20231104_高田川栂谷

一匹の亡霊がBOXを徘徊している

ヤブ漕ぎという亡霊が!


もちもちです。11/4に栂谷に行ってきました。メンバーはもちもち、Hま、バボーンさんです。例によってヤブのために溜めていた「氣」の発散が目的です。ゼミ発表が迫っているという言い訳を大声で叫び、Hまにすべての計画を書かせ、道中一切運転することなく爆睡してました。一人お気楽山行をやっていたので記録くらいは書いてやるかということで今これを書いてます。11月にしては暖かく、かつ快晴だったというのもありますが、それにしても南紀は心地よく、先週のカラオ谷の厳しさとはうって変わってほんのりぽわやかぷわぷわ山行となりました。

ソビエト=栂谷では、私たちが連続して現れる圧巻の地形を満たす


2350 熊野寮集合 出発

前日はたくさんのOPがBOXに滞留していたらしいが、私は朝からどうも体調が優れず自室で仮眠を取ろうと思いながらずっと『ボボボーボ・ボーボボ』を見ていた。

名義の関係で運転できないので、道中は後部座席で爆睡していた。Hまとバボーンさんが交代で運転していた。途中セルフィックス天理に寄ったらしい。

0200-0230ラムー桜井店。

そのあとコンビニに寄って印刷とトイレをすます。

0530 入渓点到着。七時ちょうどにアラームをかけ、仮眠。

この時私はどれだけ用意しても準備が終わらないという夢を見た。いつもそんなことをやっているので正夢かもしれない。

また、助手席に座る謎の人物にtype-Cの充電器を借りていた。「山の中で充電がなくなったら危険なので、入山前にこのようにあらかじめちゃんと充電しとくんやで」と教育(?)していたので多分あれは新入生だと思う(そんなことをわざわざ教える必要はないし、そう思うのであれば自分でモバイルバッテリーを持っていくべきという話だが)。どうやら未だにヤブの亡霊に取りつかれているらしい。

0730 起床。

私とHまがのそのそ巻きずしを食べる。

0830 入渓。 

橋の右岸側から上流部めがけてらくらく入渓。

0844 全長50mナメ滝。

でかくてよい

0852 6m上部ナメ。

その後もどしどしナメが続いてうれしい。

0930 大釜。

デカい釜、デ釜。

夏だったらじゃぶんしてたのにな~といいながらスルー。そこそこ暑かったので別に入ってもよかった。

0940 大岩。

デカい岩、デカ岩。

淵には水量が多い時の跡がくっきりと残っていた

0950 ヤケベ嵓。

デカい嵓、デカ嵓。

圧巻である。嵓とはいわゆる石壁を言い表す言葉らしい。乾いた平面がちょうど日光に照らされており、大変気持ちがいい。30分ほどR。崖下で仰向けになって上を見上げると落石に対して無防備になるので大変怖かった。R中は予備合宿制度に対するお気持ち表明大会をしていた。しかしまあ栂谷のような癒し系の沢に行くための実力を担保するためには予備合宿で嫌な思いをしないといけないというのはそう。

1028 巨岩

巨大な岩、きょだいわ。

1107 老杉 

今にも岩を取り込もうとしている老杉の活き活きとした姿に迫力を感じた。

1120ごろ 道標

次のナメ滝 右岸の巻き道が根ごと崩れており、道が存在しなかった。そこそこの高度感がある中、基岩に半分引っかかっている根っこを用いて慎重にトラバース。根に頼り甲斐がなく、いつ全部はがれてもおかしくないような状況だったのでかなり怖かった。バーボンさんがひょいひょいと突破してた。さすが毎週山に行ってる人は違うなあ。

1208 三俣。

どんぐり貯留池(どんぐりが貯留された池)を見たり、釜に木を投げ入れ河童(滝下の、下に引き込む流れ)や洗濯機(上流側に引っ張り上げる流れ)を観察したりした。

1300 稜線

1321 烏帽子岩 梯子がとても怖くてへっぴり腰モードが発動してしまった。

1345 烏帽子山 15分ほどR。小さなハエが多くて嫌な気持ちになった

1620 下山 

俵石廃村をぼんやり眺めながらゆっくり降りた。

整然と積まれた石垣、一面に広がる段々の平らな土地。そこかしこから漂う「生活の気配」に圧倒される。下山後調べたところ、もともと棚田として開墾された土地らしい。平らな土地にはいたるところにスギが生えており、てっきり林業用に開拓された土地かと思っていたが、どうやら廃村になった後に勝手に生えてきたっぽい(スギはそもそも沼地に自生するはず)。ここ数年に切られたと思しき(なぜ?)1mほどの長さのスギ丸太が、周囲に大量に転がっていた。もったいね~

★俵石歴史→1662年に新田開発される。240石(16-17世紀)→450石(19世紀)。だが昭和初期-中期には海岸沿いへの移住が進み、定住者が0になったらしい。(参考:https://www.youtube.com/watch?v=RRjCqUPFBfc&ab_channel=historica)

下山地点直前の直線は、未舗装ながら県道に指定されている。


下山後は同じ地形図内にある高田グリーンランド。リッター10円で温泉をお持ち帰りができる。その後は少し遠回りしていつもの台湾料理屋。道中後部座席でラムーのぶどうだらけパンをむさぼっていた。食欲に任せてむしゃむしゃしていたら、気付いたら完食してしまっており(910kcal)、飛車角落ちで台湾料理と相対することとなってしまった。緊張が走る。

しかし、悲しいかな、いつもの爆盛りは見る影もなかった。非常にやなせたかしい台湾料理であった。オーナーでも変わったのだろうかと思わざるを得ない。

ぶどうだらけパン(910kcal)が腹に溜まっているにもかかわらず、勝利の女神は私に微笑んだ。やはり腹に溜まったキ(自主規制)

圧倒的に弱体化を果たした台湾料理屋に、手負いながらも引導を渡した。しかしここが今日の核心であったことは間違いない。良き好敵手であると同時に良き友でもあった。姿が変わったと言えども、ライバルとしての威厳は保たれており、我々を最後まで楽しませてくれた。台湾料理屋よ、安らかに眠れ…R.I.P.




2500ごろ 寮解散 ヤブの亡霊は台湾料理屋と共に成仏しました。

連続する圧巻の地形たちに終始感動しっぱなしの、良い沢でした。温泉も近いし難しい所も怖い所も(本来は)ない!ただ詰めあがり以降は途端に(地形的な)見どころがなくなることが玉に瑕かも。H部さん曰く、「道さえしっかりしているならば帰りは沢沿いの行者道を下ってもいいのかも」ということらしいのでそのほうがQOLは高いかもしれない。



日程と体力的に、個人としては今年の沢はこれでおしまいかねえという気持ちです。もしだれかナル谷とかの計画を出すならついていくかもしれない