デザインフェスタVol.55 20220521
泥の中、徐々にワタシが私となっていくのを感じている。
揺蕩う意識の中で、最初に感じるのは黒い光。堅い蕾がゆっくりと花開く、その一瞬を狙いすましたかのように照射され、淡紅色の花弁が鈍色に染まった。
ズルリと引き出される茎はいつの間にか薄墨色の衣となり、はらりらりと棚引く袖となる。
空を仰ぐ花面と天へと伸びる両の腕。その姿は信愛と敬虔さとを孕み、まるで人の子たちが描く宗教画のようだった。
鈍色の蓮の花は動く。
かの御方の御意思に叶うように
鈍色の蓮の花は願う。
かの御方の御心に届くように
鈍色の蓮の花は狩る。
全ては、かの御方の御為に
いつからだろうか? それを感じたのは。
日々の中でたびたび起こる既視感に苛まれ、答えを知っているパズルを紐解くような奇妙な違和感を抱く。
そして、彼女に出会った。
初めて会ったはずの鬼の娘。
何処か達観したような、諦めたような雰囲気を纏う彼女は、私の姿を認めると、ホッとしたような、悲しむような、寂しげな笑みを浮かべた。瞳に光のないくらい眼差しを向けられた私は、心のどこかで歓喜する。
嗚呼、今回も見(まみ)えることが出来た。
これで……
不思議な高揚感の中、私は彼女を生贄に儀式を執り行う。捧げる先はあの御方の御許で、贄となる彼女の内包する巨大な力は、あの御方の大いなる慶びになるに違いない。
初めてのはずなのに何度も執り行うかのように、酷く順調に事が運ぶ。
やがて、儀式が終わり、彼女を処刑すると同時に溢れ出す力の奔流。それに巻き込まれた私は身体を散り散りに四散させながら、意識の端であの御方の優しい光を感じるのだ。
それは、私への労りに報いるように穏やかで、まるで幼子が母に抱かれるようなこの上なく貴い抱擁を感じながら、私の記憶は幸せの内に幕を閉じる。
そして、また蕾をほころばせ、ワタシは私となるのだ。
最後に感じることのできるあの御方の尊い慈悲を夢見ながら……
それは、とっておきの場所を披露した瞬間だった。
木々が生い茂った先、岩が風化して出来た隧道を抜けると広がる絶景は、まだ誰にも教えたことのない自分だけの特別な場所。眼下にはポンポンと手毬のように満開の桜の塊が点々と、手前には満開の花蘇芳が枝から零れんばかりに咲き誇る。足元に揺れる草花は春の訪れを祝うかのようで、辺り一面に華やかな香りが漂っていた。
「此処に案内したかったんだ」
そう言って振り返ると、どこか懐かしそうに目を細める君がいて、その郷愁漂う雰囲気に、ゾクリとしたものが背筋を走る。
「……とても……とても素敵な場所じゃな」
溜息にも似た細く吐き出された息は、かすれた声を纏って花の香に紛れた。不自然に開いた間に隠された言葉を探すように笠の下から覗いた眼は、彼女の眦に宿る雫を見逃さない。
自分の『とっておきの』この場所を彼女に最初に見せたのは自分ではない。
そんなはずはないと思う一方で、何処かやっぱりと思ってしまう自分もいて、よく知っているはずの彼女が急に見知らぬ者に感じてしまい、つないだ手をギュッと握りしめた。
「ん? どうした? 腹でも減ったのか?」
繋いだ手に力の込められたのを感じたのだろうか。
彼女はそう言って綺麗に笑った。何処か仕方ないなぁと言わんばかりのその表情は自分の好きな彼女の笑みで、それが酷く嬉しかった。
「うん。此処で食べる弁当は格別なんだよ」
笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え笑え……目尻を下げて口角を上げて声を弾ませて!
自分に言い聞かせて表情を作ると、彼女が持つ籠を覗き込む。
「早く食べようよ。もうお腹ペコペコなんだ」
「仕方のない奴じゃの」
優しい声は慈愛に満ちて……それが何だか酷く悲しかった。
彼女と一緒にこの景色を眺めながら弁当を食べる日は、二度とこないのだと何故だか理解してしまったからかもしれない。
雛儺は走る。
大切だった宝物(傘)は、既にどこにあるか分からない。手にあるのは大切な彼女の『お花』で、走る先には大好きな朱殷の姿。彼女は決意を込めた目で仲間に対峙していた。
キンと張りつめた空気に足は止まり、そこから目を離すことは出来ない。
止める仲間を倒し、こちらに来る彼女の目に、自分が映っていないことは明白で、すれ違った彼女へ差し出した彼女の『お花』は一顧だにされなかった。
震える手がカタカタと『お花』を揺らす。
立ち去る彼女の姿を呆然と見つめ、自分では止められないのかと己の無力さを突き付けられ膝をつく。
縋りついた赤い花はゆらゆらと揺らめき、見上げてみれば、揺れる彼岸花に彼女の柔らかい微笑みが見えた。
「それでも、彼女を助けたいんだ」
ポツリと呟いたその時、きっと救ってくれるであろう御方の姿が脳裏に浮かんで、はっと目を見開いた。
慌てて立ち上がる。カタンと倒れた『お花』に「ゴメン」と呟いて、何も持たずに急いで走り出した。
無力な自分に出来ることは多くない。それでも出来ることがあるなら手を尽くさなきゃ……
例え壊れても構わない。
だって、大好きなお友達だもの。助けに行かなきゃ。
だって……また、一緒にお花を見に行くんだ。
だから……
あの御方の御力を持っても彼女の暴走を止めることは出来ない。
それでも勢いが弱まったその瞬間を狙って、両手を広げて彼女を抱きしめた。ポンポンと宥めるように背を叩き、大丈夫だよと言葉にならない息が零れる。
朦朧とする中、彼女の叫びが聞こえたような気がした。
やげて、薄れゆく意識。最後に浮かんだ言葉は一つだけ……
『お花、渡せなくてごめんね』
いないいないいないいない。わたしのカタワレ。もうひとりのワタシ。
居たはずなのに誰も居ない。居るはずなのに居ない。
心の奥底で、ひとりは寂しいと泣きじゃくる私がいて、それでも私は生まれてからひとりだった。
どこまでも続く雪原の中では孤独しかなかった。
記憶に居ない誰かの面影を探して惑う。
そう『誰か』なのだ。
探してると言いつつ、私はその探す相手を知らない。探す理由も知らない。本当に存在しているのかすら分からない。
分からないことだらけなのに、心の奥底で『その存在』が自分の隣にいないのはおかしいのだと嘆き悲しむ。
白い世界。視界の隅から隅まで白に覆われ、天地も分からぬほどに雪で埋め尽くされる白の監獄。
嘆く気持ちに呼応するかの如く世界を白で埋め尽くしていた。
そんな中、一筋の光が遠くを指し示す。
私は迷う。
此処を離れたら見つめて貰えないかもしれない。
それでも……
後ろ髪を引かれる思いを振り切って、嘆き疲れた私は一歩踏み出した。
今までどれだけ待っても誰も来なかったのに、今更誰か来るはずがない。
それならば、私が何処かにいるその相手を見つけ出そう。
やがて、出会うのはとても優しい方々。
差し出される手に感じる既視感。
これじゃないと感じる違和感。
一人じゃないと緩む安堵感。
求めるものではないと感じる飢餓感。
そして、ぐらりと世界は歪む。
音もなく世界は巻き戻り……
――――つぎこそは、きっとあえる……たいせつなたいせつないとしい『かたわれ』
違和感を感じたのは何時だっただろうか?
悠久の時を生きる自身には、時という概念はあまりにも儚すぎて、感じたソレへも関心を持つこともなく流れるままに過ごしていた。
見過ごせなくなったのは何時だったのだろうか?
幾度となく繰り返された「初めまして」の挨拶に、飽きることなく繰り返された友人たちや弟子との予定調和のようなやり取り。
何気ない振りをして好物を取り揃えてみれば、何故自分の好きなものを知っているのかと驚く顔が愛おしかった。
驚きに目を見開いて「ソナタも?」と尋ねる鬼の娘に、なんのことだかと首をかしげて見せれば、娘は軽く首を振ってなんでもないのだと応える。
多少の違いはあれど、毎回決まったように代り映えのない繰り返しの中で、綻びが一つ二つと増えていく。それはまるで水滴が岩を穿(うが)つように、ゆっくりと、けれども確実に変化していた。
己を持たぬ紙の子が、恩に報いるときだと炎の蜥蜴を身に宿す。
雷雲を乗り回し転げ落ちていた幼獣が、大地を踏みしめ走り出す。
陸へと登りし海神(わだつみ)の子が、友誼を胸に得物を握る。
白き花の娘が、己が樹木を白銀の刃に変えて携えた。
幾度となく倒れ、破れる妖たち。それでも諦めずに立ち上がり、友を止めるのだと立ち向かう。
その健気な姿を送り出すたびに、浮世の事象を眺めるだけだった己の心がいつの間にか変化していたことに気付くのだ。
倒れ立ち上がる愛し子たちに、変転を司る己が力を添えて送り出す。
一時ばかりの龍の加護が、汝等の行く末の助けとならんことを願いつつ、頑なな鬼の娘の心に幾ばくかの変調があることを祈って。
やがて見(まみ)えた異国の妖たちは、鬼の娘を贄にしようと刃を銃口を向ける。
あがらう愛し子たちに、襲い掛かる巨大なる異国の力。
少しでも助けにならんと風を送る。春を告げる雷鳴のように力強く、綻ぶ花の吐息のように優しい、神の息吹。
拮抗する西と東の力。狩る者たちと護る者たち、そして惑う者。
やがて、差し伸ばされる腕と引き留める腕との狭間で、鬼の娘の力が暴走しだした。
その力は強大で、辺り一面に襲い掛かる凄まじい力の奔流。その場にいるすべての者全てに襲い掛かり、我の力をもってしても、抑えきることは叶わなかった。
鬼の娘の力の前に、西も東もなく押しつぶされたのだ。
それでも、皇を手にし男は鬼の娘の力を止めようと奮闘す。
その様子をジッと見ていた傘の女童が、何かを決意するかのように身を固くした。察した我が止める間もなく、傘の女童は走り出した。
そして……絹を切り裂くような鋭い叫び声が上がる。
傘の女童が硬く目を閉じ、鬼の娘の嘆きが辺りに響く。
力が緩んだ。その時を逃すほど相手は甘くない。鈍色の蓮は配下に命じ、鼓舞して、力を付与する。
ユラリと立ち上がる異国の妖達。
させるものかと我も力を奮う。
傘の女童の回復を桜の姫と金色の獣の二妖に任せ、場の制圧に専念する。先駆けの者たちへ加護の涼風を、深手を負った者たちへ治癒の薫風を、歯向かう者たちへは黒風を与えたのだ。
そうして、全ては終幕へと向かっていき……嗚呼、また戻るのか?
世界は暗転した。