コクヌストモドキを用いた研究
コクヌストモドキ(Tribolium castaneum)は小麦粉などの穀物を食害する害虫として、世界中に分布しています。ただ、甲虫としては最初に全ゲノム解読が行われた種であるように、生物学においてはモデル生物としての顔も持っています。彼らの優れた点としては、飼育が容易であるということですね。小麦粉の中に放り込んでおけば、1か月ほどで次世代が大量に出てきます。研究対象の昆虫が、餌やりに苦労せず、寿命が比較的長い(約1年)ということは、生物学の研究を行う上でとてもありがたいことです。私は、学部3年で研究室に配属されてから、この虫を使って研究を続けています。もう長い付き合いです。心配事があるとすれば、彼らは独特の臭いを放つことでしょうか。飼育している容器からは独特の臭いがするのですが、これはベンゾキノンという物質で、身体にはあまりよろしくないようなので、気を付けたいです。
コクヌストモドキの歩行活性に対する人為選抜実験
コクヌストモドキは翅を持っており、飛翔することが可能です。しかし、飛翔移動することは稀であり、基本的には歩行によって移動を行います。この歩行能力には、しばしば集団内で個体間変異が見られることから、高いもしくは低い移動能力間にはそれぞれ利益とコストが存在すると予想できます。そこで私は歩行活性の異なるコクヌストモドキ間で利益とコストが存在するのかどうかを調査しました。撮影された動画からコクヌストモドキの歩行軌跡を解析し、歩行活性の高いオスとメスを交配させた(LW)系統と歩行活性の低いオスとメスを交配させた(SW)系統を作成しました。この選抜実験を15世代以上にわたって続けることで遺伝的に歩行活性の異なる系統の確立させました(Matsumura & Miyatake 2015)。
この選抜系統を用いて、まずは捕食者と同居させた時の生存率を比較しました。その結果LW系統の方はSW系統よりも生存率が低いことが明らかになりました。これは、歩行能力の高い個体は捕食者との遭遇率が高いことが原因であると考えられます。その一方で、オスの交尾成功率は、LW系統の方がSW系統よりも高いことが明らかになりました。こちらも交尾相手との遭遇率が重要であると考えられます。これらの結果から、異なる歩行能力間で捕食と交尾のトレードオフが見られました(Matsumura & Miyatake 2015)。また、この系統を用いてゲノムの調査も行い、系統間で発現量が有意に異なる遺伝子を明らかにしました(Matsumura et al. 2024)。今後は、これらの遺伝子を対象としたRNA干渉実験を行い、本種の歩行活性を制御する遺伝子を特定することを目標としております。
この他にも、雌の繁殖形質(Matsumura & Miyatake 2018)、生体アミン(Matsumura et al. 2016)、飛翔活性(in prep.)、死にまね(Matsumura et al. 2016)…など、色々な形質を系統間で比較しました。
昆虫の死にまね行動関する研究
死にまね行動(擬死)は様々な動物が示す捕食回避行動です。なぜ、死にまねが進化するのか?という疑問に対して完全に説明は出来ていません。まだまだ研究をする必要がありますが、死にまねは観察しやすく、また定量化が簡単なので、捕食回避行動の中では研究しやすい対象かな、と思ってます。
私が所属する進化生態学研究室には、古くから死にまね系統が受け継がれてきました(Miyatake et al. 2001)。死にまね(死んだふり)は幅広い動物分類群で確認されている適応的な捕食回避行動であると考えられています。先輩達によって、コクヌストモドキの死にまね継続時間に対する二方向の人為選抜実験が行われ、遺伝的に死にまね時間の長い(LD)系統と短い(SD)系統が確立されました。私もこの系統を受け継いだので、ただ維持するのも勿体無いな、と考え、色々と実験を行いました。例えば…①死にまねと繁殖形質の関係、②死にまね選抜への反応に限界はあるのか?、③死にまねと脚の長さの関係、④死にまねの特徴は発育段階を通して不変なのか…など。
また、死にまね時間は周囲の同種他個体の影響を受けて可塑的に変化しうるのかどうかを検証するために、LD系統個体が多い環境とSD系統個体が多い環境を用意して、未選抜の個体を各環境で飼育した時の死にまね時間の変化を調べました。その結果、LD個体が多い環境では変化が見られなかったのに対して、SD系統が多い環境では死にまね時間が短くなることを発見しました。これは、死にまね時間が短い個体が大多数を占める環境では周囲個体に同調して死にまね時間が短くなることを示唆してます(Matsumura 2025)。
また、クワガタムシのように雄が発達した武器形質を持つ「オオツノコクヌストモドキ」を用いて、死にまね行動と武器形質のサイズの関係についても調査しました。武器サイズが大きなオスほど死にまねを行う頻度が高かったことから、捕食者から狙われやすい武器が大きなオスは積極的に死にまねを行うことが示唆されました(Matsumura et al. 2020)。
カメムシの個性と生活史形質の関係
私たち人間に見られるように、昆虫を含む動物でも個性は存在します。なぜ個性は存在するのか、どのように進化しているのか、という謎は多くの行動生態学者達を悩ませてきました。2000年代に突入した頃から、動物を対象に個性の行動生態学的研究が盛んとなり、多くの研究結果が発表されました。それらの研究によっていくつかの仮説が提唱されたのですが、その一つにPace-of-life syndrome 仮説があります。これは、いわゆる人生の過ごし方の違い(太く短く生きるか、細く長く生きるか)が様々な形質に影響することでトレードオフが生じることで、個性が進化するという仮説です。例えば、太く短い人生の個体は普段から活発(いわゆる陽キャ?)であり、繁殖や資源を巡る争いに勝ちやすいというメリットがありますが、同時に危険に曝されやすいことがデメリットとなります。その一方で、細く長い人生の個体は普段から大人しく(いわゆる陰キャ?)、あらゆる競争において不利ではありますが、命を脅かす危険との遭遇頻度も低いことから、長生きしやすいというわけです。
この仮説を検証するべく、私たちは捕食性のカメムシであるコメグラサシガメAmphibolus venator を用いて、活発さの個性と生活史形質の関係を調査しました。その結果、活動性が高い個体は発育期間が短い相関が見られました。本種でもPace-of-life syndromeが存在することが示唆されました。その一方で、活発さの個性は寿命や採餌量とは相関していませんでした。本種は、待ち伏せ型の捕食者であるため、活発さが適応度に及ぼす影響はそこまで大きくはないのかもしれません。