1991年8月12日
出発。朝AM7:30。青いリュックを担ぎ片手にジェリカン、もう片手にヘルメットをもち、家をでる。AM8:00大阪空港着、たくさんの友達が見送りに来てくれてた。少し話した後、入国ゲートに並ぶ、みんなの励ましの言葉を聞くごとに不安と寂しさが込み上げるGATEに入る瞬間一人一人の最後の言葉をもらう。ゆっくりと一人一人の顔が過ぎ去った。・・・・一人になった。
機内に入る通路で屋上にいるみんなに手を振る、そして機内に乗り込む。連れにもらったテープを聴き出発を待つ。KORIAN AIRが動き出した。みんなと本当にお別れだ。・・・・・・・・・・
途中、SEOUL経由でPM7:10(PARIS時間)パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着する。人波に付いて行なんとか荷物を手にしたものの、何のチェックも無しにあっさりとGATEの外へ出れた。ヨーロッパはやっぱ違う。
これからだった、日本で調べておいたGRENELLEと言う場所に行きたかったのだが、どうやって行けばよいのか全くわからない。空港はバカでかくパリの町まではタクシー、バス、地下鉄のどれかに乗らなければならない、とにかく地下鉄に乗ろうと決め、空港の出口でまず一服。しばらくして地下鉄の駅まで行くバスを探したがこれがなかなかわからない、グルグル歩きまわって、やっとバスを見つけ出す。バスの中は当たり前だが外人だらけだ。5分はど無言の重たい空気が続く。
地下鉄に着き不安を持ちながら地図を広げ地下鉄の駅を指差し、「ここまで!」と身振り手振りで何とか切符を買う。暗い地下道を通り、荷物とともに電車に乗り込む。電車に乗り込むと中はお決まりのようにスプレー落書きがあった。気味が悪いと思うやいなや、中東のような曲を流しながら片手にラジカセを持ったレゲー風の兄ちゃんが目の前に登場。・・・・・その状況で約40分、目的の駅に着くころにはもう真っ暗、右も左もわからず、また日本で調べておいたホテルの場所もわからない、タクシーのおっちゃんに聞いてやっと目的のホテルへ、フランス語会話の本を開き「部屋がありますか?」と書かれているところを読む、のではなく指差す。すると英語で満室との返答、仕方なくその横のホテルへ行く。ここでも先ほどと同様本を開いて指差す、しかし満室。・・・4件目のホテルでまたまた同じ行動を取る、すると笑いながら英語で部屋ありの返答、「助かった!」の一言であった。ルームキーをもらいいざ部屋へ、しかし廊下は真っ暗、おもむろにリュックからマグライトを取り出し部屋を探す、こんなところでマグライトを使うとは思っても見なかった。
後でわかったのだが、廊下はスイッチがちゃんと付いておりそれを押すと約15秒間のみ点灯するのだた。
PM10:30やっと部屋に到着、数分ベットに横たわり、近くのカフェレストランへ行く。肉とビールを飲みながら明日の予定を考える。食事を終え部屋に戻る、小さな机とベット、狭いシャワーとトイレだけと、ちょっとあやしい色の壁紙の部屋だった。
疲れと、孤独感とともに毛布に潜り込む、長い一日が終わった。
異国の地は恐いわ・・・・・・・。