DD20形
1963年から1965年に合計2両が製造。前年に製造されたDD51の1号機をベースにエンジンを1機とし、入れ換えや貨物牽引に用いられていたDD13の後継となるはずでした。
しかしながら、中途半端な重量であったため量産には至らず、代わりにDD20の改良型であるDE10が量産されることになりました。
晩年は新潟エリアで入れ換えやDD53と組み冬季の特殊排雪列車に用いられていました。
DE50形
1970年に1両が製造。DE10をベースに機関出力を強化し、DD51の後継となるはずでした。
試験結果は良好だったものの、オイルショックや国鉄の財政悪化などにより量産は中止され、しばらくはDD51と共通で使用されていました。
廃車後は解体されず、現在は津山まなびの鉄道館で保存されています。
DE11形2000番台
1979年から4両が製造。1両だけが製造された1900番台をベースに更に騒音対策を徹底し、従来車と比べて床下を覆うカバーの設置やラジエーターを2エンド側に移設するなど、大規模な設計変更が行われています。
DD11形1次型
1954年に3両が製造。戦時中に休止路線となっていた白棚線を復活させる計画の一環で製造され、コストダウンのために気動車の部品を多用した結果、国鉄初の液体式ディーゼル機関車となりました。
非力ながらもメンテナンスが容易だったためか、1978年まで使われました。
2号機が廃車後ベトナムへ譲渡されてしばらく使用されたのち、荒廃した状態で放置されていましたが、2023年初頭に綺麗な姿に復元されております。
DF90形
1956年に1両が製造。国鉄や海外への売り込みが主目的で翌年に国鉄が借入れ、水戸機関区に所属し常磐線で急行の牽引などで使用されました。
エンジンはMAN製の16気筒で1680馬力を出力する当時としてはかなり大出力のエンジンで、DD54の試作機ともいえるDD91が製造されるまでは国鉄で最高出力でした。最高速度も100km/hと国鉄の在来線用ディーゼル機関車では最速でした。
1958年にはA.R.C.の鉄道展にDF41などと共に展示されています。
1961年には国鉄が購入し、引き続き常磐線で使用されていましたが、常磐線電化を機に秋田機関区へ転属、重量が重く扱いづらかったため、入れ換えに使用されるくらいで目立った活躍がなく、1971年に廃車。その後解体されています。
DF91形(初代)
1959年に台湾鉄路管理局向けに製造されたR0型の内の1両を借入たもので、約1ヶ月の間常磐線で使用されました。
台鉄の納入仕様に合わせるべく、背の高いボンネットを持ったセミ・センターキャブのアメロコスタイルが特徴です。
借入期間終了後は小改造の上、他の車両と共に台湾へ輸出されています。
R0型も公開しておりますので、ぜひご利用ください。
DF41形
1958年に1両が製造。翌年に国鉄が借入れ、福知山機関区に所属し、主に山陰本線や福知山線で使用されました。
エンジンはバーマイスタ製のユニフロー掃気ディーゼルエンジンを採用し、国鉄で唯一の採用例です。また、借入れ試作機では珍しくSGを搭載しており、冬季の暖房車連結が不要となっています。
国鉄での借り入れ前にDF90と同様にA.R.C.にて展示されており、借入れ後しばらくしてからDF92に形式が改められました。1962年にメーカーへ返却されています。