研究紹介

査読雑誌に掲載された論文

東京大学の北尾早霧教授との共著, Journal of the Japanese and International Economies (2020, Vol. 56) に掲載

日本では急速に高齢化が進行している。労働年齢人口の減少による生産力の低下と課税ベースの縮小、団塊・団塊ジュニア世代の引退による社会保障支出の増加がマクロ経済および財政の懸念材料となっている。労働力不足が懸念される中で、追加的な労働の担い手として期待されているのが女性と高齢者である。本論文では、性別および年齢によって異なる労働参加率・雇用形態・生産性の違いを一般均衡型のマクロモデルに取り込み、労働市場に関する様々なシナリオがマクロ経済および財政の将来推計に与える影響を数量分析する。

男女それぞれの年齢別の労働参加率および雇用形態分布に着目すると、労働参加率・雇用形態ともに大きな違いが存在し、さらに同じ雇用形態においても男女間で所得水準は大幅に異なる。労働政策研究・研修機構(JILPT)の推計『成長実現・労働参加シナリオ』に沿って、各年齢における女性の参加率・雇用形態分布・賃金プロファイル(生産性)の形状が2040年にかけて上昇するシナリオより数量分析を行った。

参加率の増加は労働供給の増加をもたらすが、参加率に加えて雇用形態分布や雇用形態別の生産性の上昇が総労働供給や総生産に大きな影響を及ぼすことが分かった。労働供給が増すことで賃金水準は低下するが、長期的には所得増により資本が増加し賃金もベースラインを上回る水準となる。また、経済活動と課税ベースの拡大によって税負担が低下する。

女性の労働参加がさらに進む余地は大いに存在し、現在進行中の参加率上昇トレンドが今後も続くことは間違いないだろう。しかし、総労働供給と生産の増加には参加率だけでなく働き方や生産性の向上が鍵となることが明らかとなった。このことは生産年齢の女性に限ったことではなく、男女高齢者の労働参加についてもあてはまる。さらに、生産年齢にある男性の非正規雇用の増加トレンドと平均賃金の停滞も注意を払うべき現象である


*この論文紹介は、RIETIに掲載されたノンテクニカルサマリーに基づきます。

MIT博士課程の菊池信之介氏と東京大学の北尾早霧教授との共著, Journal of the Japanese and International Economies (2021, Vol.59)に掲載

日本の労働市場における新型コロナウィルス(COVID-19)危機の影響は、各労働者の年齢・性別・雇用形態・教育水準・職業・産業によって異なる。本論文では、複数のデータを用いてCOVID-19危機発生後、最初の数か月間における雇用と収入の変化を実証的に考察する。その上で、世代重複型モデルを構築し、それらの異質な変化の厚生効果を定量化する。

分析の結果、異質性の各断面において、危機以前から低所得であった層へより甚大な被害が観察され、格差が増幅することがわかった。具体的には、正規雇用者より非正規雇用者、中高年層より若年層、男性より女性労働者がより大きな影響を受け、対人的でリモートワークに対して柔軟でない仕事に従事する労働者はそうでない労働者よりも、より大きな打撃を受けていることがわかった。また、もっとも甚大な影響を受けるグループは、対人的かつリモートワークに対して柔軟でない仕事に従事する、大卒未満の女性の非正規労働者のうち、単身あるいは配偶者もまた同様に甚大な被害を受けるグループに該当する人たちである。

本研究は、COVID-19危機発生後の最初の数カ月の労働市場における短期的な影響を評価することを目的としているが、今後も変化する労働市場のデータを注視し続けることが必要である。COVID-19危機を引き金として生じうる労働市場の構造変化や、中・長期的な経済への影響の分析は今後の課題とする。


*この論文紹介は、RIETIに掲載されたノンテクニカルサマリーに基づきます。

ワーキングペーパー

東京大学の深井太洋氏, 東京大学・アリゾナ大学の市村英彦教授と東京大学の北尾早霧教授との共著

本研究は、医療保険のレセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)を用いて、ライフサイクルにおける医療費リスクが個人の経済活動に与える影響と医療保険制度の役割について分析する。

本研究では、医療費ショックの持続性と健康状態によって異なる死亡確率を考慮することでライフサイクルにおける医療費リスクを推定した。各年齢における平均的な医療費や横断的な医療費の分布に着目するだけでは、生涯を通じた医療費リスクを把握することは困難である。高額の医療費がかかる健康リスクに見舞われた場合、そうでない場合に比べて翌年以降も悪い健康状態が持続する可能性が高くなり、その一方で健康状態の悪化は死亡確率を高めることから、生涯医療費の分析を行うには医療費ショックの持続性だけではなく健康状態と生存確率の関係も考慮する必要があるのだ。本研究は、Fukai, et al(2021)が構築したNDBに基づく医療費パネルデータを用いて、医療費の持続性の仮定によって生涯医療費の分布がどのように異なるかをシミュレーションした。

このような医療費リスクによる個人の経済活動と厚生への影響、ならびに医療保険制度およびその他の福祉制度の効果を分析するため、本研究においてはNDBから推計された医療費プロセスを組み込んだ世代重複型モデルを構築した。ライフサイクルを通じて直面する医療費リスクを所得や予備的貯蓄によって緩和できるかどうかは、個人の属性によっても異なる。医療保険制度の役割や制度改革による影響もあらゆる家計に一様に及ぶわけではない。そのため、本研究では世代重複型モデルに、性別・スキル水準・所得・資産・婚姻の異質性を取り込み、様々なタイプの単身および既婚世帯から成るモデルを構築し、医療費リスクと医療保険制度の経済・厚生効果を定量化した

医療費が高額化する高齢になると低下する年齢別自己負担率と、累進的な自己負担限度額を含む高額療養費制度を特徴とする医療保険制度は、家計を支出リスクから手厚く保護し、ライフサイクルにおける貯蓄行動に大きな影響を与える。医療費リスクと保険制度による影響は世帯間で大きく異なり、保険給付を引き下げた場合、高所得世帯は高い支出に備えて貯蓄を増やす一方、低所得世帯は貯蓄と消費の減少に直面することを示した。財政的な観点からは、給付引き下げによって医療費支出が抑制される一方、低所得層や継続的に悪い健康ショックを受ける世帯の貯蓄は低下するため、生活保護などの受給者数は増加することを示した。さらに、給付減による財政支出の変化を定額移転(lump-sum tax/transfer)によって均衡させる場合、総貯蓄は増加し平均的な厚生は上昇するが、低所得層・悪い健康状態にある個人への厚生効果は平均を下回る結果となった。また、保険制度改革の効果は他の福祉制度の充実度に依存し、その依存度合いも属性の異なる世帯間で異なることを示した。

急速な高齢化と社会保障費の増加に直面する日本において、医療保険制度を含む社会保障制度の見直しは避けては通れない。本研究が示すように、医療費リスクや医療保険制度改革が個人の経済活動や厚生に与える影響は一様ではない。ミクロデータを精査することによって、制度改革がとりわけ経済および健康面での弱者に与える影響を注意深く考慮する必要がある。さらに、医療保険制度改革が福祉制度への依存度に影響することが示されたように、改革を議論する際には、社会保障制度および個人間の経済的格差を含めたマクロ経済全体から分析を行うことが重要となる。


*この論文紹介は、RIETIに掲載されたノンテクニカルサマリーに基づきます。

東京大学の北尾早霧教授との共著

日本では、女性の労働所得が男性に比べて著しく低い。消費生活パネル調査(JPSC)の個票データを用いて、1960年代生まれの女性の労働参加状況を2018年まで追跡し、雇用と賃金の変遷を分析した。

日本の女性の労働参加率は20代半ばに70%を超えるが、その後30代前半には50%前後まで低下し、その後緩やかに上昇する。この時、30代半ばまでの労働参加率の低下は正規雇用者の減少によって、30代以降の上昇は非正規雇用者の増加によって説明される。また、未婚者あるいは既婚者内での正規雇用者の割合に関しては、年齢による大きな変化はなく、女性全体で見た正規雇用者数の減少は、結婚に伴う雇用形態の変化によって説明されるのである。非正規雇用者の賃金は正規雇用者を大きく下回り、さらに職務経験を積んでも賃金の上昇は見られない。これらの要素が複合的に男女間賃金格差を形成しているだ。

本論文においては、女性の労働参加と賃金構造を説明する世代重複型モデルを構築する。その上で、財政政策に焦点を当て、配偶者控除、第三号被保険者の社会保険料免除および遺族年金が女性の行動にどのような影響を及ぼしているか分析する。

その結果、いずれの制度も女性の就労意欲を抑制し、賃金水準を低下させることがわかった。3つの政策が全て廃止されていた場合、平均労働参加率は13パーセントポイント、平均賃金は約28%高い水準になるというシミュレーション結果が得られた。労働参加率が上昇するだけでなく、より多くの女性が非正規ではなく正規雇用を選び、ライフサイクルを通じた人的資本の蓄積によって所得が増加する。税負担は増すが、所得増の効果が上回ることで平均消費水準は上昇し、政府歳入の増加分を還元することにより、厚生も改善することが示された。


持続的な所得水準の上昇には、生産性の上昇が不可欠だ。無所得あるいは低所得の配偶者の生活費を支えるために講じられてきた政策は、低所得者を保護するという本来の役割を果たしておらず、女性の労働参加や生産性と賃金上昇の大きな足枷となっている


*この論文紹介は、RIETIに掲載されたノンテクニカルサマリーに基づきます。

*この論文紹介は、週刊東洋経済(2023年9月16日・23日合併号)に掲載された経済学者が読み解く現代社会のリアル」をご参照ください

資料