縄文時代の遺跡、千鳥久保貝塚
縄文時代の遺跡、千鳥久保貝塚
大森第七中学校第2校庭の南西端に、高さ2.5~3m、直径10mくらいの小高い山があり、貝殻が多く見受けられた「貝塚」がありました。昭和20年(1945年)頃は、この辺りに東京慈恵会医科大学の予科があり、1階の教室ではカエルや魚、小動物の解剖実習などが行われていたそうです。それを窓越しにのぞき見したり、貝塚の隅を掘って土器のかけら(?)などを見つけたりして遊ぶ子も多かったと言われています。この貝塚は縄文中期から後期(約5,000年から3,000年前)のものとして明治時代から知られており、地域の小字名をつけて「千鳥久保(または窪)貝塚」と言われていました。
昭和23年以降、本格的な遺跡調査が行われ、埋葬された人骨が発見されて有名な遺跡の一つとなりました。久が原4丁目34~36、南久が原1丁目4、7、8にわたる数か所が貝塚として多くの研究者によって調べられました。詳細は『大昔の大田区(原始・古代の遺跡ガイドブック)』をはじめ、郷土博物館が発行する資料から参照いただけます。
今では都市化が進み、住宅の下に埋められており昔の面影は見ることはできませんが、古い歴史の上に街があることを忘れないようにしたいものです。
【参考:地域情報紙「くがはら」第97号(平成26年7月発行)】