久が原に電車がやってきた頃のおはなし
久が原に電車がやってきた頃のおはなし
日本で初めて鉄道が敷かれたのは、今から150年ほど前の1872(明治5)年のことでした。当時は現在のような電車ではなく、石炭を燃やして蒸気の力で走る汽車でした。その後、1904年、蒲田にも駅ができました。鉄道を利用する人が増え、駅の周辺もにぎやかになり、人口も増加していきました。
東京南部の開発と池上本門寺への交通の便を考え、池上電気鉄道という会社が1917(大正6)年にできました。この会社が蒲田―池上間を1922年10月6日に単線で開通させました。当時の運賃は5銭、電車は青色で今よりずいぶん小さく1両で走っていたそうです。
大正時代の終わりごろ、住民が増えてきたので計画的な町をつくる動きがでてきました。そして、1923(大正12)年3月に目黒蒲田電鉄という会社が田園調布駅を完成させました。1923(大正12)年11月に、目黒―蒲田間が全通し目蒲線と呼ばれるようになりました。その後、1923(大正12)年5月4日、池上―雪ヶ谷間が開通し、今の久が原駅は末広駅と呼ばれていました。
1928(昭和3)年4月に末広駅は東調布駅と改称し、6月に池上線が全線開通しました。池上線の発展とともに久が原の町の人口も増え、1936(昭和11)年1月1日に、東調布駅を久が原駅と改称し現在の「久が原駅」となりました。
【参考:久原小学校 開校130周年記念詩「久原」】