I sent an email to Yoshikawa sensei on 23rd February 2016; coincidentally, he was attending a conference at Hotel Bangi Putrajaya with Dr.Tan Ee Sann. The interview was done on the same day, and Yoshikawa sensei suggested to conduct research in Techno-economic assessment. He suggested Tokimatsu sensei was assigned as a potential supervisor. I spent 3.5 years as a student in the Tokimatsu laboratory. The experiences I gained from the Tokyo Institute of Technology were different from my master's and degree. It is crucial to conduct research in the area of expertise to avoid dependency on the supervisor. Besides, it is essential to have a small group circle with the same research area. Being a Ph.D. student in the Tokimatsu laboratory is about the challenge of responsibility, independence, culture, knowledge, and resource. I am glad as I am the first female Ph.D. student who graduated from Tokimatsu Laboratory. Lastly, I would like to thanks Tokimatsu sensei for his willingness to become my Ph.D. supervisor and towards his contributions towards my research.
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
彼女は、私自身が面談もせずに受け入れることになった最初の学生でした。彼女の在学期間中に、ご自身の退任を迎えるから指導教員になって欲しい、というのが上司からの依頼。日本の生命線を通過するマレーシアにおいて、将来大学の教員になられる予定。マレーシアの主要産業の1つである油椰子の廃棄物問題を解決したい。私には未知なる課題。インドネシアが多い中で多様性が高まる嬉しい話。在任中に実験系の研究テーマについては上司ご自身で指導されるとの約束で、お受けすることに。本人も不安だったと思います。指導を請いに面談した相手に、見たこともメール交信もしたこともない相手を指導教員にする、というのですから。
来日・入学して面食らうことが多かったと思います。英国で修士課程を経験した彼女には、日本の大学教育や研究室運営などシステムは初期の頃は馴染まなかったようだ。ましてや現行の新教育体制開始直後の混乱。また、日本の食習慣では避けられない醤油や味醂。恐らくやや厳しめのムスリムで赤子を抱えた彼女には、当時相当ストレスフルだったに違いない。
赤子を一人産み、幼児期育てること自体、博士論文1本の労力に相当する。このような制約を抱えながらゆえに、研究テーマの選定も研究活動も慎重に進めざるを得なかった。初期の頃は講義単位取得を中心としつつも、上司のマレーシアでのプロジェクトのスタートアップを待たざるを得なかった。プロジェクト開発のために本人を(ご家族ごと)一時帰国させたりもした。時間を失いたくないので、同時進行でプロセスシミュレーターや経済性評価などの準備もするよう本人と話しをした。結果的には、この方針で正しかったようだ。
それにしても、強い制約下での模索は、本人はもとより、私にも精神的にしんどいものだった。最初の査読付き論文は、レビュー中心の論文。これが正規卒業の半年前。これでは間に合わない。本人からの提案は、奨学金が実質的に半年延長できるので、卒業を半年遅らせ、残り1年で実質2本の研究内容を終わらせ、論文化する、というもの。データ収集や分析、論文化作業を考えると時間がタイト。それでもそれ以外に手がなく、最後は月・週単位で修了事務日程を睨みながら、研究を進展させて行った。急ぎも焦りも禁物。何とかなるさ、とお互い最後まで悲壮にならず、無事間に合わせた。
彼女は、家庭では母や妻の役を果たし、博士論文の作業もこなし、この状況を3.5年間継続して達成したことで、研究者としても独り立ちをし、自信を付けて帰国したことと思う。実験系の経験も、経済性評価の経験も両方経験をしたことになる。母国の産業と環境の両面を理工学から考えられる。母国で教鞭をとられ、更なる研究の発展と教育に貢献されることを期待します。