明治時代の久が原の人々の生活
明治時代の久が原の人々の生活
明治のころの久が原は、家も百戸に満たない小さな農村でした。畑では、麦や野菜などが、呑川の低地では、米も作られていました。久が原は湧き水が多かったので、あちらこちらに洗い場がありました。人々の生活は今以上におおくの台風や洪水、干ばつなど大変なことがたくさんありましたが、祭りなどは楽しみの一つで、みんな集まって楽しく過ごしました。年に3回ある「おひまち」という祭りでは、作物がよく育つように祈ったり、豊作を感謝したりしました。ほかにも、7月には「七夕(笹流し)」、11月には「にいなめ祭」など、季節ごとに子供の楽しみがあったといいます。
このころは、大人も子供も着物を着ていました。着物といっても今の七五三のときのような立派なものではなく、木綿中心の質素なものでした。はき物は下駄や草履で、下駄などはぺちゃんこになるまで履いたそうです。
【参考:久原小学校 開校130周年記念詩「久原」】