べた人は勇気が要ったろう。食べてみれば苦かった訳だし、食用にしようとした人はすごいと思う。大きくなり始めたら一気に大きくなるものが良いと聞いたので、毎日楽しみに観察していた。
市役所の壁や警察署の壁にゴーヤのグリーンカーテンを這わせて二酸化炭素削減、という記事が新聞に載っていたが、我が家の立派なグリーンカーテンはこの夏の暑さを随分緩和してくれた。ゴーヤごしに入ってくる風がとても気持ち良い。例年熱風が入って夜になっても涼しくならなかったのに、今年はクーラーを一度も使わなかった。日中は部屋に入る強い日差しをさえぎってくれて、涼風も運んでくれた。地球温暖化抑制に少しは貢献できたのだろうか。九州遠征の留守中には小さな子どもが使うビニールプールを買ってきて、そこにひたしておいた。水面で反射した夏の光がキラキラして、ゴーヤもとても気持ち良さそうだった。
収穫した実で細君がゴーヤチャンプルーを作ってくれた。苦味も申し分ない。産地からキッチンまではほんの2部屋。産地直送の味を何度か楽しんだ。たくさん取れたのでご近所におすそ分けも出来た。
途中で実がはじけてしまったものがあって、赤いねっとりとしたものに種が覆われていた。実が苦いものは種が甘いはずだ。そうでないと種を運ぶものたちが寄って来てくれないから、と言った細君の洞察力はすごい。自然界の智恵を見抜いている。ねっとりとした部分は確かに甘かった。
9月も終わりに近くなって葉っぱが茶色く枯れてきた。茎は緑のままなのだが、下の方は葉がなくなり、折角実がなっても大きくならないうちに駄目になってしまうようになった。そこでひと夏の感謝をした後、引退させることにした。プランターの土に近いところで茎を切って、自然に枯れるに任せて、枯れた後にネットから取り外そう、また来年も植えようということになった。
じゃ、切って来るね、と細君に言ってはさみでちょきちょきやったのだが、上の方はまだ細々と黄色く花をつけていて良い香りがする。見上げると可愛そうな気がした。それでもまた来年も楽しめるからと気軽に考えていたのだが、次の日に見に行ってみると、蜂がやってきて受粉を手伝ってくれている。何かゴーヤと蜂の会話が聞こえてくるような気がして、黄色い花や蜂に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。よく探してみると、茶色くなった葉っぱの間に小さなゴーヤを2つ発見した。2つともひ弱なものだが、それでも大きくなろうとしていた。回りの葉はしおれている。長めに茎を切り取って水につけておく。
ひと夏十分に楽しませてくれたグリーンカーテンは来年も植えてみようと思う。成長を見て楽しみ、嗅いで楽しみ、味わって楽しめた。神様から貰った陽をたっぷり浴びて育ったものは、その恵みを回りにも分け与えてくれた。植物たちが神様を証している。
おくらは大きな実を何本かつけた後、最初にしぼんでしまった。ピーマンはマサイのお弁当のおかずにもなったが、もう成る実がどんどん小さくなってきている。しかし我が家にはこの他、去年11月に息子が水泳競技会の賞品で貰ったパイナップルもいる。細君が丹精を込めて育てているので、緑の濃い突き刺さりそうな硬い葉を元気に何枚も出している。これは実が成るのがとても楽しみ。また会社のそばで見つけて買ってきたオリーブの鉢植えもある。イエス様のそばから来たもののようなイメージもあって、これも大きくなり、実が成るのを楽しみにしている。
創世記
1:11 神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。
1:12 それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。
詩篇
104:14 主は家畜のために草を、また、人に役立つ植物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。
大変な夏休みが怒濤のように過ぎて行った。細君は竜巻みたいだったという。楽しく実り多い日々だったが、こんな夏休みは初めてだった。
以前のように海外旅行を計画出来るわけもなく、中学2年の息子の水泳大会を中心に我が家は回っていた。その息子の夏の予定は・・・
7月21.22日 全中(全国中学校水泳競技大会)予選会
7月29日 ジュニアオリンピック予選会
7月30日 神奈川県総体川崎ブロック中央大会
8月3日 職業体験
8月9~15日 山梨県で全中の為の合宿
8月17.18日 県中学校総体
8月21~23日 全国中学校水泳競技大会(福岡県 8/20から出発)
8月25.26日 市中学総体水泳
8月27日 前期授業再開
8月29日 ジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会(東京・辰巳)
8月30日 県中学新人戦
当然スイミングのトレーニングは毎日ある。朝晩2回という日も少なくない。息子は大会当日や前後の日を除いたわずかな時間で宿題をこなしていたが、休み明けにある期末テストの準備までは到底出来ない。
夏休み前までは日程表を前にして、どの大会も自己ベストが出せれば、と考えていたが、実際やってみると、大変なスケジュールだ。応援する親が倒れそうなのだから、選手はもっと大変だったろう。疲れもたまる。テンションを維持し続けている訳にもいかない。よくやった、よくがんばったと、息子や細君を誉め、家族3人とも倒れずにこの夏を過ごせた事を主に感謝する。
こういう問題や100分の1秒を競い合う状況は、なかなか他の人には理解してもらえなくて寂しい思いをすることが多い。同じように子どもが水泳をやっているクリスチャンがいれば分かり合えるのに、とかねてより思っていたら、この月刊マサイを読んで、奈良のクリスチャン、Sさんが春にお便りをくれた。子どもが同じ年であること、水泳をやっていて、スイミングクラブも同じであること、水泳を通してより深く神様と交わらせていただいていること、などの共通点を教えていただいた。一緒に分かち合い、祈り合い、励まし合えるようになれたら、また主が備えてくださったこの出会いを大切にしたい、という内容の嬉しいメールであった。
7月に奈良県の全中予選の結果をWEBで見ると、Sさんの息子さんの出場が決まっている。8月末に東京で開催されるジュニアオリンピックで会える事を楽しみにしていたが、少し早く福岡で会える事になった。
その福岡での全国中学校水泳競技大会一日目。Sさん一家は息子さんの出番が二日目、三日目だというのに、我が息子たちの出るメドレーリレーに間に合うように会場に駆けつけてくれた。会場内はごった返していたが、携帯のメールのやり取りで場所を教え合い、ご夫婦と挨拶をすることが出来た。文通相手と初めて会うような新鮮な感動があった。
親同士は大会期間中、競技の合間にいろいろ話すことが出来た。短い間だったが随分いろいろなことを話せたような気がする。アスリートの子どもを持つクリスチャンとして考えていることを共有出来たのは実に嬉しい。息子達の信仰について、進学について等、今後も祈り合える良い相手が与えられた。出番待ちの時間に会場の外で座って聖書を読んでいた奥様の姿が印象的だった。息子を通して我々も地境が広がっていく。
歴代誌第一 4章10節
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
Sさんは福岡から帰ってすぐ、東京にジュニアオリンピック出場の為に出てこられた。日本を西へ東へと、大変な遠征だ。辰巳の会場ではお互いの子どもの応援が出来たのだが、そんなジュニアオリンピックの最終日、新幹線で奈良に帰る前に奥様と選手の息子さんが登戸エクレシアの夕拝に寄ってくれた。我々も息子の大会が早く終わったので駆けつける。福岡で会うことができなかった選手同士はやっとここでご対面。これでどんな大きな大会に行ってもクリスチャン同士祈り合うことが出来る準備が出来た。マサイはこのクリスチャンの輪がもっと広がらないかと考えている。
マタイの福音書 18章20節
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
マサイが描いている夢は、国際水泳大会でクリスチャンの選手同士がレースの前後に祈り合うこと。コースロープの中はあくまでも一人ひとりの戦いであるから、お互いのベストのために祈り合い、レース後はお互いの検討を感謝の祈りでたたえあう。
レース前には個人個人がそれぞれ集中を高めている。この時に輪になって各国の選手が一緒に祈り合う。そして本番では神様の栄光を輝かす為に世界記録に向って力いっぱい泳ぐ。レース後はまた集まって感謝の祈りを捧げる。そんな光景が全世界に放映される。素晴らしい証し。主よどうぞ、我が息子やSさんのご子息を用いてください。
詩篇 115:1
私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。
ペテロの手紙第一 4章10節
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
何度も書いているが中学2年生の息子は水泳をやっている。7月の中旬から全国大会に向けての予選会がいくつかあった。親子ともども5時台に起きて会場へ向かう。今まで標準タイムより速く泳いでいても、この大会でそのタイムが出なければ全国大会には出られない全国中学校水泳競技大会(略して全中。今年は福岡)へ向けての大会と、ジュニアオリンピック夏季大会(東京・辰巳)出場に向けての大会。親が緊張してどうするといわれるが、自然とため息が多くなる。細君によく指摘されるのだが、その緊張を何とか息子に悟られないように、移さないように気を使う。
5月24日に公認の大会があった後、6月は大会がなかった。ゆっくり出来たかというと、そんなことはない。ただただ7月の重要な大会を待つ日々。息子はそうでもないようだが、マサイは何をしていても落ち着かない。中学生の水泳選手が目指す高みにある全中への出場が決まるまで何にも手につかない。怪我をしないように、事故に遭わないように、病気をしないように、と毎日祈っている。
当時豚インフルエンザの話題が新聞紙面に毎日載っていた。息子が本来行くはずだった中学はまさに2年生が学年閉鎖になって、1週間自宅待機となっていた。その学区域を通って隣の中学まで通っている息子が心配。先輩が遊びで肩を強く殴られ、痛めたために大会を一つ欠場したという話を聞くと、心配でしようがない。7月の大会の直前に学校で球技大会があった。中間試験後の打ち上げのような企画で、バレーボールに出ていたが、先生もうちょっと実施時期に気を使って下さいよ、怪我をしたらどうするんですか、と言いたかった。マサイは一人で心配していたが、「学年で優勝したと喜んで帰って来ました」と細君からメールをもらってやっと安心出来た。
とにかく今までこつこつ積み上げてきたトレーニングの成果は、怪我や病気で長期に休むといっぺんにしぼんでしまうデリケートなもの。リレーも出るので、他のメンバー達に対しての責任もある。親は選手の体調を心配するあまり、日々祈ることがたくさんある。
「どうせあの子の人生だから」というお母さん方はいる。そういうふうに割りきって、今まで通り親は自分のやりたいことをやっていれば良いのだが、親が遊びに行って風邪をひいて息子に移してはいけないと考えてしまう。サーフィンに行っても気もそぞろになるので、行く気になれない。で、細君と近所を走って気を紛らしている。最近はそんな状態が多い。
先にある重要な日に向かっての「準備の日々」というのを妙に意識する。先の重要な日が待ち遠しく、その為に今の日々が早く過ぎてくれないかと考えている。息子はその日の為に毎日ハードなトレーニングを積んでいるというのに、マサイは何も出来ないでただその日が来るのを待っている。次の日を早く迎えたいために、夜早く寝る。今を犠牲にしている毎日。実にもったいないと思う。いろいろと我慢する事も多いので、この「犠牲」ということも良く考える。こんな状態が1年の間続いている。意識は先へ先へ飛んでいるので、ただでさえ早く過ぎて行く1年がもっと加速している。
しかしこのままではいけない。今という時は二度と来ない。息子の栄冠を早く見たいと先を求めるより、もっと気持をゆったり持って、細君と中学2年生の息子との今の時を楽しもう。先を楽しみにするばかりに、今を大切にする事を忘れていた。今を準備の為にとか犠牲にとか考えずに、楽しむ事を忘れないようにしようと考えた。毎日毎日は神様が与えてくださった大切な日々。今を楽しむ余裕を自分で持ちたい。
細君のやっているセレブレイトリカバリーの全体集会で配られたパンフレットの表紙に平安の祈りがあった。
「与えられた一日を精一杯生きることが出来るように。
一瞬一瞬を楽しむ事が出来るように」
とある。主にあって今を楽しもう。そうすれば将来に向かっての心配も緊張もなくなるような気がしてきた。
全中予選会は2日間続く。2日ともに早朝会場まで息子を無事に送ってほっとした。この日まで怪我も病気もさせなかった。親の出来るのはここまで。後は本人がやるしかない。観客スタンドで祈りながら見ていた。リレーで4人の選手達は力の限り泳いだ。各校の先生、水泳部員、親達の応援は絶叫に近かった。そんな中、先頭争いをして上位でゴールしてくれた。全中は400mメドレーリレーとフリーリレーで出場できる事になった。いっぺんに体中から力が抜けて行く。緊張から開放された。イエス様感謝します。これからは今を楽しむ事も出来るようにして下さい。
エレミヤ書
10章23節 主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
九州地方の仕事の打ち合わせで、下関にある会社の社長がマサイの会社に寄ってくれることになった。電話では2回話したことがあるのだが、会うのは初めてなので楽しみにしていた。
その前に同じ会社の部長さん2人が来てくれて、打ち合わせをした後、社長は昔水泳でオリンピックの準標準記録を突破した人、今でもマスターズに出ると言っている、さすがに肩幅が広い、などと聞いていたので、水泳選手の息子にアドバイスをもらえれば有難いと思っていた。
オリンピックへは標準記録を切って、なおかつその種目で2位までに入らないと出られない。世界へ出て行くわけだから、標準記録は厳しいタイムに設定されている。中学生スイマーの親から見ると、準が付こうとこれをクリアした人というのは、雲の上の存在に近い。憧れもあり、尊敬もある。どんな人が来るのだろうとドキドキしていた。
約束の時間ぴったりに、60才を超えて、なお元気そうな長身の紳士が来てくれた。会議室で仕事の話をしていたのだが、早く水泳のことについて聞きたくてしようがない。しかし真面目な話の最中にいきなり切り出して失礼があってはならないと我慢していた。
やっと話がまとまって、「かつての栄光のお話しをお聞きしたのですが」と切り出してみる。照れくさそうにされていたが、息子が水泳をやっているのでと言うと、話に乗ってきてくれた。
「息子さんのタイム、頭に入っていますか?」と問われて、400m自由形の自己ベストを告げると、驚いたように社長の現役の頃の日本記録に近いという。最近は記録がどんどん速くなってきているので、当時の記録を聞かれるのが恥ずかしいという。次に身長は?と聞かれる。さすがに聞いてくれることが、同じ世界に身を置いた人でなければ発さないようなものなので嬉しい。
たいがい普通の人と話をしていると、「息子は水泳の選手なんです」、「バタフライ泳げるんですか?」「どのくらい(距離)泳げるんですか?」とこの二つは必ず聞かれる。先日も「息子は毎日泳いでるんです」、「一日800m~1kmくらい泳ぐんですか?」向うは精一杯気をつかって多めに言ったつもりの数字なのだが、こちらは開いた口がふさがらない。一般の人から見ると水泳選手のイメージはこの域を出ないらしい。
社長は丁度東京オリンピックの時に伸び盛りの高校生。種目は花形の100m自由形だったという。水泳界のスプリンターだ。今でもマスターズで活躍し、世界記録を持っている方が仲間にいるという。90歳を超えては競合相手がいないので、泳ぎきれば世界記録なのだと笑って話してくれた。現役当時一緒に泳いでいた人も大会で再会するようになったという。社長本人は出られたマスターズでゴーグルがずれてしまったと、残念そうに言っていた。
厳しい標準記録を突破したということは、当時どれだけのトレーニングをし、1/100秒をかけて戦っていたことか。その厳しさが分かるだけに、一緒に話していてその一つ一つが楽しかったし、嬉しかった。あまり嬉しかったので、見送った後、細君にすぐに報告をした。
今年の全国中学校水泳競技大会が8月に福岡であって、今それを目指して毎日一生懸命練習をしていると話していたのだが、後日「息子さんのこと楽しみです。全国大会の日程と場所、再度教えてください」というメールを送ってくれた。社交辞令かもしれないと思ったが、とても嬉しく、すぐに日程と場所を報告させてもらった。
しばらくたって、我が社の九州の現地担当からメールが来た。
「社長が、久々気持ちの良い人に会ったよ!とマサイさんのこと、心から絶賛していました。子どもさんの水泳で九州に来られたときは、3人で一杯やろう!と言っていましたよ。」と書いてあった。実に嬉しいメールだった。何度も読み返してしばらく画面に見入っていた。細君にも転送して見て貰った。
管理職のわずらわしさに毎日閉口して、辛い思いをしながら助けを祈っていた時だったので、救われたような気持ちだった。自分だけがはしゃいでいたのではなく、相手もそう感じてくれたのが嬉しかった。神様が遠くから助けを送って下さったに違いない。主はいつも我々を見ていてくれて、まさに我々が必要としている時に励ましを送ってくださる。それは実に時にかなって美しい(伝道者の書3:11)。
ピリピ人への手紙
4章6節 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4章7節 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
北京オリンピック以来、水着についてのニュースが多くなった。これは水泳界に限らず、一般の記事ネタにもなっている。我が家には水泳選手がいるので気になる話題である。
マサイの学生の頃は、競泳用の水着といえば三角形の面積が小さいものだった。我が息子が選手になって三角形のクラブ水着をはいて泳ぐ事になった時は喜んだものだ。それが時を経て腿まで覆うハーフスパッツ型を気に入ってはくようになった。去年7月、全中予選を見に行くと、速い子は足首まであるロングスパッツをはいている。それが格好良く見えた。中学3年生や、高校生がはくものというイメージがあったので、いつかは我が息子もあれをはくようになるのだろうなと憧れを持って見ていた。
ロングスパッツはハーフスパッツの倍の値段がついている。1万円を越すもので、水着といえども簡単には手が出ない。今まで水泳は野球やサッカーなど他競技と比べて用具代が余りかからなかった。それが北京オリンピックでS社のLRが注目を浴びてから様相が変わってきた。高速水着と言われるものの登場である。
この水着問題でオリンピックの競泳はいろいろ盛り上がった。実際オリンピックの決勝では、海外の選手もみな同じS社の水着でスタート台に並んでいた。選手をよそに水着ばかり注目されたので、「泳ぐのは僕だ」と選手たちが逆にアピールした。水着が速いのではない、水着を着た選手が注目されるべきだ。それは絶対間違いない。
今まで他競技は用具の開発により利用者であるアスリートが好結果を残して来たが、水泳界に関しては驚くほど大きな革新はなかった。だからこのLRの登場は画期的であった。しかし他社も負けてはいない。S社に対抗すべく各社の開発合戦が始まった。各社売り出すポイントは違っても、アスリートにとっては興味のあるものばかり。超軽量、体幹保持、骨盤安定、体のラインを整える、体型矯正、水の抵抗を少なくする、などなど、流体力学的に考えられた新商品ばかり。そして何よりこれを着ればタイムが伸びる、と言われている。着たから速くなったのか、着なくてもそのタイムは出たのかの検証は一般選手レベルでは残念ながら出来ない。
いろいろな機能をもったこれらの水着は随分高価である。しかし0.01秒を争う世界において、子どもに買ってやりたいと考える親も多いだろう。欧米では経済的な格差によりタイムが左右されるので、学生の着用する水着に関しての規定を求める声が新聞に載っていた。そんな記事を読みながらも、高速水着っていうのは日本の上位にランキングされるような人が着るのだろうな、とのんびり考えていた。ところが秋の県大会から高校生の中でLRを見かけるようになった。着る方も勇気がいるだろうなと考えながら見ていたが、S社に対抗すべく新商品を開発してきた他社の高速水着もいた。
問題は急速に身近な物になって来た。我が息子も今まで競技会ではクラブの水着で泳ぐように指導されてきたが、期間限定で自由に選んでもよいと解禁になった。ここから急に競技会で見かける水着が変わってきた。エントリー最終組では各社の高速水着が並ぶ。最初は高校生だった。すぐに中学生もはくようになった。年度の変わった今では小学生の10歳以下の部でも見かける。
親としては、まだまだ水着に頼っている年ではないだろう、そんなことより一生懸命トレーニングをしろ、とこの問題を一喝することは出来ない。毎年速くなって行く標準記録(各種目毎に設定されているタイムで、これを公認競技会で突破しないとその大会に出られない)へ向かってそれを着てタイムが縮まるならば、と藁をもすがる気持ちでいっぱいなのである。どの親も同じなのだろう、みるみるうちに高速水着の輪は広がっていった。一人で数種類持つ者もいる。この浸透の度合いはものすごいスピードである。
中には10回しか効果が持続しないという噂のある水着もある。今までになかったことだが、とても入らないと思うほどの小さな水着に「体を押し込む」ように着用する。2~3人がかりで着せてもらう場合もある。体を締め付けるので長時間着ていられない。試合の直前に四苦八苦して着て、試合が終わるとその窮屈な中から火照った体を開放してあげる。
どうしたら良いかしばらく祈ってから、11月の大会に向けて我が息子にも買うことにした。LRという訳にはいかないので、同じS社のものを探す。1着が高価な上に、どこにでも売っているものではない。おまけに買いが殺到している時で、品切れ状態の店もあった。あちこち探し回ってやっと見つける。試着を頼んで、息子と二人、狭いフィッティングルームに入って汗だくになって着せて見た。
まず水着が足首を通過しない。次には腿から上がって行かない。ちょっとずつ生地をつまみながら上げていくが、爪で引っ掛けたらおしまいだ。着た後は屈伸をしない様にという注意書きのある商品もある。こんなことを競技会の日にしていたらエントリーに遅れてしまいそうだ。やっと入ったと思ったら、もうひとサイズ下の物がサイズ的には丁度良いものだった。
いよいよ息子もロングスパッツをはくようになったか、と喜んでいたが、以後はそれが当たり前になった。試合後に感想を聞くと、それなりの効果はあるらしい。1着という訳にはいかないので複数枚必要になる。素材もバイオラバーのものが登場してからまた水着が高価になった。男子は胸まで覆うロングジョンタイプも多くなって来たが、さすがにここまでは手が出ない。以前は競技会に必要な水着とゴーグルとキャップを新調してもたいした支出にはならなかった。それが高速水着、理想的な水流を生み出すシリコンキャップ、視界を広くクリアに保つゴーグル、とそれぞれが高価な買い物になってきた。
国際水泳連盟(FINA)は世界記録の公認はFINAが認可した水着を着用した場合に限ると発表した。水着については生地の厚みや浮揚力などを定めた現行規定に、素材の浸透性能の制限が加わった。FINAが主催する世界選手権や、オリンピックでは参加する全選手が同規定に適合した水着の着用を求められる。
これを受けて日本水泳連盟は、混乱を避けるため、本年度内は現行の水着規定を変更しないとしたが、2010年4月からは、日本水連並びに加盟団体が主催する競技会と公認競技会においてFINAの承認を得た水着を着用する、という規則を付け加えた。問題は全水泳選手に及んできた。また今月6月1日以後の日本記録については、FINAの承認を受けた水着を着用した記録を公認する、とした。
5月25日、FINAが承認した水着の一覧がWEBで発表になった。世界中のメーカー202の商品が英語で並ぶ。ざっと見ただけだが、よく目にする水着のいくつかはここに名前がない。幸い我が息子の持つ水着はここに入っていた。
高速水着を全員が着るという条件の元で「泳ぐのは僕だ」を競う原点に戻ったということか。しかし悪影響もある。高速水着によって皆のタイムが速くなる、すると翌年の大きな大会の標準記録が改定されて速くなる、より一生懸命トレーニングをする必要が出て来る、ますます休んでいられない。水着に首を締められたようなものだ。
2010年3月のジュニアオリンピックに出るための標準記録は、息子の狙う400m自由形で、今年の3月のものより2秒51も速くなった。1/100秒が明暗を分けるというのに随分一挙に上げてくれる。しかしこれを確実にクリアしていかないと出られない。ますます狭き門になる。それに立ち向かって行く息子も大変だ。
マサイの定額給付金はバイオラバー製の水着に化けた。細君に甘~い親と言われるが、親としては出来るだけの事はしてやりたい。この水着の他に出来る事は栄養、休養の面でのサポートをすること。もう一つ出来る強力な事は、祈り支えること。これはまかせておきなさい。教会の皆も祈ってくれる。イエス様、よろしくお願いします。
マタイの福音書
6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
年始に実家に帰ると床の間に今までなかった仏壇がある。仏壇といって仰々しいものではなく、今様のインテリアと調和するような木目調のもの。観音開きであることに変わりはないが、父母双方の両親の写真が飾ってあった。位牌があるわけではないので、お茶碗にてんこ盛りのご飯に箸がつきたてられてということはなかったが、お香をたいたりなどしている。
マサイの実家には今まで仏壇がなかった。マサイの父は次男で、年寄りと同居したことがないので、仏壇を守ることもない。子どもの頃に暮らしていた小田原の家には神棚があったが、引越しを期に全て神社で燃やして来てしまった。
ということで埼玉の新居に移ってからはそういうものがなくなり、マサイはすっきりしたと喜んでいた。実家では一人っ子であるマサイだけがクリスチャンである。ところがある日実家に遊びに行くと、床の間に父方の祖父母の写真が写真立てに入れて飾られ、お香がたかれていた。
父親が考えたものらしいが、こうすると精神的に安心するらしい。信仰深かったり、普段からそういう話をする親ではなかったが、それが今度は仏壇になった。写真立てとは違って大きくなったので驚いた。誰がこれを継承するのだろうと、迷惑に思いながらゆっくり見もしなかった。
3月の半ば過ぎに父から電話がかかってきた。墓の事を考えているという。墓の場所は小田原の寺に確保しておいたと昔聞いた事がある。祖父の墓の隣に随分前に一区画確保したのだが、誰もその対象とならないので墓石もなく、更地のままになっている。
実家が埼玉の越谷へ引っ越して遠くなってしまったので、築地本願寺へ母の妹夫婦とともに納骨堂を申し込もうかと思っていると言う。自分達の将来の事として考えるはこのくらいしかなくなって来てしまったのかと思うと寂しく感じる。
しかし話を聞いていると、その墓を受け継ぐ場合は形式上でも信徒にならないといけないらしい。確保してある墓所は曹洞宗の寺にある。本願寺は浄土真宗本願寺派である。道元から親鸞へ。形式上と言っていたが、何も抵抗はないのだろう。自分達が形式上そうなるのは良いが、それを受け継ぐ人がいないと、永代供養料を支払っていてもそこを追い出されてしまうらしい。そこでマサイにも形式上でいいので、信者になってくれないかと言って来た。形式上だからと何度も言われたが、それは勘弁してもらいたいと、断る。
小田原の墓を生かす場合は、最近母が良く転ぶようになったので、遠くて行かれなくなると言う。先日父が小田原で小学校の同窓会を実に60年以上振りにやるのに出席して、あまりに遠いと思ったらしい。本願寺が駄目ならその代替案として、近くに探した方が良いだろうかと言う。しかし小田原の方は使わない場合でも宅地のように売買できないらしい。購入時に随分支払っているはずなのだが、転売できない以上金は戻ってこない。新たに買う場合はまた多額な支払いが生じる。
自分達はどうしたいのだと聞いても上手くはぐらかして聞きたい返事は返って来ない。築地というのも叔母の旦那さんの実家が岐阜の本願寺系に関係があると言うのと、叔母夫婦が結婚式を築地本願寺であげたというのと、マサイの会社が築地にある、ということで考えたらしい。しかしマサイが築地に通うのもあと11年。いつまでも通っている訳ではない。
お前達が将来どこに住むかによって墓の場所も決めたいという。息子がせめて高校を卒業するまではここを動けないし、そんな先のことは考えた事もない。息子の全国大会直前だったので、終わったらゆっくり考えるからと電話を切る。
大会後にかけなおすと、どうも歯切れが悪い。前にも書いたがマサイの両親はクリスチャンではない。子どもを幼稚園の頃から小・中学校以外はミッション系に入れた当人達は聖書に近づこうとしない。よくよく聞いてみると、クリスチャンになった息子に同じ墓に入れないと拒絶されるのではないかと危惧していたらしい。だから妹夫婦と一緒にとか、要らぬ心配をしていたようだ、
別に小田原での法事だからといっても車で迎えに行って送ってもあげるから、小田原の墓を使えばと提案をする。自分が長く住んでいて思い入れのある土地なのだろうし、無駄にするのももったいないからと話す。一人息子で他に面倒を見る人間がいないのだから、ちゃんと老後は見ます。だからもうちょっとは元気で孫の活躍を見ていて下さい、と言うと安心したようだ。
先日電話を切ってから、今日までの間に自分の思いを読んでもらおうかと思って文章にまとめていたと言っていたが、全ての元は自分達の老後、これからの事を心配してのことだったようだ。年老いた親を二人で生活させておくと、こういう心配をするのかと、改めて考える。
今は伸び盛りの息子の事ばかりしか中心に考えられないが、親からこっちも少しは気にしてくれよと言われたように思える。自分達の事を考えてきた人生、息子の事を中心に考えている人生、そして次は親の番か。最近は自分より、細君、息子の事を優先して考えるようになっているので、両親のことも当然の事のように考えられるようになった。心配しないで、全く忘れている訳ではないのだから。ちゃんとやります。
申命記
5章16節 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。
細君が今年の漢字として挙げたのは「挑」。それに向かってちゃくちゃくと成果を上げていることは先月紹介した。さてマサイはどうか。マサイの挙げた漢字は「穏」。あまりに忙し過ぎる毎日に自分を見失うことなく、穏やかな人として、自分にも、回りにもゆったりとした気持を持つ、というのが今年の目標であった。
ところが年が明けて暇な時がない(年末から続いているのだが…)。忙しい毎日。朝の目覚めと同時に今日の仕事を組み立てる。マサイは仕事の速さや段取りに関しては誰にも負けない、と昔から自負している。その自分がやっていても仕事は終わらない。3つ4つの事を同時にこなしながら、優先順位をつけて片付けて行く。優先順位の下位にはいつ手をつけられるか分からない。
最近は細君が息子のと一緒にお弁当を作ってくれるので、それを席で食べている。細君が栄養バランスをちゃんと考えてくれているのが良く分かる。PCの画面に今日の波情報を写しながら、湘南の波の大きさを確認し、サーフィンをしている写真を見ながら10分弱、しばしの休憩を取る。出社後唯一ほっと出来る瞬間である。
回りも忙しそうだからと気を遣ってくれているのが分かるが、ほおっておいてもらえるわけもない。席とプリンタ機を走って行き来する。部長だろが、専務だろうが、「今これを終わらせるまで」と待ってもらう。しかし一つが終わらないうちに、2つ3つ仕事が増えて行く。最近はメールで仕事が送られてくる。電話でなら居留守が使えるのだが、メールではその手は使えない。それに一つ一つ返信していると、完全に仕事は滞る。
19時半には会社を出ないと息子が夕方のトレーニングから帰って来るのに間に合わない。家族揃っての食事を何よりも優先したいために、日中人の2~3倍の速度で仕事をこなし、息を切らして片付けて行く。ピリピリしているのが分かるのだろう。みんな遠慮がちに「今、良いですか?」と寄って来る。随分回りにも迷惑をかけているようだ。
それならと、家族との食事より仕事を優先して21時、22時までやっていると、翌日の仕事の効率が確実に悪くなる。だから時計を気にしながら、シンデレラ状態で走って会社を出る。家の近くまで来て、すとんとエネルギー切れを起す事もある。
しかし家族揃っての食事は良い。食事中はテレビをつけないので、ジャズやクラシックを聴きながら、細君が作ってくれた暖かい料理を一緒に食べる。今日何があったかを話し、今日のニュースなどについてゆっくり話し合う。この時間は何より張っていた神経をゆっくり休ませてくれる。この時間があるからこそ、翌日も追われるような仕事に負けずにいることが出来る。
忙しく苛々する心は週末のジョギングで解消している。体の隅々から汗と一緒にストレスを流し出す。走っている間は目に映るもの以外に意識は飛ばないから、これも神経的には休まっているのだろう。走る距離が段々延びて行く。
しかしこのままで良いわけがない。目標に掲げた「穏」ではなく、去年の「苛」をまた繰り返しているだけだ。何か良い解決策があるはずだと模索しながら満員電車に揺られているのだが、まだ具体的なものは見つからない。
そんなふうにまさに一心不乱で仕事をしていると、近くの聖ロカ病院がお昼と夕方に鳴らす鐘の音が聞こえてくる。時計すら見れずに仕事を続けている時には時報替わりになる。鐘の音は短いが賛美歌である。日替わりで、昨日は「アメイジング・グレイス」だった。おどろ~くばかりの~、めぐ~みぃな~あり~、とメロディーがチャイム替わりとなる。
忙しい時にはこの賛美歌に救われる。いっとき目の前の仕事から目を上げてほっとできる。最高音が出ないのか、一音はずれているのもご愛嬌。あぁチャイムが主を賛美しているんだなぁ、と考え、張っていたものが一時緩む。主に「ちょっと休め」と肩を叩かれているようだ。だからチャイムが鳴っている間、不思議と心が静まる。「父、御子、御霊を~」と一緒に心の中で歌ってみる、あぁ良いなぁ、としばし自分を取り戻す。
今年の「穏」の鍵はここにありそうだ。
詩篇22編3片
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
エレミヤ書17章14節
私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。
細君の今年の文字は「挑」である。大きな柱として3つあげていたが、1月早々にテニスの大会で賞品を貰うというのは達成してしまった。2位に入ってテニスソックスを貰ってきた。
もう一つがハーフマラソン完走。トレーニングでは18kmまで走れるようになっている。4月のイースター後の大会にエントリーしているのでこれも達成できる見通しがついている。
ちゃくちゃくと目標を実行に移しているのは偉いと思う。そして3つ目の柱が隣国の言語である韓国語マスター。どうして韓国語かと言うと、このところの韓流ブームに乗ってというのではなく、ちゃんとした理由がある。
息子が小学4年生までは毎年夏に1週間以上まとめて休みを取って家族旅行に行っていた。それが息子の競技者人生のスタートともに行かれなくなってしまった。我が家の一年の中心となる大イベントであったので、とても寂しい。皆どうしてるのかと水泳仲間に聞いてみると、大抵のスイマーの家庭は、行かれてディズニーリゾートまでらしい。日帰りということだ。日々の大切なトレーニングはそうそう休むわけにはいかない。
しかしツアーコンダクターだった細君はどうしても日本から脱出したい。一週間、いや5日もまとめて休むと息子のトレーニングに響くので、行くとしたら最長で2泊3日。これで最大限遊ぶとしたら…、と考えてみた時に最も近い外国である韓国が浮かび上がる。そしてどうせ行くなら現地の言葉をマスターして行った方が楽しい、ということになって、それが今年の目標になった。
細君は早速CD付の分厚いテキストを手に入れて会話から入っている。台所にテキストから抜き書きした韓国語のフレイズを貼って、料理をしながら覚えている。毎晩帰るたびにその枚数が増えている。とても熱心にやっていて、それをマサイにも教えてくれる。ハングル文字も構成を理解すると面白い。
日本史の最初から出てくる様々な交流のあった外国なのだから、もっとお互いの言語を自由に操れても良いように思うのだが、今までその機会が少なかったのが残念だ。何年か前の夏休みにインドネシアへ行って、アジアの日本であることを再認識し、近隣国の言葉を覚える事の必要性を感じたことがあった。最近は駅の案内板等にもハングル文字はある。これから真剣にそれに取り組んで行こうと思う。それでまた広がる世界があるかもしれない。日本よりはるかにクリスチャンが多い国のことを学ぶのは楽しみである。
しかしそう簡単には現地へ行かれないので、日本にある韓国料理店へ行ったり、輸入食材を買いに出かけたりしている。マサイは結婚するまであまり辛い物が得意ではなかった。それがじわじわと細君の手料理で鍛え上げられて、今では何でもOKになっている。
探してみると、実は隣国の文化があふれている場所がある。まず食事を通してその文化を楽しんでいる。言語や食事を通してその国が見えてくるようにも思える。理解するのは愛の始まり。細君はコリアンタウンガイドを買って真剣に店を選んでいる。
店に入ると、細君が早速覚えたての韓国語でメニューを持ってきてくれと頼んだり、注文をしてくれたりする。通じて喜ぶのは英語を学び始めたばかり頃を思い出す。ただフランスへ行った時と同じで、韓国語を使うと、返答も韓国語である。一方的に韓国語をしゃべって終わるわけにも行かないので、細君は今後の課題として数字を覚えることと、自分が発した質問からの流れで想定される返答やその先のフレイズをいくつか頭にインプットしておく必要が有ると気づいたようだ。ただどうしても聞きたいことは、日本なのだから日本語で聞けばよいのに、と言うと、はっと驚いていた。
テトスへの手紙
3章15節 私といっしょにいる者たち一同が、あなたによろしくと言っています。私たちの信仰の友である人々に、よろしく言ってください。恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。
息子が毎週金曜日にB5判横印刷の学級通信をもらってくる。連絡事項や次週の時間割りが書いてあるのだが、親としては学校で何が行われているのか、担任が何を考えているのかを知る術となる。
新年最初に別刷のような形で40号が出た。「去年一年を漢字で表す!」というテーマで皆が昨年一年を振り返って、それを漢字一文字に集約して表している。昨年暮れに京都の清水寺で行われた有名行事では「変」が選ばれた。change、変革の年。来し方を振り返るばかりではなく、漢字に翌年への期待を込めているのが読み取れる。
子ども達は皆今まで6年間通った小学校を卒業し、4月から中学という新しい環境に身を置いた大きな変化の年であった。息子のクラス33人が選んだ漢字は、
楽、体、怠、不、初、糸、疲、忙、笑、驚、絆、動、情、変、親、一(はじめ)、生、友、厳、移、戦、労、終、夢、輝、大、始。
だぶっていた漢字を除くと以上の27文字。新しい学校、制服、勉強、友達、部活、を上手く漢字一文字で表現している。名前は書いていないが、その漢字を選んだ理由も短くまとめてある。変化を理由にしたもの、その変化によって疲れた、忙しかった、環境が変わって初めての事に対する喜び、不安、勉強や部活での活躍、新しい友達、楽しかった事など、皆の正直な気持ちが出ていて面白かった。
これを前に置いてしばらく細君と息子と3人で話す。ずいぶん盛り上がった。一文字というと実は選ぶのに苦労する。2文字になると選択肢はぐっと広がる。
息子は休みがなく、いろいろな出来事があったからと、「忙」を選んだという。確かに忙しい一年だった。そんな日々を良く頑張って来た。
マサイは何だったのだろう。やはり「苛」か。あまりに忙しくて心に余裕が無かった。ゆっくり何かを楽しむより、追われていることの方が多かった。張りつめた気持ちを緩めることが出来ずに、気持ちばかりから回りしていた。こんなことではいけないといつも思っていた。
細君はやっぱり「変」だが、もっと超高速での変化を表現して「瞬(またたくま)」を選ぶという。細君も心穏やかに過ごせなかったことは確か。それでも一生懸命やっていた。実に忙しい一年だったが、忙しいという漢字は心を亡くすと書くから使いたくないという。「瞬」とはうまく表現したものだ。
2009年はどうしたい?と細君が言う。マサイは「穏」を選ぶ。忙しさに振り回されて自分を見失うこと無く、心穏やかに、落ち着いた年にしたいと思う。余裕を持って全てのことにあたりたい。
ペテロへの手紙第一
3章4節 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
細君は「挑」を選ぶ。いろいろなことに挑んでみたいという。韓国語マスターやハーフマラソン挑戦などいろいろ楽しみにしていることが有るようだ。
マルコの福音書
11章24節 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
2009年末に振り返った時、どんな漢字が思い浮かぶか、楽しみである。
エレミヤ書 17章7節
主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。
金婚式だからどこか一泊で温泉にでも招待するよ、というのが父からの最初のお誘いだったが、多忙を極める息子のスケジュールではそれが実現出来ず、一緒に食事をということになった。実家から来るのに便利な銀座に細君がイタリアンのレストランを探して予約を入れてくれた。本当の記念日は11月10日なのだが、息子の大きな大会が落ち着くまで待ってもらった。
当日の銀座は土曜日の夕方ともあって、ものすごい混雑だった。通勤の行き帰りには通っているものの、休日の銀座を歩くのは久し振りで、その混雑に驚いた。最初は早く会ってデパートで買い物でもと母親に誘われたが、我々の生活する範囲で必要なものは銀座のような高級思考の場所にはない。ゆっくり食事をしながら話しましょうということにして、集合はレストランにしてもらった。
金婚式と言えば結婚50周年。両親も76才と74才になった。健康で結婚50周年を祝えるというのはめでたいことだ。マサイは82才にならないと金婚式を祝えない。銀婚式まではあと9年。
銀座8丁目の店の前には先に着いた父が待っていた。まだ店が開いていないのかと思ったら、早く来すぎてまだ暗い店内に入ったとろ、母が段差に気付かずに転んで肋骨を打ったという。店の人に湿布を貰って休んでいた。随分前からこの日を楽しみにしていたというのに残念なことだ。幸い強く打っただけでそれ以上ひどい状態では無いらしい。ころんだことの驚きの方が大きかったに違いない。
プレゼントは記念になるものを、と細君がいろいろ探して注文してくれたものを渡す。ワインのボトルに50th Anniversary Isao & Fumiko Forever Happiness 2008.11.10と彫ってある、世界に一本しか無いワイン。何でも持っている親なので、何を喜ぶだろうと思っていたが、「良いものを貰った」ととても喜んでくれた。
昔から結婚記念日は夫婦お互いのことだからと、子としては祝ってあげたことが無い。親同士でどこかで祝っていたという記憶も無い。だから正確な日付は今の今まで知らなかった。とにかく2人とも元気でいてくれたことは有難い。マサイはわがままな一人息子で今まで何か親孝行をしてあげたという事は無いが、自信を持って言える一番の親孝行は、我が奥様と我が息子。両親もそれを何より喜んでいる。
食事をしながらゆっくり話が出来た。父親は今の息子の年齢(13歳)の時に終戦を迎えている。同級生が郵便航空兵等として、志願して試験を受けに行ったと言う。合格した者は無事には帰って来たが沖縄へ派遣されて行ったというが、あまりに若い。
珍しく昔話をしてくれた。その当時は履物が無かった。下駄があれば良い方だったらしい。陸上競技部にいたが、裸足で100mを13秒いくつで走ったと、今でも記憶していた。自慢のタイムらしい。今のように恵まれたシューズで、アンツーカーのトラックで、という時代ではない。食べるにも生活するにも大変だった時代。父の一番の自慢は、小・中学校9年間皆勤賞、一日も学校を休んだことが無いということ。息子も孫もその偉業は継げていない。
最後は大皿に「祝金婚式」とチョコレートで書いてデザートを出してくれた。我が息子の活躍をこれからも見守っていきたいので長生きをすると言う。細君や息子と嬉しそうに喋っている。有難いことだ。
母は背中が丸まって来た。息子の方が背が高い。先ほど転んだのもあるが、歩き方が少し心配。そんな母だが、大好きな銀座に早く着いてあちこち見て回っていたらしい。三越の中に入ると水を得た魚のように活き活きとなって、さっといなくなってしまったと父がぼやいていた。
我々の金婚式の年、マサイは82才、息子は46才。その時にも楽しく一緒に食事が出来れば良い。それまでは健康で足腰丈夫でいようと細君と話す。家族仲良くいつまでも健康でいられるのが一番の幸せ。
創世記
2:19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
2:20 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
今年も大阪で行われた息子のスイミングクラブの全国大会に行って来た。4年前、この大会に出られるようになってから我が家は水泳一色になった。11月22日から3日間行われるので、学校へはクラブが用意をしてくれた欠席届を出して、選手は前日に新幹線で出かけて行った。新幹線のホームで見送った後、親は後を追うが、優雅に新幹線を使っていられないので、新宿発の夜行バスに乗って追いかける。
朝一で大阪に着くと近鉄に乗り換え、駅のロッカーに荷物を預けてプールへ。泳ぐ選手は大変だと思うのだが、見ている親達も実に大変だ。いつもの県大会では、朝5時頃に起きてお弁当を作り、一緒にストレッチをした後クラブまで送って行く。その後会場の外で席を取るための長蛇の列につき、席を取った後は一日中狭い座席で息子の出番を待つ。出番になるとビデオカメラで泳ぎを撮影し、ほぼ一日がかりなので、夜帰って今日の泳ぎについて反省会を開く。親としてもかなりハードな一日だ。大阪に場所が移ってもやる事にたいした変わりはない。
大きな大会が迫ってくると、試合の日まで選手に風邪をひかせてはいけない、怪我をさせてはいけないと気を遣い、試合当日は朝から落ち着かず、息子の出番が近づいてくるに従ってトイレに行く回数が増え、鼓動は速くなり、泳いでいる間は絶叫に近い応援をする。細君は出番前、あまりの緊張に急に無口になって倒れそうな時が有る。
50m自由形に出ていた頃は一番辛かった。30秒で決着がつくのだが、この30秒は血管がこめかみの辺りで切れてしまうのではないかと思うほどの緊張と興奮の中にいる。具合が悪くなるのではないかといつも思っている。終って安堵のため息が出ればよいが、どんよりとした気分で会場を後にすることもある。選手も辛いが、親も辛い。もう見に行くのをやめようかと考えたことも何度かある。最近は200mや400m自由形に出ているので、レース時間が2分、4分と長くなった。長くなった分気分的に少し楽になったが、最後の50mは変わらず同じような興奮状態の中にいる。
大阪で開かれる全国大会は毎年11月のこの時期にある。夏は8月末のジュニアオリンピックに向けての合宿や1日に2回練習などで家族旅行が出来なくなっているので、この遠征は有難い。大阪へ行かれるのは息子のおかげだ。大会がなければ行くこともない。試合は3日続くのだが、選手は別のホテルに泊っている。団体行動なので、あいた時間に連れ出すわけにはいかない。親子別行動になるので、レースのない時間や夜は細君と2人でゆっくり道頓堀やアメリカ村、新世界、鶴橋と見て回れた。美味しいものを食べたし、面白い発見もたくさんあった。これは全て息子のおかげ。
親はこれに感謝しないといけない。子どもが出来て、夫婦二人の時は考えもしなかったところへ行くようになった。今回の旅行は特に楽しかったが、二人でいる間も息子が一緒にいたらどんなに喜ぶだろうと常に話していた。いないと随分寂しいものだ。
これってもしかしたら我が息子は親孝行なの?と細君が言う。誰もが経験出来ないことをさせてもらって、行かれないところへも行かれて、もう十分親孝行してもらっている。細君もコーチも今回の400m自由形の試合では感動して涙を流していた。こんな感動はそう味わえるものではない。家族が一つになって同じ夢を見られるということは実に幸せだ。
親は感謝の気持ちでいっぱい。そんなことを言っても息子は何だか分からないような顔をしている。神様からもらった才能には親孝行も含まれているに違いない。神様、親孝行な息子を与えて下さった事を感謝します。
ローマ人への手紙
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
コリント人への手紙第ニ
9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
婦長さんから電話があったので病院に向かっている、というメールが来たのは通勤途中だった。次に細君が連絡をくれた時には電話口で泣きじゃくっていた。入院中の義父が亡くなった。84才の誕生日を祝ってもらったばかりだった。
細君は病院で部屋を移してしばらく亡父と二人きりで過ごす事になった。午後マサイが着いた時にはベッドの横で真っ赤に目を泣き腫らしていた。室内には父が好きだったバッハの無伴奏チェロ組曲が流れている。ベッドの上に横たわったおでこに掌を置いてみると、まだ温もりが残っていた。いつ起き上がって来ても不思議はない程、穏やかな表情をしていた。
葬儀は父母の属する大泉学園の教会でやってもらう事になった。仕事で仏教の葬式ばかりに出ていたので、教会でやる式は嬉しい。いつも無駄に思えて仕方がなかった立派な祭壇の代わりに、教壇の前に花がいっぱい綺麗に飾られた。
故人はその前に横たわっていたが、遺影は置かなかった。その代わりに今までのアルバムの中から細君が選び出したスナップ写真をコルクボードに上手く並べてもらい、イーゼルの上に飾ってもらった。人生のハイライトシーンを追うようなちょっと良いものに仕上がった。学生時代の凛々しい姿、仕事中に渋い表情で煙草の煙に目を細めているもの、文士のような浴衣姿、お気に入りのベートーヴェンTシャツを着てカメラを見ているもの、結婚式でタキシードを着てウェディングドレス姿の細君と腕を組んで入場してきた時のもの。細君は選ぶのが辛かったと言うが、この大小様々な写真は故人の楽しかった人生を見ている皆に語ってくれた。皆がゆっくり見てくれたし、初めてそれを見た人にも、その人となりが良く伝わった。無理やり見つけ出した1枚を大きく引き伸ばすより余程良かった。
通夜にあたる葬儀前夜は牧師と義母、兄夫婦、我家3人だけで納棺式を行った。牧師先生が読んでくれた聖句は、ヨハネの福音書14章。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
この聖句の意味がこの時初めて良く分かった。イエス様はあなた方の為に部屋を用意しに行くと言ってくれている。義父はその用意された部屋へ行ったのだ。今ごろは想像出来ないほど楽しく過ごしているに違いない。皆で父を柩の中に移し入れた。そして棺の上には花を盛って作った十字架を飾った。
翌日のお別れの式には遠くからたくさんの人が来てくれた。日の光が入る会堂で、綺麗な花に囲まれて、とても明るい気持ちのよい式だった。
牧師は聖書から2箇所を選んで、「神の愛から引き離すものはない」という説教をしてくれた。
詩篇121篇
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
ローマ人への手紙8章
8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
そして以前父が書いた「自分はどのようにしてクリスチャンになったか」、というような証しを読んでくれた。それは葬儀に集う人たちへの素晴らしい証しになった。父が20代で初めて聖書と出会った時の事や、60才を過ぎて洗礼を受けた時の事など、その時どう感じ、何を思ったかが書かれていた。直接本人から聞いた事はないが、今ここでマイクを持って喋ってくれているようだった。続いて以前属していた久里浜教会の牧師が思い出話を語り、細君が良く遊んでくれた「大好きだったお父さん」の姿を紹介した。
それは訳の分からないお題目をただ唱え、儀式的に事を行っていく葬式と違って、間違いなく、義父の葬儀だった。そこには父の思い出がいっぱいあった。そして式の間中誰もがそんな義父の事を思い出して、考えてくれた祝福された時だった。最後は皆で棺の中を花で満たした。
良い式だった。こんなに故人が中心にいる葬式は初めてだ。父は亡くなったのではく、天の用意された場所へ行ったのだ。それがはっきり分かって感動した。
2016年のオリンピックはどこで開催されるのだろう。東京も立候補しているが、他にはシカゴ、マドリッド、ドバイなど世界各地が手を上げている。次々回である2016年、息子は20歳。丁度、出場するかもしれない大会なので、この話題には興味津々である。出来れば東京以外が良い。東京ならたくさんの人が応援に来てくれるのだが、物見遊山的な考えを持つ親は、観光も兼ねて外国が良いと思っている。
同じスイミングクラブの大先輩が出ている今年のオリンピックは、緊張して見ていた。泳いでいるタイムのすごさが分かるだけに、見ていて力が入る。北島選手の個人種目決勝の日には、息子の試合の日のように、朝からドキドキしていた。
人間の限界に挑戦するスポーツは、見る者にも大きな感動を与えてくれる素晴らしいものだ。頂点を極めるのにどれほど大変な日々があったのか、少しは想像出来る。それも合わせて考えると涙が出て来る。本人の戦いはものすごかったろうが、親の苦労もひとかたならぬものがあったろう。
試合後、勝者になった選手たちや敗れた選手たちがインタビューに答えているのをTVで見たり、新聞で読んだりした。喜びも悔しさもあるコメントだが、実はいろいろな人が言葉は違っていても、面白いほど同じことを言っている。鍛え上げられた肉体ではなく、それを内面から支える精神の話し。アスリートである我が息子にもつながる話しだから書き留めておいた。
・攻めの泳ぎが世界を制した。攻めの泳ぎを貫く。気持ちが守りに入ると安全な方へ安全な方へ行き、記録が伸びなくなる。
・強い気持ちで追いかけよう。迷わないようにして行くのが大切。
・「自信」っていうのは「自分で自分のことを信じる」だから。
・実力者でさえ、精神のバランスを崩すと簡単に負けてしまう。精神的なものが重要。
・最後は常にメンタルな勝負になる。その精神は体で鍛える。極限のトレーニングでそれを乗り越えたという自信が本番のがけっぷちで選手たちを支える。
・気力を振り絞って。ハードなトレーニングを自ら乗り越えた時、精神的に強くなる。体を使いながら気持ちを鍛える。
・弱気になるな、攻めて泳げ。
・頑張るという事は、もうだめだと思った時が始まり。(水泳)
・もっと世界の舞台を踏んで、気持ちを強くしていかないといけない(走り幅跳び)
・勇気を持って攻めろ(レスリング)
・相手よりもまず弱気に傾きかけた自分の心に勝った(レスリング)
・心技体、最も重要なのは「心」だった(ソフトボール)。
・康介は自分自身を越えて勝った(水泳)
・気持ちの弱さが出た、自分をコントロールできなかった(水泳)
・恐れる気持ちを外に出しては駄目。集中力を失うから。(フェンシング)
ここに上げたのは、頂点を目指す者だけが味わえる試練だろうが、ジュニア・アスリートにも共通の話題である。己との戦い。ここでは精神的に強く、気持ちを強く、ということが取り上げられている。選手は対戦相手にではなく、自分に打ち勝つということが重要なようだ。
弱気になるな、守りに入るな、いろいろなマイナスイメージを払拭して攻めて行け。世界の屈強な対戦相手より、自分の心というのは余程手強い相手なのに違いない。世界のトップを目指すアスリートでさえ、最後に乗り越えて行かなければいけないもののようだ。
どうして自分自身がそんなに手強良いのだろう。自分を信じて、相手を怖がらない。しかし気持を強く持って攻めるということは、なかなか難しい事のようだ。不安な気持ちは自分の内側から勝手に浮かび上がってくる。押さえようとしても、指の間から勝手にすり抜けて沸きあがってくる。自分の気持でありながら、自分で制御できるものではない。
これに打ち勝てというのは至極難題である。しかしこれがあるから人間なのかもしれない。なぜなら、そこに神様の力が働くように聖書には書いてあるから。クリスチャンには何より強い味方がいる。
コリント人への手紙第2
12章9節 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ジュニア・アスリートである息子にはこの聖句がついている。何より心強い。弱さを誇って良いのだから。今までそれに打ち勝て、乗り越えろ、と叱咤激励してきて、それに負けてしまっている息子を見て歯がゆい思いをしてきたが、これからはこの聖句が息子を支えてくれる。忍耐力が試されるアスリートの親にとっても嬉しい聖句である。
スイマーの世界も年度の後半戦に入る。この聖句を楯に一緒にトップを目指して行こう。
息子の中学は二学期制なので、夏休みがあけても一学期が続いている。10月7日までが前期で、3日間の休みを挟んで二学期が始まる。
親の世代は三学期制だったから、感覚がずれている。夏休みの前に成績表を貰って、ほめられることはまずないが、一度怒られてしまえば遊べる夏が待っている。親からすれば、悪かった教科をゆっくりやり直して二学期に備える期間でもあるのに、夏休み前に成績表が来ないので、弱点を見直すことも出来ない。
また夏休みあけに期末テストが待っているので、開放されたように遊んでばかりもいられない。学校から来たプリントに期末に向けての勉強計画表があって、8月11日から日付が入っている。夏休みは遊ぶなと言われているようだ。もう中学生なのだから当たり前だと言われればそれまでだが、それではあまりに可哀そうだ。
普段忙しい生活をしている息子は、夏休みに入ってより忙しくなった。スイミングクラブの朝練、夕練に合宿、部活、大小さまざまな大会、漢検と予定がびっしりつまっている。各教科から出ている宿題を合宿に行く8月中旬より前に終わらせないといけないとなると、前半から忙しい。予定表に時間刻みのスケジュールを入れて張り出した。
親子3人で一緒に遊びに行かれたのが1日だけ。夏休み中、家族の全意識を8月26日の全国大会に集中させていたが、それが終わってほっとする間もなく、翌日には9月1日からの期末試験に気持ちを切り替える。この時点で期末試験まであと5日。その内の1日は県の新人戦でつぶれる。皆一体いつ勉強しているのだろう。
マサイはそんな忙しい中学生のために勉強を見てやっている。6月の中間テストは5教科だった。中学に入って初めての本格的な試験。普段学校でどの程度聞いて理解しているのか分からないが、範囲表などを貰ってきたので一緒に準備をした。
どの教科も出る範囲は教科書とノート、授業中配布されたプリント、資料集からと決められている。範囲も分かっている。ここまで教えてもらえればとても楽だ。ただ覚えればよい。大人になった今だからこそ言える言葉だが、ただ試験に出そうなところは何となく分かる。一緒に勉強したので、返って来た答案の点数が自分につけられたような気がして、一喜一憂していた。
9月の期末テストは4教科増えて9教科になった。中間の時のように準備をしたかったのだが、時間が足りていない。社会と英語だけは見てやれたが、その他は見てやれなかった。親の方があせってしまった。本人は返って来た点数をさ程気にする事もない。細君は逆に息子に慰められてしまった。
忙しくて塾に行く暇もないからと家庭教師の真似事をしているが、甘い親だなぁとつくづく思う。自分はこんな事をしてもらった覚えはない。ただどこまで自分でやらせたら良いかが分からない。教えるのは簡単だが、親がやり過ぎては自主性を削ぐ事になるのかもしれない。「分からないから教えて」と言われれば教えてあげる。しかしとことんまで考えて1問を解きあげる喜びを奪っていないか。親がやってみせれば答えはすぐに出る。それに満足して自分で考える事をやめてしまえば、一人になった時にどうなるのか。
しかしそれをせずにただ見守ってやるという事が出来ない。まだ教えてあげられる程度の内容だから、おせっかいをしているのかもしれない。どこまでやったら良いのか、これで良いのだろうかと常に自問自答している。
息子も受身で聞いているのかと思えば、そういうこともない。合宿に持って行った理科の問題で分からないところがあったが、同級生に教えてもらって理解出来た、と嬉しそうに話してくれた(水泳の合宿にも毎日勉強時間がある)。試験後、それが出てバッチリ出来た、とお礼のメールを送っていた。
仕事先での雑談の中でそんな話しをしていたら、「親子で一緒に勉強が出来るっていうのは良いよね」と言ってくれた。「そんな事はいつまでも出来る訳ではないし、父親が一緒に勉強を見てくれたっていう記憶を持って大人になるのも、次世代の為には良いのかもしれない」。元学校の先生にそう言ってもらって何となく安心した。大人の側の考えかもしれないが、息子もいつか父親になる。その時にどう思い出してくれるか。
一生懸命子どもが勉強をしている時に親は何をしていたら良いのだろう。遊んでいるのもいやだ。教科によってはだんだんマサイの手に負えない内容が出て来るが、自問を続けながら祈りに解決を求め、良策を探して行こうと思う。
ヨブ記32章7節
私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教える。」と。
7月の末、長い長いトンネルを抜けた。何度も書いたように我が息子は水泳選手。今年中学1年生になった。この時期、2次成長が始まっている子は増えて、身長や骨格の差が目立つようになって来た。体格が変わってきた子は急にタイムが伸びて、今まで聞いた事もなかったような名前が大会の上位に入って来ている。
マサイはいつ2次成長が始まったのか。中学2年生の後半だったような気がする。我が息子は小学校の4.5年生までは大きい方だったが、以後その早期成長組にどんどん抜かれている。マサイも今まで一緒に遊んでいた子の声が急に太く低くなったりしたのを聞いて驚く。水泳はユニフォームで隠さない分、その成長の度合いは一目瞭然。あの子急に大きくなったね、など大会中息子のライバルを見ては細君と驚いている。
息子は父親に似たのか、まだその時期は来ない。最近になってやっと背が少しずつ伸びてきたが、骨がみしみし言うほど成長する時期はいつ来るのか。今やっとママに追いついて来た。マサイまではあと20cmある。親を超えて欲しいものだ。
そんな体格の変化期でもあるのが原因なのか、去年の11月頃から泳ぎ方がおかしい。自分の泳ぎを見失っている。まだ完成された泳ぎではないので、いろいろ思考錯誤している時期なのだが、泳ぎに自信をなくして、力が入っていないように見える。一体どうしてそういう泳ぎになってしまうのか分からない。同年齢の子達はどんどんタイムを縮め、自信を持って泳いでいるというのに、真剣に泳いでいるのか、と怒りたくなるほどの状態。
昨年は年末に向って親も緊張の糸が張って来ていた。選手に風邪をひかせないように、怪我をさせないように、いろいろ気を使っている。毎年の事ながら、当面の目標である春のジュニアオリンピック全国大会(短水路)には2月の中頃の予選会までに、夏のジュニアオリンピック全国大会(長水路)は7月の下旬の予選会までに、その制限タイムを切らないと出られない。この制限タイムも年々速くなっている。この制限タイムは、体格差が出ている時に、体格の大きな速い子を基準に設定しているようで、そんなタイムが切れるわけがない、という程目標タイムは毎年遠のいていく。しかしそれを100分の1秒でも良いから切る為に毎日毎日トレーニングを続けている。
今年に入って1月の試合でタイムが少し縮まったが、あと0.54秒足りない。この試合で目標突破を考えていたので、未達成感が残る。結論を次の試合へ持ち越したのだが、テンションを高いまま持ち続けることは難しい。1月末の試合…、もうちょっと。じゃあ2月の最終予選会で…。しかしこれは雪の為に延期。と、張ったままの緊張の糸を緩める事がなかなか出来ない。親も気が変になりそうだ。
早くこの緊張から解放されたい。他には何も手につかない。年末年始は3日間だけ休みがあったが、それ以外は毎日トレーニングがあるので、どこへも行かれない。トレーニングが休みの日も、横浜国際プールに自主練をしに細君が連れて行く。
結局春のジュニアオリンピックは1秒の半分というタイムに泣いた。去年の制限タイムだったら出られていただけに悔しい。今まで小学校4年生の春の大会から春夏4会連続して出ていただけに、ショックは大きい。緊張の糸は結局中途半端に緩められずに張ったままでいる。今まで出場が続いていた時は、それに慣れてしまっていた。何かそれも感動がなくなっていけないなと思っていた。
小学校を卒業して中学に入った。部活でも水泳部に入ったので、改革を期待していた。ところがそうは簡単に行かない。状況は小学6年生の時とそう変わらなかった。却って陸上の中距離の方を楽しそうに走っている。4,5月の県大会では皆がどんどん大きくなってタイムを伸ばしているのを悔しい思いをして見ていた。6月は試合がない。
そんな時の話し。
小学生の時はトレーニングへ毎日車で送迎をしていたので、息子の泳ぎをよく見ていた。単に見ているだけでは済まず、あそこをこうしろ、ここをどうしろと家に帰ってアドバイスしていた。しかし中学生になったのを機会に、自転車で通わせるようになったので、最近実際の泳ぎは見ていない。毎日のトレーニングを終えて帰って来ると、「今日はどうだった?」と聞く。「良かったよ」と聞くと親も安心するが、「やばかった」とか、「遅かった」と聞くと、こちらも余裕がなくなる。
息子はどんな時にもその様子を正直に報告してくれている。どんなに悪かった時も、親が機嫌悪くなるのは分かっていても、ちゃんと「遅かった」と報告してくれる。悪い時に良かったとごまかす事は絶対にしない。
これで一度ぶつかった。タイムを聞いて、夏の予選会まであとひと月だというのに何で今頃そんなタイムで泳いでいるんだ、と声を大きくする。コーチにも怒られ、本人が一番分かっている事だろうに、親も慰めてあげられない。ついつい攻め口調になる。それ程親も余裕がない。
息子は泣きながら、「自分でも一生懸命やっているんだ」、「どんなに悪くても正直に報告しているのに、どうして自分のやる気をなくさせるようなことを言うのさ」と訴えてきた。親子3人でゆっくり話し合いをする。親もたくさんの事よりマネージャー業務を最優先して一生懸命やっている中、限界に近い事、来月の予選会に向けてどうしたらよいのか、と正直に話す。
この話し合いは良かった。息子の言いたいことをちゃんと聞けた。息子の気持も良く分かった。しかしどうやったら自信を持って泳げるようになるのだろう。親もアドバイスのしようがない。祈り続ける。
7月に入る。全国大会出場の合否を決める公認の大会はあと3つ。その1つ目。横浜国際プール(長水路)での予選会は200m自由形で出場。予選会に出られた人数も少なかったが、ここでは最悪の泳ぎをしてきた。伸びないならまだしも、後退している。最初の50mで回りにつられて早く泳ぎ過ぎて、その後が続かなくなった。準備運動では良い泳ぎをしていたのに、本番では全く自分の泳ぎが出来なかった。
残り後2つ。夏休みに入ってすぐに全国中学水泳競技大会(いわゆる全中)の予選会が横浜国際プール(長水路)であった。ここでは「いつもと違う伸びる泳ぎをするから、驚かないでね」と細君に言って泳いだという。自分で考えて出した結論のようだ。この試合はいつものクラブのメンバーとしてではなく、中学校の選手として出る。スタンドにいる同じ水泳部のメンバーが、泳いでいる間中、メガホンを手に立ち上がって応援してくれる。
ここでの200m自由形は、全中やジュニアオリンピックの目標タイムこそ切れなかったが、何か大きなものをつかめたようだ。月頭の大会より4秒近く速くなっている。本人は目標タイムが切れなかったのでまた落ちこんでいたらしいが、良い泳ぎになったと細君に誉められて、気分的にも持ち返した。この距離に対する自分の泳ぎ方が分かったらしい。特に最後の50mをどう泳げば良いのか分かったと言う。この試合でもここからごぼう抜き状態だった。
翌日同じく全中予選。今度は400m自由形。この日はマサイも会社を休んで見に行く。何故か息子は出番前にものすごい緊張をしている。この種目は200mと違ってプレッシャーがかからないはずなのに、自分で自分にプレッシャーをかけている。応援スタンドにいるマサイの横にしばらく座って気持を落ち着けていた。
召集所に降りて行ってからは、親といってももう何も出来ない。息子が自分でどうにかするしかない。イエス様、守ってくださいとお祈りをする。しかし今日の息子はどこか違う。50mプールを4往復するのだが、隣コースの中3の子にくいつき、並泳し、追い越し、と安定したペースで泳いでいる。結果、自分の泳ぎにもタイムにも満足したようだ。ほっとした表情になっていた。親としては、泳いでいる4分半、皆が息子をずっと応援し続けてくれたのも嬉しかった。
この大会で息子は自信がついた。この後、日々のトレーニングでのタイムも急に伸びてきた。
そして7月27日、夏のジュニアオリンピックに向けての最終予選。これには200mと100mの自由形でエントリーしている。泣いても笑っても今日が勝負の日。教会の中学科から応援メッセージが届く。
詩篇59:17
私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。
聖句のプレゼントはとても嬉しい。祈ってもらえているというのも嬉しい。
ゴール後の電光掲示板のタイムを見て、スタンドのあちこちで親達が一喜一憂している。今日が最終だという事もあるが、前回から変に緊張する癖がついてしまった。この日もスタンドのマサイの横に来たので肩を抱いて、励まし、しばらく一緒に仲間達の泳ぎを見ていた。これで少し落ち着いたようで、自分のフィールドに降りて行った。
召集所にいる姿をスタンドから双眼鏡で見ていて、緊張しているのが分かる。しかしその表情は不安そうなものではなく、精悍な顔立ちになっている。良い顔をしていた。
ものすごく集中しているからか、スタートの反応がいつもより速い。泳ぎ始めてからは回りにつられる事もなく、自分の泳ぎをしている。皆が最初に飛ばして100mを過ぎた頃からずりずり落ちてくるのを、ペースを乱されずに追い抜いて行く。この泳ぎを見るのは久しぶりだ。安定した良い泳ぎ。やっと力強い泳ぎが帰ってきた。細君は横で具合が悪くなりそうなほど緊張していたが、最後は叫んで応援していた。
マサイは150mの通過タイムを見て突破を確信した。そしてゴール。力強い泳ぎにはそれなりのすごいタイムがついてくる。自己ベストを3秒弱縮める文句なしの標準タイム突破。コーチ2人が両手で輪を作って嬉しそうに息子に合図をしている。息子もスタート台に片手でつかまりながら空いた手でガッツポーズ。こんな姿を見たのは9ヶ月ぶりだ。見事な泳ぎだった。
感動を有難う。マサイも細君も息子から大きな力をもらった。初めてジュニアオリンピックの制限タイムを切った時を思い出す。何度思い出しても熱い涙が沸いてくる。こんな感動はそう味わえない。これで親の緊張の糸もやっと緩める事が出来る。一挙に髪の毛が真っ白になってしまうのではないかと思ったほど力が抜けた。細君はトイレで一人泣いて来た。息子のマネージャーや栄養士として大変な日々を過ごしてきた細君、有難う。
これで息子もはじけた。自分の泳ぎ方が分かったようだ。それをつかんだから午後にある次の100mでも何かやってくれるだろうと思っていた。緊張もしないのだろう、100mの前はもうスタンドにはやってこなかった。
その100mの結果にはコーチも親も、皆がびっくりした。本人が一番驚いたに違いない。目標タイムにすらしていなかったタイムがいっぺんに出た。すごい奴だ。最後にもう一本泳げたが、その100mでもさらに自己ベストを出した。すっかり自信がついたようだ。残念ながらこの100mはあと0.3秒足らずにジュニアオリンピックには出られなかったが、200m自由形は文句なしのタイムで、大会初日の8月26日に出られる事になった。
長いトンネルだった。それを良く抜け出た。苦しんで、苦しんで、最後は自分との戦いだった。自分に打ち勝って、緊張も克服して、これからの泳ぎにつながる大きな自信をも身につけた。
私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。
イエス様、可愛い息子は試練に打ち勝ってまた一つ成長しました。そう、神様は私の力、私のとりで、心から感謝します。
A新聞の日曜日に連載されている「おやじのせなか」という欄を毎週気に入って読んでいる。「学ぶ」というページの中にあるのだが、毎回著名人が自分の父親を語っている。生きている父親もいるし、もう亡くなった父親を語っていることもある。皆一応に父親について子供の頃に抱いていた気持が、大人になるに連れて変わってくる。自分が父親と似たような年になった時に語ると、実に暖かい視線で一人の男の生き方を語るようになる。違った生き方をしていても父親の生き方を認めるようになるのかもしれない。
5月の連休でマサイの実家に家族揃って行ってきた。埼玉なので近い分、いつでも行けると安心してしまうので、行くのは年に数度。2人とも元気でいいてくれるので安心している。両親も高齢なので、長くいると疲れてしまうから泊らずに帰って来る。
そんな父からワープロで打ったB5判の原稿と絵図を8枚もらった。裏にはH20.4.19と日付が入っている。
内容は父の病状について。父は6月で76才になる。また11月には金婚式を迎える。最近の健康状態について「体力の衰えを感じるこの頃である」と始めている。
まずは3年前、健康管理のつもりで受けたMR検診の話から始まる。MR検査で頚動脈の写りが悪かったので、CT検査での確認となった。「人生最大の危機」とか「胸騒ぎがした」という言葉が出て来る。結果は「右の内頚動脈閉鎖と左内頚動脈狭窄」という診断。初めて聞いた血管障害の病名に驚いたらしい。
精密検査へ。このあたりで「覚悟」という言葉が出て来る。レントゲン他、右大腿動脈からカテーテルを挿入して脳内血流を撮影。検査でベッドに横たわるのを「俎板の上の鯉」と書いている。
検査結果は、右頚動脈は内側血管が100%詰まり、その先血流がない。二股ソケットの一方が壊れて電気が流れないのと同じと書いてある。そしてもう片方も詰まりはしないものの、狭くなっている。血管図のコピーが一緒に付いていて、動脈はちゃんと赤く塗られ、詰まった箇所を記してある。
回復手術は頚動脈を切開して詰まった血の固まりかコレステロールを除去するのだが、リスクを伴うし、専門医は国内にも数少ないということで医者も勧めなかったらしい。頭部左側からの血管がバイパスの役目を十分果たしているので現状のままで大丈夫でしょう、ということになった。血流改善の薬を常飲して、節度のある生活をするように、という診断。治すのではなく、共存という勧めに不安を感じている。
医師の説明は専門的過ぎて理解できない点が多いと、市立図書館で専門書を探し出し、複雑な血管系図と解説を熟読したという。原因は動脈硬化症である。この血行障害の症状を読んで思い当たる節があったらしい。昔からコレステロールの値は高かった。積年の苦痛の根源を発見したような喜びを感じたとある。
この話は本人から以前聞いていたのだが、文字になると何かの宣言なのか、遺書のようでイヤだなと思いながら読む。
積年の苦痛とは、父は40才(マサイが12才)を過ぎてから貧血状態、右目のかすみなどという症状を感じていた。心臓が苦しいと言っていた時期もある。それが仕事中、通勤中(小田原から品川まで東海道線で1時間20分かけて通っていた)、構わずに出るので、いつどんな時に起るかということに悩んでいたらしい。
子どもの頃父は普段健康そうに見えた。よく医者には行っていたが、何度も行くので神経質なのは祖母の血かと気にしなくなっていた。当時近所の内科や眼科、耳鼻科へ行っても、町医者レベルでは病状の分析は出来なかった。いつも原因が分からずに不満そうに帰って来ていた。
普段は一見健康そうなので、他人の同情を得られない。原因が分からない病に対しての不安もあっただろう。家族も気付かなかったが、本人はそれで落ちこみ、心を病んでいたようだ。太っているわけでもなく、極端に痩せているわけでもない、標準体型である。
病状やその度合いは本人しか分からないので、心配のしようがない。当時のマサイも病名がはっきりしないので、病は気から程度にクールに見ていた。父の父、マサイのお爺さんは神奈川県の西の方で教育長をしていたほどの人。明治生まれの割には背も高く、健康でしっかりしていた。そんな祖父と比べてしまっていたのかもしれない。
マサイが高校生の時に会社で倒れて北品川の病院に入院した事がある。その後、胆石で自宅に救急車を呼んだ事もあった。それぞれ大事には至らなかった。
父は戦前の生まれであるが、小学校から高校卒業までの12年間、皆勤賞という無欠席記録を人生の誇りとしている。そんな丈夫な体が病に犯されるのが理解できなかったらしい。精神的にも肉体的にも疲れ果て、人生の幕引きまで考えていたようだ。
しかしその後、良き先輩に勧められた仕事の新分野が気分転換になったらしい。気分的に解放されて、国内、海外を飛び回るようになった。同時に良い仲間、良い出会いも増えた。父の人生の中ではとても良い時代になったようだ。病の事も忘れていられたらしい。
そんな長い間気にし続けていた病の原因が分かっただけでもほっと出来たようだ。しかしその病から解放されたわけではない。現在の治療法は、投薬、節食、運動。市営プールに自転車で通い、水中歩行を始めた。以後陸上歩行に切り替えたが、週5回、近所の元荒川沿いの遊歩道を季節を感じながら歩くのを続けている。運動をし過ぎて、血管に詰まったものが血流に押し出され、脳梗塞につながるかもしれないという恐怖もあるようだ。
「今、死の恐怖感はあまりない」と書いてある。却って恐いのは寝たきり病人になること、延命治療を絶対に拒否すると宣言している。しかし世を諦めたのではなく、願いも最後に加えている。孫が息子が立派なアスリートとして活躍する姿を見たい、会社の社友会への出席、金婚式、小田原で来年ある小学校の同窓会への出席、と楽しみを負い続けて行きたい。だから頑張って行こう、母と一緒に、と締めくくってある。
これを読んでいるマサイは、子供の頃に病院によく行っていた父を見ていた目とは既に違ったものを感じている。マサイが近寄ったというより、父親が歩み寄ってくれたようにも思える。さしでゆっくり語り合うという事をしないまでも、心が一つになったような気分。照れくさいようで互いに遠慮をしているようなところもあるが、相手に対して暖かいものを持っている。出来るだけ長生きして欲しいものだと思う。
ヤコブの手紙
5章15節 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。
エペソ人への手紙
6章1節 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6章2節 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
6章3節 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。
先月号と話が前後するようだが、これも4月初めの頃の話。
月曜日に中学校の入学式を無事に終えて、学ラン姿の息子が2.2kmの道のりを登校して行く。5階のベランダから歩いて行くのを見送っていて、立派になったなぁと喜ばしく思う。
公立中学とはいえ、越境したので知らない人ばかり。そんな環境なので、入学前は相当緊張していたらしい。夜寝た後に「怖い夢を見た」と何度か起きてきた。それでも入学式翌日には話すことが出来る子も増えて、だんだん家でも饒舌になってきた。
2日目は学活と学年集会だった。3日目にしてお弁当と授業が始まった。学校であったことを聞くのが楽しみで、夜のスイミングトレーニングから早く帰って来ないかとマサイも毎日待っていた。
夕食をとりながらその日にあったことを楽しく聞き出していると、教務主任に2つのことを提案したいという。小学校では缶ジュースのプルトップやペットボトルのキャップを集めていたが、中学校ではやっていないので、やってもらおうと思うと言う。内容を調べてメモ紙に書いていた。
1.缶ジュースなどについているアルミニウムのプルトップを600kg集めると、車椅子を1台買うことが出来る。
2.ペットボトルのキャップ800個で人一人が救えるワクチンを贈ることが出来る。
ペットボトルのキャップをはずすことにより、ペットボトル本体の再資源化率を高め、結果として、焼却処分される量を減らし、二酸化炭素削減に寄与する。はずしたキャップそのものを質の高い素材としてリサイクル業者に引き取ってもらい、その売却益でワクチンを購入し、世界の子どもたちの命を救うために活用する。
ペットボトルのキャップは回収粉砕すると、木材そっくりの素材で、地球環境のことを考えた素材であるエコマウッドに生まれ変わるらしい。これを売ったお金で発展途上国へワクチンを贈る。ボトルキャップ400個で10円になるので、800個分で1人分のポリオワクチンが買える。一人の子どもの命が救える。体育祭の時など、集まった親も含めて飲んだキャップを回収すれば、相当な量になるのになと思っていたので、実に良いアイデアだ。
早速木曜日に先生にメモを渡してきた。「一人の人の命が救えるとあっては、僕は黙っていられない」と言っていた。入学式から4日目。
土曜日に電話がかかってきた。細君が出たが、最初は聞き慣れない人からの電話で何かと思ったら、相手が教務主任なので驚いていた。「素晴らしい提案を貰ったので、福祉委員会の顧問(先生)に早速渡して学校として取り組むように話しを進めて行きます。必ず実現させます」と言う。すぐにということではないらしいが、前向きに発進するらしい。金曜日に連絡が出来なかったのを詫びていた。
先生が取り合ってくれたことと、その件でわざわざ電話をくれたことにびっくりする。先生の熱さを感じる。入学前から良い先生と良い仲間に恵まれるようにとずっと祈っていたので、早速の祈りの答えに感謝。
学年集会で、「何かあったら、学年主任にいつでも言って来て欲しい」という話でもあったのかと思ったら、そういうことはなかったらしい。人一人の命が救われるということに感じての自発的な行動だったらしい。実に立派なものだ。
ほんのわずかなことが命という大きな問題につながっている。折角気づかせてもらったのだから、行うのが御心だろう。
中学に入ったら、いっぱいいろいろなことにチャレンジしてみたいと言っていた。どんどんその世界が広がって行く。その広がりを受け止めてくれる中学だということが分かって安心する。
コロサイ人への手紙3章23節
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
誕生日に息子からバースデーカードをもらった。素敵なカードに細君が下半分、息子が上半分を使って書いてある。毎年誕生日には心のこもったカードを2人からもらえるので、楽しみにしている。
「パパへ、入学祝いの自転車をどうもありがとう。お誕生日おめでとう。ガンバリマス。中学校では色々チャレンジして行きたいと思います。これからも一緒にガンバリましょう」とあった。
これを読んではっとした。息子は色々チャレンジしてみたいと言う。今まで水泳一色でやってきたが、その前は、キャッチボールをしたり、スケボーで一緒に転んだり、サーフィンをしたり、ビリヤードを教えたり、旅行で色々なところを見て回ったり、何でも吸収して欲しいと、出来るだけ多くの事を一緒にやってきた。
ところが水泳選手としてタイムを追いかけるようになってから、それを中心に生活が回り始めた。年末年始も夏休みもなく水泳、水泳。好きで泳いでくれるから良いが、そのために犠牲にしたものは数多い。怪我をしそうなものは駄目、風邪をひきそうな事は禁止。とにかく今のタイムを0.1秒でも切れる努力をすることに専念してきた。このまま中学、高校と水泳まっしぐらでオリンピックを目指す、という大きな目標に向かって走っていた。
今でもそれが目標であることに変わりはないのだが、まだまだ一つの事に限定してしまうには早過ぎるのかもしれない。他にも可能性はたくさんある。いろいろチャレンジしてみたらもっと素晴らしい才能が開花する事だってあるかもしれない。本人もまだまだやってみたいことがたくさんあるようだ。マサイが小学生の頃にテレビで見た「巨人の星」の一シーンを思い出した。大リーグからやってきたオズマが星飛雄馬に「おまえは、野球以外に何か出来るか?」と聞く。聞かれた方は今まで野球しかやってこなかった自分に気づいてはっとする。この物語の場合は、親にやらされて来たという印象が強い。それは気をつけなければいけない。
エレミヤ書10章23節
主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
中学に入って3週目に体力テストをした。結果、ハンドボール投げは学年で1位、1,500m走は学年で2位だった。背は決して大きい方ではないし、二次成長はまだ始まっていないというのに、鍛え上げた基礎体力はすごい。
部活動は本入部の前に7日間のお試し期間がある。その間普段接してないスポーツなどに自由に参加する事が出来る。息子は水泳部に入る為にこの中学へ越境してきている。どうせ水泳部に入るのは決まっているし、「仮入部期間は来るな」と先輩に言われているので、他を回ってみた。
まずは天気が安定していないので、体育館で出来るものをとバドミントン部へ行った。これは良かったらしくて、帰って来てすぐにラケットを買ってくれとねだられた。すごく楽しくて、すごく疲れたと言う。普段泳いでいる時に使わない筋肉を使ったらしい。
2日目はまた雨模様なので卓球部へ。ちゃんとやらせてもらえたようで楽しかったと言う。やっと晴れた3日目は野球部。これは残念ながら期待の方が大きかったようだ。
4日目は吹奏楽部。テナーサックスが吹きたかったのだが、先約がいたらしく、アルトサックスを吹かせてもらってきた。ちゃんと音も出て気に入ったらしい。息子は小学校の卒業間近の演奏会でムソルグスキーの「展覧会の絵」から「キエフの大門」を皆と合奏した。その時にティンパニーを叩いて以来オーケストラが気に入っている。運動は運動として、趣味で音楽をやってみたいと言う。この部は男子が2人しかいないので、「入ってくれるのか?」と聞かれたらしい。
5日目は剣道部へ。マサイが朝、竹刀の握り方だけを教えておいたが、竹刀を持ったのは初めて。たまたまこの日は部活動の保護者説明会で細君が学校へ行っていた。「あの子うまいね~、慣れてるね~」と回りのお母さんが息子を見て囁いている。顧問の先生も「慣れてますね」という返事。いいえ、うちの息子なんですけど、竹刀を持ったのは初めてなんです、と細君は心の中で思ったと言う。息子は竹刀の振り下ろしに普段使わない筋肉を使ったので、しばらく腕の筋肉痛がとれなかった。
どうしてもテナーが吹きたくて6日目はまた吹奏楽部へ。しかしまた駄目で、今度はバリトンサックスを吹いてきた。
最終日は陸上部へ。学校の回りを走ったのだが、いつも自主トレで走っている距離より短いのでそれほどきつくなかったようだ。水泳部でなかったら陸上部が第2希望なので、楽しかったらしい。帰って来て言うには、やはり音楽より体を動かす方が好き。趣味での楽器ならいつからでも始められるので、今は運動を選ぶと言う。
サッカーとバスケットへ行きたがらなかったのは、小学校でやっていた子とのレベルがあまりに違いすぎて、スピードで劣ってしまうのがいやだからと言う。バレーボールは人数が少ないので、行ったは最後、放してもらえそうもないので行かなかった。どの学校にでもありそうなテニス部はない。ということで、行きたいところは全て行かれた。
めでたく本入部では水泳部に入ったわけだが、お試し期間に貴重な経験が出来た。随分世界が広がったようだ。今後もいろいろなことにチャレンジをして、いろいろなことを吸収して欲しい。親がその進路を狭めないように気をつけて、努めて広げてやろうと思う。
ピリピ人への手紙2章13節
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
イギリスのロックグループ、クイーンの曲に「バイシクル・レイスBicycle Race」というのがある。歌詞は、「自~転車、自~転車、ボクの自転車に乗りたいなぁ~、ボクの自転車に~」と繰り返す。自転車レースの日が近いのか、余程お気に入りの自転車であるらしい。一度聞いたらすぐに覚えてしまう曲である。中学入学祝いに自転車を買ってやる約束をしていので、息子はまさにこの歌詞のように、ずっとそれを楽しみにしていた。
今までスイミングのトレーニングには朝夕細君が車で送迎していたが、中学生になったらトレーニングも兼ねて自転車で行くように話していた。3月から既に土日の朝練には自転車で行かせている。今のは幼稚園にいる時に初めて買ったのから数えて3台目なのだが、いささか小さくなって来た。小学校3年生の夏にトライアスロン大会に出る時に、折りたたみ式自転車ではいかにもまずかろうと買ったものだ。マウンテンバイクなのだが、サドルをいっぱいに上げてももう小さく見える。それで中学に入る前には買ってやろうと随分前に約束をしていた。
4月からは夜のトレーニングにも自転車で行くように、と話してあるので、3月の下旬に買いに行く事にした。マサイも初めて自転車を買ってもらったのが、同じ時期だった。それまでは従姉妹のお下がりの小さいのに乗っていたが、中学入学祝いでやっと新品を買ってもらえる事になった。近所の自転車屋さんに連れて行ってもらい、店内に並んでいるものではなく、壁の高いところにディスプレイしてあった金色の自転車を買ってもらった。とにかく嬉しかったのを覚えている。
そういう経験があるので、息子の喜ぶ顔を想像して、マサイも買いに行くのを楽しみにしていた。イースター礼拝の後、会場近くの自転車屋さんをのぞいてみる。どんなものがあるかをまずチェックするつもりだった。「今日は見るだけ」と息子に言って聞かせてあったのだが、これだけ目の前に並んでいては、気持が高ぶるばかりだったろう。お店の兄ちゃんは親切にいろいろ見せてくれた。自転車が好きな人が集まって開いたような小さな店だが、応対が実に気持ち良かった。
いよいよ今日は買いに行こうと決めた日、まずは少し前に新聞に折込チラシが入っていた近所のホームセンターのバイシクル・フェアへ親子3人揃って出かける。チラシの写真を入念に見ていくつか希望を絞っておいたので、まず目星をつけておいた物を探す。値段も安そうだった。
自転車はホームセンターの一角にいっぱい並んでいるのだが、ずっとあれこれ見ていても、忙しいのか店員さんが一人も近づいて来てくれない。やっと捕まえて壁にディスプレイしてあるものを降ろしてもらうが、店員さんはそれきり行ってしまった。息子は気に入っていたのだが、ドロップハンドルでタイヤも細いのがちょっと心配なので、いろいろ相談したかったのだが、店員さんは誰もそばに来てくれない。チラシにあった他の自転車と2台並べたまま腕を組んでうなっていた。
だんだん心配になって来た。自転車はパンクを始め、買った後もいろいろメンテナンスで自転車屋さんに通う事が多い。マサイの買ったお店も良い親父さんがやっていたので、いろいろ教えてもらったり、その後もパーツを買いに行ったりした。そういうことがこの状態では出来そうもない。店員さんも専門家ではないらしい。他の自転車を見ている息子を呼んで、ここで買うのをやめよう言うと、息子もあっさり同意した。
先日行った自転車屋さんへ行ってみる。この前説明してくれた兄ちゃんはいなかったが、同じように若い兄ちゃんがよく説明をしてくれた。その説明のし方が熱心であり、息子にも大人に対するように丁寧に話してくれた。おまけに先日は気付かなかった恰好良い自転車がすぐに見つかった。Progressive(進歩的な人)という名前の白い自転車。サイズもぴったり。とにかく親切で分かりやすい説明なので、安心して買い物が出来る。前後のライトやスタンド、防犯登録、ワイヤーキーはこちらが言う前に割引してくれた。
ペダルがついていなかったので、16時には完成させておいてくれると言う。ついでにマサイが4年前にトライアスロンに出て以来あまり乗っていないロードバイクのメンテもやってくれるというので、取りにくる時に持って来る事にする。
16時に取りに行く。受け渡しの時に、おニューの自転車を前に写真を撮ってくれた。ホームページに載せてくれるという。息子はピースサインで写っていた。余程気に入ったらしい。最後は若い店長ともども見送ってくれた。
息子はこの自転車を「Super Y Pop号」と名づけていた。早くこれに乗って出かけたくてしようがないらしい。自転車もさることながら、お店の人たちの気持ちが良かった。帰った後も、あの店で買って良かったという満足感に細君と浸っていた。変な話だが、あそこで買った自転車なら事故に合うはずもないと思えた。人の安心感が自転車の安心感につながっている。
サドルとハンドルに手を置いて、この自転車で事故にあったり、巻きこまれたりしないように、盗難にあったり、悪戯をされたりしないように祈る。息子は「自~転車、自~転車、早くボクの自転車に乗りたいなぁ~、ボクの自転車に~」状態でハイになっている。自転車をこいでついた筋肉は、背泳ぎに役立つと聞く。背泳ぎの苦手感がこれで克服される事を期待する。
箴言 12章25節
親切なことばは人を喜ばす。
月刊マサイを書き始めた頃はまだ幼稚園児だった息子が早いもので今月小学校を卒業する。カウントダウンをして行くと、3月に入って登校するのは、卒業式も含めてあと13日。一緒に卒業して行くのは48人。人数が少ないので結束が固くて名残惜しいのかと思ったら、そういうことは全くないようだ。ランドセルは6年間壊さずに使ってくれたし、入院や大きな手術という事もなく過ごしてきてくれたのは感謝。
最後の授業参観だというので会社を休んで細君と見に行った。だいたい毎学年見に行っているのだが、6年生の春秋は仕事と重なって行かれなかったので、最初で最後になった。5時間目の道徳の授業。道徳なので何をやるのかと思っていたら、「プラス思考」の話し。ウォルト・ディズニーやマラソンの高橋尚子などの成功談を例に挙げて、成功の秘訣を説明してくれる。
例にあげた人たちは決して最初からずば抜けた才能の持ち主ではなかった。今いる状態を抜け出す為に、「考え方」を変えたことによって成功を引き寄せた。それは、「自分を信じる事、それに向けて努力する事、人の言う事を良く聞く事」。これは決して難しい事ではない。誰にでも出来る。いつも息子に言い聞かせている事そのままだ。
モントリオール五輪の射撃で金メダルを取った選手は、ずっと自分が金メダルを取って表彰台に上がる事をイメージし続けていた。そしてその通りになった。その人は言う、「勝者とそれ以外の人の違いは、考え方である」。プラス思考か否かという事である。医者から見離された患者が、体内にある悪いところを銃で一つ一つ撃ち殺して行くことを想像し続けたら、半年後に悪いところがなくなった、という例も挙げる。
最後に感想を発表させた。自分の考え方一つで成功に導けるし、人生も変えられる。そういうことはすごい、という優等生的なものばかりだった。皆実際そういうことが必要な状況にいないから、上辺を撫でたような実感のないものに聞こえた。
しかし内容は全て息子の水泳競技に当てはまるようなものだったので、いろいろと考えてみた。我が息子は、常に制限タイムや、自己ベストと1/100秒単位で戦っている。それに打ち勝ってガッツポーズをしているところを思い描いて泳いでいるはずなのだが、プラス思考を持ち続けているのだろうか。聞くと、いつもそう思っている、という答えが返って来た。一応はやっているようだ。
スイミングクラブの会長は2年前の大会の閉会式でこう言った。「夢…と諦めたら夢は終わる。夢を実現する為に必要な事は3つ。信念、勇気、克己心」。
つまり、自分を信じる、今まで乗り越えて来た厳しい練習を信じる、自分は絶対に出来るのだというその信念。大きな大会では成功をイメージして、プレッシャーを跳ね除ける勇気。そして自分に負けない事。辛いと思った時に、自分の心に負けてしまっては力が出ない。人間の心は弱い。ほんの些細な事にも萎えてしまう。そんな時に下を向いてしまわずに、行きたい方向を見定め、見続けているのは、よほど心を強く持たなければならない。
それを乗り越えて行くには思考を前向きにすること。つまり鍵は自分の内にある。競技選手ばかりではなく、自分の考え方次第で成功が逃げて行くのだから、いかに自分の心を治めるかが問題になってくる。自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる、と聖書には書いてある(箴言16章32節)。
神様、心配をしないで常にプラス思考でいられるように心を強めてください。
主が祝福してくれると事がトントンとスムーズに進む。そんな事を久し振りに実感して感動した。
我が息子も6年生。いよいよ4月には中学に進学する。中学に入って、勉強にもクラブ活動にも充実した時を送って、全中(全国中学校水泳競技大会)に出場することが目標である。
私立を受験する訳ではないので、公立に進む。しかしここに問題が一つある。学区域の中学校に水泳部がないということ。これは大きな問題である。スイミングクラブで泳いでいるのだから良いではないかと思われるだろうが、全中には学校の代表として出場する。水泳部がなくても担当顧問をつけてくれて、予選会の出場などに便宜を計ってくれるというが、予選会の書類提出やら、当日の地方引率やらを頼むのに、一人のために気を遣わせる訳にも行かず、逆にこちらもちゃんと手続きをしてくれているだろうかと、始終親が気を遣わないといけないのはストレスになる。うっかり忘れていました、書類に不備がありましたで済むことではない。昨日や今日始めた訳ではなくて、幼稚園の年少から続けて来たものを全国で勝負したいと言っている訳だから、こちらがどれだけ真剣か、その意味を理解してくれる教師がいてくれないと困る。
中学校にはプールがあるので、水泳部を作ってくれということも出来るが、部員が集まらないことには部として成立しない。今は吹奏楽部やバスケット部などは人数が多く、活躍しているらしい。小学校でミニバスケットをやっていた子達は、この中学にさらに活躍出来る場が待っている。
我が息子には折角図抜けている才能があるのだから、それを生かせる学校に行かせてあげたい。一人で全国を目指すよりは、同じ目標を持つ仲間達と一緒になって全国を目指す方が絶対良い。そして何よりそんな仲間達とリレーも組める、ということで、歩いて600m足らずのところにある中学校ではなく、2.7km離れた隣の中学校はどうだということを考え始める。ここにはスイミングクラブの上級生が在籍していて、うちに来いと声をかけてくれている。そこの水泳部からは昨年夏全国大会に1人、関東大会に3人出場している。そんな子に声をかけてもらったので、息子も嬉しそうにしていた。場所もスイミングクラブの先にある。帰りは学校からスイミングクラブへ直行することも出来る。通学に時間がかかるが、マサイも学区域の一番端に住んでいて、中学校まで2.2km歩いて通っていた。
昨年9月25日、息子の意思を何度も確認し、小学校の校長先生に越境したい旨を伝えに夫婦で出かけた。祈って勇気を出して出かける。校長は全国大会に出た子を受け持ったことがないというので、こちらの熱意に圧倒されていた。こういう場に、しかも平日会社を休んでまでお父さんが一緒に来るということにも驚いていたようだ。
早速校長先生が行きたい中学の校長先生に連絡をしてくれた。小学校長を説得したので話しが簡単に済むのかと思っていたら、そうでもない。1月に役所から入学案内の葉書が来るので、それを待ってからにしてもらいたいという返事だった。誰でも彼でも来られては困るので、この件は回りには内緒にしておくようにとも言われた。厳しい返事に少しひるむ。
確かに学区域の中学校は人数が少ない。近隣の3つの小学校から集まって来るのだが、息子の小学校でも1/3が私立中学を受験すると言う。全員合格した場合は公立中学への進学者は32人と少ない。人数が少ないので成り立たない部活もある。勉強の方はレベルが高いようだが、塾に行っていないと解けない問題が試験に出るとも聞く。反対に行きたい中学は人数が多い。少人数故、一人でも抜けられたら困ると言われたらどうしようと考える。しかし逆にここの吹奏楽部に入りたいがために越境を希望するという人もいると聞く。
旗を掲げたもののどうなるか分からず、日々祈ってその葉書が来るのを待つ。息子にとって一番の進学先を与えて下さい。そしてそこへの道を備えて下さい。そこでは良い先生と良い仲間に沢山恵まれて、いじめもなく、大きく成長出来るような学校へ行かせて下さい。
12月5日、学区域の中学校から入学説明会の案内が来たので一応細君が行ってくれた。どうせ行かないのだからと最初は言っていたが、どうなるか分からないので、行ってもらう。悪い学校では決してない。運動会などで1、2度行ったことがある。創立23年なので、まだ校舎も綺麗だ。必要書類を一通り貰って来た。
年が明けて1月16日、行きたい学校の説明会があるというので、内緒で出かけて行く。越境することは内緒にしておくようにということだったので、説明会にもそっと行って来ようと話していた。細君がそこへ出かけようとしたところに丁度待ちに待った葉書が来た。「入学期日・学校指定通知」。ここには入学指定校として、近所の中学の名前が記されている。諸事情により入学指定校の変更を希望する場合は・・・という注意書きもある。
行きたい方の中学校の説明会では、名前を書かないと入学案内などの資料を貰えない。受付の人に事情を話して名前を書くと、了解してくれた。こちらは2つの小学校から子ども達が集まって来るので、出身校別のリストになっていたようだが、その他校のシートに一人名前を書いて来たと言う。後でその受付の人が校長先生は承知していましたと話してくれた。小学校の校長先生からちゃんと話しが通っていたので安心する。細君の印象は・・・、こちらの先生の方が物言いがテキパキ、ハキハキしていた。自分で考えて、自分で行動させたいと校長が言っていたのも好感が持てた。部活のことも熱く語っていたし、陸上部と水泳部が全国大会に出ました!と自慢していた。と好印象だった。
細君が区役所へ就学学校指定変更申請書を取りに行く。この窓口も関門だと聞いている。学校長とのアポを取ってからでないと書類をくれないとか、学校長がOKしてもここではねられるケースもあるとか聞く。しかし対応に出た職員は人当たりが良かったという。書類を貰う時に、「やっぱり遠いですか」とまず聞かれたらしい。そうではないと説明する。「あ〜水泳部がないなら仕方ないですね。全国大会レベルなら問題ないと思いますよ」、とあっさり書類をくれた。指定を受けた学校長の所見欄と就学を希望する学校長の所見欄があり、これにそれぞれコメントを書いてもらって判子をついてもらわないといけない。難しそうな書類だ。右上には、担任、合議、係長、課長補佐、課長と5人も判子をつく欄がある。
電話で小学校の校長に葉書が来たのでどうすれば良いかの指示を仰ぐ。そう簡単に変更出来ないということを聞かされているが、先日のように熱意を持って説得して来るようにと言う。その夕方校長から電話があった。丁度今区域の中学校に来ているということだった。中学の校長に話したので、面談の日を明日の9時ではどうかと聞いて来た。話しが急速展開を始める。断る方への電話はし辛いものだが、それをせずに済んだだけでも有難い。ただマサイが休みではないので、細君が一人で行くことになる。細君緊張し始める。
夜申請書を書き込む。今まで越境した人の話しを聞くと、ちょっとやそっとの理由では入学を許可してくれないという。だいたい「小学校でいじめにあって」、ということを理由に使っていたようだ。何と書こうかといろいろ考えた。しかし細君と嘘はつきたくないと相談する。そこで我が家は直球で勝負することにした。中学校代表として全国中学校水泳競技大会に出たいということ。3年間勉強も部活も精一杯頑張りたいという本人の強い思いを尊重してやりたいため学校指定変更を希望します。と余計なことは書かずに、正直な気持ちを書いた。そして祈って神様にこれで良いかを見てもらった。
18日、9時から区域の中学校の校長と面談。少し早めに行くという細君を道で見送って仕事へ行くが、気になってしようがない。携帯を手から離せない。
9時14分、「任務完了」というメールが来た。「うちとしては来てもらいたいので残念ですが、条件が揃わなかったということで、プールはあるんですけどね〜」と残念そうだったと言う。全国大会の順位より、県大会の1位の方に関心を示していたという。「本人、保護者の希望が強く、教育的見地から、これを承認する」と申請書に記入して判子を押してくれた。本来は昨日の小学校校長の話しとは違って、電話をしてアポイントをとってから面談だったようだが、早く着いたので先に話しをしてもらえた。ただ先方へ行くと、通学路の安全は確保出来るのかとか、非常事態時の対策は、とかきつい事を言われるかもしれないので、覚悟をしておいて下さいと注意を受けた。
9時24分、「行きたい方の学校へすぐに行くことになったのでこれから行って来ます」、というメールが来る。細君はひと仕事終えてほっとする間もない。進学を希望する中学へ電話をすると、もうすでに先ほど行った中学の校長から電話があったということで、いつ来られるかと聞かれ、今日はどうかということになって、すぐに出かけることになった。
10時02分、「行きたい方もOKが出た」というメールが来る。校長不在ということだったが、全権をまかされた教頭と、教務主任らしい人が立ち合ってくれたと言う。もう承知しているのか、「JOCジュニアオリンピックですか〜。市や県の大会まではスケジュールを把握しているのですが、全国までは把握していないんですよ。二期制のスケジュールだとジュニアオリンピック夏季大会が期末試験と重なるんですよね。丁度8月28、29日に持って来ようと考えていたんですが、問題有りですね。バッティングした場合見込み点になるから承知しておいて下さい。我々も試験日程を考えなおさないといけないかもしれないですね」と話しはどんどん進んで行く。細君が何か説明をする暇もない。入学を許可してもらおうと、タイムなどの実績を見せようとすると、「入学してから顧問に見せて下さい」で見てもらえず、申請書も、あ〜書いておきましょうね、で「本人、保護者の意向を尊重し、教育的配慮から申請を認めます」とあっさり書いてくれた。緊張して行った細君は拍子抜け状態。通学路や非常時の話しなどもなく、ごみためみたいなプールで申し訳ないと言われたという。説明会は来てもらったんですよね、とそのことも分かっていたようだ。我々の直球を大きなミットでしっかり受け止めてくれた。
10時38分、区役所に書類を提出して受理してもらう。1時間半で全てが片付いた。昨日の職員が出てくれて、コピーまでただでとってくれた。「早かったですね」というが、本当は22日から受付開始だったらしい。それでも、良いですよと手続きをしてくれた。16日に来た学校指定通知も、指定変更の赤いスタンプを押して学校名が新しく書いてあるし、就学すべき学校の指定変更についてという通知書ももらって来た。もうこれで全て完了だと言う。あまりのスピーディーさに驚く。
12時07分、小学校の校長と担任を尋ねて報告。申請書のコピーを校長先生に渡してお礼を言って来た。「先方は喜んでらしたんじゃないですか」、というので細君が説明をすると、「あ〜じゃあきっと楽しみに待っていらしたんでしょう」、と言ってくれた。そのまま3階へ上がって担任に報告。授業中だったが、たまたま出て来てくれた。私立中学に合格したような嬉しさがある。
主が祝福してくれると事がスムーズに進む。こんなことはそうそうあるものではない。人間の考えを遥かに越えた力が働いている。主が道を備えて下さった。そこでの活躍を主が喜んでくれる。後は息子よ、何の心配もなく力一杯泳いで、楽しい中学生生活を送ってくれれば良い。
エレミヤ書
33章2節 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。
33章3節 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
ピリピ人への手紙2章13節
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
今年もいろいろな方から年賀状を頂いた。マサイは年賀状の代わりにクリスマスレターを出している。「年賀状の代わりにクリスマスレターを作っています」と書いておくのだが、これが着いても年賀状をくれない人が多い。年賀状を書く時に去年の年賀状を横に置いて考えるのだろうか、年賀葉書でないと、出すリストから抜けてしまうらしい。
校長先生をしていたマサイのお爺さんは毎年300通を超える年賀状を書いていた。昔はパソコンなどないから表裏全て手書き。「毎年来ている年賀状が来ないと、具合が悪くなったんじゃないかと心配するのがいるから」、と毎年欠かさず書いていた。
めったに会えない人に元気であると伝えるのが本筋であると思うのだが、めったに会えないと、もう会わないから出さなくても良いか、という考えにつながるらしい。出しても帰って来ないケースが多くなった。表裏パソコンを使っての印刷という味気のないものも増えた。メールで返信という手を使うのもいる。こうなると貰ってもあまり嬉しくない。どうせ貰うなら、嬉しい便りが良い。
電話の受話器を取ると「ジャンボ」とスワヒリ語の挨拶が聞こえてきた。16年前、スイスに行った時に一緒のグループになったAさんがクリスマスイブに電話をくれた。年ははるかに先輩なのだが、クリスマスレターを読んだから、と電話をくれた。いつものことながら、実に明るく楽しい電話だ。
スイスのツアーにはご夫婦で参加されていたが、あの時既にリタイアされていたかどうかというようなお年だった。仲の良いご夫婦で、日本でもいろいろな山を一緒に楽しく登ってきたと聞いた。自由行動の日にマッターホルンのヘルンリ小屋までのハイキングでご一緒させていただいて、神様の作った素晴らしい自然を前に一緒に感動して来た。ボーイスカウトの指導もされていて、旅の最後は成田空港の電車ホームでお互いボーイスカウトの敬礼をして別れた。
静岡県に住んでおられるので、以来会った事はない。年に一度の年賀状やクリスマスレターのやり取りだけだが、楽しみに読んでいてくれているらしい。スイスでハイキングをしながら話したのだろうか、マサイがその2年前にアフリカへ行った時の話を覚えていてくれて、それが長年の憧れになっていたらしい。去年はその憧れのアフリカへご夫婦で行って来たといって、嬉しそうに電話をくれた。それで「ジャンボ」という挨拶が通じる。
スイスはマサイが独身時代に行っているので、当然細君のことは知らないのだが、マサイがいない時に、元海外ツアーコンダクターの細君相手に長電話をしていたこともある。
いつかかってくるかは分からないのだが、電話をもらうとこちらが元気になる。実に楽しい。元気を貰える。2008年は2月初旬にノルウェーへオーロラを見に行くという。カメラなどどうしたらよいのか、ということも聞きたかったらしい。
見習うべき事がたくさんある素晴らしい先輩で、マサイもこういう風に相手に楽しさや明るさ、元気を感じて貰えるような人間になりたいものだと常々思っている。自然体でいながらイエス様の光を輝かし、それを楽しさや元気といった形で回りに受け取ってもらえるようになれれば良いなぁ。
マタイの福音書
5章16節 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
大手塾が主催する「中学からの正しい勉強法」という保護者のための講演会を聞きに行った。我が家の水泳選手も小学6年生。今月5日にはもよりの中学で、新入生保護者説明会がある。つい先日幼稚園バスに乗って通園を始めたと思ったら、もう中学生だ。時の経つのはとても早い。
参加者は小学6年生とその親。教室には70~80人くらい集まって来た。見渡してみて、今までずっと接してきているスポーツエリート達の集まりとは全く別な世界であるのを感じる。子どもばかりではなく、親の雰囲気も違う。どちらも真剣に子どもの事を考えているという点では違わないのだろうけど、こちらは余り好きな雰囲気ではない。
講演は1時間と30分の2コマある。話しを聞いているうちに、自分が親の立場ではなく、過去にタイムスリップして受験する子どもの立場で聞いているのが分かる。こんな時期があったなと懐かしく思い出すのではなく、不安な、いやぁな気持が蘇って来た。
新中学1年生に向けてのアドバイスとしては、「学習習慣を身につける」ということ。「中学に入ると勉強の他に部活動、生徒会などの委員会活動で忙しくなります。その他に習い事もあるでしょう、ですから中学1年生の夏までに、曜日別にいつ何をすることにあてるかの計画を立てて、実践出来るようにしておきましょう」。…我が息子はこの「毎日学習する習慣」をつけることは随分前から実践出来ている。競技大会の日と自主練習に行った日は免除という特典があるが、こういう日は実に嬉しそうにしている。
勉強のアドバイスとして一番大切な事は、「復習」であるという。中学の定期テストなどは、自分が出来るようになるまでやり直してみる。テストは100点になるまでやり直す。やれば自分のものにする事が出来るから、間違う事は財産である。…なるほど最も基本的な事だが、簡単なようでいてなかなか出来ない事だ。自分が一度解いた問題をもう一度やるというのは辛いものだ。この点については我が息子も怪しいところがある。
今の中学は昔と違って楽になっている。ゆとり教育の実施で内容は薄いが、学年後半部分にそのしわ寄せが行き、負荷が大きくなるようになっている。弊害としては、教科書が終わらないまま高校入試を迎える事になるということ。入試は早いところで1月の半ば、2月10日が私立、後半が公立というのがほとんど。三平方の定理などは中学3年生の3学期の最後にやるので、入試には間に合わない。そんな未習単元が各教科にある。…話を聞いているうちにだんだん心配になってきた。一体今の学校はどうなっているのだろう。
しかし塾に行っている子は中学3年の11月くらいまでに中学生の全単元を終えて、受験用の単元や高校で習う事を前倒しでやっている。高校によっては中学校で習った内容だけでは入試に立ち向かえない、とはっきり中学校の先生も言う。それだけではなく、前倒しで勉強をしてきている塾に通っていた子とそうでない子は、入学後スタートラインに立った時に既に大きな差がついている。…それって不公平ではないですか。ゆとり教育が始まったのが我が息子が小学生になった時。それが終わるのが中学校を卒業した後。文部科学省の政策の煽りを一番受けている世代になる。長い目で見てどういう弊害が出て来るものなのだろうか。
マサイが子どもの頃はたいした部活動も委員会活動もしていなかったので時間はいくらでもあった。その上、土日は家にいる。それで勉強はしたか、というとそんなことは全くない。反対に我が息子は週6回18時15分~20時15分まで泳いでいる。これが中学に入ると内容がハードになって、21時までになる。
中学の成績は高校入試に影響する。一体いつ勉強するのだろう。いろいろな話を聞いているうちに、あれをした方が良いか、これをやらせた方が良いかと思い迷う。あれこれ考えれば考えるほど不安な要素は沸いて増えてくる。まだ何もしていないのに、何を心配しているのだろう。自分が子どもの頃に持っていた成績に対するプレッシャーのようなものを、息子にそのまま植え付けてしまいそうだ。それだけは気をつけないといけない。
イザヤ書
41章13節 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。
そうこれは息子の人生なのだ。心配は神様がしてくださるし、何でも頼める神様がいつもそばについている。息子は自分がやりたいと思った事に全力で突き進むが良い。可能性は無限大。親は大好きな息子を信じて、揺るがずにそれを全力で応援してあげる事、一緒に祈ってあげる事が一番である、と考えてこの心配を吹っ切ることにした。子どもを通して教わることは多い。
コロサイ人への手紙
2章3節 このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。
株を始めたのはいくつの時だろう。前の会社を辞める前だから。25才の時だったと思う。クリスチャンになる前の話し。3年経ったら退職金をもらって辞めてやろうと思っていたから、こつこつと給料とボーナスを財形貯蓄や證券会社の元本保証の金融商品にまわして貯めていた。世はバブル絶頂期で、皆がマネーゲームに夢中になっていた時代。信託銀行の5年もので8%近い金利が付いていたし、ジャンボという10年ものは10%もの金利があった。
元本保証の金融商品は堅実だった。財形と変わらない安心感がある。その上随分利益が出た。その他にもより短期で儲け幅の大きい金貯蓄を試してみたりもした。お金が増える喜びを覚える。それで調子に乗って、ついに株に手出した。より大きな儲け幅を探して今まで貯めて来たもの全てを注ぎこんだが、金融や経済についての知識が全くない素人なのに、今から思えば無謀としか言いようのない行動だった。
最初はどきどきしながら證券会社のカウンターに座って、説明を聞いていた。株の専門用語を使われても何を意味するか分からない。銀行と違って店内の雰囲気には怖いものがあった。一攫千金のチャンスを瞬時に見分ける緊張感が漂っている。最初に買ったのが一部上場の電気会社と二部上場前の商事会社。両方とも自分の意思ではなく、証券会社の窓口の女性に勧められるままに買っている。我が親はこういうことには全く手を出さないので、錬金術にかけては参考になる話は聞けないし、他に相談する相手もいなかった。四季報を買ってみたところで先が読めるわけもない。
この後すぐに何ら研究をした訳でもないのに機械会社の株を買った。窓口女性も難色を示していたが、100万を越す大きな金額だというのに、リスクなど考えもせずに気軽に買っている。それでも買ったばかりの時は、株価が徐々に上がり、定期的に株主配当もあった。
商事会社は上場を目指していたので、すぐに値が上がって売り抜けた。こんなに単純に儲かるものかという程、利息などは問題にならないくらいの金額が返って来た。これで完全にマネーゲームにはまってしまった。時代にはめられていったのかもしれない。
證券会社に出向く回数が増えた。窓口で次のお勧めはと聞くと運輸関係の株を勧めてくれた。商事会社を売った金額をそのままつぎ込んだ。今までの倍以上の金額だったが、マネーゲームが楽しくて仕方がなかったので何の心配もなかった。買った後実際値は上がった。
しかしここでバブルがはじけた。株価はみるみるうちに下がって行き、何処まで行くのかという程下がり続けて、価値の無いに等しいものになった。どうする事も出来なかった。
ここからが長かった。こつこつためたものが、1/10以下の価値しかなくなっている。預金と違って、自分の金でありながら引き出すことが出来ない。しかも期間限定の金融商品ではないので満期はなく、いつ返って来るか分からない。歯痒い気持ち。しかしこの時この金額が手元にあったら、息子も産まれることだしと、マンションに手を出していたかもしれない。今にして思えば億ションが当たり前に売り出されていた時代、ひどい物件を高額で買って後悔していたに違いない。
随分経って一度電気会社の株価が夏に急上昇したことがある。やっと買った時の金額を上回ったというのに、それを見逃してしまった。バブルがはじけて以来新聞の株式欄を見る習慣もなくなっていた故の失策。実に残念なことをした。株価は一瞬の花火が上がった後、急降下して行った。
しかしやっと今年、夏前から電気会社の株価がするすると上がって来た。前回の苦い経験があるので、夏に売り抜かないと、売り損じるという気持ちがある。最初は22年分の利息を儲けるつもりで売値を考えていた。しかし株価が1,000円を超えてから緊張して来た。WEBで株価を始終チェックする。とりあえず買った時の金額は超えた。しかしいつ下がるか分からないので、心配でしようがない。結局弱気な売り注文を出した。
結果売れたのだが、普通預金に預けておいた方がまだ良い利息がついた、というくらいの微々たる儲けにしかならなかった。悔しいのは売った後しばらく株価が上がり続けたこと。今でこそ1,000円を割っているが、最高値では売れなかった。素人の株売買なんてそんなものだ。それでも元本が戻って来ただけ良かった。
残っている株2銘柄の資産価値は2割を切る。これとは長い付き合いになりそうだ。株の売買は、片手間に出来るほど簡単な物ではなかった。もう二度と買うつもりはない。息子には絶対勧められない。勧められないものは良い物ではない。良い教訓として話して聞かせている。
マサイのように気の小さい素人が、小遣い稼ぎ程度の気持ちで気軽に手を出す世界ではなかったようだ。株を通して良い経済の勉強が出来たが、錬金術に夢中にさせるのもサタンの仕業に違いない。それに気付かせてもらえたことに、感謝。
ヨハネの手紙第一
2章16節 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
2章17節 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
毎日会社から急いで帰って来てまずやる事は、風呂に入って息子のやった勉強の採点をする事。細君が水泳のトレーニングを終えた息子を連れて帰って来るのは、だいたい20時半過ぎ。それまでにそれを終わらせておく。二人が帰ってきてからやってもよいのだが、食事をしたりゆっくり話したりしていると、寝る時間が近づいて、眠くて採点どころではなくなる。先に済ませておいた方が間違えずに○×をつけてあげられる。
小学1年生の時から毎日勉強をする習慣をつけたので、漢字、国語の文章題、算数の計算問題、文章問題、新聞の書き写しなどを、学校から帰ってトレーニングに行くまでの間に着実にこなしている。短時間で行うので、よほど集中してやらないと終わらない。マサイはそれを採点し、間違ったところは再考するように赤ペンを入れて机の上に戻して置く。6年生にもなると難しくなって来ているので、時間がかかるしんどい作業である。しかし息子が一生懸命やっているので、こちらがサボるわけにはいかない。
ところが最近勉強に集中していないようだ。答案を見ていれば良く分かる。以前から見たいテレビが控えていたり、遊びに行きたかったりすると、心が上の空になって答えがいい加減になる。ろくに考えてもしないで答えを書いたり、途中で放り投げたりする。普段から「遊ばないで、勉強しろ」とは言っていない。やることをしっかりやったら好きな事をして良いという事になっている。その約束を破ると怒られる。
最近の集中しない原因はマンガだ。もとはといえばマサイが買ってきたもの。マンガは何でもあり、ということではなく、一つだけ読み続けているのがある。海賊もので、親子一緒に楽しめるコミックであるので、これだけは息子にも読ませている。週刊誌に連載中は読まないが、単行本が出るたびに買っていたら、あっという間に47巻になった。3ヶ月に一度位のペースで出るので、出たらすぐに買って来て、まずマサイが読む。次に息子、最後に細君、と回し読む。
基本的に持ち主はマサイであるので、リビングに置いてあったのだが、息子が部屋の片づけをしたついでに全巻自分の部屋に持って行ってしまった。長い物語であるが、実に巧妙に伏線が仕掛けられている。物語を構成する上でも良い勉強になる。前の方に今につながる箇所がたくさんあるので、息子は最近1巻から読み直し始めた。夢中になっている。
読みかけを机の上に置いておくものだから、気になってしようがないらしい。部屋をのぞくといつも読んでいる。問いただすと勉強はちゃんと集中してやっていると言うが、ちょっとやっては読み、またちょっとやっては読みしているので、気もそぞろになっている。朝も歯を磨きながら読むものだから、学校へ行くのが遅くなっている。
マサイも子どもの頃はマンガが好きだった。当時週刊少年マンガは5誌あって、その全部を発売日に本屋の店頭で読んでいた。特に「サイボーグ009」が好きで、単行本で繰り返し読んでいたが、親が一緒に読んでくれたという記憶はない。マンガを読む事に対して快く思っていなかったといった方が合っている。世代的な問題なのだろうが、マンガに対して好意的な考えはなかったようだ。
好きが高じて漫画家になりたいと思っていた時期もあったが、マンガを描いていて良い顔をしてくれるわけがない、そんな時間があったら単語の一つも覚えろ、ということになる。テストの成績が悪いとマンガを読んでいたせいにされ、マンガなんか、とそれ自体を否定される。
細君も同じ。親の前では絶対マンガは読めなくて、隠れて読んでいたと言う。本も隠していた。見つかって、怒られて、捨てられた、その繰り返しだったと言う。親がマンガを理解するという事はなかったようだ。
息子の場合は勉強への影響が出てきているので、今のうちに注意しないといけない。マサイは自分たちの親のように、理解せずに否定する事はしたくない。勉強に集中しない事について、3人で話し合い、息子にゆっくり言い聞かせる。これはサタンの誘惑に違いない。机の上に置いておくと、「読まないのかい?」「おもしろいよ~」「先が知りたいだろう」と話しかけてくる。巧妙な手口だ。この誘惑に乗ってはいけない。
決して読んではいけないとは言わない。やる事をやったら読んで良い。勉強をする時はする。遊ぶ時は遊ぶ。そしてマンガを読む時は読む。物語の伏線を読み解くくらい真剣に読む。マンガから学ぶ事だって多いのだ。ただそのメリハリはつけないといけない。勉強机の上に置いておくと誘惑が強いから、机の上には置かない。読むなら勉強が終わったら、リビングで読みなさい、という約束をした。息子もそれで了解した。それなら出来ると言う。学校へ行く前に話したのだが、出かけた後に見るともう机の上にはなかった。
キング牧師の伝記が読みたいと言うので買ってあげると嬉しそうにしていた。今読んでいるシャーロック・ホームズの短編集を早く読み終わらせて読みたいと言う。一日の中で暇になる時間のない忙しいスポーツ選手であるが、あらゆることから、いろいろなことを学びとって欲しいと思う。
ヤコブの手紙
1章14節 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ガラテヤ人への手紙
6章1節 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
緑内障の他にもう一つ人間ドックで「E判定(要再検査)」をもらったのがある。こちらはちょっと大きな問題になっているので細君と祈り続けている、と前号の結びに書いた。
腫瘍マーカーの値が上がっている。この数値は2年前にも基準値範囲内で高いところにあることを指摘されていたが、今回はその範囲を超えてしまった。0〜4.0というところを4.4ある。前回は3.5だった。前立腺にかかわるものであるらしい。異常を呈する項目であるので、必ず受診するようにと検査結果に書いてあった。
自分の内側で何が起きているか分からないが、いたって本人は健康なつもりでいる。単なる数値の間違えならそれでよい。そう言ってもらえれば安心できると思って、7月4日(水)に休みを取って大型病院で診てもらう。泌尿器科で人間ドックの検査結果を見せて話しをする。「おしっこが出辛いとか、出なかったということはありませんか?」「ありません」。いくつか聞かれたが、いずれも自覚症状は全くない。
尿検査と血液検査をやって、その結果を見てみるということになった。おしっこが濁っていたりすると検査結果が違って出る場合があるという。人間ドックは前日の21時から飲食禁止なので、血液がドロドロでおしっこが濃くなりすぎたのかもしれない。それが原因であれば問題ないということになる。
7月9日(月)検査結果はやはり4.38と出たF/T値というのも0.04と下がりすぎている。これは腫瘍がある場合に下がるらしい。「まず超音波の検査をしてみます。しかしそれでははっきりと分からないので、1泊入院をして生検をしてみましょう」という。60〜70才患者なら経過を見ましょう、ということにするのだが、まだ40代なのでやっておいた方が良い。前立腺を針で10カ所刺して腫瘍があるかどうか調べてみると言う。カルテにははっきり前立腺がんの疑いと書いてあった。診察後、細君が心配していろいろ調べてくれた。前立腺がどんな働きをするところなのかも知らないので、実感はわかない。しかし「がんの疑い」とは尋常ではない。怪我と違って生死にかかわる問題である。動揺は少なからずある。妻子の顔が交互に思い浮かんでくる。細君と祈り始める。
7月10日(火)15時から超音波検査。前立腺と腎臓を撮影。15時半から診察。超音波検査の結果では、腎臓も前立腺も年齢相応の大きさで問題ないと言う。腫瘍マーカーの数値が上がって来るのは50代以降が多いらしい。
1泊検査だと前立腺の後ろ側から10カ所刺すが、それでも分からない場合はしばらく様子を見て再検査ということになるらしい。もう一つの方法としては下半身麻酔をして、前立腺の前側から針を入れて10〜16カ所刺して調べることをそれに組み合わせる方法。これには2泊3日の入院が必要になる。後ろからの場合は大腸にも10カ所穴があく、前からの場合は尿道に16カ所穴があく。ということで術後に血尿、血便は必至だといわれている。患者も辛いが医師としても辛い検査なのだと言う。半身麻酔をしてしまうので、検査後は尿道に管を入れるという痛そうな話も聞かされた。
再検査というのも判決を先延ばしされるようなもので、その間進行していたらいやだし、場所が骨に近いので、骨への転移も考えられると聞いては一刻も早くこの問題を解決してもらいたい。なので、後ろから10箇所+前から10~16箇所の方をやってもらうことにする。8月14〜16日に予約をとってもらって、細君と一緒に入院の説明を聞く。
何が原因でこういうことになるのかと問うたら、前立腺を病むのは、欧米の有色人種、欧米の白色人種、ハワイの日系人という順番で多いらしい。食生活が欧米化して来たからというのも原因の一つに数えられると言う。牛乳がいけないとか、イチジクが良いとか、根拠のない説はいくらでもあるそうだ。
しばらく8月中旬まではこの件はお預けになるので、毎日癒し主に祈る。会社では体のことを心配してくれる人、長期入院となって抜けた後のことばかりを心配している人、さまざま。心配をかけるので親にはこの件は内緒にしてある。
8月14日(火)晴れ 随分先の話しだと思っていた検査入院の日になった。2泊3日で直接前立腺から細胞を取って調べる。検査をすると痛みが残って走れなくなるのではないかという心配と、走るだけ走っておいて、入院中は疲れた体をゆっくり休めて寝てやろうという両方の思いから、毎朝走り続けた。入院の朝も河原まで走って行って、軽快に帰って来た。この12kmを入れて8月は104km。3ヶ月連続で月間100km以上走ったのは初めてだ。
病院へは細君が車で送ってくれた。細君は84才になる父が入院し、パーキンソンの母が一人で実家にいるという大きな心配が既にある。それに加えて夫が入院。大変なことを一人で背負わせてしまった。
パジャマに着替えて今後の説明を聞く。今日は何もないらしい。暇になるので細君を帰してのんびり聖書を読んでいた。時々麻酔科の先生の説明を聞きに行ったり、薬剤師が説明に来たりする。検査に来たはずなのだが、皆に手術と言われ続けていると、別人と間違われているのではないかと不安になる。診断名は前立腺癌の疑い。手術術式は経直腸的前立腺針生検10カ所、経会会陰生検8〜16カ所。
8月15日(水)晴れ 手術は3番目。午後になる予定だが、早まるかもしれないと言う。ただ待っているので暇でしようがない。聖書がずいぶん読み進められた。普段こんなにゆっくり読む時間がないので、とても良い時間が持てた。息子の水泳の朝練送迎を終えて細君が顔を出してくれたので、談話室で喋って待っていた。
やっと13時20分からに決まったと言って来た。さあ出番だと思って術衣に着替えたが、細君の方が緊張している。2階の手術室へ。ここまで細君が見送ってくれた。入院も初めてなら、手術室も初めて。うわっテレビと同じ、など考えてきょろきょろしていた。緊張していますかと聞かれて、朝から何も食べていないので、お腹がぺこぺこだと答える。
広い部屋で機器の一つ一つが大きい。この部屋の中には医療チームが何人いるのだろう。随分人がいるがこれが全部自分の検査にかかわるのかと驚く。自分は健康なのに何をされるのだろうと心配になる。手術台に仰向けに乗って、左腕に点滴の管、左人差し指にはクリップ型の機器がつながる。右手は血圧を測るものがまかれ、一定時間でふくれたりしぼんだりしている。ピッピッという機械音が定期的に聞こえ、バックグラウンドにロックが流れる。背中を出して小さく丸まるようにして脊椎麻酔を打たれる。半身麻酔なので、足のつま先から効き始めてお腹の辺りまで感覚がなくなる。
ここから先は自分の身に何が起こっているか分からなかった。麻酔注射が13時半。手術開始が13時45分。始まったかどうかも分からない。下半身に何かされているという感覚は全くなかった。前立腺がんの疑いの検査であるので、その細胞を採取する手術をしている。まずはお尻から機器を入れて、そこから10カ所前立腺の裏側に向かって針を伸ばし、採取。それが終わったら、陰嚢の後ろから管を刺しこんで表側から16カ所採取する。
半身麻酔なので意識はある。手も動くし首も動く。音も聞こえる。「1番いきます」「はい、1番」という声が聞こえる。壊れてちょっと引っかかる銀玉鉄砲を打つような音が聞こえるが、その音が採取の際に出る音らしい。
10カ所終わってしばらく間があった。あぁ後ろからが終わったんだなと考える。再開して番号が26に近くなって来て、そろそろ刺す所も皆刺したのか、「あと、ここ上から斜めにこうやって」という会話が聞こえて来る。
14時30分手術終了。先生がとった細胞を漬けた小瓶を見せてくれた。「このミジンコのようなものがそうです」、「これで見つからなかったらないです」という。26カ所も刺して採取したのだから前立腺は穴だらけか。悪い箇所を切除して、もう悪い所は全てなくなったのではないかと思える。
手術中は痛みも何もなかった。エレベーターで3階へ上がってやっと細君の顔を見てほっとした。先生が細君に「成功でした」と説明している。細君に顔色が白いと言われる。先生が細君に採取した瓶を見せている。ちゃんと調べてもらうので、結果が出るのは2週間後、採取した細胞はホルマリン漬けにすると言う。
しばらく寝たいからと細君を帰す。しかし麻酔が効いているから寝られるかというとそういうこともない。麻酔が効いているうちに頭を上げると頭痛が残るというので枕もない。点滴の管の他に半身麻酔なので尿道にも管が入っている。上半身は感覚があるので、動けない分背中が痛くなって来た。寝返りもうてない。動けないのは辛い。水も飲みたい。何とかして寝ようと勤めるが眠れない。時計を見ながらただひたすら麻酔が切れるのを待つ。実に苦しい時間だった。
手術を開始して4時間たったら枕をしても良いと言われる。17時半に枕のお許しが出て頭の下に入れてもらったら、随分楽になった。ベッドの背もたれの角度も変えられて苦しみから解放される。水も飲めるようになった。徐々に飲んでみたが、体が喜んでいるのが分かる。昨日の朝この近所の河原を12km走っていた健康な体はどうなってしまったのかと考える。
消灯時間になって眠りたいのだが、寝られない。水を飲めるのが唯一の気休めだが、拷問のような一晩だった。
8月16日(木)晴れ 拷問は7時半まで続いた。血尿が出ていないのでやっと処置室で尿道から出ていた管を抜いてもらった。これだけで随分気分が違う。病人でなくなった気になる。術衣から自分のパジャマに着替えてほっと出来た。点滴を後何本かやれば午前中に退院出来ると言う。
歯を磨いて談話室で聖書を読んでいた。箴言には賢い妻は神から与えられるというような箇所が沢山あるのに、次の伝道者の書には女に気をつけろという注意が沢山ある。
箴言
12章 4節 しっかりした妻は夫の冠。
18章22節 良い妻を見つける者は幸せを見つけ、主からの恵みを頂く。
19章14節 思慮深い妻は主からのもの。
31章10節 しっかりした妻を誰が見つけることが出来よう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。
その冠が早めに来てくれた。あと1本点滴が終わったら帰ってよいと言われているので、談話室で喋りながら待つ。検査結果は8月30日(木)14時外来でとなった。
8月17日(金)朝から血尿も見られず順調な回復だと安心していた。ただまだ頭のどこかにズーンとした重みはある。普通に出勤して午前中は打ち合わせを一つこなすが、午後になって頭が痛くなってきた。前頭葉から頭頂部にかけて痛みがあり、鈍痛なのだが収まらない。しばらく組合室にある簡易ベッドの上で横になっていた。
少し良くなった所でシステム関連の暗号化の作業を電話でやり取りをしながら進める。これが順調に進まないのでなお頭痛がひどくなる。おまけにこれが片付かないうちに来客がある。午前中に細君にS.O.S.をメールしておいたら、細君が病院に電話を入れてくれた。17時までなら診察出来るから病院に来て下さいと言われたという。
細君は朝合宿に出かける息子を送って行き、その後実家に介護状態にある母を見舞い、入院中の父を都内の病院に見舞う途中でこういう手配をしてくれた。有難い。15時40分くらいに会社を出て病院へ。細君が手配をしてくれていたので、救急外来へ行けば泌尿器科の先生が待機していてくれることになった。地下鉄線は座れたが、頭痛はこのまま会社に残っていたら大変だったという状態になっている。小田急線は立っていたが、何とか持ちこたえた。
救急外来へ。泌尿器科の先生が来てくれた。症状を細君が告げてあったので、麻酔科に問い合わせてくれていたらしい。脊椎麻酔の場合、この頭痛はありうることなのだという。半身麻酔で本来下半身に行かないといけないものが、脊椎からつながっている頭へ行ったことによるものらしい。またこの麻酔によって体内の電解質のバランスが崩れたことが原因でもあるよう。どんどん水分を取って出してを繰り返していけば治るもので、後は時が解決してくれるらしい。
点滴をしてもらう。最初は1本を2時間かけてということだったが、途中から時間を早めてもう1本ということになった。横になって静かに点滴を受けていたら、少し楽になった。
18時10分、細君が父の病院から駆けつけてくれた。細君がいなかったらこの頭痛はどうなっていたか分からない。良い妻は夫の冠。感謝。痛み止めの薬を貰って帰宅。合宿中の息子から楽しげな電話が入る。良い仲間がまた増えたようだ。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された、という聖句(ルカの福音書2章52節)通り。こちらも感謝。
18日はまだ頭がズーンと重いので自宅静養。一日ズーンが続いている。朝は大丈夫だったが、昼頃から頭痛がひどくなる。寝ていれば何ともないのだが、立ち上がると痛くなる。自分が点滴臭いのにも閉口する。19日礼拝へ。頭痛は良くならない。帰宅後は寝ていた。
8月20日(月)晴れ 仕事で甲府まで行かなければいけない日で、新宿駅で特急を待っている間に痛みが増して来た。やっと来た電車で座ってみたものの、どんどん頭痛はひどくなる。やっと甲府の会場に着いた。会議と宴会がある予定だったが、申し訳ないがこういうことなので宴会は欠席ということを話していたが、その間も顔が歪んでいるのではないかと思う程の痛み。痛み止めを飲んだが効かない。会議を終わらせて早々に帰って来た。一体この痛みはいつまで続くのだろう。毎日癒し主なる神様に祈り続ける。
8月30日(木)雨が降ったりやんだり 退院後2週間経った。ひどい頭痛が随分長く続いたが、22日以降それもなくなった。当然血便血尿もない。刺した所が痛むこともなかった。頭痛がなくなってから4回、合計約30km走る。体調は戻って来た。検査結果は何ともないと出ると確信している。そう祈り続けて来た。祈りはかなえられるという強い確信もある。26,27日にあった全国ジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会での息子の活躍も治癒に一役買ってくれている。大きな大会だったが、出場した2種目(100m、200m自由形)とも自己ベストを更新してくれた。
ついに実家にいた細君の母も入院してしまった。残された猫の世話もある。細君はそんな自分の両親の介護問題が深刻になって来ている上にマサイの問題が片付かないので、ストレスを抱え込んでいる。可愛そうなくらい大変な思いをしている。今日も午前中に介護施設を3カ所回って話しを聞いて来た。
検査結果が出る日。14時に予約をしてあるので早目に行く。息子は何も言わないが心配しているのか、玄関まで見送ってくれた。
すいていたようで、予約時間より早く診察をしてくれた。緊張して診察室に入ったが、先生から顔を見るなり開口一番「異常はありませんでした」と聞き、ほっとする。イエス様感謝します。生かしてもらったという喜びでいっぱいになる。先生がプリントした書類を見ながら説明をしてくれた。細君も大きな緊張から解き放たれた状態になっていた。
「前立腺特異抗原4.38にて生検 26カ所ともがん細胞認めませんでした。今後は定期的に採血検査行って行きます。」
26カ所刺して細胞を取って顕微鏡で調べた結果なので、ないか、あるとしてもほんのまだ小さなものかもしれないという。日本語では「認めない」という表記だが、英語の表記では「NO悪性腫瘍」ということになる。つまりは「ない」ということ。ほっとする。
半年後に採血検査ということになった。細君は涙ぐみ、全身から力が抜けて行っている。神様はこの素晴らしい細君や息子を悲しませるようなことはしない。
癒し主なる神様に感謝する。このことを通していろいろなことが勉強出来たし、そのことを教える目的があったのだろう。健康の大切さ、また自分ではどうすることも出来ない病いについて、それに対して人間は如何に無力であるか、を知ることが出来た。神様に依り頼むこと、ゆだねること、救いを確信すること、感謝すること、生かされていること、いろいろなことを学べた夏だった。
6月11日、立川中央病院で人間ドックを受けた。前回受診したのは2年前。この時に引っかかったのは2カ所。眼圧が高いので緑内障の疑い、とあった。近くの眼科医で詳しく再検査したのだが幸い何ともなかった。もう一つは白血球の数が少ないということだった。これは要経過観察。
2週間後に送られて来た結果を見ると、気にしていた総コレステロール数が176から169に下がっている。中性脂肪も70から53に下がった。白血球の数は増えて問題なくなっている。肺活量が年齢から算出する予想量の135%、5,250ℓとものすごい数値だった。
ところが喜んでばかりはいられない。引っかかった所がいくつかある。眼底判定はまた「異常が疑われるので眼科で要再検査」と書いてある。心電図判定も「洞性不整脈1度AVブロック」と書いてあったが、計っている途中で吸盤が何度もブチブチ取れていたので、正確に計れていたかどうか怪しいものがある。しかしそれだけではなく、まだ他にもあった。6月ひと月間で190km走ったと喜んでいたが、体のパーツはところどころにがたが来ているようだ。
右目は確かにちょっと気になる。圧力が変わっているのか、人間ドックの結果表には「両眼視神経乳頭陥凹拡大(緑内障)の疑い」とある。前回の診断結果にも同じことが書いてあって、心配して去年近所の眼科医で診てもらったら、風が当たる方式の検査はあまりあてにならないという。調べ直してもらったら「大丈夫」という診断結果だった。しかし今回は数値が上がっている。普段から異様に右目と左目のピントの合い方が違うような気がするので早いうちに見てもらいたかった。
出張から早く帰って来られたので、気になっていた眼科医へ。いつも行く近所の目医者。最近老眼がひどくなっているのは確かだが、パソコンを打っていると右目がとても疲れる。眼鏡を外して打つことが多くなった。電車の中は眼鏡を外さないと本が読めない。右の視力が急に落ちたような気がする。
まず視力を計ってもらう。今の眼鏡では強すぎるのだと言う。去年もここで同じ検査をした時に計って貰ったのだが、その時も似たような事を言われていた。処方箋を貰っていながら眼鏡を作っていなかったのがばれてしまった。しかしそれよりさらに症状が進んだようだ。
待合室のポスターには目が見えなくなる原因の一位は緑内障だと書いてある。眼科医に相談をすれば、それば「治る」のではなく「進行を遅らせることが出来る」と書いてある。ひどくなると視野がかけてくるらしい。あちこち見回してみてそれはないので安心する。ソウルシンガー、レイ・チャールズが7才の時に失明したのは緑内障が原因だった。体のその他の場所は健康だというのに、加齢による体の衰えは静かにやって来るのか。目が見えなくなったら細君や息子の顔が見られなくなる。当然サーフィンも出来なくなる。とても心配だ。
マタイの福音書
6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
眼球に機械を押し付けて眼圧を計ってもらうと、正常範囲値の中にあるので問題ないと言う。白内障、緑内障ともに大丈夫。1年前のカルテを見ながら、「ただこれからも経過観察はして行きたい」と言う。眼球が陥没している所は確かにあるので、まだ緑内障と診断は出来ないまでも、視野検査はしておいた方が良いというので、予約を入れる。
眼鏡も眼科医に金縁で気に入ったのが安くあったので、ここで作ることにする。今かけているのはいつ作ったのかと問われて記憶にない。余程昔のことだ。今までは度が強くて却って見えすぎていたために、目に負担が大きくかかっていたのだと言う。右が2段階落とした度になる。それでも両方とも1.2は見える。もう一段階落とした状態も勧められたのだが、急に遠くが見えなくなってしまうので、それではストレスがかかりそうだと、一段階上げてもらう。裸眼では視力検査の一番上が見えなくなってしまった。0.1ないということ。随分悪くなった。それでも早期に治療に来られて、医師に診察をしてもらえたのでほっとする。
ペテロの手紙第一
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
一週間後の16時より緑内障の検査。予約時間の少し前に眼科に入って、先日作った眼鏡が出来上がったのを合わせる。右目を2段階落としたので、目が一生懸命焦点を合わせようとしているのが分かる。慣れるまで時間がかかりそうだ。
視野検査へ。片目をガーゼで塞いで、機械の中にある黄色い点を見る。眼球を動かさずに、その他の所で白い光が点滅しているのが見えたらボタンを押す。聴力検査の視力版といったところか。光ってはすぐに消えるので、瞬きをしている間に光ったら押せない。あれ?と思うような時はとにかくボタンを押した。反射神経を試されているようで緊張する。
検査後眼球の写真を撮って診察。眼圧も視野検査も問題ないという診断。ただ写真を見てみると、緑内障と同じ神経の形になっていると言う。それが心配なので半年に一度は視野検査を続けるように、と言われて診察は終了。
まずはこれで眼科に関する問題は一安心。見えなくなるという大きな心配から解放された。今まで健康診断ではA(良好)判定ばかりだったので、少しでも悪い判定が来ると人より心配してしまうのかもしれない。杞憂なら問題ない。新しい眼鏡にしたので、眼鏡を外さないでもパソコンが打てるようになった。
マタイの福音書
9:29 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。
この他もう一つ人間ドックで「E判定(要再検査)」をもらったのがある。こちらはちょっと大きな問題になっているので細君と祈り続けている。その件に関しては次号で。
毎朝出勤時に県立高校生とすれ違う。駅からの通りにあるコンビニで買ったパンをかじりながら、もう片方の手には紙パックの飲み物を持っている。歩きながらの朝食。格好いいものではないが、本人たちは作法なんて真っ平というのを却って楽しんでいるようだ。仲間同士で楽しくやっているので別にとやかく言うわけではない。しかし栄養的には菓子パンだけだったり、鳥のから揚げだけだったりなので、良いわけがない。そちらの方が気になる。
朝食を食べない子が増えていると聞いたが、大手受験塾が行ったアンケート結果では、量の多少を問わず、「毎日食べる」というのが95%、しかも85%が「しっかり食べる」という結果だった。受験をする者にとっては、朝食は軽視できないようだ。食事を抜くと頭に栄養が行き渡らないので、それだけでぼぉっとしてしまう。それでは勉強も頭に入らないし、体も動かない。食事は大切なのだ。
マサイは幸い会社の始まるのが遅いので、朝食は家族揃って食べられる。夕食も一緒に食べたいので、息子が水泳のトレーニングから帰ってくるまでには急いで帰ってくる。
食事は家族一緒に取るのが一番だと思っている。ゆっくり話が出来る場であるし、お互いの体調も食欲で知ることが出来る。だから何よりも優先する。2時間も3時間も一緒に食べているわけではない。長くてもほんの朝の30分、夜の1時間だ。しかしこの時間は一日のうちで一番大切な時間だ。
息子が小学校に入るまでは食膳のお祈りを簡単な歌にして3人で手をつないで歌ってから食事を始めた。明るく楽しい食事の開始だ。小学校に入ったのを機会にお祈りをしてから食べ始める。今日の聖句を読み上げた後、パパが代表してお祈りをするのを2人は聞いている。高学年になってからは、まず今日の聖句をパパが半分読み、息子が後半を続ける。暗唱できる聖句が増えてきた。それから息子が「366日のみことばとメッセージ イエスさまはいつもいっしょ(いのちのことば社)」から今日の聖句と当該箇所を読んでくれるので、その後お祈りをする。最近は3人とも短くお祈りをするようになった。息子の祈りや、細君の祈りを朝聞いていると心がすぅっとしてなごんでくる。あらゆるストレスから開放されてほっとする時でもある。
食事中、息子は絶好調の時は喋りっぱなしになる。今日あったこと、面白かったことが、次から次へと出てくる。話が急に飛ぶので細君は時折ついてこられない。しかし逆に調子が悪い時には無口だ。実に分かりやすい。静かな時はいろいろ聞いてみると、ぽつぽつ話し出す。体調、学校でのこと、水泳のこと。
他の家庭に聞いてみると、朝は順番に出かけて行くので、食べてはいるがばらばらに一人ずつ食べているとか、夕食は母子家庭になるとか聞く。また一緒に食べてはいても、テレビがついていてそれを見ながらなので、会話はないという。
我が家では食事中テレビをつけないので、純然たる家族だけの時間となる。丸いテーブルでお互いの距離も近く、笑いがあふれ、実に楽しい時間である。こういう時間を持てるのはとても幸せである。イエス様感謝します!
ヨハネの福音書21章12節
イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」
伝道者の書10章19節
食事をするのは笑うため。
ルカの福音書24章30節
彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
会社の会議が終わったところで携帯のメールをチェックすると、細君から一通来ていた。
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