この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2017年06月20日

祝今季初撤退のO柳です。6/17,18でpartyの5人でpart2に行ってきました。遡行は終了したものの1日目の終盤にペーターが膝を打ち、2日目起床時にに重症化していたのでescape下山しました。

ペーターの足についてですが、月曜の朝に全く治る気配がなかったので病院に行ったところ、経過を見るように言われたらしいです。火曜現在では、少し痛みがましになったような気がするとのことなので、2週間は様子を見ようと思います。

写真

http://photozou.jp/photo/list/2619556/9057025

CLが大幅遅刻したので1時間遅れて8:30頃出発した。10時頃に奈良の王将で夕食を食べた。モジキ谷出合に付く少し前に入山連絡を忘れていたことに気づき、モジキ谷出合に荷物と一回生を置いてペーターともと来た道を引き返した。一回生にはテントを張っておいてもらった。無事天川あたりで入山連絡を済ませ、今度はモジキ谷出合にペーターを残置して1:10頃にCLは車を下山地点にデポしに行った。林道と国道の出合あたりに車を置いてCLは一人で真っ暗な道を4kmほどダッシュで引き返した。往路でペーターが怖い話をしていたので少し怖かった。なお、escapeによりこの行為が完全に骨折り損になることは知る由もなかった。2:10頃CLはテントに入ったが、すでにみんな寝ていた。


6/17 土 晴れ

4:50~5:30 起床、出発 出合のスペースからほんの少し国道を進んだところに階段があり、そこから巡視路に入山。きれいな道だった。

5:40 取水堰堤から入渓。空梅雨で水量がガリガリだった。最初の5m滝はレジュメ通りクラックからではなく、遡行図にあるように左岸から一瞬で巻いた。ランビレ地点としては微妙に見えるし、巻きが速攻で終わるのでやる気が起きない。

5:55 淵の奥の6m滝はレジュメ通り左枝沢を一段登り右岸のバンドから巻いた。バンドの入り口で一回生を心配したペーターがスリングを設置していた。しっかりつかめる木の根があるのでそれを掴めばスリングは必要ないと思う。滝の落ち口でモダンが派手にすっころんでいて怖かった。落ち口までいってもまだ危ないので油断しないで欲しい。

6:40 遡行図でFixありとされている3m滝は巻かずに右岸のバンドを直登した。この滝の後のナメの入り口でペーターが滑り台をしたが、しょぼかったので全員スルーした。

7:40~:50 896mの二俣を少し過ぎたあたりでレスト。

8:20 バリゴヤ谷出合 「じゃあRFしよっかー」とか言った矢先に「←モジキ バリゴヤ→」みたいな看板を発見したが見なかったことにしてRF。この辺まではモジキ谷はきれいでいい沢だと思っていたが、ここから水が伏流し、ハッピーさんが「二度と行かない」と言っていた理由がわかり始めた。ここまでほとんど標高を上げていなかったが、ここから一気に登りになり、それまで楽しげだったpartyがガリガリになってきた。

9:30 12m大滝 右枝沢に入り巻く。滝を三つほど越えた。一つ目は残置ロープにつられて左岸を登り過ぎると厳しそうな巻きになると思う。早めに降りると二段目は0期には少しテクニカルなクライミングになる。三段目もそんな感じで上でペーターが一回生のためにスリングを出していた。この滝を越えると左に岩の切れ目のガリーがあり、そこから尾根に乗って本流に復帰する。なかなかにだるい巻きだった。この巻きの途中で落石がCLの口に直撃し、口からかなり出血した。数分止まって様子をみていると、血は止まった。歯が痛むので触ってみると、右下の二番目の前歯がグラグラしていて、不自然にとんがっていた。とりあえず巻かないとどうしようもないので巻いたところ、5mも一緒に巻いていた。これからどうすべきかということについては、撤退するにしても稜線に出るほうが早いし、口内の血は止まっているしまあ行けるやろということで、とりあえず神童子も下降するつもりで行程を再開した。CL自身の怪我だったので行けると判断できたが、他のpartyメンバーが同じ状況だったら大事をとって撤退していただろう。落石を受けたのがCLで良かったとか思ったが、冷静に考えれば落石を受けない方がよっぽど良かった。下山してから前歯を確認したところ、ほんの少し欠けていた。

10:20 巻き終わり

10:40 5m 水を汲んでおいた。右枝沢との間のカンテ状をランビレして登った。セカンドのセルフはでかい岩からとった。草や岩がもろくルートはなかなか厳しい。0期がいるpartyならランビレすべき。ペーターは支点をカムや木からとっていた。下村が浮石を踏んでザイルのお世話になりかけていた。本人曰くガリガリだったらしい。

12:20 ランビレ終了 このあと詰めあがりの途中で滝に阻まれ、鹿の踏み跡みたいなところから右の尾根に逃げた。急斜面でシャクナゲの藪を掴みながら登ったが、ここのシャクナゲは生きていても折れて面倒だった。藪は普通に濃くてだるかった。もっと沢沿いから行くルートを模索すべきだった。

14:00 藪がきれたところで5分ほどレスト。斜面が急すぎて消耗する。少し登ると地形図通り垂直の岸壁にぶつかり、右の沢から巻いた。きつい詰めあがりだった。ちなみにワンゲルの記録に右股を詰めているものもあった。

14:20 稜線 岩を右から巻いたので思った通り一本右の沢に来ていた。5分ほどレスト。

14:40 稲村ヶ岳 メンバーは展望台に上っていたがCLは進みたかったので急かしてしまった。

15:15 稲村小屋 小屋のおじさんと話したら下降地点を教えてくれた。

15:50 ジョレン滝上 テン場。下降中にペーターが転んで膝を打っていたが、沢ではよくあることなのでそこまで気にしていなかった。ペーターもテン場では歩行に大きな支障はないと言っていた。ペーターは天気図を書き、残りのメンバーで大量の薪を集めた。久々の焚火でムキムキだった。木は乾いていて一瞬で火が付き、なかなか巨大な焚火になった。夕食はにゅう麺とペミ肉(味噌味)だった。にゅう麺を食べたら前歯にあたって激痛が走ったので夕食はすべて口の左半分で食べた。焚火に飢えたモダンがマシュマロを持ってきていて焚火で焼いた。CLは生鮮館で買った鯖のみりん干しを焚火で炙って日置桜を飲んだ。ペーターは小屋泊の可能性を踏まえて火が無くてもよいあんみつや多量のお菓子を持ってきていた。紅茶とかも飲んだ。このときはかなりムキムキで明日の下降が楽しみだった。

21:50 集めた大量の木を燃やしたので就寝。


6/18 日 曇り


4:00 起床 ペーターが昨日打った膝がかなり痛むと言った。とりあえず朝食の準備をしながら会議する。朝食が終わって外にでたあと、軽く歩いてみてやばそうなら撤退しようということになった。果たして歩いてみると無理だったので稜線まで登り返してクロモジ尾から下山することにした。

5:25 出発 ガリガリだったので出発が遅くなった。ペーターのtop装備とメインザイルを受け取ってザックに詰め込んだ。合宿の時並みの重量になった。

6:05 稲村小屋

6:10 クロモジ尾分岐 かなりはっきりした道。迷う要素は特にない。

6:30~6:35 レスト ペーターの膝のためにゆっくりめに行った。この辺でペーターの水とかを一回生に持ってもらうことにした。

6:52 道が尾根を外れる場所。地形図で見ていて迷わないか心配だったが明瞭な踏み跡があり、この分岐から斜面が派手に剥げていたので余裕だった。

7:15~:23 レスト。剥げているので進む尾根がはっきり見える。

8:40 下山。下山地点のみ若干無理やり下った。落石が多発した。


この後CL以外は下山地点の近くの広い場所で待機、CLは一人で車の回収向かった。せっかくわざわざひとりでデポしに行った車をひとりで回収に行くので非常に馬鹿らしかった。ここ最近の不摂生でCLの足がガリガリになっていたらしく、歩荷状態での下山で足がガリガリになり、林道歩きですら足がガリガリだった。

9:50 1時間ほど林道歩きをしたところでヒッチハイク成功。神童子出合まで乗せてもらう。そこから車で下山地点まで向かってメンバーと荷物を回収した。そのあとは洞川の村立温泉に入って天理ラーメンの彩華ラーメン本店で打ち上げをした。


モジキ谷は入渓してしばらくは非常に良い谷に思えるが、896の二俣以降は特に楽しいイベントもなく(きついイベントならあるが)、結局現役メンバーでも二度と行きたくないという結論になった。今季は藪での行動時間が長くなってしまったので、行動時間の長いノウナシ遡行犬取下降を避けたが、そちらのルートを推奨すべきである。たしかにモジキ谷は練習という意味では最適であるが、非常にだるい。個人山行で行く場合は適当なところで遡行を打ち切って下降するとまあまあ楽しいとは思う。また、escapeルートのクロモジ尾は問題なく使用できることが分かった。国道まで出ればヒッチの成功率も高いと思うので誰か一人が犠牲になれば簡単に車を回収できる。


O柳partyの今後については、完成編に下降のある沢に行くことで対応したいと思います。今のところ川浦谷銚子洞とかかなあ。S原partyの悲劇を繰り返したくないので、ペーターの足の経過についてはかなり慎重に見たいと思います。




2018年7月8日追記

 ペーターです。ヒヤリハットリスト作成に伴い、ペーターの事故について整理しました。

事故から現在までの経過

2017年6月17日

15:15 CS1稲村小屋。CS可

15:30頃神童子谷源頭部のガレ場で浮石をふみ、転倒、膝を打つ。沢ではよくあることと認識しており、少しだけレストをして、すぐに出発。

15:50 CS可ジョレン滝上に到着。ペーターは時間が迫っていたため天気図を描く。

17:00頃以降 膝の痛みが強いことが気になり、しばしば沢のみずで膝を冷やす。

21:50 翌日膝の痛みが強まっていなければ大丈夫だろう、と話し合って就寝。


2017年6月18日

4:00 起床。膝の痛みがかなり強区なっていたので撤退。トップ装備とメインザイルをCLのO柳さんに持ってもらい、クロモジ尾からescape下山。

6:30頃 水などの装備を一回生たちに持ってもらう。

8:40 下山。


その後、治療/山行など

 事故の翌日に外科医院に行くが、水は溜まっていないし大きな問題があるかはわからない、なかなか治らなければ軟骨の損傷かもしれない、と経過観察。日常生活でも結構痛い。

7月は基本的に安静にしていた。筋肉の損傷部分は、時間が経つにつれ、治っていったが、芯の部分の痛みが引かないことが気になる。

7月末 大文字歩荷。膝の回復を確認するために行ったが、かなり悪化。

8月上旬、次第に膝の痛みがマシになっていき、日常生活は問題なく。薬局で1000円程度のサポーターを買い、運動時や膝の痛みを感じるときはつけるように。

8月後半 生駒 高尾山:単独。サポーターなし下山で痛み。

8月23日 湖南 金勝アルプス:友人と。特に問題なし。

8月28日-9月1日のフィールド調査で長時間歩いたところ、膝への違和感が大きくなる。


9月9-10日 奥美濃 川浦谷銚子洞

partyの山行。ましになっているとは言え、時折痛むため膝への不安は常につきまとっていたが、もしかしたいけるかもしれない、という期待や、partyの錬度(完成させたい)への配慮から、思い切って参加。

 軽量化した上、林道ではトップ装備、シュラフ、ハーネスなど荷物をメンバーに分担してもらう。下降ではザイルをCLのO柳さんに渡して持ってもらう。

 膝は大幅に悪化。事前に沢のpartyに入り続けることはできない、と決めていたが、後期はpartyにも入らないことに。


9月中旬 知己の外科・整形外科の医院で診察。前の診察と同じく、大きな以上は発見されず、経過観察。汎用のサポーターをもらった。

10月以降、ワンゲルの山行はしばらく休む。多少回復はしたが、8月の水準には戻らない。運動としては、掛け持ちサークルの林業サークルで山仕事をしていたり、時折サイクリングに行ったり、大文字に登ったりする程度で、運動強度の大きなものはしていない。


2018年2月19日 曽爾高原 倶留尊山

 下山時に痛み。


2月末に、スポーツ整形で診察。膝蓋軟骨軟化症と診断。サポーターは筋肉が弱るのでつけない方が良い、常に膝周辺の筋トレをして、軟骨への負担を減らすように、と指示を受ける。

3月の西表は参加を悩んでいるうちに、M瀬さんの怪我でそもそも中止になった。


4月中旬

 軟化症用のサポーターをもらう。


4月30日 鈴鹿 元越谷

 今後の参考を占うために、簡単な沢に行こうということで行く。ほとんど痛みなく、遡行終了。

 しかし、数日経って痛みが出る。


5月12日 金比羅

5月21日 比良 ヘク谷

 遡行中盤より、痛みを感じる。下山時の登山道で強い痛みを感じる。山行後数日は、階段の下りが辛いと感じるほどの痛みが残った。ヘク前程度にまで回復するのに、一週間ほどかかった。

6月16-17日 氷ノ山縦走

 整った登山道の縦走。ヘクよりはマシだったが、膝の痛みが一週間ほど残る。


 現在の状況:日常生活ではあまり気にならないが、時折膝の痛みを感じる。気圧の低い日や参考の後は悪化する。





事故の原因

 天気図をテン場で描きたいため、急いでいた。15:15にCS1である稲村小屋に到着していたが、そこでは焚き火ができない、翌日のコースタイムが長くなるという理由から、その先にあるジョレン滝上のCS可に行くことが、暗黙のうちにpartyの総意のようになっていた。

 ペーターは、小屋に泊まったことがなかったため、急いでジョレン滝まで進むよりも稲村小屋に泊まりたかったが、議論をするほどのつもりはなく、そのまま進んだ。

 天気図を途中で描こうかという話も上がったが、その後の流れや日没の兼ね合いなどからテン場まで急ぐことが決まった。



対応の問題

 怪我をした時点でしっかりしたレストを取り、アイシングをすべきであった。RICEの対応が遅くなってしまった。また、エスケープ下山したあと、すぐに病院に行くべきであったが、行かなかった。

 病院の診療科をあまり知らず、膝の怪我ならば整形外科に行くべきところを、はじめ外科に行っていた。

 怪我の程度を過小評価して、以降の山行に参加した。特に川浦はケアが少ないまま参加したため、大幅に悪化してしまった。