202334日  

物見遊山企画 vol.6

「にかほ市 盆小屋行事調査」フォトレポート

田附勝石倉敏明大東忍

にかほ市 浜畑子供会の盆小屋

 2022年8月12日〜15日のお盆の4日間、写真家の田附勝さんと芸術人類学者の石倉敏明先生のおこなう「鳥海山麓ジオカルチャー研究:野生めぐり  にかほ版」に物見遊山メンバーであり美術作家の大東忍が同行させていただきました。

 盆小屋行事は秋田県にかほ市象潟町で開催されるお盆行事です。住民が地区ごとに藁の小屋を立て、8月12日には「迎え火」、15日には「送り火」をおこないます。今回の調査では鳥海山麓や海の向こうに見える飛島まで、盆小屋を取り囲む風景をめぐりました。

 フォトレポートにて調査の様子をお届けします。

スケジュール

Day 1 8/12(金)小屋立て・迎え火

6:30    盆小屋(小屋立て)

10:00 にかほ市象潟郷土資料館

10:58 才ノ神

11:13 塞ノ神

11:20 上郷の才ノ神

12:20 流れ山の風景に気づく

12:30 金峰神社

13:36〜 

19:34 盆小屋(迎え火)

20:45 対談収録① ←後日公開!


Day 2 8/13(土)遊佐リサーチ

10:36 仁賀保勤労青少年ホーム

11:33 由利海岸波除石垣

12:45 盆小屋の様子を確認(盆小屋の向こうに飛島が見えることを発見!)

13:30 十六羅漢岩

14:02 鮭霊塔

14:11 丸池様

14:40 遊佐町 歴史民俗学習館

15:37 遊佐、精霊馬


Day 3 8/14(日)飛島

8:30    盆小屋の様子を確認

9:30    フェリーで飛島へ

11:00 飛島着

11:51 賽の河原

11:56 明神の社

14:10 飛島からにかほの海岸を臨む

14:50 小物忌神社

15:45 当日中のフェリーで帰らないと翌日は欠航とのこと。島での宿泊を断念しにかほへ。


Day 4 8/15(月)送り火

10:51 大物忌神社

11:36

19:37 盆小屋(送り火)

20:15 対談収録② ←後日公開!

Day 1  8/12  盆小屋(小屋立て)

小屋立ての様子。

 早朝6:30に象潟海水浴場を訪れると、既に小屋立てが始まっていました。

盆小屋行事保存会の方達が、手際良く小屋を立てていきます。

設計図がなくとも、阿吽の呼吸で作業が進んでいきます。子どもの頃から携わっているので身体に染み付いているそう。

 元々盆小屋行事は子供がおこなうものでした。今年は新型コロナウイルスの影響で、大人だけで小屋立てをおこなうそうです。この象潟海水浴場の浜辺にはコロナ前には町内会ごとにいくつもの小屋が立っていたそうですが(以前は9つもの小屋が立っていたとか)、今年は町内会同士の話し合いの上でひとつだけ立てるという取り決めになりました。

 また、これまではお盆の時期は天気が良いことがほとんどだったそうですが、気候変動の影響か雨のなかの小屋立てとなりました。

小屋の左脇に「迎え火」を焚く準備しています。

屋根を取り付けるための梁を渡します。小屋の入り口には「浜畑子供会」の文字。

 以前はこの小屋で子供が一定期間共同生活を送りました。子どもたちはあの世とこの世の境界に位置するこの浜の小屋でこもることで祖霊と交渉する身体となりま今では「こもり」の風習は無くなりましたが、現在も小屋の形は引き継がれており、数名が団欒できそうな広さがあります。

盆小屋の後ろ側。ずっしりした藁が整然と並びます。

お盆飾りが吊るされています。中心は茹でたそうめん。オレンジ色のハマナスやシマウリ、ホオズキも。

あとは屋根を乗せたら完成。強風で藁が舞っています。

Day 1  8/12  流れ山の風景

 迎え火の時間まで、海辺から内陸に移動して鳥海山麓をめぐりました。にかほの地形は「流れ山」と呼ばれています。紀元前466年に鳥海山は大きな山崩れを起こし、岩が流れ出したことで現在の地形になりました。下の画像でもわかるように、田んぼの合間に島のように木々が茂っています。これは「九十九島」と呼ばれる山崩れの際にできた島です。103余りの島の多くに名前がついています。九十九島は少し盛り上がっており、墓地や神社になっているものも多くあります。

見渡した流れ山の風景。背後には鳥海山。

この地域では「才ノ神」として村の字などに御神体を祀る風習があります。

 鳥海山側から海の方を見渡した時、この地域が「流れ山」と呼ばれていることがよくわかりました。遮るものなく遠くまで見渡すことができるなだらかでどこまでも続く斜面は、今立っている場所から象潟の浜までが繋がっていることを確かに想像させ、鳥海山から流れ出た大地の広がりを実感します。また、点々と存在する島たちを眺めて流れ山をめぐると、海底を散歩しているような気持ちになりました。

Day 1  8/12  盆小屋(迎え火)

提灯を手に、住民の方達がやってきました。

 夕方になり迎え火がはじまります。提灯を手にした住民の方達が徐々にやってきました。今年は小屋が浜畑町のものだけなので、みんなここから火をいただきます。小中学生の姿もちらほら。

盆棚から火をいただき、家から持ってきた提灯に灯します。

波打ち際に線香を供え、提灯をゆり回します。提灯の灯りは祖霊が帰ってくる目印になります。

砂を掘り風除けが作られています。

浜には線香が並びます。

 祖霊は海の向こうからやってきて、また海の向こうに帰って行くと考えられています。波打ち際で提灯と線香を灯す時間は祖霊との対話の時間です。

 小屋の脇の迎え火の周りでは、保存会の方が子どもに「ジーダ、バンバーダ、コノヒノアカリデ、キトーネ、キトーネ」という歌を教えていました。今年は小屋立てをしていないし子どもの人数が少ないこともあってか子どもたちは気恥ずかしそうでしたが、小さな声で歌っていました。祖霊はこの火の灯りと、子どもたちの声を頼りに帰ってきます。

18時30分を過ぎると、多くの住民がやってきました。

火が絶えぬよう藁や木をくべながら、時折、キトーネキトネ、と歌われます。

 浜辺へやってきた人は、盆小屋という境界と接します。それは、(今年は人数が少なく寂しげではありましたが)境界の存在である子どもたちとの出会いでもあります。そんな子どもたちの力を借りた上で盆小屋の向こう側の波打ち際へ。盆小屋の向こう側はプライベートな空間でした。

 火を灯した提灯は持ち帰り、仏壇に火を移します。お盆の間、先祖は家で過ごします。

Day 2  8/13  盆小屋と飛島、遊佐調査

盆小屋の向こうに飛島が!

 調査二日目は晴れやかな天気になりました。この日は盆小屋行事はありませんが、一夜明けた盆小屋の様子を見に行きました。爽やかな海岸に藁とゴザ、盆飾りの色彩が美しく佇んでいました。

 1日目は天気が悪かったために気づかなかったのですが、盆小屋の向こうに平たい島が見えました。「飛島」です!祖霊を待つ人のまなざしは海の向こうの飛島の方を向いていたのです。明日の飛島調査へ期待が膨らみます。

 新たな発見を胸に、この日は象潟から南に下り遊佐周辺をリサーチです。

十六羅漢岩。多数の羅漢が掘られています。

十六羅漢岩

由利海岸波除石垣

積み上げられた自然石。波の力を弱めた上で水が抜けるように組まれています。

鮭霊塔

丸池様

 この日は十六羅漢岩から始まり、仁賀保勤労青少年ホーム遊佐町歴史民俗学習館といった資料館、鮭の養殖場の傍に立てられた鮭霊塔や丸池様と呼ばれる自然豊かな池をめぐりました。資料館の農耕器具や農民画家による絵画、鮭の養殖場や丸池様の蓄える水がつくる豊かな風景などから、この土地と営みについて思いを馳せました。また、岩にまつわる史跡に出会うことが多いことに田附さんは着目していました。

 その後一行は遊佐へ。遊佐独自のお盆の風習があるそうです。

精霊馬が縁側の軒下に吊るされています。

かと思えば、精霊馬ならぬ、精霊車が!赤いスポーツカーです。

 精霊馬ならぬ「精霊車を軒下に吊るす風習がある遊佐。この一帯を数時間歩いて回る間にたくさんの吊るされた車を見かけました。

オレンジ色のブリキの車

赤いヘリコプター

シルバーのジープ

赤いジープ

 この風習は昭和40年頃からあるそうです。ブリキのものが多いのはその時代柄のようです。なかでも赤いスポーツカーをよく見かけました。かっこよくて速い車を代表するのが赤のスポーツカーだったのかもしれません。他にはヘリコプターやジープ、ANAの飛行機も見かけ、時代の変遷が見て取れます。速そうな車なのか、先祖の好きな乗り物だったのかと想像してしまいます。

 できるだけ早く快適に帰っておいで、という気持ちから馬から車に変わったという、優しく魅力的な風習でした。

Day 3  8/14  飛島へ

 ついにこの日は、盆小屋の遠く向こうに見えていた飛島へ。フェリーで移動したのち、レンタサイクルを借りて島をめぐります。

海底隆起によって生まれた地形。

鮮やかな色彩の岩石で溢れています。

小物忌神社

 飛島には小物忌神社があります。そして下の画像は飛島ではなく、本州の遊佐にある「鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮」です。小物忌神社と大物忌神社は彫刻や縁の造りが似ています。というのも、大物忌神社と小物忌神社、さらには鳥海山山頂にある鳥海山山頂大物忌神社の3つの神社には深い縁があるのです。

鳥海山大物忌神社 吹浦口ノ宮

 この3つの神社では毎年7月14日に「鳥海山御浜出神事」の「火合わせ」という行事が執り行われています。3つの神社に御浜、宮海を足した5箇所で同時にかがり火を焚き、その見え方で一年の豊作を占います。

 鳥海山から流れ山、海岸、そして飛島まで、広くなだらかな風景の繋がりは昔から意識されていたものでした。

飛島の西側にある賽の河原。

賽の河原に積まれた、角の取れた石。

盆小屋の飾りに使われていたハマナスが自生していました。

飛島から臨む鳥海山。麓の浜辺には盆小屋が立っているはずです。

 島の西側には賽の河原が。これは盆小屋の立つ海岸から飛島を眺めると、ちょうど島の裏側の位置に当たります。にかほでは祖霊は海から来て海に帰ります。鳥海山、流れ山、海岸、飛島、賽の河原という並びはまさに西方浄土を表しています。祖霊は飛島の向こう側、賽の河原を通って境界を行き来するのでしょう。盆小屋のつくる円環は、にかほの風景・地形があってのものだと感じました。

Day 4  8/15  盆小屋(送り火

 盆小屋をめぐる大きな風景が見えてきました。送り火の日になりました。空が霞んでおり飛島は見えません。先日発見できたのが幸運に感じます。この日も強風の上、前日の雨で藁が湿っていました。送り火は付くのでしょうか。

燃やす部分を解体。迎え火を炊いた場所で送り火の準備。

湿気と強風で火が付かず…と思っていたら灯油が登場しました。

みんなで工夫して火を付けます。

無事立派な送り火が付きました。

この日も浜辺には線香が。

盆飾りも送り火のなかへ。

 「ジーダ、バンバーダ、コノヒノアカリデ、イトーネ、イトーネ」。これは子どもたちが送り火の周りで歌う歌です。今回は聞くことはできませんでしたが、保存会の方に教えていただきました。イトーネは「お帰りください」という意味だそう。


 20時頃、人気も無くなり行事は幕を閉じました。

行事も終わり、火にくべる部分を解体していきます。

解体された小屋の藁などと共に、最後の盆飾りも送り火のなかへ。

柱やゴザ、ベニヤといった一部の資材は来年も使うよう。

解体は本当にあっという間でした。

 子どもなしで行われた盆小屋行事。コロナ、そして少子化からは目を背けられません。浜辺に静かに佇む盆小屋と祈る人々の姿は美しく、そんな風景はこの鳥海山麓にしか作り出せなかったと確信しました。今回は小屋はひとつでしたが、またかつてのようにいくつもの小屋が並び子どもの元気な声が聞こえる風景を見てみたいと思いました。

 最後になりましたが、4日間を通してお世話になりました、盆小屋保存会のみなさまにあつくお礼申し上げます。

 田附勝さん、石倉敏明先生と収録した対談近日公開予定です。写真家である田附さんと芸術人類学者の石倉先生の視点から、さらに深く盆小屋とそれを取り囲む風景を対談にてめぐります。お楽しみに!

(文:大東忍)

「にかほ市 盆小屋行事調査」フォトレポート

調査期間:2022年8月12日(金)〜8月15日(月)

企画:物見遊山

助成:秋田市地域づくり交付金

協力:ジオカルチャー研究プロジェクト、秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科