『浸食~呪言古書店綺譚~』
『浸食~呪言古書店綺譚~』
黴臭く、薄暗い古書店の奥。そこに僕は棲息している。
僕は古書店の帳場に座り、稀に来る変わった客の相手をしながら過ごしている。ただ、どの客もここには本を売りにくる。そう、曰くありげな本を――。呪いがテーマの和ホラー!
A6(文庫サイズ)104P
――薄暗く黴臭い、古びた古書店の奥。そこに僕は棲息している。
「……暇だ」
大きく欠伸をし、読んでいた本を置いて帳場に突っ伏す。四方を天井まである書棚に囲まれ、窓もない店内は昼間でも暗い。唯一開いている入り口からは、別世界のように白く光が差し込んでいた。
「暇だ……」
机に顎をのせたまま、オイルランプの揺らめきでも数える。こんな紙ばかりの場所にランプなんてとお客には顔を顰められるが、かまわなかった。いっそ、燃えるなら燃えてしまえばいい。それこそ僕の本望だ。
「あーあ」
ランプの揺らめきを数えるのもすぐに飽きた。お客でも来ればいいが、この店には滅多に客は来ない。なので僕は一日、帳場に座って売り物である本を読んでいる。
「髪でも伸びれば、少しは面白いものを……」
自分の、少し長めの黒髪を引っ張りながら、可笑しくなってくる。僕の髪が伸びるなんて有り得ない。最後に髪を切ったのは、もう何年前か。五年か、十年か……それとも、もっと前か。それほどまでに長い時間、僕はここに座って過ごしていた。着物から伸びる手足は、驚くほどに白い。前に日の光に当たったのがいつなのか、もう思い出せないくらいだ。
「あーあ、暇だ、暇だ。本当に暇だ……」
ぶつぶつと言いながら眼鏡を外して目を閉じる。
「なにか面白いことでもないか……」
とはいえ、ここに客が来るのは本当に稀。僕がこの店を祖父から引き継いでから売れた本は片手で足りる。それほどまでにここには客が来ないのだ。――否。来られないのだ。
「寝るのも、もう飽きた」
そう言いながらも目を閉じる。それしかやることがないのだから仕方ない。僕は退屈を飼い殺し、こうやって無為に生きていくしかないのだ。
「すみません」
「はい!」
唐突に声をかけられて、飛び起きた。入り口からスーツ姿の男が入ってくるのが見える。頭頂部がかなり淋しくなっている男はハンカチでせわしく汗を拭いながら、店内をきょろきょろと見渡しつつ奥の帳場にいる僕のところまで来た。
「あの、お店の方は」
ランプの灯りでようやく僕の顔が見え、男は驚いた顔をした。
「僕が、店主ですが」
「え」
毎度の問いににっこりと笑って返したが、男は戸惑いを深めただけのようだ。しかし、店主の僕が学生のように若いというだけで、そんな態度を取られるのは心外だ。
「……その。〝あれ〟を買い取ってもらえると聞いたんですが……」
少し迷ったあと、覚悟でも決めたのか上目遣いでそろりと男が僕を窺う。
……きた。
無意識に口元が、綻んだ。
「〝あれ〟とはなんのことでしょう?」
それでも、知っていながらとぼけてみせる。先程まであれほど暇で死にそうだったのだ、少しくらい遊んだってバチは当たるまい。もっとも、僕はよほどのことがなければ死なないが。
「とぼけないでくださいよ! こっちは死活問題だっていうのに!」
顔を真っ赤にし、男は喰ってかかってきた。
「すみませんねぇ、随分ひさしぶりのお客なもんで、つい」
視線で帳場の前に置いてある、簡素な丸椅子を指す。男は意味がわかったのか、おずおずとそこに腰を下ろした。
「それで。お話を伺いましょうか」
そのために来たというのに、男は鞄を抱いて上を見たり下を見たりしながら逡巡し始めた。
「あの、やっぱり。でも」
意味をなさぬ言葉を発しながら、男は悩み続ける。焦れったくて早く話せと言いたくなるが、一応貴重なお客様なので我慢した。
「その。……やっぱり、やめます!」
腹が決まったのか、勢いよく男が立ち上がる。まあ、彼の身なりからそんなことだろうとは予想していた。
「そうですか、わかりました」
相手がやめるというのだ、僕も姿勢を崩して立て膝にし、机に頬杖をついて手近にあった本を捲った。
「えっ、あっ」
しかし、男はなにか期待でも外れたのか、焦っている。
「そんな、あっさり」
そのうち僕に、懇願してきた。
「あっさりもなにも、やめると言ったのはそちらですからねぇ」
わざとらしくため息をついてみせ、拒絶するように本を閉じる。それを見て男は、びくりと大きく身体を震わせた。
「うっ」
声を詰まらせ、男ががっくりと肩を落とす。
「……引き留めてくれたって、いいじゃないですか」
勢いよく頭を上げたかと思えば、今度は涙で潤んだ目で僕を見てきた。
「本当に切羽詰まってるんですよ。もう、あれにいつ喰い殺されるのか気が気じゃなくて……」
ごそごそと鞄を漁り、男は一冊の本を帳場の机の上にのせた。かなり古そうな和綴じの本だ。しかしそれからは、禍々しいばかりの気が放たれていた。よくこんなものを抜き身で持ってこられたものだと感心する。
「これを手に入れたのは、ただの出来心だったんです」
憔悴しきって男は椅子に座り、額の汗を拭っている。表紙の短冊にはなにやら題名が書いてあるが、達筆すぎて読めない。しかし僕には、問題なかった。
「私は便利屋のようなことをやっておりまして。その日はある旧家の蔵の整理を頼まれました」
そっと短冊に書いてある文字に触れる。それは指先からするりと僕の中に入ってきた。〝おんこさま〟、そこにはそう書いてあったようだ。
「依頼人は私と同じ年くらいの、痩せぎすな男でした。ずっと俯き気味で、ぼそぼそと喋るものだから聞き取りづらくって。辺鄙な場所なので躊躇しましたが、依頼料が破格なもんで引き受けました」
男は詳しくは言わないが、きっと金に困っていたのではなかろうか。すっかり擦り切れた革靴はそれを、物語っているようだった。
「訪れたのは、昔はそれなりに羽振りもよかったんでしょうが、今はうらぶれた、ただの田舎の家でした。蔵も半分、朽ちかけていましたしね。近々ここを引き払うので、片付けをしてほしいとのことでした」
店の中は洞窟のようにひやりと肌寒い。なのに男は、大量に汗を掻きながら話し続ける。
「蔵の中のものは全部処分してもらってかまわない、なにかいいものがあったら勝手に持っていってくれと言われましてね。お宝でもあればいいと期待したものです」
思い出しているのか、男は引き攣った笑みを浮かべた。
「案内されて蔵の中に入ると、がらんとしてるんですよ。片付けてくれということだったのに、ほとんどものがない。どういうことかと依頼主を振り返るんですが、もう帰ったあとでした」
興味本位で、本を開いてみる。そこには経年による紙魚があるばかりで、なにも書かれていなかった。パラパラと頁を捲っていってみるが、どの頁も真っ白だ。
「一応、蔵の中をチェックしていきました。しかし片付けるほどものなどない。なんでこんな依頼をしたのか、不思議なほどでした」
確かに蔵の片付けを頼まれたのにそんな状態では、誰だって疑問に思うだろう。その依頼者はいったい、なにを考えていたのか。気になるが黙って男の話を聞く。
「そのうち、二階があるのに気づいて上がったんです。そしたら」
一度言葉を切り、男は顔を上げて僕を見た。
「大事そうに金の布に包まれた〝それ〟が台の上に置いてありました」
男の目が、僕の手にある本へと向く。
「目が、離せませんでした。呼ばれているとすら思いました。なぜか持ち出したのを知られてはいけないと思い、これを抱えて一目散にその家を逃げ出しました」
うっとりと愛おしそうに男が僕の手にある本を見る。その目は虜になっている――否。取り憑かれているようだが、この本にはなにも書かれていないのだ。
「どうしてか、これを持ち出したのを咎められるんじゃないかと思いました。可笑しいですよね、蔵の中のものは全部処分してくれと頼まれたのに。でも、いつあの男が怒鳴り込んでくるんだろうかと、戦々恐々としていました」
ランプの灯りが揺らめき、男の影も揺れる。
「そんな心配はもちろん杞憂で、それどころか私はほぼなにもしていないのに、依頼料が振り込まれていました。しかも、聞いていた額よりもかなり多く。そのときは喜んだもんですが、これがこんなことになるなんて」
男は疲れきったため息をついた。こんなところに来るくらいだ、かなり困っているに違いない。
「家に帰って布の中身を確認しました。入っていたのがその本です。札束でも入っていると思っていたんですかね、それを見て拍子抜けしました。パラパラと捲ってみると、デカい、蛾のような化け物の絵が描いてありました。なんか気味が悪くなったのを、覚えています」
何度も言うが、この本にはそんな化け物の絵どころかなにも書かれていない。なにも、だ。
「興味がなくなり、本はそのへんに放置しました。それからすぐです、気まぐれで買った宝くじが大当たりしたのは。運がいいこともあるもんだ、このときはそう思ってました。そのあとも馬券が当たったり、大きな仕事が入ってきたり。とにかくびっくりするくらい、お金が入ってきたんです」
男が身に着けている時計や指環は、いかにも高級そうだった。その反面、服はヨレヨレで靴はぼろぼろ。きっと急にお金持ちになり、勧められるがままに高級なアクセサリーを買ったが、まだ身なりには意識が届いていないのだろう。しかし、それほどのお金が手に入ったというのに、男は少しも嬉しそうではない。
「最初は、私にもようやく運が向いてきたんだと思いました。でも、なにかがおかしい。飼っていた猫が、死にました。ずっと寝たきりだった母も。猫も母もいい年だったし、仕方ないと思いました。……でも」
顔を上げた男の背後で影が、揺れる。それは先程よりも、大きくなっているように見えた。
「常連のお客がふたり、立て続けに事故で死にました。俺が運を吸い取ったか、なんて強がって笑ってましたが、その頃からなんとなく、自分のまわりでなにかが起こっていると気づきました。そんなときです、〝あれ〟を見たのは」
男の顔が泣き笑いに歪む。影がまた、大きくなった。それは男のものというよりも、もっと別のなにかのようだ。
「夜中にトイレに行って、ふと見た自分の影に違和感を覚えたんです。まるで、自分のものじゃないような。その日は寝ぼけてるだけだと片付けて、寝ました」
ゆらゆらと影が、まるで意志を持つように揺れる。
「でも、それから声が聞こえるんです。『贄を捧げよ』って」
ゆらりと、ひときわ大きく影が揺らめく。それは店の壁いっぱいになっていた。
「気のせいだ、このところ忙しくて酒も増えていたしと否定するんですが、声は聞こえ続ける。ついには鏡に映る自分の後ろに、デカい蛾の化け物を見たときには腰を抜かしました」
先程まであんなに汗を拭っていた男が、身体をガタガタと震わせる。
「すぐに、あの本に書かれていた化け物だと気づきました。あれに取り憑かれたのだと。同時に、金が入ってきたのはコイツのせいで、自分のまわりで人死にが多いのもコイツのせいだと思いました。ただの偶然だと思いますよね? でも私は本気で、コイツのせいだと思うんです」
それを証明するかのごとく、男の背後で揺らめく影は大きな蛾の形をしている。いや、本の題からするに蚕なのだろう。「おんこさま」とは「御蚕様」と書くのではなかろうか。
「きっと蔵の片付けを頼んできたあの家は、コイツを祀って富を得たが、手に負えなくなって私に押しつけたんじゃないかと思うんですよね。だとすればあの報酬も説明がつく。ね、そう思うでしょ?」
「はぁ、そうですね」
同意を求めるように男が僕に顔を寄せてくる。しかし、僕としてはそんなのはどうでもよかった。ただこのひととき、僕を楽しませてくれさえすれば。
「大金を積んででも手放したかったものですからね、もうなにが起こるのか気が気じゃなくて」
僕の気のない返事も気にならないのか、男は座り直して話を続けた。
「しかもよく仕事をくださる幼稚園の、お散歩の列に車が突っ込んだとなれば生きた心地がしませんよ。ひとりが亡くなりましたしね。いつ、誰が亡くなるのか、それとも私自身が喰われるのか、怖くて怖くて……」
だが、一度手に入れた大金の味は忘れられない。だからこれに未練があり、自らの意志では離しがたかったのだろう。
「それで。……これを買い取ってもらえますか?」
そろりと上目で僕を窺い、男がごくりと唾を飲み込む。
「買い取ってもいいですが、〝これ〟は白紙ですよ」
「は?」
男の目が、真円を描くほど大きく見開かれた。
「そんなはずは……!」
慌てて男は僕から本をひったくり、中身を確認している。
「そ、そんな……」
しかし白紙だとわかり、その場に腰が抜けたかのように座り込んだ。
「じゃ、じゃあ、あの化け物は」
「バッチリ貴方に憑いてますね」
にっこりと笑顔を作って男の顔を見る。
「ど、どうしたら!?」
男は再び椅子から立ち上がり、僕に肉薄してきた。
「本の修復は別料金がかかりますが、よろしいですか?」
最初はなにを言われているのかわからないのかぽかんと男は僕を見ていたが、そのうち理解したのか首がもげそうなほど勢いよく頷いた。
「よろしくお願いします! いくらでもお支払いします!」
「わかりました」
本の上に手を置き、目を閉じた。小さく息をつき、再び目を開けて男の背後の影を見据える。影はなにをされるのか察したのか、僕に襲いかかろうとしていた。
「……いけ」
僕のひとことで、あっという間に闇の濃度が上がっていく。薄らと見えていた書棚は姿を消し、入り口から差し込む光ももう見えない。
「な……に……」
状況が理解できず、あっけに取られている男は息が苦しそうだ。この闇の密度には、普通の人間では長く耐えられない。限界まで濃くなった闇はたじろいでいるように見える男の影を、易々と飲み込んだ。途端に、急速に闇が収縮していく。ぽん!と音がしたかと思ったら、唐突に元の世界へと戻った。入り口からは何事もなかったかのように白く光が差し込んでいる。
そろりと本から手を離し、中を確認する。そこには大きな蚕の化け物の絵が描かれていた。
「はい、終わりました」
「え……?」
男の目が不思議そうに、しばしばと何度か瞬きをした。
「本当に?」
「はい。確認されますか?」
「いや、いい!」
差し出された本を、男が手を振って拒否してくる。
「それで、いくらですか?」
「百万」
「え?」
いくらでも払うといっていた癖に、男は金額を聞いてあからさまに不服そうな顔をした。
「別にいいんですよ? お支払いいただけないのなら、元に戻すだけですから」
すました顔で言い、本の上に肘をついてそっぽを向く。
「は、払う! 払うに決まってるだろ!」
鞄の中から出した札束を、男が机に叩きつける。それを横目で確認し、受け取って引き出しの中へとしまった。
「ありがとうございます。あ、これ」
反対に引き出しの中から一万円札を引き抜き、机の上に滑らせる。
「買い取り料です、どうぞ」
「あ、ああ」
男はあっけに取られつつ、それを受け取った。
「またなにかあったらよろしくお願いします」
「二度と来るか!」
来たときとは違い、悪態をついて男は帰っていった。
「ま、いいけどさ」
ああいう小物は揶揄い甲斐があるから、いい暇つぶしになる。
「さてと」
ひさしぶりに長く人と話し、凝り固まった肩を解す。
「……ああ。今度は指か」
左の薬指が動かなくなっているのに気づいた。今回は小物だったので、代償は少なくて済んだようだ。〝あれ〟を使役するには代償が伴う。右足はとうに動かない。内臓もいくつかなかった。次は腕か、目か、それとも――心臓か。使い続ければそのうちこの命を失うのはわかっていたが、それでもかまわなかった。
気を取り直して本を捲る。それにはもう、男が持ってきたときの禍々しい気はない。ただの、そのへんにある古いだけの本だ。男に取り憑いていたものは、闇が喰ってしまった。
それでも本には、元々書いてあった絵が戻ってきている。養蚕から蚕が神になる話だ。きっとこの神になった蚕が富をもたらす代わりに贄を求める悪しきものへと変容したのだろう。
「あー、また暇になってしまった……」
本をそのへんに放り投げ、机に突っ伏す。大学生のときにこの呪いにかかってから、ここからは一歩も出ていない。日の光が身体を焼くのもあるが、闇はこの古書店と同化しているので出られないのだ。それで、僕は祖父から譲り受けたこの店で、日がな一日本を読んで過ごしている。呪いを受けた当時はなんとか解けないものかと足掻いたが、それももう諦めの境地に入っていた。こうやって稀にやってくる客の相手をして暇を潰しては、そのときがやってくるのを待っている。それは一年後なのか五年後なのか十年後なのか、はたまた永遠にやってこないのか僕にもわからない。僕はただ、待つしかできないのだ。
……以下、続く。