幸野溝
世界かんがい施設遺産
世界かんがい施設遺産
民放のドラマ「水戸黄門」を見ていたら,人吉相良藩の「幸野溝」の構築にまつわる出来事を題材にしていた.「幸野溝」は相良藩士高橋政重(1650-1726)が元禄9年(1696)に工事に着手し,10年後の宝永2年(1705)に完成した灌漑用水路である.その間,度重なる球磨川の氾濫で堰堤の構築は難航を極めたことで知られている.肥後熊本藩では加藤清正の水利事業(注)が有名であるが,「幸野溝」は,2016年(平成28年)に「幸野溝・百太郎溝水路群」として国際かんがい排水委員会のかんがい施設遺産に登録されたのを機に再認識された.注) 「白川流域かんがい用水群」は平成30年に登録された.
若い頃,市房山に登った際に「幸野溝」は見たはずであるが記憶に残っていない.曾祖母が相良藩に仕えた楢崎家の出身であることから,ゆっくり史跡を訪れてみたいと思っていたが,運転免許を返納したこともあり実現していない.
Googleの地図で調べると,幸野溝,百太郎溝は地図上に描かれている.下図の例では右上から左下に細い水色の線で描かれ幸野溝と描かれている.水路を辿っていくと溝に架かる橋周辺のストリードビューで見ることができる.湯前町馬返(湯前町浜川馬返?)で球磨川から取水し,多良木町を通って末端はあさぎり町の神殿原(こうどんばる)に至る水路(総延長15.4km)は,現在はコンクリート張りに改修されている.なお,市房ダムはズームバックしていくと右上に現れる.
湯前中学校横の幸野溝
国土交通省の資料にとると,球磨地区では川辺村(現在の相良村川辺かわべ )の新井手(寛永3年 1626 年)が小規模ながらこの種の事業では最古と言われている.続いて柳瀬(やなせ)蓑毛(みのも)(現在の相良村柳瀬)の新井手も築造された.また,大規模工事として 百太郎(ひゃくたろう)溝(宝永 2 年、1705 年),幸野(こうの)溝(宝永 2 年 1705 年),木上(きのえ)溝(宝暦 9 年 1759 年)が築造された.これらの溝は,幾たびの改築を経て現在もその機能を発揮している.
昭和,平成の整備状況
市房ダムの建設に伴い,昭和33年から42年にかけ,幸野ダム(球磨川)のほか水路等の大改修を行われた.その後40年経過後,漏水が目立つようになっ たため,平成9年から平成16年にかけて県営かんがい排水事業により大改修が行われた.また,昭和35年の市房ダム建設に伴い,あさぎり町岡原から錦町の永野地区まで新幸野溝が新設され,畑地帯であった地域が美しい水田となった.
熊本県の資料によると,市房ダムの建設の際,少し下流に幸野ダムが建設された.幸野ダムは,市房第一発電所からの放流を一旦調整池に貯め,幸野溝かんがい用水を供給すると共に,市房第二発電所から放流することで下流にある百太郎溝及び鮎の瀬堰のかんがい用水を供給している.
現在,地球のあちこちで干ばつが起きている.最近のニュースによると,マダガスカル南部では,厳しい干ばつが3年連続で続いたことで農作物がとれず,人口の114万人が深刻な食料不足に陥っているという.WFP=世界食糧計画のビーズリー事務局長は,厳しい干ばつの背景には気候変動もあると指摘し「紛争もない場所で静かな悲劇が起きている.気候変動の原因をつくっていないマダガスカルの人たちが気候変動によって命を奪われている」として,国際社会の支援を呼びかけている.
日本では,先人が苦労して造ってくれた灌漑用水路が干ばつで用を成さなくなることなど,誰も考えていないと思う.地球温暖化を抑え込むことが,人間が洪水,干ばつを制御する唯一の手段である.
(2022.2.12)