Among the wide-ranging variety of laboratories, I chose the Tokimatsu Laboratory to pursue my Ph.D. degree. Looking back, I can say I was fortunate to get the chance to conduct my studies in this laboratory for the following reasons:
As someone like me, who completed their tertiary education (bachelor's, master's, and doctoral programs) in three different universities, I found the educational environment of the Tokimatsu Laboratory incredibly precious. I had complete freedom to work on topics of my interest, and as a result, the three-year journey gave me immense study satisfaction. Instead of rushing the students to come up with quick research results, Prof. Tokimatsu always focused on providing the ideal platform by allowing students sufficient time to develop all the necessary fundamentals of their research areas. Therefore, by the time I started my research, I had already become very familiar with the crucial details in my field of study. Besides that, unlike many supervisors, Prof. Tokimatsu does not require his students to meet set lab core hours. Instead, he gives them the freedom to show up in the laboratory at the time they want. He, at the same time, trusts his students to conduct their work and report to him periodically. This approach provides a great way for students to develop self-discipline skills and realize the status of being a graduate student.
Tokimatsu Laboratory provides a vibrant study experience through the international atmosphere the laboratory enjoys. Interacting with other students who come from various backgrounds and different walks of life has expanded my awareness and the way I look at life. As for the cons, although Tokyo Tech is equipped with the most advanced experimental instruments and technologies, it is a national university with a very long history. Thus, it is better not to expect brand new desks and chairs. Furthermore, Tokimatsu Laboratory is located in a rather distant area from Tokyo. This can be inconvenient, to some extent, for those who live in Tokyo and dislike long train commutes. However, Prof. Tokimatsu also offers his time, when possible, in the Ookayama campus, which is located in Tokyo.
I will cherish the memories that we had in our group immensely. I hope for more successes to come for Prof. Tokimatsu and his group.
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
彼からのファーストコンタクトは、2016年3月初頭。初めての日本語による留学生からのメール、しかも初めてのサウジアラビア。当時はM1で技術経営を、学部では電気工学、博士では母国において一般家庭に太陽光発電を普及させる政策研究を行いたいとのこと。彼の経歴と、日本は多大にサウジアラビアに支えられていることの恩返し、サウジに太陽光発電を広める?大変ショッキングでチャレンジングなテーマ、これに取り組む若者を育てるなんて何と素晴らしい、と。研究室で直接会って話したら、人柄が良く素晴らしい好青年。我々の研究室に是非、と。教育改革1年度が終了した混乱時に入学。複雑怪奇な単位履修方法、リーダーシッププログラムや一般教養のように特に狭き受講枠は、日本語を読めて話せる彼のような留学生でも「全くわからない」代物。彼に限らず、特に私学から来た学生は、「学生相談」「学生支援」「教務」の漢字さえ認識でき、そこに「駆け込み」助けを求めれば、詳しく丁寧に説明もあって困ることがないのに、と。本学の事務システム改革として非常に重要な意見だと思った。学生は若いからか、1つのことに集中没頭できる。逆に複数同時にマルチタスクで同時並行進行が、得てして苦手(自分も若い時はそうだったかも知れない)。彼の3年間を振り返ると、授業、文献調査、調査票作成、調査、分析、査読付き論文執筆、学位論文執筆、査読対応など、思い出せるだけでも、彼の場合は時期がかなりクリアーに分かれていた。結果的に時間に間に合わせたが、これは良くなかった。研究は時間がかかる。研究を進めないと卒業が出来ない。博士課程の最初から、単位履修の受講をしつつ、少しでも研究を進める必要があったのだ。学生本位を重視すると、そのスケジュール管理は容易ではなかった。結果的に後になって皺寄せが来て、帳尻を合わせる。仕方なくMDPIに高額なOA費を払う。そうは言っても学生一人ひとり個性、事情、ペースなど千差万別。会社と違って給与の対価としての命令ではなく、彼らの興味関心探究心を殺ぐことなく、モチベーションを保ちながら進められるよう、特に感情に配慮せねばならない。教員になって理解した。学生は教員には見えない内面に脆さを抱えている、と思って接すべしと。予算・卒業までの時間制限・私の時間など全てが限られたリソースで、事務日程・論文投稿など様々な制約をやりくりしながら、間に合わせ、卒業させてやらねばならない。国費等の留学生の場合、在籍期間延長は奨学金を止められ、生活不能になる。審査期間延長という方法もあることも説明した。このようなことを、複数同時に審査を受ける博士学生がいる。マネジメントは教員の力量が試された。私も教員として鍛えられた。彼と議論をしていて、もう1つ理解したのは、彼はパーフェクトに正しく、クリアーで曖昧がなく、ルールで定められていないと安心できない。これは、何事も良くも悪くも曖昧な日本社会とはまるで違う。これは個人的性格のみならず、育ってきた文化的背景の問題とも推察した。アラーの神と八百万の神。ここはリクエストされる以上、サーブする立場である教員側もスタイルを変えて対応するしかない。そうは言っても「全知全能のアラーの神ではなく、私は単なる人間なので、調査はやってみないとわからない」。彼にはさぞかしストレスだっただろう。学位論文を審査する教員になって理解したのだが、よくある問題点は論文構成やまとめ方である。彼の場合そこは問題なかった。調査票と分析の段階から、彼がロジカルに整理したからだ。彼の場合、彼にとって最もストレスだったろうことは、元々彼にとっては暗黙の前提に関わる点について「わからない」とコメントを何度も頂いたことであろう。彼に限らないが、最後は如何にわかりやすく「伝える」ために、書き込むか、見せるか。彼との作業もそこに心血を注いだ。
彼とホワイトボードに描きながらのディスカッションで、学位論文の構成の見せ方を二人で開発した。我々のイノベーションの宝物と呼んだ。そうした作業は他学生の学位論文のみならず、私自身の論文執筆スタイルにも好影響を与えた。本当に知的な成長を感じさせてくれる機会だった。こうして、査読付き論文を1本1本作る作業もさりながら、学位論文としてまとめる作業はタフだった。本人はそうしたストレスを溜めながらも、質を上げる努力を行っていることを正確に理解し、全身全霊を込めて学位論文の修正作業に当たった。2,30代の若さを既に失っている50歳教員は、その若いパワーをサンドバッグのように受け止め、一緒になって創意工夫を考えた。唯一無二の、彼にしか出来ない仕事を学位論文という形にして世に出すことの使命感。タフだが同時に、知的刺激と興奮で、大変やりがいのあるものだった。そして「私のところでなかったら、カリードさんの学位論文は作れない」と励ました。彼の学位論文での調査自体も大学学部から日本に留学し、彼の人柄による信頼で、長年かけて彼が築いた人脈によるもの。未来永劫、この世おいて、彼にしか出来ない仕事。彼は本邦サウジ国大使館とご縁を頂き、大阪G20サミットにも同行した。彼の仕事は、今後の世界のエネルギーと経済を支える上で、同国の政策にも多大な影響を与えるものと信じる。そして、そのような成果が当研究室から世に出すことを出来たことを誇りに、嬉しく思う。