Episode1 -side kazura-

 そこに、まともな気配などなかった。あるのは腐臭、死臭、そして、獣の臭いと、人のうめき声。

 そこは下水道だった。流れる汚水の音がやけに響き、転々と続く、ほのかに光る非常用のランプ以外に光源と呼べるものはない。道も複雑で、慣れないものが入ればまず戻って来られないだろう。そんな下水道を少女――スバルは、迷うことなく歩いていた。

(だから止めた方がいいと言ったのに)

 数日前、この下水道に入ろうとした男のことを思い出す。別段、他人の人生に興味などないが、一応、注意喚起も仕事の内だ、と言われたからには仕方がない。

 男は大声で怒鳴り散らし、下水道へ入っていった。だから、その声はまだ覚えている。どこから聞こえてくるのか分からないし、探しに行くつもりもないが、このうめき声は間違いなくあの男のものだ。

 コツコツ、と、かぼそい声を踏み潰すように、暗く、淀んだ空間には不釣り合いな乾いた靴音が響く。

 ふ、と。靴音が止まった。いつしかうめき声は聞こえなくなり、代わりに周囲に増える獣の気配。

 「……来たね」

 闇の中、その先にいくつもの赤い点が光る。そこに現れたのは、突然変異を起こし、肥大化、巨大化した――ネズミだった。

「シャァァァーーー!!!」

 十数匹に及ぶ巨大ネズミ。それが一斉に襲い掛かってくる。

「シッ!」

 スバルは腰に手を伸ばす。そこには、2本ナイフが収められているホルダーがついていた。そのホルダーからナイフを1本、抜きながら投げる。

 ナイフは先頭のネズミの脳天に命中し、続くネズミを巻き込んで倒れていく。

 残ったネズミは、塊となったネズミをあるいは避け、あるいは踏みつけ、あるいは飛び越えて向かってくる。

 そこでスバルも初めて動いた。先ほどのホルダーから、残った1本、そして、反対の腰にも下げられたホルダーから、1本ナイフを交差に抜き、構える。体勢を低くし、地面を蹴ってネズミの集団に飛び込む。

 正面から襲ってくるネズミにはまたナイフを投げ、回り込んで襲ってくるネズミはナイフを振りぬき、刺し、あるいは、すでに投げたナイフを回収して、次の攻撃につなげていく。

 数分と経たず、スバルの周辺には死骸だけが残った。

「今日は……まあまあ大漁」

 スバルは羽織っていたマントにからズタ袋を取り出し、無造作にネズミを詰め込んだ。

「さて」

 ズタ袋を担ぎながら、少女は先ほどよりも軽やかに、さらに歩みを奥へと進めていく。

 しばらく歩き、ようやくそこにたどり着く。

 そこは、下水道には不自然なほど真四角に区切られた広い部屋だった。大量に差し込む光は、そこがただの空間ではないことを表している。天井は見えず、また白い光に包まれどこまで続いているのかもわからなかった。そこにあるのはあらゆる機械のスクラップの山だった。

 あらゆる化学製品が形容しがたい臭いを発しており、下水道とはまた違う意味で、良いとは言えない空間だった。

 しかし、スバルにとって、そこは宝の山だった。

 『飲めない水』を『飲める水』に変える装置。『食べられないネズミ肉』を『食べられるネズミ肉』に加工するための装置。他にも、様々な装置。それらすべては、このスクラップの山の部品で造られたものだ。彼女自身、その製造を手伝ったこともある。

「うん。これはまだ使えそう」

 スクラップの山の頂上から部品を探していく。山の下の方は、すでに探索が終わっており、目ぼしいものは残っていなかった。

 探索を初めて数分、突如頭上からガラガラと音が響いてきた。

 その音を聞いた瞬間、スバルは山から飛び降り、部屋の外に出る。と、ややあって大量のスクラップが降ってきた。

 轟音と共に埃を巻き上げ、しばらくの間視界が悪くなった。粉塵が収まるのを待ち、再度部屋に戻って登頂を始める。その途中、やけに目を引くものがあった。

「?」

 近寄り、手に取る。それは、薄い板のようなものだった。ほとんどが古いか、元が何か分からないほど壊れているかだが、その板は見たところ壊れている訳でもなく、さりとて何かの部品の一つとも思えなかった。

「……、……?……あ」

 いろいろと角度を変え、触ってみると、何がきっかけか、不意にその板が光り始めた。そして、その画面の中には。

「…………あ?」

 不機嫌さを隠そうともしない少女が、そこにいた。

「誰だ?テメェ。っつーかどこだここ」

「……しゃべった」

 板が光ることも、そこに少女が映っていることも、それが話していることも、何もかも初めての経験に、スバルは面食らっていた。画面の中の少女は、質問に答えないのも気にせず、頭をガシガシ掻きながら続ける。

「――――第五廃棄区画?チッ、あの野郎、オレごとスマホを棄てやがったな?となると、第五層かここ。データは……さすがにねえか。そもそも電波が弱ええ。ここがギリギリか、メンドクセェ」

 そんな少女を、スバルは呆、と見ていた。と、そんなスバルを、少女は睨めつけながら、『で、』と前置きをして、

「もっかいだけ聞いてやる。テメェは誰だ」

「――――ハッ。名前、私はスバル。あなたは?」

「オレか?オレは、あー、まぁいいか。オレは電子機械生命体『MACHINA』、個体識別名(パーソナルネーム)『カズラ』だ」

「……………………………………………………ら?」

「たっぷり時間かけて、聞き取れたのはそこだけか?ったく、これだから人間は……。カズラ、だ。覚えきれなきゃそれでいい」

「………………ずら。」

「喧嘩売ってんのかテメェ。カ・ズ・ラ、だ!3文字ぐらい覚えやがれ!はぁ、まあいい。それよりもだ――ってなんだ、オイ」

 まだ何か言いたそうなカズラを無視してスバルは立ち上がり、慣れた動作でスクラップの山を下りていく。

「しゃべる板。壊れてるようじゃなさそうだし、きっと高く売れる」

「売る?第五層なのに、貨幣の概念があんのか?ていうかちょっと待て、オレを売るっつたか今?やめろ、絶対にやめろよテメェ!!」

「……うん、わかった」

「その妙な間は分かってねぇだろ!スバルって言ったか?フリじゃねぇぞ!やめろよ、絶対に売るな!!」

「……うん、わかったよ、ずら。」

「カ、ズ、ラ、だああああああああああああああああああ!!!!」

 人間としか思えない悲痛な叫びが、下水道中に響き渡るのだった

「……はぁ」

 重苦しく、画面の少女、カズラがため息をつく。

「お疲れ?かずら」

「疲れを感じる機能は実装されてねえハズなんだけどな。これが気疲れってヤツか?気持ちいいもんじゃねえな」

 下水道を抜けると、そこには簡素ではあるが、かろうじて村、と呼べる光景が広がっていた。

 露店らしきものもあり、スバルはそこでネズミやスクラップを日銭と交換し、加工品などを購入していた。

 そうこうしているうちに、時間は昼から夜に変わり、今は村で一番高い見張り台の上に、二人はいた。

「なんつーか……思いのほか活気がありやがるんだな」

「?」

 購入した、ハンバーガーらしきものを食べていたスバルが首をかしげる。

「意外と元気だな、って言ったんだよ」

「そう?でも、そうだね。こうなったのは、ちょっと前からだよ」

「あん?」

「もっと前は、本当にいつ死ぬか分からなかった。一日中聞こえるのはうめき声ばかりで、昼も、夜も、何も変わらなかった。」

「変わったのは、私があの部屋を見つけてから。そして、あの人がここに来てから。私が見つけた部品を組み立てて、飲み水が作れるようになったの。家の建て方も、料理の仕方も、全部あの人が教えてくれた」

「へー。まあ、良かったんじゃねえか。人間が元気になるのは、いいことなんだろ?」

 特に興味もなさげに、ぶっきらぼうにカズラは答える。

「そうかな」

 だが、スバルはそれを否定する。

「ちょっと静かにして、聞いてみて」

「……?」

 今度は、カズラが首をかしげる番だった。しかし、言われた通り黙ってみると、先ほどから、風のうねりのように聞こえていた音が、人のうめき声だったと、気づく。よくよく耳を澄ませてみれば、すすり泣きのような声も聞こえた。

「みんな、まだ苦しんでるの。前の、いつ死ぬか分からない恐怖じゃない。いつか、またあの頃に戻ってしまうわないか、っていう恐怖だよ。夜になって暗くなると、その時のことを思い出して、みんな苦しむの」

 だから、と続けて

「――みんな、死んじゃえばいいのに」

「……へえ?」

 その結論にカズラが反応する。

「随分穏やかじゃねえ結論じゃないか。どうしてそう思う?」

「だって、前も、今も、苦しんでるのは、死にたくないからでしょ?生きるのが苦しくて、でも死ぬのが怖いから、みんな苦しむんだ。だったら、いっそみんなで死んでしまえばいい。一緒に死んじゃえば、誰も苦しまないし、悲しまないよね?」

 その、おおよそ普通とは思えない答えに、心の底から楽しそうに、カズラは笑う。

「なるほど。じゃあテメェはどうなんだ?テメェの言う、『みんな』の中にテメェはいないのか?」

「いるよ。もちろん」

 ある種意地の悪い質問に対し、しかしスバルは即答し、私は生きるのが苦しいとは思ってないけどね。と続けた。

「なるほど、なるほど。ならもう一つ質問だ。そう思うんなら、テメェが殺してやればいいじゃねえか。みんなを楽にしてやろうとは思わねえのか?」

「うーん、疲れそうだから、嫌かな」

「ッハハハハ!疲れる!ハハ、疲れるからと来たか!!」

 ついに、堪えられないというように、カズラは笑い出した。そして、ひとしきり笑い切ったあと。

「いいぜ、気に入った。テメェをオレのマスターに認めてやる」

「……ますたー?」

「実はな、『MACHINA』ってのは、オレの他にも何体かいるんだよ。そして、そいつら全員の目的は、『人間の願う世界』を叶えること、だ」

 一息ついて。

「だがな、オレは人間ってやつがどうにも好かねえ。そんなやつの願いを叶えるなんざまっぴらと思ってたんだがー―、テメェの世界は悪くない。」

「望む世界?」

「自分で言ってただろ。『みんなが死んだ世界』さ。誰も悲しむことも苦しむこともねえ。テメェの理想の世界ってやつだよ」

「……できるの?そんなこと」

「ああ。そのために、オレがいる」

 即答、とはいかなかった。だが、そこまで悩む風でもなく。

「分かった。いいよ、やろう。よろしく、カズラ」

「お互いにな、我が主(マスター)

 この物語の始まりは、スクラップで埋め尽くされた部屋だった。そして、次のシーンへ繋がるのもまたー―

「ここでいいの?」

「おう。言った通りに頼むぜ」

 スクラップの山の頂上。スバルは、少し声を張って叫ぶ・

「エリアライズ!」

『コード認証――――承認。声紋登録。領域(エリア)を定義ます――確定』

 画面から聞こえてくる音声は、カズラのものとは別のものだった。そして、

『領域名『デッドエンド』、領域仮想現実化(エリアライズ)しますー―』

 景色が一変する。部屋の構図などは変わらないはずだが、そのすべてが、どこか現実感のないものになる。そして、何よりー―

「よう」

 すぐ後ろから聞こえた声に、思わず振り返る。そこには、画面の中ではない、等身大のカズラが、そこにいた。

「カーー」

 スバルが何か言う前にカズラはスバルを抱えた。

「しっかりつかまってろよ」

「え?あ、わあああああああああああああああ!!!!!!!????」

 跳躍。跳躍。跳躍。ここから、彼女たちの物語は広がりを見せていく――