『もっとも苦手な彼と一夜を共にしたならば』

「泣いて喚いて、恨みの怒りも後悔も吐き出してしまえ。全部俺が受け止めてやる」

咲希はある日、浮気相手との子供を理由に婚約破棄される。その直後、泣きながら歩いていたところを同期の神園に目撃され、ホテルに連れていってくれと頼んでいた。神園は咲希の希望どおりにしたけれど……。

A6(文庫)26P

「君とは結婚できない、別れよう」

 呼びだされてきたカフェ、恋人の第一声がそれだった。彼がなにを言っているのか、まったく理解できない。つい一週間ほど前、ご両親に挨拶へ行って、一緒に婚約指環を買った。なのに、この期におよんで〝結婚できない〟なんて。

「……子供が、できたんだ」

 言いにくそうに彼が言い、目を逸らす。子供ができたって、私は妊娠していない。じゃあ、誰が? と、少し考えたところで、ひとりの人物を思い出した。

「……別れて、なかったんだ」

 頭の芯がこれ以上ないほど冷える。前に彼が浮気していた、会社の人。黙っていればいいのに彼女は、得意げに彼は自分と寝たのだと報告してきた。慌てた彼は一時の気の迷いだったと謝罪してきて、私も許したのだ。けれど、私は裏切られていたんだ。

「ごめん! 君との結婚が決まって、今度こそ別れようとしたんだ。でも、子供ができたって……!」

 勢いよく彼が頭を下げる。だから、私に許せ、って? そんなの、虫がよすぎる。でも。

「……わかった」

「許してくれるのか!?」

 期待を込めた目で彼が顔を上げる。しかし思いっきりその目を睨みつけた。

「二度も裏切られて許せるわけないでしょ?」

「そ、そうだよな」

 おどおどと彼が、小さく肩を丸める。それを、無感情に見ていた。

「でも、生まれてくる子供に罪はない。私は子供のために身を引くの。あなたのためでも、ましてやあの女のためでもない。それだけは勘違いしないでね」

 彼は黙って俯いている。かまわずに私は立ち上がった。

「さようなら」

 伝票を手に取り、彼に背を向ける。

「咲希(さき)……!」

 彼の縋るような声が聞こえたが、無視して足を踏み出した。これ以上、彼の言い訳なんて聞きたくない。

「……バカ」

 彼が好きだったから、その言葉を信じていた。結婚しようと言ってくれたときは嬉しかった。なのに、この仕打ちはない。

「おっと……!」

 前も見ずに勢いよく歩いていたせいで、誰かの胸に飛び込むようにぶつかってしまった。

「す、すみません……!」

 慌てて離れ、頭を下げる。

「……森谷(もりや)?」

 しかしよく知った声が頭上から降ってきて、思わず相手を見上げていた。

「神園(かみぞの)……さん?」

 メタル眼鏡の奥から驚いたように私を見ているのは、同期の神園さんだった。

「泣いてる……のか?」

「えっ、あっ」

 急いで目尻を拭い、誤魔化そうと努力をする。一番見られたくない相手に見られた。背も高くて顔もいいせいか、軽い彼が私は苦手だった。


……以下、続く。