この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2017年06月06日

O柳です。6/3,4で藪に行って来ました。O柳partyのO柳、ペーター、モダン、バーボン、下村に客人のO和田を加えた6人partyで行いました。今年も新入生の保険の都合で予備合宿の開始が遅れたため藪から行くことにしました。途中でRFミスがあった関係で二日間とも行動時間(RFとレスト込み)が12時間になるなど、ガリガリの山行になってしまい、CLの実力不足を痛感しました。とりあえずルートから外れることなく予備日なしで下山できたのでほっとしています。詳しくは追記をどうぞ。

6/2 金曜日

22:00 BOX集合 CLが用事のため集合時間ギリギリに到着したのだが、集合時間のまえに下村から、「計画不足で非常にガリガリです 1.ペミが終わっていない 2.ザックの容量が足りない 3.非常食が無い」という連絡が来ていた。2は縦走のM浦からザックを借りることで解決したらしいが、藪に人のザックで行くのはどうだろうかと思わないでもなかった。本人たちが解決したことだしまあええか!1はBOXで集合後にすることにして、2はまあどこかで買ってもらえばいいかと思いつつその後忘れていた。初回山行だし出発が遅れることは予想していたが、CLが早めに着けなかったことで余計遅くなってしまったので反省している。


23:00 BOX発 縦走のお掃除担当M浦が、沢メンがカーナビをセットしたり荷物を無理やりぶち込んだりしている間じっと車の横で見守ってくれていた。結局車が動き出すまで慈愛の表情をもって見送ってくれた。鯖街道経由、O和田の運転で出発。


6/3 土曜日 曇り時々雨

0:50 O和田とモダンが腹が減っているらしいので、運転交代も兼ねて敦賀のマックに寄る。ここからはO柳が親の顔より見た8号線経由で入山口まで運転。

2:50 林道に駐車 初めて沢メンのアプローチを経験した1回生達は車の底が石でバコバコいうのでおびえていた。途中から地面が雨で濡れており、金曜日もそれなりに雨が降っていた模様。0付にしては遅く着きすぎた。3時間睡眠のためにテントを張る必要はないとの意見が多数であったので全員車中泊。寝心地は最悪で、CLは結局いつも通りほぼ不眠登山になった。

5:50 起床 全員ガリガリ

6:05 出発 

6:25 一回目の渡渉点(渡渉という言葉を使ったが、橋はある) ここで1回生にRFの指導をした。

6:35~6:45 出合RF 林道は添又谷のほうに続いており、一瞬混乱したが、ペーターが林道の右側に踏み跡を見つけ、見に行って入山地点を確認してくれた。不安だったCLは念のため添又谷の林道の方へ少し進んで、すぐに地形図通り堰堤を確認できたので入山地点へ向かう。

6:55 入山 渡渉点で水を汲んだ。数人足を水没させた模様。

7:08~:13 服脱ぎレスト かなりめちゃくちゃな急登。前日までの雨で地面も悪く、この山行のハイライトの一つ。装備を担いでいたバーボンが遅れ気味だったのでペーターにペースを落とすよう話した。

8:25~35 檜尾峠 県境尾根との合流。このあたりで一瞬青空。踏み跡の両側の背の高い藪を見てやる気をなくす。下村に、「今は出エジプトみたいに藪が分かれているけど、これがあとで閉じるんやぞ」というと、「ガリガリですね」との返答。この先で単独行のおじさんにあって、冠山を勧められた。小学生の頃のぼったっけ。我々のルートを話すと驚いていたが、自分達のだれも行きたがっていない旨を話した。途中の谷に雪渓が見えた。

9:16 白倉岳(金草岳直前のピーク) 白倉岳と書かれた看板があった。下村「靴ひもがガリガリになっているのでムキムキにしてもいいですか!」

9:30~:55 金草岳 入藪地点。一応集合写真を撮り、レストする。「覚悟のできたやつからザックを背負え。」と言ったところ、最後にザックを担いだのはCLだった。50分ごろ突撃しようとしたところ、小雨が降ったので、気合を入れて担いだザックをおろし、ペーター以外はセパを着る。気温も低く寒かった。

10:45 県境尾根から分かれて西の尾根へ ペーターと、県境尾根は発見できたが進行方向はどっちだろうと探そうとした瞬間風が吹き、ガスが切れて進行方向が見えた。二人で歓声を上げる。

11:05~:20 岩尾根上でレストした。天気のせいで水制限は全くきつくない。食当の下村が、I岡party食当の縦走のM浦がぶち込んできた昼食生野菜(人参、きゅうり、キャベツなどを丸かじり)に触発されて、レモンの輪切りに砂糖をかけたものを配布した。最初はネタだと思っていたが、普通においしくテンションの上がる、かなりのムキムキアイテムだった。特に天気のいい藪では喉がうるおせて最高だと思うので試されたし。

11:55 主稜線から北の支尾根への分岐 RF難地点。しかもかなりのガス。進行方向は当然見えない。恐れていたことが起きた。うっすらと見えるものとコンパスを頼りに降りるしかないかと思ったとき、またしても奇跡的に風が吹き、ガスが切れた。西の谷沿いの盆地や奥美濃の深い山々が美しかった。肝心の進行方向の尾根もその時見えたので、その記憶を頼りに急斜面を下降した。むき出しの岩は西から巻くことはせず、藪を掴んで降りた。ここまではRFミスは無かった。

13:20~:35 急降下終了 レスト。本当に今回の入藪後最大のイベントだった(今回はこのあとRFミスがあったので2日目にもっと精神的にきつい部分はあったが)。尾根とは言い難いレベルのかなりの急斜面の膨らみにこの山行で最大の密度の藪がぶち込まれており、非常にきつかった。高密度の灌木帯で、シャクナゲが密生しており、シャクナゲが嫌いになりそうだった。

14:55~15:05 レスト。この時は一つの戦いを終えたつもりだったが、RFミスが起きたのは恐らくこの周辺。ミスの詳細については最後に書きます。この後、2日目の889ピークまでリアルタイムの記録と、実際の場所にずれがあるので、ミスの発覚後に分かったことは()付きで書く。

16:20~50 CS1直前のピークRF、レスト(実際は1.5km地点周辺の北西方向の尾根から北東方向に降りるところ) ペーターと尾根の方向がおかしいという話になった。RFを何回かやってみたがよく分からない。とりあえずルートからは外れていないことは確信できたので進みながらRFすることに。

17:20 CS1直前の二つ玉のピークは、なぞり方によっては十分北西を向きうるという結論になり、やはり現在地はCS1直前であろうと結論した。

18:00 進んでいくと、コルで一時的に薄くなった藪が再び濃密になっていった。CS1を通り過ぎたか到達していないかのどちらかだろう。(当時は希望的予想から通り過ぎた可能性ばかり考えていた。実際は400mほど手前であったと思われる。)この時点で行動開始から12時間。一回生はかなり限界に見えたので、先に進んでテン場を張れない可能性を踏まえて、傾斜は急だが少なくともテントを張るスペースはあった場所まで引き返してテントを張ることにする。

18:12 テン場 地面が見えている場所は十分あるものの、傾斜がきつい。かなりのクソテン場になることを予感しつつも、でかい倒木をみんなで無理やりどけ、杉良太郎所属のペーターにのこぎりで周辺を切り開いてもらう。無理やりゆがんだテントを設営。焼きそばは雑に作ってもうまいので良い。食事を終えてテントに入ると、傾斜がきつくて銀マがすべてテントの下方に滑り落ちていく。「まあS原partyの西表縦断の時のテン場よりはマシか!w」とか言ってO和田とヘラヘラするしかなくてつらかった。秘密兵器で大量の水分が投下されるも誰も喜ばず。みかん缶やゼリーといった藪特有の秘密兵器はいつもより幸福度が低かった。ペーターの持ってきたわらび餅が一番良かったように思う。また、テント設営の時から分かっていたことなのだが、アライテントの6テンが異様に臭い。西表で使った後十分に干せておらず、かびていた様だ。また、かびによってテント入口のチャックが完全に移動を拒否。入口とフライが全開のまま寝るわけにはいかず、ガムテープで無理やり入口を封鎖した。物品援助で6テンを二張要求すれば良かったと後悔した。

21:00 このくらいに就寝。2日目の行動時間が6時間だと信じていた我々は士気上昇のために睡眠時間を長くとろうと起床を5時頃に設定した。


6/4 日曜日 晴れ

4:45 起床 既に外は明るい。テントの端で寝ていた下村はなぜかテントの隅に丸まって寝ていた。ペーターがバーボンの方に落ちており、バーボンは下村の方に落ちており、下村はただただ落ちていた。テントの左半分にいたモダン、O和田、CLは比較的マシだったようだ。食パン二枚にブルーベリージャムを塗って、ノンカフェインのカフェオレを飲んで朝食。

6:00 出発 初回山行で1時間15分出発ならまあセーフか。

6:30 ペーターがザックから水が漏れてくるというので止まると、のこぎりがペーターのプラティパスと防水袋を破壊していたらしい。ペーターはプラティを今年の5月頭に買ったばかりである。ガリガリになっているペーターに、無慈悲なCLは、ここで長く止まるのはよくないから早く進もうと急かした。

7:00頃 889周辺(実際は2km直前の二つ玉ピークの一つ目) 北西に進む尾根を確認。池田町と南越前町の境界の尾根であろうと結論。(当然違う。付け根の方向が一緒なので既に思い込んでいた我々は間違いに気づかなかった。)しかし進むはずの東向きの尾根が見つからない。境界の尾根の方が顕著であるから、最初は見にくいのかもしれないと方角を合わせて進む。尾根を完全に外すとよくないのである程度尾根沿いを歩こうとするが、一向に方角が合わない。そのうち左に尾根が見えたので乗ってみたが、もちろん方角が違う。一旦さっきのピークまで戻ることに。

8:20~:45 笹薮のピーク(実際は二つ玉ピークの二つ目) RF、レスト。さっき889ピークだと思っていた場所のすぐそばのピーク。もしかしたらこっちが889の可能性もあるなどと話す。やはり北西向きの尾根を確認。(今思えば傾斜が急すぎるし、もっと長く続いているはずである。なんとなく違和を感じていたが、思い込みには勝てなかった。)偵察を繰り返す。

9:26 最初に889と判断したピークから弱い尾根沿いに突撃することを決断。少し右側を歩いて東向きの尾根がないか確認しながら進行を続ける。

10:20~10:30 レスト。一回生はガリガリでO和田は終始ヘラヘラしてRFをしない。「今ここかな」とか言って地形図の変な場所を指さしたときにはペーターにあきれられていた。さすがノースキル先輩。なお、「ノースキル先輩」は金毘羅で下村が考案したあだ名である。

11:10 今までの進路はずっと北北東だった。こんなに長く進み続けるのはやはりおかしいと思った我々はついにこのあたりで自分たちのRFミスの可能性について口に出す勇気がだせた。ここが実際は889周辺なのではないかとペーターと話した。しばらく前からなんとなく二人ともその可能性は頭にあったようだ。なんとなく言い出すのが憚られていたようだ。

11:25~:30 果たして真の889ピークである。今回は誰も間違いようがないほど自明である。レストを少しとる。とりあえずこれで帰ることは可能などと話し、ペーターと奇声を上げる。ロストしてさまよい続けるのは全員心理的にかなりきつかったようで、みんなここで少し表情が明るくなったように思う。しかしレジュメでのコースタイムはここから約6時間である。下村は同じところを引き返しているとき、ソ連の拷問で穴を掘らせて自分で埋めなおす行為を繰り返させるものがあったのを思い出したと言っていた。下村は割と藪耐性があるようで、他の二人より口数が多く、この周辺からRFに参加したり、自然とセカンドについたり、一時的にトップに立ったりしていた。金毘羅では札幌南出身のコンビの有能さが際立っていたので、こういう得意分野の違いがあるのは後ろから見ていて面白かった。889からは少し薄めの灌木帯に時々踏み跡が現れるような感じだった。

12:30~35 RF

13:30~:37 RF、レスト。

14:45 下村が腹が減ったらしいので行動食をとる。下村は行動食が不足していたようで、この辺からだんだんガリガリになっていった。同時に札幌の二人はだんだん調子が回復していった。

16:00 751ピーク。非常に分かりやすい。

16:10~:20 レスト

17:20 最後の分岐を越えてあとは降りるだけという場面で、ペーターとモダンが乗ったでかい倒木が滑り落ちていったらしい。藪のせいで光景が見えず、音だけが聞こえていたCLは、倒木の滑り落ちていく音がモダンの滑り落ちていく音に聞こえて非常にひやっとした。

17:40 下山 RFして下山にミスが無かったことを確認。下山地点には釣り師のおじさんがゼロ付していていろいろ教えてもらった。


このあとは渓流温泉冠荘にいって500円で温泉に入ってムキムキになった。下山連絡がなかなか来なかったので、留守本のI本は留守本部発動かと思ってひやひやしたらしい。心配かけてすまん。8号線に接近すると同時にCLはカーナビを黙らせて勝手なルートで運転した。武生で寄ろうと思っていた食堂は閉店の時間を過ぎていたので、なぜかS木さんが知っているシリーズの一角である8番らーめん武生店に寄った後、閉店ギリギリに寿司屋「海鮮アトム」に寄って寿司を食ってムキムキになった。ラーメンを食べているときに、これ以上おごりたくなかったO和田が、ずっと「いや~、みんなラーメン食べたら寿司食べる気もなくなるよね!京都に帰る時間も遅くなるし!」とか連呼してて人間性を疑った。この発言を受けて、もとは遠慮していた一回生達も逆に反撃を開始して、ラーメンを食べ終わったバーボンが「いや、まだまだ余裕ですよ。寿司行きましょう。」と言い出して面白かった。実際寿司屋で一番食べた量が少なかったのは彼だったが。この時点で22時だったので、CLの実家に寄ろう大作戦は失敗したかに思えたが、ペーターの「顔見せるだけでも親御さん喜ぶんとちゃいますか」という一言に乗せられて、実家の玄関まで行って親に会って即Uターンするという謎の行程になった。ここでO和田が「どうもお世話になってます。無能のO和田です。」と自己紹介した。運転中CLが一人で起きている状態になるのを心配したペーターと下村がしりとりをやっていたが、出てくるワードが全部マニアックで面白かった。あと、下村が193か国とその首都全部言えるかチャレンジをひとりでやっていて面白かった。北小松まで行ってO和田と運転を交代し、BOXについたのは翌日の1:20だった。S木さんがBOXで死んでいた。自分もこんな藪じゃなくて釜ノ公遡行について行きたかったなどと思った。


例年通り、一回生は道という概念や登山に対する価値観が崩壊してしまったようである。モダンは文学部らしい考察をつぶやいていたし(CLもかなり賛同する部分多かった)、下村は「自然と触れ合うとか言ってる人間は全員滅ぶべき。藪に来てみろ」みたいなことを言っていた。道を歩く登山に疑問を呈しすぎるとQOLの高いファッション登山ができなくなるので藪は廃止すべきである。最後に下村が藪で放った渾身の一句を引用して終わりたい。


「ガリガリや ガリガリガリや ガリガリや」



RFミスについて

概要は上に書いた通り、現在地点を実際より400mほど先だと思っていたことである。CL、SLが同時に同じ場所で勘違いをしたようだ。RF難地点から下り終わったあと、1002ピークまでの尾根上で、局所的に尾根が北西に曲がったのを、実際に地形図で尾根が曲がっている場所に到達したのだと思い込んだようだ。その後、希望的観測により、実際に尾根が曲がっている場所を二つ玉ピークだと思い込み、二つ玉ピークを889ピークだと思い込み、実際の889ピークでミスが修正されたという経過である。

ミスの要因については、

1.RF難地点を無事通過したことで油断が生じた

2.コースタイムが過去のpartyより遅れており、自分達が実際より先にいると思い込んだ。コースタイムの遅れの要因は、気象条件およびpartyのRF力不足である。客人にRFできる人を呼んでいれば状況は変わっていたかもしれない。歩行ペースが遅いようには感じられなかった。

3.支尾根の特定がおろそかだった。見えるべき尾根がなんとなく見えたときは見えたと言い、見えなかったときは「見えなかった」と考え、「無かった」と考えるに至らなかったこと。やはりそこまで断言できるレベルで真面目に尾根を探し、方角が完璧に一致するか見るべきであった。

4.地形図をもっと信用すべきであった。地形図の地形が間違っていたら、地形図はなんの図なのか。

5.地形の特徴が地形図と少しでも一致しなかったときに、自分たちが思っていると違う場所にいるかもしれないという想定でのRFももっと積極的に行うべきであった。

などがあげられる。