昭和2年(1927年)秋、当時仙台市にあった小出家の敷舞台(しきぶたい)に松野奏風が描いた老松図である。初めての老松図制作にあたり、平福百穂(ひらふくひゃくすい)画伯に詳しい技法を尋ねたという。さらに、建築家で能楽研究家であった山崎楽堂氏(やまざきがくどう・横浜能楽堂で館長を務めた、故山崎有一郎氏ご尊父)より、各地の能舞台の写真を借用するなど慎重に準備を重ねた。
四枚板戸の形式で、敷舞台は本来二間半(約450センチ)を定寸としてきたため、三間(約540センチ)の本舞台に比べてやや小ぶりな寸法のつくりである。
当館の開設にあたり、所蔵者である小出家現ご当主のご協力で、脇の竹図とともに、当時の様子に近い形での公開が可能になった。
現在、年に2回ほど公開の機会を設けている。
昭和2年、仙台市小出宅で老松図を染筆中の松野奏風(当時28歳)。