私が時松研究室に配属されたのは学部3年の2月ごろでした。当時の私は、研究に関してあまり考えておらず、研究室の見学もしないまま、ホームページで持続可能社会の実現に向けた研究が面白いかなと何がやりたいでもなく、漠然とした感じで希望調査票を提出し時松研究室に配属となりました。入った当初、先生より、何かやりたいことを先輩に聞いて見つけてくださいと言われつつも研究室にあまり行かず(コアタイムがないこともあり)だらだらと過ごしていました。時松先生は生徒がやりたいことをしっかり持っていれば、海外派遣や学会情報など様々な支援をして応援をしてくれますが、やりたいことを持っていないと難しいようで、自分がやりたいことをさせてあげたいというお考えからか、どうしたら良いかわからないという膠着状態になってしまいました。私が6月まで全く進展がなく来たものですから、大学院入試を第一志望で出していたものの、うちで本当に受け入れて良いものかわからない、ということで、他の研究室に行くことになりました。ただ、大学院入試の勉強については大変だろうと、きちんと気遣いをいただき、しっかり勉強させていただきました。大学院入試後、先輩が行なっている研究でやりたいことを見つ
け、しっかり支援していただき、関連研究の先生のご紹介や、大分での実地調査に派遣させてくれるなど、様々な支援をしてくださいました。その結果、研究に関する心構えを学び、また無事に卒業させていただける結果となりました。また、海外へ行く機会としてマレーシアへの一週間の短期プログラムを提案くださり、行くこともできました。この研究室は東南アジア諸国との連携した研究を多くしていることもあり、多くの留学生が所属しています。(むしろ日本人が少数です)留学生は英語が苦手な私にも優しく、時松研究室(合同研究室の高橋研究室も)はとても良い学生が集まっています。また、上記した通り、時松研究室は何がやりたいか定まっていない人にはあまり良い環境とは言えませんが、やりたいことがあり、それが当研究室にフィットしている場合は、精一杯支援してくれます。そのため、やりたいことがあり、近いなと感じれば、先生に連絡をとり、一度お話しする機会をいただくと良いかと思います。精一杯、最善の選択へサポートしていただけるかと思います。
Tokimatsu sensei's response(教員からのコメント)
彼は、現行の新教育体制に移行し、融合系学部から、すずかけ台にも配属されるようになった学部学生の第1期生。受入可否選択可能な大学院入試と異なり、学部生配属では学生意向のみ聴取され、教員側には受入以外の選択肢はない。12月末日に配属が公開され、実際に本人と話しが出来たのは1月中旬頃。彼は甘いマスクの長身、物腰柔らか、静かな語り口の、落ち着きのある学生でした。研究室ゼミの自己紹介で、彼が内部生、サッカー選手、などを語った際に、中国人女子学生の目が何人も輝いたことを克明に思い出せる。12-2月は例年過酷に多忙な上に、上司の退官記念パーティなどもあった。「私からコンタクトを取る時間も余裕もないから、特定課題研究のテーマ選定や文献調査について、私にメールを入れて」と、彼を含む2名の配属学部学生には伝えた。とは言っても学部生だと自ら能動しないのが普通。ゼミに彼が出席していても、本当に多忙のあまり、ほとんどコミュニケーションも出来ない状況が続いた。研究室メンバーへの巻き込みが不十分にも関わらず、3月末の退官記念パーティで、彼は活躍してくれた。一人で私の飲みに最後まで付き合ってくれた。年度変わり4年生になってからの数ヶ月間、卒論、就活、大学院試に関する会話が本格化。就活と院試の両方を行うという理由で、年度前半で終了する特定課題研究ではなく、通常の卒論を選択。これをやりたいというテーマが無く、何をやってもそれなりに楽しめる、というので、反って梃子摺った。本人の反応や発した言葉をキーワードに、赤い糸を手繰るように、色々と文献等を渡した。本人の回答は本人なりの理解と考えがあったが、本人のストライクゾーンが広く、ピンポイントな答えを本人も見つけられず仕舞い。就活に関しても、行きたい会社は絞られているが、何故その会社でなければならないのか、何をやりたく、何を目指し、何(のキャリア)を得たいのか、など十分に答えられず。大学院進学についても同様。会話を重ねるにつれ、サッカーでもオールラウンダーで、何事にも無難に卒なくこなせる総合力が高い人材だと理解するように。不可解な状態からは脱却出来たものの、本人が持つ目的に対してバックアップサポートを行う方針の私は、何の指導をして上げたら良いのかわからない。途方に暮れる。これでは私自身のリソース投入や、自己目標を高く掲げて入ってきた研究室メンバーにも良くないと判断。大学院では受入ないことに決めた。本人は比較的成績も良く、他研究室で合格するとともに、他大学にも合格して、最終的には道を拓いた。この決定は腹痛を伴い、これで良かったのか、と自問自答を繰り返すことに。卒論テーマも院試後に、関心が近そうで、日本人を必要とするイラン人学生とのセット、という何とも消極的な決まり方に。本人とも何度か事ある毎に話しましたが、本人は例の要領で自分はこれで良いと思うと。このような状況ではあったものの、在籍期間中は本人のためになる機会を、とマレーシアの貧困地域への派遣を捕まえて支援し、イラン人学生との国内調査派遣の機会を作り、卒論も外に出して恥ずかしくない程度には行った。私にも教員として考え方の幅を拡げてくれる経験を彼はもたらした。私との経験で、彼の今後の成長の糧になってくれればと願う。