常温・常圧における

窒素固定触媒

窒素固定とは,空気中に多量に存在する反応性の低い安定な窒素分子を,反応性の高い窒素化合物アンモニア硝酸塩二酸化窒素など)に変換するプロセスをいう.自然界おける窒素固定は,いくつかの微生物によって行われていて,他の植物や動物と共生関係を形成しているものがある(マメ科植物).また,雷放電や太陽紫外線,山林火事,火力発電所や内燃機関の燃焼による窒素ガスの酸化反応によって窒素酸化物が生成され,これらが雨水に溶けることで,土壌に固定される.人工的には,工業的アンモニア合成によって窒素分子を他の窒素化合物に変換する手法が開発されている.窒素を含む有機化合物の代表的なものは,アミノ酸,タンパク質,DNA,医薬品,プラスチック等枚挙にいとまがない.

もし,窒素固定をエネルギーを消費することなく合成できれば,現在主流の「ハーバー・ボッシュ法」代わる含窒素有機化合物の製造が可能になる.注)N2と水素を高温高圧下で反応させアンモニアを合成する手法

2022年10月25日,東京大学大学院工学系研究科の西林仁昭教授らの研究グループは,モリブデン錯体を触媒に使って常温常圧の温和な条件のもと,窒素ガス(N2)から窒素を含む有機化合物であるシアン酸イオンを超省エネ的に直接合成することに成功したと発表した.

プレスリリースの内容(一部)

2019年に西林教授らの研究グループは、ピンサー配位子を持つモリブデン錯体を用いて、ヨウ化サマリウムを一電子還元剤として利用した常温常圧の温和な反応条件下で、窒素ガスと水とからのアンモニア合成法の開発に成功した(Nishibayashi, Y. et al. Nature 2019, 568, 536)。この反応系では、水を水素(H)源として利用していたが、水素源の代わりに炭素(C)源を用いれば、N-H結合を持つアンモニアの代わりにN-C結合を持つ含窒素有機化合物が合成できるのではないかと考えて詳細な検討を行った。その結果、炭酸エステル誘導体を炭素源として用いた場合に、含窒素有機化合物の一種であるシアン酸イオンが触媒的に生成していることを見出した(図2)。シアン酸エステル(R-NCO)やシアン酸イオン(NCO)は有機合成の原料や除草剤、鋼の窒化処理などに用いられる重要な化合物である。一例を挙げると、シアン酸カリウム(KOCN)は炭酸カリウムとアンモニアから合成される尿素とを400°C以上の高温で反応させるという方法で世界で年間に10,000トン程度生産されている。本研究の成果は、ハーバー・ボッシュ法により合成したアンモニアを原料として利用する現行法の代替法として、窒素ガスから直接的かつ触媒的にさまざまな含窒素有機化合物を合成する省エネルギー型反応の開発につながるものと期待される。

注)ピンサー配位子

遷移金属を含む同一平面上の3方向から3つの配位原子が結合する配位子。1分子の配位子が3点で金属と結合することで強固な結合を形成でき、高い熱的安定性を与える。

触媒:モリブデン錯体

投稿論文に掲載されている推定反応機構

 触媒のモリブデン錯体はモリブデンを含む同一平面の3方向から3つの配位原子が結合していて,ピンサー(はさみ)型配位子と呼ばれ,強力な結合が可能であり,熱的な安定性も高くなる.本触媒の場合,モリブデンは炭素原子と2個のリン原子に結合している.窒素分子のN≡N結合は両側に配位した触媒に引っ張られて切断するとのことである.投稿論文には,化合物2, 4aのX線解析構造およびDFT計算による反応経路解析結果が掲載されている.

なお,2013年に理化学研究所が類似の論文を公表している.それには,「新たに合成した多金属のチタンヒドリド化合物に窒素分子(N2)を常温・常圧で取り込ませ、窒素-窒素結合を切断し,窒素-水素結合の生成(水素化)を引き起こすことに成功した.この成果は,従来に比べ,少ないエネルギーでアンモニア(NH3)を合成できる手法の開発につながる」と書かれている.

今回の研究結果が実用化されれば,地球に優しい画期的な発見である.今後の研究の進展と実用化の実現を期待したい.

発表雑誌: 

雑誌名:Nature Communications

論文タイトル:Direct synthesis of cyanate anion from dinitrogen catalysed by molybdenum complexes bearing pincer-type ligand

著者:Takayuki Itabashi, Kazuya Arashiba, Akihito Egi, Hiromasa Tanaka, Keita Sugiyama, Shun Suginome, Shogo Kuriyama, Kazunari Yoshizawa* and Yoshiaki Nishibayashi*

DOI番号:10.1038/s41467-022-33809-5

NIH PubMed 図表閲覧元

研究グループには東京大学のほか,九州大学、大同大学の研究者らが共著者になっている.


参考論文

窒素分子の切断と水素化を常温・常圧で実現 - 理化学研究所(2013)

(2022.12.6)