この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。

2016年02月08日

どうもこんにちは杉原です。

2/6・2/7で奥山谷に行ってきましたがエスケープ下山しました。


写真:http://photozou.jp/photo/list/2619556/8797418


今回の山行に行くことになった経緯としては、村瀬の足の調子が悪く、撤退が連続して続いているうちに完成編として予定していた絵馬小屋谷に行くことができなくなったということがあげられる。結果としてエスケープ下山することになったが、やはり今から考えても不可避なエスケープであったと思われる。奥山谷での詳細とエスケープ下山になった経緯は以下を読んで頂きたい。


(波乱万丈でしたが、それとは別に一生懸命に取り組んだ面もあったので、それは文章の中に混在しているものの、区別して読んでもらえると助かります。)


2/5

21:30 BOX出発。岡和田が広場から出るときにウインカーとワイパーを間違えて動かしたのだが、それに対する岡和田の言い訳が「正月にベンツ運転しまくったからなぁ~」だった。この発言は今回の山行を通して自分の中でハイライトになった。さらに岡和田の「家の中でラジオがどっかに行っちゃったんですYO」宣言からラジオ探しの大冒険が始まった。


23:30 コンビニ9件目にしてようやくラジオを発見!岡和田いわくバイト先のローソンではラジオを取り扱っているらしく、ローソンを集中的に探したのだが、最後にラジオを発見したのはファミマだった。「ラジオが緊急で必要になる場面なんてそうないやろ。」とみんなで言っていたものの、ちゃんとコンビニにはラジオが置いてあり、取り合えずはラジオ撤退を回避した。


2/6

5:18 奥山谷と小原谷の出合に車を駐車した。アプローチはとんでもなく悪く、全くおすすめできない。


5:33 用意をして出発。沢靴を通して地面の冷たさが伝わってくる。足の感覚が麻痺し、さらにズキズキとした痛みがあった。まだ入渓もしていないのにこれはヤバい、それは分かっていても今回はどうしても引き返すことができない事情があったので、全く心が進まなかったが、入渓地点まで一生懸命歩いた。


7:10~7:15 入渓地点の橋に到着。ここまでの道のりは「そこまでしてここに道を通したかったのか...。」と思うほどに無理矢理であった。RFをした後に、橋の進行方向からみて右側から入渓しようとした。遡行図にも書いてある通り急傾斜で、ここで村瀬が滑落したのだが、運よく木につかまって大けがはしなかった。村瀬は顎と腕を擦りむいて痛そうにしていた。ここも含めて奥山谷は、落石注意という言葉では表せないほどに落石注意であった。


7:57 二つめの2条5mを左から巻いた。滝の横を登ろうとすれば登れたのかもしれないが、足の感覚がなかったので細かいスタンスに乗ることができず、指もかじかんでホールドを掴むことができないということから巻くことにした。


9:18~9:27 レスト。この時、僕は寒さで意識が朦朧としていたのだが、鈴木は元気そうにしていて、ここまでもかなりチャレンジングなへつりに挑戦しまくっていた。本来はそれほどチャレンジングなへつりではない所も、今回に関しては水に落ちると本当に死ぬので、僕としては「なんでこいつこんなに挑戦してるんだ?」という感じだった。しかしここで鈴木の登攀能力が高いということが証明され、この後も頼もしい登攀を繰り返してくれた。寒さの話をすると、足の痛さは水に足を浸けていようがいまいが、痛すぎてもはや変わらなかった。


10:42 甚五郎滝下。奥山谷は簡単に説明すると、地形が凄い→ナメ→つまらない→唐突に甚五郎滝→圧倒的なゴルジュ→12m前後の滝を巻きまくる、という感じで、この滝の出現には驚いた。とりあえず集合写真を撮ろう!ということになり、Party内で最もハイスペックだと岡和田自身が連呼するニコンのデジカメによって集合写真が撮られた。これ以降、奥山谷はやっぱり3級だな、ということを思いしらされるような登攀が続くことになる。


11:30 巻き途中の尾根上。計画通り、右岸の岩の切れ目を登って行った。ここの登攀も容易とは言い難いもので、TOPの鈴木は本当によくやってくれたと思う。ここまでの落石は本当に酷かった。まず落石がでかいし、それが落ちてくると、急斜面のせいで転がるというよりも落下してきた。


11:36~12:07 少しレストを取った後に、キレット状になっている尾根を左側から巻いた。事前の情報が無ければ、絶対に尾根の内側をトラバースしていたので、本当に危なかったと思う。そもそも尾根の外をトラバースするということはもはや別の谷に入り込んでおり、こんな巻き方をしたら大抵の滝は巻けるやんか!という感じだった。ここからもう一度尾根に復帰するまでは急斜面で、木も岩のせいで根がはれておらず、少し怖かったが、頼りないなりに木もそこそこ生えていたので、最悪落ちてもひっかかるように思えた。

ルンゼを発見したので直登し、尾根に復帰すると尾根の向こう側から赤テープが見えてきて、やはりここで正解だということを確信した。


12:57 巻き終わり。尾根からルンゼを下ってきた。最初はルンゼか分かりにくいものの、すぐに両側が岩場になってきたので、それらの間を下った。ここでも落石は本当に危なかった。実際に、自分の落とした落石が大柳の足に当たって痛そうにしていたので本当に申し訳なかった。そのあと、巻き終わったあたりから、また大柳は順調に動いていたので一安心した。


13:07~13:47 少しレストをとった後に出発すると、狭いゴルジュが出てきた。このゴルジュはかなりインパクトがあった。なかは直登の連続で、指がかじかみそれなりに怖かった。


13:47~14:22 2段18mの二段目?(ゴルジュの中が一つの滝のようになっていた。)は高さがあったのと、TOPの鈴木が手こずっていたので、鈴木が登り終わった後にザイルを要求した。鈴木の後ろをついて登っていた村瀬は少し手こずっていたものの、すでにフリーで登っていた。村瀬の後続である岡和田にはトップロープで登ってもらったのだが、支点がないので、途中ジグザグに動く動作に支障がないよう、ザイルを張り過ぎないように鈴木に伝えた。トップロープの岡和田が思った以上にサクサク登ったので、自分がフリーで登ってみたところ、最初のスタンス・ホールドが細かいので難しいものの、そこは落ちても水に落ちるだけ(←死)であり、そこを越えると簡単だった。よって、大柳にはフリーで登ってもらった。


15:36 最期の二股手前のCS可に到着。ここをテン場とした。ここに着くまでに、鈴木のコンパスが岩に叩きつけられて逝った。

テン場に着いてからは焚き火の木を集めたり料理をしたりしたはずなのだが、この時僕は眠気が絶頂期で記憶がほとんどない。しんどさと眠さで、焼きそばの第二弾を食べることがなく、僕は17:00に先に就寝した。やっとのことで焼きそばを山で食べれた感動をもっとみんなと味わいたかった...。


18:00 鈴木が就寝したらしい。


19:00 一回生たちが就寝したらしい。「寒いのによくずっと外にいられるなあ」と思っていたのだが、一回生たちにとって、まともに焚き火が成功したのは、前期の奥口以来だそうで、テンションが上がっていたようだ。


2/7

2:30 テントで寝ているときに寒さで目覚めて、「まだ~時かよ!」となることはしばしばなのだが、この時は異常だった。あまりの寒さでつま先がおかしくなり、いくら頑張っても治らないので、体育座りをしたところ、鈴木も体育座りをしていて、大柳が起き上がり?(記憶があやふや)「熱湯を沸かしましょう。」と言い出した。誰も寝れなかったのだ。それをみんなが周知できて、深夜のテントの中で声を出してもいいと思えるほどに、全員の寝返りや体育座りが活発に行われていた。僕も、横で寝転がっている鈴木の震えが尋常じゃなかったので、その振動で、こいつ起きてるな、と思っていた。岡和田もすぐに起き上がってきて、みんなでガス缶を囲んだ。そんな時に起きてこなかったのが村瀬だった。尋常じゃない睡眠欲。(その後、大柳によって村瀬も起こされた。)

みんなで鈴木の紅茶、大柳のしょうが湯を呑んだ。言葉の通り、蘇るようだった。

起床は5:00と決めていたのでまだまだ時間があった。温かい飲み物を呑んで、体温も復活してきたので少し眠気が戻ってきたのだが、このまま寝転がると、また身体と地面の接地面積が増えて熱が奪われるという考えになり全員で体育座りやあぐらをかいて寝ることにした。僕は4:00ごろにもう一度目が覚めてしまったのだが、みんな体育座りなどをしたまま、ポテッと横に転がって寝ていた。


4:50 起床。あらゆるものが凍っていた。岡和田の汲んでいた水には氷が張り、大柳のジャージはL字のまま凍りつき、みんなの沢靴と沢用靴下が凍っていて履くことができなくなっていた。遡行図を見た限りはもうイベントもなく、主尾根まで距離がほとんどなかったので、登山靴やスニーカーを履いて、そのまま支尾根に乗ることにした。

7:14~7:22 RFをしながら主尾根に乗ってレスト。主尾根に乗ったときには岡和田の地図が消えていた。ポケットから落ちたようだった。しかしこれでちょうど、地図とコンパスが1セットなくなったので、鈴木の地図と岡和田のコンパスを1セットにして、とりあえずは藪のTOPをやることになっていた岡和田に託した。結果的に鈴木は一回生のRFを頻繁に助けていて、一回生としてもRFの勉強になったと思うし、Partyとしても失った地図とコンパスのセットを補ったり、他のメンバーと密なコミュニケーションを取ることができてよかったと思う。


8:45 905ピーク。踏み跡があるので道に迷うということがなかった代わりに、現在地を正確に特定することに努めた。僕は寒さでコンパスが回せず、足の感覚もなくなり意識が朦朧としながらのRFだったのだが、鈴木の積極的なRFの活躍によって小さな尾根も下まで降りて確実に発見することができた。岡和田のRFに関してだが、論外な場所を言うことは少なくなったものの、やはりRFの仕方がいまいち分かっていない様子だった。

ここまでの間にも登山道が尾根から外れることがちょくちょくあったのだが、逐一尾根に乗ってRFしていた。藪ということになっているので、水制限がかかっていたものの、誰も水など欲しておらず、少し口をつけたら残りは捨てていた。冷たい中で、一生懸命水を出してくれた人の所から、一時間おきに水を500ml捨てるという作業を繰り返していた。


9:52 足郷山までは方角が一直線で変化に乏しく、かつ横に伸びている尾根の数も少なかったので、現在地特定には少し手こずった。しかし足郷山に着くまでには、しっかしと現在地を特定することができて、無事山頂に到着した。


11:07 林道合流。足郷山から先は藪だったが、尾根上に岩があるため、植物も思うように茂ることができなかったのか、ちまちま剥げていた。足郷山から林道合流地点にかけては、北山 シンコボに行った際に間違えたのと同じような地形(結果的に今回の方が容易)だったので、入念にRFして乗り切った。

林道合流地点は唯一用意されていたエスケープで、ここまでの行動時間から推測されるここからの行動時間、尾根がキレット状になっている可能性(事実、ここまで歩いてきた尾根もキレット状の所が多く、甚五郎滝巻きで出くわしたような尾根にぶつかった場合、RFどころではなくなる可能性)、ここから先の尾根から林道に下りるには崖があるので下山地点まで行かなくてはならないので予備日必須、などの要因からエスケープするに至った。

ここでエスケープすることが決定したので、岡和田がプラティパスの水を捨てようとしたところ、凍っていたので出てこなかった。大柳の靴下もなお凍ったままだったので、村瀬と大柳はそれを使ってキャッチボールをしていた。このような寒さの観点からも、予備日を使ってもう一泊することには無理があると思われた。


13:22 下山。車のところに到着した。林道を用いてこの時間なのだから、藪漕ぎをしていれば必ずもう一泊していただろう。



今回の山行がエスケープすることになった大きな原因は二つあると思われる。

1つ目は計画段階で10kmのRF練習を設定していたことで、これは完成編と藪を同時にやらしてもらえるのだから、こちらは最大限の譲歩をして、距離をかせがなくてはならないという考えから生まれたものである。RF練習のルートにおいて参考にできる計画が何一つ無いなか、1km/時の計算をした。結果的に、この速度は登山道がついているところの速度だったので、登山道が無くなった先はより時間がかかるということが現場で判明した。歩きやすい、歩きにくいも行動時間に影響するが、RFをして歩くため、どんなに歩きやすくても一定の速度以上を出すのは難しいようだった。

2つ目は寒さである。入山する前から下山するまでの間、終始寒くて体力が奪われた。アプローチで寝れてないにも関わらず、テン場でも寝れなかった人が多かったことは大きく響いたと思う。さらにその寒さから、水に入ることができず、手足の感覚もなくなってしまい、遡行時間が思っていた以上にかかってしまった。しかし、これは結果として尾根に泊まらずに済んだという点で不幸中の幸いであったと思う。



上記の内容を参考にした上で、何か意見のある方、特に既存の西表島の計画から変更することが望ましいと思われるという趣旨の意見は2/11までに杉原へお伝えください。2/12に臨時役員会を開けなかった場合、次に開くことができるのは3/5なので、飛行機の予約が寸前になってしまいます。

ちなみに、今回のRF距離は3kmでシンコボのRF距離は4kmなので合わせて7kmになります。

出来る限りの努力はしたつもりですので、これ以上追加で山行に行く予定はありません。


<感想とそれに対するコメント>

村瀬「ひたすらに寒かった。山は冬に行く場所ではないと痛感した。少しだけ藪で任されたtopは想像以上に難しく、RF力がまだ足りていないと感じた。」

→本当に寒かったですね。村瀬に関しては、ただただ藪に対してキレていただけでRFは問題なかったように思います。あとはTOPのザイルワークを覚えさえすれば十分に大丈夫だと感じました。何よりも、足に異常が無かったことが幸いだったように思います。


鈴木「思っていたより綺麗で変化のあるいい沢だったが、何にせよ寒過ぎた。甚五郎滝は今まで経験した中では最もきつい巻きだったと思う。体力が落ちているので西表に向けてこれ以上落とさないようにしたい。あと生姜湯が最高だった。」

→本当の本当に寒かったですね。奥山谷が変化の大きい沢だということには同感です。ナメ、大滝、ゴルジュが次々に来るのは凄いと僕も思いました。甚五郎滝の巻きは本当にお疲れ様です。僕がTOPをしていればもっと時間がかかっていたように感じます。鈴木いわく光谷よりも難しかったとのことですが、やはりTOPをしていたからでしょう。僕も黒石や堂倉よりは圧倒的に難しかったと思いました。三級上という結論に至りましたね。鈴木はRFでの活躍もすごかったと思います。生姜湯はまさに救済という感じでしたね。


大柳「執拗に巻きを強いられる山行だった。巻きが決まる度にモチベーションが落ちた。甚五郎滝の巻きは最早ルンゼの遡下降みたいで異質だった。テントの中で寒さで寝られず、時間が経つのが異常に遅かった。藪はかなり念入りにRFしたので、それなりにRF力をつけられたと感じた。久々に焚き火が成功したことと温泉が良かったことは今回の救いだった。」

→本当の本当の本当に寒かったですね。だからこそ巻かないとヤバかったのでは?(笑)僕としては最後の方のシャワークライミングは泣きそうでした。甚五郎滝の巻きは大変でしたね。巻き途中も様々なことに気を使ってくれていて本当に助かりました。RFもよく頑張ってくれていました。完走は出来ませんでしたが、こういう時はこういう風に尾根が地図上に現れるのだな、という感覚をつかむことができた山行だったと感じています。焚火の記憶が僕にはないのですが、温泉は今までにない凄さでしたね。また行きましょう。


岡和田「甚五郎滝までは寒いだけだったけど、それより先では怖い場所も多かった。テントの中で凍死するんじゃないかと思うくらいに寒かった。藪では、ルーファイ力をもっとつけて積極的に偵察に行けるようにしたい。」

→なんか小学生の作文みたいですね。ちなみに岡和田は今39.1度の熱を出しています。正直僕も計れば熱ぐらいありそうだなって感じです。足のつま先には今でも血が溜まっていて感覚がないので、なんかヤバいような気がします。RFは前とは違ってルート上を指していたので少しづつではありますが進歩していると思います。RFよりも、沢での行動が以前よりも速くなったように僕は感じました。岡和田はしんどさから温泉にはほとんどは入れていなかったので、また和歌山に行った時にはあの温泉に行きましょう。


杉原「寒さで死にそうでした。RFで一番何もできていなかったのが僕だったように思います。手がかじかんでコンパスが回せず、歩くことで精一杯でした。本当に一回生や鈴木たちの活躍のおかげです。深夜に水をくみに行ったのは、一日目に何も活躍してなかったな、と僕自身が感じていたからです。取り敢えず休養しましょう。」



<追記>

帰りによった洞窟温泉は千円で7つ全ての温泉に入ることができ、本当におすすめです!