この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2016年03月28日

どうも杉原です。

先輩の協力を借りながら若干強引に通過した西表島縦断PWの記録をupしておきます。

本来は部内公開にする予定だったのですが、駐在所と営林署の両方にレジュメを提出して、かつ下山連絡などは電話で直接話したのですが、これと言ったお咎めが無かったので公式に公開することにしました。

民宿やまねこのおじさん曰く、大学の団体は記録を持っているので営林署や駐在所は多めに見てくれるとのことでした。


縦断をしたのは間違いないのですが、成功と言えるかどうかは怪しいというのが鈴木を始めとした我々の意見です。


メンバー;杉原(CL)、鈴木(SL)、村瀬(Sec)、岡和田、大柳


写真:http://photozou.jp/photo/list/2619556/8823778



3/7

鈴木以外が関空で前夜泊した。僕は3/1以降ずっと風邪で寝込んでいて、その時もまだ治っていなかった。


3/8 天気:そこそこ晴れ

 いきなり岡和田が問題行動を起こしてきた。耳抜きのやり過ぎで耳がおかしくなったらしい。彼が関西国際空港で親と耳について電話している時に、「だってさ、耳抜き楽しいじゃん。だからいっぱいやりたくなるじゃん。」とか言っていて???という感じだった。本当に迷惑なヤツやな、と思いながら石垣島に到着した。彼は耳鼻科に向かって、ちゃんと治ったようだった。

 岡和田が耳鼻科に行っていたのもあって、ドタバタしながら西表島へ行く準備をした。先に村瀬と大柳が西表島に向かった。今回、ボート、村瀬のザック、大柳のザックは西表島に局留めしたので、時間制限があったのだ。少しすると西表島へ向かうフェリーに乗り込んだ大柳から電話がかかってきた。「上原の方の郵便局に局留めしちゃいました。」とのこと。よく調べてみたら上原の方にあるのが西表島郵便局で大原にあるのが西表大原郵便局だった。ややこしいな....。ボートも間違って上原に送っていた。幸い大柳の電話での対応が早かったおかげで、ボートも含めて西表大原郵便局に翌朝受け取ることができるようになった。

 せわしいながらも民宿やまねこでようやく全員が合流できて、野原荘のおじさんに挨拶に行った。すると去年の分のエピ缶を大量に渡された。申し訳ないがいらない...。メッチャ邪魔やねんけど...。

 夕飯を食べて、村瀬と大柳以外の人たちで用意をして就寝。


3/9 天気:大雨のち小雨

 天気予報では曇りと小雨が続く一週間だったが、曇る分には問題ないだろうということで入山することにした。朝はそれなりに雨が降っていたのだが、13時50分のバスに乗る頃には晴れていた。


14:45 入山口に到着。海中道路に入る手前で降ろしてもらった。カーブミラーらしきものはなかったのだが、干潟に降りる階段があり、地形図の道も海中道路の手前から伸びていたので、そこから入山することにした。


14:50 小雨が降っていたが一日目の行程は短いので気にせず入山した。


15:15 小道の入口にある浮きを発見した。


15:45 小道にはテープがあり、テープ通りに進むと渡渉地点に到着。


16:00~16:14 ピナイサーラ滝下。集合写真を撮った。水量が多いような気もする...。


16:39 巻き始めの地点に到着。遡行図には渡渉地点まで戻るように書いてあったのだが、それに気づくまでにかなり時間がかかってしまった。かなりしっかりとした踏み跡があり、テープもあった。CS可らしき場所を発見したものの、行動が遅いと言われているパーティーだったので、取り敢えず進んでみてCS可を探すことにした。


17:03 ピナイサーラ落ち口。ここもCS可らしいのだが、どこがやねん、という感じだったので進む。


17:10 少し進んだところのテラスをCSにした。広さはなかったが、凹凸や傾きは悪くなかった。さらに先にはトロがあり、大柳がそこにカニ網(餌を仕掛けるとカニはその網に絡まって逃げられなくなるらしい)を設置しに行った。少しするとモクズガニという手にふさふさした毛を持っているカニを捕獲してきた。彼は民宿やまねこに泊まっていた他の宿泊客からそのカニを食べてなんともなかったという情報を入手していた。しかし去年、「カニは食べれない。」ということを教えられていたので、その情報に僕は疑心暗鬼にだった。まあ、そんなことは知るかよ、と他のメンバーはモクズガニのカニ味噌までたいらげた。大柳のカニ裁きは上手かった。さすが福井県民。しかし、モクズガニもピナイサーラを巻いてきたのか...。海と川を往復している生き物らしいので、どこからかピナイサーラの落ち口に到着したようだ。優秀なヤツやな。是非、岡和田とチェンジしたい。

 カニ汁にはオオタニワタリという雑草もほり込まれた。その草も食べられるらしい。1日目だけ、そういった類の料理を分けてもらったのだが、モクズガニのスープはカニの出汁が出ていて、オオタニワタリは草の味がした。以降、周りのメンバーは毎日行動しながらオオタニワタリの新芽を採集し、食べていた。野菜を摂取できない後半は健康に良い、のかな?

 辛いもの好きの大柳はコーレーグースも大量に投入していて、縦断を終えるころには一本使い終えるであろう勢いだった。大柳は泡盛がかなりいけるようで、今回の山行中どんなに疲れても必ずテント内で泡盛を呑んでいた。シークアーサー泡盛のような飲みやすい泡盛の方が人気があるだろうと思い、そのような泡盛を気持ち多めに持って行っていたのだが、どなんの方が圧倒的に消費が早かった。


3/10 天気:曇りのち雨

5:30 起床。昨晩はかなり降ったようだった。川を見に行くと確かに増水している...。大柳がカニ網を仕掛けていたトロが凄い勢いで流れていた。あれ、トロって淀んでるもんじゃないんか?


7:23 出発。朝二つ目のカニ網を取りに行った大柳がより大きなモクズガニを捕獲してきた。そいつは鍋に入れて持ち運び、今夜の夕ご飯にしよう!ということになった。

 出発してすぐにコンパスが無くなっていることに気づく...。鈴木にも注意された。申し訳ないm(__)m

岡和田からコンパスを借りることにした。


杉原「岡和田コンパス貸してよ。」

岡和田「いいっすよ。僕もRFしなくていいんで。win winですね。」

杉原「...。」


8:20 15m滝下。左岸巻き。ルンゼを少し入ったところにテープがあった。


12:30 小さなルンゼに入った。偵察した結果、ここを分水嶺越えすれば上手くいくだろう、ということになった。雨がきつくなってきたので分水嶺手前を開拓してCSにすることにした。傾斜は少ないものの、凹凸は酷かった。下に草を敷くと気持ち少し平らになった気がした。(実際は全くと言っていいほど改善されていないと思う。)テントも汚れないからいいんじゃないか?ということで毎晩草を敷くことにした。岡和田に天気図を描いてもらった後、暇なので寝た。天気図を見ると停滞前線ができていた...。


22:00 起床。夕ご飯でも食べるか、ということで夕食になった。モクズガニも登場。大柳が持ち合わせていた味噌で味付けがなされた。美味しいらしい、僕は食べないが...。

 このころから僕の風邪が周りに伝染し始めた。僕は咳と鼻水が一向に止まらなかった。しかしグロッペがトロで水没したため、鼻をかむ紙が無く、川に行って鼻水を出していた。第一感染者は大柳で彼は関空に居た頃にはすでに感染していたようだった。いつごろだったのかは忘れたが第二感染者は村瀬で、彼は石垣を去る最終日まで咳をしていた。本当に申し訳ない。そのころ僕の運んできた風邪によって杉原家も全滅していた、ということを下山してから知った。ごめんねと思いながら就寝した。


3/11 天気:小雨

5:00 起床。みんなあまり寝れなかったようだった。別にこの日に限らず、毎晩どこからかテントは水没し、かつ凹凸で寝にくかった。


7:10 ようやく出発。このパーティーはどんなにせかしてもこれが限界なのか...?


7:24 偽の分水嶺。一つ手前のルンゼに入っていたようで、分水嶺を越えると再び本流に戻っていた。偵察してすぐに正確な位置が把握できたので、その後はスムーズに分水嶺越えができた。


10:03~10:15 イタジキ川8m滝の巻き終わりでレスト。(以降も同様に記録している時間が微妙なことが多い...。)


12:21~12:31 レスト。一体どこでレストしたのだろうか?

 イタジキ川のトロは大きいので、水線を動くことはできない。ずっと横をトラバースしていた。

 幅広7mでザイルを連結して、いざマヤグスクへ!地形は感動的なものだった。今まで見たどのゴルジュよりもすごかった。イタジキ川は確かに神秘的だが、マヤグスクの魅力が他の印象を全て一掃してしまう。この水量がゴルジュに入るのか...。四年前にマヤグスクでビバークした例があるので警戒していた。特に大柳や鈴木は不安がっていた。テラスが思っていたよりもかなり歩きやすかったので、渡渉地点を見てその後を考えることにした。もしも渡渉が厳しそうな場合は水が引くのを待つか、3時間を要する大高巻きを用いるしかない。懸垂下降地点でセルフを取って渡渉地点を覗いたところ、こりゃいけるぞ!と鈴木と二人で喜んだ。


杉原「下に降りたら渡渉して、あそこらへんから手を振って。たぶん見えるから。もし見えなかったら渡渉できなかったと判断するわ。」

鈴木「了解。鈴木降りま~す!」

杉原「...。」

鈴木 ピー

杉原「鈴木見えないな...。まあ、村瀬降りるか。」

岡和田「懸垂下降楽しみだぁ~」

杉原「岡和田、お前ハーネスねじれてるから穿きなおせ...。」

岡和田「あ、はい」

杉原「大柳、先に降りて渡渉できたら向こうに渡って手を振ってくれ。鈴木忘れてるかもしれなから。」

大柳「はい。」

(そして大柳も降りる。)

大柳 ピー

杉原「...。大柳見えないな...。」


とうとう自分の番になった。マヤグスクの空中懸垂は怖かった...。よく鈴木はTopとして降りたな...。まあ降りるしかないのだが。降りたらみんな笑っていた。コイツら渡渉できなくて頭おかしくなったのか。


鈴木「この懸垂のロープを使って振り子のように渡渉しよう!」


 普通には渡渉できないらしかった。試しに水に近づくと水量はさほどないように見えるが、水が速くて、足元がすくわれそうな感じがした。やはり厳しかった。右岸から降りるのも厳しそう...。

 まあそんなことは忘れて集合写真を撮ることにした。はいチーズ、わはは!

 四年前のビバークはあくまで失敗例なので参考にすべきではないと思います、と一回生たちが懸垂下降前に言っていてまさにその通りだった。(なかなかしっかりした一回生たちだな。)しかし、そんなことを言っていた一回生たちもある程度笑っていられるのは何故かというとマヤグスクのオーバーハング下がテン場として非常に快適に見えたからだった。今までテン場の凹凸や水没に悩まされていた我々から見ると、オーバーハング下は雨の中、全く濡れておらず、ビックリするほど綺麗に研磨されていたのだ。ここに泊まるのも悪くないな、ゴクリ。いやいや、展望台まで進まねば!


15:50 鈴木考案の斬新な渡渉方法で難なく渡渉成功。見たこともない渡渉方法。何気に鈴木がザイルの端を支えているので、ちゃんと元の岸に引き戻すことができる。無事引き抜きもできた。しかしショックなことにメインザイルの一部が痛んでいた。恐らくザイルダウンした時にザイルが水に流されて、それを引き戻すときに痛んだのだろう。端から数mなので問題ないと判断した。

 岡和田は「懸垂下降楽しいなぁ~」と言いながらうろちょろしていた。稀に目をやると水流の真ん中近くまで行って、ぐへへへと笑っていた。そこまでいけるならお前ザイルなしで渡渉できるぞ...。


16:00~16:25 天気図レスト。寝る村瀬。どこでも寝るな...。岡和田もシュールだった。寒さでみんな疲労困憊していた。

 よし、天気図取り終わったし行くか!と言った瞬間に岡和田が水たまりの上に天気図を落とした。


岡和田「やっちゃいましたね、ぐへへ。大丈夫ですよ軽傷です!」

杉原「...。」


しかしマヤグスクで天気図レストとは...。展望台までまだまだあるぞ。

いつも集合写真を撮っているところには体力、水量から行けなかったが一応集合写真は撮ることになった。


浦内川に合流したところで横断路を上流から来た人と出会って話した。渡渉地点が増水していて分からなくなっていたようだった。橋などはないであろうことを伝えて、暗くなってきたので先を急ぐことにした。


18:23~18:25 レスト。


19:50 暗くなってきたのでテープを見失った。カンピレーのスラブが歩きやすいのでそこを進もう、ということになったのだが、途中でスラブが途切れてしまった。もう真っ暗。登山道があれば展望台まで進めるのだが沢沿いをこれ以上動くことはできない...。一回生たちも寝やすいであろう展望台のテン場に期待して進んでいたものの、レストがほとんど取れていないので厳しい様子。早くCSに着きすぎたらどうしよう、観光客が去るのを待たなきゃいけないなぁ、面倒くさい、なんて言っていたのがアホみたいだ。

 そんな時、大柳が「先輩!一回生がもう限界です!」と言ってきた。限界なら...しかたあるまい。停滞前線も消えたようで、これ以上増水することもないと思われる。カンピレーのスラブでCSすることにした。

 11時間行動のせいでお互いの利他行動が減った。「~が必要やな。」「うん...。」そして誰も動かずフリーズ、という流れが以後定番となる。

 さらに朝ご飯のパスタが行方不明であることが発覚した。いやでもどっかには流石にあるやろ。寒いので寝た。


3/12 天気:霧雨

5:42 寝坊した。いつも村瀬が携帯でアラームを設定してくれていたのだが、「携帯いじってたら昨日、電源切れました。」とのこと...。いつもありがとう、でも言えよ...(笑)

 カンピレーのスラブはCSとして好評だった。平らで寝やすかった。


7:11 出発。そこらじゅうを偵察した。ようやく登山道を発見したのは、スラブが終わる少し手前の右岸のテラスだった。昨日、最後の最後で間違たのか。まさかテラスの上だったとは。


7:53 マリュドゥの滝分岐。遊びに降りた。遅れて僕も降りると、大柳が頭を抱えていた。オオウナギを目の前で取り逃がしたらしい。ウナ沈を狙っていた彼は非常にショックを受けていた。


8:15~8:25 展望台。みんなの心がescapeへと傾く。しかし僕がescapeをすると言えばそこまでだろう。「進もうぜ」を連呼しとくことにした。他の四人全員が何としてもescapeしたいと言わない限りは縦断決行を主張してしてやる!僕も別に進みたくはないが!

 咳き込みながら大柳が出来れば縦断したい、と言った。やるなコイツ。なら進もう。展望台から伸びている尾根を降りていくと、まだ渡渉できそうなところがある。遡行図もそこが渡渉できると描いてあった。しかしまさか...ギンゴガーラへ渡れない...。逆に今までここで渡渉できていたのか??みんな帰りたそうにしている。何とかして渡渉地点を探さねば。下流は右岸の藪漕ぎが大変そうと鈴木が教えてくれたので上流に進む。すると、いくつか岩を経由すれば渡れそうな箇所を発見した。渡ったはいいものの、そこからギンゴガーラ入口までの藪漕ぎが大変だった。


9:46 なんてこったい、ようやくギンゴガーラの入り口。


10:15~10:23 レスト。ギンゴガーラは今回の縦断中最も沢登りらしい沢だった。やはりトロが少ないからだろう。


10:50 ギンゴガーラ滝下。


12:18 ギンゴガーラ滝巻き終わり。少し戻ったところのルンゼから巻くという遡行図の情報があって、その通りに巻いた。7m飛瀑を登るということだったのだが、最初に出現した滝は3mほどの滝だった。その後に7m飛瀑が登場した。落石注意。7m飛瀑は水線を直登するのがお勧め。巻きは踏み跡が分からず、どの辺までまけばいいのか手探りなところが怖かった。早めに降りると西表の滝の形状から断崖絶壁に出るので、気持ち少し大きくまけばいいのかな?と思っていたが、鈴木がジャストミートで落ち口に降りた。

 しかし巻き終わってザックを降ろすとウエストポーチを失くしていることに気づいた。うううっ。時間が押しているのは分かっているが、取りに戻らせてもらう。泣きそうになりながら探し回った。自分たちがどの辺を巻いたのかも分からず、比較的歩きやすそうなところを動き回った結果、奇跡的にウエストポーチを発見!ご迷惑おかけしました。


13:05~13:20 村瀬にザイルを出す。鈴木の攻めのクライミングによって後ろの村瀬が取り残された。鈴木が他を登った方がいいと言っていたので、後ろの三人は突破できたものの、着いて行った村瀬が登ることも降りることもできなくなった。登れるけど降りれない、というやつ。最終的にザイルを引っ張って、無事に突破した。


16:00~16:22 ギンゴガーラ上流にて天気図レスト。ギンゴガーラ上流はミニゴルジュが続く。入山以来、日光が照ることはないものの、最もマシな一日だったように思う。


17:03 難なく分水嶺越え。ここはCSし辛そう、とのことで進むことにした。17時越えて行動なんて当たり前だよね?という共通認識になるほど、毎日の行動時間が長かった。O路さんの言う通り、素で行動の遅いパーティーでした...。(本日も10時間越え)


17:57 今から懸垂下降は無理だ...ということで分水嶺越えをしてすぐに現れる8m滝手前を開拓してCSにした。このテン場が今回の山行中で最も酷いテン場だった。どれほど酷いかというと、これはどうあがいてもテン場にはならないやろ、というレベルだった。凹凸が尋常じゃない。岩をどけても窪みが辛い。傾きが辛い。そもそも6テンなんて張れるスペースじゃない。上流なので増水はないと思いながら設営した。また下に葉っぱを敷いた。そんなことで解決できるレベルではないのだが...。

 この日確認したところ、やはり朝ご飯のパスタを誰も持っていなかった。パスタどこにいったんや!取り敢えず、後0の食料や予備食を用いれば大丈夫だろう、ということになった。

 そして「村瀬の携帯のアラームが使えないのか、誰かがアラームつけないとね。」「うん...。」と言いながら誰も動かず、アラームを設定することなく寝た。


3/13 天気:くもり

5:38 寝坊した。またやっちゃた...。案の定、寝心地は最悪で、傾きを踏ん張るのに足が疲れたという意見が多かった。30°は余裕であるのではないかと思われる程の傾きだったので、そのような意見が出てくるのも自然な気がする。


7:30 出発。どうしても二時間近くかかってしまう。


7:40~8:40 8m滝を懸垂下降。岡和田は「懸垂下降楽しみだなぁ~」と言っていた。特に問題はなく右岸から懸垂下降できた。下から見てもザイルを使わずに突破するのは厳しそうだった。


10:47~10:57 ミニマヤグスクと言われる形状をしたゴルジュの大高巻き途中でレスト。懸垂下降を二回ほどすればゴルジュ内を突破できるという情報があったのだが、大高巻き一時間と懸垂下降二回を比較した結果、大高巻きすることにした。


12:10~12:21 一本西のルンゼと仲良川の合流地点付近に降りてレスト。降りたところはそれほどずれていなかったのだが、尾根の動く場所が良くなかったせいで大幅なタイムロスをした。早めに尾根に乗って動くと踏み跡らしきものがあったのかもしれない。少なくともRFはしやすく現在地の把握がスムーズにいっただろう。たしかに最初はトラバースしやすかったが。巻き始めは踏み跡らしきものがあったように思われるので、踏み跡を積極的に探すもしくは、意識して尾根に乗ることを強く勧める。地形図を見ても分かるように現在地を正確に把握して、上手い具合に降りなければ傾斜がきつ過ぎて降りれない箇所だらけである。最後に降りたところも少し無理矢理な感じがあった。

 最後の最後に大柳がズルズルと滑り落ちたが怪我はなかったようだった。少し熱っぽく、頭が痛いようだった。


13:52 仲良川10m滝巻き終了。大柳は少し辛そう。しかしペースは遅いながらしっかりと動いていた。個人的にこの滝の巻きが最も難しかった。遡行図にある通り、ズルズルかつ傾斜がきつかった。最後に通過するのでズルズルもよりいっそう酷くなっていた。傾斜がある分落ちると結構大変なことになりそうだった。


15:28~15:44 レスト。ちゃんと一時間おきにレストを取ったほうが良かったと今になって思う。CLは無駄な動きが少ないので体力的に余裕が出やすいのだろうが他のメンバーはそうではない。大柳の体調もほぼ確実に僕の風邪が原因だったので、もっとペースを合わせてあげるべきだった。ごめんなさい。


16:58 分水嶺越え。ここも難なくクリア。CS向きではないので進むことにした。


17:20 分水嶺を越えて、斜面を少し上がったところに比較的傾斜の緩いところがあったのでCSにした。僕の記憶ではこのテン場もなかなかに酷かった。幸い僕の寝ているところは上手い具合に岩と岩の間にすっぽりとはまり込むことができて、絶妙なフィット感だった。鈴木も同じようなことを言っていた。しかし夕ご飯を食べながら何故か椅子があったような記憶がある。各々マイチェアーに腰を掛けていたのでご飯が食べやすかった(テン場内の話です)。

 明日の朝ご飯になる予定であったパスタが行方不明なので、その晩の米一合を半分にして、残りの半分を明日の朝ご飯にまわすことにした。パスタどこに行ったんや...。民宿に戻ってからもパスタは見つからなかった。マックスバリューから離党ターミナルに運ぶ最中に袋が破けて落ちたという説が有力。そのパスタを補うかのようにオオタニワタリを食して寝る。本日も約10時間行動だった。


3/14 天気:小雨のち曇り

4:55 良いタイミングで目が覚めた。夜中に数時間大雨が降って雷が鳴っていた。シュラフが水没した者が夜中に呻き声を上げていて、途中大柳が体育座りしているのも確認できた。朝起きた時には小雨になっていたので7時出発(二時間で用意することが前提に起床している。)を目指して用意したのだが、出発直前に再び大雨が降った。テントに逃げ込んで、何とか今日を最終日にしたいと願う我々は寒さで震えながら雨が止むのを待った。


7:25 出発。まだ今日中に下山できる可能性はあるぞ、とみんなで最後の力を振り絞る。村瀬のコンパスが紛失した。


8:40~8:52 仲間川本流出合い。レスト。やはり仲間川本流の水量は多く、早めに渡渉しておいて正解だった。


9:13 未知の沢入口。


10:50 二段二条15m滝下。滝があるであろうと予想されていた箇所に登場。ここまではゴーロ帯やトロ、2m未満の滝の連続であった。トロが比較的少なめでギンゴガーラに似た沢だと感じた。一応、簡素ながら遡行図を取りながら行動した。


11:02 巻き終わり。右岸のルンゼから巻いた。非常に巻きやすい滝で今回の山行中最も巻きやすい滝だった。巻き終わりの地点はCS可で、藪も薄く動きやすかった。


11:13 5m滝。何故か岡和田がTopで巻いた。岡和田は最終日でもそこそこ元気に動いていた。「なんかRFしたくなってきたなぁ~」とまで言っていた。それなりに体力が残っているせいか、僕にタメ口で話してくることが多くなった。「優君、コンパスを返しなさい。」とか言われた。


11:41~11:51 レスト。


12:40 最後の分水嶺越え(ミス)。僕が、恐らくここであろう、と言ってルンゼに入ったのだが、なかなかコルに出られずトラバース気味に動いた。ようやくコルに出るとそこから海が見えた。下に見えるルンゼの方向が仲間川に向かっているように見えたのだが、濃い藪でみんな疲労していたのでそのまま降りてしまった。尾根沿いを正しい分水嶺まで動くのは不可能だと思われる程の藪、というかもはや植物の壁。最悪、水の流れる方向が間違っていても再び南へ向かって分水嶺越えをすれば問題なく軌道修正できるであろうという話になった。案の定、仲間川支流に入ってしまったのだが、もう一度分水嶺越えをすることで無事ルートに復帰できた。なにせ南側の藪は酷い。北側の藪とは全く質が違う。鈴木よーやるわ。


(そしてここで記録がいっきに跳ぶ。というか何も無かった。黙々とルンゼを下った。特にレストもなし。)


17:45 海岸に無事下山。未知の沢として遡行したルンゼよりも、分水嶺後の海へと抜けるルンゼの方が傾斜がきつい分、大変だった。2~4mの滝がゴーロ帯の模様で連続していた。海が見えて期待が高まってからが長く、精神的にも辛い思いをした。何故か岡和田は釣り竿を縦断中ずっとザックの横に挿していたのだが、濃い藪に引っ掛かり、やたらと伸びていた。それを後ろの大柳が直すということを繰り返していたのだが、大柳が少し岡和田が離れ気味になっている間に、岡和田の竿は真っ二つに折れた。玉盛スーパーにも竿の在庫はもうなかったので、本当に何で持ってきたのか分からない。


 下山後、濡れたズボンの股ずれで痛い思いをしながら大原まで歩くことを想像すると絶望的だった。取り敢えず、民宿やまねこに泊まれるかどうかの確認をしたところOKとのこと。大原まで向かい始めてすぐに折り返しの電話が民宿やまねこからかかってきた。電波の悪さと方言?から何を言っているのか正確には把握できなかったが、どうやら迎えに来てくれるらしかったので、甘えて運んでもらった。本当に助かりました。



 皆さん、本当にお疲れさまでした。(縦走と合わせると五泊ぐらいしたことはあるものの)一回生に関しては沢において最長一泊しかしたことがなく、僕と鈴木も屋久島での二泊が最長だったので今回の山行は間違いなく体力的にきつかった。本来、沢メンなら縦走でのテン場よりも沢でのテン場を好むだろう。それは焚火ができるとか水場が近いとかいうのが理由としてあげられると思うのだが、今回焚火は一度もしなかった。西表の記録だからそう言わざるを得ないのではなく、本当にしなかったし、そもそも雨でできなかった。水も濁っていて汚かった。増水していても、していなくても濁っていて汚い。最後は全身傷だらけ、虫刺されだらけ、打ち身だらけ。特に鈴木の手のひらは酷かった。傷には泥が塗り込まれ、もう発狂しそうにだった。


帰りてぇ.....。

しかし、まだ海岸歩きとかいうイベントが残っているのであった。


一回生たちは「来年はもう西表の沢いいですわ...。」とか言っていた、が僕と鈴木のお勧めである〝仲良川・仲間川遡下降”で是非、完全横断を果たしてもらいたいと思う。本流を動き続けるので生き物は沢山とれるのではないだろうか?


あと、RFと藪漕ぎをかなり頑張ったので、このPWを藪として認めてもらいたいです。もし藪として認められれば、後期は完成ということになり、無事一回生が四月から役員になることができます。(なりたいのかどうか別の話として。)


海岸歩きへと続く...。