『瑞雨』を勘定に入れなければ、前回の『澪標 2021年・春』の発行が6月15日だから、ちょうど5か月空いたことになる。実はその間何もやっていなかったわけではなく、別の案件で夏休みはそれなりに稼働していたのだが──このあたりの経緯は次に発行される冊子の編集後記に書こうと思っている──編集後記を書くのは久しぶりだ。
前回までは原稿のチェックをすべて編集がやっていたのだが、今回から(厳密には夏休みに稼働していた別の案件からだが)全部員が参加できるようにした。作業にはWordのコメント機能を利用したが、実質的にはコロナ以前の編集形態に戻ったことになる。これで編集者にのしかかる負担と責任がだいぶ緩和された。そもそも編集者1人の力量には当然ながら限界もある。
過去の幹部総括(部の運営人が代替わりする際の引き継ぎ資料のようなもの)を読んでいると、こんなことがどうやら過去にもあったらしいということがわかる。ある時代に誰かが新たなシステムを導入し、しばらくはそれに則って活動が行われるが、やがて引き継ぎミスが起こったり、形骸化したりして自然消滅する。そして、何年後かにまた似たようなシステムを別の誰かが立案する……。
名簿を見ると、数年ごとに同じ名字が登場(もちろん別人だが、時に名前まで瓜二つのことがあるから驚きだ)するので、僕と浅井は「輪廻転生だ!」なんて冗談を言い合っているが、あながち冗談では済まされないかもしれない。転生云々ではなく、それは一向に進歩していないということでもあるから。
しかし歴代の幹部たちは、自分たちが足踏みしていることにすら気付いていなかったのではないかと思うのだ。基本的に、総括資料は一つ前の幹部が作成したものしか渡されない。過去一年の総括にしか目を通さないのであれば、繰り返し同じ状況に面していることなんて知るよしもないわけだから無理もない。
僕はこの編集後記で前任者たちに批判を加えたいわけではない。これは僕が身をもって歴史を学ぶ意義を感じたという、そういう話なのである。
だが、自分が業務を引き継がせるときは工夫が必要だとも感じている。問題の本質は過去の活動に関する記録がほとんど残っていないことだ。総括は部室にかろうじていくつかデータが残っていたが、部誌のデジタルデータは皆無で、紙のバックナンバーの保管にしても随分おざなりなものである。
そのため今年は部誌のバックナンバー代わりにもなるホームページを作成し、活動の詳細な記録を付け、こうして編集後記にも本来なら日記帳に書くようなことを書き連ねてきた。幹部総括はいま、必死のサルベージ作業の真っ最中だ。
だが、この一連の努力も強大な時間の波の前に跡形もなく消え去るかもしれない。10年後、似たような編集後記が再び部誌に載っている可能性も十分あり得るのだ。過去のことは歴史を勉強すればある程度わかるが、未来のことを予測するのは容易ではない。身も蓋もないけれど、結局、僕にできるのは祈ることくらいなのかもしれない。……いや、それ以前に、僕が書いているこの文章がずっと昔の編集後記の焼き直しである可能性も否定できないのだった。
最後に謝辞を。今回の表紙は我らが石川新に描いてもらいました。作品も提出してくれて毎度助かっています。ありがとう。『千里山文学第五十三号』の表紙もよろしくお願いします。
そして、作者並びにコメント作成者の皆さん。有意義な時間だったと感じていただければ幸いです。願わくば、もう少し時間にシビアに動いてほしいところですが、ありがとうございました。
せめて5年後、この編集後記が誰かに読まれていることを願って筆を擱く。それでは、また。
2021年11月14日
山本哲朗