●●●●の日記

 私はこの数年間で本当に多くを得ました。そして今ではあの時の、あの日明け方のホームでの貴方の表情が分かる気がするのです。いえ、私たちは皆決定的に孤独であり、まして誰かの「心」など分かるはずもないけれど。それでも時間を経てほんの少しだけ、貴方の心の色を私も得たような気がしているのです。

 様々な場所へ行き、様々な文化や価値観、たくさんの共感とすれ違いを目にしました。そうやって多くを見て、私は「この世界」について一つの、自分なりの結論を得ました。それは、人は皆「それぞれ」であるということです。「人それぞれ」であるということです。本当につまらなくて下らない結論です。私の憧れた「均衡」でさえ一つの「解釈」に成り下がりました。


 初めてこの手で『調査報告』を書きました。それはずっと私の夢だった仕事で、少なくない人の手に渡りました。顔も知らないどこかの誰かに、或いは直接この手で手渡されました。誰かにそれを手渡す度、私はこの為に生まれてきたのだとさえ思いました。私は本当に嬉しかった。

 しかし私が彼らと本当の意味で「出逢う」ことは、彼らの心を確かめることは、きっとこれからも出来ません。貴方に出逢えず、そして私も 貴方も 記憶も 創作も 文化も 世界も、いつか「終わる」のだということを思わずにはいられないのです。そうやってふと私の前に立ち現れる死は、私を底なしの孤独に陥らせるのです。本当に寂しくて、何も出来なくなるのです。

 しかし私たちがいつか終わるのだということが、死が、私を生かしているのもまた本当です。いつか死ぬのだということが、私の尽きかけの好奇を 衝動を 情動を また燃え上がらせるのです。その時、私はいくらでも恥ずかしくなれるのです。何でもできるように思っているのです。


 世界を見詰め、解釈し、再構成する。それが私のやっていることの全てです。この文章でさえそうです。言葉でも音でも絵具でも、何だっていいのです。記号はすべて、感情に成るから。とにかく私の「再構成」を表し続けることが、重要なことなのです。そういう意味で私が何を形にしても、それに何と名付けようと、私が何か表し続ける限り「私の再構成した世界」或いは

『この世界』

は広がり続けるのかもしれません。


2024.03.30