Mako's Testimonial
水野 眞子
水野 眞子
私の2年間の院生生活を短くまとめると、「コロナウイルスのせいで全く想像もしなかった2年間。だけどその中でもベストな道を歩むことができた。」と言えると思います。
約2年半前、他大学に所属していた私が時松研究室の合格をいただいてから描いていた院生生活というものは、学部のころから扱っていた「利雪」をテーマにした研究を通じて利雪のエキスパートになって、、日々の生活においては毎日のように研究室に通い、留学生と英語でコミュニケーションを取り、たまには留学に行かせていただき、気が付いたらネイティブスピーカーのように英語を操ることができて、、という2年間でしたが、この想像とはほぼ正反対の日々を過ごすことになりました。
M1の4月。ほとんどが英語で行われる授業で、どんな新しいことを学べるだろうと楽しみにしていた矢先、コロナで授業開始が遅れ、いよいよ始まると思えばすべての授業がオンライン。院進学から東工大に来た私(かつ、それに伴い新たな地に単身引っ越してきた私)にとって、本当に孤独な生活が待っていました。東工大に友人もいない、オンラインだから新しい友達も一切できない、研究室のメンバーも誰がいるのか分からない、一人で何事もこなさなければならない状況が約半年続きました。
そしてM1の秋ごろ、社会全体としてコロナとの付き合い方が分かり始めたころから、私の院生生活がやっと始まったような感覚がありました。研究テーマや方針が決まり、公務員試験勉強も始め、しばらくすると就職活動も始まり、、、やらなければならないことが怒涛のように迫ってきました。しかし私は、すぐ近くに研究室メンバーがいることで自分のモチベーションをあげられる性格であるため、どうしてもやる気が出ない、自分の研究スピードが遅いのか早いのか分からない、研究内容・就活について気軽に相談することができない、という新たな悩みも付きまとうことになりました。
正直に言うと、結果としてこれらの悩みは修了まで完全に払拭されることはありませんでした。そのような状況の中でも、最初に申したような「ベストな道」=「学部から扱ってきた自分のやりたいテーマでの研究」と「国家公務員という高校生からの夢」を実現できたのは、時松先生が学生に寄り添ってくれる先生で、私のやりたいことや考え方を把握いただいていたからだと感じています。時松先生はコミュニケーションを大切にされているということは、研究室配属前からなんとなく伝わっていましたが、それを実感し、その大切さにも気づかされた2年間でした。
時松先生には、約3年前の研究室訪問のころから、私の将来やりたいことや興味のある研究テーマを詳しく聞いていただいていました。そのためいざ就活が始まり、併願する民間企業や就活スケジュールなどの戦略を一緒に考えていただく際には、的確なご助言をいただき、納得しながら就活を進めることができました。そして、公務員志望という就活期間がどうしても長くなってしまう状況の中、私が就活を終えた後にも思いっきり研究に注力できるよう、先輩にも多大なご協力をいただきながら研究サポート体制を整えていただきました。(ご協力いただいた島田さんには、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。)これはまさに、かねてからのコミュニケーションによって私という学生のことをよく知っていただいていたからこそではないかと思います。
さらに、先述したような私の夢ややりたいことだけでなく、性格(人間タイプ?)も良く把握していただいていました。主に研究を通じて、社会人になるにあたって欠如している点などもご指導いただき、社会人の先輩としても、できる限り多くのことを教えていただいたと感じています。学生の間だけではなく社会に出てからも私が活躍できるように、学生のうちからご指導いただけたことは大変ありがたいことだなと思います。
このように生活様式が以前とは全く異なる2年間でしたが、その中でも、希望していた研究テーマで修了することができ、かつ、高校生からの夢であった職場から内定をいただくこともできました。コロナ禍、そして公務員志望学生という、私にとっても先生にとっても初めてだらけの状況の中、最善を尽くしていただき本当に感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました。
最後に研究室メンバーへ。
研究室メンバーとは最後の半年ほどで、今まで交流できなかった分を埋めるように、(感染対策を講じながら)遊びに出かけたり、日本語書類の作成を手伝ったり、本当に濃い時間を過ごさせていただきました。卒業式の日も、私はほとんど一人で寂しく当日を迎えるものだと覚悟していましたが、写真を撮りに大学に足を運んでくれて、最高に思い出に残る卒業式になりました。東工大での楽しい思い出をつくらせてくれてありがとう!
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
ファーストコンタクトメールは、3年前2019年4月5日。「ホームページを拝見し、『技術の社会的意義を探求し、社会に対して明らかにする』という理念に感銘を受けまして」とメール。私は「理念に感銘を受けて、という学生さんは初めてで、嬉しく思います。」とバンコクから返信。その後、出願までに、3度ほど対面でお話をし、そのうちの1回は、私が米国東海岸から成田着~パリ行き羽田発深夜便の羽田空港国際線ターミナルで2時間。わざわざそこまでして私を捕まえてくれるのなら、受入れても無事に修了するまで、私をきっと捕まえてくれるだろう、と。実際、修了近くまで2人3脚、最後は独力でゴールイン。
その対面を通じての会話で、新潟出身で利雪利用、海外派遣、就職先は環境省、を希望とのこと。大学教員となってから経験を積んだ海外派遣だけでなく、温泉食道楽三昧の新潟に地の利もあり、私の幼少時の北海道暮らしでの雪氷苦労経験もある。利雪利用を学生さんと一緒に勉強でき、悲しいながらブラックと揶揄される霞が関で社会貢献したいという志に、夢を感じ、我々の研究室に来てくれたらいいな、と。
幸い、無事に試験も合格し、例年通り、入学前でも研究室での飲み会などにも参加。また、環境省勤務の私の高校同期が、本学でのセミナーで講演する機会にも参加してもらい、その後に3人で飲みに行き、彼から「水野さんは環境省でやってゆけるタイプだ」と(人物評価の)お墨付きを得ました。それが後ろ盾となり、国家公務員試験と修論のダブルで無事合格してもらうよう、尽力するのが私のミッションと。異例異色異彩の研究室OB前例とは違って、このダブル合格は教員としての私への挑戦状。
2020年になってからコロナの拡大。2月末の研究室7周年記念の会には引っ越しと重なって彼女は来れず、研究室在学生やOBOGなどと面識やつながりを持てないまま(これは痛かった)、4月入学から来校制限。この制限ゆえに、すずかけ台駅で学生証を手渡すことが出来たのが最初で、その次は秋まで機会がありませんでした。せっかく遠方から徒歩15分のところに引っ越してくれたのに。孤独にならぬよう、近隣学生とも顔見知りになれるよう、来校できずとも消毒液などを受け取れるステーションになってもらいました。夏を迎えるまでは、オンラインだけでのつながりで手探り状態。コミュニケーションが全ての我々の研究室は大打撃。学生さんは大丈夫と返してくれても、学生さんに少しは踏み込まないと・・・けど、踏み込むにも踏み込めない、という、もどかしい状況。1Q2Qは講義と公務員試験の勉強だけに終始し、研究の話をしても具体的にどう進めるか掴めない状況でした。
そんな中の夏秋頃、入浴中にエウレカ!と閃きました。眞子さんも島田さんも同じ熱(温熱冷熱)じゃないか。なんでこの2人で一緒に研究することを思い付かなかったんだろう!と。今までそうしたペアを組むことが無かったので、躊躇もありましたが、本人たちに相談したところ、試してみようか、となり、それが修論の道を拓くことに。街づくりという面的視点の卒論から、技術を掘り下げて理解を深める、という希望に沿ったものに修論を仕上げることに。
研究に限らず就活や公務員試験の進捗を伺うにつれ、「スロー・バット・ステディ」なら良いとして「慎重を期すあまり、石橋を渡り切れないか、石橋を叩き割る」、という性格に気づきました。これでは研究だろうが就活だろうが、合格るものも合格らない。M1最後3月から公務員試験実質7月まで、付きっきり。こうした機会でコミュニケーションを深化することが出来、非常にコマゴマとした気にする点まで、心情の機微な変化も理解できた。学生さんはどこかしら共通点がある。彼女とはそうした点で共通点を見出しました。その甲斐があり、コマゴマした意思決定や気になる点を、修論を仕上げるまで、意思決定をサポート出来た。
M2の8月。公務員試験と官庁訪問、内々定を頂く時期が見通せたあたりから、諦めた訳ではない海外派遣が出来ずとも、真夏に効果が得やすい修論直結の雪室技術調査を計画・敢行しました。実感を持てば何事も前進する(さもなくば進まない)も理解済みだったため。オリンピック反対の大合唱の中、感染が低い地域に移動することへの躊躇も感じながら、ピンポイントに日程調整を行い実行。非常に悩ましい判断。その甲斐あり、M2最後2ヶ月に直結する結果につなげてくれました。
盛夏を過ぎて、本格的に修論に邁進。期間が限られている中、じっくり待ち、考える機会と時間を持つところを確保するため、逆に実務的に「ここはバッサリ」のメリハリのノウハウを何度となくお話しました。実際に進めてみて実感してくれたことは、霞が関での仕事の回し方にも微力ながら貢献することでしょう。事前仕込みをしておいた国内外の学会発表の機会も無事にこなし、最後の2ヶ月は最初の問題意識に立ち戻って、自身の形にしたい研究に仕上げてゆきました。
研究室メンバーとの交流の機会も、2年間、制限されたままでした。それでも秋には感染が収まり、どうしても抑制的にならざるを得えなくても、マスクしての黙食であっても少人数で直接顔を合わせながら機会を持てたのは幸いでした。ご本人が希望していた、2年間でネイティブ並みに…の機会には、程遠かったのが痛恨。
小中高大と6.3.3.4と長年積上げてきた学生目線からは、修士2年間は大きな追加。けれども実際に入ってみると学生さんにも、受入・仕込み・送りだす教員側にも、実際的にはたったの2年間。相手は月毎季節毎に状況が変わる。その状況を理解し、先を見越し、先回りして機会を考え、就活も後押し、研究大学として研究を進め、学生の成果発表と機会と確保を行い、無事に修了に至らせる。最後まで諦めず、公務員試験と修論のダブル合格を一緒に進めた、眞子さんとの濃密な3年間は、教員として私に経験を与え、一回り成長させてくれました。幸せでした。ありがとうございました!