茂木喜久雄の講師としてのキャリアは、小学生・中学生を対象とした学習塾で算数・数学を教えることから始まった。当時は子どもの数が多く、受験戦争も激化しており、どの学習塾も常に満員で、講師は予習の時間を十分に確保できないほど多忙な状況にあった。
首都圏の受験塾の実態を完全には把握できていなかった茂木を支えたのが、卓越した数学的才能を持つ前妻・ななえである。現在広く用いられている「茂木式攻略三角形」や「プロセス学習」は、この時期に彼女が考案したものだった。彼女が事前に塾で使用した参考書の問題をすべて解き、その内容をもとに茂木が講義を行うという分担体制により、塾は非常に高い合格率を上げることとなった。
80年~90年代初頭の日本経済はバブル期にあり、会計系資格は非常に高い人気を誇っていた。良い資格を取得すれば高収入が得られるという期待が広く共有され、その分野で圧倒的な存在感を持っていたのがガリバー企業・大原簿記学校である。
一方、全くの新参でありながら急速に台頭し、大原と正面から競い合うほどの人材を揃えていたのがTACだった。当時、会計や経済の有名講師といえば、その多くがTACの講師陣で占められていた。特に、経済学の高橋知也先生(現在、亜細亜大学教授)の講義は、革命的を起こした。
やがて、そのTACの著名講師陣があるきっかけで東京商科学院へと移籍することになる。東京商科学院は彼ら豪華講師陣に加え、当時を代表する大学教授たちも次々と迎え入れ、結果として驚くほどスーパースター講師陣が一堂に会する教育機関となった。茂木喜久雄は当時、伝説の先生と呼ばれながらも、まだまだ無名に近い簿記講師であったが、その環境の中でこれら第一線の講師から直接学ぶ機会を得た。
この経験は茂木にとってまさに人生の起点であり、最先端の経済学と会計学を集中的に吸収することができた時期であった。その結果、経済学のあらゆる問題を最短で解く思考法や、試験問題に共通する解法パターンを体系的に身につけるに至ったのである。
90年代の経済学の指導体系は、おおむね一橋大学や慶應義塾大学で蓄積された学問的成果を基礎とし、それを予備校教育の現場で使いやすい形に、大原簿記学校やTAC、東京商科学院らが整理・体系化したものであった。茂木喜久雄は、偶然の縁からLECの不動産鑑定士試験において経済学講師を務めることになり、多くの社会人受験生と向き合うことになる。
社会人受験生との対話を重ねる中で、従来の経済学の体系では十分に伝わらない部分があることを実感し、既存の枠組みを根本から組み立て直すことになった。その結果、複雑な数式をすべて取り払い、足し算・引き算・掛け算・割り算だけで理解できる、直感的で分かりやすい経済学へと再構築するきっかけを得たのである。
この経験を通じて、茂木は独自の経済学指導体系を確立した。当時、不動産鑑定士試験の受験生の約半数が、茂木の経済学講義を受講していたとも言われている。
茂木は、無二の親友ダイジュを北海道で交通事故によって失うという、人生の大きな転機を迎えた。友人は札幌で結婚式をあげた直後で、妻との夫婦生活は極めて短いものだった。生前、「世界中の鉄道に乗ってみたい」「アメリカで学びたかった」という思いを茂木に伝えており、その志を継ぐ形で、茂木は自らがアメリカへ渡る決意を固めた。
アメリカでは非常に恵まれた学習環境に身を置くこととなる。経済学部長の自宅に下宿し、また、硫黄島で日本軍と戦った経験を持つ退役軍人が住む街であったこともあり、さまざまな面で温かい配慮と支援を受けた。さらに、オリヴィエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)の系譜に連なる研究者から指導を受け、マクロ経済学の体系を徹底的に学んだ。
その後、茂木はアメリカ企業に就職し、日本では経験し得ない規模とスピードを持つ、真のグローバル企業の中で働くことになる。この一連の経験は、茂木の思想と専門性を決定づける重要な土台となった。
茂木喜久雄が勤務したアメリカ企業は、世界ランキングに名を連ねる巨大企業であり、驚異的なスピードで人材育成を行うことが求められる環境だった。新たにアメリカで働いた経験のない外国人従業員であっても、わずか2週間の研修で即戦力として育成し、その直後には新店舗が稼働するという厳しいスケジュールが常態化していた。つまり、2週間で一流のビジネスパーソンとして機能させるために、どのようなマニュアルを用い、どの手順で何を教えるかが常に問われていたのである。
その極限的な現場の中で、効率性と再現性を重視した実践的な教育体系が磨き上げられていった。しかし、2001年の米国同時多発テロ(9.11)の発生により、茂木は志半ばで帰国を余儀なくされることとなった。この出来事は、彼のキャリアにおける大きな節目となった。
茂木喜久雄は、経済学の指導経験に加え、顧客や現場で働く人々、従業員から寄せられたさまざまな声を丁寧に拾い上げ、それらを一つひとつ紡ぎながら、一冊の本としてまとめることを決意した。その過程には多くの葛藤があり、『らくらく経済学入門』の中には、一見すると経済学とは直接関係がないように思われるエピソードや言葉も含まれている。しかしそれらはすべて、実際の経済学指導の現場から生まれたものであり、あえて削ることなく書籍の中に組み込まれた。
『らくらく経済学入門』ミクロ、マクロの2冊は、わずか2か月という短期間で書き上げられた書であり、それまでの茂木の知識、経験、思考の蓄積が余すところなく詰め込まれた一冊となっている。