熊本大学少林寺拳法部の歴史は、1967(昭和42)年秋、2年生の古閑邦洋と1年生の廣瀬淳一の活動から始まった。2人は、新入生勧誘のためには自らを鍛えようと、夕方は熊本商科大学(現熊本学園大学)少林寺拳法部で練習し、その後は大学に戻って、時には深夜まで練習を続けた。そのかいあって、68年4月、2人の見せる技にひかれた約20人の新入生が入部を希望、正式に同好会としての活動を開始した。
しかし、当時の熊本には少林寺拳法の道場がほとんどなく、「少林寺拳法同好会」という名称を掲げたものの、指導者を招いて学内で練習することは困難を極めた。部員たちは、「少林寺拳法を修行したい」という気持ちだけで、『秘伝少林寺拳法』(カッパブックス)を片手に空き地で、時には熊本商科大の練習に加わり、稽古を続けたという。そして同年秋、初の商大定期戦の場で出会った中島秀義・熊本中部道院長(当時)が監督に就任。69年2月、本部から認証を受けた。
70年には、早くも、冨田昭子(旧姓・椿)、小池真理子(旧姓・赤城)、波多野薫(旧姓・林田)の3人の女子部員が誕生し、その後に続く女子部員の地位を確立した。翌年、同好会から部に昇格し、その頃、練習場として工学部の講堂使えるようになっていたこともあって、部員たちは、ますます練習に励んだ。
72年、5代目主将末吉知行の代には、全九州学生連盟に加盟。同年の全九州学生大会では、初参加にもかかわらず、個人乱捕りで4代目主将の高崎貢が優勝という輝かしい記録を残した。高崎は翌年の大会でも優勝し個人乱捕りで二連覇した。そして、74年の開祖の熊本訪問の際には、7代目主将川野真樹を中心に、全九州学生連盟の中核として準備や当日の警備などにいそしんだ。本部の春合宿で、大勢の学生の一人として講話を受けるときとは違い、身近に接することができたこの開祖の訪問は、それからの活力につながったという。部員が50人を超えた75年、練習場所を大江の体育館に移動した。
77年、同支部は創部10周年を記念し、記念大会を開催した。この大会を機に、OB会が結成され、記念式典で、創設者の古閑邦洋をOB会長とするOB会の会員全員が「今後、後輩たちの支援は惜しまない」ことを誓い合った。また、その頃から、大会で競技乱捕りが中止されたこともあって、同支部の練習内容もそれまでの乱捕り中心から、柔法と剛法のバランスの取れた内容に変わった。その成果はすぐに現れ、乱捕りだけでなく、演武においても大会で好成績を収めた。
80年中頃、時代の流れからか、どの武道系クラブも部員確保に悩まされるようになった。しかし、同支部には、毎年新入部員があり、部員数は20人前後と減ったが着実に伝統をつないだ。そして、90年、新しい監督として古閑忠夫・八代高専少林寺拳法部部長を迎え、その熱心な指導の結果、部員は急増。現在(※1997年)では約60人の部員が集う。
練習は、日曜日を除く毎日で、そのうち古閑からは土曜日の午前中、4時間の指導を受ける。部員たちは、一人ひとりが向上心を持ちながら真剣に練習に取り組み、近年は武専別科に常に数人が在籍するなど、少林寺拳法を極める気持ちも強い。
また、同支部は、ほかの大学支部との交流だけでなく、高校の少林寺拳法部とのかかわりも強い。熊本高校少林寺拳法部の部員が、週1回同支部の練習に参加したり、八代高専との合同練習を行うなど、高校生たちの良き先輩として指導にあたっている。 「親睦を深めるための行事では徹底的に遊び、修行は真剣にと、めりはりのある活動姿勢が整ってきた。部員たちがいつまでも向上心を忘れずに努力していけば、よりよい部になっていくことでしょう」と古閑監督は語る。