於 第29回日本数理生物学会
日時:2019年9月15日
会場:東京工業大学
【オーガナイザー】※所属等は当時のものです
切江志龍(東京大学・院・農学生命科学研究科D2)
堀部和也(大阪大学・院・理学研究科D2)
【企画趣旨】
数理を通じて生命現象を理解するとき,研究者はどの現象が重要かを見極め余計な事実をモデルからそぎ落とす.どの現象を重視するかは研究者に委ねられ,結果として得られる数理生物学のモデルにはその人の生命観が少なからず反映されることになる.換言すれば,研究者は「数式という媒介を通じて生命はいかに表現可能か」という問いと日々向き合っている表現者だといえる.一方で,美術作家もまた生物を自然科学的な視座から見つめるが,その省察は理論ではなく作品として提示される.本シンポジウムでは美術作家を招き,生命を理解する手段としての数理生物学の意義をともに考えていきたい.
【講演者】
石橋友也(美術作家)
村山 誠(美術作家)
山道真人(東京大学総合文化研究科講師)
畠山哲央(東京大学総合文化研究科助教)
【発表概要】
生物学を導入したアートの試みとその可能性
Art experiments with biology perspective and its possibility
石橋 友也
Tomoya Ishibashi
フリーランス,metaPhorest (早稲田大学生命美学プラットフォーム)
私はこれまで、生物学を始めとするサイエンス・テクノロジーの技術や知見を用いたアー ト作品の制作・研究を行ってきた。フナを祖先とし、1700年間の品種改良を経て現在の姿が ある金魚に逆品種改良を加え、祖先であるフナの形への逆行を試みる『金魚解放運動/Goldfish Liberation Movement』(2012~)や自然言語処理技術を用い、Twitterのトレンドワードからリア ルタイムに詩を生成するAI『バズの囁き/Whispers from Buzz』(2019)といった理工学研究・ 開発の側面を含むアート・プロジェクトや、現代の生物学実験室で錬金術の再現を試みるSF 短編映像『Revital HgS』(2013)、魚類の遊泳能力を測定する装置・回流水槽を用いたインス タレーション作品『金魚のコンポジションの実験』(2015)といった生物学実験室・実験器具 の美学を扱う作品群がこれにあたる。 これらは単にアートとサイエンス・テクノロジーのコラボレーションとしてではなく、サ イエンスやテクノロジーに内在する美学があり、表現という形式でプレゼンテーションする ことで、それらに迫ろうという狙いがある。 近年では、バイオ(メディア)・アートと呼ばれる、生物学やバイオテクノロジーの技術や 知見を導入したアート作品が大きな注目を集めている。これらはバイオテクノロジー時代の 諸問題を扱う論争喚起的な側面が強いが、生物学やバイオテクノロジーに内在する美学を別 の視点から照射する試みとも捉えられる。 本発表では、生命理解の間主観性と作品鑑賞の類似性の指摘(岩崎, 2013)や芸術鑑賞のモ デル化(Kubota.A et al, 2017)を参照しつつ、生命の理解の別様のアプローチとしての芸術に ついても議論したい。
植物の構造形態と芸術表現
Plant structure and artistic expression
村山誠
Macoto Murayama
Artist
花は一般的に美的シンボルとして認識されているが、その観点は、色・香り・形(外観)などが主な要 素である。しかし、対象を徹底的に観察すると、緻密で整然とした美しい構造形態を有していること が確認できる。 例えば、胡蝶蘭(Phalaenopsis Sogo Yukidian)は、多くの日本の生花店で販売されている白い大輪の ラン科の花である。この品種は純白で清楚な容姿から、冠婚葬祭の装花に重宝されている。また、そ の見栄えや特殊な用途から、とても高価な花としても広く認識されておりハレを象徴する花と言える。 しかし、ひとたび視点を変えて分析的に対象をのぞき込むと、蕊柱(雄しべと雌しべが合わさったラン 科特有の部位)が花粉を保有譲渡するための特殊な構造が見えてくる。さらに、そのシステマチックな 機構から生物内に機械的側面を感じることができ、既成概念とは異なる魅力が表れてくる。 そこで、私は内なる部分に潜む構造的特徴やシステムを花の潜在的な魅力=本質的な魅力と捉え、花 (植物)の不可視な美しさの表現を試みる芸術作品「Inorganic flora/無機植物相」を提唱し制作し ている。 本作品の制作プロセスを大別すると、1対象物の解剖・観察、2情報収集、33Dモデル化、4図面化、 に分類される。伝統的なボタニカルイラストレーション、植物学、建築図面など様々なジャンルを参 照しながら、多様な観点から対象の情報を整理していくことでその花が持つ既存イメージを超えた未 知の美が見えてくるのではないか、と期待している。 本シンポジウムでは、自身が制作の中で感じ考えることとして、花(生物)に理想的な形態はあるの か、種を代表する形態とはなにか、を議題の一つとしたい。私の場合、原則実物を解剖して一般的な 形やその種にとって理想的な姿を想定して作品化しているが、その過程や決定は個人的な見解による ところが大きい。では、仮に科学的に一般化された姿を導き出すことができて、そこから特別に感じ る美しさはあるのか。元来、ボタニカルイラストレーションは科学的かつ芸術的な表現とされている が、科学的の範疇を広げた表現を模索したい。
マクロスケールでの生命現象
Macroscale models of biological dynamics
山道真人
Masato Yamamichi
東京大学大学院総合文化研究科
生態学・進化生物学において、生命現象を数理モデルとして表現する際の動機、「美しさ」 の基準、その結果としての研究内容を紹介し、研究を通じて「新たな視点」を提示すること の可能性と難しさについての議論のきっかけとしたい。具体的には、進化モデルの例として カタツムリの一遺伝子種分化モデルを、生態学モデルの例として遮光された湖沼群集モデル を紹介する。 カタツムリには右巻き個体と左巻き個体が存在し、両者はうまく交配することができない ため、巻き方向の違いは生殖隔離機構として働く。巻き方向は一遺伝子座上の二対立遺伝子 が決めているために、巻き方向が逆転する進化は「一遺伝子種分化」と言われる。一遺伝子 種分化では、最初に現れる変異個体の交配相手がいないため、正の頻度依存選択が働くので、 非常に起こりにくいとされてきた。しかし、カタツムリでは巻き方向が遅滞遺伝する(母親 の遺伝子型が子の表現型を決める)ことに加え、右巻きのみを専食するセダカヘビの存在が 種分化を促進されているという仮説が提唱された (Hoso et al. 2010)。そこで集団遺伝学モデル を構築し、変異の固定確率を調べたところ、捕食者不在の環境では劣性対立遺伝子が、捕食 者の存在下では優性対立遺伝子が固定しやすいことが明らかになった (Yamamichi and Sasaki 2013)。今後、セダカヘビの分布する石垣島・西表島と、分布しない本州の左巻きカタツムリ の遺伝子を比較することで、理論的な予測を検証することが可能になるかもしれない。 光環境の変化は、光合成を通じて湖沼の生態系に大きな影響をもたらす可能性があるにも かかわらず、富栄養化ほど研究が進んでいなかった。しかし、水上太陽光発電の普及なども あいまって、今後大きな課題となりうる重要なテーマである。米国コーネル大学の実験池に おいて、シートを水面に浮かべて遮光実験を行ったところ、植物プランクトンが増加すると いう直感に反する結果が得られた。一方、植物プランクトンが増加した池では水底の水草が 少ないという負の相関が見られた。このパターンを理解するため、光と栄養塩を巡って植物 プランクトンと水草が競争するという数理モデルのシミュレーションを行ったところ、遮光 は水草に大きく影響し、実験結果と似たパターンを得ることができた (Yamamichi et al. 2018)。 そのため、水草が繁茂する浅い池で遮光を行う際には、植物プランクトンが増加し、水質が 悪化する可能性に注意を払うべきであると考えられる。
References Hoso, M., Y. Kameda, S. P. Wu, T. Asami, M. Kato, and M. Hori. 2010. A speciation gene for left-right reversal in snails results in anti-predator adaptation. Nature Communications 1:133.
Yamamichi, M., T. Kazama, K. Tokita, I. Katano, H. Doi, T. Yoshida, N. G. Hairston Jr, and J. Urabe. 2018. A shady phytoplankton paradox: when phytoplankton increases under low light. Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences 285:20181067.
Yamamichi, M., and A. Sasaki. 2013. Single-gene speciation with pleiotropy: Effects of allele dominance, population size, and delayed inheritance. Evolution 67:2011-2023.
生命システムの物理
Physics of life systems
畠山哲央
Tetsuhiro S. Hatakeyama
数理モデルや理論は、生命現象を理解する上で本当に役立つのだろうか。生命システムの理論を研究している人々は、役に立つという”信仰”に近い思想を(おそらく)持っているのだろう。もちろん私も持っていて、だからこそ理論生物学の研究をやっているのだと思う。しかし、なぜこのような信仰を素朴に持ち続けられるのだろうか。生命現象を数理モデルに落とし込む際には、現象を構成する細部の取捨選択が(意識的にせよ無意識的にせよ)おこなわれ、大胆すぎるような抽象化がなされることも珍しくない。このような抽象化は、生物の多様性を重視する生物学の思想とは一見相反するように思える。それでもなお、数理モデルが役立つだろうと思えるのは、初版な生命現象の根底に細部に依らない普遍的な原理が存在し、数理モデルを介して理論を抽出することにより、その原理を理解可能だと考えているからではないだろうか。であるならば、理論が役に立つという信仰は、生命現象の普遍性の信仰に他ならない。本発表では、いくつかの具体例を通じて、生命現象の普遍性とはどのようなものか、そして理論によってどのように普遍性を抽出できるのかを議論したい。特に概日リズムと代謝システムを取り上げる予定である。それにより、理論生物学の底流にある生命観に迫れれば幸いである。
Reference
Hatakeyama, T. S., & Kaneko, K. (2012). Generic temperature compensation of biological clocks by autonomous regulation of catalyst concentration. Proceedings of the National Academy of Sciences, 109(21), 8109-8114.
Hatakeyama, T. S., & Kaneko, K. (2015). Reciprocity between robustness of period and plasticity of phase in biological clocks. Physical review letters, 115(21), 218101.
Yamagishi, J. F., & Hatakeyama, T. S. (2019). Microeconomics of metabolism: Overflow metabolism as Giffen behavior. bioRxiv, 61316