町田市は、神奈川県北部に位置する少数民族のマチディー人が生活している地域です。近年の研究により、マチディー人は血縁的にカナガワ人と近縁であり、また、歴史的に見ても神奈川との繋がりが大変深いことが分かっています。
しかしながら明治26年、平和に共存生活を営んでいたカナガワ人とマチディー人を引き裂く暴挙が憎き東京府によって実施されます。そう、東京府移管です。卑劣なる東京府は、美しき多摩川が流れる南多摩地区を、自身の水源確保という身勝手な目的のために接収したのです。
現在、町田は100年以上にわたって東京都の実効支配化にあります。しかし、上記の通り、町田は東京ではなく、神奈川の少数民族自治区であるべきなのです。
なうみょんは、町田を逆賊東京の圧政から解き放ち、神奈川への回帰を目指す義士です。町田の正当な帰属を希求する熱き人民諸君!なうみょんと共に立ち上がろう!
マチディスタンでは、伝統的な民族言語として”マチディー語”が使用されてきました。マチディー語は、基本的文法や語彙は日本語と共通で、16世紀ごろに現在の体系になったと言われています。
マチディー語正書法が確立した当初は、筆記にはアラビア文字が使われていました。しかし、20世紀に時空の歪みによって一時的にソビエト連邦に併合されてからは、正書法はキリル文字が採用され、独立後の現在もキリル文字が使用されています。
しかしながら、現在は日本語話者人口が拡大していることに伴い、マチディー語の使用率は激減しています。マチディスタン解放戦線では、マチディー語の継承にも力を入れています。町田の伝統文化の守護者たる熱き人民諸君!なうみょんと共に立ち上がろう!
(『沖縄を返せ』のメロディーで)
境川を渡りて
神奈川の怒りに燃ゆる土地 町田よ
我等と我等の祖先が
血と汗を持て守り育てた 町田よ
我等は叫ぶ 町田よ
我等のものだ 町田は
町田を返せ
町田を返せ
みなさんは、神奈川県の範囲を、最狭義の神奈川と町田市を含めた地域だけだと思い込んでいませんか?
世間の多くの方は、上記のような理解を持っています。しかし、歴史的にみると、神奈川県の最大領域はもっともっと広いのです。
明治4年(1871年)、廃藩置県を受けて行政区画の再編が実施され、多摩地域の全域が神奈川県に編入されました。これは、現在の中野区・杉並区をも含む、神奈川県の最大領域であったと言えるでしょう。
その後、明治5年には、平和と安全を破壊する妄動主義者・東京府によって、東多摩群が再併合されます。しかし、明治11年には足柄県の廃止によって、足柄県の旧相模国領域の獲得に成功します。この地域は、現在も神奈川県の支配領域となっています。
左の地図は、神奈川県立図書館に所蔵されている、明治16年の「神奈川縣管下之圖 」です。これは、大神奈川主義の理想に非常に近い地図であると言えるでしょう。
ところが、来たる明治26年、神奈川固有の領土である美しき多摩地域は、侵略と略奪を旗印とする稀代の背徳漢・東京府によって接収されてしまいます。そして、この悪魔の自治体による多摩地域の狂信的支配は、現在に至るまで続いているのです。これは、人類社会の普遍的秩序と規範を全面否定する狂人的政略であり、実に世界的な政治悲話と言わざるを得ません。
大神奈川主義は、最狭義の神奈川と東多摩群を含む多摩地域全域こそが、神奈川県の本来あるべき姿として、復興を求めるものです。
もちろん、大神奈川主義には、町田市の神奈川復帰も含まれていますから、マチディスタン解放同盟の活動とも非常に親和性の高い主張と言えるでしょう。
大神奈川主義に基づく大神奈川の復興を求める革命戦士諸君!なうみょんと共に立ち上がろう!