『恋という音は君の名前に似ている』
『恋という音は君の名前に似ている』
――標準歴一九三八年、冬。
「僕を殺してくれ」
アイツが、泣き笑いで俺を見る。そんなの、できるはずがない。嫌だと首を振り、あとずさる俺にアイツは迫ってきた。追い詰められ、背中はドアにぶち当たる。
「君に、殺されたいんだ」
持っていた拳銃をアイツが俺に握らせる。投げ捨てようとしたが、そうさせないようにアイツは上から力一杯押さえつけた。
「それが、一番いいって君だってわかってるだろ?」
怯え、首を振るだけしかできない俺の手を握り、アイツは銃口を自分の身体へと当てた。
「誰でもない、僕は君に殺されれば幸せだよ」
にっこりとアイツが笑う。どうしてこんなことになっているのだろう。俺はただ、アイツの幸せを願っているだけのはずだったのだ。どこで選択を間違えた? いくつもの分岐点が頭をよぎっていった――。
いわゆる文化国といわれる西の国々による植民地の取り合いが終わり、これからどうするかと各国の睨みあいが続いていた頃。アイツ――ニコローズ・スティングナーが大統領になったのは、二十八歳のときだった。
「……ねえ」
「……うん」
カフェで食事をしている最中、ちらちらと若い娘がこちらを見てくる。そちらへ視線を向け、目のあったニコローズ――ニコは彼女たちへ軽く手を振った。途端に小さく、きゃーっと悲鳴が聞こえてくる。
「マメだね、お前も」
「そう? レンも手ぐらい振ってあげなよ」
おかしそうに笑うニコにため息をつき、ソーセージを口に運んだ。ニコはああ言うが、俺に手を振られたところで彼女たちは困惑するだけだ。だいたい、そんなの俺には似合わない。
食事を続けながら、目の前に座るニコを見る。蜂蜜酒のような金髪に、澄んだ空のような蒼い瞳。少し丸い顔にはそばかすが散っていて、それが彼を年よりも幼くみせている。俺よりは小さいとはいえ背も低くなく、笑顔がチャーミングな彼は女性たちを――国民を魅了していた。
一方の俺は、黒髪黒い瞳、威圧感を与えるように無駄に背が高い。さらにかけている銀縁スクエアの眼鏡が冷たくみせていた。いや、笑わない俺はそう思われているのだろう。軍の中でも「機械人形」だの「冷血参謀」だの陰で言われているのは知っていた。
「このあと、どうする?」
「どうするって、大統領がそんなにふらふらしてていいのか」
呆れた俺の口からため息が落ちていく。旧友とひさしぶりに一緒に食事とはいえ、もちろんふたりきりではない。ふたりほど護衛が付いてきている。
「たまには息抜きさせてよ。大統領府にこもってると、肩が凝っちゃってさ」
証明するかのように肩に手を置き、ニコが首を左右に曲げる。あそこはいまだに王政の名残で格式を大事にしているらしいし、確かに肩が凝るかもしれない。
「それにこれを逃したら、次はいつレンとゆっくりできるんだよ。まるで僕から逃げるみたいに、滅多に帰ってこないしさ」
「それは……」
皮肉るようにニコが笑う。なにも答えられなくて、フォークを置いた。俺たちの暮らす国、ベンブルグ連邦はもう長く、あちこちの国境で小さな小競り合いを繰り返していた。とある理由で軍は人手不足に近く、各地の戦場で俺は泥の中を這いずりまわっている。……というのは言い訳だ。忙しく戦場を駆け回っているのは事実だが、休暇がないわけではない。しかし、首都に帰ってこないのには理由があった。
「ま、いいよ。今日はとことん、僕に付き合ってもらうからね」
ニコが頬を膨らませ、苦笑いする。これで一国の大統領だなんて誰が信じるだろう。しかしニコは、この国のトップなのだ。
食事を終え、店を出る。
「市場にでも行ってみようよ」
「ああ」
ふたり連れ立って歩き出す。少しして、ニコは俺に身を寄せてきた。
「ねえ。巻いちゃわない?」
背後にいる護衛をちらりと見て、いたずらっ子のようにニコが笑う。
「いや……」
「ほら、行こう!」
俺の手を取り、いきなりニコが走り出す。慌てて護衛が追いかけてきたが、彼は足を止めなかった。
「おい!」
「早くって!」
それどころか笑いながらニコは何度も急に方向を変え、細い路地を駆け抜けていく。そのうち護衛の姿は見えなくなっていた。
「やっとふたりきりになれたね」
嬉しそうにニコが笑う。それが眩しくて、つい目を細めていた。
「あのなー」
「はいはい、説教はけっこうだよ。それにレンがいれば大丈夫でしょ? なんていったって〝冷酷騎士〟なんだし。ねえ、ウォルター少佐?」
わざとらしく俺を階級で呼び、ニコが意地悪く笑う。おかげで、羞恥によって顔の熱が上がっていった。
「……言うな」
眼鏡を手で覆うようにして上げ、赤くなっているであろう顔を誤魔化す。それも、俺につけられているあだ名のひとつだった。
また、ふたりで連れ立って歩く。いくらもしないうちに市場が見えてきた。
「だいぶ活気が戻ってきたな」
前に来たときはかろうじて開いている店はあるが商品はスカスカ、そんな状態なのでほとんど人もいなかった。しかし今日は店先にそれなりの量の商品が並び、多くの人で賑わっている。
「そうだろ。頑張ったからね」
くりくりした目で俺を見上げるニコは、ご主人様に褒められるのを待っている犬に見えた。軍で唯一、俺に懐いている軍用犬もよく、こんな顔で俺を見る。
「はいはい、偉い、偉い」
ため息をつきつつ、ニコの頭を軽くぽんぽんと叩いておざなりに褒めた。
「なんか適当。もっとちゃんと褒めてよね」
怒りながらニコは人混みを進んでいく。……俺に、どうしろと? これがいつもじゃないか。
「お詫びにアイス、奢ってよね」
ニコが立ち止まったのは、アイスの屋台の前だった。
「はいはい」
適当に返事をし、俺もその隣に立って財布を出す。
「こんにちは、大統領。今日はいつもの護衛は一緒じゃないんですか?」
店主である年配の男性が、気さくに話しかけてくる。きっとニコはいつも、こうやって街を見てまわっているのだろう。
「今日は友達が一緒なんだ。ほら、覚えてない? レンだよ」
「ああ!」
店主が少し、驚いた顔をする。
「そういえば昔は、ふたりでよく来ていましたね」
懐かしそうに笑う店主は、完全に親の目をしていた。
「おじさん、アイスふたつね」
「はい、少々お待ちください」
「おい、俺は……」
俺の分まで頼むニコを慌てて止める。
「付き合ってよ、いいでしょ」
しかし彼に押し切られ、諦めた。
アイスと引き換えに金を払い、人気の少ない場所でふたり並んでアイスを舐める。
「……甘いな」
思わず顔を顰めてしまう。随分とひさしぶりに食べるアイスは、甘ったるくて胸焼けがしそうだ。
「そう? 普通だけど」
大人になってからは甘いものが苦手になった俺とは違い、いまだにお菓子が大好物のニコは美味しそうに食べている。
「でもよかったね。あの店、先週ようやく営業を再開したんだ」
「……そうか」
無言で、手の中のアイスを見つめる。ベンブルグが隣国リワースに侵略戦争を仕掛けていたのは少し前の話だ。数ヶ月で決着する、国の偉い連中はそう言っていたが、国民の誰もが信じていなかったし、軍はこれから始まる長い戦争を覚悟した。最初のうちこそ攻勢で政治家は意気揚々だったが、すぐに戦況は膠着状態になり泥沼化していく。次々に戦場へと送り込まれていく男たち。女たちは不足する人手を補おうと必死に働いた。それでなくても疲弊していた国はさらに疲弊していき、常に暗い影が落ちていた。
しかし三年後、ある出来事により我が国は戦争を続けていられなくなり、一応の終結をみた。そしてその出来事によってニコは大統領に祭り上げられたのだ。
「頑張ってるんだな」
この甘さは平和の味なのだ。急になんの変哲もないアイスが、これ以上ないごちそうに思えてきた。
「だから、もっと褒めていいんだよ?」
笑ってニコが腰を曲げ、俺の顔をのぞき込む。軍隊にこもりっきりの俺は知らなかったが、人々は笑顔に溢れ、子供のはしゃぐ声が聞こえる。それもこれも全部、ニコが努力した結果なのだ。
「本当に偉いよ、お前は」
ニコが大統領になったとき、若すぎるトップの誕生に不安の声も当然上がっていた。もうこの国はこれ以上、失敗する余裕がないのだ。しかしニコは努力を重ね、ここまで国を立て直した。きっと、かなりの苦労も苦悩もあったはずだ。なのにいつも笑顔で、まわりに不安を感じさせない。そんなニコを俺は尊敬していたし、同時にいつかポッキリ折れてしまいそうな危うさを心配していた。
「えー、それだけー?」
また、唇を尖らせてニコが抗議してくる。公では大統領なんて偉くても、俺の前では子供のままなニコがおかしかった。
「わかった。ご褒美になんか買ってやる」
「やった。欲しいものがあるんだよねー」
ニコは嬉しそうににこにこ笑っている。本当にいつまでもお子様だ。
アイスも食べ終わり、煙草を咥えて火をつける。いまだに残る甘さを消したかった。
「ほんとみんな、煙草が好きだよね」
俺の隣でニコが顔を顰める。
「会議のときとかさ、みーんな煙草吸ってるから、部屋の中が煙で真っ白になっちゃうんだよ。煙いったらありゃしない」
呆れ気味に苦情を言うニコについ、笑ってしまう。軍でも会議のときはほぼ全員が煙草を吸っているので、似たような状態だった。しかし、吸わないニコにしてみれば、堪ったもんじゃないのかもしれない。まだ二口しか吸っていない煙草を地面に落とし、革靴の底で揉み消した。
「はいはい。悪かったって」
「もー、ほんとに悪いって思ってるの? そうだ、煙草にたかーい税金かけちゃおうか? そうすれば予算は増えるし、吸う人も減るんじゃない?」
なにやらニコは真剣に考え出したが、酒と煙草は俺の唯一の楽しみなのでやめてもらいたい。それでなくても酒には、前政権の名残で高い税金がかかっているのだ。
……以下、続く。