この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2016年04月29日

M里です。今さらな感じですが、3/30~4/2に個人山行で西表島のヌバンに行ってきたので報告します。メンバーはM崎・M里の沢メン2人と、O田・F田・家Dの縦走メン3人です。イダ浜から入山して西山林道を使い、ウダラ川、アヤンダ川、ウボ川沿いの山中の道を通ってヌバンを往復するという計画でした。ヌバンにたどり着くまでの行程が、縦走メンにはかなりきつかったかなと思います。海岸沿いを歩くからこそ海岸歩きは楽しいということが身に沁みて分かりました。ヌバンでの沈は十分すぎるほど満喫してきました。詳しくは追記にて。


写真:http://photozou.jp/photo/list/2619556/8830307


3月29日(火)

早朝にBOX集合。宗里は寝坊。高橋は風邪で残念ながら来られず。河村さんの運転で関空へ。枚方で家田を拾って朝6時に関空到着。ワンゲルタクシーはこれにて店仕舞い。河村さん、これまで何度もお世話になりました。ありがとうございました。peachで7:40に関空から飛び立ち、10:10石垣空港に到着。マックスバリュー近くのバス停で降りて、食料の買い出し。米が重い。昼飯時でおなかも空いていたので、港に向かう途中にあった食堂に入って腹ごしらえ。のりば食堂というお店で、石垣島3回目の宗里と宮崎は何となく聞いたことがある名前だったが、それだけにとてもいい雰囲気のお店だった。八重山そばを食べた後は、のんびりフェリーターミナルまで歩く。八重山郵便局で局留めしていたザックを受け取り、ガス缶と銛を買ってから、しばらく自由行動。商店街をぶらついて試食を食べたり秘密兵器を物色したり。JAの品揃えが中々よい。港で西表島の沢に行くという北大の方々に出会った。うちのBlog報告を参考にしたと言う。見てくれている人もいるんだなと思うと同時に、下手なことは書けないなと実感する。フェリーで西表島上原港に上陸。西表島も3回目ともなると感慨が薄れてくる。舟浮ではホタルが飛び交っていた。星も見える。この日が一番きれいに晴れていた。


3月30日(水)

朝、ものすごい湿気。あらゆるものの表面が結露していた。

7:15 イダ浜。入山。縦走メンはいきなり海に腰まで浸かることに戸惑っていた。

7:52 西山林道入口。入口の少し先で迷った。黄色い杭ではなく、テープを辿るべき。はっきりした歩きやすい道である。ハコガメに3匹ほど遭遇。

8:57~9:02 西山林道出口。レスト。

9:52~10:07 ケイユウオジイとシロの浜。レスト。ここからウダラ川に突入。まずはウダラ川右岸のマングローブを歩き、川が浅くなったところで「林野庁森林管理署」のピンクテープを発見(地形図上のウダラ川の「川」の字辺り)。しばらくはテープもあって分かりやすい道。

12:05 1つ目の分水嶺。ひたすらテープを探して歩く。テープを見失っては皆で探し、道に戻るということを繰り返した。このころには縦走メンも、どこもかしこも道に見えてしまう病に罹っていた。

14:55 2つ目の分水嶺。最後の詰め上がりでテープを見失ったので鞍部よりも南側に出てしまった。ヤブを漕いで分水嶺の鞍部に出ると、「CUCT2007」というテープがあった。変化が少なく道のりも長く、体力的にも精神的にも厳しい時間だった。太田と藤田の口数があからさまに減っていく。家田は割と飄然としていた。この間に銛と宮崎のカメラが失われた。

15:20~15:35 ウボ川本流の横でレスト。

15:50 ウボ川河口。ちょうど干潮で、崎山湾が広々と干上がっていた。この光景に太田は感動したようで、元気を取り戻していた。藤田は相変わらず疲労困憊の体であった。

16:45 ヌバン到着。船がいる。「破天荒英丸」の文字を見て取った宮崎と宗里のテンションは急激に下がっていった。


ヌバンに着いてとりあえずテントを張る。明日からの天気がどうなるか分からなかったので、天気がいい今日のうちに1回泳いでおくことにする。藤田は疲れていたのでこの日はパス。すっかり夕方の空になっていたので、少し寒い。それでも海で泳いでいる間はあまり寒さが気にならなくなる。1mほどのサメを見た時は興奮した。僕はこの日魚を1匹突いたのだが、皆疲れていて魚を調理する元気もなく、誰もあまり喜ばないという哀しい結果に終わった。結局山行全体を通して魚を獲れたのはこの日だけだったので、タイミングが悪かったとしか言いようがない。ヌバンのリーフは変わりなく美しかった。寒いので焚き火で暖を取る。夕食を食べ、秘密兵器を出し合い、魚の煮つけを食べ、焚き火を囲んで、就寝。


3月31日(木)

ヌバン1沈目。天気予報はあまりよくなかったのだが、結構晴れていた。3回くらい泳いだ。光がある方が、海の中は圧倒的にきれいである。昼からずっと焚き火をして時間をつぶす。太田と藤田は焼くのだといって半裸で過ごしていた。後で痛い目を見ると僕と宮崎で何度も言ったのだが。この日は夕方から雨の予報だったが、全然降らない。夜、そろそろ寝ようかという時になって急に強い雨が降り出した。運がいい。


4月1日(金)

ヌバン2沈目。ついに4月である。4回生である。まさか今年も西表で新年度を迎えることになるとは……。この日は終始雲が多め。それでも泳ぐ。そしてずっと焚き火を囲む。秘密兵器の海ぶどうを食べたりじゅーしーを食べたり黒糖を食べたり。食べてばかりだ。暇だったので岩に登って航空写真っぽいものを撮ってみたりした。最後の夜ということで焚き火を囲んで記念写真を撮ることにしたが、これがまた焚き火が下から照らしている感じといい周りの暮れかかっている夕方の感じといい、偶然にもうまく撮れていた。お気に入りの一枚なのでぜひご覧ください。あとは秘密兵器を全部放出し、焚き火の周りでのんびりぐだぐだしていた。持ってきた泡盛とビールは意外にも全部消費された。もうヌバンは十分満喫したと思う。


4月2日(土)

5:00 起床  6:35 出発。この日になってようやく破天荒英丸は姿を消していた。

7:30 ウボ川河口。潮が高いのでかなりウボりながらなんとか上流へ。ここは行きの時は道など考えずに沢沿いを下っただけだったので、帰りもとにかく沢沿いを登った。

8:35~8:45 分水嶺。レスト。テープと行きの記憶をたどって道を探しながら歩く。

10:05 アヤンダ川本流出合。ここからアヤンダ川を下降した。ゴーロ帯があったが特に問題はなかった。去年はゴルジュを巻いたりアヤンダ川本流の左岸の道を通ったりした覚えがあるので、多分いくつか道があって、去年と今年で違う道を通ったのだろう。

10:55~11:05 アヤンダ川沿いのマングローブ林でレスト。アヤンダ川は大きなトロのような川で、腰まで浸かったりへつったり泳いだりを強いられた。

11:20 アヤンダ川河口。網取湾を突っ切ろうとしたが、胸まで浸かったりしてかなりきつかった。ここまで太田と藤田はかなり難儀していたが、家田は沢メン2人にさくさく付いてきていた。家田、強し。

12:20~12:30 西山林道入口。レスト。

12:50 西山林道出口

13:30 イダ浜。下山。


舟浮のフェリーまで時間があったので、濡れたものを乾かすことにした。ここで宗里のスマホと財布がいつの間にかザックの底に入り込んで、水没するという悲劇が起きていた。今後の行動を話し合う。宮崎と宗里は懐かしの地、大原(宮崎曰く第3の故郷)に泊まることにする。家田も大原に泊まり、太田と藤田は石垣に泊まることになった。


翌日は各人別行動で、それぞれ八重山の観光を楽しんでいたようだ。僕は西表島を原付で爆走していた。個人的には野生生物保護センターとウダラ炭鉱跡はお勧めである。石垣離島ターミナルに18時に集合し、食べ放題のお店で打ち上げ。この日は全員美ら宿に泊まり、あとはそれぞれで観光などをしたのち、ばらばらで京都に帰っていった。