柳の交番のやなぎ
柳の交番のやなぎ
柳の交番で知られている久が原交番の柳の木は、昭和24年に町の人々の力で交番建物ができた際に、柳の若木が植えられたことが始まりです。近くの「清水美容室」のおばあちゃんが添え木に支えられた若木に水遣りをし、やさしく育てていたのを記憶されている方もいるかもしれません。
久が原交番はその後、昭和50年に建て替えがおこなわれました。その間、柳の木は隣にあった桜の木と共に順調に育ち、城南地区のタクシー運転手さんの間でも、”久が原柳の交番”といえば分かるまでのポイントとなりました。
平成9年に交番が現在の建物に改築されるにあたり、桜の木は切り倒されました(一部をベンチとして池上警察署で利用されていました)が、当時すでにシンボルとなっていた柳の木はそのまま存続することとなりました。
その後、平成16年の台風の際に、交番の柳の木は大きな被害をうけ、地上2.5メートルのところでポッキリと折れてしまいました。ただちに当時の大森西地域行政センターまちなみ整備課の努力により整備が行われましたが、幹の内部の腐食が激しく重症だったといいます。当時の柳の木の、全身包帯に巻かれた姿は痛々しいものだったそうです。
その後、長い歳月を経て新しい芽が吹き、現在は再び久が原地区のシンボルの一つとしての大木の姿を取り戻し、久が原地域の皆さんを見守り続けています。
【参考:地域情報紙「くがはら」第60号(平成17年4月発行)】