2021後期縦走PT
CL錬成PW くじゅう連山

2022/03/19-21(2泊3日)

メンバー:田形(CL)、都祭(SL)、釣部(装備)、藤間(食当)、中村、中田、小松

写真:Amazon Photos

前置き

振り返ること一年前、2021年。歴史ある京都大学ワンダーフォーゲル部の縦走メンは終焉の危機に陥っていた。コロナによる当局からの厳しい規制。フェードアウトしていく上回生。ワンゲルに思い入れなどないと宣言し離反する役員たち。そんな終わった状況において、ワンゲルの終焉を受け入れることのできなかった一部の四回生が、院試勉強の片手間に活動を再開したのであった。全員くたばれと叫びながら。

そして至るは2022年3月。我々による悪足掻きという名の我儘は一年の時を経てついに結実の時を迎える。これが本当の完成編。もはや消えた部員への追憶は遠い過去となり、発狂するには年老い過ぎて、いよいよ行き着いたるがこの記録である。これまで以上にいらない言葉やいらない表現に満ち満ちているものの、いつぞやと同じように冗長も冗漫も煩多も過剰も蜿蜒も便便もご愛嬌ということで。

それはさておき、今回の山は九州の心臓たるくじゅう連山。哀愁漂うかつての面影を胸に、いつもよりほんの少しだけ過激なルートで行ってみよう。

DAY1

11:15 ビジターセンター(集合)

11:45 くじゅう登山口 (入山)

11:50 登山届提出

12:39 レスト

12:45 雨ヶ池越

13:05 読図レスト

13:25 坊がつる

13:40 法華院温泉山荘

15:30-16:55 幕営


17:15-18:30 ディナー

21:00 就寝

DAY2

05:00 起床(絶望)

05:30-06:00 モーニング

06:50 出発

07:30 服脱ぎレスト

07:45-07:55 大戸越

08:35-08:40 平治岳

10:15-10:40 風穴

11:20-11:25 高塚山

11:55-12:05 天狗岩

12:45-12:55 風穴

14:10-14:15 段原

14:35-14:45 大船山

15:50 坊ガツル

15:55 法華院温泉山荘


17:20-18:20 ディナー

20:00 就寝

DAY3

04:00起床

04:30-05:30撤収


05:40 出発

06:15 諏蛾守越

06:30-06:40 レスト

07:00-07:10 くじゅう分れ

07:45-07:50 中岳

08:35-08:40 久住山

09:00-09:10 くじゅう分れ

09:50-10:00 星生山

11:00 沓掛山

11:15-11:30 牧ノ戸峠

12:00 牧の戸温泉 下山

DAY0入山まで

つまりは、いらない部分のこと。

時は令和4年3月17日。先立つ屋久島から帰還した田形、小松、中村、釣部、藤間、原田は下山直後のその足ですぐさま鹿児島本土へと戻っていた。僕は鹿児島にいる間にかるかん饅頭を小松が引くほど購入し、ついでに桜島大根漬物も購入し熊本駅で京都へ郵送した。

くじゅうの入山予定日は3月19日の昼。つまりこの時点で翌日である。あまりにもせわしない。本来であれば間にもう一日休息日があったはずが、なんかいろいろあって屋久島の日程が一日後ろにずれたために安息は消滅し奔走へログインすることとなった。下村さんに怒られそうだなと思ったけど僕が一回生のころも対して休息なかった気がしたのでそんなものかもしれないなあと感傷ついでに自己を正当化。

その間、原田(ばるだ)から微熱があるので不参加という連絡が入る。原田が屋久島から持っていた共同装備は一体どうするのかと思えば、なんと奇跡的かつ運命的かつ偶然的あるいは必然的に藤間へ全共同装備を渡していたらしく、無事我々はつつがなく速やかに次の山行へと迎えるようだった。なんとも幸運なことである。剣呑剣呑?(追記:もちろん冗談)

阿蘇駅で降りると、見慣れた大型ザックと燦然と輝くオレンジ色のヘルメットが前方に確認できた。趣味わりいなあと思えば当然京大ワンゲルの一回生たち。運命の再会。まあ実際は僕らが彼らの行動計画をまるまるパクっただけなのでほとんどストーカー。先輩の威厳もなにもない。駅で小松とぶらぶらバスを待っている間に3人はどこかへ消えていた。僕らがどこかへ消えたのかもしれない。

その日の夜は阿蘇にあるホテルに泊まり、朝晩飲み放題食べ放題温泉たくさんで8000円という普段の生活レベルからすれば卒倒するほど豪華な宿で英気を養った。一生出たくなかった。熊本に就職してもいいとすら思い始めるぐらいにいい宿だった。というか山なんて忘れてここに住みたかった。角煮。

道中の思い出

DAY1集合 ~ CS1 法華院温泉山荘

僕から言えるのは、同じ過ちを繰り返すのは愚かだということだけです。

無情にも朝日は昇り、当然のように現実がやって来て、非常にも朝から九州横断バスという囚人輸送者に乗せられくじゅう登山口へと向かった。同じバスにはすでに中村藤間釣部が乗っていた。僕らはみんな前世で大きな罪を犯したので登山をさせられている。

天気は当然悪し。初日はそもそも悪天候(雨、強風)が確定していたので憂鬱な気分。入山時点で白い瘴気(物理)が立ち込めていた。しかも急に気温が下がった。屋久島の陽気はどこへやら。燦々濁って散々。本当に嫌だった。おうちかえして。

さて、ここまで散々言っておいてなんの理由もなく入山したとなれば役員会の追求が入りそうなのと後世に良くない影響を与えてトムラウシっちゃいそうなので判断理由を書いておくことにする。

①初日の日程は大部分が樹林帯であり風の影響を受けにくい

②初日の行動時間が十分に短く、高低差もほとんどないため臨機応変な対応が可能である

③CS1は有人小屋であり、最悪の場合でも避難が可能である

④二日目以降の天気予報は入山時点で晴れor曇りだった

といった感じ。なんか石鎚でも似たような事書いた気がする。まあこれでも入山がだめだというのなら役員会の条文に「悪天候時はいかなる山行も禁止する」とか追加でもしてくれ。

ともかく、良い子のみんなはくれぐれも若さ故のノリと勢いで入山するのはやめよう。反面教師との約束だよ!

11:15 そんなわけでビジターセンター。遠い昔に見た記憶が蘇る。あの頃は若かった…。ここで本日の主菜たる都祭、及び前菜の仲田と合流。一時間ぐらい前に到着していたよう。後輩を待たせることに定評のある田形である。とりあえず、荷物の分配や雉撃ちのため40分後出発を目処に準備させた。

今回の食当は麻婆豆腐だったのだが、屋久島でも同じのを食べて嫌だったのでごねたら1回生達が変えてくれた。結局なんの料理にしたのか入山前に一応確認しておこうと思って中村にきいてみたら、「教えませ~ん!www」と敬意溢れ出る返答を頂いた。僕はもう4回生なので手は出さなかった。僕が2回生だったら中村は一生読図できない体になっていたことだろう。(※一応、肉が一人100gあることだけはちゃんと確認したことをお伝えする。)

11:45 一通りパッキングを終え、僕以外の全員にセパとスパッツを着用させた後出発。雨は小降りだがそれなりに鬱陶しくてまさしく我々の心境そのものだった。九重連山は「九州の屋根」という異名を持っているらしいが、こんな雨漏りだらけの屋根では誰も近寄ることはないだろう。

最近地味なセパ着る人ばっかりだよね

霧中(夢中)

くじゅうの入山口はわかりにくいようでわかりやすいようでやっぱりわかりにくい。都祭SLもよくわかんないところで立ち止まっていた。看板を見ろ。

11:50 登山届を提出。

以降は都祭がなんか変なところで脱線していたことを除けば書くこともなく、ただ雨の中の樹林帯を歩いた。この時点で風はそこまで強くなかった。憂鬱なだけ。

13:07 あまりにも暇で読図でもするかとだしてみた。まあ間違えるような場所でもないのでCL候補二人はわかっているよう。

13:20 視界がひらける。一面が焼け野原となった坊ガツルが見えた。畑もないのにこんなところの草を燃やして一体何になるというのかと無知な私は思ったが、きっと農学的か生物学的か文化的な意義があることでしょう。

樹林帯を抜けてから案の定暴風が牙を向いてきた。寒い。めっちゃ寒い。すぐそこに見えているはずのテン場が昨今のロシアぐらい遠く見えた。余裕があったら坊ガツルにテントをはろうと思っていたが、雨風めちゃつよだし、メンバー(主にまともなセパを着ていなかった田形)の消耗も激しいし、こんな状態でやってられるかといった気分になったため、無料で開放されている法華院温泉山荘の屋内休憩室へ直行することに。

13:40 CS1の法華院温泉山荘に到着。天気が多少落ち着くまでは暖炉で温まりながら時間をつぶすことにした。休憩室の中は人類で埋め尽くされていて、乾燥室の中も母親のもう着れない服が詰まったクローゼットぐらい埋まっていた。僕はストーブの前で雨具になりきれなかった上着から水蒸気を出すのに勤しんだり、小松と真珠の耳飾りの少女ごっこをしたりしてのんびりした。他の奴らが何やってたのかは知らん。

15:30ホントは雨が止むまで待ちたかったが、さすがにそろそろ設営しないとまずいなあということでやや弱くなったタイミングで幕営開始。

詳細は書くのが面倒なので伏せるが、いろいろあって設営終了は16:55。一時間半。今日の行動時間とほぼ同じ時間だった。クソくらえ。というか天気図のことを完全に忘れていたが、この際やむを得ないだろう。

遥か霞む春霞坊ガツル

感動の再開

提案手法

参考文献

設営後すぐに食当準備。てんやわんやで忘れていたが、今日の食当は少々特殊。謎解きはディナーの後どころかディナーが謎。鍋のような何かができているらしかったが、結局なんなのかわからず、正解は大分熊本の郷土料理たるだんご汁(だご汁)だった。今朝のバイキングでも食べたなあなんて野暮なことはブログの中でしか言わない。人数が7人、若木もいないのに米はちゃんと7合あった。コッヘルもだご汁に2つ、米に2つと盛大。出来は全体的によく、先程のトラブルも忘れるほど…ではないけど満足した。でも満足しすぎた。満腹だった。たらふくだった。当然のように余った米はすべて釣部がたべる。釣部はなんかもう小松というより松本だという結論が出た。同じ松だからいいか。

秘密兵器を開けていると、後ろのおじさんがお腹いっぱいになったのか一人一枚焼き肉をくれた。山のおじさんて気前のいい人が多いよね。一生乞食で暮らせるかもしれないと人生設計。

食後は各々勝手に過ごす。この頃には雨もやんでおり遠くの大船山もちらちらと見えた。大きすぎて登る気もなくなった。

寒かったので気乗りしないが温泉に入ることに。湯の花温泉である。湯の花とおっさんでみっちみちにみちみちており、温度もぬるく、温泉の中より更衣室のほうが暖かかった。これじゃあいいところなしじゃないか!とお思いかもしれないが、全然そんなことはない。水の滴るおっさんと湯の花が好きな人は積極的に行くべきだろう。ほんとに全く馬鹿にしてないが馬鹿は見れるかもしれない。水面に。

翌日は06:00出発として、21:00頃に就寝した。寝る前に中村がテントのベンチレーションから手を入れて呼びかけるという斬新なホラーコミュニケーションをしてきた。

秘密の食当

秘密兵器(蓋は穴あき)

カラフルなテン場

DAY2 CS1▶平治岳▶高塚山▶大船山▶法華院温泉山荘 (CS2)

頭の中まで一面の銀世界。

翌朝。17:00起床。テントにぽつぽつという音がしている。また雨かよと憂鬱な気分だが、雨にしてはやや音が軽いような。テントの入口を開ける。白い塊が落ちてきた。雪だった。外に出てみるとまだ真っ暗なのにあたりは真っ白。僕の頭も真っ白。外にいる小松と顔を見合わせる。僕らの心は通じ合っていたし、表情はひきつっていた。一体この計画はどこまで面白くなるのだろうなと頭を抱えた。残り5人に声をかけ、2日目が始まる。

05:30朝食。今日のメニューは食パンとスープ。06:00に食べ終わったが、雪が降っていてはどうにもならないので明るくなるまで出発を遅らせることにした。また、今年の1回生はほぼ全員ツオロミーブーツを買ったため、色が同じだった都祭、中田、藤間の靴がそれぞれ入れ替わってしまうという珍三角関係が発生した。今後は各自名前を書いておくように。どうせメルカリでも売れん。

明るくなってついでに頭も冷えてくると、これぐらいの雪(1cmぐらい)ならどうせ昼に溶けるし大したことないんじゃないかと思い始めた。

06:50に出発。本日は全日ピストン装備。でも僕は荷物が入らないので80Lザックだった。小松と中村もなんか知らんけどそのままだった。こいつらと一緒はなんか嫌だなと思った。みんなが準備し終わりかけているのに中田は姿すら見えず。全体的に行動が遅いので気をつけるように。

雪とみやちゃん

中国の朝

こんな感じ

まずは坊ガツルを越えて大戸越へ向かう。この間はほぼ樹林帯なので、多少の雪があろうとなかろうと大した違いはなかった。地面はドロドロで鬱陶しかったけど。

07:05一人一石運動地点。チャレンジャーは藤間と釣部と小松。釣部は速攻で投げ捨てて、藤間も少ししたら捨てた。小松だけ九州人の維持を見せつけたのか、幾度となく出てくる「もう一寸先までお願いします」という腹立たしい看板をくぐり抜け、リリースポイントで「Урааааа!!」と化け物のようなバイオレンスヴォイスで放り投げていた。ばるだがいたらきっと彼も最後まで運んだことだろう。

07:20ルートミス①。ひどく狭い道にみんなが吸い込まれていった。僕は黙って小松の後ろ姿を見送っていたが、なんか止まらなさそうだったので早々に呼び止めた。おそらく1302m分岐。方角も登り下りも違う上に右を見れば看板まであったというのに。気を取り直して先に進む。

07:30服脱ぎレスト。のぼりが出てきて暑い暑い。

07:45大戸越…のやや手前。峠っぽい広場が見えたので脳死でレストしてしまった。小松と雉撃ちにいった際に本物を見つけた。登りきってないしそりゃそうだよなあと。

当初の予定では平治岳に行く気はあまりなかったのだが、この時点でVARIATION2をカットするつもりだったのと、雪景色がとてもきれいそうだったので登ることに。みんなは微妙なテンションだった。まあ目の前の山を見たら登る気も失せるだろうと。

2019年ではどろどろ滑って非常に疲れた記憶があったが、今回は地面が凍っていたようで逆に歩きやすくなっていた。ガスに囲まれたり囲まれなかったりしながら登る。展望は非常に良かった。

小松は道中木々についた霜やつららを見て喜んで食していた。また、剥げて凍ってだいぶ攻撃的になったみやちゃんと戦っていた。

08:45平治岳山頂。景色がきれい。記念写真を撮る

09:05大戸越へ戻る。満足していたが、ピストン装備にも関わらずコースタイムがぜんぜんまけていないのが気になった。

小松写真集 1⃣

僕だけがいない写真 2⃣

その他

此処から先はまた樹林帯。尾根たちをすべて横切って谷へと向かう形になる。この手前でまた1つ分岐があるのだが、この分岐も危うく見逃すところだった。

10:15ずっとおもんないトラバースをし続けて風穴へ至る。先程までの晴れが奇跡だったことを見せつけるかのような曇天。道中、地獄のもやしやつららを眺めて気を紛らわした。

風穴は中には入れるらしくロープがたらされていたが、洞窟内(縦穴)の壁が完全に氷に覆われており一度入り込めば脱出困難の牢獄が完成していた。今後山でやらかした人間を入れるといいと思う。とりあえず装備の釣部とおまけの中村をぶち込もうかなと思った。

長めのレストをとった。

風穴は高塚山と大船山に挟まれた谷の中央に位置しており、右を見ても左を見てもクソみたいな上り坂でなんとも嫌な気持ちになる。これ登って降りてきてまた登るんですか…?と不毛な気持ちになった。10:40出発。

11:20高塚山。急な上りはとっとと登れは辛い時間も短く住むので好きだ。42.195kmマラソンするぐらいなら100m走を422回走るほうが楽なのと一緒…一緒?どっちも嫌だ。山なんか登るもんじゃないということか。

高塚山からは対岸?の天狗岩が見えた。緑のレゴブロックを山の上にばらまいたみたいな岩がたくさんあってわくわくした。

ここからだいたい尾根沿いを伝って進む。ある程度下ってから天狗岩の方面へ分岐するのだが、向かいに天狗岩が見えてるから脳死で直進したらルートにないタイミングの下りが出てきてしまった。まあそのまま進んでも同じところに出るのは明らかだったのでそのまま進んだ。僕のミスなのであまり喋りたくない。恥ずかしい。

11:55天狗岩。ここまでの登りは大きい岩の合間を縫って行く感じで危険よりの安全みたいな感じ。でも凍っていてややすべりやすかった。ヘルメットはあったほうが無難。天気がよかったら景色が良かったのかもしれない。

12:45再び風穴。道中何度も平行移動したいよという思いが頭をよぎった。縦走させろ。

少し休んで段原へと向かう。

段原までの道は大きな窪地の外周を回る感じなのだが、思っていたのとだいぶ違って低木だらけでクソデカザック組は引っかかって大変だった。小松はあの窪地でキャンプしたいと世迷い言をほざいていた。次回のCS1におすすめです。

14:10段原。天気も良くなってきて展望は良い。ここから大船山へと向かう。時間的に天気図間に合うか怪しくなってきた。

14:35大船山。晴れていてとてもきれい。でもこういう記憶って山から降りると全部飛ぶんだよね。嫌な思い出の沈殿物ばかり残っていく。それも人生。

後は下るだけ。下った。

山小屋のトイレ

高塚山

大船山

15:40を過ぎたあたりで天気図に間に合うのか焦り始めた。まあ電波はいるので支障はないけどそんなこと言ったらやる気を削ぎそうなので黙っていた。

15:50坊ガツル。あと10分。

15:55テン場。あと5分。ギリギリの到着だった。最後の方とか走ってたし。

テン場についてからは天気図組と食当組(中村、藤間)と先輩面後方待機組(田形、小松)に分れて行動を開始した。屋久島でもそうだったが、SLが事前に気象通報の周波数を調べていないことが気になった。が、そもそもそんなこと教えてなかったかもしれないなと。どんまい。

天気図組が休憩室へと写った後にテント場を見たら、中田のザックや装備がまるまる外に投げ出されたままだった。おいおい流石にそれは…となり中田に直させた。

先輩面後方待機組は食当係が準備している中ビールを飲んでいた。流石に心に痛みが走ったのでアルコールを飲んで鎮痛しておいた。

17:15頃ご飯ができる。が、天気図は誰ひとりとしてできない。米が冷めるのも嫌なので17:30になったら問答無用で飯ということにした。問答無用になった。みなさん天気図は1時間以内にかけるようになってください。翌朝とかに渡されたら普通にそのまま破り捨てるぞ。

晩御飯は鍋。僕はレガシー要素として勝手にキムチ鍋のもとを持ってきた。採用された。鍋は生姜がまるまる入っているという斬新なものだった。残飯は釣部が処理した。驚きの吸引力。

その後は都祭の天気図を確認したり、温泉に入るのを諦めて外で上裸で体を拭いている中村を見て驚嘆したりとダラダラ過ごした。

翌朝はまたしても時間的に渋いので早めに寝ることに。1回生たちの熱い要望により4:00起床、5:30頃出発とした。

20:00頃就寝。今夜のベンチレーションはおとなしかった。結局その日のうちに見たのは都祭の天気図だけだった。

DAY3 CS2▶中岳・久住山▶星生山▶牧ノ戸峠▶下山

ここまで来るといい山だった感じするよね。

~04:30起床。またしても雪が降っていた。今回は夜中に一度溶けて凍ったらしく、新雪ではなくザラメ雪。いろんな雪が見られて幸せだなあと思った。いや思わなかった。何も。

起きてからすぐに撤収を始める。ザックの中身をすべてぶちまけていたので多少時間はかかったがとっとと終わった。後輩たちはやや手こずっているようだったが、手伝うことでもないので放って休憩所へと向かった。

05:00朝ごはんはくまモンラーメン。僕はマルタイより好きです。大量にできたし、大量にスープが余ったがあまりはすべて釣部が平らげた。スープも。釣部の寿命が着実に縮まっている気がする。

05:30出発を目処に行動開始。小松と2人で準備最遅ダービーなる不謹慎極まりない遊びをしていた。なんか中田はみんながパッキングし始めるときにトイレに行ったり、靴を結んでいるときにパッキングをしたりと全体的にワンテンポ行動が遅れているので気をつけてどうぞ。

05:40出発。一応雪(それも滑るタイプ)が積もっているので明るくなるのを待ちたかったが、序盤はそんな危険箇所ないので進むことにした。

06:15諏蛾守越。雪の九重は2年前のガスの九重とは大違いでとても感動的スペクタクル。写真を撮っても撮り足りず、気づけば小松たちと大きく離れていた。

地面の水たまりが凍っていてとても歩きやすいし面白い。天気は微妙。

06:30レスト。登りの手前でレスト。

07:00くじゅう分れ。ここからはザックを置いて中岳や久住山を周回。

天狗ヶ城は2年前のトラウマもあるので今回はカット。初めて見るガスのない九重は記憶の中とは全く違う様相をしていた。

雪は降るくせに御池は凍っていなかった。小松は残念そうにしていた。食べたかったのかもしれない。腹いせに石をたくさん投げていた。

みやきりしまちゃんの枝には奇妙な形の氷がたくさんついていた。小松は美味しそうに食べていた。こいつは本当に何なんだろうか。

御池を抜けたら中岳に直行するのだが、ルート上に都祭達が見えない。見渡すと、池ノ小屋の方へ向かってしまっていた。最後の役員会で池ノ小屋の位置に関して修正があったのだが地図に反映していなかったらしい。まあそうであったとしても地形図上のルートを見ればわかるはずだが。都祭たちを呼び戻して正規ルートで出発。

07:45中岳。きれい。

次に中岳から久住山へ向かう。中岳からの下山ルートは一部ロープが張ってあるなどスリリング。といっても見た目だけでそんな大層なものでもなかった。

わかりにくい道で少々間違えつつも(これはしゃあない)、久住山の登り口へ。地形図に書いてあるままに登ろうとするも道が木々でふさがっている。遠目から見れば道っぽい何かは見えるが、たどり着けないならどうしょうもないので一番わかり易いルートで行くことにした。

08:35久住山。中岳より広い。

09:00くじゅう分れ&レスト。釣部が雉撃ちに行き、藤間は何かを見ていた。このあたりから軽装のHUMANが増殖しだす。

天気が良くなってきたので星生山に登るか登らないかで迷ったが、よく見たら行動時間が少ししか変わらないので登ることにした。1回生のやる気はなんともいえない。

岩にまみれた稜線歩きはアルプスを思い出してなかなか面白かった。まあアルプスより色が汚いけど。

09:50星生山。硫黄岳から煙が上っているのが見えた。小松は「たぶん死ぬだろうなあ」と言いながら行きたがっていた。山頂で小松と雪玉を投げあって遊んだ。

星生山以降はほぼ下界。人まみれの上に踏み荒らされているので泥がドロドロ。養豚場みたいだなあと思った。

泥を避けながらひたすらだらだら歩く。

11:00沓掛山。記憶がない。どこだったんだろう。

コンクリートの地面や休憩所などが出てきて、急速に下界化が進む。HUMANの装備もどんどん軽装に。はやく下界化したいなあ。

11:15牧ノ戸峠。みんな終わった感を出していたが、バスがないので当然終わりではない。小松と2人で一応散策してみたが、2時間待つか30分歩くかの二択を迫られるのみだったので出発。

12:00廃墟になったキャンプ場を歩くなどして牧の戸温泉に下山。我々の長い一年がようやく終わりを告げたのだった。

写真集

下山後は2年前と同じく星生温泉山恵の湯へ。あの頃のような感動はなかったが、相変わらずきれいな色をしていた。その後、夢見る豚食堂が定休日だったのでレストハウスやまなみで打ち上げを行い、下の店でおみやげとみやちゃんを物色した後に別府行きの縦断バスに乗り、駅前で解散した。

解散後も鉄輪のひょうたん温泉で墓穴を掘るタイプの砂風呂に入ったり、後輩たちと奇跡の再会を果たしたり、さんふらわあの港の前で小松と涙の別れをしたりといろいろあったが、もう長すぎるので割愛。ただ、年々人が減っていき、とうとうさんふらわあで一人きりになってしまったなあと悲しい気持ちにはなった。

解散。解放。

温泉吸入

山行のまとめ

今回はなんのトラブルもなく終わって本当に良かったです!
後輩諸君は来年度からは頑張ってください!お疲れさまでした!……で終わらせるには言うことが多いですねほんとに。


まあいくつかの問題点を除けば上々といった感じだと思う。2日目3日目の長ったらしいコースタイムも全員普通に歩いていたし、気がかりだった中田も(準備以外は)さして問題なかったと思います。まあいい経験になったのではないでしょうか。始まる前はストレスフルでしたが終わってみればそれなりに良い山行だったように思います。まあ過去は須らく思い出で、思い出は須らくいいものです死ね。

コメント

いやほんとにしんどかった。なんか田形CLトラブル率高すぎやしないか。気をつけてるはずなんだが。毎回心をすり減らしている気がする。まあ今回はなんやかんや景色は良かったし上々だったんじゃないでしょうか。


都祭:どんまい!3回生はきっと忙しいだろうけどまあ気楽に気長にやっていこう!

中村:今回はSL終わって気楽そうでしたね。CLはいろいろあるだろうけど君は消えないと信じさせてください。

藤間:食当何度もやらせてしまってごめんよ。まあこれも若木が悪いんだけどね!このままモチベーションを高く保ち続けてね。

釣部:荷物が重かったろうにお疲れ様です。まあトラブルもあったけど反省点を生かしてください。藤間と同じく貴重なモチベ高い属なのでいろいろ山行へ行って経験積んでね。

中田:目指せ初心者脱却。まずは準備を早くするなどできることからやっていこう。パッキングとか。天気図とか。

ばるだ:山に来い。

小松:もういるのが当たり前になっているので完全に田形PTメンバーだったし、存在というより、もはや現象になっていたけど、君も間違いなくこの一年を通して必要な存在だった。人員不足のすべてを解消してくれてありがとう。いやはやほんとに迷惑をかけたしこれからも無理難題を押し付けるだろうけど、一生そのままの君でいてくれ。急に電話で呼び出しても来てくれるありのままに暇な君で。

若木:最後の株の低さがエグいけど、君がいなければ間違いなく一年間やってこられなかったと思うよ。ありがとう。あと2年間伏見で一緒にだらだら日々を送ろう。そろそろラーメン荘に行きたいな!

南部さん:屋久島ともども留守本を受けてくださりありがとうございました。

松川&田邉:地形図とか天気図とかの確認をしてくれてありがとう

僕:本当によく頑張った。銅像をたててもらおう。

ふぇるでぃなんど:ごめん忘れてた。


今際の際のお小言

さて、田形CLはこれにて終ぞ引退。由無し事の掃き溜めはいよいよ歴史の海へと放流され、ついぞ顧みられることもなく消えていくのである。まあそもそも長いし。

願わくは、もう二度と僕が呼び出されるようなことがないよう健闘を祈る。気張っておくれよ後輩諸君。

以上、ここまですべての読者諸賢へ、友愛と息災と金輪際の不再会を祈念して、ごきげんよう!