LIVEの記録映像(非公式版)
先日行われた「LIVE」での山形一生さんのパフォーマンスとトークの記録映像(非公式版)です.「非公式版」にも関わらず「字幕」つきです😊
トーク終了後のボーナストラックつきです🤪
表と裏とそのあいだ
山形一生さんの作品《ミュータント・スライム》(2017)は,透明なアクリル板の裏面にプリントされています.透明なアクリル板には表も裏もない感じがあるし,ミュータント・スライムも表も裏もない平面的な感じがします.しかし,「平面」であるということは,そこに表と裏とがあり,さらには表と裏のあいだが存在することを意味します.そして,透明なアクリル板にプリントされたミュータント・スライムは,表面から見られることを想定されているのです.
では,なぜ,山形さんはわざわざ「表」と「裏」とを区別するのでしょうか.それは,私が常に見つめているスマートフォンやテレビ,コンピュータのディスプレイを見る体験と関係しています.私たちは画像を見るとき,つまり,ディスプレイを見るとき,画像やテキストは常にディスプレイのガラス越しに見ているのです.つまり,「表」からガラス越しに見ているのです.この状況を透明なアクリル板で再現するには,アクリル板の裏側にミュータントスライムをプリントする必要があります.さらには,プリントされるミュータント・スライムには3D情報が与えられていて,前と後ろができるように設定されてもいるのです.
なぜ,このような複雑な設定になっているのでしょうか? それには次のような意図があります.私たちは普段,ディスプレイに映る画像がガラスの裏にあることや,画像に厚みがあるかどうなどはまったく気にもとめません.山形さんはそこに注目して,私たちが見ている画像とディスプレイとが示す「表」と「裏」とそのあいだを見せてくれのです.だから,アクリル板の裏面に,ミュータント・スライムの表面がプリントされていて,私たちはそれはアクリル板の表から見ることが想定されているのです.そして,想定どおり作品を表から見ると,裏面にプリントされているに過ぎないミュータント・スライムが,アクリル板の厚みに押し込められたチューブのように見えるようになるのです.
今回,大学祭で行うパフォーマンスも,きっと,私たちが当たり前だと思っている「前提」の部分に疑問を投げかけるようなものになると思います.
ゾンババ練習風景
メディア表現学科で「デジタル音楽編集」を担当してくれている西田彩ゾンビさんと,本学科で写真・視覚表現の領域を担当している馬場伸彦さんのユニットである「ゾンババ」が練習をしていました.西田彩ゾンビさんはシンセサイザーの奏者としても活躍していますが,今回はギタレレ弾きのギタレレストとして登場です.馬場さんもギタレレストとして登場するみたいです.そして,西田さんのツイートには「ゾンババ(西田彩ゾンビ+馬場伸彦+ゲストvo)」とあるので,学祭のときのゾンババは3人みたいです.