Episode 1 -side ilis-

  人生は決められている。

 この世界では常識で、それを意識する人はあまりいない。なぜなら、それは決して不自由ではないからだ。

 自由意思による決定。みんなその選択に満足している。ただ、それを自分で選ぶように、あらゆる手段で仕向けられているだけだ。

 ――冗談じゃない、と僕は思う。

 幸福な生活が約束されているならまだいい。しかし、虐げられるものは、いつまで経っても虐げられたままだし、不幸な人間は、ずっと不幸なままだ。そして、質の悪いことに、それを自覚することはないのだ。被虐も不幸も、自分が選んだ選択だ、と満足してしまう。理不尽だ。と僕は思う。

 別に、自分が一番不幸だ、なんて言うつもりはない。けど、周囲の同級生の中では、比較的不幸な方だと思う。それは、『それはそういうものだから』と割り切れるものじゃない。

「……はあ」

 などと、心の中でそれらしいことを言っても、現実が変わるわけではない。

 目の前には、3桁の数字が何列も書かれた板が置かれており、周囲では嬉しそうな声がいたるところで上がっていた。

 某大学の入学試験、その発表である。人生は決められている、とは文字通り。自分に決められた大学を受ければ、それは100%合格するし、大体の人はそうする。だから、番号が抜けることなんて、まずない。なのに

「121、122、123……125」

 何度も見た、その部分は、不自然に1つ番号が抜けていた。そして、これもまた何度も見た自分の受験票に目を落とす。そこには、何度目を凝らしても『124.ユウヒ・イチノセ』と書かれていた。つまりー―

「あー、やっぱり落ちたんだな、お前」

「……ナオミチ」

 いつの間にいたのか、友人のナオミチ・クゼが受験票を覗き込むように立っていた。

「122、123……おー、これまた見事に落ちていらっしゃいますなあ。だーから決められた学校受験しとけっつたのに」

「偏差値は同じだったんだ。受験問題も、難しいと思ったものはなかったし、落ちる理由なんてない!……はずだ」

「ところがどっこい、現実は厳しかった、と。ま、人生なんてそんなもんですよ。とりあえず、浪人確定おめでとう!今じゃ伝説級だぜ?『浪人生』なんてよ!」

「…………………………………………はああああああああああああああああああああああ」

 満面の笑みを浮かべるナオミチに答える気力もわかず、漫画もかくやという勢いで崩れ落ちる。ふと、懐の携帯から電子音が鳴った。かろうじて取り出すと、そこには無情に『バッテリー切れ』と書かれていた。

「お?また一段と落ち込んだな。どした?」

「……スマホのバッテリー切れた」

「あーーー、それは、また。運がないことは続くねえ。帰れんの?お前。ここまで電車だろ?」

 それには答えず、さらにもう一段落ち込む。財布機能は携帯と同期させているので、改札を通れないのは事実だった。

「しょうがねえなあ。俺、車で来てっから送ってやるよ。ついでに昼メシも奢ってやる。傷心の親友にせめてもの慰めを、ってな」

「お前、免許取り立てだったよな?」

「おうよ!取得して半年も経ってねえ、バリバリのルーキーだぜ!」

 あっけらかんと笑う親友。その眩しい笑顔を見ながら、本当に不運は続くものだなあ、とぼんやり思った。

「……しばらくあいつの車には乗らない。絶対。」

 よろめきながら、何とか自分の部屋へにたどりつく。ナオミチは、「この後用がある」といって、また危なっかしく走っていった。

「あいつ、よくあれで免許取れたな」

 教習所の人も大変だ、と思いながら、携帯を充電ケーブルに接続する。

 数分ほど待ち、最低限起動できるだけ充電させてから、電源を入れる。パスワードを入力し、ホーム画面を開く。と。

「……は?」

 知らない少女がそこにいた。整った顔立ちに、金色の長髪。ドレスにも似たその恰好は、どこか貴族のような雰囲気を醸し出している。瞳も髪と同じく金色に輝いており、ともすれば人形のようにもみえる。そして、人形のようなその瞳が、瞬きをした。

「うわああああああああああ!!!??」

「きゃああああああああああ!!!??」

 悲鳴と悲鳴。お互いにあらんばかりの叫びが、小さいアパートの一室にこだました

少し前――

 走る。走る。走る。

 ただひたすらに、追いつかれてはいけない。そう思いながら。しかし、必死の行動にも関わらず、それは上から降ってきた。

 一瞬、それに気づけた彼女は、飛んで回避することができた。直後、背後で何かが落下した轟音と爆音が聞こえ、その爆風に吹き飛ばされる。

「ッッッ!」

 上手く受け身を取れず、地面を滑る金髪の少女。そんな彼女を嘲笑うように、それは煙の中から現れた。

「よお、いつまで逃げるつもりだ?マスターつきのオレと、なんの後ろ盾もないテメエ。逃げられないことは分かりきってんだろうが」

 それもまた、少女だった。赤い短髪をガシガシと掻きながら、ゆっくりと距離を詰めていく。

 金髪の少女は手にした剣を杖代わりに立ち上がる。その瞬間、赤髪の少女が目の前まで距離を詰め、拳を大きく振りかぶる。

 避けられないと直感した彼女は剣を構えて防御するも、その剣ごと、吹き飛ばされた。

 空中、彼女が剣に意識を向けると、それは形を変え、剣から銃の形になった。

「ハッ!」

 一発、二発。赤髪の少女に狙いをつけ、銃弾を発射する。

「ハッハ!遅せえ遅せえ!!」

 しかし、それは一発も当たることなく、気づけば、再び金髪の少女の目前に迫っていた。

「ッオラァッ」

 再びの殴打、そして爆炎。空中では逃げ場もなく、思い切り地面にたたきつけられる。

「ぐ……うぅ……」

 再度剣に寄って立ち上がろうとするが、力が入らず上手くいかない。

「終わりだな」

 金髪の少女とは打って変わり、赤髪の少女が綺麗に着地する。そして、その籠手から炎の塊を出しながら、迫っていく。

「まだ……終わりじゃない……です……」

「あん?」

 その瞬間、彼女の体が一瞬光り、収束して光球になった。と思えば、その光球が無軌道を描きながら離れていく。

「あぁ!?あー、なるほど、なるほど。個人のコンピューター(ローカルネットワーク)への浮き沈みを繰り返して逃げるつもり、か。――んなもんで逃げられるわけねえだろうがあ!!!」

 怒りをこらえきれないように赤髪の少女は叫び、景色が一変する。現実と同じような建物などがある世界ではなく、あらゆる情報が流れるそこは、人間がネットワークと呼ぶ場所だった。

 そのはるか先、逃げる少女を捉える。追いかけようとしたその矢先、金髪の少女を暗闇が包み、そして今度こそ完全に消えた。

「なんだぁ?」

 赤髪の少女は金髪の少女が消えた場所まで行き、周囲を確認する。だが、なんの痕跡も見つけることができなかった。

「どぉなってやがる!チクショウがぁ!!」

 赤髪の少女の大声が、虚しくネットワークの波に呑まれていった。

 一方、金髪の少女も戸惑っていた。逃亡中、いきなりネットワークが切断されたのだ。

 周囲は闇に閉ざされており、どこへ行くこともできない。

「ど」

よく言えば、赤髪の少女から逃げることはできたわけだが、ある意味、これはこれで幽閉されているともいえる状態だった。

「どうなってるんですか、これええええええええ!!!!」

 少女の悲痛な叫びが、どこまで広がっているか分からない空間に響いていくのだった

そして現在――

「何!?人!?どゆこと!?」

「あ、わ、わわわわわわわ」

「動いてる!ウイルス?AI?というか喋った!何、何!?」

「えーと、えーと」

 あわあわと、お互いに同様したまま

「えーとですね、私もここがどこか知りたいと言いますか、あなたがどなたか非常に興味があると言いますか、あっさっきは助けてくれてありがとうございます!えーと、それでですね、あのそのえっと」

「……えっと、あの」

「は、はいっ!!」

「とりあえず、ちょっと落ち着きましょうか」

「……はい」

 閑話休題。スマホをケーブルに挿しながら立てられるスタンドに置き、お茶を淹れ、一息つく(お湯を沸かしている間、非常に気まずい時間が過ぎていた)。

 淹れたのは自分一人分だけなのだが、なぜか画面の向こうの少女も湯飲みを持って、お茶(?)を啜っていた。

「えーと、落ち着きました?」

「あ、はい。すみません、取り乱してしまって……」

「いや、こちらも結構慌てていたので……」

 少女がそれ以上に慌てていたので、逆に落ち着いてしまったのは確かだが。

「で、結局君は誰?というか、人……なんでしょうか」

「いえ、私は電子機械生命体『MACHINA』 個体識別名(パーソナルネーム)『アイリス』です。」

「マキ……アイ……何?どっちが名前?」

「あ、アイリスです!『MACHINA』っていうのは、私たちの総称みたいなものなので」

「アイリス……さん、ですね。分かりました。僕はユウヒ・イチノセといいます。で、どうして僕の携帯に?」

「そんな!敬語なんていりませんよ!えっと、ちょっと説明が難しいですね……。なぜか、と言いますと、逃げてきたからです」

「逃げる?」

「はい。私たちは、人間の望む世界を叶えるために造られました。でも、それを叶えられるのは最後に残った一機だけ。だから、全マキナを倒さないといけないんです。私はまだマスターがいない身なので、他のマキナからは格好の的で……どうしました?」

「いや」

 頭を抱える僕に、アイリスは首をかしげて尋ねてくる。正直、ついていけない。なんとか頑張って話を整理する。

「つまり……他のマキナ?に追われて、僕の携帯に入ったってこと?」

 改めて見てみれば、ドレスはボロボロだし、ところどころに焦げ跡が見られる。あまりの異質さに見落としてしまったが、それが普通の状態ではない、ということだろうか。

「はい!そうです!いろんな人の携帯やコンピューターを仲介して逃げてたんですけど、ここに入った途端、真っ暗になっちゃいまして。外に出ることもできないし、もしかしてあの『MACHINA』に閉じ込められたのかと思いました!結局、なんでだったんでしょう?」

「なんでって、僕に聞かれても……あ。」

 そして、バッテリーが切れていたことを思い出す。

「あー、多分僕の携帯のバッテリーが切れちゃったからじゃないかな、と」

 なるほど!とアイリスは相槌を打つ。そしてお茶(?)を飲み干すと、

「あなたは、世界に対する望みはありますか?」

 そんなことを聞いてきた。

「……宗教?」

「ち、違いますよ!先ほども言いましたけど、私たちは、マスターとなる人間の望む世界を叶えるために戦います。だから、もしよければその……わ、私のマスターになってくれませんか!」

 意を決したようなその言葉に、しばし逡巡する。いまだにすべて飲み込めてはいないが、即答していい質問ではないように思えた。

「戦いかあ。危険じゃないの?」

 僕の答えに、痛いところを突かれたと、アイリスは唸った。

「正直なところ、安全とは言えません。もちろん、私は貴方を守るつもりです。けれど、万全とは言えませんし、何があるか分からない。だから、お勧めすることも、強制することもできません。」

「もし僕が断ったら?」

「ここにいればいた時間だけ、他のマキナに知られる可能性は高まります。いつ危険が及ぶとも限りませんし、その時は、すぐに出ていきますよ。大丈夫!こんなケガ、数時間もすれば完全に修復できますから!」

「そう、か……」

 とはいえ、世界に対する望み、と言われても、なんとも言えないのが事実だ。

「なんでもいいんですよ。お金持ちになりたい、有名になりたい、不老不死が欲しい。『それがある世界』にするのが、私たちの役目です。」

 どうやってするのか、は自分でも分からないんですけど。と苦笑いを浮かべながらアイリスは言った。

 世界に対する思いがないわけではない。『決められた人生から外れたい』。これは、僕の本音でもある。でも、

「?」

 アイリスを見る。マスターという存在がいないせいで、ボロボロになってしまった少女。僕がいたからといって、本当に戦い抜くことができるだろうか?そして、この少女に叶えさせていい望みなのだろうか?

「……ごめん、いきなり世界に対する望みって言われても、正直わからない」

 呟いた瞬間、アイリスの顔が雲る。

「でも、それはそれとして!そんなボロボロな女の子をこのまま送り出すっていうのも、良くないです!後味が!なので、せめてその体が治るまではそこにいていいよ。携帯の外……ってのがよくわからないけど、そこよりは安全なんだろう?」

「ユ、ユウヒさん……」

「その間、僕も考えます。僕以外に紹介できそうな人がいないか、とか。」

「あ……ありがどうごじゃいまずううううううう」

 泣いた。機械のはずなのに、大号泣だ。

「ってなんで泣いた!?僕、何か傷つけること言っちゃた!?」

「ぢがいまず……ぢがいあああああああああああああ」

「なんか分からないけど落ち着いて、落ち着いてー!!」

 閑話休題。なんとか落ち着かせることに成功しました。

「さて、と。出かけますか」

「えっと、どこにですか?」

「バイトの面接。浪人生になっちゃったし、親もいないから、自分で稼がないと。……もしかして、危険?」

「いえ、私がここにいるのは、遅かれ早かればれると思いますし、数時間程度なら、むしろ動いていた方が見つかりにくい、かもしれません。」

「そっか、良かった!こっちも結構切実だったからね。できれば先延ばしにしたくなかったんだ。じゃあ、行こうか」

「はい!」

「わあ……すごいです!人が、人がいっぱいです!」

 やってきたのは繁華街だった。サラリーマンや学生、業者。いろんな人間が歩いている。第4層でも少ない、繁華街の一つだ。他のルートからも面接先には行けるのだが、人が多ければ多いほど、紛れる可能性は高いだろう。

「ですね!」

 アイリスはさっきからやたらとテンションが高い。声が届くようにと、上着の内ポケットに携帯を入れているのだが、興奮を隠しきれない気配をひしひしと感じた。とはいえ、それも人込み紛れてしまえば、雑踏のせいで聞こえなく――

「見つけた。」

 なるはずなのに、やけにはっきりと、その声は聞こえた。

「エリアライズ」

 風景が切り替わる。あれだけいた人間は、一瞬で消え、周囲の地面や建物はやけにポリゴンじみたものになっていた。

 風景だけ見れば現実と大差ないはずなのに、絶対に、ここが現実ではない、と思わせるものがある。

「――――え?」

 その、あまりに唐突な切り替えに、脳が追いついていない。が、その叫びを聞いて、ようやく我に返った。

「ユウヒさん!避けて!」

 反応できたのは奇跡に近い。訳も分からないまま前方に飛ぶ。直後、後ろで爆発した音と、熱を感じた。

「がああああああああ!?」

「ユウヒさん!」

 内ポケットが光り、光球が飛んでくる。それは人の形をとって収束すると、現れたのはアイリスだった。アイリスは衝撃を受けた僕を起こすと、爆発が起きた場所――正確には、さらにその後方をにらみつける。2人組の少女が、そこにいた。

「よお、アイリス。さっきはよくも逃げてくれたじゃねえか。そっちの男はマスターか?ハッ、それで対等になったつもりかよ?」

「カズラ……」

 アイリスはカズラと呼んだ少女を睨みつけながら、小さく僕に向かって呟いた。

「ユウヒさん、立てますか?」

「あ、ああ、なんとか」

「良かった。じゃあ、逃げてください。」

いつの間に手にしたのか、剣を取って僕を庇うように構える。

「いや、でも、こんなすぐに見つかったのは僕のせいで……」

「いいですから!行ってください!……私は、他のマキナとは戦わなくちゃいけません。でも、あなたは関係ない。たまたま、偶然私が貴方の携帯に入ってしまっただけなんです。そもそも、バッテリーが切れていなかったら、あのまま彼女にやられていたと思います。だから……気にせず、逃げてほしい。僕のせい、なんて言わないでください。どのみち、時間の問題だったんですから」

 そして、

「ユウヒさん、ありがとうございました」

 振り向いて、笑った。

 僕が何か言う前に、地面を蹴って、アイリスが少女に向かっていく。僕は、何ができるでもなく――

「……クソッ!」

 踵を返して、その場から立ち去ることしかできなかった。

「どういうつもりだ?マスター逃がすなんざよ」

 籠手と剣。互いに鍔迫り合いながら、カズラが問う。

「……彼は、マスターではありません」

「ハッそうかい。スバル!おい、スバル!」

 カズラの声に、スバルと呼ばれた少女は気だるげに答えた。

「疲れるから嫌だ」

「あの、なあ!」

 気合と共に、カズラが剣を弾いた。その衝撃で、再び距離が開く。

「今のうちに対処してた方が面倒がねえ。今疲れるのと、あとですっげえ疲れるの、どっちが嫌だよ?」

「………………………………………………わかった。」

 しぶしぶ、スバルは頷く。そして、言うが早いか、弾丸のように走り出した。

「ッ!行かせません!」

 慌てて、アイリスがスバルの前に立ちふさがろうとする。だが、それを遮るようにカズラが殴りかかってきた。

「テメェの相手はオレだろうが。人間なんかの心配するよか、自分の心配してなあ!」

 勢いのまま、剣ごとアイリスを吹き飛ばす。かろうじて持ちこたえたものの、その衝撃は手を痺れさせるものだった。

(ユウヒさん、逃げてー―)

 理不尽だ。今日一日で、何回それを思ったことだろう。けど、どうして、いつから理不尽だと思うようになったのだろう?こうやって逃げ続けることか?アイリスが僕のスマホに入ったことか?受験に失敗したことか?それとも、もっと前から――

「――!!」

 虫の知らせというのか、思考を埋め尽くしていた『何故?』を遮るほどの嫌な予感が背中を駆け巡った。とっさに振り返ろうとして、足がもつれて転んでしまった。

 直後、先ほどまで自分がいた場所に、ナイフが2本、突き刺さっていた。

「な、な……!?」

 ナイフが飛んできた方向。その先を見据える。そこには、先ほどの2人組のうちの一人が、ナイフをこちらに向かって走ってくるのが見えた。

「避けられた。逃げる獲物を追うのは、やっぱり難しい。」

 何事か呟いて、腕を交差させるように懐に忍ばせる。そして、そこから新たに2対のナイフを取り出し、なお加速してこちらに向かってきた。

「う、うわあああああ!!」

 体中に浴びる、初めての感覚。それが殺意だったと理解する前に、体が動いていた。まっすぐ逃げるのではなく、その近くにあった建物へと逃げ込む。相変わらず、何故か人は一人もいなかったが、そこで息を潜めるのが最適だと思った。だが、

「くそっ!ここも開いてない!」

 逃げ込んだ場所がいけなかった。そこはオートロック付きのマンションであり、基本的に開くドアはなかったのだ。2階、3階。開いているドアは見当たらない。そして、4階にさしかかり、ようやく、半開きになっている部屋を見つけた。そこに飛び込もうとして――飛んできたナイフが右足に刺さった。

「づ、あああああああ!!!」

 感じたことのない痛みに、走るどころか歩くこともままならず、無様に転げまわる。気が付けば、半開きの部屋を過ぎてしまっていた。慌てて戻ろうと振り返り、その先に、彼女はいた。

「なんだよ……」

 ゆっくりと、もう逃がさないというように近づいてくる。実際、右足の痛みは一向に引かず、どうしたらいいか、その答えは全く出てこなかった。

「なんだよ!お前は!無関係の僕を殺して、そうまでして叶えたい世界があるのか!!」

「関係ない」

 必死の叫びに、しかし少女は取り合わない。

「私の望む世界は、死に満ちた世界。……あなたが関係者でもそうでなくても、死ぬ順番が変わるだけ。だから、関係ないの」

 なんだ、それは。最終的に皆殺しにするから、ここで僕を殺しても問題ないっていうのか?

 なんだそれは。なんだそれは。そんなものが世界に望むことなのか。意味が分からない。

「ふざけ――」

 るな、と言おうとしたところで、横から何かが飛んできた。それは半開きになっていたドアを吹き飛ばす。その一瞬、見えた金髪は――

「アイリス!?」

 未だ痛む右足を無視して、部屋の中に駆け付ける。

 少女の方も突然の乱入者に反応が遅れたのか、後ろからナイフが飛んでくることはなかった。

「よお、スバル。邪魔したか?」

 ややあって、後方から先ほどの少女とは別の声がする。間違いなく、アイリスを飛ばしたマキナだろう。

「うん。邪魔。あと一歩だった」

「ハハッ!悪ぃ悪ぃ、っつても、スバルが素人相手にこんな手こずるなんざ思わなくてな。第5層の獣よりずっと弱いと思うが?」

「……逃げる獲物を追うのは、苦手」

「ハッハハハハハ!そうだっか、そりゃ悪かったな。んじゃまそろそろ大詰めですし?いい加減、片すとしますか」

「アイリス!アイリス!」

 だが、それを気にする余裕が、僕にはない。アイリスは持っていた剣をブレーキ代わりに、何とか踏みとどまっていたが、立ち上がることはできなさそうだった。

「……ああ、よかった。ユウヒさん、無事だったんですね……」

 初めて会ったときとは比べ物にならないぐらいボロボロの状態で、なお彼女は心底安堵したように笑った。そして、剣に寄りかかりながら無理矢理立ち上がる。

「なあ、逃げよう!アイリス!あいつらは何かおかしい!戦闘とかなんとかどうでもいいから、早く逃げよう!」

「逃げる……そうですね、貴方だけでも、必ず」

 力なく、言うと、持っていた剣を思い切り振り回した。

 瞬間、豪風が部屋中を吹き荒れ、窓ガラスは割れ、家具は散乱する。

「いいですか、ユウヒさん。私が破壊されれば、この世界は解除されます。そうすれば、また人が戻ってくるので、人込みに紛れて貴方は逃げてください。世界が戻れば、貴方を追うような手間は、しないはずです」

言いながら、アイリスは僕の首根っこをがっしりと掴んだ。

「アイリス、何を――」

 そして、僕を思い切りぶん投げた。

「なー―」

 唐突な浮遊感。そして、重力を腹に感じ、落下する感覚が来る前に、向かいのガラスの割れる音と、全身に衝撃が走る。

「何が、どうなって……」

 投げられたのは事実。このまま落ちると感じた瞬間に衝撃が来たということは、どうやら向かいのマンションの窓ガラスを突き破ってきたらしい。

 投げ飛ばすときに相当な勢いで飛ばされたのか、頭はぼんやりとしか動かず、体もまた、衝撃で動けなかった。

 あの後、アイリスはどうなったのだろうか。破壊、ということは死ぬ、ということだろうか。

あのイカれた連中に。ああ、それは、なんて――

「……理不尽だ」

 なんで、死ななきゃいけないんだろう。いや、死ぬのはいい。理不尽ではない。けど、それが決められた死なら、それは殺人と同じだ。なんの理由もなく、なんの脈略もなく、人の都合で殺されるなんて。

「そんなの、あんまりじゃないか!」

 気が付けば、力の入らない全身で、懐から携帯を取り出し、握っていた。そして、

「エリアライズ!!」

 確信があったわけじゃない。ただ、どうしてもその言葉が耳に残っていた。だから、賭ける。この言葉に、何か意味があると。

『コード認証――承認。』

 聞き覚えのない声が、携帯から流れる。それと同時に携帯が発光し、遠くで、同じように何かが光っているのが見えた。ああ、良かった。やっぱりこの言葉には何か意味があったんだ。

『声紋登録、完了。領域を定義しますー―』

 世界に賭ける望み。それは、まだ見えない。ハッキリと思い浮かべている彼女の方が、まだましなのかもしれない。

『検索中――検索中――』

 それでも、その世界は間違っている、と僕は思う。誰かに決められた理不尽を受け入れる、そんな世界を、僕は

「絶対に、否定してやる!!」

『検索中――確定。領域名『グッドエンド』、領域仮想現実化(エリアライズ)します。』

 それは、離れた場所にいるスバルとカズラも目撃した。いざ、とどめを刺そうとした瞬間、アイリスの体が光り始めたのだ。またネットワークに逃げ込むつもりか、とカズラは身構えるが、その気配は感じない。むしろ、アイリスもまた、戸惑ってるように見えた。

 そして、遠くに小さく、アイリスと同じ光を見つける。

「まさか……」

 気づいたのは同時だった。部屋から飛び出そうとするカズラに、どこにそんな力が残っていたのか、発光するアイリスが、止めに入る。

「アイリス……テメェッ」

「行かせ、ません……!!」

 そして、徐々にアイリスに力が戻っていく。受けた傷も修復され、完全な修復と共に、光は収束した。直後、その音声は、ユウヒとスバル、両者の携帯から同時に流れた。

『個体識別名(パーソナルネーム)『カズラ』による領域干渉を確認』

『個体識別名(パーソナルネーム)『アイリス』による領域干渉を確認』

『『領域を再定義します』』

 ユウヒとスバル、二人の携帯から、異なる色の光が波紋のように広がり、それはお互いのマキナを包み、そして――

 周囲が光に包まれ、何も見えなくなる。だが、ふと、目の前に何者かの気配を感じた。

「なあ、これでもいいか?」

 顔を上げたいが、力が入らない。でも、それが誰かは分かる。

「はい、もちろんです。」

 アイリスは、優しく笑った――ような気がした。

「僕には、はっきりと、こんな世界がいい、と思ってるものはない。でも、今の世界は理不尽だと思う」

 生まれた時から死ぬまで、決められた人生を送る。ある意味で、考えなくてもいい生活なのかもしれない。でも、それが幸福だとは思えない。

「彼女の望む世界もそうだ。誰もかれも皆殺しなんて、認めるわけにはいかない」

 気が付けば、僕は立ち上がっていた。まっすぐ、アイリスと向き合う。彼女はやはり、優しく微笑んでいた。

「力を……貸してくれるか、アイリス」

 手を差し出す。

「もちろんです!私はその世界を素晴らしいと思います。きっとその世界は、今よりも、もしかしたらちょっとだけかもしれませんけど」

 最後の方は、ちょっと恥ずかしがりながら

「でも、絶対に良い世界になると思います。いえ、私が、して見せます!」

 アイリスも手を差し出して、握り合う。その目は、迷いのない、まっすぐな瞳だった。

「じゃあ、行こうか、アイリス!」

「はい!私の主(マイ・マスター)!」

 弾けるような笑顔と共に、光が収束する。気が付けば、僕はマンションの屋上に立っていた。傍らには、元気になったアイリスがいる。

 向かいのマンションに視線を移す。やはり、カズラとスバルの2人組がそこにいた。そして、携帯から音声が流れる。

『『領域の再定義を完了。領域対戦『MACHINA:AREA』、開始します(エンゲージ)ー―』』