1番ホームの意
誤って郊外行きのS線の改札に入り、列車待ちの青年に確認。M3に乗るも乗換駅のDUOMOを乗過してこの駅に
ここでM1に乗換えて4駅目のConciliazioneで下車。これ以上迷えないのでタクシーで
ここの食堂に最後の晩餐がある。8:15からの予約に間に合った。
今回のイタリアの旅の日程はこの最後の晩餐の予約を最優先に
「最後の晩餐」の意。ガラスの部分に書かれていた
写真禁止
最後の晩餐は1498年に3年がかりで書かれ、17世紀には食堂に扉を設けるためイエスの足の部分が破壊、19世紀には大洪水がミラノを襲い水没、またナポレオンが馬小屋として使用したため汚れが広がった。
連合軍の爆撃で食堂は崩壊、『最後の晩餐』の前には土嚢が積み上げてあったため、かろうじて被害を免れた、以後3年にわたって屋根は再建されなかった。
20年かけて絵の具を原子レベルまで分析して特定し、レオナルドのオリジナルを除く後世の加筆部分が丁寧に除去された。
ドメニコ会特有の赤レンガを使ったミラノ・ルネサンス様式
左下が食堂への入口、右上の写真は入口前の庭
1492年以降ブラマンテにより改修されたといわれる。正面の赤レンガに扉口や窓の周りの白大理石と対象的に、 後陣は白大理石を使った円筒形
1296年、アルノルフォ・デ・カンピオの設計により大聖堂を取り壊して着工し、ジョット、フランチェスコ・タランティらが造営主任をつとめた。
以降、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァがドミニコ修道院と教会の建設を指示し、建築家ソラーリによって長い年月をかけ1469年に完成
礼拝室の1つで
生誕のミニチュア
左第6礼拝堂のパリス・ボルドン(1500-1571)作の「聖家族とアレクサンドリアの聖カタリナ」は撮り損ねた
ガウデンツィオ フェッラーリのフレスコ画
教会の東、スフォルツェスコ城に北東に向かう通りを歩く
Basilica di saint'Ambrogioにも行く予定だったが割愛。西にある地下鉄M1線 Conciliazione駅に行くとスフォルツァ城がすぐ近くに見えたので 歩いて行った。
教会の東、スフォルツェスコ城に北東に向かう通りを歩く。
黄色いのはレンタル自転車BikeMi 4.5€/日hi
北方面行の駅。中央右は彫刻家クレス・オルデンバーグの『針と糸』