「道々橋(どどばし)」の由来について
「道々橋(どどばし)」の由来について
久が原地区の自治会のひとつに、道々橋自治会があります。その「道々橋(どどばし)」・・・昔から住んでいる人は“どどばし”と読めますが、まず読めないのが普通です。
「道々橋」の由来は、昭和7年発行の池上町史によれば、「元池上の一部なりしも寛政(1789~1800)以前すでに分離して、現在の一村をなせりと、その後、数々の代官の更迭(こうてつ)ありて明治維新となり、武蔵県となりしも間もなく品川県と改まり、明治4年東京府の管轄となる。明治22年町村制施行にあたり現在の池上町と合併す」、以上のように書かれている。戦前には「東京府荏原郡池上町大字道々橋」となり、戦後は「東京都大田区道々橋町」と称されました。
今日では、久が原、仲池上、南雪谷、東雪谷と称され地名からは消えています。しかしながら、昔から久が原の北に位置しているが「久が原北」と呼ばないのは、江戸時代の寛政以前より200年以上も長い間、この地が分離独立していたためとされています。そのため、現在も自治会名は「道々橋自治会」と称しているのです。
【参考:どどばし自治会通信(2021年8月号)】