教授の優雅なる休日
教授の優雅なる休日
長年教師生活を続けていると様々な生徒と関わることになる。煩い生徒、大人しい生徒、小狡い生徒、真面目な生徒、反抗的な生徒——彼らの個性は多種多様で一人として同じものはない。
様々な生徒と出会ってきたが、それでも中にはとりわけ変わった生徒というものがいる。最近自分の研究室に入り浸るようになった女生徒もその一人だ。そして、目の前にいる少女もハーマイオニー・グレンジャーとはまた違った意味で少し変わっていた。
いや、少し、ではないかもしれない。
「何をしているのかね、ミス・ラブグッド」
スネイプは目の前でくるくると回っている少女に低い声で問いかける。彼女はブロンドの髪にオーガスタの葉を挿し、それぞれの手のひらに小さなカブ一つずつを乗せている。片方の足を軸にしてコンパスのように回転しているので、足下には彼女の爪先によって円が描かれていた。
よく晴れた休日の午後、魔法植物が栽培されている温室の中だった。魔法薬に使う薬草を採取するために来たスネイプは、そこでこの器用に回っている少女と鉢合わせてしまった。温室は基本、教授の許可がなければ立ち入ることを禁止されているはすだ。減点しようとしたのだが、それよりもまず疑問が口をついて出てしまった。
回っていた足を止めて、彼女はスネイプを見上げる。夢見るような視線で答える。
「フナッペルの鱗粉を集めているんです。あの子たちは温室のあったかい空気が好きだから、よくここに集まっているんだ」
答えてはくれたが、ほとんど理解できない。軽く頭痛がしそうになり、スネイプはこめかみのあたりを押さえる
「あー…この温室にいるということは、スプラウト教授には許可をもらっているのだろうな?」
少女は首を横に振る。
「ううん、スプラウト先生はホグズミードに行ってるもン。——あっ!庭小人だ!先生、知ってる?庭小人って本当はゲルヌンブリ・ガーデンシっていって、人間よりもずっとずっと賢いんだよ」
またしても彼女の話している内容が理解できない。同じ英語で話しているはずなのに。スネイプは深い溜息をつく。とりあえずレイブンクローから減点しようとしたのだが、ふと眉をひそめた。しゃがみこんで植木鉢の間にいる庭小人をつついている彼女は、片方だけ靴を履いていない。白いソックスが土で汚れている。
「靴はどうしたのかね」
「今朝起きたときから見つからないンだ。でも、そういうことはしょっちゅうあるから」
様々な生徒を見てきたが、子どものする行動などたかが知れている。靴を隠すなど、古今東西不変の嫌がらせの一つだ。スネイプはもう一度軽い溜息をつく。
「そんなところで踊っている暇があったら、靴を探してきたまえ」
「うーん、そうだね、その方がいいかも。じゃあ、フナッペルの粉は先生にあげます」
そう言って彼女は小さなカブを二つ彼の手に押し付ける。
ぺこり、と一礼して温室から去っていく少女の後ろ姿を、スネイプはカブを持ったまま唖然と見送る。その姿が見えなくなってから、彼女のわけのわからないペースに振りまわされ、減点することをすっかり忘れていたことに気がついた。
採取した薬草を籠いっぱいに入れて、彼は城へと戻り魔法薬学の教室へと向かう。教室内の棚に、薬材を補充しておかなければならない。
だが、教室に入る手前で彼の足入る止まる。確かに閉めておいたはずの扉がかすかに開いている。訝しんで観察していると、扉が開いている隙間の上の方に、黒板消しが挟まっている。扉をあけるとそれが落ちてくる、という魔法もへったくれもない、つまらない悪戯だ。スネイプは杖を取り出し、無言で呼び寄せ呪文を使うと、黒板消しがふわりと浮いて彼の手の中に着地する。その表面には白ではなく何故かピンク色のチョークの粉がびっしりとついていた。黒板消しが宙に浮いたときに舞った僅かなその粉が、彼の黒いローブの肩に付着する。その瞬間——
ポポポポポンッ‼︎
軽快な炸裂音が響き薄桃色の煙があたりに立ちこめる。思わず目を瞑って咳き込むスネイプは、煙が収まった頃になってようやく何が起きたかに気づいた。
「…なっ…!」
彼のローブがショッキングピンクに色を変えている。黄色い水玉模様までついたファンシーな柄だ。彼の背後で、ブフーッと吹き出す声とけらけら笑う声が聞こえた。スネイプは憤怒の形相で振り返る。廊下の影から赤い頭が二つ覗いていた。
「ウィーズリー!」
「やばい!逃げろ!」
赤毛の双子は声を揃えて叫び、脱兎のごとく逃げ出す。無論、スネイプとて逃がすつもりはない。彼の杖先から飛び出した投網が、容赦なく二人の少年たちを捕らえた。
スネイプはグリフィンドールから五十点減点し、ウィーズリーの双子に罰則の時間を言い渡す。ついでに小一時間程くどくどと説教をし、ようやく彼らを解放した。
フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーは、ホグワーツ一の問題児といっても過言ではない。彼らの悪戯の才能は、かのジェームズ・ポッターたちの再来とまで謳われるほどだ。彼らの悪戯でピンク色に染まった彼のローブは、一体どんな強力な呪文を開発したのか、なかなか元の色に戻らなかった。どうにか人目につく範囲までは黒に戻すことができたので、ひとまずそれでよしとする。
教室内の棚に薬草を補充し、スネイプはようやく一息つく。コーヒーでも淹れて一服しようかと考えていたとき、部屋の扉が大きく開き生徒が一人飛び込んでくる。
ノックもせずに教師の部屋に飛び込んでくるとは何事か、と注意しようとしたが、それよりも先に生徒が——スリザリンの二年生だった——狼狽しきった様子で話し始めた。
「先生!大変なんです!イアンがガーゴイル像の口に頭を突っ込んだまま出て来れなくなっちゃって…!押しても引いても動かなくて!イアンの口が…じゃなくて、ガーゴイルの頭が、ええと」
生徒は慌てるあまり話が支離滅裂になっている。スネイプはひとつ溜め息をついた。
「…今、行く。とりあえず落ち着きたまえ、オルコット」
遊び半分でガーゴイル像の口に頭を入れたら、石像の口が閉じて挟まってしまったらしい。スネイプは呪文で石像の口をこじ開け、生徒を救出する。二人の生徒には、無茶な遊びはしないように、と厳重注意をするに留めた。スネイプは基本、自分の寮の生徒に甘い。どうみても目に余るときには減点するのだが。
ようやくこれで一息入れることができる、と自室に戻ろうとしたが、突然階段の上からヒステリックな泣き声と怒声、続いて呪いが炸裂したと思われる大きな音が響く。スネイプは今日何度目かになる溜め息をついて、階段を駆け上った。
「…だって…ひっく…サムが最初に誘ってくれたのは、私…ひっく…だったのに…。なのに、ティナをホグズミードに誘ったりするから…ひぃぃっく…」
「だからって、グワッ、呪いをかけることないじゃない!」
二階の回廊に三人のハッフルパフ生がいた。泣きじゃくる少女と、黄色い嘴が口についている少年と少女。あひる嘴の呪いがかけられた二人は、先ほどから口を開くたびにアヒルの鳴き声を零している
「ジュディ、泣かないで…グワッ…君を傷つけるつもりじゃなかったんだ、グアッ。ティナを誘ったのは、その……」
「何よ!私を誘ったのは間違いだったっていうの⁉︎グワーッ!だいたい、あんたが優柔不断だからこんなことに——」
目の前で繰り広げられる少年少女たちの泥沼愛憎劇。顔を引きつらせてそれを見ていたスネイプは、本日最大級の溜め息をついた。
「……ハッフルパフ、三十点減点。ミス・クラークには後日罰則を与える。ミス・グレイとホプキンスはとりあえず医務室に行きなさい」
(今日は疲れる一日だ…)
さっさと自室に戻ろう、と彼は大股で回廊を歩いていく。壁にかけられた絵画の中でお茶会に興じていた紳士が、翻るスネイプのローブを見て声をかけた。
「おや、セブルス!珍しく洒落たローブを着ているな。デートかね?」
スネイプのローブの裏地は、いまだに水玉模様のピンク色だった。同じくお茶会に参加している婦人も、紳士の言葉に反応して声をあげる。
「スネイプ教授、女性とお出かけになるのならば、まず頭を洗った方がよくってよ。それに靴も磨いて——」
「余計なお世話だ。エスメラルダ」
ぴしゃり、と婦人を黙らせて、スネイプは苛々とした表情を隠しもせず歩き去る。
エントランスホールまで戻ってきたところで、スネイプはふたたび溜め息をつきそうになった。
ホールの壁際に飾られている大きな騎士の甲冑。その肩の上にルーナ・ラブグッドがちょこんと器用に腰をかけて、歌いながらエシャロットのような植物を上下に振っている。
「…何をしているのか、聞いてもいいかね」
「ガルピング・プリンピーを追い払ってるの」
少女は宙を見据えてリズミカルに植物を振りながら答える。やはり、意味がさっぱりわからない。
「危ないから、今すぐに降りたまえ」
零れそうになる溜め息をこらえ、スネイプは注意する。彼女は、はぁい、と返事をしてぴょんと甲冑から飛び降りた。その足に二つ靴が揃っていることにスネイプは気づく。
「靴は見つかったようだな」
「うん。ハーマイオニーが一緒に探してくれたんです。あの人、ちょっと頭でっかちだけど、とっても優しいんだ」
彼女は嬉しそうに言うと、あ、と再び何も無い宙を見上げた。
「大変!ガルピング・プリンピーが広間の方に行っちゃう!先生、またね」
頭の上でエシャロットを振り回しながら少女が走り去っていく。揺れるブロンドの後ろ姿をスネイプは唖然と見送り、そして、はたと気づいた。
(…また、減点し忘れた……)