この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2018年03月23日




ハイジです。3/18、くじゅう1日目に滑落事故が起きて撤退しました。滑落したM場は無事でした。先に挙げた事故報告用の記事とは異なり、主に普段と同じ山行報告用の記事として書いています。最後に私の考えていることも少し書いています。※事故報告用の記事と内容が被っている箇所があります。


メンバー:ハイジ、てつろー、ふじっこ、こつみん、O田、M場


写真:http://photozou.jp/photo/list/2619556/9149493


詳しくは追記で。




3/17(土)

長者原近く、くじゅうやまなみキャンプ場のケビンで0付き。客人のN部は実習の都合で不参加なので、くじゅうに登るメンバーはハイジパーティー4人+O田、M場の6人になった。0付きの時点で3日目の天気がかなり悪いことが分かっており、1泊の短縮版にする=今期は行けても完成編まで、ということが決定した。CLがくじゅうのエアリアを持ってきていないことが発覚した。

M場おすすめのケビンは非常に快適だった。付属のミニキッチンで女子メンバーはスンドゥブ、ブルスケッタ、餃子などを作る。O田さんによる本場仕込みの青空ヨガ教室が行われるなど、楽しく過ごす。くじゅうの寒さに怯えてCS1はバンガローに泊まるつもりだったが、暖かそうなのでキャンセルした。


3/18(日)

6:05 出発

6:25 入山(長者原口)

法華院温泉までずっと自然歩道が続き、板が敷いてある。完成編のつもりだった登山とは思えない歩きやすさ。7:05頃に休憩所を通過。


7:50 雨ヶ池越 R(-8:00)

雨ヶ池は普通の池だった(普通すぎて写真を撮り忘れた)。


8:50 法華院温泉 R(-9:25)

計画では既に通過した坊ガツルでピストン装備に切り替えて三俣山に行くことになっていたが、坊ガツル⇄法華院温泉は15分と短いので、どうせならとCS1である法華院温泉まで来てからピストン装備に切り替えた。Rがてら施設を色々見学する。温泉に入るのが楽しみだ。


9:40 坊ガツル

ここから三俣山南峰までの急登が始まる。前日が晴れだったのにも関わらず、道はぬかるんでいた。帰りも同じ道を下ってくるので、嫌だなぁとみんなが言っていた。CLは「転んで汚れるのが嫌だなぁ、面倒な道だなぁ」というニュアンスだと思っていた。


11:25 南峰 R(-11:35)

坊ガツル⇄南峰のコースタイムはネットからとってきたもの(※1)だが、上りと下りの時間をレジュメに反対に書いていた(山行中もおかしいという声があがっていた。下山後に調べて分かった)。実際、途中の休憩を除いて1時間35分かかった。岩場が数回出てくるが、土がぬかるんで滑ったらずるずる落ちていきそうな道がほとんどである。肝心のここの道の写真を撮っていなかったので、ネットの写真(※2)を参考にしてほしい。

※1 https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=111122

※2 https://yamap.co.jp/activity/449106

https://tinnan1515.exblog.jp/22215105/



12:05 本峰 R(-12:15)

南峰→本峰の道は分かりにくかったが、SL谷本が上手く連続して見つけてくれた。


12:40 西峰 R(-12:50)

13:20-13:40 間違い発覚→偵察→話し合い

地形図上の登山道では西峰を踏まないことになっているが、気づかず西峰を踏んでしまったので下りていったが、南峰へ向かう道(正)と諏我守越へ向かう道(誤)との分岐を見落とし、諏我守越へ向かう道へと入ってしまったようだ。ハイジとM場が分岐を探すために偵察に出て、団体の登山客とすれ違う。ガイドらしき先頭の男性に現在地を尋ねると、やはり諏我守越へ向かう道(以下Bとする)にいることが分かった。我々がこれから南峰から坊ガツルへの道(Aとする)を下るつもりだと告げると、「あそこは危険だから使う人は少ない。Bにした方がいい」と言われる。他のメンバーとの話し合いが必要だと思い、分岐を見つけられないまま偵察隊はメンバーの元へ戻る。事の次第を告げると、現役メンバーは「ガイドがそう言うならBにした方がいい」「Aは怖かった(こつみんの意見。CLは滑るのが怖い程度だろうと思っていたが、本人は命に関わる程度に怖いと思っていた。ここはもっと確認すべきだった)」「でも役員会で承認されないだろう」「完成しないと来期つらい」等、意見がまとまらなくなった。それまで見守っていたO田さんの意見を求めると、「Aは自分たちで一度通った道なのだから、自分たちで行ける/行けないの判断が可能。Bはあくまで我々の知らない道」「僕だってAの道は嫌だし安全らしいBで楽したいけど、審議に通していない道を行って事故が起きたら捜索が困難」。この考えに全員が納得し、「Aで行ける」という結論に至った(こつみんはここで嫌だと言い出せなかった)ため、予定通り南峰へ向かうことになった。分岐はすぐに見つかった。南峰までの道の最後は15分ほどの急登だった。

(ここから下山後の意見)エアリアがあり、もしBのコースタイムや道の状態の説明が載っていたら、「Bの方がAよりメリットが大きいと確信をもって言える→Bにする」となっていた可能性が高い。実はCLがエアリアの三俣山の写真だけ持っていたのだが、現場でそれが使われることはなかった。また、エアリアにA(点線)とBの道の説明・コースタイムは載っていない。


14:00 南峰 R(-14:05)

ここからAを下っていく。オーダーは変則で、経験豊富なO田さんのtopに続いて下りが苦手な順にM場→てつろー→こつみん→ふじっこ→ハイジとした。

各々苦戦する箇所があったが、どうしようもないという場面はなかった。



15時ごろ、前方に道が2つあり、最初難しい方の道を行き、てつろーまで岩場を下ったところで引き返す判断した。難しい岩場であり、着地地点は横が斜面になっている。てつろーは上り返したが、M場が苦戦したため、O田さんが先に上って見本を見せた。分かったということでM場も上り始め、もう少しでも上りきるというところで力が抜け、落下した。O田さんはその瞬間は見てはいないが、M場の悲鳴で、全員がM場が空中に浮いて落ちて行く様子は見ていた。

木が生い茂っていてM場の様子は見えない。呼び声に応答があったためその方向へ行くと、汚れまくっていたが無事なようだった。本人談でおかしい所はなく、会話も歩行も可能そうだ。すぐに法華院温泉に電話し、病院までの車の手配を頼む(この時は吉部登山口まで温泉の車→登山口から病院までタクシーということだった)。15:20頃から慎重に下り、坊ガツルでもう一度温泉に連絡を入れ、15:50頃に法華院温泉に到着した。この時、温泉の人に登山道からはタクシーではなく救急車にすることを勧められる。日曜であったので、その方が病院への受け渡しがスムーズだと思い、了承してハイジが救急車を呼んだ(予め温泉から連絡を入れてくれていた)。こうして、M場と付き添いのO田さんは病院へ向かった。

残りの4人は車で送ってもらうのは難しそうだったので徒歩で下山することになった。撤退ということで速やかに下山すべきだが、この時点で16時をすぎており最短のescape1下山でも到着が18時をすぎて危ないので、4人はそのままCS1に一泊し、翌日escape1下山することにした。夜、M場に異常がないことが分かり、メンバーで様々な反省をした。心情として「屋久島どうなの?」という気持ちは全員にあったが、来期のために完成だけでもしておきたいこと、パーティーの目標としてきた屋久島合宿への未練などから、屋久島がんばろうという流れになった。この時点で今回の滑落事件の原因は偶発的(CLやM場に拠るところが大きい)なものと捉えていた。

翌日6:40に出発し、8:40にescape1 下山して、屋久島で集合することを確認して解散した。



その後CLは宮崎の祖母宅に向かったが、次期部長などメンバー外の人と事故についての連絡をとるうちに、事態は自分が思っていたより深刻で、ワンゲル全体で立ち止まって話し合うべきものだと感じるようになる。屋久島を決行するかを再度話し合うため、メンバーとは屋久島ではなく鹿児島で翌日の夕方に落ち合うことになった。


翌日の夕方、屋久島メンバー5人(ハイジparty+O和田さん)、京都組、A川・M場、I本さん、ペーターでSkype会議が行われる。①この会議が臨時役員会である(決定に強制力をもつ)こと ②屋久島は中止すること(CLが行く意思がないため)が決定した。③他のpartyも山行を中止すべきか を話し合うため、翌日朝にもSkype会議が行われた。結果、④部の山行は中止すること ⑤京都で臨時役員会を開くこと が決定した。)




多数の部員から、事故直後とSkype会議での私の態度が大きく変わっていた事を疑問視されました。事故直後の私が事件を軽視しすぎていたために混乱を招いたことを深くお詫び申し上げます。(今回の事故がここまで大きな話になった要因として私が救急車を呼んだ事を指摘されましたが、上にも書いた通り、事故が起きたのが日曜だったから、かつ本人に自覚症状はなくてもどこかに異常があってもおかしくないレベルの落ち方だったからです。救急車を呼んだ選択は正しかったと思います。)事故の原因は私やM場によるところが大きいと感じており、他のpartyの山行・他の部員にまで影響を及ぼしたことを申し訳なく思っています。しかし、ワンゲルの役員会にある原因も0とは言えない以上、「お前が言える立場か」と言われることは承知で、半ば強引にワンゲル全体の活動をストップさせていただきました。

一番重要なのは今回の事故で死亡者などが出たわけではなく、滑落したM場が無事だったということです。ワンゲル組織の安全性に関する議論は過去幾度となく繰り返されてきたものだと思いますが、もし部員の安全意識が弛んでいたのが現状であるなら(もちろんその筆頭に私がいたということは面目ない限りではあるのですが)、それを立ち返る機会を「死亡者を出さずに」与えられたことは、不謹慎な言い方になりますが、ある意味で幸運なことではないかと思っています。

まだ議論の途中ですので公の資料・謝罪等は出せておりませんが、今回の件でご心配・ご迷惑をおかけした方々に、改めてお詫び申し上げます。


平成30年3月23日

京都大学ワンダーフォーゲル部



管理人注:一部修正