PhD's Testimonial
そろそろ逃げ切ることが出来ず、重い腰を上げて筆を進めることにしました。2022年9月博士修了の島田佑太朗と申します。思い返せば、修士課程から博士修了後半年のポスドクまで5-6年ほど時松研究室に所属しました。コロナ禍で大学院に登校できないときもありましたが、息つく間もない5-6年間でした。Testimonialsをどのように書こうか悩みましたが、学生生活の振り返りと後輩へのメッセージの二部構成としました。
私の学生生活は「自分の色で自分にしか書けない絵を描いた」ということに尽きると思います。私の研究テーマはタイ・バンコクにおける地中熱ヒートポンプの環境性・経済性評価というもので、多様なバックグラウンドを持つ学生が集まる時松研究室でも、かなり技術よりの研究に取り組んでいました。地中熱ヒートポンプとはエアコンの熱源・排熱先として温度が安定する地下100mほどの地盤を利用する再生可能エネルギー熱利用技術です。時松研究室に所属しながら技術寄りの環境性・経済性評価という自分の色は大学生(学士課程)の頃から築き上げてきたように思います。
学士課程では他大学の機械工学系の学科に所属していました。いわゆる車オタクであった自分は何か車に携わる仕事に就きたいという半ば安直な考えで機械工学系の学科に進学しました。しかしながら,実際に進学した学科ではネジなどの機械要素の制作実習や設計など(これはこれでとても重要です。ネジ一つ欠けただけで機械は正しく動かなくなりますから。),社会との接点が遠く感じられる内容が多く,自分の中で違和感を覚え始めます。車が好きということ,と仕事に求める価値観を混同していたことに気づき始めた瞬間であったかもしれません。技術を通して営まれる人々の生活・社会にこそ,自分の興味関心があったのだと見つめ直すようになりました。また純粋にエンジニアを志望して学びに来ている学生との意識の違いに悩み,自分が社会に貢献する、いわば自己実現の手段は機械工学系の学科を卒業した先にあるのか模索し続けていました。機械工学だけでは自分の色は作れないと感じたのです。
そんな悩みを抱えながら日々をただ消費することに危機感を覚え,思いきって東南アジアに短期留学したことが自分の新しい色を手にするきっかけとなりました。
初めての海外で訪れた東南アジアは想像以上に発展し、日本で過ごしていても感じることがない活気に圧倒されました。出会う人々は貧富の差はあれどイキイキしているように感じられ、その雰囲気に大学生になってから塞ぎがちであった自分が久しぶりに心から笑えていることに気がつきました。友達と一緒に無邪気に外遊びしていた小学生の頃を思い出すような感覚です。自らの悩みと照らし合わせながら,私を解放してくれたこの地域で出来ることはないか考えた末に出会ったのが地球環境問題への貢献です。機械工学というバックグラウンドを地球環境問題解決の貢献に活かす、これが私の新しい色になりました。
時松先生にはこのような経緯で培われた私の色を理解し、技術の環境性・経済性評価という絵を描くことに導いていただきました。先生は私には自由に絵を描かせる,研究の方向性には口を出さず,間違った方向に進みそうなときには指導するというスタンスを貫かれていたと思います。研究においては自分で意思決定をして,進ませたいという自立心が特に強かった私には上手くかみ合っていたと感謝しております。自立心が強いが故に先生と本音で話し合い,違和感を解消するために時にぶつかり合うこともありました。しかしながら、本音で話すことを許容していただける懐の深さが私を安心させ、思う存分自分の絵を描くことに繋がったのだと今振り替えると気づきます。これまでの人生で目標に向かって走り切るという成功体験はこれが初めてであったかもしれません。純粋に楽しく充実した5-6年間でした。かけがえのない経験をさせていただいたことに改めて深く感謝しております。
これからもお酒はほどほどに健康に過ごされることを願ってやみません。もう少し成長した先で先生と飲みかわせることを目標に精進してまいります。これからも温かく見守って頂けると嬉しいです。
【後輩の皆さんへ】
学生に対して手取り足取り教えてくれる研究室、自発的に取り組まなければ何も進まない研究室、大きなプロジェクトに携わるが故に与えられたテーマで研究に取り組まなければならない研究室など、大学院には様々なカラーの研究室があると思います。研究室の先生の性格・相性まで考えると選びきれないと思います。そんなときは一度自分の性格・研究へのモチベーションを見直し,なるべく多くの先生と研究に対する自分の想いの丈を話してみてください。研究テーマの枠を越えて,共鳴してくれる先生がいらっしゃるかもしれません。違和感を感じないのであれば,きっとその先生があなたの恩師になると思います。私は偶然にも幸運なことに自由に絵を描くことを許容してくれる先生と出会い,自分のポテンシャルを発揮できるよう導いていただいたことが人生の転機になったと思います。
また、現在研究機関に就職し、組織の研究者としてのキャリアを歩み始めた私が感じることは現実を捉える力と夢見る力のバランスが重要ということです(夢見る力は読む人によって様々な言葉に置き換えて下さい)。現実を捉える力は社会に出れば自ずと身に付いていくのかもしれません。しかしながら、組織のなかで純粋な夢見る力を失わずに保ち続けることはとても難しいと感じています。大学院は学生生活の集大成として各々が築いてきた夢見る力を存分に発揮する最後のチャンスなのかもしれないと振り返って思います。
ぜひ,時松研究室でもそれ以外でも自分にしか書けない絵を精一杯描いてみてください。自分の色で自分にしか描けない絵を描くことはとても難しく、運も必要かもしれません。しかしながら、出来上がった絵が想像と異なっていたものとなっても,夢を見ようと足掻いたことは貴重な経験になると思います。
何処かでお会いすることがあれば、皆さんの描いた絵の話を聞けることを楽しみにしています。
島田佑太朗
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
2019年8月7日に修論発表会を済ませ、翌日に私は一足先にスウェーデンへ、翌週のヴェステリオーズのICAE 2019から彼と共に。これが彼の博士課程の3年間の始まりになる。11月には彼のお蔭でCCOP初参加、共にChiangMaiへ。彼は12月半ばのLyonでの学院WSで名実ともに美味しい思いを。彼はおじいさんから話を聞かせてもらった星の王子様の街に実際に行くことになり感激。同行本学教員、先方教員と交流が得られたのが何よりの財産。こうした対面の機会に学生を派遣することはやはりメリット大と痛感。でも、これが学生時代最後の出張。2020年3月に予定していたタイ出張は中止。その次の出張は、JSPS-PD時代の2022年12月にAminの調査のための別府出張。
彼も他の学生と同様、2020年4月から博士課程の2.5年をドップリとコロナ禍で過ごした。ただ、ラボメイトとの交流が制限されることで精神的に辛い若年層とは違い、PhD学生なので何よりも研究に取り組める日々を過ごしていたと思う。そんな中でも、辛うじて2021年7月頭には電中研赤城を訪問した。まだ出張には出立日~2日前にPCR検査結果が出るよう段取りが必要であった。緊急事態宣言が解除されるタイミングを見計らい(実際には9月末日解除)、10月最後の週と12月から実習させてもらう機会を得た。これは彼にとって全く異なるカルチャーとなり、大変得難い経験をさせて頂いた。間違いなく血肉になったであろう。一方で、某県の蔓延防止重点措置の発令によりキャンセルを余儀なくされたインターンもあった。
卒論からの延長で国内雑誌の査読付き論文を1本通したから修士を早期修了したのだが、博士課程でも査読付き論文を通すことにガッツリ取り組むことになる。タイが対象という理由ことよりも、高いインパクトファクターのジャーナルでの採択を目指したいという意欲がモチベーションになっていた。先ずは修了要件を満たすことも考え、英語で通すことを第一歩としてEnergies。どうしてもこのジャーナルだと短期決戦を強いられる。2ヶ月間労力を取られ2019年末に何とか初陣突破。2020年11月頃より2本目に取り掛かるが、英文校正業者の質もあまりに悪く、1週間まるまる予定をブロックして私が完全に書き換える事態に。この事態は最初で最後。こうして書き上げた2本目を2020年末に投稿開始したが、年明け早々デスクリジェクト。ここからプロ研究者と同様の苦難の連続を味わう。幾度か投稿とリジェクトを繰り返した挙句、2021年5月初旬に投稿したRenewable Energyがあっさりminor revisionで7月下旬に戻ってきて8月末に採択。学位審査が視野に入る2022年3月には次の論文原稿へ。審査期間中に査読が帰って来ることを期待して審査期間に入る前に投稿。学位審査後2022年11月末に再投稿、1年がかりで2023年12月末、これもRenewable Energyに採択。これでSpringerから本を出せば彼の学生時代の業績は全て回収。
このように、彼の研究業績での競走、研究への意欲、面白いと思える研究を追求する姿はアカデミック研究職以外には考えられないものであった。国内の国際会議で一緒になったEEI棟住民のほぼ同じ歳の彼と自主研究を行うほど。無論、研究機関や大学の研究者、民間企業の方々とのコミュニケーションや、私へのホウレンソウの姿勢などから、民間企業でも十分やってゆけると見立てていた。結果的に民間企業の短期インターンをやっただけ最終的には民間を止めアカデミック研究職を目指すことに。
また彼の予算取りの練習も兼ねて、彼自身のJSPS-DC/PDや学内奨学金といったものだけでなく(彼のJSPS-DC2は2020年9月に採択)、私の科研費の応募内容を考える際に収集した情報を提供し、外部財団の研究費も彼の研究ネタで何度となく応募した。たまにしか採択されないのに、採択時期が重なったこともあり、予算執行に頭を捻ることも経験させた。社会に出るとこんなことばかりだと。私が担当する講義のTAでも、教員になった想定で経験もしてもらった。彼の研究内容の周縁につながる後輩がたまたま3人もおり、普通の研究室とは異なるものの、彼の学生指導の匙加減の練習台になってもらった。幸い長期でEJUSTから派遣されてきたPhD学生のテーマとも関連があり、色々と刺激を受けたようだ。出張、物品購入、産総研での技術研修生などの事務手続きも出来るようにしてもらった。どこの研究機関に入るにせよ、更に面倒な手続きの洗礼を受けるため、その馴らし練習。課程博士時代は既にポスドク並みの働きぶりであり、どれも彼には十分だった。
2022年4月には、産総研の人事選考と彼の学位審査が同時並行で走った。予備審査を、公聴会と最終試験については、期間中の早い場合と遅い場合の2パターンで日程を審査教員に押さえて頂いた。産総研の方は書類や、プレゼン審査の発表資料、何度となく鍛えられる発表練習に加え、直前にSPIまで受験することに。B日程入試の対策をやっておいて良かった日が、こんな時に現れるなんて、と彼。毎週のように、どちらかの何かの〆切をこなしてゆく、ハードな日々。産総研のプレゼン審査の練習で鍛えられたことで、彼の公聴会や最終試験はパーフェクトゲームにつながった。審査員を完封。これは忘れられない感動ものだった。逆にここまで鍛えられないと完封に至らないというのは、その後の博士学生の審査を乗り越える教訓になった。彼の攻玉社での精神胆力鍛錬の賜物。彼の母親の作戦勝ちがここでも発揮。大変な数ヶ月だったが、反ってプレゼンに集中でき反って良かったと。
機会を逃すまいと、夏の海風にあたりながら彼と祝杯。彼とのこれまで振り返り話の花がこの上なく咲く。学位記授与式の後は母親も含めて3人で、彼の生い立ちまで遡って振り返り、母親の慧眼で攻玉社で鍛錬され、浪人させずに芝浦へ、の全てが、学位取得と産総研採用面接の突破という出口に集約されたことを再確認。幼少時から自由お絵描きが好きだった彼が、testimonialにあるよう「夢見る力」を思う存分自分の絵として描き切った。若いこの時期に人生に2度とない、かけがえのない経験のサポートできたことを誇りに思う。
Master's Testimonial
The first time I got known about Tokimatsu Lab was through the introduction of Prof. Kurishima, Shibaura Institute of Technology, my first academic advisor. At that time, I was interested in learning and studying about the solution for energy and environmental problem in Southeast Asia. I was so much attracted to Tokimatsu laboratory environment in which international students from around the world including Southeast Asia worked hard to contribute to solving energy and environmental problems so that I determined to join this laboratory.
In Tokimatsu Laboratory, research themes are not given by professors or seniors, but it is required to set the themes and carry out research activities by myself. Prof. Tokimatsu will check the student's progress on proper time, and guide students by pointing out and giving advice when the research direction is not in place. Technical issues that you face in your research activities must be solved by conducting literature review and simulations by yourself. For this reason, it will be difficult to complete your thesis in this laboratory if you cannot have self-control and responsible for your own research activities.
However, Tokimatsu laboratory is very generous in supporting students who are actively seeking opportunities. Basically, you cannot conduct research on themes related to overseas unless you have connections and financial support with overseas university faculties. Even it is difficult to make a connection and financial support, Prof. Tokimatsu will support you as much as possible. I myself had no connections with overseas faculties or abundant budget, but with the support of the professor, I had the opportunity to stay overseas for a total of 7 months for research.
As you can see, there is no doubt that Tokimatsu Lab is a tough laboratory unless it is a student with aspiration and ambition to achieve your objectives. However, it is a great environment for students who want to develop their own path. If you are interested in Tokimatsu Lab, please come to visit us. We are always welcome your visiting.
私が時松研究室と出会ったのは、学部4年次の指導教員である芝浦工業大学の栗島先生のご紹介でした。当時、漠然と卒業研究のテーマとして東南アジアを取り上げ、そのエネルギー・環境問題解決の一助となることを志していた私にとって、東南アジアを始めとした世界中からの留学生がエネルギー・環境問題解決に貢献しようと切磋琢磨して研究に取り組んでいる姿が大変魅力的に映り、志望するに至りました。
時松研究室では、教授や先輩から研究テーマを与えられることはなく、自ら研究テーマを設定し、研究活動を遂行していくことが求められます。時松先生は適宜学生の進捗報告を確認し、研究方針が外れている時に指摘と助言をするという方法で学生を指導します。研究活動で直面するテクニカルな課題については、自ら文献調査やシミュレーションを行い解決する必要があります。そのため、自己を律し、自分の研究活動に責任を持てない場合は論文を書き上げるのが厳しい状況になると思います。
しかし、自分から積極的にチャンスをつかもうとする学生へのサポートは大変に手厚いのが時松研究室です。本来であれば、海外の大学教員とコネクションや金銭的なサポートが無ければ、海外をテーマに取り扱った研究を行うことは出来ません。しかし、時松先生は出来る限りのサポートをして下さります。私自身、海外の大学とのコネクションや豊富な資金はありませんでしたが、先生のサポートによって計7か月程海外に滞在して研究を行うという機会を得ることが出来ました。
このように、時松研究室は志を持つ学生でなければ厳しい研究室であるという事に間違いはないと思います。しかし、自ら道を切り開いていく力を付けたい学生にとっては、絶好の環境になると思います。時松研究室に興味がある方は、ぜひ研究室に見学に来てください。
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
初めて彼と会ったのは、彼が卒論時に在籍していた研究室に私が訪問した初春のこと。彼の指導教員(私と旧知)から、ひょっとしたら今後お世話になるかも知れないからと紹介された。その時の彼は、まともに挨拶する訳でもなく、特段印象に残る学生ではなかった。その印象は、研究室訪問の時期でも1度だけ訪問に来るなど、さほど大きな印象の変化はなかった。彼の合格が決まった際は、私は彼を受け入れて大丈夫だろうか、まぁ、何とかなるさ、というもの。
ところがそうした彼の印象は一変。当研究室では入学前でも合格者には研究室の飲み会などには声をかけて参加を促す。彼は周囲に全く物怖じせず溶け込み、タイ語も駆使して留学生と交わる。さらに感嘆したのは、上司の2年に1度のOBOG会では、自身の卒論のポスター発表をA4紙に印刷し、誰彼構わず捕まえて説明して手渡し、研究成果の売り込み営業をするではありませんか!弱冠20歳台前半でこんなことするなんて、と感銘。
入学後一週間で、彼はサラリーマン金太郎(モーレツサラリーマン)とラベル。講義や研究に関するスケジューリング、文献収集や読み込み、自身が行う熱伝播シミュレーションの技術詳細の把握、私や共同研究先の産総研担当者への的確なホウレンソウ、事務職への丁寧的確な業務連絡、入学早々6月の国内での国際会議や、秋冬春のタイ滞在での研究者とのネットワーキングなどなど。タイ出張先の宿泊ホテルでは私の部屋の中に入り込んで給湯装置を見たいと。驚きの連続。研究者としての素質は既に十分具備。何故どのようにして、彼がこの素養を身に付けたのか、未解明。
査読論文対応についても、論文レビューや技術パラメータ設定のためのメーカーインタビュー、シミュレーション再計算など、我々や連名者にホウレンソウをしつつ、ほとんど一人でやりこなす。この頃には、私は彼をポスドクと呼ぶように。これがM1の終わり頃。
この時期に卒業した日本人学生との個別送別会の場で、新しい現行の教育体制で未だ達成した学生は全学的に恐らく居ないが、短縮修了するか?と彼に。この頃には思案の末に博士進学を決めていた彼は、その場で、お願いします、と。じゃあ、大変だが2人3脚でやるか、と。前例が無い故に、承認プロセスにも、2本目の論文となるタイでの実験成果の取りまとめなど、ハードでしたが無事修了となった。
彼にはその直後から、彼にとって初めての欧州3カ国での国際会議と武者修行に行ってもらった。これがまた一回り彼の視野と研究の幅を拡げることに。ここからの話は、彼が博士課程修了時に記す。お楽しみに(続く)。