この記事は旧KUWV-BLOGから移植したものです。
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NMTです。
昨夜京都に戻りました。沢、海岸通して山行自体は問題なく無事下山できました。
簡単に報告。
3月11日 雨のち曇り
8:37 バスに乗る。
9:16 ユチン橋 870円
9:32 入山
9:55 2条5メートル。残置ロープの手前から巻き。
10:06 2メートル。左岸巻き
10:14 標高50メートル二又
10:30 レスト(~40)
10:54 ミニゴルジュ
11:25 5メートル。左岸巻き。
11:40 レスト(~51)
11:57 2メートル。スリングを出す。
12:09 10メートル。左岸巻き。
12:15 3段25メートル。レスト。(~32)
13:00 CS1
19:00 就寝
西表の沢の中にもいろいろあるがユツン川はまだマシな方だと思う。トロは全然ないしむしろ40メートルにも及ぶスラブが美しかった。3段25メートルは目の前いっぱいに広がる壁に圧倒された。
テン場についてからは俺は昼寝。面子はチルノの算数ゲームをしていた気がする。
飯の準備をしている途中ラジオで三陸沖の地震のニュースを耳にした。甚大な被害な様で家族の事が心配になった。しかしS岩特製のすき焼き(卵付き)を食べて泡盛を飲んだら何故か話題が地震ではなく網タイツのいやらしさに変わったので一通り議論したあと、就寝。
3月12日 曇り時々晴れ
5:30 起床
7:00 出発
7:15 水くみ
7:47 分水嶺。レスト。分水嶺付近はピンクテープあり。石段状のものもあった。(~57)
8:55 偵察。トロの流れが分からなくなる。(~9:03 )
9:16 レスト。(~26)
9:50 オオウナギに遭遇。
10:30 幻の湖。レスト。(~41)
10:58 3メートル、8メートル。~11:44まで巻き道が分からず偵察。
12:38 レスト。(~48)
13:50 レスト。(~14:00)
14:17 イタジキ本流
15:00 CS2
19:30 就寝
分水嶺越えがいちばんの難所だと思っていたがいちばん明瞭な沢筋を辿って行くと事前情報にあった石段状のものがちゃんとあった。
むしろイタジキ支流の3メートル、8メートルが非常に手強かった。右岸の残置ロープあるテラスの先端部から巻き。途中アダンのトンネルの様な所を通るので分かりづらい。テープは無かった。
CS2は右岸からルンゼが二本入ってくる所。地震の続報を聞いたが死者1000人と聞いて鳥肌がたった。
3月13日 曇り
5:00 起床
7:00 出発
8:00 レスト。エビと戯れる。(~15)
8:46 マヤグスク
9:58 アプザイレン終了。レスト。(~10:34)
10:54 浦内川出合
12:06 カンピレー。レスト。(~18)
12:50 CS3。展望台。
メインイベントのマヤグスクの懸垂下降。H部が取り出したザイルは何と10.6×50の金比羅用ザイルだった。それでもなんとか結索方法を工夫して無事に懸垂下降終了。去年と同じ立ち木を使って去年と同じ所に降り立った。面子の感想は概ね伸びるザイルが恐ろしかったという事だった。
展望台についてからはS岩、M戸、CLはカンピレーへ泳ぎに。ついでにエビを獲りに行った。結果的に17匹ほど取れたので塩で炒めて夕飯のちらし寿司に混ぜて食った。とても美味かったので来年は是非網を人数分持っていって乱獲して欲しい。
夜は酒盛りをしながらカード麻雀していたら外に蛍が出てきたので一時中断。道がイルミネーションの様になっていて軽く幻想的だった。
麻雀の方はまたしてもH部がチョンボの4000オールで飛んでM戸がトップだった。
3月14日 晴れ
6:00 起床
7:45 出発
8:06 軍艦岩(下山)
軍艦岩についてからは一時間半くらい待ってたら遊覧船が来た。
電波の通ずる所についてからは地震による家族の安否などを確認した。留守本の皆さんにもいろいろ奔走させてしまった様で申し訳ないです。
のはら荘についてからは洗濯や入浴などを経て再び緑の戦場(≠トロ)へと駆り出される沢面なのであった。
追記、玉森スーパーにはすでに東北関東地震の募金があった。自分にできる事といえば募金ぐらいしか思いつかなかったので精一杯の気持ちを入れておいた。